2017年2月19日 (日)

堅信式ミサ@新発田教会

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本日の日曜日、新潟県の新発田教会で、5名の方が堅信の秘跡を受けられました。堅信を受けられた5名の方は全員女性で、そのうちのお一人は、新発田教会の巡回である村上教会の方です。

今日は早朝から新潟市内でも雪が時折激しく降る荒れた天気で、新発田に向かう新々バイパス(国道7号線)を走行中にも雪が激しく降っておりました。

堅信の秘跡を受けられた皆さん、おめでとうございます。新発田教会は子どもたちの声が響く、元気な共同体でした。聖体拝領の後には、フィリピン出身の信徒の方々が、感謝の歌をギターの伴奏で聴かせてくださいました。ありがとう。ミサ後には信徒会館に皆が集まり、昼食会でした。用意してくださった皆さん、ありがとう。

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ちょうど本日、年間第7の主日の第二朗読、パウロのコリントの教会への手紙には、「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」という言葉が記されていました。堅信の秘跡は、入信の過程の完成であり、この秘跡を通じて聖霊を受けるのですが、まさしく神の霊がそのうちに宿るものとして、堅信の秘跡を受けて成熟した信仰者としての歩みをはじめるものには、常に神とともにあるものとしての役割が期待されています。

神とともにあるキリスト者には、福音を宣べ伝えるという使命があります。それは単に、聖書に書かれていることを述べたり教会の教えを述べたりすることではなく、自らの人間関係のうちにあって、自らの言葉と行いを持って、主の福音をあかしすることに他なりません。

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教皇フランシスコがしばしばいわれるように、パートタイムの信仰者はあり得ず、わたしたちは日曜日に教会に来るときだけキリスト者となるのではありません。常に神が宿るものとして、語り、行動することが求められています。もちろんわたしたちは完全ではないので、神の望まれる道とは異なる道を歩んでしまいます。そういったわたしたちの弱さを、神はわたしたちの内に宿る聖霊によって、忍耐強く、方向を修正するように働きかけてくださいます。弱さに負けるわたしたちを見捨てることのない神のいつくしみは、わたしたちへの聖霊の恵みでもあります。

今日の福音は、「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」の言葉に象徴される、神の極端とも言える徹底的な生きる姿勢をわたしたちに教えます。人間は、どちらが善い方向であるかは分かっているものの、どうしても徹底的にそれに生きることが出来ずに、このあたりで良かろうと、十分だろうと、妥協して生きてしまいます。この程度までを達成していれば、まあよかろう。それ以上は、非現実的だ。などといって妥協するのです。現実がそうなのだから仕方がない。もう変えようがないから仕方がない。だからその程度でまあ我慢しておこう。

そんなわたしたちに、イエスは、神の求めるところは妥協ではないことを示されます。確かに神はいつくしみに満ち、憐れみ深く、怒るに遅い方ですが、同時に、それは妥協を許す姿勢ではありません。懸命に努力をしても負けてしまうわたしたちの弱さを理解される神は、負け続けるわたしたちを見捨てることはありませんが、だからといって妥協を良しとはされていないのです。なんとなく、努力をすることなく、妥協への道をひた走っているのが、わたしたちのいまの姿ではないのかと思ったりいたします。

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明日の月曜午後から、司教総会が行われます。金曜日までの予定です。どうぞ総会のために集まる司教たちのためにお祈りください。

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2017年2月17日 (金)

東日本大震災復興支援の会議@仙台教区本部

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今日は一日、仙台のカテドラルである元寺小路教会で、東日本大震災の復興支援に関わる二つの会議です。午前中には、仙台教区内各地に開設されているベース関係者の会議。

宮古、大槌、釜石、大船渡、米川、石巻、南相馬、もみの木(いわき)にボランティアベースが開設されており、その代表が情報交換のために定期的に開いている会議です。今日は13名の方が参加。それに加えて、全国からの支援に関わっている関係者として、長崎、大阪、東京の教会管区から関係者。もちろん仙台教区のサポートセンターやカリタスジャパンからも関係者が参加しています。

私はカリタスジャパンの責任者としてではなく、司教団の東日本大震災復興支援活動(いわゆるオールジャパン体制)の責任者として参加していますが、それ以外にも、仙台の平賀司教、高松の諏訪司教、東京の幸田司教の4司教も参加しています。

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日本のカトリック司教団は、先の司教総会で、現在のような全国の教会からの復興支援活動を、2021年の3月まで継続することを決めていますが、各地のベースでは、それぞれの地域の事情などに応じて、今後、その活動内容が変化してくることが避けられないと思います。NPO法人として活動を拡大するところもあれば、縮小していくところもあるでしょう。拡大するにしろ縮小するにしろ、それぞれは地元の方々との関わりの中で、たとえば地元の方に引き継いでいったり、地元の方の協力を得ながら拡大していくなど、地元に根ざした地域との関わりを深めた活動に変化していかなくてはなりません。その中で、教会との関わりをどうしていくのかも、考慮するべき課題かと思います。なんといってもカリタスの活動は、教会の愛の奉仕として、教会の重要な本質的要素の一つであることを忘れるわけにはいきませんから。

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2017年2月11日 (土)

列福感謝ミサ@新潟教会

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福者ユスト高山右近の列福感謝ミサは、全国の教区で順次捧げられます。教皇代理であるアマート枢機卿様も、金沢で行われた名古屋教区の感謝ミサに臨席され、東京ではイグナチオ教会で感謝ミサを司式されたそうです。金沢と東京は列聖推進委員会の公式行事でしたから、事前に準備された立派なテキストや特別誂えの祭服が使用されたようです。(司教や大司教が司式するミサでは、枢機卿は通常は共同司式せず臨席されます)

新潟教区では、昨日金曜日の午前11時から、新潟教会で感謝ミサを捧げました。新潟近隣で働く司祭団は毎月はじめの月曜夕方から火曜昼にかけて、月の集まりを司教館で行っています。今回はその集まりを数日後ろにずらしていただき、木曜の夕方に集まり、金曜の列福感謝ミサで終わることに変更し、そのためミサには16名の司祭が共同司式で参加してくださいました。また平日にもかかわらず、聖堂には多くの信徒の方が、新潟市内外から参加してくださいました。

列福感謝ミサの福音の中に、イエスの言葉がこう記されていました。「『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか」

たぶんこれはわたしたち多くにとっても、特に困難な状況の直面するときに、しばしば繰り返される正直な心の叫びでもあろうかと思います。出来ることなら、この困難な状況の中から、神が救い出してくれないだろうか、という心のからの願いの叫びであります。

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遠藤周作さんの原作になる「沈黙」の映画が公開されていますが、迫害の厳しかった時代、生命の危機にさらされた多くの方々が、やはり同じように叫んだことでしょう。文芸評論家ではないので、遠藤さんが小説に込めた人間の心の葛藤と信仰のせめぎ合いについて何かを言うことは出来ません。ただ一つだけ確実に言えることは、信仰を守りぬいたことで生命を捧げた人たちも、またそれとは異なる道を選んで、しかしそれがゆえに信仰を後世に伝えた人たちも、神はすべてをそのいつくしみの御手で包み込んでくださるに違いない。

福者高山右近も、困難な状況の中で同じように、『父よ、わたしをこの時から救ってください』と叫び祈ったのではないでしょうか。

そのイエスの福音における言葉には続きがあります。「しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください」

御名の栄光を現す道は、実は様々にあるのだと思います。殉教によって生命を捧げるという天国への凱旋という道。またすべてを失いながらも、希望と確信のうちに喜びの人生を続けるという道。深い悔恨の中で神のいつくしみに身を寄せて生きる道。

それはわたしたち自身の選択にゆだねられているということではなく、神ご自身がご自分の栄光を現す道を、様々に用意してくださっているのではないでしょうか。神ご自身が、わたしたちのために用意し、与えてくださる道。それを信仰のうちに見極めていかなくてはならないと思います。

大阪城ホールで2月7日に行われた列福式の模様は、ビデオで見ることが出来ます。時間を示すカーソルを移動させれば、先へと進めてしまうことも出来ます。Youtubeのリンクを張っておきます。

なお本日、2月11日はルルドの聖母の記念日です。世界病者の日でもあり、この日のために教皇様はメッセージを発表されています。リンクを張ります。

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2017年2月 9日 (木)

ユスト高山右近列福式@大阪

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2月7日(火)のお昼から、大阪市の大阪城ホールを会場に、ユスト高山右近の列福式が、教皇庁の主催行事として行われました。会場にはスタンドの上部に多少の空きがあったものの、あの広い大阪城ホールに一杯の参加者で、司教協議会によれば1万人が参加したとのこと。共同司式した司祭団は300人を超えていましたが、その司祭団がそれほど大勢に見えなかったのは、会場が大きかったためでしょう。アリーナの一番端っこに設営された祭壇の前後を挟む形で、フロアと、後ろのスタンドに司祭団が着席。いったいどこから誰が来ているのかは、結局わたしからは見えない(認識できない)くらいの距離でした。

いろんな方が様々なところで写真を掲載し、記事を書いているので、列福式の概要はここであらためて記すことはしないでおこうと思います。

一番上の写真はミサが始まる直前、裏で待機中の司教団です。もう一枚、すぐ下の写真はミサがほぼおわり、高見大司教が挨拶に立っている間に司教席からみた会場内。

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共同司式に参加した司教団は、日本の現役の司教全員に、すでに引退されている池長大司教、野村司教が加わり、それ以外に韓国の司教が6名、ルクセンブルグ、ベトナム、カンボジアの司教、そして教皇大使とマニラのタグレ枢機卿。もちろん司式は教皇フランシスコから代理として派遣された教皇庁列聖省長官のアンジェロ・アマート枢機卿。サレジオ会員のアマート枢機卿は78歳の年齢を感じさせない若々しさで、力強くミサを司式してくださいました。そして黒のスータンにスルプリで統一された侍者団は、日本カトリック神学院の神学生たち。まもなく司祭叙階を控えた全国の教区助祭団10名も大活躍でした。

なお参加してくださった韓国の司教様のうち3人の司教様と、ルクセンブルグ、カンボジアの両司教が、日本語が堪能でありました。

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列福式では、教皇の名による列福の宣言が読み上げられ、そのときに鐘が鳴って肖像画が除幕されます。今回は、確かに鐘は鳴りましたが、序幕ではなく、いかにも現代風に天井から設置されたスクリーンに肖像画が映し出されました。上の写真は、列福式後のレセプション会場で公開された、三牧樺ず子さんが描かれた原画です。

またあれだけの大会場であったにもかかわらず、大阪の実行委員会がよく考え準備されていて、聖体拝領も各所で行われ予想以上に早くミサが終わることになりました。事前のわたし自身の予想より、列福式は20分以上は早く終わりました。

ミサは奉献文がラテン語でしたので「ラテン語であげられたミサ」なのですが、随所に日本語をはじめ様々な言葉が用いられ、聖歌もベトナム語や韓国語などもあり、普遍教会のアジアにおける存在の片鱗を感じさせる典礼でした。なおすでに触れたように列福式は教皇庁の行事であるので、事前に実行委員会と教皇庁との間で幾たびものやりとりが行われ、最終的に整えられたものですので、わたしも式次第がネット上で事前に公表されるまで、その内容は一切知る術はありませんでした。(下の写真はレセプションで挨拶する前田大司教)

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さあ次は列聖に向けての運動です。列聖には、高山右近をはじめ日本の多くの福者は殉教者ですから、少なくとも一つの奇跡が認定されなければなりません。また仮に手続きが進んで教皇様による裁可があったとしても、列聖は普遍教会全体の慶事ですから、列聖式が日本で行われることは、まずありません。通常、列聖式は教皇様ご自身の司式でバチカンで執り行われます。

また、「奇跡が日本で?」などと思われますか?そうでもないのです。わたしが所属する神言修道会の創立者である聖アーノルド・ヤンセンは2003年にもう一人の神言会宣教師聖ヨゼフ・フライネーデメッツ神父とともに列聖されたのですが、その聖フライナーデメッツの列聖の鍵となった奇跡は1980年代後半に名古屋のある病院で起こっています。

今回の列福式の終わりに挨拶されたイエズス会の梶山管区長の言葉の中にもありましたが、列福や列聖に向けた調査の作業というのは膨大なものであり、時間と能力と、そしてなにより体力を要するものです。高山右近の列福運動が、この数年間の間に大きく前進した陰には、全身全霊を傾けて作業にあたられた故溝部脩司教様の働きがあったことを、わたしたちは忘れてはならないと思います。

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月曜日の前晩の祈りと水曜日の感謝ミサは、玉造のカテドラルで、これまた一杯の参加者を得て行われました。玉造教会は本当に大きな建物ですが、とにかく寒い。祭壇上のロウソクの炎が終始揺らいでいましたから、聖堂内には風が吹いているのかもしれません。写真は感謝ミサ後の玉造教会内陣です。

準備にあたられた大阪教区のみなさまをはじめ多くの協力者の方々、列聖運動を進めてこられた多くの方々に、心から感謝いたします。本当にご苦労様でした。

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2017年2月 3日 (金)

ギャラガー大司教とミサ@初台&神学院

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バチカン国務省次官で外務局長であるポール・ギャラガー大司教が、1月28日から2月3日まで日本を訪問されました。

ギャラガー大司教は聖座(いわゆる法王庁)の外務大臣と認識されており、前任者のマンベルティ枢機卿もそうでしたが、日本政府の招きでの来日です。大司教には日本政府の註バチカン大使である中村芳夫氏も同行。なお中村大使は信徒の方です。

安倍首相や岸田外務大臣との会談など、公務の予定も目白押しでしたが、同時に日本の教会との交流も重要視されました。この部分は教皇大使が各地に手配をして、日本の教会の素顔を少しは知っていただけたのではないかと思います。

日本の司教団も手分けをして、可能な限り各地でのギャラガー大司教の行事にご一緒させていただきましたが、わたしは二日間、大司教の予定におつきあいさせていただきました。初台教会と神学院で、ミサを一緒にさせていただきました。

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まずは2月1日の午前中。ギャラガー大司教から、カリタスジャパンをはじめ愛の奉仕のわざに関わっている方々の話を聞きたいというリクエストがあり、そのための集まりをカリタスジャパンが中心となって催しました。

まずカリタスジャパンの秘書である瀬戸神父がレデンプトール会であることから、初台教会でミサ。平日の午前中でしたが、多くの方がミサに参加してくださいました。その後1時間半ほどの時間をいただいて、様々な活動の紹介をさせていただきました。

カリタスジャパンの紹介から始まり、福島で活動を続けるカトリック東京ボランティアセンターや、滞日外国人の支援を行うカトリック東京国際センター、山谷で支援活動を長年にわたって続けてきた山友会、マザーテレサの修道会など、限られた時間での準備でしたので、すべてを網羅することは不可能ですが、少なくとも様々な方々が非常に広い範囲で行っている教会の愛の奉仕の活動の一部を、紹介することが出来たかと思います。

このような集まりをギャラガー大司教がリクエストされたのは、教皇フランシスコの福音を伝える姿勢の中心に愛の奉仕があるからに他なりません。すでにベネディクト16世は回勅『神は愛』において、教会の本質的要素は三つの務めであるとして、こう指摘されました。

「教会の本質はその三つの務めによって現されます。すなわち、神の言葉を告げしらせること(宣教・ケーリュグマ)とあかし(マルテュリア)、秘跡を祝うこと(典礼・レィトゥールギア)、そして愛の奉仕を行うこと(奉仕・ディアコニア)です。これらの三つの務めは、それぞれが互いの前提となり、また互いに切り離すことができないものです」(25)

したがって、愛の奉仕のわざは、教会の活動のおまけや添え物ではなく、また誰かがすれば良いことでもなく、同時に単なる人道主義に基づくNGO活動でもない。教会のすべての人が責任を持つ、欠くべからざる本質的要素なのだ、というベネディクト16世のこの指摘は、この数年の教会における共通認識です。教皇フランシスコは、国際カリタスのメンバーに、しばしばこのことを強調してこられました。その意味で、今回、ギャラガー大司教に日本の教会の愛の奉仕の活動を少しなりとも説明できたことは、大きな意味があったと思います。大司教からは、日本にもそのような社会の課題が山積していることを知り驚いたことと、またさらに活動を深めるようにとの励ましの言葉をいただきました。

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そして昨日、2月2日は、午後3時半から上石神井の日本カトリック神学院東京キャンパスに、福岡の神学生も含め、神学生と養成者が集まり、ギャラガー大司教司式でミサが捧げられました。このミサには高見大司教、梅村司教、浜口司教、そしてわたしが参加。神学院で講師を務める方々からも、何名かが参加してくださいました。ミサ後には食堂で皆が集まり、お茶をいただきながら、神学生の自己紹介。神学生たちからは、大司教に逆に様々な質問が出され、短い時間ながら、日本で学ぶ普遍教会の神学生たちの素顔を知っていただく機会になったかと思います。

さて来週は大阪で高山右近の列福式。マニラのタグレ枢機卿と、そして教皇代理として列聖省長官のアマート枢機卿が来日されます。

すでにお知らせしたとおり、新潟でも列福感謝ミサを行います。2月10日(金)の午前11時から、新潟教会で、わたしが司式して感謝ミサを捧げます。当日は近隣で働く司祭たちも共同司式に参加します。平日ですが、多くの方の参加を期待しています。

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2017年1月28日 (土)

2月の予定など

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あっという間に数日が過ぎてしまいましたが、去る1月22日の日曜日の午後には、新潟市内におけるキリスト教一致祈祷週間の中心集会が、カトリック寺尾教会で40名近い方々の参加を得て、主任司祭である町田神父の司式で行われました。お祈りの後には場所を隣のホールに移して茶話会もあり、プロテスタントの諸教会をはじめ参加者がそれぞれ紹介されました。

以前は一致祈祷週間の間、毎晩のように集会が開催されていましたが、プロテスタント諸教会もわたしたちも信徒の方々の高齢化が進み、夜の活動が難しくなったため、現在では昼間に3回の集会が開催され、その中の一つを、中心集会としています。

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どのような形でこれからのエキュメニズムが進んでいくのか、ちょっと見当がつきませんが、現実的に考えてまったく一つの教会にまとまることは、それぞれが積み重ねてきた歴史的背景だけを考えても、難しいと思われます。そんな中で、信仰を同じくする、つまり同じ神を信じ、イエスはキリストであると宣言するわたしたちは、この国でしなければならないこと、つまり福音宣教の課題が山積している中で、違いばかりに目を向けてもいられないのではないかと思います。協力し協働できるところから、一緒に働いていくことが出来るように努力したいと思います。すべてはイエスの福音のためですから。

さて来る2月7日には、大阪城ホールを会場に、ユスト高山右近の列福式が執り行われます。キャパが大きくて天候に左右されない会場を、短い時間の中で押さえるのは至難の業で、結局平日に行わざるを得なくなりました。会場設営と撤収も含めると、前後で3日間は会場を貸し切らないといけません。列福は前触れもなく突然決まるので、会場確保は困難を極めます。1981年に聖ヨハネパウロ2世が来日されたときも、結構間近になってからの発表だったので、会場確保は困難を極めたと聞きます。ミサを行った後楽園では、サーカスの撤収が間に合わず、それが半分くらい残った中でのミサだったと聞いたことがあります。今回も、実務の手配にあたった大阪教区の方々は大変だったと想像いたします。(参考までに、大阪城ホールのスケジュールのリンクです

さて、離れた新潟からはそれほど多くの方が参加できるわけではありませんし、列福式参加巡礼も成立しませんでした。列福式はインターネットで中継されますから、是非当日はご覧ください。(こちらのリンクから、中継案内の中央協サイトへ飛びます)

また新潟教区においても列福感謝ミサを捧げます。2月10日(金)午前11時から、新潟教会において、わたしが司式して感謝ミサを行います。当日は、新潟県内近隣の司祭団も参加する予定です。どうぞおいでくださり、福者誕生をともに祝い、感謝の祈りを捧げましょう。

ところで昨年11月末に、国際カリタスの会議で教皇様に謁見する機会があったのです、そのときの写真がやっと手に入りましたので掲載しておきます。下の写真です。

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なお日本の外務省は、バチカンの国務省で対外政策を担当する国務次官を、任期中に一度、日本へ公式に招待することになっています。前任のマンベルティ大司教(現在は枢機卿)もその制度で来日されたことがありますが、今般、現在の国務次官で外務局長のギャラガー大司教が来日されます。主要紙に、来日前のインタビューが掲載され、その中でも触れられていましたが、大司教は広島を訪問する予定でもあります。

そのギャラガー大司教とカリタスジャパンを初めとする関係者とのミサが、2月1日(水)の午前10時から、東京の初台教会で捧げられます。ミサはご自由に参加いただけますので、お近くの方はどうぞおいでください。

というわけで、まもなく始まる2月の主な予定を掲載しておきます。

  • 2月1日 ギャラガー大司教とミサ (10時、初台教会)
  • 2月1日 カリタスジャパン会議 (潮見)
  • 2月2日 常任司教委員会 (潮見)
  • 2月2日 神学院ミサ (東京キャンパス)
  • 2月6日~8日 高山右近の列福式ほか (大阪)
  • 2月10日 高山右近列福感謝ミサ (11時、新潟教会)
  • 2月12日 新津教会堅信式 (新潟市)
  • 2月13日 聖母学園理事会ほか (司教館)
  • 2月14日 カリタスジャパン会議 (潮見)
  • 2月17日 仙台教区サポート会議 (仙台)
  • 2月19日 新発田教会堅信式 (新潟県新発田市)
  • 2月20日~24日 定例司教総会 (潮見)
  • 2月26日 青山教会堅信式 (新潟市)
  • 2月27日 月曜会ミサ (11時、新潟教会)
  • なお3月1日は灰の水曜日ですが、当日が秋田聖霊高校の卒業式のため、ミサは聖体奉仕会で捧げる予定です。

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2017年1月21日 (土)

カリタスアジア中期計画発表@バンコク

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この数日、大雪になって寒さの厳しい新潟から、日中は気温が30度を超えるタイのバンコクへ、カリタスアジアの会議のために四日ほど出かけてきました。この季節の日本から熱帯地域への移動は、着るものをどうするかも含めて、荷造りが結構面倒です。

私が現在二期目の責任者を務めているカリタスアジアでは、昨年6月の地域総会で決議して以来、中期計画(戦略計画=Strategic Plan)の策定に取り組んできました。

カリタスアジアではこれまでにも同様の計画を策定してきましたが、その作業は一部の人だけが参加する委員会などで行われてきたため、メンバー全員が自分自身の計画だという意識を持つことが出来ていませんでした。(いわゆる計画のOwnership=当事者意識を持つことです)

そこで今回はなるべくカリタスアジアの多くの人が参加して策定できるようにと、アジアの四つの地域別の研修会を開催するなどして、できる限り広く意見を吸い上げて策定にあたりました。私も昨年は、そのうちの二つ、中央アジア地域の研修でキルギスに、また南アジアの研修でネパールに出かけ、研修会に参加して、様々な意見に接することが出来ました。また各地域社会におけるカリタスにとっての様々な課題も目の当たりにすることが出来ました。

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2017年から2020年までのカリタスアジアの中期計画は、1月19日にバンコクで開催された地域委員会(理事会)で承認され、そのお披露目が、1月20日にバンコクのホテルで行われました。

お披露目と言うよりも、なるべく多くの関係者に集まってもらって、策定されたばかりの中期計画について意見やアイディアをいただき、それに基づいて今度は3月の地域委員会までに活動計画を策定し、この中期計画と活動計画を6月に開催される地域総会に提出するというタイムスケジュールです。

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20日の集まりには、アジアの24のカリタスメンバーのうち13のカリタスから代表が参加し、それに国際カリタスの事務局や欧米のパートナーとなるカリタスの代表など、全部で33名が参加し、小グループでの話し合いを含めて丸一日かけての意見交換を行いました。(参加したのは、バングラデシュ、シンガポール、インド、インドネシア、ネパール、マカオ、ミャンマー、パキスタン、スリランカ、キルギス、タジキスタン、台湾、ベトナム。アジア以外では、国際カリタス、ベルギー、ドイツ、スペイン、米国)

カリタスアジアという存在は、アジアの各国にあるメンバーカリタスの活動を調整したり、協力関係構築に取り組んだり、全体のために研修を行ったり、複数国で取り組むプログラムのための資金調達をしたりすることであり、カリタスアジア自体が活動団体として何かのプログラムを直接行うわけではありません。

今回の計画策定で、特にこれからの4年間、緊急災害への取り組みや備えを重点的に強化し、また、貧しい人を優先し、排除することなく包括的でありながら、文化の多様性と人間の尊厳、そして総合的人間開発の視点を尊重しながら、メンバーのネットワーク強化を率先し、また積極的に政策提言を行っていくことを中期的な目標として掲げました。

目標達成のために優先項目として次の6項目を掲げています。

  • 1:緊急災害への対応と災害リスク軽減(DRR)、
  • 2:安全な人の移動(移住移民)と反人身売買、
  • 3:環境正義と気候変動への対応、
  • 4:組織の強化と育成、
  • 5:霊的養成と宗教間対話、
  • 6:政策提言と広報。

中期計画(戦略計画)策定のために多大な時間を割いてくださった、バングラデシュのドクター・アロ・デロザリオ氏はじめ10名の方々、その中でも特に、各地での研修会を指導して下り、計画策定に深く関わったコンサルタントのフランク・デ・カイレス氏に感謝します。

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今週は18日からキリスト教一致祈祷週間中です。明日の日曜日は午後2時から、新潟市内のキリスト教諸派の一致祈祷の中心集会が行われます。会場はカトリック寺尾教会。私も参加します。多くの方の参加をお待ちいたしております。

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2017年1月15日 (日)

大雪の中、三条教会へ

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この冬一番の寒気が押しよせたこの週末、新潟市内でも大雪となりました。

新潟と言えば、即座に「雪国」とか「大雪」などと想像されることでしょうが、沿岸部にある新潟市中心部は、ほとんど雪が降らないのです。この数日の雪が、この冬初めて本格的に積もった雪となりました。

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とりわけ昨日の土曜日は大荒れ。あれよあれよという間に雪が積もり、新潟教会の敷地から車が出せなくなるのではと心配するほどでした。司教館の玄関先には大きなつららまで出現。大学入試の受験生の方々は、昨日は本当に大変なことだったでしょう。

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そして今日の日曜日。天気予報では雪でしたが、降雪はなく、無事に車で出発。朝も早かったので道路はほとんど凍結状態でした。新潟西インターチェンジから三条燕インターチェンジまで、北陸自動車道を利用。それなりに除雪がしてありますが、それでも雪が残り、すさまじい乗り心地。車は道中ずーっと、小刻みに揺れていました。普段なら30分もすれば走り抜ける30キロほどの距離を、一時間かけてゆっくりと。この短い距離の間で、凍結が原因と思われる単独事故が二カ所も。

三条市内の主な道路には融雪パイプがあるので、それなりに雪も溶けていましたので、無事教会に到着。主任司祭の石黒神父の出迎えを受けました。

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ミサは午前9時半からです。ミサ前には信徒の方が、教会玄関前を雪かきに。幸いに三条市周辺は、明るい太陽の光も差して、素晴らしい天気になりました。

今日のミサでは、おひとりの方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。

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今日の第一の朗読、イザヤ書に、「あなたによって私の輝きは現れる」という言葉がありました。神の輝き、すなわち神の存在そのものは、神がご自分の僕とされた人々を通じて表されるということでしょう。ちょうどヨハネの福音で、洗礼者ヨハネは近づいてこられたイエスをみて、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ」と宣言しますが、同じように、神がご自分の僕とされた人々は、自分の存在を通じて、いったい神はどんな存在であるのかを他の人々が見てとれるような生き方をしたいものだと思います。そして神が僕とされた人々とは、それはイエスを信じて付き従おうとしているキリスト者すべてのことではないでしょうか。

わたしたちには、その存在を通じて、神は一体どのような方であるのかを現す責務が与えられているのだと思います。そしてその責務は、わたしたちの毎日の言葉と行いを通じて果たされていくのではないでしょうか。言葉を慎み、行いを常に振り返ることで、果たしてわたしたちの存在が、言葉と行いが、神の存在を現すものとなっているのか、はたまたそれを否定するものとなっているのか、振り返ることを心がけたいと思います。

ミサ後には、残ってくださった方々と一緒にお昼をいただき、新潟へ戻りました。三条はあれほど天気が良かったのですが、新潟市内はまだ雪模様でした。

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2017年1月11日 (水)

司牧訪問の予定(Update)@お知らせ

新潟教区内へのお知らせです。

先日お知らせした2017年の司牧訪問の予定ですが、それ以降いくつかの追加がありました。以下に一覧を掲載します。写真をクリックすると拡大します。

徐々にあいている日曜日が少なくなりつつあります。

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2017年1月 9日 (月)

降誕節が終わります@主の洗礼

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日本をはじめ多くの国では、1月6日の「主の公現」はその直後に日曜に祝われています。「主の公現」が固定されている場合、昨日の日曜日が「主の洗礼」でしたが、日本をはじめ多くの国ではその翌日となる今日の月曜日が「主の洗礼」の祝日となり、同時に降誕節の終わりでもあります。明日の火曜日は、「年間第一火曜日」で、典礼の「年間」は灰の水曜日まで続きます。

日本では今日が成人の日でもありました。20歳を迎えられた多くの皆さん、おめでとうございます。大人としてのこれからの人生に、神の豊かな祝福があるようにお祈り申し上げます。

さて主の洗礼の祝日の今年の朗読は、マタイ福音書でした。ヨルダン川で洗礼を授けていたヨハネのもとへイエスが、同じように洗礼を受けようとして訪ねてくる話です。(写真上は、昨年末のヨルダン川の洗礼所。中心が国境で、川の向こうはヨルダン)

もちろん洗礼者ヨハネにとっては、深く自覚する自らの存在意義は、そのイエスの到来を告げ道を整えることであったのです。ですから、自分がイエスに対して何かをするようなものではないという深い自覚があったことでしょう。当然のように、イエスのそのリクエストを断ろうとします。「先生、どう考えても常識的に、それは逆でしょう」という当然の反応です。

それに対してイエスの答えは「いまは止めないでほしい」と告げた後に、こう加えるのです。「正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」

「正しいこと」って、いったいどういうことでしょうか。それは、神の目において義とされることです。イエスの公生活の始まりに告げられたこの言葉に、イエスの存在のすべてが、イエスが何者であるのかが明確に示されています。

すなわち、イエスの存在は、人間がこの世界で当たり前だと思うこと、常識だと思うことに、真正面から挑戦するのです。それは本当に「正しいこと」なのか、と。本当に「正しいこと」は、すなわち神の目において義であることであって、それは人間の常識に基づいて定められるのではなく、時に人間の常識とは正反対のこともあり得ると言うことを明確に示しています。神の目において義とされることが何であるのか、わたしたちには常に霊的な識別を続けることが求められていると感じます。当たり前のように人間的常識に従って物事を判断する前に、じっくりと祈りのうちに霊的な識別をすることは、わたしたちキリスト者にとって不可欠なことであると思います。そして時に霊的識別は、常識とは異なる結論を導き出すこともあるのです。(下の写真はエインカレムの洗礼者ヨハネ誕生の教会)

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さて昨年末12月に開催された司教総会のにおいて、日本の司教団は、いくつかのことを決議しました。2001年に当時の司教団が発表した「いのちへのまなざし」について、すでに15年以上も経過したことから、新しい状況に合わせて改定することが決まっていましたが、今回の総会で、増補新版の内容が承認され、近く出版されることになりました。

人間のいのちの問題は、現代社会にあってその始まりから終わりまで、様々な課題に直面しており、わたしたち神からいのちを賜物として与えられた人間にとって、最重要な課題です。その意味で、この出版には大きな意味があるものです。

これに加えて司教団は、2011年3月以降いまに至るまで継続している東日本大震災の復興支援活動を、震災発生10年にあたる2021年の3月末まで、全国の教会をあげて継続することも決議しました。すでに以前の司教総会で、2017年3月までの継続は決まっていましたが、今回はそれを、さらに2021年まで延長したものです。もちろんカリタスジャパンが、国内外の募金に基づき、世界のカリタスと協力しながら、活動の支援を行います。

教会による復興支援活動は岩手県と宮城県でも継続されていますが、特に福島県での支援活動にさらに取り組む必要性を皆が感じています。その一つのあかしとして、昨年末には南相馬市の原町地区で、これまで原町ベースとして活動を続けていたものを、カリタス南相馬として新たに出発させることになりました。主に東京教区が中心になるこの活動は、原町教会の敷地内に新しい拠点を建設したことで、さらに充実するでしょうし、目に見える形で、教会が復興支援に長期的に取り組む姿勢をあかししています。カリタス南相馬のFacebookページがありますので、検索してご覧ください。

東北の被災地はゆっくりではありますが、少しずつ復興に向けて歩んでいます。私も昨年末、宮古教会に待降節黙想会で出かけ、その後海岸沿いに山田や大槌を通りながら釜石に向かって、そこでもミサを捧げる機会に恵まれました。少なくとも、少しずつですが、前進していることを感じました。でも教会は、福島県内で復興支援や様々な形で避難されている方々の支援に取り組む中で、なかなか先が見通せない歩みの遅さを実感させられてきました。

そこには様々な要因が複雑に関わっているのは間違いがありませんから、何か一つが解決すれば、さっさとすべてがうまくいく、などというものではないことも十分理解しています。それでも、目に見える影響と目に見えない影響が複雑に交わる原発事故の被害には、すさまじいものを感じてきました。それは科学者や専門家が、数字を持って証明したからといって、即座に解決することの出来ない、心の問題です。目に見えにくい災害である原発事故は、それが目に見えないがために、すさまじいまでの「目に見えない」被害を巻き起こしていることを感じてきました。原子力発電所の事故というものは、単に数字だけで量ることの出来ない大きな被害を、多くの人に深く刻みつけるものだということを、実感させられてきました。それが、原発事故なのだと思います。

そのような福島の地で復興支援に携わってきた教会として、やはり昨年11月11日に発表した「原子力発電の撤廃を -福島原子力発電所事故から5年半後の日本カトリック教会からの提言-」というメッセージは、やはり事故から5年以上が経過したからこそ、あらためて発表せざるを得ないものであったと思います。(メッセージのリンク)

原子力発電に頼ることはすでに規定の路線として、当たり前であることが常識になりつつあるいま、それに抗うようなメッセージは常識外れと思われることでしょう。メッセージの中に次の一文があります。

「こうした状況を克服するため、人間は神の似姿として、共通善にかなった自然との正しいかかわりへと立ち戻らなければならないと、わたしたちは考えます。人間は本来、自分自身との関係、他者との関係、大地(自然環境)との関係、そして神との関係において調和があってこそ、平和で幸福に生きることができるのです」

これは教皇フランシスコの回勅「ラウダート・シ」の考えにしたがったものです。将来の世代への責任だけでなく、神から創造されたものとしての限界をわきまえる存在として、神の目において何が正しいのか、霊的な識別を行ったと考えています。

このメッセージは、その前に出版された、専門家数名によって執筆された、「いまこそ原発の廃止を」という書籍を前提にして作成されていますので、できる限り、科学的知見に正しく準拠することを念頭に書かれました。(本の紹介リンク)。しかしメッセージの核心は、科学的にみてどうだからと言うことではなく、神の前でわたしたちはどうあるべきかという点に集約されています。信仰を前提としたメッセージでもあります。

また、復興支援の現場の体験に基づいた思いを、世界の他の国々の教会とも分かち合いたいという願いも、今回のメッセージに込められた思いでもあります。地震の被害に遭遇することの少ない欧米の国々では、温暖化対策の切り札として原子力発電を肯定的に考える方々が多くおられます。当然のことなのだと思います。教会指導者の多くも同じように考えておられます。そういった方々に、今後、日本の教会としての体験に基づいた考えを、積極的に伝えていく術を、現在模索中です。

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