2018年12月16日 (日)

前田枢機卿、名義教会の着座式

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枢機卿に任命されると、必ずローマの名義教会を指定されます。これは枢機卿が教皇の顧問であることから、本来はローマに居住する者と考えられているからのようです。

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実際には、多くの枢機卿がローマに住まず、世界各地の教区司教をしているので、ローマの名義教会とは関係が無いようにも思われますが、それでも必ずその名義教会で着座にミサをし、折に触れて訪れるなど、関係を保つことになります。そしてその名義教会の入り口には、当該枢機卿の紋章も掲げられることになります。

というわけで、大阪の前田万葉枢機卿も、枢機卿親任に当たってローマの教会を名義教会として指定され、本日、待降節第三主日に、着座式が行われました。

名義教会は、ローマ市内のテルミニ駅に近く、サンタマリアマジョーレ大聖堂にも近い、聖プデンツィアナ(Basilica Santa Pudenziana)教会です。ローマ市内でのフィリピン人共同体司牧の中心にもなっており、ミサには多くのフィリピン出身の信徒が参加されました。

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今日のミサには、日本から高見大司教と私が参加したので、日本の三大司教がそろい、さらに大阪からアベイヤ補佐司教が参加。さらにはローマ在住の日本人や関係の司祭団も加わり、フィリピン人信徒に加え、日本の修道者や信徒、さらに25名の日本からの巡礼者も加わり、聖堂は一杯でした。駐バチカンの中村大使ご夫妻も参加されました。

また、こういった枢機卿のローマでの公式の行事には、教皇庁の儀典室から担当のモンセニョールが派遣されてきて、典礼をしっかりとコントロールし、ミサ後には、この日の行事についての記録を読み上げて、参加した司教や司祭の署名が求められました。

ミサは英語で行われ、説教では、もちろんのことですが、前田枢機卿が日本語で話されて、事前に色紙に記した三つの俳句を披露されました。通訳はアベイヤ司教。俳句の翻訳に、苦しんでおられました。

この教会では、現在聖堂地下の発掘が進んでおり、使徒の時代の遺跡なども発見されているとのことで、ミサ後の祝賀会が終わってから、責任者のモンセニョールが、日本からの巡礼者などを案内してくださいました。

前田枢機卿の前任は、ケルンのマイスナー枢機卿の名義教会であったと伺いました。なにかご縁のようなものを感じました。とてつもなく寒いローマでした。

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2018年12月 8日 (土)

澤田和夫神父様、白寿の感謝ミサ

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東京教区の名物司祭のひとりであるヨハネ澤田和夫神父様は、1919年12月9日の生まれです。すなわち、明日で99歳。白寿であります。

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本日午後2時半から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、澤田和夫神父様の白寿を祝い、感謝のミサが捧げられ、神父様とこれまで様々な出会いのあった多くの方々が参加してくださいました。その中には、岡田名誉大司教をはじめ司祭や修道者も多く、また信徒ではない方、様々な身体的であったり精神的困難を抱えて生きておられる方などなど、これまでの澤田神父様の人生を象徴するようなバラエティーに富んだ方々が集まりました。

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澤田神父様は、このところ車椅子での生活をされており、日曜日にはそのまま関口教会の主日ミサに会衆席から参加されておられます。今日は、屈強な侍者の青年たちが多数集まり、澤田神父様を、車椅子ごと内陣へ持ち上げ、久しぶりの共同司式となりました。

ミサ後には、ケルンホールで茶話会が行われ、神父様のお元気に、ケーキのロウソクの炎を吹き消されておりました。

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神父様、お誕生日おめでとうございます。次は来年の100歳の誕生日を目指して、これからもお元気でお過ごしくださいますように。

以下本日の説教の原稿です。

司祭が長年忠実にその務めを果たしてきたことを祝うとき、わたしたちは、神からの呼びかけ、すなわち召命に前向きに応えている人生そのものをお祝いいたします。ですから、澤田神父様の99歳の誕生日を祝うこのミサで、まずは召命について少し考えてみましょう。

召命は、わたしたちが神の望まれる生き方を選択することにあり、そのなかには司祭や修道者となる生き方もありますが、わたしたちキリストに従う者にはすべからく、何らかの神からの呼びかけがあり、すなわち召命があります。わたしたちひとりひとりは、その召命に忠実に生きるようにと招かれています。

わたしたちは、人生の中にあって幾度となく、どのように生きていくのか選択を迫られ、決断を重ねていきます。司祭や修道者になることだけではなく、わたしたちが神に従う者としてどのような生き方を選ぶべきなのか、どのような生き方へと招かれているのか、その神の呼びかけに耳を傾ける努力を続けることは、すべてのキリスト者に共通している大事な務めです。

召命のために祈るのは、単に、司祭が増えるようにとか、修道者が増えるようにと祈ることだけなのではありません。そうではなくて、キリストに従う者すべてが、神からの呼びかけを識別しながら、最善の道を見いだすことができるようにと、兄弟姉妹皆のために祈ることでもあります。

澤田神父様は1951年の12月に叙階されていますので、99年の人生のうちほぼすべてとも言うべき70年近くを司祭として奉仕されてきました。司祭が長年にわたり教会へ、社会へ、そして多くの人々へ奉仕されたことに感謝をささげるとき、わたしたちは、召命に生きる姿の模範をそこに見いだします。召命は、司祭であれ信徒であれ、キリストに従うすべての者に与えられているのですから、澤田神父様のように、長年にわたって司祭が忠実にその使命に生きる姿は、勇気を持って神からの呼びかけに応え生きる姿として、すべてのキリスト者の模範であります。

司祭は叙階の秘跡によって、「最高永遠の祭司であるキリストにかたどられて、新約の真の祭司として、福音を宣教し信者を司牧し神の祭礼を執行するために聖別される」とカテキズムには記されています。すなわち司祭には、三つの重要な役割があるということです。

一つ目は「福音を宣教すること」。二つ目が「信者を司牧すること」。そして三つ目が、「神の祭礼を執行する」ことです。この三つの務めすべてに忠実に生きる司祭の姿は、すべてのキリスト者にとって生きる姿勢への模範を示すものでもあります。

わたしたちは、司祭の示す模範に倣って福音を宣教したい。わたしたちは司祭の示す模範に倣って教会共同体を育て上げたい。そしてわたしたちは司祭の示す模範に従って聖なる者でありたい。

多くの方々が、澤田神父様の70年に及ぶ司祭生活の中で、様々な出会いの体験から、この三つの司祭の務めにおいて、大きな影響を受けられてきたことと思います。勇気を持って、司祭としての召命に応え、忠実に生きてきた人生の模範であります。

神からの呼びかけに、謙遜のうちにも勇気を持って応えられた最高の模範は、聖母マリアの生き方であります。

教皇フランシスコは、聖母マリアは祈りと観想のうちに、密やかに生きる信仰生活の姿を示しているだけではなく、その霊的な土台の上に、助けを必要とする他者のために積極的に行動する力強い信仰者の姿の模範でもあると指摘されます。

使徒的勧告「福音の喜び」の終わりに、次のように記しています。
「聖霊とともにマリアは民の中につねにおられます。マリアは、福音を宣べ伝える教会の母です。・・・教会の福音宣教の活動には、マリアという生き方があります。というのは、マリアへと目を向けるたびに、優しさと愛情の革命的な力をあらためて信じるようになるからです」(288)。

聖母マリアの人生を見れば、それは決して弱さのうちに恐れているような生き方ではありません。それどころか、神から選ばれ救い主の母となるというすさまじいまでの人生の転換点にあって、「私は主のはしためです。お言葉通りに、この身になりますように」と、恐れることなくその運命を受け入れ、主イエスとともに歩み、その受難の苦しみをともにしながら死と復活に立ち会い、そして聖霊降臨の時に弟子たちとともに祈ることで、教会の歴史の始まりにも重要な位置を占めるのです。教会にとって、これほどに強い存在はありません。まさしく、信仰における「革命的な力」を身をもって表された方です。

しかし聖母マリアは、あくまでもその強さを誇ることなく、謙虚さと優しさのうちに生きて行かれます。ですから謙虚さと優しさは、弱い者の特徴なのではなくて、本当に強い者が持つ特徴であると言うべきでしょう。

教皇フランシスコの言葉は、現代社会が優先するさまざまな価値観への警鐘となっています。聖母マリアの生き方を語るとき、ここでも、いったい本当に力のあるものはだれなのかという問いかけを通じて、この世の価値基準への警告を発していると感じます。今の世界では、いったいどういう人が強い者だと考えられているのか。その判断基準は、真の強さに基づいているのか。

聖母マリアの生き方を見るときに、本当の強さとは、謙虚さと優しさという徳のうちにあるのだとわかります。それならば、私たちの世界は「謙虚さと優しさ」に満ちているでしょうか。残念ながらそうとはいえません。それよりも、自分たちが一番、自分たちこそが強いと虚勢を張って他者を排除し、困難に直面する人や助けを必要とする存在に手を差し伸べるどころか、不必要なものとして彼らに関心を寄せることもなく、排除すらしてしまう。そんな虚勢を張った強者の価値観が力を持ち始めてはいないでしょうか。虚勢を張った強者の価値観は、どこまでも自分本位で身勝手です。

聖母マリアの生きる姿勢に倣いながら、私たちも謙虚さと優しさのうちに、神から与えられた召命に一生涯忠実に生きていきたいと思います。

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2018年12月 5日 (水)

ケルン教区表敬訪問

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11月28日から本日12月5日まで、東京教区と姉妹関係にあるドイツのケルン教区を、わたしと高木事務局長の二人で、表敬訪問してまいりました。今回は特に、1988年にケルン教区長に就任し2014年に引退され、昨年2017年7月に83歳で亡くなられた前ケルン教区大司教であるヨアキム・マイスナー枢機卿の墓参も重要な目的の一つでした。

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2014年7月からケルン教区大司教を務めておられるライナー・マリア・ヴェルキ枢機卿ともお会いし、ケルン大聖堂のミサをご一緒させていただき、またこれからの姉妹教区関係についてもゆっくりと意見を交わす機会がありました。時間を割いていただいた枢機卿に感謝です。(上の写真は、ヴェルキ枢機卿と。下の写真はマイスナー枢機卿の大聖堂地下の墓所)

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ケルン教区からの援助については、東京教区ホームページに次のような記載があります。

『まだ第2次世界大戦の傷あとの癒えない1954年、当時ドイツのケルン大司教区の大司教であったヨゼフ・フリングス枢機卿(すうききょう)は、ケルン大司教区の精神的な復興と立ち直りを願い、教区内の信徒に大きな犠牲をささげることを求めました。そして その犠牲は、東京教区と友好関係を結び、その宣教活動と復興のための援助をするという形で実現されていきました。』(詳しくは、こちらのリンク: 東京教区ホームページ

この支援活動が、後にドイツの教会の海外支援組織であるミゼリオールの設立につながったというお話も伺いました。

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今回は一週間という時間がとれたため、ケルン教区が取り組んでいる様々な司牧のプログラムを見学させていただきました。主に訪れたのは;青年たちのための拠点教会での活動、教区神学生との対話、デュッセルドルフでの日本人会の方々やイエスのカリタス会のシスター方との交流とミサ、そして日本人家族5名の洗礼式。ボン市内の小教区での、いくつかの小教区の連合体の月に一回の特別なミサ(下の写真。聖パウロ教会で、ミサ後の対話集会。真ん中で立っているのが主任司祭)ケルン教区カトリック社会学研究所の活動。教区のメディア関係の活動。

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なかでも、ちょうど11月30日にケルン大聖堂で、教区女性連盟の100周年感謝ミサがあり、ヴェルキ枢機卿が司式されるとのことで、一緒に司式させていただくことができました。いやはや、ケルン大聖堂の巨大なこと。

そして信徒の数も司祭の数も、東京教区とは比べものにならないくらい巨大なケルン教区ですが、やはり召命の減少には悩まされているようで、いくつかの教会をひとりの司祭が担当する制度が取り入れられ、信徒のリーダー養成などに、様々な取り組みがなされているように伺いました。

またデュッセルドルフでイエスのカリタス会のシスター方が幼稚園の活動をしている小教区は、聖フランシスコ・ザビエルを保護の聖人としており、12月1日の夕方のミサで、ザビエルと日本の教会について、説教もさせていただきました。シスター方はケルン市内とデュッセルドルフの二カ所で活動されていましたが、このたびケルン市内は引き上げ、デュッセルドルフに集中されるそうで、教区の方々から、一部撤退を残念がる声が聞こえておりました。それほどに。イエスのカリタス会のシスター方の活動と存在が、評価されている証拠であると思います。

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このミサの説教は、日本語でしたが、ドイツ語に通訳してくださったのは、なんとフランシスコ会のフーベルト神父様。数年前まで新潟教区の直江津や高田で働いておられた神父様は、ドイツに帰られ80になられましたがお元気で、日本語ミサの手伝いをしてくださっているとのこと。思いもかけない再会でした。

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ケルン大聖堂の内陣一番奥には、東方の三賢者の聖遺物がおさめられた金の櫃が安置されています。この三賢者の聖遺物があることで、ケルンは一大巡礼地となったのだとか。今でも巡礼で訪れる人が後を絶たず、巡礼団には、内陣の中に入り、聖遺物をおさめた櫃の下を祈りのうちに歩いて通ることが許されます。

この聖遺物を東京教区はケルン教区から一部分けていただき、その三賢者の聖遺物は、東京カテドラル聖マリア大聖堂に安置されています。

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ケルンからの東京への支援は、今ではミャンマーへの支援へとつながりました。次にミャンマーからさらに必要のある教会へとつながっていくことでしょう。信仰における兄弟姉妹の輪が広がり強まっていくことを願っています。

ケルン教区の皆様に、感謝。

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2018年11月27日 (火)

海外からの働き手と人間の尊厳

いわゆる入管法の改正が国会で論議され、その審議のプロセスがあまりに拙速だと、この数日間ニュースでも取り上げられています。

常日頃から、キリスト教の信仰の立場に立って、人間の尊厳を語る者として、海外からの働き手をより多く導入しようとする政策に、無関心でいることはできません。

毎日曜日の教会の現実を見れば、そこには日本人の信徒とともに、海外から来られた信徒の方が多くおられ、近年は特にアジア諸国からの若い信徒の方々が急増していることを実感いたします。キリスト者の立場からは、同じ神を信じ、同じイエスをキリストと信じる兄弟姉妹は、国境を越えて一つの共同体を形作る大切な仲間です。その仲間たちには、様々な歴史的背景があり、来日の事情もそれぞれ異なっています。留学生やビジネス、または結婚などで来日された方も多いとはいえ、今特に増加しているのは、いわゆる技能実習生として来日された若者たちです。

確かに、『人口の大きな塊である「団塊の世代」は2022年に後期高齢者(75歳)に達し、嘱託などとして働いていた職場からの「引退」が本格化し始めるとみられる。そうなると65歳以上の就業者数の増加はそろそろ見込めなくなってくる。つまり、人手不足はこれから「本番」を迎える』ことは間違いがなく、日本の社会は極端な人手不足に直面することは間違いがありません(日経ビジネス10月26日)

それを見越して、必要な労働力を確保しなければならないと考えることは、政府にとっては当然の責務であると思います。しかし、「いわゆる移民政策は採らない」という方針を明示するがあまり、ともすれば海外からやってこられる働き手を、一人ひとりの人間としてではなく、抽象的な「労働力」として見てしまう傾向も感じられます。

人間の生命は、神がご自分の似姿として創造されたが故に、一人ひとりに人間の尊厳があると信じている私たちキリスト者は、神がそのいつくしみをもってひとりたりとも忘れることなく、一人ひとりの名前を手のひらに刻みこむほどに(イザヤ書49章)すべてのいのちをいつくしまれているとも信じています。

そう信じるとき、ニュースなどから報道されてくる、いわゆる技能実習生の方々の置かれた過酷な労働現場の現実や、ともすれば奴隷労働のような取り扱い、そして実際に教会で出会う海外から来られた方々の実情を目の当たりにして、心の底から悲しみを感じざるを得ません。

教皇フランシスコは、排除されても良い人は誰ひとりいない、忘れ去られて良い人は誰ひとりいない、と説かれ、無関心のグローバル化に警鐘を鳴らされています。それは、キリストを信じる仲間だけに向けられているのではなく、思想や信条にかかわらず、神が創造されたすべての生命に対して向けられた言葉です。ですから教会は、キリスト者だけにではなく、すべての人の悲しみと苦しみに対して関心を持っています。

将来に向けて日本における労働力の確保を考えるとき、どうか、どうか、海外から来られる働き手は、ひとりの大切な人間であることを、尊厳を持った存在であることを、神が愛されいつくしまれて大切にされている生命であることを、忘れないでいただきたい。人間の尊厳を、守り抜く道を整えていただきたい。私たちは、それを常に心にとめておきたいと思います。

残念ながら、すべての人が満足する方法は、どの分野でも実際には存在しないのかも知れません。しかし、この大切な兄弟姉妹を、十把一絡げに抽象的な『労働力』と見なしてしまうことのないように、心から願います。

そして教会は、教会として、人間の尊厳を奪い取られるような状況に追い込まれた兄弟姉妹に、常に寄り添い助け合う存在でありたいと思います。

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藤岡師の葬儀@東京カテドラル聖マリア大聖堂

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パドアのアントニオ藤岡和滋神父の葬儀が、11月26日(月)12時半から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われました。

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亡くなる直前まで、病と闘いながらも、関口教会の土曜日や日曜日のミサを担当し、また近隣教会のお手伝いに出かけていたこともあり、また今年の待降節も、すでにお手伝いの予約も入っていたこともあり、最後まで現役司祭を貫き通した神父様の通夜と葬儀には、300名を超える方々が、両日とも参列し、祈りをともにしてくださいました。

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また葬儀のあった月曜日は、もともとの教区司祭団の予定では、11月の死者の月に当たり、この一年になくなった司祭を追悼するミサを捧げる予定でした。その意向も込めて、多くの司祭が葬儀に参列してくださいました。

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告別式の終わりには、司祭団が棺を囲み、いつものように「サルヴェ・レジナ」を歌いました。献花の後、藤岡神父様の棺は、後輩の司祭たちによって運ばれ、出棺となりました。

なお納骨式は、年明けに府中墓地で行われる予定ですが、日程が決まり次第、お知らせいたします。

以下、通夜の説教の原稿です。

パドアのアントニオ藤岡和滋神父様は、11月21日の早朝、桜町病院で87年の人生に幕を下ろされました。その87年の人生のうち、60年以上を司祭として、教会のために、すべての人のために、そして神のためにささげられました。

私は引退してからの神父様のことしか存じ上げません。ペトロの家で隠退生活を送られていた神父様とは、私が東京へまいりましてからこの一年間、朝のミサや、食事の時に、多少の時間をご一緒させていただきました。その中で感じたのは、神父様はなんとも頑固な方であったということであります。

よく、ご自分は軍人の家庭に生まれた軍人のこどもであり、幼い頃は自分も軍人になるのだと思っていたとお話になっておられましたが、そのような自覚からも、その頑固さが生まれてきたのかも知れません。

しかしその頑固さは、単に独りよがりの頑迷さではありませんでした。その頑固さは、自分に厳しく、他人には必死になって使えようとする生き方への頑固さであり、信仰に生きることへの頑固さでありました。

神父様は、前立腺癌と戦っておられましたし、そのほかにもいくつもの病気を抱えておいででした。しかし、身体的な困難を抱えながらも、例えば関口教会の土曜夕方のミサや日曜昼のミサの司式を最後まで引き受け、近隣の教会からも、頼まれれば必死になってミサの手伝いに出かけておられました。この数ヶ月は、肉体的にも非常に厳しくなっていたと思います。時に、主任の西川神父様あたりが、休んだらどうだと勧めても、それはそれは頑固に、自らの務めを果たそうとされました。ペトロの家の毎朝のミサでは、本当に最後まで、聖歌を大きな声で歌われておりました。どんなに肉体的な困難を抱えても、司祭としての奉仕の務めを果たすことを最優先にし、必死にその頑固さを貫き通されました。

何年か前の教区ニュースの司祭紹介で、ご自分でこう語られています。

「若い時に入院をすることになり、最初は置いていかれるような気持ちになり焦りました。でも大きな手術をしたら、くよくよしなくなりました。何回か入院していますが、退院したら病人だということは表に出さないと決めています。退院した瞬間、自分は健康人だと言い聞かせ、そうなるのです。それ以来「『病』はすれど『病気』はせず」です。何事も自分で決めて、切り替えられる「チャンネル男」にもなったのもこの時からです。神父が教会で暗い顔をしていたら嫌でしょう?神父が教会で明るくニコニコしていれば、信徒も明るくなれると思うのです。

全く最後まで、頑固にその生き方を貫かれたと思います。

癌が進行し、肉体的にも精神的にも苦しみが増し、しかしそれでも入院を断りながら、在宅のケアでドクターから痛み止めをいただきながら、必死に司祭を生きておられました。わたし自身は11月17日土曜日の昼食の時に、最後にお話をしたと思います。入院を勧める周囲に耳を貸さず、それでも時間になると食堂には出てきて、しかし痛みと食欲のなさに苦しんでおられる様子でした。

近寄って「大丈夫ですか」と声をかけましたら、「どうしちゃったんだろうねえ。食欲がなくて」と一言。「無理せず、お大事になさってくださいね」

それが、私にとっての最後の神父様との会話でした。私は翌日、18日日曜の夕方には所用のため新潟へ出かけましたが、そのとき、神父様がやっと桜町病院への入院に同意されたと伺いました。

そして病院の受け入れが整い、入院されたのが20日火曜日。翌21日朝には、御父のもとへ帰られました。あっぱれな司祭人生であったと思います。最後の最後まで、頑固に司祭として生きた、藤岡神父様らしい人生であったと思います。

ヨハネの福音に、「私が天から降ってきたのは、自分の意思を行うためではなく、私をお遣わしになった方の御心を行うためである」という、イエスの言葉が記されておりました。

司祭の人生は、まさしく自分のための人生ではなく、神の御心の実現のために奉仕する人生であります。

イエスご自身が、神の意思の実現においては、妥協を許さない頑固な人であったと思います。司祭もまた、信仰の実践と神の使命の遂行にあっては、やはりおなじように頑固であらねばならないと思います。藤岡神父様の司祭としての人生は、まさしく主であるイエスに倣う、信仰における頑固さに満ちあふれた人生であったと思います。

師である主イエスに忠実に生きた僕に、父である神が豊かに報いを与え、その懐にあって、永遠の安息を与えてくださいますように。

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訃報:國枝夏夫神父様

東京教区司祭のペトロ國枝夏夫神父様は、11月26日(月)に、入院中の聖パウロ病院(八王子)で、老衰のため帰天されました。86歳でした。

通夜は、11月29日(木)午後6時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で。

葬儀ミサは、11月30日(金)午後1時半から、同じく東京カテドラル聖マリア大聖堂で。

私がケルン大司教区へ出張中のため、通夜と葬儀は岡田大司教様が司式されます。

國枝神父様は、1932年8月5日の生まれで、1947年に受洗。1964年3月18日に司祭叙階を受けられました。その後、世田谷、築地、福生などの教会で司牧に当たり、特に60年代は学生指導司祭に専念されたそうです。その後、長期にわたり汚れなきマリア会東村山修道院でミサを担当され、2015年からは、入院生活を送られていました。

國枝神父様の、永遠の安息をお祈りください。

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2018年11月25日 (日)

王であるキリスト@小金井教会

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典礼暦の上で年間最後の主日となる「王であるキリストの主日」の本日、小金井教会でミサを捧げ、その中で9名の方が堅信の秘跡を受けられました。

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堅信を受けられた皆さん、おめでとうございます。これからも、福音を告げしらせるという使命に生きるキリスト者としての自覚を心に刻み、人生の歩みを進めてください。

小金井教会の聖堂でミサを捧げることは、実は初めてではありませんでした。先日、聖ヨハネ修道会の総会があり、その開会のミサをこの聖堂でシスター方と捧げておりました。しかし小教区の皆さんとは今回が初めてです。

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小金井教会は、聖ヨハネ修道会が経営母体となる桜町病院の敷地の中にある教会です。設立の歴史的経緯から、一見すると病院の付属教会のように見えないこともありません。

東京教区のホームページには、次のような歴史が掲載されています。

「小教区として設立される前に、長い前史がある。1939年に桜町病院が教区司祭戸塚文卿博士によって設立され、博士の帰天後、福音史家聖ヨハネ布教修道会に引き継がれた。この敷地内にあった聖堂に集う信者が増えたので、1975年に正式に吉祥寺小教区から分かれ、小金井小教区が誕生した。当初は府中墓地聖堂でもミサを毎週行っていたが、1990年、府中教会が小教区として独立、それ以降は小金井市を主な受持ち地域としている。」

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また表の道路を挟んで向かい側には、聖霊会のシスターたちの家もあります。

ちなみに今夕、カテドラルで通夜が行われた東京教区司祭藤岡神父様の最期も、この桜町病院のホスピス病棟でした。

今日の堅信式のミサには、小教区管理者の加藤豊神父様をはじめ、小金井教会出身で今年叙階されたカルメル会員の志村神父様も参加してくださり、侍者デビューのかわいい二人もいて、盛大で荘厳なミサができたと思います。ミサ後には、地下のホールで祝賀の茶話会。

堅信を受けられた皆様に、聖霊の護りと導きを祈ります。

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2018年11月22日 (木)

訃報: 藤岡神父様

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東京教区司祭、パドアのアントニオ藤岡和滋神父様が、11月21日(水)の早朝に、桜町病院にて帰天されました。87歳でした。神父様は以前から患っていた癌のため、ペトロの家で在宅治療を続けておられましたが、この数週間に体調を崩され、11月20日(火)に桜町病院に入院したばかりでした。

藤岡神父様は1931年8月8日に滋賀県八日市町(現在の東近江市)で生まれ、1940年に受洗。1956年の12月21日に神田教会で司祭叙階を受けられました。

その後大森教会、本郷教会、小平教会、立川教会、松戸教会、関町教会などで働かれ、2003年より教区本部の協力司祭として過ごされていました。つい数日前まで、関口教会の主日前晩(土曜日)の夜6時のミサや、主日のお昼のミサの司式を担当し、近隣の教会にもお手伝いに出かけておられました。

通夜は11月25日(日)18時より、葬儀ミサは11月26日(月)12時半より、どちらも東京カテドラル聖マリア大聖堂でささげられます。

どうぞ藤岡神父様の永遠の安息のために、お祈りください。

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(写真は今年8月の87歳の誕生日に、ペトロの家で)

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2018年11月20日 (火)

2019年の主日の予定

来年2019年の復活祭以降、日曜日の教会訪問などの予定についてお問い合わせを頂いております。今の段階ですでに予定されている2019年1月から12月の日曜の小教区などの訪問予定を、ご参考までに記載いたします。

  • 1月20日 一致祈祷集会小金井教会
  • 1月27日 碑文谷教会

  • 2月3日 本所教会 ベトナム共同体
  • 2月10日 新庄教会
  • 2月24日 八王子教会

  • 3月10日 一粒会総会
  • 3月17日 新潟教会
  • 3月24日 北町教会
  • 3月31日 茂原教会

  • 4月28日 千葉中央宣教協力体

  • 5月5日 フランシスカン・チャペルセンター
  • 5月12日 世界召命祈願日
  • 5月19日 フランス語共同体
  • 5月26日 国際カリタス総会

  • 6月2日 成城教会
  • 6月9日 聖霊降臨・合同堅信式
  • 6月16日 吉祥寺教会
  • 6月23日 築地教会、イグナチオ教会
  • 6月30日 豊四季教会

  • 7月7日 赤羽教会
  • 7月21日 高円寺教会

  • 8月18日 新潟教区
  • 8月25日 宮古教会

  • 9月1日 日本カトリック教育学会講演
  • 9月8日 徳田教会
  • 9月15日 聖体奉仕会
  • 9月22日 葛西教会
  • 9月29日 青梅教会

  • 10月6日 あきるの教会
  • 10月13日 巡礼
  • 10月20日 新潟教会
  • 10月27日 大森教会

  • 11月3日 合同追悼ミサ
  • 11月17日 豊島教会

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2018年11月19日 (月)

東京国際カトリック青年の集い@関口教会

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東京教区の国際センター(CTIC)と主に海外出身の青年心とのグループが一緒に、東京国際青年の集い(TICYG: Tokyo International Catholic Youth Gathering)を東京カテドラルのケルンホールで11月18日の日曜日に開催し、15カ国出身の青年信徒が160名以上参加してくれました。

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午前中から集まった青年たちは、自分たちのコアグループの作成したプログラムに従い、7つのステージをクリアするグループゲームや、互いの分かち合い、それぞれの文化からの歌やダンスの披露などの交わりの時間を過ごし、最後に午後5時から、ケルンホールでミサを捧げ、一日の活動を締めくくりました。ミサは私が司式し、国際センター所長の高木神父、関口教会の西川神父、真境名神父が共同司式。

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今の日本には様々な国からやってきた人たちや、様々な国を背景に日本で生まれ育った方々が多くおられ、その中には信徒の青年たちも少なくありません。文化の違いや言葉の違いもあり、なかなか一緒になって一つのキリストの体を作っているのだという意識を持ちきれていないと感じます。お客さん的な扱いも、時に見受けられます。

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そんな中で、同じキリストにおける兄弟姉妹としてともに歩んでいくためには、互いを知り合うことが重要です。それぞれが抱えているそれぞれの人生の物語を、互いに分かち合うところから、互いの理解が始まり、支え合うことにつながることでしょう。

その意味で、今回の集まりは、海外をベースに持つ青年たちだけではなく、日本人の青年も多く参加したことには、大きな意味があると思います。プログラムの企画も、日本人を含むさまざまな文化的背景を持った人が集まって行いました。

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そして、私にとって一番重要だと感じたのは、その地の言葉で、つまり日本語でのミサが締めくくりのミサで会ったことです。プログラム中のアナウンスや語りは、すべて英語と日本語で行われました。ミサの私の説教も、日本語と英語でしたが、ミサ自体は日本語。生活の基盤のある国の言葉でのミサで一致することには、一緒になって一つの体を作り上げる道にとって大切なことです。

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もちろん司牧的な配慮として、それぞれの言葉でのミサや霊的生活は否定しませんし、必要であると思います。しかしそこだけに留まっていては、一つの体はできません。やはりそこを前提にした上で、基盤のあるその地の言葉での交わりと祈りは、重要です。

これからも、さらにこの輪を広げて、大きなキリストの体を育て上げていってください。

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