2017年7月16日 (日)

外国人技能実習生について学ぶ@新潟教会

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先週は木曜日と金曜日、栃木県の那須にあるベタニア修道女会の聖ヨゼフ山の家に出かけ、社会福祉法人慈生会の研修会でお話をさせていただきました。

ベタニア修道女会は、1937年に、パリ外国宣教会の宣教師ヨゼフ・フロジャック神父によって、まずは東京教区立として創立された修道会です。その霊性は、修道会のホームページにはこう記されています。

「会の霊性は、フロジャク神父の遺訓である「自ら貧しいものになる」生き方に現れています。そしてそれは、二つの源泉から汲み取ることができます。一つはベタニアの名に示された霊性、もう一つは修道会の保護の聖人とされた聖ベルナデッタの生き方です。」

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また、「『ベタニア』はヘブライ語で……神の前に身をかがめ……『神により頼む貧しい者の家』という意味があります。『ベタニア』はイエスの親しい友、ラザロと、マルタと、マリアの家がある村です。イエスが、エルザレムに向かう時、また帰りにも、好んで立ち寄り、憩われ、疲れを癒されたところです」とも記されています。

フロジャック師はさまざまな社会福祉事業に取り組まれベタニア修道女会がその活動の中心になり、その流れの中で創立されたのが社会福祉法人慈生会。現在は数々の事業を東京を中心に行っていますが、例えば、清瀬には児童養護施設、病院や高齢者施設、中野には乳児院や高齢者施設、そして栃木県の那須にはかつてフロジャック師が手に入れた広大な敷地の中に、障害者支援施設「マ・メゾン光星(以前の公聖学園)があります。

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今回は、その那須にあるベタニア修道女会の聖ヨゼフ山の家を会場に、各施設の責任者と副責任者、法人の理事や評議員の方を対象に、二日間お話をさせていただきました。

そして、昨日の土曜日、7月15日は、新潟教会を会場にして、日本カトリック難民移住移動者委員会が、東京教会管区セミナーを開催してくださいました。日本カトリック難民移住移動者委員会は、カトリック司教協議会の委員会で、カリタスジャパンなどと同じく、社会司教委員会を構成する委員会です。現在は名古屋の松浦司教が責任者です。

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それぞれの教会管区で毎年セミナーを開催されており、今年のテーマは「外国人技能実習生」。東京教会管区セミナーということで、札幌教区、仙台教区、東京教区、横浜教区からも参加者があり、新潟教区からの参加者も含めて30名を超える方々が集まってくださいました。

『移住者と連帯する全国ネットワーク』の鳥井一平さんに、詳しくお話を伺い、その後各教区の取り組みを分かち合って、最後は私が御言葉の祭儀の祈りを持って、午後1時から5時までの研修会を終わりといたしました。

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研修生という言葉は以前からよく聞きますが、この数年で制度が大きく変わり、現在は『技能実習生』。様々な職種での技能を研修するために来日していますが、実態はその名目とは関係のない労働であったり、手取り賃金が非常に低くなっ至り。中には、実習生の人間としての尊厳に関わるような事例があったり、客観的に見れば人身売買と非難されてしまうような事例も見受けられるなど、制度自体の問題が指摘されています。外国からの移民は受け入れないとか、単純労働者は受け入れないなど、世論の動向に反応しながら日本政府はこういった制度を定めていますが、しかし同時に、様々な分野で労働者は不足しており、加えてオリンピック・パラリンピックを控えて、今後も建築現場などで労働力の不足が見込まれる中、様々な衣をかぶって、結局は単純労働者の短期使い捨てにつながる制度でもあると思います。労働力をどうするかの議論ではなく、人間としての尊厳を持った労働者に対する政策をしっかりと議論する必要があるとの指摘が、お話の中でありました。

受け入れ側と送り出し側双方で解決しなければならない問題があるのは、30年以上前のエンタテイナーの問題と同様です。教会は、一人一人が神から生命を与えられた尊厳ある存在であることを大前提に、虐げられたり軽んじられたり排除されたりしてもよい存在はひとつもないのだということを、これからも強調していきたいと思います。一人一人を大切にする神の手が、困難に直面する人に直接差し伸べられるように、その神の手となって取り組みたいと思います。

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なお日本カトリック難民移住移動者委員会では、『技能実習制度Q&A』のタイトルで、非常にわかりやすいパンフレットを作成しています。(写真)これは英語やベトナム語など、多言語で用意されています。是非ご活用ください。お問い合わせは、各教区の滞日外国人司牧の窓口や、東京のカトリック中央協議会の難民移住移動者委員会事務局まで。

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2017年7月11日 (火)

聖地巡礼のお知らせなど

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あらためて、聖地巡礼のお知らせです。

今年もパラダイス社によって、イスラエルを中心とした聖地巡礼が企画されています。今年は11月2日(木)の夜10時頃に成田空港を出発し、11月11日(土)の夜7時過ぎに成田空港へ戻る日程です。今回の企画ではイスラエルだけではなく、途中で国境を渡り隣国のヨルダンへ参ります。最初はガリラヤ湖畔を中心に、ティベリアに3連泊。その後1泊2日でヨルダンを訪れて、またイスラエルに戻り、エリコに一泊。その後はベトレヘムに2連泊で、エルサレムへ巡礼します。

興味のある方、是非一度、お値段や日程などの詳細を、パラダイス社にお問い合わせください。横浜の信徒の方の会社です。電話は045-580-0023 (営業時間は月曜から金曜の9時半から18時まで)。FAXは045-580-0024です。またメールでのお問い合わせは、mary@junrei.co.jp まで。担当は村上透さんです。

申し込み締め切りは9月15日。もちろん例年のように、私が同行する予定です。毎日ミサが行われます。どうぞ、ご一緒ください。

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今日は7月の教区司祭団の集まりが、新潟教会で行われました。毎年、夏のこの時期は、いつものような泊まりでの研修や話し合いは行わず、とにかく集まってミサを捧げ、その後昼食を共にしながら情報交換をすることにしています。今日は鶴岡教会の伴師を含め、新潟から長岡近隣で働く司祭17名が参加しました。

ちょうど福音にはマタイから、「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」という言葉が朗読されました。あらためて、眼前に拡がる豊かに実った畑で働く働き手が遣わされますようにと、司祭団で召命のために祈りました。

もちろん教会には信徒が果たす役割も多くあり、福音宣教においても、いまでは信徒の果たす社会における生活での言葉と行いを通じた「あかし」による福音宣教には、重要な意味があります。

しかし同時に、司祭の果たす役割には、特に秘跡の授与にはじまり、共同体の牧者として護り導き、また正統な信仰を教える役割には重要なものがあります。これからも新潟教区の各地で、小教区の共同体の牧者として、率先して福音をあかししていく司祭が必要です。

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今日はいわゆる共謀罪の趣旨を含む改正組織犯罪処罰法の施行日となりました。私は法律の専門家ではないので、その内容全体の細部にわたって意見を述べる能力はありませんが、あらためて宗教者の立場から、是非とも司法の担い手の方々には、個々人の内心の自由を尊重し護られますことをお願いいたします。内心なるものは、結局のところ他人の目にはどうしても見えないものなのですから、それを制限することは、当然他者による恣意的な介入にしかなり得ません。個々人の内心における善悪を判断できるのは、究極的にはその本人でもなければ他人でもなく、神でしかないはずです。

また法律は、常に善意の権力者の掌中にあるとは限りません。仮に善意の権力者の手を離れるようなことがあったときにも、その暴走をとどめる手段を明確にされておかれますように。もしそれが不可能ならば、将来への不安には大きなものがあります。国家の権力を担われている方々が、廃止を含めてより善の道を選択できるように、全能の神の祝福と護り、そしてより正しい道への導きがあるように、心から祈ります。

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2017年7月10日 (月)

北山原殉教祭ミサ@2017米沢

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7月1日は福者ペトロ岐部と同志殉教者の記念日ですが、その188殉教者のうち53名は、福者ルイス甘粕右衛門率いる山形県米沢の殉教者です。

1629年1月12日に、雪の中で殉教していった上杉家の家臣たち「サムライの殉教」などとも呼ばれます。その殉教の地は米沢市内数カ所に分かれますが、そのうちの大多数が処刑された北山原は、その後昭和の初期に神言会の宣教師によって場所が特定され、教会の土地として購入されました。

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現在の北山原殉教地は、住宅に囲まれた一角にありますが、当時は町外れの寂しいところだったと聞きます。この場所には、殉教を記念する十字架とその脇にたたずむ聖母と聖ヨハネの像があり、その前に列福を記念して建立された石の祭壇が備え付けられています。また同敷地の一部は米沢教会の墓地としても利用されており、殉教地と墓地は、それぞれ異なる委員会が個別に管理しています。

米沢は冬の雪も深い土地で、1月12日は北山原も深い雪に覆われています。そのため殉教祭を1月に行うことはしておりませんが、188の殉教者の記念日に合わせて、2008年の列福以来、7月の第一または第二の日曜日に、北山原を会場に殉教祭ミサを献げています。

例年は曇っていたり雨が降ることが多く、そうすると思いの外涼しいのですが、今年は太陽が厳しく照りつける晴天の日曜日。気温も30度を超える真夏日となりました。

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今年のミサは主に、山形地区内の信徒の方々が参加され、新潟県内や、遠くはベタニア修道女会のシスター方の参加もありました。また東北の被災地などを訪問しながら歌を届ける活動をしておられる浦部麻里子さんも参加され、ミサ後に歌声を披露してくださいました。


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昨年に続いて今年も、ミサ中に米沢教会の4名の信徒の方が、堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。昨年は大雨で、テントの下で堅信を授けるのも大変でしたが、今年は逆にあまりの晴天で、それはそれで、直接日にあたりながらしばらく立ち続けていただくのも大変でした。

ミサは私の司式で、主任のパリアント師、地区長の千原師、鶴岡教会の伴師の共同司式でした。来年2018年は、188殉教者列福10年になりますので、教区全体の行事として7月1日に(日)に殉教祭が行われます。記念の年ですので、是非教区のみなさまの参加をお待ちしています。

わたしたちの信仰は、常に過去の出来事の記憶を共同体として連綿と伝え続けながら、それを単に懐かしい思い出にとどめ置くのではなく、今の信仰のうちにその記憶を現在化して生きることが求められる信仰です。殉教者たちの記憶も、単に懐かしい思い出として、400年前に傑出した人たちがいたのだというだけのことではありません。その記憶から、現代にどう生きるのかという示唆を見いださなければ意味がありません。

400年前と現代では、いろいろなことが大きく変化したのはいうまでもありませんが、その中で、特にわたしたちが生きていく基本に関わる出来事としては、人間関係のあり方が大きく変化したのではないでしょうか。

現代社会では、孤独や孤立が、わたしたちの社会における人間関係を規定しているように感じます。さまざまな社会状況の中で、そして様々な年代において、わたしたちは多様な形での孤独や孤立を社会に抱え込んでいるのではないでしょうか。そういった中で、かつてのような共同体のあり方は、家庭においても地域においても、もしかしたら国のレベルでも、すでに崩壊してしまっている。共同体における相互の支えが崩壊してしまったところに、孤立や孤独が深まっているように感じます。

孤立や孤独は、一人個々人のレベルにとどまらず、世界的に見ても、グローバル化が進んで相互の依存が深化しているはずなのに、国家共同体間の孤立や排除が見いだされるのも、同じように、真の意味での共同体意識の喪失が原因としてあるのではないでしょうか。

本来理想とすべき、世界は神に作られた一つの家族であるから、その中で国も、地域も、家族も、一つの体の一部として互いに支え合わなくてはならない。

相互の支え合いは、単に一人一人にとっての生命を維持するための助けとなるだけではなく、それは一人一人の成長を促す基礎を提供するのではないでしょうか。そしてそのことは信仰においても同様です。

かつての殉教者たちが、生命を賭して信仰を護ることが出来たのは、それは単に一人一人が超人的な信仰者であったというよりも、その信仰者を支え育む共同体が存在していたからではないでしょうか。信仰は一人で孤独のうちに深めていくものではなく、共同体のうちで育てられ育まれていくものです。強い共同体の存在なしには、強い信仰者はありません。

当時、米沢に今とは比べものにならないほどの大きな規模のキリスト者共同体が存在しており、活発に祈り、学び、活動していたのは良く知られているところです。そういった強い信仰共同体があったからこそ、強い信仰者が育っていったのではないでしょうか。

殉教者たちの存在を思うとき、わたしたちに必要なことは、現代社会にあって、強い信仰共同体をどのようにして育て上げていくのかを考えてみることです。殉教者をまねて、一人超人になることを目指すのではなく、共同体をどのように育てるのかを、真摯に考えていく必要があります。

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2017年7月 3日 (月)

7/8/9月の主な予定

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今年もあっという間に半分が終わってしまいました。7月・8月・9月の夏の間の主な予定を記します。これ以外にも、今の時点で未定の予定がありますが、現時点で最終的に決まっている主な予定です。また最後に、今年の11月の聖地巡礼の宣伝もございます。

  • 7月
  • 4日・5日 東京教会管区会議 (横浜教区内)
  • 5日 HIV/AIDSデスク会議 (潮見)
  • 6日 常任司教委員会他 (潮見)
  • 7日 神学院司教会議 (潮見)
  • 9日 北山原殉教祭ミサ (米沢・北山原)
  • 10日 月曜会ミサ (新潟教会11時)
  • 11日 司祭団静修ミサ
  • 13日・14日 (社福)慈生会研修会 (那須)
  • 15日 難民移住移動者委員会東京教会管区セミナー (新潟教会)
  • 21日 カリタスジャパン会議 (潮見)
  • 22日 HIV/AIDSデスクセミナー (東京)
  • 23日 柏崎教会堅信式 (柏崎)
  • 30日 平和旬間講演会と平和祈願ミサ (新潟教会)
  • 8月
  • 11日 クララ会ミサ (高田・クララ会)
  • 15日 聖母被昇天祭ミサ (新潟教会)
  • 17日 新潟教区保育者研修会 (新潟)
  • 20日 横手教会ミサ (秋田・横手)
  • 25日 仙台教区サポート会議 (仙台)
  • 29日 カリタスジャパン会議 (潮見)
  • 9月
  • 2日 信徒養成講座 (新潟教会)
  • 4日・5日 教区顧問会
  • 6日 神学院常任司教会議 (潮見)
  • 7日 常任司教委員会他 (潮見)
  • 8日 カトリック新聞会議 (潮見)
  • 9日 信徒養成講座 (新潟教会)
  • 11日 カリタスジャパン会議 (潮見)
  • 12日・13日 東北巡礼 (パラダイス社)
  • 14日・15日 秋田の聖母の日 (聖体奉仕会)
  • 22日 福音宣教省長官フィローニ枢機卿仙台訪問同行
  • 23日 加茂教会50周年 (加茂)
  • 24日 福音宣教省長官フィローニ枢機卿とのミサ (関口教会)
  • 25日~29日 司教総会 (潮見)

なお今年もパラダイス社によって、聖地巡礼が企画されています。11月2日(木)の夜に成田を発ち、11月11日(土)の夜に成田へ戻ります。今回の企画ではイスラエルだけではなく、途中で国境を渡り隣国のヨルダンへ参ります。1泊2日でヨルダンを訪れて、またイスラエルに戻る行程になっています。

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興味のある方、是非一度、お値段や日程などを、パラダイス社にお問い合わせください。横浜の信徒の方の会社です。電話は045-580-0023 (営業時間は月曜から金曜の9時半から18時まで)。FAXは045-580-0024です。またメールでのお問い合わせは、mary@junrei.co.jp まで。担当は村上透さんです。

申し込み締め切りは9月15日。現時点では、私が同行する予定です。どうぞ、ご一緒ください。

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2017年7月 1日 (土)

福岡から再び秋田へ

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今週は、水曜日の午後から福岡へ移動。日本カトリック神学院の常任司教委員会が、同神学院の福岡キャンパスで開催されるためです。

神学院の常任司教委員会とは、司教協議会の常任委員会と別物です。日本カトリック神学院は、全国16教区の司教全員が参加する神学院司教委員会によって運営されていますが、この全体会議は年に二回、司教総会に合わせて開催されます。その間に、様々な実務的な課題をこなすためにもうけられているのが、この常任司教委員会。各教会管区(東京、大阪、長崎)から、司教が二名ずつ、計6名で構成され、委員長は大塚司教。東京教会管区からは、梅村司教とわたしが委員になっています。

通常は潮見で行われますが、年に二度、実際のキャンパスに出かけていって、神学生たちとの交流の時間を持っています。というわけで、福岡キャンパスです。

福岡キャンパスには現在、神学課程の1年から3年まで、20名が在籍。そのうちの2名が、グアダルペ宣教会のメキシコ出身の神学生です。新潟教区の岡神学生は、哲学課程の2年生ですから、福岡ではなく東京キャンパスに在籍しています。東京には現在13名が在籍し、そにうちの6名が、助祭です。

水曜日の夜、夕食後に神学生との懇談会。和やかな懇談でした。翌朝は聖ペトロ聖パウロ使徒祭日でしたが、順番でわたしが朝のミサの司式をさせていただきました。

木曜の午前中が神学院常任司教委員会。昼食のカレーを神学生と一緒にいただいて、そのまま午後に福岡空港へ移動。福岡空港は現在改修工事中で、そこいら中が仮通路。どこに行けば良いものか、ちょっと迷ってしまうほどの大がかりな工事中でした。

福岡から伊丹へ飛び、乗り換えて秋田へ。秋田到着は夜の8時半です。福岡から伊丹までと、そして伊丹から秋田まで。すべていつものようにANA便ですが、これまたすべて70数名乗りの小型プロペラ機。1時間程度の飛行であれば苦にもなりませんが、伊丹から秋田までは1時間半を超えるフライト。ちょっと窮屈でありました。

先週末も秋田にいましたが、再び秋田へ来たのは、年に一度の、聖体奉仕会の会員の集いがあるため。

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金曜の朝から日曜の朝まで、聖体奉仕会で、院内外の会員が一同に集まって、年に一度の共同体の絆を深める機会となっています。また昨日の午前中は、1時間ほど、講話もさせていただきました。

本日土曜は早朝から雨模様で肌寒く感じていますが、昨晩はちょっと寝苦しいほどの暑さでした。次に聖体奉仕会に来るのは、9月14日と15日に開催される、恒例の「秋田の聖母の日」になります。

今年の秋田の聖母の日は、教皇庁大使チェノットゥ大司教も参加されますが、大使がファティマの聖母の御像を持ってきてくださいます。どうぞご参加ください。詳しくはこちらの聖体奉仕会ホームページをご参照ください。

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2017年6月28日 (水)

来年のシノドスに向けて

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来年、2018年の10月に、バチカンにおいてシノドス(世界代表者司教会議)が開催されます。第二バチカン公会議以降に始まった世界から司教の代表を集める会議ですが、今回はその通常総会の15回目となります。

今回のテーマは、「若者、信仰そして召命の識別」とされており、日本の司教協議会の代表は、札幌教区の勝谷司教です。

こういったシノドスの開催前には、バチカンのシノドス事務局によって準備書面が用意され、期限が定められて各国の司教団に回答が求められ、その回答をもとに、実際の会議の基本となる作業文書が定められるという手続きがあります。

今回は、教皇様の意向もあり、出来るだけ多くの方の意見を聴取したいとして、すでに各国語で準備書面が発表され、それには様々な質問事項が添付されています。準備書面の日本語訳はすでに終わり、こちらのリンクの中央協議会サイトで公開されています。A4で30ページです。

質問事項については、それぞれの国の状況に応じて回答することが求められているので、司教協議会の事務局が作成しました。この質問への回答に基づいて、参加する勝谷司教が日本の報告をまとめることになります。

すでに新潟教区で働いている神父さま方には、先日の胎内における司祭の集いでお願いしたところですが、できる限り多くの方に回答を寄せていただければと思います。すべての設問ではなく、ご自分に関係のある一部で構いません。質問事項はこちらのリンクです。

回答は直接メールで送付できるようにも記してありますが、大量になると混乱することも予想されますので、ご自分の回答を主任司祭にお持ちになる方がよろしいかと思います。7月末が勝谷司教のもとに必着の締めきりです。

「若者、信仰そして召命の識別」というテーマに関心のある新潟教区の信徒の方々、是非、シノドスの質問事項に挑戦してみてください。

なお上の写真はスクリーンショットですが、バチカンの2018年シノドスの公式サイト(英語)です。興味のある方はどうぞ、こちらのリンクから、ご覧ください。このサイトからは、英語などのバチカン側で準備されている言語であれば、直接回答を送ることも出来るようです。

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2017年6月26日 (月)

秋田地区信徒の集い@土崎教会

第27回目となる、新潟教区の秋田地区信徒の集いが、昨日、6月25日の日曜日、午前11時から午後3時まで、秋田市内の土崎教会を会場に開催されました。秋田地区には、北から、鹿角、大館、能代、秋田、土崎、本荘、横手の小教区がありますが、そこから170名の信徒の方が参加されました。

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秋田地区は全体が神言会に宣教司牧が委託された地区となっていますが、その神言会の司祭団も参加。教区の中で、常に一番若い司祭が働いているのも、この秋田地区の特徴です。

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今回の会場は、先日竣工式を迎えたばかりの、こども園の新しい園舎二階ホール。これまでの幼稚園は、聖堂や司祭館と同じ敷地内にありましたが、こども園の新園舎は隣接する用地に新築され、これまでの園舎の大半はすでに解体されていました。

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今回の信徒の集いは、小共同体の育成をテーマに、これまで長年にわたって長崎教区で小共同体作りに取り組んでこられた信徒の長野宏樹さんを講師として招きました。長野さんは長年、長崎教区の事務局で信徒養成を担当して働かれ、現在は26聖人記念館の副館長を務めておられます。これまた神言会が担当する長崎市内の西町教会の信徒の方です。わたし自身も司教になる前、名古屋教区で7年ばかり、信徒養成委員会のメンバーとして小共同体の育成についての出前研修などを行ってきたこともあり、またその後も、長野さんからいろいろと資料をいただいたりしていたこともあって、興味深くお話を伺いました。

長野さん自身も言われたように、小教区は様々な役割を担った多くの小共同体が集まって一つの共同体を生み出しているのが理想的であり、またその小共同体は、単に機能を果たす集まりではなく、御言葉を中心にした分かち合いの共同体でもあることが理想です。しかし同時に、それはどこでも簡単に実現できるものでもなく、さらには一朝一夕で実現できるものでもありません。長野さんは講話の中で、実現には40年はかかるといわれましたが、私もそう思います。

長野さんが紹介くださった手法は、FABC(アジア司教協議会連盟)の信徒局に所属するAsIPA(Asian Integral Pastoral Approach)デスクが長年にわたって導入を進めてきた教会共同体育成の手法で、基本的には南アフリカにあるルムコ研究所がアフリカ全土で導入を進めてきた共同体育成の手法をアジア的に手直ししたものです。

ちなみにこのルムコ研究所の現在の所長はガーナ人の神言会員ですが、わたしもガーナで働いていた当時、ルムコの方法を取り入れて、小共同体育成を試みては挫折を繰り返しました。

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小共同体育成の基本は、御言葉の分かち合いによる定期的な小共同体の集いにあります。まずもってこの、御言葉の分かち合いがなかなか定着しません。今回も長野さんのお話で紹介されていましたが、いわゆる「セブンステップ(七つの段階)」という方法があり、これは挑戦してみられてはいかがでしょう。長野さんが紹介されたものはもっと具体的な集まりの進め方でしたが、セブンステップについてはこちらに一度書いたことがあります。参照ください。

信徒数が極端に少ない地域や、家族の中に信徒がおひとりだけであるような場合には、小共同体育成で理想とする、平日の夜などに地区ごとに定期的に集まって、小共同体の御言葉の分かち合いをすることは限界があります。ですから、日本の現実に合わせて、他の道を考えなければ難しいと私は考えています。ただ、御言葉の分かち合いそれ自体を行うことには意味がありますから、その専門家でもある神言会(神の御言葉の修道会)の会員には、率先していただければと期待しています。

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昼食後、ミサの前に、土崎教会の聖歌隊の皆さんによる、歌劇(?)の披露が。この土崎教会聖歌隊は、なんというか、特別なタレントが集まったグループだと、いつも感心させられますが、今回も、武士たちの生きる道が神への道ではなかったかというテーマの、素晴らしい歌でした。衣装も、なかなか・・・。

最後にわたしが司式してミサで終わりとなりました。秋田地区の皆さん、土崎教会のみなさん、ご苦労様でした。

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2017年6月19日 (月)

ウランバートルの街で見た日本

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先日のカリタスモンゴルの支援団体会議で、久しぶりに訪れたウランバートル。前回、2003年に初めて訪れたときの報告を以前からホームページに掲載していましたので、興味のある方はこちらのリンクからどうぞお読みください。(2003年報告・その12003年報告・その2

14年前と比べてもすっかり発展したウランバートルの街で、日本のあるものをたくさん見ました。

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まず、街の至る所で、道路を見ると必ず走っているトヨタの「プリウス」。時には何台も連なって道路を走っているくらい、すさまじい台数です。街の至る所には車の修理工場が見られましたが、そのうちの何カ所かが「プリウス」の名前を掲げていました。そのほとんどが、日本からの中古車のようで、車は右側通行ですが、運転台は日本と同じ。世界の至る所でプリウスを見るようになりましたし、ローマでさえもプリウスのタクシーが走っていたりするほどですが、しかし、ウランバートルほどたくさん走っている街は見たことがありません。上の写真は、たまたま乗っていた車の中から撮影したものですが、プリウスの向こうに、自動車屋さんの看板が見えます。そこにはランドクルーザーが描かれていますが、昔のモンゴルで日本車といえばランドクルーザーでした。もちろん今でもランドクルーザーはたくさん走っていますが、それをしのぐ勢いで増えたのが、プリウス。

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そして、ラーメン屋さん。今回の滞在中、カリタスモンゴルの方に連れられて、二回ほどラーメン屋さんに行きました。みんなしゃれた感じの店ですが、完全に日本のラーメン屋。写真の店などは、入ると店員さんが一斉に日本語で、「いらっしゃいませ」と挨拶してくれます。豚骨ラーメンをいただきましたが、日本の味でした。結構、お客さんがたくさん入っており、日本のラーメンは人気のようです。ちなみに、先日会議で訪れたローマにも、神言会の総本部近くに、本格的な日本のラーメン屋さんがあり、そこも大人気でした。

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そして、2003年の訪問当時の写真を数枚。そのときは大草原の中に点在する井戸施設を泊まりがけで視察に出かけました。

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新潟教区司祭の集い@胎内

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スケジュールが立て込んだため、記録しておくのを失念していました。今更ながらですが、新潟教区の司祭の集いが、6月5日から7日まで、新潟県の胎内市で開催され、秋田県、山形県、新潟県で働く司祭団のうち、25名が参加しました。毎年開催されているこの集いは、新潟教区で働く教区司祭団と修道会司祭団のすべてが対象で、一緒に三日間を過ごしながら、祈り、学び、そして情報交換(分かち合い)をする場となっています。

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今年は修道会の行事日程の都合から、残念なことにフランシスコ会とイエズスマリアの御心会の会員が参加できませんでしたが、若い会員も多い神言会員と教区司祭の交流の場となりました。

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今年は講師として、批評家であり随筆家としても著書を多数出版されている若松栄輔さんにおいでいただき、二日間お話をうかがいました。1968年生まれの若松さんは、2007年に「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選をされていますが、数ある著書の中には、2015年の「イエス伝」もあります。新潟県の糸魚川出身で、信徒の方です。今回は、主に「文学としてのイエス伝」という題でお話をいただきました。感謝します。

さて、6月4日の聖霊降臨の主日には新潟教会でミサを司式しましたが、その説教を、遅くなりましたが、以下に掲載しておきます。

先日、この聖堂で、ハンドベルのコンサートがありました。新潟清心女子中学高校のハンドベル部がその創部25周年を記念して、チャリティーコンサートを開催してくださいました。中学生が8名、高校生が18名の22名で、様々なサイズのハンドベルを巧みに操って、素晴らしい音色を奏でてくださいました。

祈りは、心の内における神との対話であり、心を落ち着けて、沈黙のうちに、神の声に耳を傾けようとする姿勢でもあります。こういった祈りを助けるために、音楽が果たす役割には大きなものがあります。

教会における音楽と言えば、パイプオルガンが一番良く知られています。天に向かってわたしたちの心を持ち上げる力強さがパイプオルガンにはありますが、同時にわたしたちの心には神の声に耳を傾ける静けさも必要です。優しい音色のハンドベルが奏でる音楽は、心の静けさを与えてくれる存在だと感じました。

そのハンドベルですが、演奏するためには、ベルの数に応じてかなりの人数が必要です。それがこの楽器の特徴であり、他の楽器との大きな違いともなっています。すなわち、ハンドベルは、まさしくベルですから、一つの楽器は一つの音しか出すことが出来ない。だからたくさんの音を出そうと思えばたくさんのベルが必要で、そのためにはたくさんの人間が必要ということになります。

他の楽器であれば、例えばトランペットやバイオリンなどオーケストラやブラスバンドで活躍する多くの楽器は、一つの楽器が様々な音階を奏でることが出来ます。ところがベルは、一つの音程しか出せないのですから、それだけを鳴らしても、残念ながらメロディーを奏でることは出来ない。たった一つのハンドベルだけでの、ソロコンサートは成立しないけれど、たった一本のバイオリンでソロコンサートは可能です。

ハンドベルは、流れるメロディーのどこかの一部分を響かせることしか出来ないので、自分のベルに与えられた音程がメロディーの一部として来た瞬間のみに、音を奏でることが出来る存在です。

それでは、たった一つの音だから、鳴らさなくても影響はないのかというと、もちろんそんなことはなく、そのたった一つの音がなければ、全体の音楽は生み出されない。なくてはならない一つの音であるにもかかわらず、その一つのベルだけで注目を浴びることはない。一つ一つのベルが全体の部分としての役割を忠実に果たしているときに、はじめて音楽が生み出されるのです。そしてその役割を果たすためには、一緒に演奏している他の人たちの音に耳を傾けていなければ、ふさわしいときに音を発することは出来ません。

「体は一つでも、多くの部分からなり、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である」
先ほど朗読されたパウロのコリント人への手紙に、そのように記されていました。

わたしたちはキリストを中心にして一つの体を形作っているというのは、わたしたちの信仰における共通理解であるといっても良いかと思います。その中でわたしたちは聖霊によってそれぞれが恵みを与えられている。その恵みをカリスマと呼んでいます。わたしたちは、それぞれが与えられたカリスマにしたがって役割を果たすことによって、一つの体をともに作り上げているのだとも理解しています。

一人ひとりに与えられた役割を果たすわたしたちは、ちょうどオーケストラの一つ一つの楽器のような存在です。そこでは、わたしたちはソロを奏でる楽器になることもできるでしょうが、同時にハンドベルのような存在となる可能性も存在しています。わたしは、キリストを中心とした一つの体を作り上げるには、実はソロの楽器よりも、ハンドベルのような生き方こそが重要であると考えています。

多くの楽器とともに合奏をしているときに、自分に与えられた才能に酔いしれて、自分の演奏するべきパートをまるでソロコンサートのように奏でてしまっては、音楽は成り立ちません。互いに耳を傾けあい、全体の中での自分の役割をしっかりと把握しなければ、ワンマンショーは全体を破壊します。特別な才能がある人ほど、この誘惑を強く受けてしまうのではないでしょうか。

本当に必要なことは、たった一つの音しか鳴らすことの出来ないハンドベルであっても、しっかりと周りに音に耳を傾け、自分の順番が来たときに的確に音を鳴らすこと。その小さな一つの音が、全体にとって重要であると自覚をすること。すなわち、自らの役割への忠実さと全体に対する謙遜です。そしてその役割が、人間の目からはどれほど小さなものに見えたとしても、一つのベルの音がなければ音楽全体が成り立たないように、神の前では、この小さな一つの音を鳴らすことが、全体を成り立たせるために不可欠な部分なのです。どんな小さな貢献でも、一つとして不必要な貢献はない。すべての小さな忠実さがあって初めて、キリストを中心とした体は、できあがるのです。

わたしたちキリスト者の中には、豊かな才能が与えられて、雄弁に福音を語ることが出来たり、何か特別なわざに召されている者もいます。でもそういう人は多くはない。そうした才能には恵まれていないと感じている人も少なくはないでしょう。でも復活されたイエスは、従うすべての人に向かって、「父が私をお遣わしになったように、わたしもあなた方を遣わす」と命じられるのです。わたしたちには、福音を告げ知らせるわざに励むことが、大きな体を作り上げるための責務として与えられているのです。ハンドベルのような生き方が、だからこそ必要なのです。

わたしたちの信仰は、共同体で生きる信仰だといいます。それは個人的な信心がいらないということではありません。日曜日にミサに来る共同体に属するときだけ、信仰に生きているのではありません。わたしたちの毎日の信仰に対する忠実さ。それは私個人のためなのではなくて、体全体のための貢献です。キリストを中心とした体を作り上げるためには、たった一つのベルの音のような、一人一人の小さな貢献の積み重ねが必要です。そしてそれは一人一人の信仰における忠実さ、そしてその忠実さは自分のためではなく、共同体全体のためなのだという謙遜さ。信仰における忠実な生き方と謙遜。それを自覚したときに初めて、わたしたちは一緒になって、キリストの体を作り上げていくことが可能になります。 

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2017年6月15日 (木)

カリタスアジアの年次総会@バンコク

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さて、半日遅れでソウルからバンコクに到着。今年のカリタスアジアの年次総会に、やっと参加できました。

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年次総会は、まず二日間のパートナーズフォーラムで始まります。カリタスアジアの責任者として、冒頭で歓迎のスピーチのはずでしたが、間に合わず、事務局長に代読してもらいました。

パートナーズフォーラムは、アジアのカリタスメンバー24団体と、アジアで一緒に活動したり、プログラムを支援してくれるアジア以外のカリタスのメンバーとの情報交換の場です。今年は、カリタスアジアが昨年一年をかけて作り上げた活動計画(戦略計画)の、各優先事項について、具体的なプログラムを紹介しながら、意見の交換を行いました。

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今回のフォーラムには、90名以上が参加。またラオスや中国本土の教会についての情報交換も行われました。

初日の晩は、タイ駐在のベルギー大使の招待で夕食会に参加。

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二日間のフォーラムを終えて、二日目の晩の夕食会では、国際カリタス事務局長のミシェル・ロワ氏の誕生日を、参加者全員で祝い、一緒にケーキを。

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水曜日は今度はカリタスアジアの年次総会で、これはアジアのカリタスメンバーだけが参加し、活動計画や予算などの承認を行った後、国際カリタスの担当者のリードで、国際カリタス管理基準についてのワークショップ。朝8時半のミサに始まって、夕方7時頃までみっちりと行われ、最後は皆で乾杯をして終わりになりました。

カリタスジャパンからは、秘書の瀬戸神父が参加。本日木曜と明日金曜は米国カリタスとの共催で、リーダ研修が続けて行われています。

わたしはモンゴルからの移動の最中に、ちょっと腰を痛めた模様。そろりそろりと日本へ戻ります。

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