2018年7月15日 (日)

FABCの会議でマニラへ

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司教総会が終わった翌金曜日夕方の便で、フィリピンのマニラへ飛びました。アジアの司教協議会連盟(FABC)関係の会議に参加するためです。

マニラ空港の混雑でなかなか着陸できず、夜の9時前のはずが到着したら10時過ぎ。外へ出てタクシーを待ってさらに1時間。会場は結構空港からは距離的には近いはずのパコという地区にあるマニラ教区のピオ12世カトリックセンター。司教総会など大きな会議や研修会の開かれる宿泊できる施設です。これがまたマニラ湾沿いの道は大渋滞で、空港から1時間以上。結局宿舎に到着したのは真夜中12時過ぎでした。空港で並んで乗ったイエロータクシーのドライバーは、親切に開いている入り口を探してくれました。

会議はFABCのOHDというセクションの会議。人間開発局と訳されています。わたしはそこの委員であるとともに、協働するはずのカリタスアジアの責任者としても呼ばれました。

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OHDはFABCができる以前に、社会活動に携わっていた司教や司祭や修道者、信徒の話し合いの中で1969年頃にフィリピンで誕生した組織で、1970年以降はFABCの一部門となりました。それでも誕生の経緯から、マニラに実際の事務所を構え、独立した組織として運営されてきました。故浜尾枢機卿様も、OHDの責任者を務めたことがあります。

わたしがカリタスに関わるようになった90年代後半までは、OHDの責任者がカリタスアジアの総裁を兼務していましたので、両者は協力しながら活動を進めてきました。ところがアジアのカリタスに関わるメンバーたちの希望で、1999年に、カリタスアジアはOHDから独立した組織となっています。

その後、紆余曲折があり、人材を見つけることもできない事情もあり、OHDを今後どのように運営していくのか、また事務所をこのまま運営するのかが、この数年の大きな課題でした。

今回の会議は、これにめどをつけて、次の3年の計画を明確にすることにありました。

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集まったのは、FABCの会長を務めるボンベイのオジワルド・グラシアス枢機卿。その補佐司教で、OHDの秘書を務めるアーヴィン司教。タイで難民救援組織に長年関わるピブル司教。そしてカリタスアジアを代表して私。加えてバチカンに新しくできたタクソン枢機卿の人間開発の部署から難民と移民セクションのアジアコーディネーター、ムラヤマさん。気候変動の専門家であるノエリン博士。そして香港のFABC事務局から司祭が一人。

少しは将来の方向性を定めることができたと思いますし、今後のカリタスアジアとの長期的な協力体制にも目処をつけることができたのではないかと思います。

私は明日の大坂での補佐司教お二人の叙階式に行かなくてはならないので、日曜日午後の便で早めに失礼することに。

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羽田行きの全日空便は午後2時40分の出発ですが、この土日は、マニラ市内で、キリスト教系の新興団体イグレシア・ニ・クリストが大規模集会を開催し、主な道路が閉鎖されることになっているのだとか。日曜とはいえ、大渋滞が懸念されていました。

渋滞が全くないのであれば30分ほどで到達できる距離ですが、安全のため何もないときでも1時間は余裕を見ます。しかしこの道路封鎖でどうなるかわからないので、12時過ぎには空港に到着するために10時に出るようにとの皆さんの言葉。会議場の車で送って頂くことに。

10時に玄関にやってきた車の運転席には、私が見た感じでは80歳ほどの超ベテランです。一瞬、心を不安がよぎりました。ところが、このベテランこそが大正解。街の裏の路地のようなところを右に左にと走り抜け、かなり大回りをしたのだと思いますが、最後はスカイウェイなる高速道路にたどり着いて、結局、40分で空港に到着。こんなに早く着いたことがないくらい早かったです。さすが、道を知り尽くしているベテランでした。感謝でした。

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2018年7月14日 (土)

司教総会が開催されました

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7月9日から12日まで、日本のカトリック司教団の司教総会が、東京のカトリック中央協議会で開催されました。議事が思いの外早く進み。13日昼までの予定が、12日夕方で終わりとなりました。

今回は、この数週間の間に教皇様から新しく任命された4名の被選司教たちと、開催直前に引退が受理された郡山司教、そして後任が任命されたさいたま教区管理者の岡田大司教も加わり、19名の参加となりました。

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総会の議事については、カトリック中央協議会のホームページに公式の報告がありますので、このリンクからご覧ください。

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11日の水曜日夕方には、場所をイグナチオ教会に移して、司教団主催で、ペトロ岐部と187福者殉教者の列福10周年と列聖祈願ミサを捧げました。司式はこのたび枢機卿の親任された大阪の前田枢機卿。教皇大使のチェノットゥ大司教も参加されました。

また、このたびの西日本豪雨災害で亡くなられた方々の安息と、被災された方々のために、ミサの中で祈りを捧げました。

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聖歌隊で奉仕してくださったイエスのカリタス会のシスター方、イグナチオ教会の皆様、ありがとうございました。

災害の発生中に司教総会があったこともあり、急遽でしたがわたしが起案して、豪雨災害で被災された方々へのメッセージを司教団として発表することができました。司教団の名前でだすメッセージは、司教全員の賛成が必要であるため、よく見ていただくとわかりますが、多くのメッセージはそれ以外の名称、つまり会長個人や、常任司教委員会や各委員会の名前で発信されています。今回は即座に賛成が得られたので、頂いた意見を基に加筆して発表メッセージとなりました。

カリタスジャパンは、被災された教区の担当者と連絡を取りながら、教会としてできることへ取り組むために動いているところです。

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2018年7月 8日 (日)

お知らせ

教皇様は、昨日、7月7日のローマ時間正午(日本時間夜7時)、鹿児島教区の郡山司教様の定年に伴う引退願いを受理されました。定年は75歳と決められており、75歳になるとすべての司教は教皇様に引退願いを出さなければなりません。

教皇様は同時に、後任の鹿児島司教として、日本カトリック神学院の院長を務める鹿児島教区司祭の中野裕明師を、鹿児島教区司教に任命されました。

中野被選司教様のためにどうぞお祈りください。叙階式の日程は後日発表されます。

日本カトリック神学院は、白浜司教に続いて中野被選司教と、二人も院長を司教として送り出すことになりました。喜ばしいことではありますが、同時に、神学院の院長職は容易な仕事ではないので、後任選びがこれまた大変であります。

ところで、明日月曜日から金曜日までの予定で、司教総会が開催されます。司教総会中、7月11日水曜日の午後6時から、イグナチオ教会を会場に、日本カトリック司教協議会主催で、司教団全員が参加してミサが捧げられます。このミサには現在4名となった被選司教たちも参加の予定です。

ミサの意向は、福者ペトロ岐部司祭と187殉教者の列聖祈願であり、前田枢機卿様が司式される予定です。どうぞご参加くださり、殉教者の列聖のためにお祈りください。

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カリタスウガンダ責任者ンダミラ師、一連の講演とミサ

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カリタスジャパンと長年のパートナー関係にあるアフリカのカリタスウガンダ。私が司教になる以前、2003年頃に初めて訪問したのは、当時、あまりにもたくさんの援助申請書がウガンダから届くようになり、添付の推薦状が同じ人物のはずなのに、どれもこれも署名の字体が異なるという事態に直面したからでした。その署名の人物の名前はモンセニョール・ンダミラ師。これは本人に会って確かめなくてはと、ウガンダまで出かけました。

カンパラ郊外のエンテベ空港まで迎えに来てくれたンダミラ師は、笑顔の優しい神父さんでした。早速彼の事務所で持参した推薦状のコピーを見せながら話をすると、どれもこれも偽物。まるで本物のような司教協議会のレターヘッドの偽物までありました。

そのときに合意したのが、ンダミラ師の事務所で直接やりとりをして、現地で進められるプログラムをカリタスジャパンで支援すること。いわゆる持続可能な農業の様々なプログラムを中心に、それ以降今に至るまで、カリタスジャパンはンダミラ師の率いるカリタスウガンダを支援してきました。カリタスジャパンからも、毎年現地視察に出かけ、日本からの支援が生かされている現状を確認してきました。

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その後司教になった後に一度、ンダミラ師と一緒に、ウガンダ北部のグルへ出かけ、当時激化していた内戦とそれに伴う国内避難民の様子を、特に子どもたちの状況を中心に視察に出かけたことがあります。

グルのオダマ大司教は、国内避難民の子どもたちの保護に奔走し、反政府勢力と政府の和平の仲介になったりと、国際的に知られた人物です。そこで、農業支援に取り組む時とは異なる、平和構築に真摯に取り組むンダミラ師とカリタスウガンダの姿を見ることになりました。現時点では、ウガンダ北西部で、南スーダンからの難民への対応に当たられています。

カリタスジャパンは、国際カリタスが昨年から推進する難民や移住者への理解を深め、排除することのない世界を築こうという「Share the Journey・排除ゼロ」キャンペーンに積極的に関わっています。司教協議会の難民移住移動者委員会とも連携し、様々な企画を行っています。ちょうど6月の末が、国際カリタスの勧める世界的行動の週であったことから、日本での企画を考えました。

そしてカリタスジャパンとの長年のパートナーとして信頼関係にあるンダミラ師を招いて、アフリカの難民や移住者の現実についてお話をしていただくことになりました。

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講演会を一つだけではもったいないので呼びかけたところ、聖心女子大学のグローバル共生研究所の協力が得られ、同研究所との共催で、7月6日夜に、ンダミラ師の講演と、学生さんとのクロストークのイベントが開催され、100名を超える方々に参加していただきました。会場はかつて青年協力体の研修所だった広尾の聖心女子大学の建物です。中心になって動いてくださる大橋正明先生は、シャプラニールをはじめ海外で活躍する多くのNGOに関わって来られた方です。

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学生の皆さんからも、様々に興味深い質問をいただき、ンダミラ師のお話を皆で深く聞く機会となりました。

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翌日、7月7日は、難民移住移動者委員会と共催で東京教会管区アクションデーを関口で行いました。これには遠くは札幌教区からも参加者があり、300人近い方が集まりました。東京教区の国際センターCTIC所長の高木健次神父がスタッフも動員して準備に奔走してくださいました。感謝です。

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午前中は私の導入の後、私が質問してンダミラしに応えていただく形でお話を伺い、さらに難民や移住者としての当事者の方々3名のお話を伺い、キャンペーンの趣旨に則って一緒に昼食を分かち合い、午後はワークショップ。そして3時からカテドラルで国際ミサとなりました。ミサは基本は日本語でしたが、歌は、特にインドネシアの方々を中心とした素晴らしい聖歌隊が歌ってくださり、共同祈願も各国語で。多くの人が様々な役割を担うミサとなりました。

参加してくださった皆さん、準備してくださった皆さん、本当にありがとうございました。

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移民や難民として流入してくる人たちが、世界各国で増加するにつれ、どこの国でも排斥する傾向が強くなっています。それに対して教皇フランシスコは、手を広げて迎え入れようと呼びかけます。様々な理由で人は旅に出るのですけれど、自分自身の毎日と照らし合わせて考えてみれば、今の生活を捨てて旅に出ることは、簡単な決意でできることではありません。多くの人が重大な決断のもとに旅に出ます。その人たちを、迎え入れようというのが教皇フランシスコの呼びかけです。

同時に、そういった人たちを受け入れることを難しくしているのは、相手を知らないからだとも、教皇は指摘されています。知らないから不安になり、排斥に進むのだと。だから理解するためにも互いに知り合おう。互いの旅路を物語を分かち合おう。食事を分かち合おう.そこから相互の理解が生まれるのだと、教皇フランシスコは呼びかけています。

このキャンペーンも、まず互いに知り合って理解を深めようとするキャンペーンです。

ンダミラ師はあと数日は日本に滞在され、今週初めには、名古屋の南山大学でも話をされることになっています。

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2018年7月 4日 (水)

講演会などへのお招き

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カリタスジャパンでは現在、国際カリタスからの呼びかけに応えて、特に難民や移住者を排除しない世界を目指すキャンペーン、「排除ゼロキャンペーン」を展開しています。このキャンペーンは、日本ではカトリック難民移住移動者委員会との共催です。

排除ゼロキャンペーンの英語のタイトルは、「Share the Journey」といいます。つまり、それぞれの旅路の物語を分かち合おうという意味です。

なぜなら、私たちが互いに恐れ合い、不信感のうちに異質な相手を排除してしまう一番の原因は、相手を知らないことにあります。

自分が安住している社会の安寧を乱す危険な存在として異質な存在を排除しようとする心を落ち着かせる一番の方法は、その異質な存在を異質ではなくすこと。つまり相手を知ることにあります。

このキャンペーンの一番の目標は、優しくすることではなくて、相手を知ることです。ですから、異なる社会で生きる人の体験の分かち合いに耳を傾けることは、このキャンペーンの重要な部分です。その人生の旅路の物語に耳を傾けることで、不信の闇を打ち払うこともできるのではないでしょうか。

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そういうわけでカリタスジャパンでは今回、東アフリカはウガンダから友人を招きました。長年の支援活動で親交のある、カリタスウガンダの責任者、フランシス・ンダミラ師を招きました。彼の体験談に、是非とも耳を傾けていただきたい。(上の写真、中央がンダミラ師。2005年にわたしがウガンダ北部のグルを訪問したときの写真です)

7月6日の夕方には聖心女子大学で、そして7月7日には午前中から関口教会で、ンダミラ師のお話を聞く機会があります。わたしも導入のお話をいたします。また7月7日は、午後3時からわたしが司式して国際ミサが予定されています。東京カテドラルです。是非ご参加ください。

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2018年7月 3日 (火)

7月8月の主な予定

あっという間に関東の梅雨は明け、真夏のような7月が始まっています。7月と8月の主な予定を記しておきます。

  • 7月4日 ペトロの家司祭ミーティング (朝)
  • 7月5日 常任司教委員会 (10時、潮見)
  • 7月5日と6日 神学院常任司教委員会 (東京キャンパス)
  • 7月6日 カリタスウガンダ講演会 (聖心女子大学)
  • 7月7日 排除ゼロキャンペーン・アクションデー (午前中、関口教会)
  • 7月7日 国際ミサ (キャンペーン行事) (15時、東京カテドラル)
  • 7月8日 下井草教会堅信式 (9時半、ミサ)
  • 7月9日~13日 司教総会 (潮見)
  • 7月14日 FABC/OHD (アジア司教協議会連盟人間開発局)会議 (全日、マニラ)
  • 7月16日 大阪教区司教叙階式 (11時、玉造教会)
  • 7月17日 新潟教区顧問会など (全日、新潟)
  • 7月18日・19日 東京教会管区会議 (札幌教区)
  • 7月21日 宣教司牧評議会 (14時半)、永代働く人の家 (夕方)
  • 7月23日 HIV/AIDSデスク会議 (13時、潮見)
  • 7月24日 ペトロの家運営会議 (14時)
  • 7月25日 マリアの宣教者フランシスコ会瀬田修道院 (午後)
  • 7月26日・27日 聖体奉仕会 (秋田)
  • 7月29日 豊四季教会英語ミサ (14時)
  • 8月3日 日本カトリック医療施設協会全国大会 (都内)
  • 8月11日 平和旬間行事、平和祈願ミサ (14時、イグナチオ、18時、東京カテドラル)
  • 8月12日 平和旬間行事、ミサ・講演 (10時、上野教会、18時半、立川教会ミサのみ)
  • 8月15日 聖母被昇天祭
  • 8月17日 新潟教区保育者研修会 (新潟)
  • 8月19日 宮古教会ミサ (岩手県宮古)
  • 8月21日 EWTNインタビュー収録 (午前中)
  • 8月22日 生涯養成委員会 (夕方)
  • 8月24日 仙台教区サポート会議 (10時、仙台)
  • 8月25日 神言会宣教事務局講演会 (13時半、吉祥寺教会、16時ミサ)
  • 8月27日 カリタスジャパン事務局会議 (9時半、潮見)
  • 8月28日 カリタスジャパン会議 (午前午後、潮見)
  • 8月29~31日 教区神学生合宿

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ローマにて

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先週は、月曜日の司祭金銀祝のお祝いの翌日火曜日、朝からカリタスジャパンの委員会といつもの血圧の医者通いを済ませてから成田へ移動して、ローマへ飛びました。

6月28日の午後4時から、聖ペトロ大聖堂において、大阪教区の前田大司教様をはじめ14名の枢機卿親任のための枢機卿会が開催されたことと、その翌日29日の午前9時半から、大聖堂前の聖ペトロ広場で聖ペトロとパウロの祝日のミサが教皇様司式で行われ、それに共同司式で参加するためでありました。

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共同司式に参加したのは、このミサの中で、この一年間に新たに任命された管区大司教(メトロポリタン大司教)に授与されるパリウムが祝福され、手渡されることになっていたからです。(上の写真、教皇様から受け取っているのが私です。私の後ろ、ひとりおいた次がパリの大司教)

私を含めて30名の大司教が、今年のミサの中で祝福されるパリウムを授けられることになっており、そのうちの28名がミサに参加しました。ミサの模様は、中央協議会のこのリンクのページにビデオがあります.パリウムの授与は一番最後の方です。

ちなみにパリウムは、肩掛けのような形状で、司牧の権威と使命の象徴として、教皇と管区大司教が着用します。白い羊毛で編まれた丸い帯状の布で、黒い十字架の刺しゅうがついています。「よい牧者は、失った羊を見つけると、これを肩に乗せる」ということを象徴的に示しています。

2015年に前田大司教様が授与されたときの式次第の記載によれば、「このパリウムは4世紀ごろから司教の祭服として用いられており、ミトラ(司教のかぶる帽子)やバクルス(司教の持つ杖)よりも古い起源を持つものです。管区大司教は、教会法に基づく任命を受けてから3ヶ月以内に、ローマ教皇に対してパリウムを授与して下さるよう申請することが決められています。パリウムをローマ教皇から受けることによって、管区大司教は、ローマとの交わりの中で、自らの管区における法的な権限を与えられていることを示します」とのことです。

以前は聖ペトロとパウロの祝日に、教皇様から直接授与されていましたが、数年前から、このミサの中では祝福のみが行われ、教皇様からは箱に入れたパリウムを受け取り、後日それぞれの教区において、教皇大使から授与される形式に変更となりました。ですから今回も箱に入ったパリウムをいただき、後日、今の予定では9月初めに、カテドラルで授与のミサを行う予定です。詳細は後日またお知らせします。

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今回パリウムを受け取った28名の中には、先日私の着座式に来られたガーナのバックル大司教(アクラ大司教区からケープコースト大司教区に転任、上の写真。聖ペトロ大聖堂内で)、ラテンアメリカカリタスの総裁で、ベネズエラのホセ・ルイス・アズアヘ大司教など、以前から知り合いもおられました。

29日のミサは、入祭直後、最初にパリウムを受ける大司教が教皇様の前に整列して、誓約の言葉を読み、ミサの最後に一人ひとりが教皇様の前に進み出て、箱に入ったパリウムをいただきました。前日午後に枢機卿に親任され他14名をはじめ、枢機卿団も共同司式。祭壇を挟んで向かって右の私たちプラス外交団と、向かって左の枢機卿団にはテントがあり、厳しい日差しを避けることができましたが、それ以外の共同司式の大司教や司教さんたちは、直射日光の中、厚めの赤い祭服を着て大変だったと思います。

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また祭壇後ろ右手には、聖体拝領を担当した司祭団が控え、こちらも直射日光の中、信仰宣言を唱えるあたりからそれぞれがチボリウムを持ち、祭壇の左右に整列して、これまた暑さで大変だったと思います。この聖体拝領の係の司祭団には、神言会の副総会長キサラ神父、総本部の成井神父、日本管区長のジェブーラ神父も参加。(上の写真で、私が手にしているのが、パリウムの入った箱.一番右端は、神言会の本部総会計。)

中央協議会のホームページには、「バチカン放送によりますと、説教で、ペトロの信仰告白の場面について語る教皇は、「ペトロのように、教会もまた、宣教のつまずきとなる悪のささやきに、常にさらされている」と述べ、「キリスト者でありながらも、主の傷と適度な距離を保とうとする誘惑」に注意を促し、「人間の苦しみに触れるイエスは、わたしたちにご自身とともに隣人の苦しみに触れるようにと招いておられる」と呼びかけました」。

説教後、信仰宣言が歌われ、その後の共同祈願では、一番最後に日本語の祈りが聖ペトロ広場に響き渡りました。日本人のシスターが祈りを唱えられました。

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前日午後の枢機卿会は、大勢の枢機卿さんたちが勢揃いして、あの深紅のスータンですから、壮観でした。参加する司教や大司教、そして枢機卿にも服装の指示が事前にあり、私はアビトコラーレと呼ばれる、いわゆる赤というか紫のスータンで、また新しい枢機卿たちは、大聖堂に来るとき指輪はつけず、スケットもつけないでと。もちろん教皇様から指輪とビレッタ(深紅の帽子)をいただくからです。

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枢機卿会終了後、新しい枢機卿様たちは教皇様に連れられて聖ペトロ大聖堂裏手に住まわれているベネディクト16世名誉教皇を訪問されたそうです。その後、パウロ6世謁見ホールに場所を移し、それぞれの新しい枢機卿がスタンドを設け、そこで一般の方々からの祝福の挨拶を受けられました。また前駐日バチカン大使であったボッターリ大司教もお祝いに駆けつけてくださいました。(写真上:パウロ6世謁見ホールでの前田枢機卿と、アベイヤ被選司教。中央後ろ姿は私で、話しているのはバングラデシュのパトリック・デロザリオ枢機卿様)

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なお日本からも参加された方々がおられましたし、ローマ在住の日本人の信徒や修道者の方々も大勢参加されました。真夏のような暑さのローマで、皆さんご苦労様でした。29日の午後には、駐バチカン日本大使のご厚意で、大使公邸を会場に大阪教区主催の感謝レセプションも開かれ、各国の外交官やバチカン関係者など、多くの方が参加し、前田枢機卿様のこれからの活躍の上に、神様の祝福を皆で祈りました。(上の写真は、ミサに出かける前に、神言会総本部で、キサラ副総会長と)

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2018年6月25日 (月)

イグナチオ教会で堅信式、そしてペトロ・パウロのお祝い

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洗礼者ヨハネの誕生を祝う昨日の日曜日、午後3時半から、麹町の聖イグナチオ教会で、堅信式が行われました。あの広い聖堂はいっぱいでした。

堅信を受けられたのは、なんと137名。137名ですよ、皆さん。と、ジャパネットの前社長なみの声で叫びたくなりますが、137名です。東京に来てから、あまりの違いに驚くばかりですが、先日の合同堅信式で200名を超えていたのも驚きましたが、今回は、単独の小教区で137名です。

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堅信を受けられたのは、小学生から80歳の方まで。様々な方がおられました。皆さん、おめでとうございます。

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祭壇の横には、イグナチオの伝統だと言うことで、聖霊の七つの賜物を記したロウソクがともされ、堅信を受けた後に、このロウソクからとられた火を、受堅者一人ひとりがロウソクに受け取り、平和の挨拶を交わしました。

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ミサ後には、ホールで祝賀会。これだけの人数ですから、ホールもいっぱい。これからも小教区共同体とのつながりの中で、ともにふさわしく生きる道を探して参りましょう。私たちが告げるのは、自分が好きなことや気に入っていることや、自分の勝手な解釈ではありません。神ご自身が望まれていることを告げるのです。そして神の意思は、共同体における祈りの識別のうちに示されるものだと思います。そして神が望まれることは、往々にして、人間の社会常識からはかけ離れた神の常識であることが多いのです。

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さて6月25日の月曜日は、月末の月曜日ですから、司祭の月の集まりの日です。毎年6月のこの日は、ペトロ・パウロのお祝いのミサを捧げ、その中で、金祝や銀祝を迎えた司祭のお祝いもいたします。

今日11時のミサには教皇大使も参加され、寺西神父様ほか叙階60年のダイアモンド3名をはじめ、金銀祝の司祭が参加。そのほか大勢の教区司祭や修道会司祭が共同司式に参加してくださいました。また先日、補佐司教職からの引退が認められた幸田司教も参加し、最後に特に司祭団にお礼の挨拶をされました。

なお手元のリストによれば、本日参加されなかった方々も含めて、東京教区で働く教区と修道会司祭の中に、ダイアモンドが5名、金祝が8名、銀祝が8名おられます。神父様方、おめでとうございます。

以下本日のミサの説教原稿です。

「それでは、あなたがたは私を何者だというのか」
主イエスの弟子たちに対するこの問いかけは、二十一世紀の現実の中で、イエスの福音を告げしらせようとする私たち一人ひとりへの、現代的な問いかけでもあります。

いま私たちは情報の波に翻弄されて生きております。インターネットの普及によって、十数年前には考えられなかった簡便さで、様々な情報を手に入れることが可能になりました。どこかで事件が起これば、あっという間にその内容が、インターネット上にはあふれかえります。全く便利な社会になったものだと思います。

そのインターネットを見ていたら、こんな意味のことが書いてありました。
今や高度情報化社会である。高度情報化社会とは、結局、手にした情報をいかに捨てるかが最大の課題だ。そのためには、ますますもって考え、論理的に思考するすべを身につけなくてはならない。

これでは便利で簡単になったのか、はたまた面倒なことになったのか、よくわかりません。確かに近頃は、フェイクニュースなどとまで言って、流れている情報が真実なのか嘘なのか、それすら素人には判然とせず、時には、全くの嘘によって、とんでもない風評被害にさらされる人まで出現する始末であります。簡単で便利になったようで、その実、以前とは異なる意味で、面倒な世界にわたしたちは生きているのかも知れません。

高度情報化社会とは、以前よりもたくさんものが分かる社会ではなくて、情報の量があまりにも多すぎて、その中から取捨選択をしなければならない世界です。逆にいえば、そういった取捨選択を面倒だと怠るのであれば、他人から与えられた情報の中に身を任せて満足してしまうこともできる社会でもあります。でもそれでは簡単に偽物の情報に踊らされてしまう可能性すらあります。とんでもない情報に簡単にコントロールされてしまう可能性すらあります。

そんな真偽の確実ではない情報に翻弄されている姿は、言ってしまえば、井戸端会議の「うわさ」に基づいて生きている社会と変わらないのではないかとも思います。

時に「うわさ」は、無責任にも「不幸な誰か」、自分とは異なる「不健全な誰か」を作りあげ、自分はそれとは違う、自分の方がまだましだと、つかの間の心の安定をもたらす効果も生み出します。

「うわさ」は自分の心の安定のために誰かを犠牲にする。「うわさ」は基本的に、社会にあって差別の構造を生み出す道具だと思います。大量に流される様々な情報にあっという間に取り込まれていく私たちは、いま簡単に差別を生み出す社会に生きています。

「うわさ」が生み出す漠然とした恐怖感は、人間を疑心暗鬼の暗闇におとしいれます。疑心暗鬼の暗闇に彷徨うとき、不安な心は行く先を照らしてくれる光を待っているのです。そこに一筋の光が差し込みます。「あいつが悪いやつだ。悪人だ」などと指摘する「うわさ」話であります。

漠然とした恐怖感は、何かはっきりと実態がつかめない感情で、だからこそ足元がしっかりとしていないように、不安感が増幅するのです。そのもやもやした恐怖感に目で見える形をしっかりと与え、その不安を現実のものとして肯定してくれるのが、うわさ話であります。

イエスの弟子たちへの問いかけに、弟子たちは口々に、聞いてきた話を伝えます。あちらではこう言っていた、こちらではこう言っている。それは結局、彼らが耳にしてきた噂話でしかありません。それに対してイエスは、「よしわかった。そんなうわさはどうでも良い。私が知りたいのは、結局あなた自身がどう判断しているかなのだ」

他人の言うことに惑わされないで、自分の頭でものを考えなさい。うわさに翻弄されずに、はっきりと自己決断をすること求めているのです。自己決断ができない社会は差別を生み出す社会です。自己決断を回避して、みんなと一緒になどとばかり言ってる社会は、差別を生み出す社会です。私たちはそんな社会の中で、自ら判断し決断するようにというイエスの言葉を伝えようとしています。まやかしの光に導かれ、疑心暗鬼の暗闇の中にさまよう人々に、本当の光であるイエスの言葉を伝えようとしています。

「誰かがこう言ったからではなく、みんながそう言うからではなく、あなた自身はどう言うのか。」イエスのこの問いかけこそが、暗闇に射し込む本物の光です。疑心暗鬼の暗闇に彷徨う心に本当に必要な一筋の光は、まさしく漠然とした霧のような不安感を打ち払う光であって、決してそれを肯定してしまう偽物の光ではありません。

でも、そんな光は、歓迎される光であるとは限りません。時として暗闇の中にさまよい続ける夢を打ち壊し、現実の苦しい決断へと人を招くこともあるからです。勇気を持って暗闇から出る一歩の行動を求めることもあるからです。でもわたしたちは、そんな苦しい自己決断と行動の先にこそ、本当のいやしと慰めがあるのだとも信じています。

しっかりと自分自身の信仰を証しして生き、うわさに惑わされない本物の情報である神の言葉を勇気を持って掲げ続けましょう。

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2018年6月23日 (土)

お知らせ

教皇フランシスコは、本日6月23日の正午(日本時間同日午後7時)、東京教区の補佐司教であるヤコブ幸田和生司教様から提出されていた辞任願いを受理され、幸田司教様を東京教区の「補佐司教職」から解かれました。

幸田司教様は、2005年2月19日に司教叙階を受けられてから13年、岡田大司教様とともに、東京教区の司牧と運営のために力を尽くしてこられました。幸田司教様のこれまでの補佐司教としてのお働きに心から感謝いたします。

これに伴っていくつかの点を記しておきたいと思います。

第一に、司教職は司祭職と同様に叙階の秘跡によっていますので、就任したり辞任したりする役務ではありません。今回の教皇様による辞表の受理は、司教をやめることではなく、東京教区の「補佐司教職」からの辞任です。

第二に、従って幸田司教様は、これからも東京教区司祭団の一員である「司教」として働かれます。今後は「補佐司教」ではありませんが、これまで通り「司教」であることに変わりはありません。すでに今年度の教区人事で発表したとおり、東日本大震災の復興支援に専従するため、当分の間は主に仙台教区でお働きになられます。

第三に、「補佐司教職」は、教区司教の辞任にともなって消滅する役職ではありません。幸田司教様にあっては、ご自分が司祭として、また司教として果たすべき奉仕の役割を、私が着座する以前から、この数年にわたって祈りのうちに熟慮され、とりわけ東日本大震災後の福島における復興支援に関わる中で、最も必要とされているところで奉仕するという道を選択した結果、補佐司教職からの辞任願いであったと伺っています。従って、召命や、信仰や、倫理的な問題の結果としての辞任ではないことを明言しておきます。

心に苦しみや悲しみを抱えている人たちへの共感力を豊かにもたれている幸田司教様にあっては、これからも東京教区司祭団の一員として、東京教区と日本の教会のために、ともに力を尽くしてくださることを期待しています。幸田司教様のために、また私も含め、日本の司教団のために、みなさまのお祈りをお願いいたします。

2018年6月23日午後7時

カトリック東京教区 大司教

菊地功

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川原謙三師葬儀ミサ説教

去る5月31日に97歳で帰天された、東京教区司祭レオ川原謙三神父の葬儀ミサは、6月8日に東京カテドラルで行われました。以下当日の説教の原稿です。

なお川原神父様は生前、献体をご希望されましたので、納骨などは後日また執り行います。

川原謙三神父様は、5月31日、97年の人生に幕を下ろされました。私が東京の大司教として着座をしてまだ半年しか経過していませんが、その間に、立て続けに3名もの大先輩司祭を東京教区は失いました。司祭とは就職した職業の名前ではなく、一人の人の生き方そのものの名前です。高齢になって健康が許さなくなり、役職としての主任司祭や協力司祭から退いたとしても、また仮に立ち上がることができなくなって寝たきりになったとしても、司祭はそのいのちが終わる瞬間まで、司祭としての人生を歩み続けるのですし、その召命は永遠の召命です。その意味で、川原神父様も、引退され、また最後は寝たきりになられましたが、その人生の最後の日まで、司祭として生き抜かれたのだと思います。神父様の人生をかけた司祭としての歩みに、心から感謝したいと思います。

さて川原神父様は、10年ほど前に、自叙伝を著しておいででした。神父様が亡くなられてすぐ、その自叙伝を手にすることができましたので、少し読んでみました。そこには、神からの召命が、いかに私たち自身が気がつかないところで静かに準備されているのかが、神父様の体験を通じて記されていました。

ご自分が戦後に洗礼を受け、司祭への道を歩んだことを振り返り、神父様は自叙伝にこのように記されています。

「実は私がこうした信仰を持ち、このような仕事をするようにと、神は私が幼少の頃から計画され着々と手を打って来られたのではないか・・・。そんなことは君の思い込みに過ぎないと言われれば一言も反論できないことだが、自分の一生を振り返って自分の人生の意味を知ろうとし始めてから、この考えが少しずつ頭をもたげてきて、今は確信といえるまでになった・・・。」

神父様は、神からの召命への選択は、私たち人間の側に主導権があるのではなく、それを準備してくださる神の側にあるのだと、また、私たちはその道がいかに無駄な回り道のように見えたとしても、そこには神の配慮があるのだと信じて、準備された道をあらがうことなく進むことで、召命に応えていくことができると書かれています。

ご存じのように川原神父様は、陸軍士官学校に入られ、陸軍軍人としての人生を歩んでおられました。通信隊の士官として中国戦線に派遣され、その後、敗色の濃くなっていた時代に、パプアニューギニアのブーゲンビル島に転戦となり、そこで敗戦を迎えたと記されていました。

実は私は数年前に、そのブーゲンビル島に一週間ばかり出かけてきたことがあります。ブーゲンビル島はパプアニューギニアからの独立を訴えて長年の戦いや運動があり、暫定政府が置かれています。暫定政府の大統領は元司祭ですが、その方の知人からの招きで出かけ、地元の司教様のところに泊めていただきました。私にとっては、当時は新潟の司教でしたから、新潟県長岡出身の山本五十六元帥の終焉の地でもあり、また私の祖父が戦争中にいたラバウルもすぐ近くの島にあります。

新潟からの司教が来たと言うことで、撃墜された山本五十六元帥搭乗機の残骸が残されている森の中まで案内していただき、そこで一緒に来られた方々や地元の方々とともに、平和のために祈りを捧げることができました。その撃墜現場までは、車を降りて片道6キロのジャングルの中を歩いて行かなくてはなりません。暑いです。蒸しています。幾たびも水路を渡らなくてはなりません。その前の日には、旧日本陸軍の要塞の跡も訪ねました。これまた片道4キロほどのジャングルの中をかき分けながら歩いてやっと到達した先に、すさまじいほどの大きさと分厚さのコンクリートの建物が残っていました。そのジャングルの中を、たった二日間歩いただけですが、歩きながら、こんな環境の中で、どうやって兵隊たちは生き延びたのだろうと考えさせられました。栄養補給もままならず、マラリニアにもかかる中で体力を消耗しながら、どうやって生き延びることができたのだろう。あまりに過酷な環境です。川原神父様の自伝にも、そのあたりの情景が、短いけれど記されていました。多くの人が命を落としていった情景が記されていました。中でも悲しく読んだのは、誰一人付きそうものもなく、負傷し体力を失い、一人で後方に引き上げていく兵隊が、道半ばで倒れ戦死していく姿であります。

今現在もそうなのですが、川原神父様が派遣された当時も、ブーゲンビル島はクリスチャンの島であります。神父様が特に記されていたのは、南方のこの島で、人々が村の中心に聖堂を築き、それを大切にし祈りのために集まってくる、その熱心な祈りの姿に感銘を受けたことでした。ほかの箇所には、そのときに耳にした美しい聖歌の響きに、心から驚いたことが記されていました。

美しい歌声は今でも変わりません。ミサに集まった聖堂一杯の人々が、素晴らしいハーモニーで聞かせる歌声は、本当に神からの恵みだと思わせるものがあります。

過酷な環境の中で多くの人が命を落としていった戦争の最中にも、神は召命への道を用意していたのだと、川原神父様は自叙伝に記されています。この過酷な環境の中で出会った祈る人々の姿と美しい歌声が、川原神父様の心にキリスト教へのあこがれの基礎としてしかっりと刻み込まれたのだと言います。

戦後に復員してからは、日雇いの仕事に出かけ、その中で銀座での靴磨きの職を得られます。そこで、かつて銀座の三越の七階にあった銀座教会の信徒の方々との出会いが、神父様の受洗と、その後の司祭への召命につながりますが、そういった靴磨きに始まる一連の出来事も、神父様に言わせると、ご自分の召命のために神さまが準備してくれた道であると言います。

私たち一人一人にも、神からの呼びかけ、召命があります。そもそも神様は、一つ一つのいのちを無為に想像されたのではなく、大切ないのちとして一つ一つに賜物を与え使命を与えられています。その使命に応えて生きることが召命に生きることであり、それはある人にとっては司祭や修道者になることです。しかしそれは司祭や修道者に留まるのではなく、様々な形で、私たちには使命を生きる道が与えれています。

そしてその召命への道は、神によって準備されている。何度も何度も、私たちの人生の中の出来事によって、神は道を示されています。ですから問題なのは、私たちがそれに気がつくのかどうかであります。示された道に身をゆだねる勇気があるかどうかであります。

一人の司祭を御父の元へお返しするとき、私たちはその後を誰が引き継ぐのかを真摯に考えなくてはなりません。川原神父様を見送り、その永遠の安息を祈りながら、神父様が人生を通じて示された福音の証しに倣い、私たちも神に与えられた使命を見いだす努力と、またその道に身をゆだねる勇気を持つことができるように、ともに祈りましょう。

数年前にブーゲンビル島に出かけた折に撮影した写真です。

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