2017年6月26日 (月)

秋田地区信徒の集い@土崎教会

第27回目となる、新潟教区の秋田地区信徒の集いが、昨日、6月25日の日曜日、午前11時から午後3時まで、秋田市内の土崎教会を会場に開催されました。秋田地区には、北から、鹿角、大館、能代、秋田、土崎、本荘、横手の小教区がありますが、そこから170名の信徒の方が参加されました。

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秋田地区は全体が神言会に宣教司牧が委託された地区となっていますが、その神言会の司祭団も参加。教区の中で、常に一番若い司祭が働いているのも、この秋田地区の特徴です。

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今回の会場は、先日竣工式を迎えたばかりの、こども園の新しい園舎二階ホール。これまでの幼稚園は、聖堂や司祭館と同じ敷地内にありましたが、こども園の新園舎は隣接する用地に新築され、これまでの園舎の大半はすでに解体されていました。

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今回の信徒の集いは、小共同体の育成をテーマに、これまで長年にわたって長崎教区で小共同体作りに取り組んでこられた信徒の長野宏樹さんを講師として招きました。長野さんは長年、長崎教区の事務局で信徒養成を担当して働かれ、現在は26聖人記念館の副館長を務めておられます。これまた神言会が担当する長崎市内の西町教会の信徒の方です。わたし自身も司教になる前、名古屋教区で7年ばかり、信徒養成委員会のメンバーとして小共同体の育成についての出前研修などを行ってきたこともあり、またその後も、長野さんからいろいろと資料をいただいたりしていたこともあって、興味深くお話を伺いました。

長野さん自身も言われたように、小教区は様々な役割を担った多くの小共同体が集まって一つの共同体を生み出しているのが理想的であり、またその小共同体は、単に機能を果たす集まりではなく、御言葉を中心にした分かち合いの共同体でもあることが理想です。しかし同時に、それはどこでも簡単に実現できるものでもなく、さらには一朝一夕で実現できるものでもありません。長野さんは講話の中で、実現には40年はかかるといわれましたが、私もそう思います。

長野さんが紹介くださった手法は、FABC(アジア司教協議会連盟)の信徒局に所属するAsIPA(Asian Integral Pastoral Approach)デスクが長年にわたって導入を進めてきた教会共同体育成の手法で、基本的には南アフリカにあるルムコ研究所がアフリカ全土で導入を進めてきた共同体育成の手法をアジア的に手直ししたものです。

ちなみにこのルムコ研究所の現在の所長はガーナ人の神言会員ですが、わたしもガーナで働いていた当時、ルムコの方法を取り入れて、小共同体育成を試みては挫折を繰り返しました。

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小共同体育成の基本は、御言葉の分かち合いによる定期的な小共同体の集いにあります。まずもってこの、御言葉の分かち合いがなかなか定着しません。今回も長野さんのお話で紹介されていましたが、いわゆる「セブンステップ(七つの段階)」という方法があり、これは挑戦してみられてはいかがでしょう。長野さんが紹介されたものはもっと具体的な集まりの進め方でしたが、セブンステップについてはこちらに一度書いたことがあります。参照ください。

信徒数が極端に少ない地域や、家族の中に信徒がおひとりだけであるような場合には、小共同体育成で理想とする、平日の夜などに地区ごとに定期的に集まって、小共同体の御言葉の分かち合いをすることは限界があります。ですから、日本の現実に合わせて、他の道を考えなければ難しいと私は考えています。ただ、御言葉の分かち合いそれ自体を行うことには意味がありますから、その専門家でもある神言会(神の御言葉の修道会)の会員には、率先していただければと期待しています。

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昼食後、ミサの前に、土崎教会の聖歌隊の皆さんによる、歌劇(?)の披露が。この土崎教会聖歌隊は、なんというか、特別なタレントが集まったグループだと、いつも感心させられますが、今回も、武士たちの生きる道が神への道ではなかったかというテーマの、素晴らしい歌でした。衣装も、なかなか・・・。

最後にわたしが司式してミサで終わりとなりました。秋田地区の皆さん、土崎教会のみなさん、ご苦労様でした。

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2017年6月19日 (月)

ウランバートルの街で見た日本

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先日のカリタスモンゴルの支援団体会議で、久しぶりに訪れたウランバートル。前回、2003年に初めて訪れたときの報告を以前からホームページに掲載していましたので、興味のある方はこちらのリンクからどうぞお読みください。(2003年報告・その12003年報告・その2

14年前と比べてもすっかり発展したウランバートルの街で、日本のあるものをたくさん見ました。

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まず、街の至る所で、道路を見ると必ず走っているトヨタの「プリウス」。時には何台も連なって道路を走っているくらい、すさまじい台数です。街の至る所には車の修理工場が見られましたが、そのうちの何カ所かが「プリウス」の名前を掲げていました。そのほとんどが、日本からの中古車のようで、車は右側通行ですが、運転台は日本と同じ。世界の至る所でプリウスを見るようになりましたし、ローマでさえもプリウスのタクシーが走っていたりするほどですが、しかし、ウランバートルほどたくさん走っている街は見たことがありません。上の写真は、たまたま乗っていた車の中から撮影したものですが、プリウスの向こうに、自動車屋さんの看板が見えます。そこにはランドクルーザーが描かれていますが、昔のモンゴルで日本車といえばランドクルーザーでした。もちろん今でもランドクルーザーはたくさん走っていますが、それをしのぐ勢いで増えたのが、プリウス。

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そして、ラーメン屋さん。今回の滞在中、カリタスモンゴルの方に連れられて、二回ほどラーメン屋さんに行きました。みんなしゃれた感じの店ですが、完全に日本のラーメン屋。写真の店などは、入ると店員さんが一斉に日本語で、「いらっしゃいませ」と挨拶してくれます。豚骨ラーメンをいただきましたが、日本の味でした。結構、お客さんがたくさん入っており、日本のラーメンは人気のようです。ちなみに、先日会議で訪れたローマにも、神言会の総本部近くに、本格的な日本のラーメン屋さんがあり、そこも大人気でした。

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そして、2003年の訪問当時の写真を数枚。そのときは大草原の中に点在する井戸施設を泊まりがけで視察に出かけました。

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新潟教区司祭の集い@胎内

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スケジュールが立て込んだため、記録しておくのを失念していました。今更ながらですが、新潟教区の司祭の集いが、6月5日から7日まで、新潟県の胎内市で開催され、秋田県、山形県、新潟県で働く司祭団のうち、25名が参加しました。毎年開催されているこの集いは、新潟教区で働く教区司祭団と修道会司祭団のすべてが対象で、一緒に三日間を過ごしながら、祈り、学び、そして情報交換(分かち合い)をする場となっています。

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今年は修道会の行事日程の都合から、残念なことにフランシスコ会とイエズスマリアの御心会の会員が参加できませんでしたが、若い会員も多い神言会員と教区司祭の交流の場となりました。

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今年は講師として、批評家であり随筆家としても著書を多数出版されている若松栄輔さんにおいでいただき、二日間お話をうかがいました。1968年生まれの若松さんは、2007年に「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選をされていますが、数ある著書の中には、2015年の「イエス伝」もあります。新潟県の糸魚川出身で、信徒の方です。今回は、主に「文学としてのイエス伝」という題でお話をいただきました。感謝します。

さて、6月4日の聖霊降臨の主日には新潟教会でミサを司式しましたが、その説教を、遅くなりましたが、以下に掲載しておきます。

先日、この聖堂で、ハンドベルのコンサートがありました。新潟清心女子中学高校のハンドベル部がその創部25周年を記念して、チャリティーコンサートを開催してくださいました。中学生が8名、高校生が18名の22名で、様々なサイズのハンドベルを巧みに操って、素晴らしい音色を奏でてくださいました。

祈りは、心の内における神との対話であり、心を落ち着けて、沈黙のうちに、神の声に耳を傾けようとする姿勢でもあります。こういった祈りを助けるために、音楽が果たす役割には大きなものがあります。

教会における音楽と言えば、パイプオルガンが一番良く知られています。天に向かってわたしたちの心を持ち上げる力強さがパイプオルガンにはありますが、同時にわたしたちの心には神の声に耳を傾ける静けさも必要です。優しい音色のハンドベルが奏でる音楽は、心の静けさを与えてくれる存在だと感じました。

そのハンドベルですが、演奏するためには、ベルの数に応じてかなりの人数が必要です。それがこの楽器の特徴であり、他の楽器との大きな違いともなっています。すなわち、ハンドベルは、まさしくベルですから、一つの楽器は一つの音しか出すことが出来ない。だからたくさんの音を出そうと思えばたくさんのベルが必要で、そのためにはたくさんの人間が必要ということになります。

他の楽器であれば、例えばトランペットやバイオリンなどオーケストラやブラスバンドで活躍する多くの楽器は、一つの楽器が様々な音階を奏でることが出来ます。ところがベルは、一つの音程しか出せないのですから、それだけを鳴らしても、残念ながらメロディーを奏でることは出来ない。たった一つのハンドベルだけでの、ソロコンサートは成立しないけれど、たった一本のバイオリンでソロコンサートは可能です。

ハンドベルは、流れるメロディーのどこかの一部分を響かせることしか出来ないので、自分のベルに与えられた音程がメロディーの一部として来た瞬間のみに、音を奏でることが出来る存在です。

それでは、たった一つの音だから、鳴らさなくても影響はないのかというと、もちろんそんなことはなく、そのたった一つの音がなければ、全体の音楽は生み出されない。なくてはならない一つの音であるにもかかわらず、その一つのベルだけで注目を浴びることはない。一つ一つのベルが全体の部分としての役割を忠実に果たしているときに、はじめて音楽が生み出されるのです。そしてその役割を果たすためには、一緒に演奏している他の人たちの音に耳を傾けていなければ、ふさわしいときに音を発することは出来ません。

「体は一つでも、多くの部分からなり、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である」
先ほど朗読されたパウロのコリント人への手紙に、そのように記されていました。

わたしたちはキリストを中心にして一つの体を形作っているというのは、わたしたちの信仰における共通理解であるといっても良いかと思います。その中でわたしたちは聖霊によってそれぞれが恵みを与えられている。その恵みをカリスマと呼んでいます。わたしたちは、それぞれが与えられたカリスマにしたがって役割を果たすことによって、一つの体をともに作り上げているのだとも理解しています。

一人ひとりに与えられた役割を果たすわたしたちは、ちょうどオーケストラの一つ一つの楽器のような存在です。そこでは、わたしたちはソロを奏でる楽器になることもできるでしょうが、同時にハンドベルのような存在となる可能性も存在しています。わたしは、キリストを中心とした一つの体を作り上げるには、実はソロの楽器よりも、ハンドベルのような生き方こそが重要であると考えています。

多くの楽器とともに合奏をしているときに、自分に与えられた才能に酔いしれて、自分の演奏するべきパートをまるでソロコンサートのように奏でてしまっては、音楽は成り立ちません。互いに耳を傾けあい、全体の中での自分の役割をしっかりと把握しなければ、ワンマンショーは全体を破壊します。特別な才能がある人ほど、この誘惑を強く受けてしまうのではないでしょうか。

本当に必要なことは、たった一つの音しか鳴らすことの出来ないハンドベルであっても、しっかりと周りに音に耳を傾け、自分の順番が来たときに的確に音を鳴らすこと。その小さな一つの音が、全体にとって重要であると自覚をすること。すなわち、自らの役割への忠実さと全体に対する謙遜です。そしてその役割が、人間の目からはどれほど小さなものに見えたとしても、一つのベルの音がなければ音楽全体が成り立たないように、神の前では、この小さな一つの音を鳴らすことが、全体を成り立たせるために不可欠な部分なのです。どんな小さな貢献でも、一つとして不必要な貢献はない。すべての小さな忠実さがあって初めて、キリストを中心とした体は、できあがるのです。

わたしたちキリスト者の中には、豊かな才能が与えられて、雄弁に福音を語ることが出来たり、何か特別なわざに召されている者もいます。でもそういう人は多くはない。そうした才能には恵まれていないと感じている人も少なくはないでしょう。でも復活されたイエスは、従うすべての人に向かって、「父が私をお遣わしになったように、わたしもあなた方を遣わす」と命じられるのです。わたしたちには、福音を告げ知らせるわざに励むことが、大きな体を作り上げるための責務として与えられているのです。ハンドベルのような生き方が、だからこそ必要なのです。

わたしたちの信仰は、共同体で生きる信仰だといいます。それは個人的な信心がいらないということではありません。日曜日にミサに来る共同体に属するときだけ、信仰に生きているのではありません。わたしたちの毎日の信仰に対する忠実さ。それは私個人のためなのではなくて、体全体のための貢献です。キリストを中心とした体を作り上げるためには、たった一つのベルの音のような、一人一人の小さな貢献の積み重ねが必要です。そしてそれは一人一人の信仰における忠実さ、そしてその忠実さは自分のためではなく、共同体全体のためなのだという謙遜さ。信仰における忠実な生き方と謙遜。それを自覚したときに初めて、わたしたちは一緒になって、キリストの体を作り上げていくことが可能になります。 

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2017年6月15日 (木)

カリタスアジアの年次総会@バンコク

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さて、半日遅れでソウルからバンコクに到着。今年のカリタスアジアの年次総会に、やっと参加できました。

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年次総会は、まず二日間のパートナーズフォーラムで始まります。カリタスアジアの責任者として、冒頭で歓迎のスピーチのはずでしたが、間に合わず、事務局長に代読してもらいました。

パートナーズフォーラムは、アジアのカリタスメンバー24団体と、アジアで一緒に活動したり、プログラムを支援してくれるアジア以外のカリタスのメンバーとの情報交換の場です。今年は、カリタスアジアが昨年一年をかけて作り上げた活動計画(戦略計画)の、各優先事項について、具体的なプログラムを紹介しながら、意見の交換を行いました。

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今回のフォーラムには、90名以上が参加。またラオスや中国本土の教会についての情報交換も行われました。

初日の晩は、タイ駐在のベルギー大使の招待で夕食会に参加。

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二日間のフォーラムを終えて、二日目の晩の夕食会では、国際カリタス事務局長のミシェル・ロワ氏の誕生日を、参加者全員で祝い、一緒にケーキを。

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水曜日は今度はカリタスアジアの年次総会で、これはアジアのカリタスメンバーだけが参加し、活動計画や予算などの承認を行った後、国際カリタスの担当者のリードで、国際カリタス管理基準についてのワークショップ。朝8時半のミサに始まって、夕方7時頃までみっちりと行われ、最後は皆で乾杯をして終わりになりました。

カリタスジャパンからは、秘書の瀬戸神父が参加。本日木曜と明日金曜は米国カリタスとの共催で、リーダ研修が続けて行われています。

わたしはモンゴルからの移動の最中に、ちょっと腰を痛めた模様。そろりそろりと日本へ戻ります。

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2017年6月13日 (火)

大草原を吹き抜ける風@モンゴル

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やはりモンゴルは大草原の国でした。吹き抜ける風を体感する国でした。

先週の木曜日から土曜日まで、カリタスモンゴルが支援団体との会議を主催し、カリタスアジアの責任者として招かれたので、久しぶりにモンゴルの首都、ウランバートルまで出かけてきました。(写真上は郊外の道から遙かに望むウランバートルの街並み)

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わたしは新潟教区の司祭の集いが月曜から水曜まであったので、木曜に出発して、金曜と土曜の二日間、会議に参加しました。14年ぶり、二度目のモンゴルです。前回はまだ司教になる前の年。カリタスジャパンの視察で出かけ、そのときには司教座聖堂はまだ完成前でした。(写真上が司教座聖堂)

14年ぶりのウランバートルは、やはり変化していました。立派なビルが建ち並び、町は大きく発展し、司教座聖堂の周囲も、ビルが建ち並んでいました。14年前は、町外れの感じがした場所でした。モンゴルの草原にある移動式の住居ゲルを模した円形の聖堂には、図書館やクリニックが併設され、カリタスモンゴルの事務局もここに置かれています。

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モンゴルは教会が始まって今年で25年です。日本でも活動するスクート会(オリエンス宗教研究所などを運営する淳心会)の三人の宣教師で始まり、今はそのうちの一人、フィリピン出身のパディラ師が司教になっています。

カリタスモンゴルの責任者は、同じく淳心会員のピエロ師で、コンゴ出身。日本でも活躍していますが、ほかにも多くのコンゴ出身の司祭がモンゴルで働いています。カテドラル隣には、これも最初の頃からあるサレジオ会経営の学校が。韓国からのシスター方もこの国の各地でたくさん活躍されています。(上の写真は司教座聖堂の小聖堂での朝のミサ。司式するわたしに向かって一番右がピエロ師。わたしのすぐ右横がパディラ司教)

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カトリックはまだまだ小さな共同体で、今年初めてのモンゴル出身の司祭が誕生したと聞きました。パートナー会議には、長年にわたって子供たちへのプログラムなどを支援しているカリタスジャパンからも、事務局員が今回の会議に参加しました。カリタスジャパンの取り組みは、カリタスジャパンの報告をご覧ください。

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土曜日は会議が早く終わったので、パディラ司教の好意で運転手さん付きで車を貸していただき、カラオケで大好きな日本の歌を通じて日本語を学んだという、それでいて日本語がぺらぺらの運転手さんの案内で、風が吹き抜ける大草原に建つ巨大なチンギス・カーンの騎馬像を見学に出かけました。モンゴルの大草原は駆け抜ける馬がよく似合う。広々とした空。時間と空間が、日本とは比べものにならないくらい広々として、そしてゆったりと時間が流れる国でした。

日曜日の朝には、今度はカリタスアジアの総会が開かれるバンコクへ行くために、ウランバートルからソウルを経由して、その日のうちにバンコクへ到達するはずでした。ところが、風の影響でウランバートルの空港は閉鎖となり、結局すべての便が12時間近く遅延することに。ウランバートルの空港は、周囲を山に囲まれているため一つの方向にしか飛び立つことができず、風の向きによっては閉鎖になることがしばしばある、とは聞いていましたが、自分が乗るときにそうなるとは想像もしていませんでした。

この日、ウランバートルの空港は、実は日本人であふれかえっておりました。国際青年会議所(JCI)のアジア太平洋の大会がウランバートルで開催され、ちょうどこの日に日本へ帰国する参加者で空港はあふれかえっていました。東京便もありましたが、ソウルや北京や香港を経由して日本に帰る方々も大勢いたようです。すべての便が朝出るはずのところ夕方以降に遅延することになり、乗り継ぎのことなどで空港は大混乱でしたが、なにかこんな大草原の国で、そこら中で日本語が響き渡っているのも、何か奇妙な感じでありました。

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わたしの乗るソウル便も遅れ、しかもソウルからバンコクは全く別のチケットを買っており関連づけもしていなかったので、結局、ソウルに着いてからその後のバンコクへの手配をし直す羽目になりました。ソウル到着は深夜零時過ぎ。それから翌朝一番のタイ航空に乗れるようになるまで、興奮と不安で眠ることもできず、すさまじい一夜を空港で過ごしましたが、まあ、いろいろ手を尽くして、翌朝9時過ぎのタイ航空に乗ることができ、無事、半日遅れでしたが、カリタスアジアの総会に参加かないました。この記事は、そのバンコクで書いております。

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2017年6月 5日 (月)

「天使会」@長岡、そして6月の予定

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先週末の土曜日、長岡市の「ハイブ長岡」で開催された「天使会」に参加してきました。「天使会」とは何とも言えない名称ですが、これは、見附と栃尾と長岡の三つのカトリック幼稚園の職員の交流研修会。見附と栃尾はその名もズバリと「天使幼稚園」で、長岡はかつてあった二園が合併したので「長岡天使・聖母幼稚園」です。すべての園に副園長やチャプレンとして関わる、長岡教会の真壁神父の発案です。

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今回はわたしは、その三つの幼稚園を含め、新潟県内16園を統括する学校法人「聖母学園」の理事長として、一時間ほどお話しさせていただきました。演題は、真壁神父のリクエストで、先般司教団が発表した「いのちへのまなざし」を紹介しながら、カトリックが考える人間の生命のと人間の尊厳についてのお話です。40名を超える先生方が集まっておられましたが、真剣に聞いていただきました。この三園の園長先生は、以前は神父が務めていましたが、現在は一般の先生にその任をお願いしています。すでに聖母学園の多くの幼稚園では、司祭以外の園長が多数となってきています。またそれを支え、カトリックのアイデンティティを保つためにも、昨年度からチャプレン制度を創設し、司祭が宗教教育に関わるように努めております。

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集まった先生方は、まずゲームで親交を深め、その後わたしの話、そして締めくくりは、ハイブ長岡の一階にある自然派バイキングレストランで、貸し切りで昼食会。残念な雨模様で、6月とは思えない肌寒い土曜日でしたが、楽しいひとときを過ごされたようです。

さてその6月の主な予定です。(すでに数日が過ぎたので、本日以降の予定)

  • 6月5日~7日 新潟教区司祭の集い (新潟県内)
  • 6月9日~10日 カリタスモンゴル会議 (モンゴル)
  • 6月12日~15日 カリタスアジア総会 (バンコク)
  • 6月16日 (社福)新潟カリタス会評議員会 (新潟)
  • 6月19日 月曜会ミサ (新潟教会11時)
  • 6月20日 カリタスジャパン会議 (潮見)
  • 6月21日 (社福)ゲマインダハウス評議員会 (名古屋)
  • 6月25日 秋田地区信徒大会 (秋田・土崎教会)
  • 6月28日~29日 神学院常任司教会議 (福岡)
  • 6月30日~7月2日 聖体奉仕会会員の集い (秋田)

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2017年5月29日 (月)

第41回長岡地区信徒大会@妙高教会

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昨日の主の昇天の主日は、長岡地区の信徒大会でした。直江津教会が運営を担当していましたが、会場は妙高教会。120名ほどが参加されました。

長岡地区は、長岡、柏崎、十日町、高田、妙高、直江津、糸魚川の各教会から成り立っています。以前は地区全体がフランシスコ会の担当でしたが、現在は長岡と十日町を教区司祭が担当しています。フランシスコ会は会員の減少もあり、管区全体での会員派遣の見直しなどもあって、現時点では、伊能神父さまが中心となり、時に応じて他の司祭の協力も得ながら高田、直江津、妙高、糸魚川を司牧され、さらに柏崎には90を超えた同会のバッシ神父がお元気でおられます。

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朝方は曇りで肌寒い妙高でしたが、お昼過ぎからは日差しも出て、昼食後に野外で行われた派遣ミサの時には、今度は逆に暑いくらいの陽気となりました。

午前中は私が、「いのちのまなざし」をテーマに、先般司教団があらためて発表した「いのち」に関わるメッセージについて解説をさせていただきました。その後、グループに分かれて分かち合い。このあたりはすべて、妙高教会の山小屋のような聖堂の中で行われました。

昼食は隣りにある教会の山荘で。ここは掛け流しの温泉風呂もあることで有名です。雑魚寝用の部屋がいくつかあります。是非教会関係の行事に活用していただきたいと思います。お問い合わせは高田教会まで。

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昼食後には信徒使徒職協議会の総会を経て、野外ミサで締めくくりました。前晩から、特に青年たちの指導のために、東京から若手のフランシスコ会員も数名応援に駆けつけてくださっておりました。ありがとうございます。

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この地区には柏崎に東京電力の原子力発電所があり、職場や地域の人間関係で、原発の問題は生活に直結しています。そのなかで、司教団が強調する原発の廃止という方向性は、なかなか難しい問題を生起しているのも事実です。ちょうど伊能神父が話してくださっていましたが、それが単なる個人のレベルの対立を生み出すのではなく、その個人レベルの問題と、倫理的方向性とは分けて考えていかなくてはならないと思います。司教団は倫理的判断をしているので、それはどうしても、どちらか一方という極端なものにならざるを得ませんが、それは基本的には方向性を示しているものであって、それに向かって、現実の世界の中で、少しずつ実現する方向へゆっくりと歩みを進めたいと思います。政治や経済に対する宗教者の警告が、一朝一夕であっという間に実現するなどということはあり得ないことは、十分に承知しています。

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準備をしてくださった直江津教会の皆さん、当日だけではなく準備のために何度も直江津から妙高へ通われたと伺いました。ご苦労様でした。

来年の長岡地区信徒大会は、5月27日に、糸魚川教会で開催の予定です。

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2017年5月27日 (土)

新潟清心ハンドベル部25周年コンサート@新潟教会

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新潟清心女子中学・高等学校には、この地域で唯一であるハンドベル部があります。ハンドベルは一人では演奏が出来ませんし、どうしても大人数であり楽器の数もかなりのものですから、簡単にどこかに出向いていって演奏というわけにもいきません。

それでも、活動の場は拡がっていて、市内外の催しに呼ばれたり、福祉施設などを訪問しての演奏を続けています。

今年で創部が25周年。その記念のコンサートが、本日土曜日の午後3時から、新潟教会を会場にして行われました。中学生8名、高校生18名の合計22名の部員です。長年にわたって指導しているのは信徒の藤崎さん。今日のコンサートで高3の7名は部活の卒業だそうです。またこの記念コンサートはチャリティーとして行われ、募金はカリタスジャパンに寄付してくださるとのことでした。

演奏されたのは11曲。前半は「アメージング・グレイス」や「千と千尋の神隠し」の音楽などちょっとポピュラー系で。後半は「惑星」のジュピターや「くるみ割り人形」などクラシック系でも良く知られた曲。最後に、高3の部員に感謝の花束贈呈があってアンコールが、「365日の紙飛行機」

ハンドベルは音色が優しいものの、やはり鐘を撞いて音を出すシステムですから、早い音の動きの曲ではどうしてもスタッカート気味に聞こえ、その分、曲全体が「走っている」ように聞こえてしまうと思います。今日披露された曲にはそういった速い動きがある曲も多数ありましたが、皆よく練習を積んでいるのでしょう。走ることなく落ち着いて聞くことが出来ました。指導されている先生方に感謝。以下、本日のパンフレットに記した私のメッセージを再録。

ハンドベルの響きをもって、多くの方々の心に優しさを届けてくださる新潟清心女子中学・高等学校ハンドベル部の創部25周年、本当におめでとうございます。

この素晴らしい機会に、ハンドベルの音色が新潟教会において響き渡る定期演奏会が開催されるとうかがい、カトリック新潟教区を代表してお祝いと感謝を申し上げます。

教会は神に祈りを捧げる場ではありますが、祈りは単に言葉を羅列させる「おまじない」ではなく、心の内における神との対話であると言われます。また祈りは、心を落ち着けて、沈黙のうちに、神の声に耳を傾けようとする姿勢でもあります。こういった祈りのために、音楽が果たす役割には大きなものがあります。

教会における音楽と言えば、パイプオルガンが一番最初に浮かんでくるのかもしれません。小さいですけれど歴史のあるパイプオルガンが、新潟教会にも備わっています。パイプオルガンは9世紀頃から教会で使われ始め、13世紀頃にはその地位を確立したと言われますが、教会ではパイプオルガンを「心を神と天上のものへ高く掲げる伝統的楽器として大いに尊重されなければならない(典礼憲章)」と定めています。天に向かってわたしたちの心を持ち上げる力強さがパイプオルガンにはありますが、同時にわたしたちの心には神の声に耳を傾ける静けさも必要です。

その意味で、まるで天使が奏でているような優しい音色のハンドベルは、教会の中で奏でられるとき、わたしたちの心に落ち着きを与えてくれる存在であると思います。その音色に包まれながら、わたしたち一人ひとりも、心の優しさを取り戻すことが出来るのではないでしょうか。

どうぞこれからも、多くの方々に、心の優しさを、その響きによってもたらしてくださいますように。みなさまのさらなるご活躍に期待し、神様の祝福をお祈りいたします。

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2017年5月24日 (水)

新しい5人の枢機卿任命

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先週は国際カリタスの会議でバチカンにいました。いろんな人と出会って話をする中で、教皇様は次に「いつ」枢機卿を任命するだろうかというトピックで、少し盛り上がりました。ご存じのように教皇選挙権を持つのは80歳未満の枢機卿で、その人数は120名と定められています。(写真はローマの国際カリタス本部隣りにある、サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会)

教皇フランシスコは、様々に改革を進めているので、この人数を150名に拡大するのではないかといった類いの噂もありました。120名というのは、パウロ6世によって定められた人数です。しかし、先日教皇様と直接話したある関係者によれば、教皇様は「任命したい人はまだ多いが、定員があるから」と言明し、この120名枠は今のところ変更しない方針を示唆されたそうです。というわけで、この話をしていたときに80歳未満の枢機卿は116名。そのため今年は新たな枢機卿の任命はないのではないか、早くても来年の2月ではないか、というあたりで、話は終わりました。

ところが、会議が終わってローマからターキッシュ航空便に乗り、イスタンブールを経由して、日曜日の夜に成田空港へ到着し、携帯の電源を入れると、なんとその数分前に教皇様が日曜日のレジナ・チェリの祈りの後に、新しい枢機卿の任命を発表されていました。

以前のバチカンの他の会議で、ニュージーランドの枢機卿が、自分が枢機卿に任命されたこと知ったのは、友人から突然『おめでとうメール』が来たからだった。それまではまったく知らなかった、といわれてましたが、今回任命された方々も、驚かれたことでしょう。

というわけで、このたび5名の方が、枢機卿に任命され、親任式は6月28日に行われることになりました。任命されたのは以下の司教様たちで、わたしが個人的に存じ上げている方もおられます。

  • マリ・バマコの司教 ジャン・ゼルボ大司教
  • スペイン・バルセロナのフアン・ホセ・オメリャ大司教
  • スエーデン・ストックホルムのアンデルス・アルボレリウス司教
  • ラオス・パクセのルイス・マリ・マングカネクホン司教
  • エル・サルバドルのサン・サルヴァドルの補佐司教グレゴリオ・ロサ・チャベス司教

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一番最後のロサ・チャベス司教は、カリタスエルサルバドルの責任者で、以前はカリタスラテンアメリカの総裁を務められていました。彼は、昨年福者に上げられたオスカル・ロメロ大司教の協働者で、ロメロ大司教の列福運動で大きな役割を果たした一人です。首都サンサルバドルの司教であった福者ロメロ大司教が、ミサを捧げている最中に暗殺され殉教を遂げた後に、ロサ・チャベス司教は同教区の補佐司教に任命され、現在に至っています。ロメロ大司教の殉教は1980年3月24日。ロサ・チャベス司教が補佐司教に任命されたのは1982年2月です。(写真上は、福者ロメロ大司教の肖像の前に立つロサ・チャベス司教)

何度もカリタスの理事会で一緒になりました。会議で一緒になったときのイメージは、『正義のためのファイター』です。ロメロ大司教に倣って、恐れることなく、常に正しい道を押し進んでいくファイターです。

教皇フランシスコは、今回もそうですが、これまで枢機卿のいなかった国や、従来の慣例に捕らわれすに人物本位で枢機卿を任命されます。今回も、アフリカのマリや、アジアではラオスの司教が任命されました。スエーデンに至っては、この国に独りしかいない司教です。カルメル会士で、研修会で三度ほど一緒になったことがありますが、とても心優しい司教様です。いずれにしろそうした教皇フランシスコの方針からすれば、サンサルバドル教区の補佐司教を枢機卿に任命したのは、やはり福者ロメロ大司教のような生き方を、教皇様が現代社会に模範として示したいと願われているからではないでしょうか。

さて、全国的に意見が大きく分かれている「共謀罪」を盛り込んだ「組織犯罪処罰法」の改正案が、5月23日に衆議院を通過しました。与党が過半数を占めているのですから、現状ではよほどのことがない限り与党の思うとおりに法律は出来ていくのでしょう。

法律の細かいところは、新聞を読んだり、国会の論戦を聞いたりしても、聞けば聞くほど、なにやらはっきりしないということだけがはっきりしてきます。

法律の専門家の立場からはまたそれぞれの考えるところがあるのでしょうが、宗教者の立場からも明確にしてほしいと願うところがあります。

もちろん歴史はそのまま繰り返しませんし、時代によって国の内外の状況や関係も異なるので一概には言えないのは当然理解しています。その上で、国による恣意的な運用の可能性を否定しない法律によって、すくなからずの宗教者が内心の自由を侵害された体験のある国に生きている宗教者ですし、実際に新潟県の高田において戦争中、信徒と司祭が、信仰に基づく信念のゆえに治安維持法違反で逮捕され、実際に有罪を宣告されたことがある新潟教区の司教としては、どうしても一つの点を、具体的に担保する保証がないことには、安心が出来ないのです。それはすなわち、内心の自由の保障が、今の政治家の『言葉』による担保なのではなく、将来的に渡って具体的な制度として護られることがしっかりと定められることです。これからの参議院の議論において、そのことがしっかりと取り上げられるように心から望みます。

国会の議論において、野党の皆さんの質問の中心には、『一般人が対象になるのかどうか』という点がありましたが、それを今の与党政権の誰かが、『そのようなことはないから安心してほしい』と言葉で言ったところで、それは将来的には何の保障にもなりません。残念ながら、あの議論は、時間を費やすばかりで、実りがなかったように思います。それよりも、法の恣意的な解釈による国の権力の濫用によって、内心の自由が侵されることのないような目に見える制度を具体的に設けるような知恵を絞っていただきたく思います。

なおご参考までに、以前に高田で起こったことについて触れた司教の日記は二つありますが、次のリンクを参照ください。2006年8月17日。そしてもう一つ2007年8月8日

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2017年5月18日 (木)

国際カリタスの理事会@バチカン

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国際カリタスの理事会に当たる代表者委員会(Representative Council)が、火曜日から木曜日にかけて、三日間、バチカンで開催されました。アジアからは、カリタスアジア総裁(President)のわたしと、ミャンマー、パキスタンの代表が参加。さらにカリタスアジア事務局長もオブザーバーで参加しました。

国際カリタスの総裁であるマニラのタグレ枢機卿を始め、国際カリタス事務局長のミシェル・ロワ氏ほか事務局関係者、7つある各地域からの代表で、40名以上が参加しました。

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会場は国際カリタスの本部。ローマ市内ですが、バチカンの飛び地であるサンカリスト宮殿。ここには新しくできた総合的人間開発促進の部署も事務局を置いています。

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会議では国際カリタスの公用語である英語、フランス語、スペイン語のどれで発言をしてもよく、必ず同時通訳が入ります。マイクのスイッチを入れると、会場内に二台設置されたカメラの一つが即座に発言者の方を向き、正面スクリーンに発言者が映し出されます。上の写真は、ちょうどわたしが発言しているところを、カリタスアジアの事務局長が撮影してくれました。シノドスホールにも同じようなシステムがあります。

代表者会議は年に二回、5月と11月に開催されます。今回は主に、2016年の年間報告の承認、次期活動計画(2019年以降)策定のための現活動計画の中間評価、2016年の会計報告、パートナーシップガイドラインの見直し、総合的人間開発促進の部署との意見交換、9月から始まる予定の移民・難民・移住者に関わる世界キャンペーンについてなどが議題として取り上げられました。

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最終日の本日の締めくくりのミサは(毎日、会議の終わりはミサです)、カリタスアフリカの総裁で、ガーナのクマシ教区のガブリエル・アノチ大司教が司式されました。

初日のミサは英語でタグレ枢機卿が司式、二日目はスペイン語でカリタスラテンアメリカの総裁ルイス・アズアヘ司教(ベネズエラ)が司式、そして今日はフランス語でした。アノチ大司教はガーナの方ですが、フランス語が堪能です。

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なお会議の間に、アズアヘ司教から、ベネズエラの状況についての報告がありました。(写真上:右がアズアヘ司教、左がアノチ大司教)

政治の大混乱で経済も混乱し、病気が蔓延しているのに薬すらない現状は、日本にいる私たちの耳にはあまり届いてこない現実です。ベネズエラのためにも皆で祈りましたが、いますこし、こういった状況にもしっかりと目を向けたいと思います。

ローマは日中はすでに夏のような陽気です。

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