2016年8月24日 (水)

アフリカ開発会議への期待

第6回目となるTICAD が、まもなくケニアで開催されます。8月27日と28日。一般に「アフリカ開発会議」と呼ばれていて、それだけを聞くと、国連か何かの会議のような響きがあります。

しかしそうではないのです。TICADの最初にある「T」は、「TOKYO(東京)」の頭文字です。この会議は、日本政府が音頭をとって始めた会議で、これまでの5回は日本で開催されてきましたが、今回初めてアフリカの地で開催されることになりました。安倍首相の出席も予定されているようです。

昔ガーナで働いていた体験や、その後カリタスジャパンの仕事でアフリカのいくつかの国への支援に関わった体験から、アフリカの開発と発展は、私にとって大きな関心事です。そして官民の様々な取り組みがあるなかで、日本政府の取り組みは小さいものではなく、またこういった会議を主催してきた実績もあるのですから、もっと内外に宣伝をするべき重要な会議であると、個人的には思います。

第一回目のTICADは1993年10月5日と6日に開催されました。「アフリカ諸国(48国)、援助国(12国)、EC、国際機関(8機関)及びオブザーバー多数、延べ約千名の参加」を得て開催され、「東京宣言」が採択されました。

「東京宣言」は、アフリカ支援の必要性を強調しつつも、援助だけではアフリカの問題が全て解決されることはないと指摘し、さらに援助のためにはアフリカ諸国の対応(民主化、良い統治等)が必要であることも指摘しています。その上で、アジアにおける経験をアフリカ開発に生かす可能性にも言及していました。正しい指摘でした。

つまりTICADとは、日本政府が音頭をとって、国連諸機関や世界銀行とともに、アフリカ諸国のリーダーや援助国の代表を一堂に集め、アフリカ開発のための諸課題を話し合い、さらには国際社会にその重要性を訴えようという場なのです。

前回2013年の第五回TICADでは、横浜宣言が採択され、主に6点ほどの重点項目が指摘されていました。

第一に「民間主導の経済発展」、第二に「インフラ整備」、第三に「農業従事者自身の重視」、第四に「持続可能な成長」、第五に「すべての人のための幸福をもたらす社会の構築」、そして第六に「平和と安定、良い統治の確立」

それに基づいた行動計画が2017年まで策定されており、今回の会議もそれを受けたものとされています。さらに外務省は、今回のケニアでのTICADで、新たに取り上げられる課題を次のようにホームページに記しています。

「TICAD V以降にアフリカで発生した諸問題(エボラ出血熱の流行と保健システムの脆弱性,暴力的過激主義の拡大,国際資源価格の下落等)への対応の必要性が顕在化しています。開発と貧困削減に向けたアフリカ自身の取組(アジェンダ2063)の推進を支援する必要があります。国際的な取組(気候変動(COP21),持続可能な開発目標(SDGs))を進めることが期待されています。」

日本にとって自分たちの立ち位置でもあるアジアの安定と発展が重要なのは言うまでもありませんが、アフリカへのコミットメントを明確に行動で示していくことは、国際社会の中で重要な意味をもっていると思います。特に歴史的にアフリカ諸国と様々な関係を構築してきたヨーロッパ諸国の目の前で、アフリカへの支援を、自国の利益のためではなく人類普遍の善益のために(教会で言う共通善のために)積極的に行う姿勢を明確にすることは、日本にとって大きな利益を長期的にもたらすと思います。

今後も日本政府が、この素晴らしい取り組みを積極的に推進し、アフリカ支援の態度を明確に示されることに、心から期待しています。

ところでアフリカへの支援と言えば、もちろん「貧困」の解決が重要な課題となります。しかしながら、「貧困」というのは実は定義づけるのが非常に難しい。なぜならば、それは何かと比較して初めて明らかに出来る相対的な概念だからです。しかしながら、開発援助などの取り組みのためには、数値を明確にしなくてはなりません。ですから、何かの基準を設けて、それ以上とそれ以下で貧困を定義づけることが、様々な機関によって行われます。

例えば、世界銀行は、一日1.25USドル未満で生活する人を極度の貧困状態にあると定めていました。2010年にその数は世界で12億人。世界の人口の約2割です。

1973年のナイロビにおける世界銀行理事会における演説で、当時の総裁ロバート・マクナマラ氏は、国内の経済問題に目を奪われて第三世界への援助を渋る先進国を批判しながらこう述べています。「(国内経済政策にのみ目を奪われている国々は)二つの種類の貧困を区別できていない。それは相対的な貧困と絶対的な貧困だ。相対的な貧困とは・・・ある人が他の人よりも少なく持っているというような・・・いつでもどこにでもあるような事だ。しかし絶対的な貧困とは、病気や読み書きが出来ないことや、栄養失調や、犠牲者から基本的な人間としての必要でさえも奪ってしまうような卑劣さによって、卑しめられている人間の状態のことだ」とのべて、「絶対的貧困」を解消する必要性を説きました。

「絶対的貧困」は、たぶん多くの人が想像する「貧困」の状況なのかもしれません。しかし、「貧困」は、必ずしもそこだけの問題ではありません。日本では、「絶対的貧困」と言えるような状況におかれた人は、人口比で言えば少ないのかも知れません。また相対的な貧困を量るために、様々な機関が様々な基準を提供しています。その多くが、「日本に貧困はない」とはいえない現状を指摘します。そしてそれはわたしたちの信仰の立場からも、同じように言えると私は思います。

わたしたちの信仰の立場から考えると、貧困は「個々人の尊厳と創造性、そして天職、すなわち神の召し出しにこたえる力を」その個人から奪い去っている状態のことに他なりません。引用したのはヨハネパウロ二世が回勅「新しい課題」において「発展とは何か」について述べている29番の箇所です。ここで教皇は、発展とは皆が富める国のようになることではないと指摘し、「個々人の尊厳と創造性、そして天職、すなわち神の召し出しにこたえる力を」具体的に高めることこそが発展であると説きます。そうであればこそ、発展の対極にある貧困とは、その欠如に他なりません。

だからなのです。「貧困」とは、何かを持っているとかいないとか、見栄えがどうだとか、生活スタイルがどうだとかの問題ではなく、その個人が置かれている社会の状況が、ふさわしく「個々人の尊厳と創造性、そして天職、すなわち神の召し出しにこたえる力を」具体的に高めているのか否かに、判断の基準があると言うことになります。少なくとも、将来に対する夢や希望を持つことが難しい若者が存在している状況は、ふさわしい発展の状況ではなく、貧困の状態であると考えざるを得ません。

さて、8月末日までカリタスアジアの会議のためにネパールに出かけていますので、次回の「司教の日記」更新は9月になってからです。早いですが、9月の主な予定を記しておきます。

  • 9月1日 常任司教委員会ほか (東京)
  • 9月2日 カリタスジャパン会議ほか (東京)
  • 9月4日 札幌教区100周年 (札幌)
  • 9月5/6日 教区顧問会 (秋田)
  • 9月7日 カリタスジャパン委員会 (東京)
  • 9月11日 見附教会訪問 (見附)
  • 9月12日 月曜会ミサ (新潟)
  • 9月14/15日 秋田の聖母の日 (聖体奉仕会)
  • 9月15/16/17日 巡礼 (岩手県)
  • 9月18日 花園教会訪問 (新潟)
  • 9月19日 広島教区司教叙階式 (広島)
  • 9月22日 アンリ師叙階金祝ミサ (新潟)
  • 9月25日 直江津教会訪問 (上越)
  • 9月26日~30日 司祭団年次黙想会

 

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2016年8月20日 (土)

聖体奉仕会から岩手への巡礼(最終宣伝)

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すでに何度も宣伝を掲載しましたが、秋田の聖体奉仕会から始まって岩手県沿岸へ出かける巡礼旅行が企画されています。まだ少し席に残りがございます。いかがでしょうか。

9月の秋田聖体奉仕会での二日間の祈りの集い(秋田の聖母の日)。これは9月14日と15日の午前。私の講話やミサもございます。

その後、盛岡を経由して岩手県北部沿岸を廻る、被災地で祈る巡礼です。

全体は、9月14日から17日までの4日間で、14日と15日の昼までは秋田の聖体奉仕会で集いに参加。その後盛岡を経由して宮古方面に向かいます。宮古教会でミサも予定されたいます(9月16日午前中)。こちらは138,000円です。企画は11月末の聖地巡礼も募集中のパラダイスさん。信徒の方の旅行会社です。パラダイスさんの営業時間は、月曜から金曜まで、午前9時半から午後6時まで。電話は045-580-0023。そしてファックスは045-580-0024。

どうぞ11月末の聖地巡礼とともに、ご参加を案内いたします。

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神学生と合宿@佐渡島

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新潟教区の唯一の神学生である岡君と一緒に、神学生合宿と称して、佐渡へ一泊で出かけてきました。佐渡島はもちろん新潟県ですから新潟教区内。そして島内には港のある両津にカトリック教会と幼稚園があります。以前はもう一つ、相川にも教会と保育園がありましたが、現在は両津のみ。司教総代理でもある川崎神父が、主任司祭を務めておられます。同行したのは、教区の養成担当の大瀧師。なお川崎師も養成担当です。

18日の朝9時台のジェットフォイルで出発。佐渡へ行くには新潟西港からジェットフォイル(運賃は高い)で一時間か、カーフェリー(運賃は比較的安い)で二時間半。現在、飛行機の便はありません。今回は佐渡汽船の宿泊とレンタカーもすべてセットになった料金を利用したので、行きはジェットフォイル、帰りはカーフェリーとなりました。

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両津の港に迎えに来た川崎師と合流して、早速レンタカーで一路島の北側へ。この先端部分に近い集落に、かつて新潟教区の神学生であった頃に亡くなられた坂上氏のお墓があります。昭和11年に、神学院に在籍中に亡くなられたと伺いました。まずここでお祈り。

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その後は、佐渡島と言えばトキや金山ですから、そういったところにも訪問。

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翌日は、朝の涼しい時間から、中山峠近くで車を停め、史跡に指定されている旧中山道を30分ほど歩いて登り、峠にあるキリシタン塚へ。ここは寛永14年(1637年)に、キリシタン100名以上が処刑されたと伝えられている場所です。現在は峠に十字架が立ち、野外ミサが出来る石の祭壇もあります。その背後には、信徒の方々の墓地も。わたし自身がここでミサをしたのは、2012年の教区100周年にあたって行った十字架リレーの時でした。またこのキリシタン塚の整備のためには、以前から東京教区の支援もいただいています。

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そして最後に(というのも、佐渡島は一般に想像される以上に大きな島で、移動するだけでも時間を要するのです)、両津の町にあるカトリック佐渡教会へ。この聖堂はパリ外国宣教会の宣教師によって、1887年に献堂されたもので、新潟教区内では最古です。佐渡には1837年にパリ外国宣教会のレゼー師が来島し、再宣教をはじめました。

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またキリシタン塚にある石碑は、献堂100周年を記念して1987年に建立され、当時は佐藤司教とともにカルー教皇大使も来島されたそうです。

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そして夕方4時過ぎに両津を出港するカーフェリーで新潟へ。何かイベントでもあったのか、フェリーは佐渡から戻っていく高校生で一杯でした。

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2016年8月16日 (火)

聖母被昇天祭ミサ@新潟教会

昨日8月15日は、聖母被昇天の祭日でした。カテドラルの新潟教会では午前10時からミサ。また8月15日は以前(聖母被昇天が公式に宣言されたのは1950年です)は、聖タルチシオの祝日であったので、私の霊名のお祝いに霊的花束をいただきました。なお教区内の多くの小教区から、霊的花束を送っていただきました。感謝申し上げます。

また71年目の終戦記念日でもありますから、先の大戦で亡くなられたすべての人の永遠の安息と、日本と世界の平和のためにミサの中で祈りました。

ミサの後は恒例のバーベキューパーティー。今年は8月15日には珍しく雨模様でしたので、恒例の外でのスイカ割りはありませんでしたが、バーベキュー自体は外に張ったテントの下で。

日曜日と二日続けてのミサとなりましたが、たくさんの方に参加していただき感謝いたします。

なおミサ中の説教は、ホームページのこちらの箇所に掲載してありますので、タイトルをクリックしてご覧ください。以下昨日の写真から。

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2016年8月12日 (金)

聖クララのお祝い@上越高田修道院

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8月11日は聖クララの祝日。毎年恒例ですが、上越市高田にあるクララ会上越修道院で、お祝いのミサが行われました。今年からは『山の日』と言うことで祝日になったこともあるのでしょうが、修道院の小さな聖堂はシスターたち以外にも、周辺の教会から多くの方が駆けつけ、一杯になりました。また長岡地区のフランシスコ会員だけでなく富山からもフランシスコ会員が駆けつけ、さらに教区司祭も数名加わって、これまた、聖堂の狭い内陣は司祭で一杯に。

ミサ後には、面談室にテーブルを入れて、参加者全員でお弁当をいただき交流会。

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今年から、高田のクララ会はメンバーが増えました。といっても新人が入会したのではなく、東京の八王子のクララ会修道院から会員が異動してきたためです。八王子修道院は現在閉鎖に向けて最後の手続きが進んでいると聞いています。もともと八王子から分かれる形で高田が出来たので、今度はその高田に集約されるという現実に、多少の複雑さを感じます。クララ会は観想会の中でも、大きな修道院ではなくて、街中の小さな観想修道院を掲げていますので、大所帯になる必要はないとは言え、やはり新潟教区を霊的に祈りのうちに支えてくださる存在として重要な共同体ですから、少しずつでも、新しい召命の実りがあるように祈っています。

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さて、ちょうど平和旬間の真っ最中で、教会は『平和』についてじっくりと考える時期です。薄れつつあるとは言え、71年前の戦争の記憶や、また広島と長崎の原爆を初めとした日本本土爆撃の悲惨な記憶などがしっかりと残されているため、わたしたちの平和への視点はどうしても、『あのような武力による戦いは二度とごめんだ』という立場から語られることになります。もちろん、武力を行使する戦いがないことは平和の確立にとって重要であることは言うまでもないことですが、それだけで、わたしたちキリスト者が語る平和は確立されるわけではないことも、常に心に留めておきたいと思います。

聖座の正義と平和評議会が著した「教会の社会教説綱要」は、教会が社会の諸問題に関わる時に必ず立ち返らなくてはならない原理原則を記していますが、そこにはこう記されています。

「聖書の啓示では、平和は、単に戦争が存在しないことではなく、それをはるかに超えたものです。それは生命の充足を意味します」(489)

もちろん同じ『綱要』は、戦争についても次のように記します。

「国際紛争を解決するために、戦争の代わりに別の解決方法を求めることが、今日ではきわめて緊急な課題となっています」(498)

そしてこういった『平和』に関する社会教説の源の一つであるヨハネ23世の「地上の平和」には、冒頭にこう記されていました。

「すべての時代にわたり人々が絶え間なく切望してきた地上の平和は、神の定めた秩序が全面的に尊重されなければ、達成されることも保障されることもありません。」(1)

神の定めた秩序の実現こそ、「平和」であって、『地上の平和』の中では、自然法に基づく人間の権利がすべからく実現していることこそ、神の望まれる世界の実現であると説いておられます。ここで教皇が指摘される『人間の権利』とは、次のような広い範囲の権利のことであると、『地上の平和』には記されています。

「生存と尊厳ある生活水準への権利、倫理的および文化的価値に与る権利、良心に従って神を礼拝する権利、生き方を自由に選択する権利、経済における権利、集会と結社の権利、移住および移民の権利、政治に関連する権利」

教皇は自然法に基づく義務として、他者の権利を尊重し互いにそれを実現していく義務を果たしていかなくてはならないと説かれているのです。

ですから、平和を考えるとき、それは単に武力対立を避けることだけを、シングルイシューで取り上げればすむと言うことにはなりません。それは一つの側面であって、もっと広い範囲のことがらが、本当に神の秩序の確立の方向に向かっているのかどうかを識別する必要があります。

この数年、近隣の国々との間で、平和的共存とは反対の方向に向かわせるような状況が続いています。もちろん、一方的に攻撃的な姿勢を見せているとしか考えられない状況もありますし、挑発しているとしか見えない状況も存在しています。教会にとっては、とりわけ後者の国とは大変難しい関係を迫られる状況が続いています。言ってみればその国内に人質がいるのですから、外からの不用意な言動は慎まざるを得ません。そのなかにあって、軍事力を背景に持たない聖座は、様々な外交手段を駆使して、息の長い交渉に当たっています。教皇フランシスコが『福音の喜び』『の中で強調されていた原則、つまり「時は空間に勝る(222以下)」を、まさしく実行していると言えます。

ちょうど今年の長崎の平和宣言の中で、田上市長が、核兵器の廃絶に向けてこう呼びかけていました。

「核兵器の歴史は、不信感の歴史です。国同士の不信の中で、より威力のある、より遠くに飛ぶ核兵器が開発されてきました。世界には未だに1万5千発以上もの核兵器が存在し、戦争、事故、テロなどにより、使われる危険が続いています。この流れを断ち切り、不信のサイクルを信頼のサイクルに転換するためにできることのひとつは、粘り強く信頼を生み続けることです。我が国は日本国憲法の平和の理念に基づき、人道支援など、世界に貢献することで信頼を広げようと努力してきました。ふたたび戦争をしないために、平和国家としての道をこれからも歩み続けなければなりません。」

核兵器廃絶だけではなく、平和の確立のために、粘り強く信頼を生み続け、不信のサイクルを断ち切ることは、今とても重要なことだと思います。

武力の行使に対して自衛する権利が国家に存在することを否定はしませんが、同時に、粘り強く信頼関係を生み出すための努力を続けることも、それ以上の重要性を持っているように思います。じっくりと、幅広く、そして言ってみれば老練な駆け引きの中で、身勝手な行動を封じ込めていくことが、これまで以上にその道の関係者によって深められることを、心から期待しています。

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2016年8月10日 (水)

平和旬間です

パプアニューギニアから帰国して、数日後から40度近い高熱に見舞われてしまいました。熱帯地域に出かけた直後の高熱ですから、いろいろと原因は頭に浮かびます。いつも通っている内科のドクターのところに出かけ、血液を採取して検査に出してもらいました。さいわい、マラリアではなく、また症状からもデング熱でもないようで、三日ほど39度台が続いてその後徐々に熱は下がりましたが、今日に至るまで、何となく体調不良が続いておりました。何か、昔、ガーナにいた頃のことを思い出してしまいました。あの頃は8年間で、毎年一度か二度はマラリアにかかっていましたので、年中、なにやら熱っぽかったことを記憶しています。都合10回以上マラリアに罹っているかと思いますが、その後、帰国してからは一度も発症していません。

そんなわけでこの数日間の出来事も日記に記さずにおりました。

8月6日から15日まで、現在、日本の教会は平和旬間を過ごしております。広島や長崎では、それぞれの原爆投下の日に合わせて、教会でも平和行事が行われました。昨晩の長崎における被爆マリア像とともに歩むたいまつ行列については、一般紙でも報道されていました。

新潟教区ではすでにお知らせしたとおり、7月31日の日曜日の午後、新潟教会を会場に講演会と平和祈願ミサが行われました。上記の通り体調不良であったため、ミサの司式は事務局長の大瀧神父に代わってもらいましたが、講演は聴きに行きました。NPO法人マザーハウスの代表で受刑者や出所した方々の支援活動をしている五十嵐弘志さん。イグナチオ教会の信徒です。ご自身の刑務所での強烈な体験と、その後の活動について分かち合ってくださいました。いろいろと考えさせられる内容でした。

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その後、8月5日には、第45回目となる新潟教区カトリック保育者研修会が新津で開催され、教区全体から150名ほどが参加。今回は、チャプレン制度が始まったこともあり、園長を務めていない神父さんたちも、チャプレンとして参加してくださいました。

今回のテーマは「カトリックらしさとは何か」とされ、横浜教区の細井保路神父が講演してくださいました。午前中は『心に宿る神のことば』、そして午後は様々な絵本を実際に紹介しながらのお話でありました。大半の教職員が信徒ではない中、司祭も減少していくことから、園長や施設長も司祭ではなくなっていく中で、どのようにしてカトリックの施設というアイデンティティを保っていくかが大きなこれからの課題です。(上の写真:講演する細井神父。下の写真が参加者)

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8月6日は、夕方から新潟地区信徒使徒職協議会の役職者と、まず一時間の懇談会。その後、近くのデパートの屋上で懇親会。今年の新潟の夏は例年と異なり雨があまり降りません。遠くに上がる花火を見ながら、新潟地区の小教区の様々な課題を聞かせていただきました。

さあ、明日は、高田のクララ会で聖クララの祝日ミサです。なお8月15日には、聖母被昇天の祝日で、午前10時から新潟教会で、司教司式のミサと、その後懇親会があります。どうぞご参加ください。

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2016年8月 4日 (木)

巡礼へのお誘い(あらためて)

世界情勢がいろいろあって微妙な時期ですが、あらためて二つの巡礼へのお誘いです。

まず、9月の秋田聖体奉仕会での二日間の祈りの集い(秋田の聖母の日)に合わせた岩手県北部沿岸を廻る、被災地で祈る巡礼も、若干の空きがまだございます。こちらについては、9月14日から17日までの4日間で、14日と15日の昼までは秋田の聖体奉仕会で集いに参加。その後盛岡を経由して宮古方面に向かいます。宮古教会でミサも予定されたいます(9月16日午前中)。こちらは138,000円です。企画は聖地巡礼と同じパラダイス(045-580-0023 村上さんまで)

次は聖地巡礼で、以下は、6月4日の記事の再掲です。

今年の終わり頃、11月の末に、横浜の信徒の旅行会社「パラダイス」さんと、聖地巡礼を企画しました。今日の日記は宣伝です。(写真は、前回2014年のものです)

11月24日(木)夜に成田を出発し、12月2日(金)夜に成田へ帰国する旅程です(詳しくは以下)。行き先は聖地。現時点で旅行代金は398,000円(他諸税が別途かかります)。私が同行します。

もし興味をもたれましたら、是非パラダイスさんにお問い合わせください。パラダイスさんの営業時間は、月曜から金曜まで、午前9時半から午後6時まで。電話は045-580-0023。そしてファックスは045-580-0024。担当は村上さんです。横浜教区の信徒の方です。(下の写真はベトレヘムの聖誕教会で)

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旅程(予定)

  1. 11月24日 21:20 ターキッシュ航空(トルコ航空)で成田からイスタンブールへ
  2. 11月25日 8:30 イスタンブールからテルアビブに到着。その後カイサリア遺跡などを経てティベリアへ。ティベリア宿泊。
  3. 11月26日 一日中ティベリアから、ガリラヤ湖周辺、カファルナウムやベトサイダなど。ティベリア宿泊。
  4. 11月27日 一日中ティベリアから、フィリポカイサリアやガリラヤ湖周遊など。ティベリア宿泊。
  5. 11月28日 ティベリアから、カナ、ナザレ、マサダを経て、エンポケック宿泊
  6. 11月29日 エンポケックから、クムラン、エリコ、エインカレムを経てベトレヘム宿泊
  7. 11月30日 ベトレヘムから、一日中エルサレム市内、ベトレヘム宿泊
  8. 12月1日 エルサレム市内を経て、22:00テルアビブ発イスタンブールへ
  9. 12月2日 19:10 イスタンブールからターキッシュ航空で成田着

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宿泊はティベリアに3連泊、エンポケック1泊、ベトレヘム2連泊で、基本は連泊中心のゆったりとしたスケジュールですので、若い方ばかりでなく、お年を召された方々にも安心してゆっくりと旅行していただけます。日本からの添乗員だけではなく、現地では詳細な日本語による現地ガイドが案内してくださいます。もちろん、毎日、わたしが司式して、各地でミサを行います。聖書に出てくる主な場所を網羅した、入門体験的巡礼旅行です。例年この11月末という時期はちょうどオフシーズンで聖地は巡礼者も少なく、また天候も寒すぎす暑くもない、ちょうどよい季節になると予想されます。

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ブーゲンビル訪問旅行から、その2

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先日、7月末に訪問したパプアニューギニアのブーゲンビルへの旅。すでに記したように、太平洋戦争の戦跡を訪れて過去の歴史を振り返りながら平和を祈り、また独立後の混乱が未だに尾を引いているこの地の今の出来事を学んでまた平和を祈り、そして数年後に独立かどうかの住民投票を行って道を選択するという島で未来の平和のために祈りました。(写真上:道ばたに残された日本軍の戦車)

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とりわけ、山本五十六長官の搭乗機撃墜現場を訪れたこともそうでしたが、太平洋戦争中の戦跡を島のあちらこちらに見るにつけ、過去の出来事の持つ、その後の歴史への大きな影響を感じざるを得ませんでした。(写真上:山本五十六長官搭乗機残骸の前で)

日本から遙かに離れたこの熱帯のジャングルの中で、過酷な環境の中で必死に戦争をしなければならなかった多くの人たち、特にこれからの未来への希望を持っていた多くの青年たちが、数多く生命を失い、また苦難を味わったあの出来事。またその敵として立ちはだかった米軍を初めとする連合国側の多くの人たち。同じように未来への希望を抱いていた青年たち。さらには突然そんな国々の戦いの舞台になってしまったがために、様々な形で戦争に巻き込まれていった地元の人たち。

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ジャングルの中に残されているコンクリートの要塞の数々が、70年以上を過ぎた今でも、そしてこの過酷な熱帯の気候の中でも、しっかりと残されているのをみて、もちろんその当時の技術の高さを思いながらも、それがまったく使われずに何十年もジャングルに放置されている現実を目の当たりにして、なんともったいなかったことかと。(写真上:ブイン近くの海岸沿いに残されたコンクリートの要塞)

結局、戦争は、人的にも資金的にも、大きな損失を人類に強いるものなのだと、思わざるを得ませんでした。

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そしてどうしてそんな状況に、日本をはじめとした当時の国々は自分たちを追い込んでいったのか。国際情勢は簡単に善悪、白黒と峻別することができるほど簡単な現実ではなく、様々な思惑とタイミングが絡み合った複雑な実態であるのは確かでしょうから、だれが原因なのかを突き詰めることは出来ないのだろうと思います。結局はそうならざるを得ないところへ、どんどん突き進んでいったのでしょう。であればこそ、その当時の国際情勢を、国家間の関係をあらためて見つめ直し、そこから現代は何を学ぶことが出来るのか、突き詰めることも大切であろうと思います。(写真上は、アラワの町近くに展示されている日本軍の火器や零戦)

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カトリックの島であるブーゲンビルでは、初めての日本人の司教というだけではなく、初めて外国の司教が訪問してくれたというので、当地のベルナルド・ウナバリ司教(写真上)はじめ多くの方に歓迎していただきました。同時に独立か否かの選択が迫る中で、これからも困難を抱えるであろう当地の現状の詳しい説明もいただきました。8割以上がカトリックの島で、教会は重要な立場にあり、また日本との過去の歴史もありますから、これからも長期にわたって、ブーゲンビルの動きに注目し、またその地の平和のために祈りたいと思います。ベルナルド司教をはじめ、ブーゲンビル教区の皆さんのために祈り続けたいと思います。

なおブーゲンビルでは青年協力隊員も活躍し、JICAが日本の技術で何十本もの道路橋建設工事を進めていました。

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2016年7月28日 (木)

生命の重さを量るのはだれなのでしょうか。

パプアニューギニアから帰国した一昨日の夜、その日の早朝に、相模原市の障がいのある方々がともに暮らす施設で、19名が殺害され26名が怪我をされるという事件が発生したと聞き、心の底から驚き、大きな衝撃を受けました。加えて犯行に及んだ人物が、障がいのある方々を殺害することが「正しい」ことであると主張しているという報道に接し、さらに大きな衝撃を受けています。

亡くなられた方々の無念さと恐怖はいかばかりだったでしょう。永遠の安息を心から祈ります。また怪我をされた方々の一日も早い回復と、さらには恐怖の時を過ごし心に刃物を突きつけられてしまった多くの方に、いつくしみの神の御手が差しのべられ、癒やしがあるように心から祈ります。

今更あらためて言うまでもなく、キリスト教の信仰の立場にあっては、生命の重さを量ることがゆるされているのはいったいだれなのかといえば、それはわたしたち人間ではなく、人間に生命を与えられた生命の創造主である神でしかありません。だれが生存して良いのか、だれが生存する価値があるのか。それを判断しようとするのは人間にとって傲慢なことではないでしょうか。しかも神は、自らの似姿として生命を創造されたのですから、すべての生命にはすべからく神の似姿としての大切な価値があります。わたしたちはそれを人間の尊厳と言います。

社会的に弱い立場に置かれた人たちに対するこのような攻撃的な価値判断と行動に対して、すでに多くの方がその大きなあやまちを指摘しておられます。社会的に弱い立場は、単に目に見える形の障がいと共に生きている方々だけではなく、様々な意味で「異質」だなどと見なされている多くの方々や、経済的な困難、健康上の困難、制度上の困難、文化的困難等々様々な困難を抱えている人たちを包括し、言うならば、ほぼすべての人が何らかの困難を抱えているのですから、視点を変えさえすれば、だれでもいつでも社会的に弱い立場になる可能性をもっています。だからこそ、すべての人が互いに協力し助け合わなければ、わたしたちは生き延びることが出来ないでしょう。

あらためて、一つの共同体に生きるようにと生命を与えられているわたしたちが、なぜ生きているのかをよく考え、互いに支え合っていくことの大切さを、心に刻みたいと思います。

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2016年7月27日 (水)

ブーゲンビル島で平和の祈り@パプアニューギニア

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7月18日に羽田を出発し、昨日の夜帰国するまで、都合九日間、パプアニューギニアに出かけてきました。往復ともマニラ経由で、マニラからエアニューギニーで首都のポートモレスビーへ飛び、さらにそこから乗り継いで到達したのはブーゲンビル島のブカ。今回の目的地は、このブーゲンビル島です。地図で見れば、パプアニューギニアの東の端にある島。羽田からマニラまで4時間強。マニラからポートモレスビーまで5時間弱。そしてポートモレスビーからブーゲンビル島のブカまで1時間半。(写真上と下2枚、山本長官搭乗機の残骸)

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パプアニューギニアは1975年に独立を遂げていますが、その一部であるブーゲンビル島では1988年に分離独立を求めた内戦が勃発。その後2001年に国連の仲介でブーゲンビル和平協定が結ばれて内戦は一応終結。2005年には協定に従って自治政府の大統領選挙も行われ、現在は独立か否かを問う国民投票が2019年6月に予定されています。独立運動が起こった一番の理由は、ブーゲンビル島内にある世界有数の露天掘りの金・銅鉱山による環境破壊と、その利益が島内に還元されないことへの長年の蓄積した怒りと、さらには、そもそも地理的にも民族的にもパプアニューギニア本島よりもソロモン諸島により近い(ソロモン諸島の一部がブーゲンビル島南端から見える距離)という、本島への帰属意識の低さにもあります。

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さてそんなブーゲンビル島は、太平洋戦争中に日本軍が航空基地をいくつか開設し、そこに中央を割って連合軍が上陸し、多くの兵士や地元の人も生命を落とし、さらには連合艦隊司令長官の山本五十六海軍大将が1943年4月に、ラバウルからの視察途上で搭乗機が撃墜され戦死された地でもあります。太平洋戦争の悲劇とその後の内戦の悲劇。二つの平和をかき乱した出来事の地を巡り、その歴史に基づいて将来を築き挙げようとしている地で、平和のために祈ることが今回の旅行の最大の目的でした。言うまでもなく、山本五十六は新潟県の長岡出身の人物でもあります。

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旅行のそれぞれの出来事については後日また詳述しますが、横浜教区の山口道孝神父の友人がブーゲンビル自治政府(ABG)の関係者であって様々手配してくれたことと、現地ブーゲンビル教区のベルナルド・ウナバリ司教をはじめ教区関係者が全面的に協力してくださったことで実現しました。特にブーゲンビル島は25万人ほどの人口の8割程度がカトリック信者というパプアニューギニアでも有数のカトリック地域で、日本の司教が来ているというラジオの報道もあり、多くの地元の方の協力を得ることが出来ました。(写真上、スモール東京の日本軍施設跡)

内戦前には島の中央部にあるアラワという町に州政府や教区本部、カテドラルもあったと言うことです。アラワは鉱山関係者のオーストラリア人居住者で栄えた町でしたが、内戦で荒廃し、治安の確保のため自治政府や教区も本拠を現在でも島北部のブカ島にあるブカの町に移しています。

ブカからボートで海を渡り、ブーゲンビル島を北の端から南の端まで二日がかりで走りました。島内は、とにかくトヨタのランドクルーザーばかり。これほどランドクルーザーが走り回っているところは他にないのではないでしょうか。

アラワに一泊して翌日はブインへ。泊めていただいたブインの教会は、日本軍の飛行場後のすぐ横に建てられています。南端部から往復10キロほどジャングルを切り開いてもらいながら歩いて到達したのが「スモール東京」と呼ばれる建物。ジャングルの中に忽然とあらわれたのは巨大なコンクリートの建造物。かつて日本軍の施設だった建物です。70年以上経過しているのに、本当にしっかりとしたコンクリートの巨大な建造物でした。

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その日の夜、ブイン教会のミサに集まった人は千人を超えていました。素晴らしい歌声です。(上の写真、ミサ後に挨拶に集まった人たちと。下はミサ中の様子)

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さらに翌日は山本五十六海軍大将がラバウルからブインの飛行場へ向かう途中に米軍によって待ち伏せされ撃墜された現場へ。この撃墜現場を支配するいくつかの家族はやはりカトリック信者で、そのうちの二つの家族から人が集まり、現場まで徒歩の道を切り開き案内してくれました。数年前に日本の大使が訪れたときは何日も前から道を切り開いて車が近くまでは入れるように準備をしたそうですが、今回はさすがにそこまでではなかったものの、それでも泥にぬかるむ道を何とか歩けるようにいろいろと手助けをしていただきました。小川も三つ渡りました。車を降りてから片道6キロで、密林の中に撃墜された搭乗機の残骸が出現。かつては全体がほぼ完全に残っていたそうですが、残念なことに所有権を主張する現地の家族たちの間で切り刻まれ、完全な形は機体後部から尾翼にかけてのみ残っていました。近くにはそのほかの部分やエンジンなどがまとめておかれていました。この場で集まった皆で平和のために一緒に祈りのひとときを持ちました。雨期であればさらに泥沼が悪化し、ほとんど入ることは不可能だとも聞きました。

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その後、内戦の原因となった鉱山の露天掘り現場を視察して、ブカへ戻りました。日曜日には現在のカテドラルとなっているブカのハヘラ教会でミサを司式させていただきました。二千人を超える人が集まっていたと思います。その晩は、ブーゲンビル自治政府のジョン・モミス大統領の招きで夕食へ。大統領の公邸は司教館のすぐそばで、実は大統領自身もかつてカトリック司祭から政治家に転身した過去を持つ方でした。(写真上の右がモミス大統領)

いろいろと考えさせられた旅でしたが、昨晩帰国したときに知った相模原の障害のある方々の殺害事件の衝撃も大きくて、ちょっとまとめがつきません。いずれにしろ、戦争がすさまじい喪失をもたらすものであることを深く感じました。それはもちろん金銭的な意味でもそうですが、敵対する国同士だけではなく、戦地となった地域においても、多くの将来のある若者が生命を落とした。その意味での、将来に対する大きな喪失を引き起こしたのも戦争であると感じます。

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