2009年7月 9日 (木)

東京教会管区会議終了

Irkutsk0906_2  昨日午後から今日の昼にかけて、さいたま教区の那須で、東京教会管区の会議が行われました。東京教会管区は、東京、横浜、さいたま、新潟、仙台、札幌の6教区で構成されれており、その司教と事務局長、司祭の代表などが集まりました。新潟からは司教総代理の川崎師、事務教区長の大瀧師、そしてわたしが参加しました。毎年一回、この時期に開催され、さまざまな課題について意見を交換します。今年は特に、先日行われた福音宣教のこれからを話し合う集いに関連して、各教区の今後の取り組みについての意見交換や、実際に教区を運営する上での事務局の役割についての情報交換などが行われました。また特に横浜教区が取り組んでいるさまざまな司牧指針の整備や制度の改革、また学校法人の機構整備などについて話をいただき大変参考になりました。

この会議は毎年管区内の教区持ち回りで行われます。当番教区の司教が司会です。昨年は新潟でしたのでわたしが司会をしました。これで司教になってからすべての教区を回りました。来年の当番は東京です。司教に任命された2004年、まだ叙階されていなかったものの、佐藤司教の代わりに川崎師と一緒に東京で開催された管区会議に出たのが始まりでした。

明日は朝から米沢を経由して夕方には仙台に入る予定です。米沢を経由するわけは、また戻ってから報告します。なお土曜日の午後には仙台で人権セミナー、日曜日は米沢教会でミサの予定です。インターネットの接続がなければ次の更新は日曜日以降です。(写真は記事と関係ないですが、先日訪問したイルクーツクのカテドラル聖堂内部にあるマリア像。マリア様が立っている背景はロシアの形に茂った木です)

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2009年7月 7日 (火)

Caritas in veritate

7月7日、バチカンではさまざまなことがありました。日本人にとって一番注目すべきは教皇様と麻生総理との会見でしょう。どのようなことが話し合われたかは外交上の秘密でしょうから明らかにはされないでしょうが、バチカンのプレスリリースでは、特にアフリカへの支援問題について意見を交わしたとのことです。麻生総理個人にとっても、また日本政府にとっても実りある会見となったことを願います。

ところで本日教皇様は、長く待たれていた回勅を発表されました。今回のタイトルは「Caritas in veritate」です。「真理における愛」とでも訳すのでしょうか。正式な訳は後日中央協から発表されるでしょう。この回勅はいわゆる社会教説で、主に経済問題について取り扱っているはずです。すでに07年12月のアドリミナの際に、原稿の執筆を手助けしているスタッフから主なポイントは出来上がって教皇様に提出されたという話を聞いていました。当初は08年の6月頃に発表の予定と聞いていましたが、その後の経済危機に対応してかなりの部分を書き直したという話を聞きました。そのために回勅の発表が今日までずれ込んだのです。まだ断片的にしか目にしていませんが、すでにテキストが公開されていますので、なるべく早い時期に読んでみたいと思います。(同回勅の発表を待望していた頃の日記はこちら

本日は教区司祭の静修の後半と幼稚園の園長会でした。明日と明後日はさいたま教区内で、東京教会管区の会議です。司教総代理の川崎師と事務局長の大瀧師とともに出かけて参ります。

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2009年7月 6日 (月)

「教会の社会教説綱要」邦訳完成

Compendium 先週末は木曜日の社会司教委員会の後すぐに、羽田から秋田へ飛んで、そのまま聖体奉仕会へ出かけました。金曜日と土曜日に、聖体奉仕会の会員総会があったのです。普段は各地で活動している会員も含め、21名が総会に集まりました。金曜日は黙想の一日。わたしの講話の後に全員と個人面接をいたしました。丸一日かかります。そして土曜日には会員総会でさまざまな課題について話し合い、午後には役員選挙も行われました。会長には小川さんが再び選ばれました。会員の高齢化も進んでいますが、聖体奉仕会として与えられた使命に常に忠実に生きることを毎日の祈りの生活の中で思い出し、互いに良く助け合いながら共同の奉献生活を営んでいいただきたいと思います。その生きる姿勢そのものや、訪れる巡礼者への迎える姿勢(ホスピタリティ)、そして日々の祈りの姿が、まさしく宣教となるのですから。

日曜日には新潟に戻る前に、聖体奉仕会のメンバーと一緒に御聖体を持って、高橋信子さんを訪問することができました。前回は2007年の8月でした。もうすでに2年以上も困難な闘病生活を続けてこられた高橋さんは、私たちの訪問をすてきな笑顔で迎えて下さいました。お祈りと聖体拝領のあと、ご主人のいれて下さったおいしいコーヒーをいただきながら、そして高橋さんや生徒さんの製作されるクレイフラワーの美しい雰囲気の中で、一時を過ごすことができました。闘病生活の困難さの中にも、信仰における生命の輝きを感じさせて頂きました。

さて、話は変わって、翻訳が待ち望まれていた「Compendium of the social doctrine of the Church」の邦訳が完成し、この度カトリック中央協議会から「教会の社会教説綱要」として発行されました。この本は、中央協のホームページによれば、「19世紀末に発布され、教会内外に多大な影響を与えた教皇レオ十三世の回勅『レールム・ノヴァルム』。この文書以降、激動の20世紀を経て、教会は社会に関する教えをさまざまな公文書を通して表現してきました。この教会の「社会教説」の豊かな蓄積を初めて公式に体系化したのが本書です。120年近きにわたる教導権の考察の実りが一冊にまとめられました」という貴重な一冊です。上掲写真の左が原本の英語版で、右が日本語版です。原本は2004年に教皇庁の正義と平和評議会がまとめたものです。07年12月にアドリミナで正義と平和評議会を訪問したとき、議長のマルティーノ枢機卿が盛んにその中身を自慢しておられ、早く邦訳するようにと促されたのを憶えています。非常に厚い書物ですので、邦訳も容易ではなかったと翻訳者から聞きました。ご苦労様でした。教会が社会のさまざまな問題に対して、どういう公式な立場をとるのかが網羅されています。頭から順番に読み進める必要はなく、テーマに応じて拾い読みすることもできます。500ページの大冊ですからお値段もちょっと張りまして、3000円に消費税です。また邦訳の冒頭には、教皇大使アルベルト・ボッターリ大司教が、6ページにも及ぶ挨拶文を寄せて下さり、この書物の持つ重要な意味を分かりやすく解いて下さっています。

本日月曜日は午前中から聖母学園の理事会。午後からは教区の顧問会。そして夕方からは教区司祭の月の集まりです。暑くなりました。お身体大切に。

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2009年7月 2日 (木)

イルクーツク点描・その2

Baikal0901 イルクーツクはバイカル湖のすぐそばにある町です。バイカル湖はその面積が琵琶湖の46倍はあるという事で、まさしく海のような湖です。また深さと水の透明度でも有名で、深さは1600メートルを超え、世界遺産にも登録されているとか。イルクーツクまで出かけたら、バイカル湖に行かない手はありません。

イルクーツクの町を抜けると広大に広がる森林地帯を道路がまっすぐに、しかしかなりの上下のうねりをもって湖に向かってのびています。対面交通の片側一車線を、すさまじいスピードで皆とばしていきます。イルクーツクの町から1時間ほどで、この湖から唯一水が流れ出すアンガラ川との境に到達します。アンガラ川はここからイルクーツク方面へと流れ、イルクーツクの町の目の前に巨大なダムが建設されており、ここで豊かな水資源を使った水力発電が行われています。このためイルクーツク地方では電気代が他の地方に比べて安いという話も聞きました。アンガラ川とバイカル湖の境目には小さな岩が存在しています。その岩のいわれを聞かされましたが、残念ながら忘れてしまいました。

イルクーツク教区ではバイカル湖の近くに黙想の家を持っています。この家は先代のマズール司教が、まだカテドラルを建設する以前から建てていたもので、特に若者のグループや信徒の黙想、そして教区の様々な集まりのために活用されています。この日も若者のグループが泊まり込みの合宿を行っていました。ちなみに6月ですでに学校は夏休みです。9月までの長い休みですから、こういったキャンプや合宿は大切な行事です。裏庭の斜面では、ボランティアできているという若い女性たちが、草刈りにいそしんでいました。(写真下が、黙想の家の前で青年たちと歓談するキリル司教)

そしてキリル司教さんたちと、バイカル湖へ。道沿いには様々なボートがお客さんを待って並んでいます。一時間ほどの湖の周遊をしてくれるボートです。このボートに乗り込む前に必需品を。日本人ならここでビールでしょうが、バイカル湖といえばこの湖に固有の魚オームリです。ボート乗り場の近くにはちょっとしたマーケットができており、そこで薫製やら焼き魚やラムし魚やらに調理されたオームリを売っています。パンと一緒に購入して、透明度抜群の湖上へ。ちょうど良いさわやかな風に吹かれながら、キリル司教さんたちとオームリを頬張りました。けっこう指に独特の油の香りが残るけれど、おいしい魚です。(写真上がオームリとパン)

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2009年7月 1日 (水)

今年も後半へ

7月になってしまいました。今年も後半に入りました。月初めにあたりいつものように今月の主な予定を記しておきます。

  • 7月1日 カリタスジャパンの会議(東京)
  • 7月2日 常任司教会議と社会司教委員会(東京)
  • 7月3日~5日 聖体奉仕会(秋田)
  • 7月6日 幼稚園理事会、教区顧問会、教区司祭静修(新潟)
  • 7月7日 教区司祭静修、幼稚園園長会(新潟)
  • 7月8日~9日 東京教会管区会議(さいたま教区)
  • 7月11日 社会司教委員会人権シンポジウム(仙台)
  • 7月12日 米沢教会
  • 7月14日 カリタスジャパンの会議(東京)
  • 7月15日 水曜日ですが「月曜会」(新潟)
  • 7月16日 カリタスジャパンの会議(東京)
  • 7月19日 亀田教会
  • 7月20日 教区の諸会議 (新潟)
  • 7月22日から28日頃まで休みを頂く予定です。

ところで8月1日と2日には新潟でカトリック障害者連絡協議会(カ障連)の第10回全国大会が新潟市内で開催されます。すでに参加申し込みを頂いた方も多くおります。当日はボランティアの協力が不可欠です。現在新潟の実行委員会メンバーが会場設営などの問題に鋭意取り組んでおりますが、今後、当日の実行部隊としてのボランティアがさらに必要となるかもしれません。小教区には必要に応じて呼びかけいたしますが、どうか、8月1日と2日に実際にお手伝い頂ける方、ご協力への心づもりをどうかお願いいたします。

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2009年6月30日 (火)

イルクーツク点描

Irkutsk0903 バイカル湖のほとり、夏時間では日本と時差がなく同じ時間を生きているイルクーツクには、カトリック教会が、実は現在も二つ建っています。昨日の日記で写真を掲載しているのが新しい方のカトリック教会で、現在のカテドラルです。

ところが町の中心部には、本日の写真に掲げた「カトリック教会」が建っているのです。もともと共産革命以前にこの地にはカトリック教会が存在していたのです。それがこの写真の教会。しかし共産政権下ではロシア正教もカトリックも、多くの教会が破壊されたり接収されたりしました。ロシア正教の教会が再建されたのはペレストロイカ以降のことです。中国本土でも同様の事例がありますが、接収された教会の中には倉庫として利用されていたものも多くあります。

イルクーツクのカトリック教会はコンサートホールに利用されました。現在ではドイツ製のパイプオルガンが、この聖堂の内部にあわせて設計設置され、パイプオルガン専門のコンサートホールになっているのです。ちょうど祭壇がおかれていた内陣に、下の写真のような立派なパイプオルガンがおかれているのです。これを他に移すのは至難の業のようです。ソ連崩壊後、イルクーツク教区ではこの聖堂の返還を求めてきたのですが、残念ながら市当局としてもパイプオルガンの移設先が見つからず、返還は実現していません。その代わり、といってはなんですが、聖堂の地下部分の一部屋がカトリック教会専用として返還されています。写真の祭壇がある地下室が、イルクーツク市内にカテドラル以外にもう一つしかないカトリック教会の小教区聖堂です。10人も入れば聖堂は一杯となります。

イルクーツクに前任のマズール司教が任命された当時、99年に訪問したとき、マズール司教と秘書のヨゼフ神父は、アパートを「カテドラル」にしていました。食堂のカーテンを開けて、「ここがわたしのカテドラルだよ」と冗談めいていうマズール司教と一緒にミサを捧げた思い出があります。マズール司教はかなり懸命に聖堂の返還を求めたもののかなわず、結局現在もあるカテドラルを別に建設したのでした。そしてそれが、彼の入国拒否へと繋がってしまいました。まだまだ共産政権時代の爪痕がロシアには残されています。

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2009年6月29日 (月)

9年ぶりにイルクーツクへ

Irkutsk0902 ロシアから本日午後、無事に帰国しましたのでご報告いたします。今回は坂本耕太郎神父を伴って、先週の月曜から木曜まで、バイカル湖の近くにあるイルクーツクへ出かけ、イルクーツク教区のキリル・クリモビッチ司教と面談して、新潟教区とハバロフスク小教区との友好関係について理解と許可を求めることが第一の目的でした。結論から言えば、非常に好意的に受け取って頂き、特に金銭的なつながりではなくて、兄弟姉妹としての霊的なつながりを中心的に意識していることや、若者の交流を目指していることなどは、キリル司教も同じように考えているとのことでした。次回、新潟からの訪問団がハバロフスクを訪れる際は、ご自分もハバロフスクへ出かけ、訪問団を迎えたいとまで言って頂きました。

わたしにとってはイルクーツクは三回目となりました。99年と2000年に訪問しています。特に2000年は、当時カリタスジャパンがイルクーツク教区を支援していた縁もあり、イルクーツクのカテドラルの献堂式にも参加しました。ですから今回は、その時の聖堂を9年ぶりに訪問することになります。あの立派な聖堂は今もしっかり建っていましたが、近年かなり大きな地震があったとのことで、残念ながら壁には一部に亀裂が入り、補修工事が必要だとのことでした。献堂式当時に出会った同じ神言会のポーランド人神父ウラジミール師が、今回は司教総代理として迎えてくれ、旧交を温めることができました。詳しいことはまた明日以降に記します。ちなみに、新潟からハバロフスクまでは2時間弱のフライト。ハバロフスクからイルクーツクまでは3時間半ほどのフライトでした。

金曜日から本日までは、ハバロフスクに滞在しました。ちょうどハバロフスクの主任と助任の両者がヴィザ更新のためアルゼンチンに帰国を余儀なくされ(現在ロシアのヴィザは自分の国でしか更新できないため)司祭が不在となった小教区で、昨日は主日のミサをわたしが代わりに捧げさせて頂きました。昨年も二度ほどミサをしているので、何となく顔見知りであります。今回は初めて、ミサ後の持ち寄り昼食会が終わって、若者たちのグループが会いたいということで、ちょっとした対話集会をしました。先日の米沢での列福感謝ミサに参加したバレンチン君の体験がとても新鮮だったようで、多くの若者が、新潟の若者たちとの交流の機会を望んでいました。もっともハバロフスクから新潟へ行く値段で、ヨーロッパ各地を巡礼して回れるくらいになるとのことで、つまり、ヨーロッパに行く方が日本に行くより安いという現実が、ちょっとした壁を作っています。先日新潟で出会った人たちへ、バレンチン君からよろしくとのことです。

今回も、ロシア正教から招待して頂き、ハバロフスクの神学院で司祭と夕食をいただき、いろいろいろとお互いの教会の話をして、いやはや互いをあまりにも知らないものだと、別の意味で互いに感心しあいました。

(写真上は、イルクーツクのカトリック教会のカテドラル。下左は、イルクーツク教区のキリル司教と。下左はハバロフスク市制150周年記念聖堂の内部)

Irkutsk0901 Khaba0906

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2009年6月21日 (日)

ちょっとロシアへ

明日月曜日の午後から29日の午後まで、ロシアへ出かけてまいります。前半の月曜から金曜までは東シベリアの司教様がおられるイルクーツクへ、坂本耕太郎神父様と一緒に。そして後半の金曜から月曜までは、坂本師を先に帰してわたし一人でハバロフスクに滞在し、次の日曜のミサはハバロフスクの教会で一緒にする予定です。したがって、次の『司教の日記』の更新は、6月29日以降となります。

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2009年6月20日 (土)

司教総会から

司教総会などの諸会議が本日午後に終了しました。今回の司教総会では、裁判員制度についてかなり時間を割いて話し合い、信徒の皆様向けのメッセージを発表しました。木曜日に記者発表をして、潮見にはマスコミ各社が集まりましたが、同じ発表を耳にしても、記者さんによって記事の書き方のニュアンスが違うものだなあと感じました。

信徒の民様へのメッセージは来週早々にも小教区へは送付いたしますが、すでに中央協のホームページに公開されていますから、参照下さい。司教団としては信徒の皆様に一定に行動を指示するようなことはいたしません。教会の教えに従って、それぞれの良心に基づいた自由な判断をして下さい。心配がある場合には、どうぞ司祭にご相談下さい。また教会の教えについては、メッセージに添付してありますので、ご参照下さい。どうぞ文章には一つ一つの言葉遣いにもよく目を通して下さいますように。メッセージの本文だけを引用します。

「日本カトリック司教協議会は、すでに開始された裁判員制度には一定の意義があるとしても、制度そのものの是非を含め、さまざまな議論があることを認識しています。信徒の中には、すでに裁判員の候補者として選出された人もいて、多様な受け止め方があると聞いています。日本カトリック司教協議会は、信徒が裁判員候補者として選ばれた場合、カトリック信者であるからという理由で特定の対応をすべきだとは考えません。各自がそれぞれの良心に従って対応すべきであると考えます。市民としてキリスト者として積極的に引き受ける方も、不安を抱きながら参加する方もいるでしょう。さらに死刑判決に関与するかもしれないなどの理由から良心的に拒否したい、という方もいるかもしれません。わたしたちはこのような良心的拒否をしようとする方の立場をも尊重します」

なお聖職者や修道者に関しては、量刑判断に踏み込むことが司法における国家権力の行使にあたるという教会法学者の意見をうけて、教皇庁の教会法の解釈をする部署に問い合わせた結果をうけ、聖職者や修道者が裁判員になることは教会法に抵触すると判断しています。なおこの場合、終身助祭は含まれていません。

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福音宣教の会議も最終日

Shiomi090619 木曜日の夕方からはじまった、ここ十数年では初めての試みとなる、「日本の教会の方向性を確認し、福音宣教の今後を話し合う集い」も、本日土曜日が最終日です。できる限り全国から参加された司祭の意見に耳を傾けるために、いつもは活発に話す司教様たちも、じっと耳を傾けました。昨日の午後には7/8名ずつの5グループに分かれ、社会と教会の現実の中でどのような福音宣教が求められているか、どのような困難を克服しなければならないのか、日頃の考えを分かち合いました。少子高齢化の社会の中で、戦後にできた組織体をそのまま維持すること自体が果たして可能かということや、司祭の高齢化と召命の減少の中でどのような道が開けるのかということや、それをどのような明るい展望へつなげていくのか、福音を伝えるためにはどのような道を模索するべきなのかなどなど、現場の司祭の声を代表する意見が多く聞かれました。もっとも今回はそれぞれの教区の代表司祭が事前に充分に司祭団の意見を聞く機会と時間がなかったため必ずしもすべての現実が網羅されたわけではありませんし、話し合いの中で指摘されたように、信徒の意見にも耳を傾ける機会が必要だとも思います。かつて開催されたナイスほど大がかりではなくとも、何らかの形で、それぞれの福音宣教の現実からの声に耳を傾ける機会を考えていきたいと思っています。

そのあたり、今日の最後の会議で、これからの方向性をある程度道筋をつけて終わりにしたいと思います。何かメッセージが出るとか、指針が出るとか、そういったことはたぶん今回はないと思います。ただ、司祭年のはじめだから司教団が何かしたのだということだけに終わっては意味がないので、今後に必ずつなげていきたいと思います。(写真:イエスのみこころの祭日のミサを、潮見教会聖堂で参加者と共に捧げました。司式は池長大司教様)

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