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2005年7月24日 (日)

能代教会訪問


 今日は能代教会を訪問してきました。秋田から更に北へ60キロほどの所です。能代といえばバスケットで有名な学校があるところですよね。教会は街の中心からは少し外れたお寺なんかが多い閑かなところにありました。幼稚園が隣接されています。集まった信徒の方々は20人ほどでしょうか。新潟教区内にいくつかある、小さな共同体の一つです。ミサの後は一緒にテーブルを囲んで食事をいただきました。ミュラー神父様もお元気でした。
 ところで、明日からわたしは夏休みで10日ほど不在です。従って日記の更新もありません。次回の更新は、8月5日以降となります。また8月5日以降にお会いしましょう。
 写真は能代教会。

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2005年7月23日 (土)

ケニヤで起きた殺人

 わたしとっては十分悲しいニュースが伝わってきました。14日にケニヤのイシオロという町の司教さんが、何者かに銃で撃たれて亡くなりました。司教さんはもう76歳で、辞表を出してケニヤで引退することを考えておられたそうです。つまり殺されたルィギ・ロカティ司教はイタリア出身だったのです。
 ナイロビから北に400キロほど、マウントケニヤの向こう側のこのあたりでは、この数週間、部族紛争が続いていたそうです。GabraとBoranaという二つの部族の対立ですが、それ自体はそんなに珍しいことではないでしょう。わたしもそんな対立の真っ最中にガーナの北の村に仲間の神父を訪ね、警察の装甲車が銃を撃って走るのを目の当たりにしつつミサをしたことがあります。
 確かにロカティ司教はケニヤ北部の遊牧民であるBoranaと Turkanaにとても心を寄せて活動していたことから、部族対立に巻き込まれたとも見られました。それにしても処刑とも言わんばかりの殺し方であったといいます。しかし警察は今回の殺人は部族対立とは関係ないと見ているようです。ロイター・Zenit、CISAといったニュースソースを見ると、どうも教区司祭二人が関連して任意聴取を受けている様子もあり、怨恨のようです。
 わたしも実は一度だけイシオロでロカティ司教にお会いしたことがあります。写真はそのときの様子です。一昨年のことでした。RIP

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2005年7月22日 (金)

週末はまた秋田

 週末はまた秋田です。今度の日曜は秋田市から更に北にある能代教会を訪問する予定です。主任司祭は神言会のオズワルド・ミュラー神父様で、今年は司祭叙階金祝のお祝いの年です。
 ところで二回目のロンドンテロのねらいは何でしょうね。もちろんテロがその名の通り恐怖を与えることであれば、かなり効果があったということでしょう。英国だけでなく、ずーっと恐怖のどん底にいる合衆国をはじめ、日本も次かなんて、日本にまで飛び火して。その意味では世論を恐怖に突き落とすという意味では成功しているのかもしれません。でも逆にあまり好ましくないことも起こりうるので、それは困ったなと思いませんか。だってこうなってくると「公」が「民」に対して、ちょっとくらい強引なことをしても容認する雰囲気が出来ますでしょう。そっちの方が実際のテロより怖いと思うのですけれど・・・。

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2005年7月21日 (木)

マリアの宣教者フランシスコ会

昨夜は久しぶりに友人に会いました。私がガーナで働いていた頃、一緒にガーナで働いておられたマリアの宣教者フランシスコ会のシスターにお会いしました。彼女の方が私より先にガーナへ来て、私より長く活躍されました。というか、宣教地へ行ってみるとよく分かりますが、活躍している日本人宣教者といえば、9割方シスターですから。私がアフリカにいた当時、私が知っている限りですが、男の日本人宣教師はあのアフリカ大陸に3人しかいなかったんですよ!3人!私が直接知っているだけでもシスターは10人はいたのですから、いかに女性の方がパワーがあることか。しかも中には司祭があまりにも足りなくて、シスターが小教区を守っていたところもあるのです。
司祭が足りない、高齢化している、日曜にミサがない。いろいろと日本の教会に問題があるとは分かっちゃいますが、でもそれくらいどうにかなるような気がするのは、私がアフリカにいたからでしょうか。どっちがいいとか悪いの問題ではないのですが、でもアフリカや南米やアジアの様々な教会を体験すると、一口で教会といっても様々なあり方が世の中にはあるものだなあと分かります。
 ところでこのマリアの宣教者フランシスコ会は、新潟教区にも働いておられるんですよ。新潟の亀田に共同体があります。

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2005年7月18日 (月)

海の日でした


 今日は海の日でした。ところで海の日って何?そりゃ暑い時期ですから、海で泳ぐ人も多い時期ですから、分からないでもないですし、月曜に移動したことで例えば教区の信徒協議会を本日開催できたように、遠隔地からの参加者を求める会議をしやすくなったのはありがたいのですが、でもそれにしても何の記念日?
 それはさておき本日は、秋田、山形、新潟、新発田、長岡の各地区からの信徒代表者が集まって、信徒使徒職協議会が開催されました。これをお読みの新潟教区の皆様、ご自分の地区の代表はどなたかご存じですか?知らない?次の日曜日にでも教会で是非探ってみてください。皆様の代表です。
 で先ほどインターネットを見たら、こう書いてありました。もともと海の記念日だったのですね。「海の記念日は、1876年、明治天皇の東北地方巡幸の際、それまでの軍艦ではなく灯台巡視の汽船「明治丸」によって航海をし、この日に横浜港に帰着したことに因み、1941年に逓信大臣 村田省蔵の提唱により制定された。」非常に申し訳ないけれど、だから何の記念日なのかあまり分からないけど、休日なんてそんなものだからいいといえばそれまで。それにしても不思議な記念日です。
写真は司教館の奥、ヴィアンネ館での信徒協。扇風機から分かるとおり、エアコンはないのです。

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2005年7月17日 (日)

本荘教会(その2)

秋田県では特に農村部の人口減少が激しく、本荘教会も人口減のあおりを受けているようです。それに近くにそびえる鳥海山の方にまで、また山形県との県境の方にまで、信徒の方々は分散しており、特に高齢になられると冬などは教会に出てくることも適いません。かつて教会は幼稚園を主体として幼児教育から取り組んでいきましたが、もしかしたら今は、幼児教育と共に高齢の方々への何らかの取り組みも真剣に考えるときなのかもしれないと思います。
ところでいつもどうやって写真を撮るのだというお問い合わせを複数いただきました。出かけるときはデジカメを持参しています。デジカメを持っていないときには携帯電話です。ここに掲載する写真はサイズが小さいので、実はかなりピンぼけの写真もあるのですが、何とか見られるようになっております。
写真は本荘教会のステンドグラス。

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秋田・本荘教会訪問


私の教区内小教区公式訪問もそろそろ終盤にさしかかってきました。とはいえ秋田県内の教会がまだいくつか残っています。私の神言会コネクションから、秋田を後回しにしてしまいました。申し訳ないです。
というわけで昨日から秋田県の本荘教会を訪問していました。この春の合併で本庄市は由利本庄市となり、秋田市とはお隣同士となっています。
夏の間は海水浴客で海岸沿いの道路は混むこともあり、また今夜と明日は、新潟で信徒使徒職協議会の集まりもあることから、車はやめて電車で行ってきました。
幼稚園が隣接した小さな共同体です。今日のミサは20人ほどの参加でしょうか。県立大学のキャンパスがあるとのことで、ペルー人の先生一家もおられました。主任司祭は神言会の秋田地区では長老となりつつある桃田神父様です。
写真はステンドグラスが美しい聖堂でお話しされる桃田師。  

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2005年7月15日 (金)

会議も一段落、か?

東京教会管区会議は二日間の日程を無事終わりました。大きい教区も小さな教区もそれぞれに抱える悩みは豊富でバラエティーに富んでいますが、司祭の高齢化と不足は深刻です。本来的には教区は司教と教区司祭がおもな働き手であるのが理想ですが、多くの教区が宣教会や修道会の助力に頼らざるを得ませんし、教区にしても宣教会や修道会にしても、これから先、充分な司祭を確保できるかどうか保障はありません。なかでも新潟教区には神学生が一人もいませんから、これまた悩みは深刻です。司祭志願者の発掘に努めたいと思います。
 それぞれの教区の独自の取り組みなどの情報交換も出来て、有意義な二日間でした。来年は札幌教区が担当で行われます。
 本日は東京でカリタス委員会でした。これで新潟以外で行われるおもな会議は一段落。次は8月5日まで会議予定はありません。あまりに会議が立て込むと、考える時間が無くなって、綿密に物を考えることが出来ないまま判断してしまう恐れがあり、それが怖いですね。
 写真は管区会議が行われた場所へ行くための、最新鋭のロマンスカー。つまり箱根湯本駅です。

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2005年7月12日 (火)

東京教会管区会議

 昨日(11日)は教区顧問会でした。顧問は誰かご存じですか?川崎師、大瀧師、鎌田師、高藪師、ブルーノ師、本間師、飯野師です。
 明日(12日)とあさっては、東京教会管区の会議が行われます。東京教会管区とは、東京大司教の下にある諸々の教区の集まりのことです。つまり、札幌、仙台、新潟、さいたま、横浜、そして東京です。今回は横浜教区が担当ですので、会議は横浜教区内の某所で行われます。集まるのはすべての教区司教(但し仙台は教区管理者)、事務局長、司教総代理またはそのほかの司祭で、これだけでもかなりの数になりますね。毎年一回の集まりをしています。こんなに重要な人たちが集まるので、「攻撃を警戒して」場所は秘密です。なんて、襲われるほどの威力をもってはいませんけれども、わたしたちは。

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2005年7月11日 (月)

三条教会訪問(その2)


 ところで三条教会には、私の過去を知る人がおりました!私はもともと岩手県の生まれですが、小学校は盛岡で4年生の終わりまで過ごしました。そのときに父親の仕事の関係で、四ツ家カトリック教会に住んでいましたが、当時一緒に日曜学校に出ていたという女性が結婚されて三条におられたのです。しかも当時、たぶん小学校3年生だったと思います、仙台から小林司教様が来られて堅信式をされたのですが、そのときに四ツ家で撮影した集合写真のコピーまで持ってきていただきました。
 私はといえば、そういわれて気がつきましたが、偉そうに、小林司教様のすぐ近くに、そして写真のど真ん中に立っていました。
 しかしその頃の日曜学校といえば、あまり「よゐこ」ではなかったので、良い思い出がない、というか、恥ずかしいことしか思い出さない、というか・・・。
 写真は三条教会の信者さんの数名と帰りがけに撮影したものです。撮影者はなんと屋根に登っております。

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三条教会訪問

 本日(10日)、三条教会で復興感謝ミサを行いました。昨年の7月13日の豪雨と洪水に被災されてから、すでに一年が経とうとしています。あの日濁流に家財道具一切を流されて、そのまま家を再建することもままならない人も多くいます。仮設に住んでいる方もおられます。そのとき汚水ともいうべき濁流に使ったためか、近頃になって体調を崩された方もいます。ミサ後の集まりでは、一人ひとりがあの日の体験を分かち合いました。体験談をうかがいながら、まとめてどこかに書いておきたいような話ばかりだと感じました。厳しい災害の現実の中でも、それを通じて人と人のつながりが出来たり、少なくとも何かが生まれたことは事実のようです。完全な復興には、まだまだ時間がかかるでしょう。共に忘れずに、祈りたいと思います。
 写真はあの日の体験を語る主任司祭の佐藤允広師。

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2005年7月10日 (日)

あの豪雨からもう一年です

 今日は珍しく特別な予定の無い一日でした。明日は三条教会を訪問します。昨年7月13日に豪雨と洪水が、三条などを襲ってからもう一年です。被災から一週間後に、三条の佐藤師の配慮で被災地を訪れることが出来ました。あれが私の新潟での仕事始めのようなものでした。あれから一年、復興への感謝とまた今後への保護を願いながら、三条教会の方々と明日のミサを捧げて参ります。
 ロンドンではとんでもないテロ事件が発生しました。どんな理由があれ、人間の命を奪うことは許されるべきではありません。平和についてさらに深く考えさせられる事件です。犠牲になられた方々や、怪我をされた方々のために、心から祈りたいと思います。司教団が先に発表した平和メッセージには、賛成する人たち、疑念を呈する人たち、いろいろな意見が寄せられているようです。私自身の平和への思いは、「OPINIONなどなど集」に収録しておきました。
 写真は1995年4月11日のルワンダ難民キャンプ襲撃事件を、生き延びた子供たちが日記風に描いた絵です。

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2005年7月 8日 (金)

聖体奉仕会(続き)

 写真は聖体奉仕会の聖堂です。この右側に美しいマリア庭園と、広々とした十字架の道行きのある子羊の苑があります。ここは何となく立木が少なくて落ち着かないのですが、これは野生の熊対策だとか。熊は身を隠す場所があるところに出没するのだそうで、どうしても見渡せる広々とした空間にしておく必要があるようです。
 「誇る者は主を誇れ」とあるとおり、この美しい自然と神聖な雰囲気を大切に生かしながら、この場を通じて行われる使徒的活動が、「主を誇る」活動となることを願います。

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聖体奉仕会修道院訪問


 7月6日は秋田の聖体奉仕会修道院を訪問しておりました。秋田市郊外の山の中にある修道院は、落ち着いた雰囲気で、広い庭園もあり、祈りをするためにはすばらしい雰囲気です。聖堂も純和風な作りで、堂々とした存在感があります。
 シスター方が巡礼などで訪れた方々のために、献身的に尽くしておられます。新潟教区にはこういった場が多くはありません。特に霊的成長のためには黙想会が出来る場や、研修会などが出来る場が必要です。今のところ考えられるのは、新潟県にある妙高教会の研修施設(天然温泉付き・高田教会に連絡してご利用下さい)と、この聖体奉仕会の施設でしょう。どうか教区の皆様にも、黙想や研修、そして巡礼のために、聖体奉仕会の修道院を積極的にご利用下さい。
 写真は聖体奉仕会修道院聖堂の内部。

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2005年7月 5日 (火)

教区司祭静修


 昨日(4日)夕方から本日の昼まで、月例の教区司祭静修が行われています。病気の方以外全員が参加され、昨夜は様々な教区の課題についての意見交換が行われました。
 静修は昼のミサで終わりですが、私は午後から秋田へ出かけます。その後木曜日にはカリタスの会議のため、東京へ出かける予定になっています。
 昨日は合衆国の独立記念日でした。ブッシュ大統領の演説の要約を見て、いやはや人間というのは全く同じ現象を目にしても、人によって立場によって、理解の仕方が全く異なるものであることを再確認させられました。理解が異なるとその現象の原因が何であるかのとらえ方も変わってくるのですね。翻って日本でも、昨日は郵政民営化法案を採決する委員会の模様をネットで聞いていましたが、同じ事への理解が異なると原因のとらえ方も異なることをここでも感じました。全く議論にならない。同じような仕方で、戦争にでも突き進まないで欲しいものだと感じたのですが、それは私の単なる杞憂でしょうか。「平和が必要だから戦争すべきでない」「そうなんです、平和が必要だからこそ戦争しなくてはいけない」なんてことで。

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2005年7月 3日 (日)

茅ヶ崎教会

 本日3日は、神奈川県の茅ヶ崎教会で、ミサと講演をして参りました。茅ヶ崎といえばサザンオールスターズくらいしか頭に浮かばなかったのですが、人数が多いだけでなく、とても積極的で活発な信徒の方々が大勢おられる、うらやましい教会でした。主任の鈴木真神父様を中心に、信徒の方々、シスターも含めてチームを作り、第二バチカン公会議を学び直しながら、共同体づくりに取り組んでおられるとのことで、4月からは連続講座も開設しているとか。私はその一環としての特別講演でした。茅ヶ崎以外の教会からも多数集まっていただき感謝いたします。是非新潟でも、信徒の方々をも含めた、研修を企画するチームを近い将来に設置していきたいと思いました。
 ちなみに茅ヶ崎教会のオルガニストの方は私の大学時代の同級生ですが、な・なんと、大学一年になるお嬢さんがいると聞かせられて、自分が齢を重ねているのだという事実に、思いっきり気がつかさせられました。
 写真は祭壇を真ん中にして会衆席が取り囲む形の、茅ヶ崎教会聖堂内。

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2005年7月 1日 (金)

新教皇大使と


 昨日(6月30日)は、この度新しく日本へ赴任されたばかりの教皇大使アルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教が、潮見のカトリック会館を訪問され、職員と歓談後、6時から司教団との夕食歓迎会が行われました。全国から都合のつく司教10名が参加しました。これまでアフリカの小国に派遣されていたこともあり、信徒の規模が小さな日本の教会に、これほど巨大な中央協議会があることに驚かれた様子でした。建物はバブル期の遺産ですから立派ですが、台所は火の車なのですが。
 夕食会では司教の自己紹介がありましたが、大多数の、特にローマ留学組がイタリア語ぺらぺら(の如くに感じたけど)なのには驚きました。最も大使は外交官ですから、英語もとても良くできます。私はイタリア語は、だめですから。
 私は、明日土曜の午後には神奈川県の茅ヶ崎へ出かけます。日曜日に茅ヶ崎教会で講演会の予定です。
 写真はカトリック会館6階のカリタス事務局で、私と教皇大使。

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