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2006年1月20日 (金)

ホテル・ルワンダ

いろいろな方面から噂は聞いていたのですが、映画「ホテル・ルワンダ」を見る機会にやっと恵まれました。なかなか強烈な映画でした。

映画の大半は南アフリカでロケが行われたようですが、随所に本物のキガリの町が映し出されています。見ながらも妙な懐かしさを感じていました。故郷が映画に出てくるような感覚。「そうそう、そのビルを通り過ぎて奥へはいると、いつも泊まるホテルがあるんだよね」などと感じていました。本物のサベナホテル「ミル・コリン」は、無粋なコンクリートの建物ですが、映画ではすてきなコロニアル風になってました。描かれている内容は、まさしくあの通りというか、あれ以上だったと思います。あのホテルは当時ルワンダで国連が如何に厳しい立場に立たされていたかを象徴的に表す場所でした。ニューヨークから様々な制限を課せられ、まともに武器も使えず、必死に耐えた当時の国連ルワンダ支援団(UNAMIR)の姿が、よく描かれていました。あのとき安保理では、とにかく「虐殺」という言葉を巧みに避けながら、長々と訳のわからない議論が続いていたと記録されています。もっとも映画で言われたように、ルワンダに価値がないから見捨てられたのではなく、実はそれ以上の価値があるから国家が崩壊するに任せられたのであり、合衆国やフランスは、「事態後」の立場を考えて、あの人たちを見殺しにしたのです。映画では、RPF(反乱軍と呼ばれていました)を救世主のようにちょっとかっこよく描きすぎですが、それは仕方がないでしょう。

ちなみに事態は単純な部族対立ではないというのは、映画の中でもかすかに描かれていましたが、これを単なるツチとフツの抗争劇などと理解していては、いけません。単純な地域紛争ではなくて、国際社会を巻き込んだ権益確保抗争に巻き込まれて発生しているのですから。映画の中でも描かれていたベルギー軍10名が殺害された話。これでベルギーは外国人だけを連れて撤退を決意するのですが、彼らが守りきれずインタハムェに殺された首相は、ツチではなく「穏健和平派」のフツの女性でした。ツチを守ったホテル支配人のようなフツもいれば、真っ先に殺されていったフツもたくさんいたのです。部族抗争の引き金を引いた政治闘争がありました。

波のようになって避難をする人たちの群れは、難民キャンプで実際に見たそのままですし、夜空を花火のように弾が飛び交う銃撃戦のシーンでは、思わず記憶がよみがえり、体に緊張が走りました。やはり忘れません。ロケット弾の音はあのままですが、銃撃の音はもっと乾いていたような気がします。ああやって助かった人たちもいれば、なすすべもなく死んでいった人たちの多く、身内を殺させられたトラウマを抱えて生きている人たちも多くいます。いろいろと考えさせられる、そして思い出させられる映画でした。

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