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2006年1月22日 (日)

キリスト教一致祈祷週間

 毎年1月18日から25日までは、キリスト教一致祈祷週間です。第二バチカン公会議以降、日本の教会でもよく耳にするエキュメニズムという言葉で進められている一致運動です。様々な取り組みがなされており、教義の側面や神学的な対話は進んでいるのですが、実際的側面では、やはり長年にわたって異なるやり方で信仰を守っていますから、具体的な一致は難しいと感じられます。でも教皇ヨハネパウロ二世も、回勅「キリスト者の一致」のなかで、「キリスト教一致のための運動は、付録のようなものではありません。・・・エキュメニズムはもともと教会の生活と活動の一部であり、そのすべてに浸透していなければなりません(20)」と記しています。同じ福音に生きる者が、キリストという一本のぶどうの幹に繋がっているのは当然であり、共同体の一致は福音に生きるためには不可欠だからです。出来ることから、歩みを共にしていきたいと思います。

新潟市内では、伊藤司教様の頃から、市内のキリスト教会が合同で、この週間の間に祈祷集会を毎日開催しています。今年は、新潟市が合併して広くなったため、かつては市外であった新津や亀田、豊栄にある教会も会場として選ばれています。カトリックでは亀田と新津教会がこの一致祈祷週間の間に祈祷会を催しました。終日は夜の7時から行われますが、本日は日曜日ということで、中心集会と銘打って、日本キリスト教団新潟教会で50人以上の各教会信徒が集まって、祈祷集会が行われました。

 IMG_0143 なお明日、1月23日(月)は、午後7時から、新潟カトリック教会で祈祷集会が行われ、私が説教する予定です。

 それにしても、同じ主イエスを信じているとはいえ、礼拝のやり方や、礼拝における言葉遣いには、それぞれの伝統があり、初めて出かけていくと何となく違和感があるものです。私たちはカトリックのやり方に慣れていますから何ともなしにミサをしているのでしょうが、たぶんそこにプロテスタントの方が来られたら、妙なことをしているなと感じるのかもしれません。

もちろんどちらが良いとか悪いの問題ではないのですが、やはり、自分の言葉で祈るという点では、プロテスタントの方々の方が、慣れておられると感じます。例えば病人を訪ねても、どちらかといえば私たちは本に書かれた祈りをしたり、主の祈りなど決まった祈りをするだけのことがありますが、ご自分の言葉ですばらしい祈りをされるプロテスタントの方などに出会うとびっくりすることもあります。

 もっともこれは慣れの問題です。かつて働いていたガーナの教会は、もともと奥地の村での識字率が低いことや、文字文化の発達が遅かったことなどからも、例えばミサ中の共同祈願も自由祈祷のようになることがしばしばありました。これがまた、皆さんお上手でした。中には延々と長い共同祈願で、そのうち共同ではなく個人祈願になったりして、カテキスタがあわてて肩をたたきに行って止めたりする楽しいハプニングもしばしばありましたが、いずれにしろ、もともと語る文化ですから、自由祈祷はお手の物でした。私もそれにつられて、病人訪問では長々と祈りをしたものです。長い祈りをして、たくさん聖水を撒かないと、皆さんに納得していただけないからです。で、日本に戻った折に、病人訪問でガーナの調子でお祈りを始めたら、あとで諫められました。「神父さん、大きい声で、延々と、妙に思われるからやめて。」難しいものです。

美しく作り上げられた祈りももちろん大切ですし、伝統的な祈りやラテン語の祈りには、とても美しいものがあります。そうであることを前提にしながらも、やはり自分の文化の言葉で、自分の思うことを素直に、神様に言い表す術を習得しておくことは、とても大切だと思います。だらだらと神様に対しておしゃべりを垂れ流す事とは違う何かが、祈りにはあり、それはやはり場数を踏まないと分からないからです。

新潟市内の一致祈祷週間。最終日(25日)は毎年、聖公会の聖パウロ教会です。寒くて雪も降って大変ですが、参加できない方も、どうか少しだけ家で、キリスト教一致のために、お祈りをお捧げ下さい。

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