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2006年1月13日 (金)

この数日に

本田竹広が亡くなった。まだ60歳だからちょっとショックだった。10年くらい前に病気で倒れてリハビリ生活だとは聞いていたが、あこがれのジャズピアニストだ。

1975年の夏、渡辺貞夫カルテットはスイスのモントルージャズフェスティバルで、「すごい」演奏をした。その日の演奏は、倒産する前のスイス航空DC10がアルプス上空を駆け抜ける絵に、サックスケースを抱えた「ナベサダ」が笑顔を振りまくジャケットで、その名も「SWISS AIR」として発売された。発売初日に買ったのを憶えている。私が高校2年生の時だ。カルテットはリーダーの渡辺貞夫、ベースの河上修、ドラムが守新治、そしてピアノが本田竹広だった。岩手出身の自分としては、世界のナベサダのバックを務める面々が、すべて東北人だったことを、それがどうしたといわれるような事だが、誇らしく思った。いま青木誠さんが当時書いたライナーノーツを読み返して確認したら、確かに、河上が秋田、守が仙台、そして本田が岩手県の宮古生まれだ。そう、本田竹広は、これまたそれがどうしたといわれそうだが、私と同郷だ。

残念ながら本人との面識は全くない。宮古の教会で伝道師をしていた私の父親が、本田のこれまた父親(宮古で宮古高校の教師をしていたという)に、オルガンを習った事があると聞いて、なおさら親しみがわいた事だけは憶えている。

その伝説とも言うべきスイスエアーの演奏の一月ほど前、渡辺貞夫カルテットは名古屋の勤労会館でライブを行った。しかも無料。当時土曜の深夜に放送されていた渡辺貞夫マイディアライフの公開録音だった。大学生の先輩が入場整理券を手に入れてきてくれた。第一部はこのカルテット、第二部にはなんと憶えている限りで、粉川忠範(Tb)、渡辺香津美(Gt)、富樫雅彦(Perc)、峰厚介(Tsx)が加わった大セッションだった。そこで初めて富樫雅彦という人のすさまじさを知ったし、小林克也の軽妙な語りに触れた。

高一の時に同級生たちとジャズバンドを始めてドラムをたたいていたとはいえ、日課の厳しい小神学校で生活していたこともあり、レコード以外での演奏を聴いたことがなかった。つまり生まれて初めて「生」でプロの演奏を聴いたのがこの日だった。当時の小神学校は就寝が10時だったし、個人でラジオを持つことも禁止されていたので、マイディアライフでさえもリアルタイムで聞いたことがなかった。バンド仲間の友人たちの録音で聞いただけだ。正直言って自分は太鼓たたきだったので、その日までピアノには興味がなかった。それがこの日、名古屋の勤労会館で、本田はソロで聞かせた。誰かの台詞ではないが、「感動した。」あとで思い返せば、その数週間後にモントルーで演奏した「スウェイ」か「パガモヨ」だったに違いない。ナベサダたちが演奏に入ってくるまでの一時、本田が切々と弾き続けたソロは圧巻だった。初めてピアノはすごいと思った。

その後、夏の子供たちの合宿で見せる映画を探しに、愛知県教育センターへ出かけたときのことだった。映画のカタログを見ていると、「音楽:渡辺貞夫」と書いてある。合宿には関係なかったのだが、早速その映画を借りてきて、そして見た。「アサンテサーナ」だ。青年協力隊の宣伝映画だ。八千草薫がマライカを唄っている。初めて「アフリカ」に入れ込んでいるナベサダを知った。そして買ってきたのが1974年の郵便貯金会館でのコンサートを録音した「ムバリアフリカ」だ。

「ムバリアフリカ」の中で、ナベサダのソロではじまり、富樫が絡んできて、そしてリズムが全員入ってくる「ハバリ・ヤコ」で、後半の本田のソロは圧巻である。これは聴かなければならない、絶対に。さらに1976年、ナベサダが始めて文化庁の芸術祭に参加した郵便貯金会館での録音、「サダオ・ワタナベ・リサイタル」での最後の曲(メンバー紹介がある)「マライカ」での本田のソロは、何度聞いても身震いがする。どちらもはっきり言ってうるさい曲だ。ソロでテクニックを聞かせる曲ではない。がんがんと弾きまくって、リズムに負けないようにとがんばる曲だ。でもそこにこそ本田竹広の本領がある。後に峰厚介らと一緒にネイティブサンを結成したときには、これが本田の心の音楽なのだろうと納得させる音楽だった。

あまりたいした理由ではないから、これまであまり人に言ったことはないが、渡辺貞夫と本田竹広がいなかったら、私はアフリカへ行こうとは思わなかった。 R.I.P.

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受信: 2006年1月14日 (土) 10時13分

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