« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

2006年5月31日 (水)

新潟でもホテルルワンダ上映中

以前この日記でも触れた映画「ホテルルワンダ」が、新潟でもやっと公開されました。新潟市の万代シティにある「シネ・ウインド」にて、6月23日まで上映中です。まだご覧になっておられない方、是非一度ご覧になって下さい。ご覧になったあとに、拙著「カリタスジャパンと世界」(サンパウロ刊)のルワンダに関する項目を読んでいただけると、なおさらよく分かると思います。宣伝でした。

| | トラックバック (0)

2006年5月30日 (火)

見附での理事会

Ts280148 昨日の夕方(月曜日)は、新潟県の見附市で、社会福祉法人「新潟カリタス会」の理事会が開催されました。全国には「カリタス」を名称に使っている団体は多くあり、しばしばカリタスジャパンの系列ではないかと間違われることがあります。数年前に九州で利用者への虐待問題で注目された施設も「カリタス」を名称に使っていたため、カリタスジャパンの事務局には抗議の電話がかかってきたこともありました。「カリタスジャパン」という名称は商標登録されているカトリック司教団の公式の福祉援助団体ですが、「カリタス」という名称自体に使用の制限はありませんから、学校から施設からアロマエステの店から、様々な「カリタス」が全国には存在し、それらは、当然司教団とは関係はありません。「新潟カリタス会」は、カトリック新潟教区が設立母体となっている社会福祉法人で、新潟の司教が理事長をしております。新潟の見附市で、聖母愛児園という児童養護施設と聖母乳児院が設置されており、見附教会主任の真壁神父様が施設長を務められております。

よく知られているように、児童虐待は言うに及ばず、子供達を取り巻く環境には非常に厳しいものがあります。そのため乳児院と養護施設の存在は重要性を日々増しています。教皇様は、昨年末に発表された最初の回勅「神は愛」において、教会の本質的側面は、御言葉を伝えること、秘跡を執り行うこと、そして愛の業であり、この三つは不可分であると述べておられますが、社会福祉に果たしてきたカトリック教会の役割は日本においても大きなものがありますし、これからも教会の当然の役割として、日本の福祉の世界で積極的に役割を果たしていかなければなりません。もちろんここでも最大の問題は、教会の人手不足であることは否めません。

| | トラックバック (0)

2006年5月29日 (月)

ジャワ島の地震

27日早朝に発生したインドネシアはジャワ島、ジョグジャカルタ近隣の地震では、すでに5千人に近い被害者数が公表されております。カトリック教会では、すでに国際カリタスが現地の司教団と連絡を取り合いながら、被災者救援に向けた調整を進めており、またインドネシアに駐在員をおいている合衆国カリタスのCRSが、国際カリタスから今回の現地担当団体に任命され、早速被災者の救援活動に入っています。日本の教会としても、昨日国際カリタスからの要請を受け、早速本日から募金の受付を開始しました。各小教区にも本日中に教区事務局からカリタスの支援要請が届けられると思いますので、どうぞご協力をお願いします。

なお山形教会で働いておられるイエズスマリアみこころ会のスリワルヨ神父様の関係する神学校が近くにあるということで、山形地区ではスリワルヨ神父様を通じた支援も計画されていると聞いておりますので、それもまたご協力をお願いします。

| | トラックバック (0)

2006年5月28日 (日)

長岡地区信徒大会

Img_0224 新潟教区の皆様、主の昇天の主日はいかがお過ごしになりましたか。この季節は教区内の各地区で順番に信徒大会が開催されます。本日は今年の第一番目として、長岡地区の信徒大会が開催されました。会場は十日町教会です。もちろん十日町教会は小さな聖堂ですので、会場は隣接する幼稚園のホールでした。糸魚川、高田、直江津、妙高、柏崎、長岡表町、長岡福住の各教会と十日町教会から、総勢140名の方が参加されました。

今回の信徒大会は、基調講演などは行わず、お昼までの2時間、たっぷりと小グループでのわかちあいが行われ、それからみんなで持ち寄りのお昼、午後からは信徒総会(というよりも、司祭も信徒も修道者も加わって、すでに宣教司牧評議会のような形になっていましたが)、そして2時からのミサで締めくくりとなりました。

各地区では年中行事のひとつとして信徒大会が位置づけられているようでもあり、そのためマンネリ化しないように、いろいろと工夫をされていることにいつも新鮮な驚きを感じています。私は、こういう機会にいろいろな教会の信徒の方々が集まると言うこと自体にも、重要な意味があると思っています。教会は徹頭徹尾、共同体であるしかないのですから、互いに実際に集まって、そして自分たちをつないでくれているイエスへの信仰を再確認し、互いの絆を再確認することは重要であると思います。Img_0189

長岡地区信徒大会では、大人達(中高生以上)がわかちあいをしている間、子供達は、二人のリーダーに導かれてパンを焼いたり、ブーメランを作ったりと、それなりに互いの友情を深める楽しい時間を過ごしていました。また中高生はすでに前日夕方に長岡表町教会に集まり、祈りやわかちあいの楽しい時間を共に過ごし、今日も一緒にお昼を用意して輪になって結束を強めていました。もっともっと若い力が増えてくることを願っています。

| | トラックバック (0)

2006年5月26日 (金)

秋田へ祈りの旅

Img_0176 車の事故で始まった旅でした(下の記事参照)。昨日の朝から今日の午後にかけて、新潟の「月曜会」の方々を中心に、一緒に秋田へ祈りの旅に出かけて参りました。参加者は21名で、一番多かったのは寺尾教会の方々で、いつもは女性ばかりの「月曜会」ですが、今回の旅行には男性2名の参加もありました。昨日朝8時半頃の「いなほ」に乗って、みんなそれぞれ駅弁を買い込み、お菓子を分け合い、3時間半強の旅行です。すばらしい天気に恵まれ、久しぶりに美しい日本海を眺めながら、秋田へ向かいました。平均年齢は、どれくらいでしょう?いずれにしろ遠足のような楽しい車中となりました。

目的地は秋田の聖体奉仕会修道院です。すばらしい青空の下、修道院の聖堂でロザリオを唱え、修道院の午後の聖体礼拝に参加し、夕方にはミサを捧げ、夕食は修道院の共同体と山菜を山盛り頂きました。

今日もまた天気に恵まれ、修道院の朝の祈りと聖体礼拝、そしてミサ、朝食後には外の庭で十字架の道行き。本当によい天気に恵まれて、すばらしい二日間となりました。祈りは確かに何処でも出来ますし、どんなときにも出来ますけれど、やはりそれなりに祈りの雰囲気がある場所で、すがすがしい天気に恵まれると、いつも以上に良く祈りが出来るような気がします。私にとっても、心の一休みという、ありがたい一時となりました。Img_0174

巡礼をするということの現代的意味は何処にあるのでしょう。教会には古くから巡礼の歴史はありますし、そもそも宗教に巡礼はつきものかもしれません。ですからいろいろな伝統的意味合いがそこには与えられているでしょうし、そう言うのを聞いたこともあります。そして今私がなぜ巡礼に出るのか。十字架の道行きをしていて思ったのですが、そもそもなぜあの14または15留なのか。つまり過去に起こった出来事を総て追体験しているわけではなく、その中のいくつかが選び出されて14または15となっているわけですから、十字架の道行きをたどることは単なる追体験ではないし、思い出に浸ることでもない。選び出された14ないし15の出来事は、今生きる私に何かを語りかけるものとして選び出されているはずです。ただイエスの受難を追体験するのであれば、例えば「パッション」でも鑑賞すればよい。沿うではなくてその中からことさらに選ばれた14ないし15の出来事は、今生きる私たちに何かを語りかけているからこそ、意味があるのだろうと思います。そして巡礼もしかり。単に過去にあった偉大な出来事を知って驚くだけなら、観光旅行に過ぎません。観光旅行が巡礼旅行となる瞬間は、その過去にあった出来事が、今生きている私の生に何かを語りかけたときだと思います。自らをふり返り、偉大な出来事を通じて、または聖なる場所を通じて、自らの足りなさを知り、生きる道しるべをいただく。しかも今回のようにただ一人でそうするのではなく、信じる人の交わりの中で、ふり返り力を得ることは、信仰生活にとって不可欠な活力源であると思いました。

| | トラックバック (0)

驚きました

私、高校3年生の3学期に車の免許を取得して以来、30年近く車を運転してますが、乗ってる車が衝突されたのは初めての経験でした。いやあ、びっくりするものですね。

昨日、木曜日の朝は、朝8時半頃のいなほに乗って、秋田へ出かけることになっていましたので、新潟教会のフェルディ神父様に車で送っていただきました。駅のひとつ手前の信号で、赤信号待ちをしていたら、なんと目の前の四輪駆動車が突然バックして来るではありませんか。しかもものすごい勢いで。これはぶつかると思った瞬間、フェルディ神父様がクラクションを鳴らした瞬間、しっかりとフェルディ神父様の車の全面は前の車を受け止めていました。思ったより車の被害は小さかったものの、それでもしっかりとボンネットはひん曲がり、フロントグリルもつぶれて、修理には数日の時間がかかりそうです。

前から来ましたので、踏ん張ることが出来たため、体へのダメージはありません。あれが後ろからだったら、全くの不意を突かれるので、体へのダメージもあるのだろうと思います。

それにしても、車を後退させるときの後方確認の重要性を再確認し、自らが運転するときもこれまで以上にしっかりと気をつけようと、気を引き締める機会となりました。フェルディ神父様には、送ってもらったばっかりに車が壊れることになり、申し訳ありませんでした。

| | トラックバック (0)

2006年5月23日 (火)

教区の顧問会

昨日午後から今日の昼にかけて、教区の顧問会を開催しました。顧問会は通常、新潟で開催していますが、昨年から年に2回ほどは各地区持ち回りで開催することになり、今回は長岡地区の当番でした。会議は長岡地区内の某所で一泊で行われ、今日は11時から、長岡表町教会に集まり、数名の信徒の方々も参加されて、ミサを捧げ、おいしいイタリアンの昼食を教会でいただいて終わりとなりました。用意してくださったブルーノ神父様、ありがとうございました。

ミサが始まる前、長岡表町教会のブルーノ神父様の事務室入り口近くにレオナルド・ダヴィンチの最後の晩餐の写真が飾ってあるのに気がついて、みなでそれぞれテレビやら小説やらで聞きかじった例の話題で盛り上がってしまいました。日本語版で上下二巻にもなる小説を2時間くらいの映画にしたのですから、たぶんかなり端折った展開になっているのだろうと思いますが、話題になっていることですし、そのうち一度見てみたい気もします。いくつかの国では教会の激しいリアクションもあるようですが、逆にちょうど良い宣伝になってしまったような気もします。まさかあの話が実話だと思って読まれる方がいるのかどうか知りませんが、もしかしたらカトリック教会についてのある意味での広報のチャンスにすることが出来るのかもしれません、日本では。(世界中のカトリック司教の一覧を提供しているサイトでは、小説に登場する司教は架空の人物であるとこの数日トップに掲載しています。それほど興味津々で探求する人たちがいるのでしょう。)

カトリック教会の世界は広いし長い歴史と伝統もあるのは確かですから、私などが知らないこともたくさんあるのでしょう。(例えば、未だにどうやったら教皇様に会えるのかを、私は知らない)でも、秘密結社みたいな修道会があるというのは、あまりあり得る話ではないように思います。それよりも何よりも奥が深くて結果が出るまで全く表に出ない、バチカンの外交能力の方が恐ろしいような気がいたします。

| | トラックバック (0)

2006年5月21日 (日)

鶴岡教会へ

Img_0163 昨日(土曜)は、山形県のカトリック幼稚園2園を統括する学校法人双葉学園の理事会が鶴岡で開催されましたので、出かけて参りました。双葉学園には山形に聖マリア幼稚園、鶴岡にマリア幼稚園があり、私も理事に名を連ねております。せっかく鶴岡まで来たのだからと、主任司祭でもあり双葉学園の理事長でもある鶴岡の本間神父様に促されて、昨晩はそのまま鶴岡に泊まり、本日の主日のミサを鶴岡教会で共にして参りました。

鶴岡教会の聖堂は国の重要文化財に指定さImg_0168_1 れている歴史のある建物です。今日は天気も良く、ミサ後には観光に来られた方が、結構たくさん教会を訪ねてこられていました。ミサのあとには信者さん達が集まってみなで用意した天ぷらそばを頂いて、絶好のドライブ日和の中、笹川流れの美しい海岸を眺めながら、もちろんまっすぐ前を向いて運転して、戻って参りました。

ところで教皇様は、昨日、バチカンの福音宣教省長官セペ枢機卿様をナポリの教区長に任命され、同時にムンバイ(ボンベイ)の教区長、イヴァン・ディアス枢機卿様を福音宣教省長官に任命されました。引退された濱尾枢機卿様が、バチカンにアジア出身者がいないことを嘆いておられましたが、インドからの福音宣教省長官の誕生には興味深いものを感じます。日本の司教は福音宣教省の管轄下にありますから、今後のディアス枢機卿様の指導に期待したいと思います。ディアス枢機卿様はもともと外交官で、私がガーナにいるときにガーナの教皇大使をしておられたり、その後韓国の教皇大使をしたこともある方です。

| | トラックバック (0)

2006年5月18日 (木)

難民移住移動者管区セミナー

Img_0160 難民移住移動者委員会主催による東京管区セミナーが、新潟教会を会場に、16日と17日に開催されました。東京管区とは札幌、仙台、新潟、さいたま、東京、横浜の各教区を管轄している地域のことです。委員長の谷司教様をはじめ東京の事務局も含め、札幌、横浜、さいたま、東京からも参加者を得て、新潟教区内の参加者も含めれば40名近い集まりとなりました。

主なテーマは、農村部で日本人と結婚している諸外国から来られた方々の実態と課題を知り、対応する方向性を見いだすことでした。セミナーでは新潟国際情報大学の長坂先生からフィリッピンの移住政策についてお話を伺ったり、新潟の各地で外国人の方々の問題に日々取り組んでおられる方々のお話を伺いながら、様々な意見交換がなされました。もちろんフィリッピン人の方々をはじめとして信徒が多いこともあり、司牧的な問題もあるのですが、それを越えた様々な課題が浮き彫りになりました。6月に開催される教区の司祭大会で、再びそれぞれの地区で今後どのような取り組みが可能なのか、話し合いを続けることになりました。同じ教会共同体の中に、国籍や言語別に全く異なる共同体が複数存在するのも好ましくないと思いますし、かといってただ一緒になればよいというものでもないことは、これまでの様々な体験から明らかです。外国語のミサを各地で開催するだけでは足りないことも、これまでの各地での体験から明らかです。生活上の問題では行政や福祉の関係者との連携も視野に入れなくてはなりません。そして教会は心のやすらぎを得られる場所になりたいと思います。

セミナーを準備してくださった滞日外国人司牧の教区担当佐藤勤神父様、シスター佐久間、フェルディマール神父様、ご苦労様でした。また開催にご協力下さった新潟教会の皆様もありがとうございました。

| | トラックバック (0)

2006年5月15日 (月)

山田神父様納骨式

Img_0143_1 本日午後3時より、昨年亡くなられた故アロイジオ山田恵尚神父様の追悼ミサと納骨式を行いました。ミサは午前中の園長会に集まった神父様も含め、平日の昼間にもかかわらずたくさんの方に参加していただき、新潟教会で捧げられました。その後、寺尾墓地へ向かい、新たに整えられたお墓に、納骨いたしました。すばらしい天気に恵まれました。

なお夕方からは教区司祭の毎月一回の集まり、「静修」が行われています。明日のお昼で終わりますが、その後明日の午後からあさっての午前中にかけて、新潟教会を会場に、東京管区の難民移住移動者委員会主催で、農村に花嫁として来日している諸外国の方々への司牧について話し合うセミナーが開催される予定となっています。

| | トラックバック (0)

2006年5月14日 (日)

青山教会訪問

復活第五主日の今日は、新潟市内にある青山教会を訪問しました。青山教会のミサには、子供達の参加も多く、近くには聖心の布教姉妹会の修道院もあり、幅広い年齢層の方々が、通常の日曜日で70人ほどが集まる共同体です。今年の春からは、これまで主任を務めておられた町田神父様がお隣の寺尾教会へ異動し、新潟教会の助任であったラウル神父様が主任となっています。ラウル神父様はこれが初めての主任です。

今日はミサのあとホールで信徒の皆様と懇談会があり、教会の共同体育成について、現実的な意見の交換がありました。日々の祈りの生活、信心業、ミサへの参加、役員の任期が終わったとたんに教会活動に関わらなくなること、若い人たちの無関心、幼児洗礼の子供をどのようにして継続して教会へ来させるのか、仏教が深く根ざしている地でどのように福音に生きるのか。たぶん新潟教区の多くの教会で同じような悩みを抱えているのだろうと思います。どれもこれも簡単に解決できる問題ではありません。教区の中でのコミュニケーションを良くしていく努力を、これからも重ねなければと感じました。懇談会後には役員会の方々と昼食を共にしながら、様々な課題について意見の交換もしました。

Img_0137 新潟は今日は本当にすばらしい天気に恵まれましたが、午後には市内の三越の交差点で新潟地区の信徒使徒職協議会やボーイスカウトによるチャリティの街頭募金も行われました。近くの古町のアーケードではちょっとしたお祭りになっていたため人通りも多く、声をからして募金への協力を呼びかける子供達やボーイスカウト、そして大人の信徒の方々の呼びかけに応えて、多くの人たちが足を止めて募金に協力してくださいました。ありがとうございます。

| | トラックバック (0)

神学院の合同に向けての一歩

先週の木曜日と金曜日は、東京教会管区と大阪教会管区の全司教が集まって、神学院の合同に関する会議を行いました。「管区」というのは日本の教会では三つの大司教区によって構成されている教区の集まりのことですから、もう一つは長崎教会管区となります。東京と大阪のそれぞれの管区に属する11教区で、東京大神学院を運営しています。長崎教会管区は福岡にあるサンスルピス大神学校を、スルピス会に委託する形で運営しています。

神学院を合同しようという考えには、いくつかの理由があります。主な理由としては、特に教員の確保が難しくなっていることと、養成担当者の確保が難しくなっていることが挙げられております。それ以外の細かな理由は山ほどあるのですが、いずれにしろ、この二つが重要な理由です。すでに司祭養成課程の総ての授業を自前の教員でカバーできる神学校は日本には存在しておらず、同じ科目を同じ先生が異なる神学院で重複して教えると言うことが続いております。例えば新潟教区の大瀧神父様は哲学の先生ですが、今年は東京の神学院と福岡の神学院へ隔週でそれぞれ教えに出かけております。

加えて神学校と言うところには勉強を教える先生だけでなく、生活を共にしながら司祭としての霊性を深めたりするための指導者が不可欠です。東京では各教区に呼びかけて、6年の任期で司祭を送ってもらっていますが、これとても誰でも出来る仕事ではありません。養成者になるための資質というものも考慮しなかればなりません。従って、現時点でも最低限の人数に一名足りないのですが、大阪と東京の管区に所属する教区から、適当な人材を確保できずにおります。

本来神学校には専属の養成スタッフが、しかも養成者となる教育を受けたスタッフが、長期的に継続して配置されなければなりません。東京の神学校はもともとイエズス会に運営が委託されていたのですが、今から30年以上前に、まず養成から、そして数年前には勉強も、司教団が責任を持つことになったのですが、その30年ほど前の時点から今に至るまで、専属の養成者を養成してくることが出来なかった、ということです。そして今、自前で神学校を継続できるかどうか、瀬戸際に立たされております。

福岡の神学校も悩みがないわけではありません。さすがの九州も召命の減少は否めない現実で、在籍する神学生もとても少なくなっています。同時にスルピス会も会員が減少しており、自前で教員を確保できなくなっています。

今回の会議には東京と福岡の両神学校の院長様にも出席いただきました。特にスルピス会についていろいろと教えていただきました。スルピス会とは、教区司祭養成を目的とした会で、修道会ではなく、教区司祭による会であるということです。スルピス会の養成方針と、東京での養成方針をどのように合体させるのかが、今後の課題です。そしてたぶん一番大事なことは、日本の教会が責任を持って、統一された方針でひとつの司祭養成機関を運営していくという責任を果たすことではないかと思います。

なお今回の会議には、二日目に、教皇大使も参加され、総ての司教から意見を聴取して行かれました。今後この問題に関しては、6月の司教総会において九州の司教様も含めて話し合い、出来るだけ早い段階で、具体的な方向性を見いだしていきたいと考えています。方向性だけでも、今年か来年には明確に出来るように、調整を続けていくことになるのだと思います。

| | トラックバック (0)

2006年5月10日 (水)

天気も良いので、また会議へ

さすがに週末は崩れるようですが、この数日間、新潟も毎日暖かな日差しに恵まれ、部屋にこもって書き物をしていると、損をしているような気になります。今日はこれから東京で会議の連続です。今夕にはHIV/AIDSデスク会議、明日と明後日は、東京大神学院司教会議のため、東京と大阪管区の司教が総て集まる予定です。(つまり九州と沖縄の司教さん以外はすべて)議題は福岡と東京の神学校統合についてです。

| | トラックバック (0)

2006年5月 7日 (日)

十日町へ

Img_0127 本日、復活節第四主日は、新潟県の十日町教会訪問でした。十日町といえば新潟県でも豪雪地帯で、この冬も、幼稚園が屋根まで埋まるくらいの積雪があった地域です。新潟から関越道の越後川口まで、震災復興工事も完全に終わっており、震災直後は追い越し車線しか通行できなかったのが、今では新品の高速道路のように見違っています。ところが越後川口をおりて高速の下を通る国道にはいると、電光掲示板に、堂々と「この先悪路が続きます」と表示されている。確かに震災後に波打った路面はまだまだ修復が進んでいませんし、崖崩れ部分の工事もまだ終わっていません。震災直後の冬に、十日町の仮設住宅を訪ねたことがありますが、その住宅もまだ残っていました。

十日町教会は幼稚園と共に設立から40年ほどを経過した、割合新しい教会です。震災で聖堂や幼稚園はかなりのダメージを受けていますが、どちらもきれいに修復され、さらに幼稚園には「ほくほく線」の線路に沿って、新しい園舎も増設されました。幼稚園の裏が、ちょうど「ほくほく線」トンネルから高架へ移る出口となっていますから、電車が通るときには、園児達が興奮して眺めているのではないかと思います。そう言えばここの園長のバッシ神父様が同じく園長を務める柏崎の幼稚園も、園舎裏から北陸線がよく見えるのを売りにしてました。

Img_0133 十日町教会は小さな共同体ですが、ここから越後湯沢方面まで県境に至る広い範囲を担当しています。そしてこの地域には、農家にお嫁さんに来ているフィリピン人の方々の多く、今日もミサに参加した20名ほどのうち7名がフィリピン人の女性でした。もっとも人数が少ないと言うことは、いわゆる家庭的な教会を作り上げるチャンスもあるわけです。家庭的な教会には様々な長所が考えられますが、同時にまさしく家庭的であるがために閉鎖性をも持ちうる危険性があります。楽しく互いに配慮しあう小さな家庭的共同体でありながら、常に新たなメンバーに開かれた共同体づくりに取り組まれることを期待しています。今日もミサの前の持ち寄り昼食会や、ミサ後のお茶会も、大きな教会では難しい全員参加の楽しいおしゃべりの一時が実現していました。なお幼稚園園長はバッシ神父様ですが、教会の主任司祭は長岡のブルーノ神父様です。ブルーノ神父様は、毎日曜日、長岡の福住と表町でそれぞれミサを捧げられた後、午後3時に十日町でミサを捧げられています。超人的イタリア人です。

豪雪地帯の十日町はやはりまだ涼しく、残雪もちらほら見られました。

| | トラックバック (0)

2006年5月 4日 (木)

宣教司牧評議会準備会議

Img_2247 新潟教区宣教司牧評議会の設立に向けた準備会議が、本日新潟教会で開催されました。新潟、山形、秋田のすべての小教区の主任司祭と信徒会長、そして修道者の代表に参加をお願いしました。残念ながら所用のため参加していただけなかった主任司祭や信徒会長が数名いたものの、すべての県から十分な人数の代表に参加していただきました。参加下さった方々、本当にご苦労さまでした。またこの数ヶ月何回も会議を重ねて、今日の準備をしてくださった新潟教区信徒使徒職協議会の役員の皆様、ありがとうございました。本日の議事進行についてもすべてお膳立てをしていただき、本当に助かりました。

もともとは信徒使徒職協議会の役員会の場で、信徒は信徒だけで、司祭は司祭だけで話し合っていて、お互いの意見をつきあわせて教区のことを考える場がないではないかという指摘から始まったことでした。他の教区ではすでに導入されているのですが、教区の宣教や司牧について基本方針や具体的行動計画案を司教に答申する役割を担っている、重要な場だと思います。司教だけでは考えつかないような、また司祭だけでは考えつかないような、具体的な様々なアイディアをこれからどんどん生み出していただきたいと思います。

教会に属する人のスタンスはそれぞれ千差万別です。信仰を生きる姿勢も様々です。そしてそれがまさしく「多様性」の表れだと思います。しかしその多様性の中にあっても、「信仰の喜び」と「宣教への熱意」に関しては、すべての人が「一致」しているはずだと思います。その一致した思いを具体化するために、司祭・信徒・修道者で意見を交わしあい、これからの新潟教区での福音宣教について、共に考えて参りましょう。

今日の会議で出された様々な意見を踏まえて、近々設立委員会を設置して規約などを整え、出来れば秋頃までには実際の宣教司牧評議会を開催したいと思います。今後ともご協力をお願いします。

| | トラックバック (0)

新潟聖園マリア幼稚園

Img_0120_1 昨日は、新潟市内の青山にある新潟聖園(みその)マリア幼稚園の新園舎落成式でした。新潟県内のカトリック幼稚園17園は聖母学園というひとつの学校法人にまとめられていますが、この幼稚園は「聖園」という名前からも分かるように、藤沢に本部を置く聖心の布教姉妹会が運営している幼稚園で、所属も学校法人「神奈川聖心の布教姉妹会」となっています。設計者の方は、ご自分が子供の頃幼稚園を卒園するにあたり園舎に何かしるしを残したいと思って傷つけてしまい、大変怒られた思い出を語りながら、自分としては子供達が何かしるしを残せるようにと言う思いも込めて、子供の背が届く範囲を木で覆うことを心がけたと言うことです。木のぬくもりのある、すてきな建物でした。建設は新発田建設です。

聖心の布教姉妹会は全国で幼児教育や養護施設、老人ホームなど、様々な社会福祉関係の施設を運営したり、藤沢と秋田で学校も運営しています。本部は藤沢です。もともとは戦前に、初代の新潟教区長であったライネルス師(神言会)によって秋田で創立された邦人修道会です。

幼稚園の運営は、経済的に難しい時代になってきています。特に政策的に保育園に全体がシフトしているような状態ですが、やはり幼稚園には教育機関としての重要な役割があり、特に「心」の教育を施すことが出来る宗教系の幼稚園は大切だと思います。なかなかそこが理解していただけず、とにかく経済的なことだけを考えたら、赤字すれすれのところがほとんどでしょう。いまでこそ主任司祭が園長を兼任していますが、それとてもいつまでもそのままでよいものか、そもそも司祭の絶対数が減少する中で、今までと同じというわけにはいかなくなってきています。今後、どのような運営がふさわしいのか、知恵を絞らなくてはならないと思います。

| | トラックバック (0)

2006年5月 2日 (火)

小泉首相がガーナに!

久しぶりに日本のニュースで「ガーナ」という国の名前を聞きました。なんと言っても、いつもは「ガーナ」と言えば、ロッテのチョコレートの名前でしか耳にしませんから。小泉首相がこの連休中にアフリカ訪問に出かけたとか言うことで、エチオピアとガーナの二カ国を訪問されております。お膳立てをした外務省もいろいろと思惑はあるのでしょうし、国会開催中は連休中しか外国には行けないという事情もあるのでしょうが、国内外でおこっている様々なことをさておいて、この二つの国(+スウェーデン)へ出かける意義がどこらにあるのか、はっきりとしません。

もちろん外務省は2002年以来「ODA総合戦略会議」というものを設置して、政府開発援助の見直しを行っているのですが、その中で国別援助計画の改訂作業を行っています。アフリカについては2004年以来、エチオピアとガーナが特に選ばれて、それぞれの援助計画の改訂作業が進んでいる、そう言う意味では、この二つの国に特に首相が出かけていくことには、政治的意味合いがあるといえるでしょう。(エジプトも入っていますが、エジプトはアフリカでありながら限りなくアラブ国家です)

ガーナが選ばれた理由は分かりやすいものがあります。ガーナは、はっきり言って援助の世界で評判がよいのです。あの悪名高いSAP(構造調整プログラム)はアフリカの多くの国で失敗の歴史を刻んできましたが、なぜかガーナでは結構うまくいったといわれています。西アフリカの国々はリベリアやシエラレオネを中心に、さらにはこの地域の超大国ナイジェリアを含めて、政情不安や内戦がこの20年近く続いてきましたが、ガーナでは1981年12月31日以降、クーデターが起こっておらず、軍事政権は1993年に第4共和制民主国家に変身し、その後軍事独裁者から民主大統領に転じたローリングス氏から現在のアクフォ大統領へと政権委譲もスムースに行われ、その意味でもこの地域の優等生です。西アフリカ経済共同体(ECOWAS)でもナイジェリアに次いでリーダーシップをとり、軍事面でも長年にわたってレバノンの国連レバノン暫定隊(UNIFIL)に兵員を派遣するなど、活躍してきました。ルワンダでも虐殺事件の時、最後まで粘った軍事要員の中に勇敢なガーナ兵がおりました。日本からもかつてこの地でなくなった野口英世博士を記念して、首都アクラ郊外のレゴンという地にあるガーナ大学敷地内に基礎医学研究所を30年ほど前に建設し、長年にわたって医療面での協力も行ってきました。外務省がその国を安全と考えているかどうかは、派遣されている青年協力隊の規模に比例するなどという向きもありますが、80年代後半には軽く100人を超える協力隊員がガーナにはいたはずです(そうでしたよね?)。日本とは太平洋戦争中の出会いまであり、英国軍の一部としてビルマに派遣された当時のゴールドコーストの兵隊は日本軍とであっていたともいわれます。首都アクラにはそれにちなんでビルマキャンプという軍事基地があるほどです。いずれにしろ、日本にとっては、安心してつきあえる数少ないアフリカの国なのかもしれません。

エチオピアを選んだ理由は定かではありませんが、近隣にはダールフール問題を抱えるスーダンや、無政府状態が続くソマリアなどもあり、そう言った国々への間接的な関わりを持つこと、またアフリカ連合(AU)の本部があることなどから、選定されたと思われます。

時間が限られているのでこれが現時点での最善の選択である二カ国なのでしょうから仕方がないのですが、しかし、ニュースなどで訪問の理由の一つに挙げていた国連安保理常任理事国入りへの支持を得るため、という目的には、たぶんあまり役に立たないでしょう。(たしかに現在のアナン事務総長はガーナ人ですが、あまりガーナで働いたことのない方ですから、それほど関係があるとは思えません。)もし本当にアフリカからの支持を取り付けたいのであれば、小泉さんが退任前にもう一度出かけるか、新しい首相が、避けて通れない合衆国参りが終わったあとにすぐにでも出かけるかして、ナイジェリアやケニアやウガンダ(英語圏ばかりですが、フランス語圏は今どこの国が力を持っているのか、よく分かりませんので)などを訪問しなければならないような気がします。

とにもかくにも、小泉首相には、よくぞガーナまで行ってくれたと思います。

| | トラックバック (0)

« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »