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2006年6月24日 (土)

長崎から戻ってきたものの

Img_0117 長崎教区司祭の黙想会も無事終わり、新潟へ戻って参りました。90名にも及ぶ長崎の教区司祭団は、やはりお話をさせていただくには迫力のある相手でした。大司教館の周囲は、原爆の爆心地をはじめ、浦上天主堂、永井博士の如己堂、平和公園、原爆資料館などなど、核兵器の悲惨さを後世に伝える巡礼の地でもあります。同時に浦上はキリシタンの村として明治に入ってからの迫害の地でもあり、その意味でも巡礼の地であります。教会関係の施設も周囲には多く、カトリック神学院(教区小神学院)、ルドヴィコ神学院(神言会小神学院)、Img_0111 長崎南山中学高校等が点在しています。あまり頻繁に訪れる地でもありませんから、今回このようにして長崎を訪ねることが出来、幸いに思います。(上の左は浦上天主堂。夜10時頃までライトアップされています。右側は長崎大司教館。7階建ての堂々たる建物です。そして下の左側は、その迫力ある長崎教区司祭団を後ろから一枚。私の講話がすべて終わり、最後に高見大司教様がお話をなさっていることろです。それにしても高見大司教様は、私の話を一番前の席でじっと聞かれておられて、それはそれは、先生に睨まれてるみたいで緊張いたしました。)

Img_0129_1 それにしてもどうも近頃、齢を重ねつつあるためか、単に注意力散漫なのか、忘れ物や物忘れをするようになりました。先日、司教総会に参加するために秋田から羽田へ飛んだときも、携帯電話を秋田教会司祭館に置き忘れ、送って下さったスタン主任司祭に途中であわてて戻ってもらう羽目になりました。そして今朝は、新潟へ戻る飛行機に乗ろうと空港へ到着し、自動チェックイン機の前に着て上着のポケットから航空券を取り出そうとしたら、無い、無い、無いのです。正直に告白すると、これまでしばしばそうやって慌ててそこら中のポケットを探っている人を目にしては、内心冷ややかな目で見ていたのであります。「自分はそんなに不注意ではない」と自信を持っていたのであります。そのような傲慢な心に鉄槌が下されたのでありました。真に十分に不注意であります。どこでどうしたのか、全く記憶にない。唖然呆然といたしました。結局もう一度購入することになり、仮に出てくれば払い戻し、出てこなければ半年後くらいに某かの調査料を支払って払い戻しになるとか。気をつけねばなりません。でもたしかに、近頃、ちょっとしたものを忘れるようになったのですねぇ、これが。出かける前まで仕事をしていて、「持って行かなくては」と何度も自分に言い聞かせたフラッシュメモリーとか。そう言えば、長崎教区司祭の黙想会の話の最中にも、どうしてもある人物の名前が思い出せなくて焦りました。話の流れで当たり前のお名前だったので、原稿には名前を書いていなかったのです。「昔のフォーク歌手」といってごまかす羽目になりました。小室等さんごめんなさい。大事なあなたの名前が出てきませんでした。話にはまったく関係ない、井上陽水や吉田拓郎や泉谷しげるの名前は浮かんできたのに。フォーライフつながりで。どうしましょ。

Img_0102 新潟から長崎へは直行便がないので、福岡まで飛んで、博多駅からJRの特急、「かもめ」に乗って長崎へ向かいました。「かもめ」はあの「しろいかもめ」です。内装もフローリングの床とか革張りの座席とか、いやはやJR九州の特急列車はデザインにも内装にも凝った車輌が豊富で、うらやましい限りです。博多駅のホームでは、そう言った凝りに凝った特急車両をいくつも目にしました。「かもめ」があるなら長崎へ新幹線はいらないと思ったりもしましたが、もっとも諫早に近づくにつれて単線区間でのすれ違い停車が多くなり、たしかにあまりの停車の多さに不満が出るのも宜なるかなと思いました。それにしてもJR東日本さんも、あれくらいの車輌はどうでしょう?

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