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2006年7月28日 (金)

聖地に平和を

聖地周辺の戦闘状態は発生からすでに2週間を経て、混迷の度合いを深めています。これまでも繰り返されてきたことですが、客観的に比較すればイスラエルの、度を超えたとも言える激しい攻撃が継続しており、合衆国はいつものように国連の交渉の場で、イスラエルを擁護する立場をとっています。安全保障理事会という場が、外交交渉と妥協の劇場であって、現実に直面している人たちにとって、あまり意味のある解決策を提供できないことは、私たちも先の北朝鮮ミサイル問題の時に再び知らしめられました。そこにおける交渉から分かるのは、どの国が何を考えているかだけなのかもしれません。過去にもルワンダ虐殺が起きていた1994年4月から5月にかけて、その地では毎日のように多くの人が殺されていたのに、何一つ具体的な対応を決めることも出来ずに、言葉遣いの問題で延々と駆け引きを続けていたことがありました。国連安保理は、紛争の発生を未然に防いだり、紛争終結後の後始末をしたりする事にはたけていますが、発生してしまった紛争を止める能力がある組織ではありません。多くの紛争には、当事者以外の周辺国の思惑が絡んでいて、多くの場合その周辺国には常任理事国の名前が見え隠れすることがしばしばあるからです。そうであるにもかかわらず、現時点では一番フェアに国際紛争について話し合うことが出来る場は国連安保理しか存在しないのですから、その議論を見守るしか術がありません。常々言うように、悪意のある存在が引き起こしている犯罪ではなく、歴史的経緯から発生してきた紛争においては、それぞれの当事者にはそれぞれの自己正当化の理由があり、どちらかを簡単に「悪党」と断罪することは適当ではありません。だからといって起きている出来事はそのままでよいといえるわけもありません。国際カリタスは声明を発表し(中央協のHP参照)国連安保理にも働きかけていますが、安保理の理事国である日本政府に対しても同じ働きかけをしています。カリタスジャパンでもこの国際カリタスのメッセージを、外務省に伝えましたが、今のところ、今回の問題で日本政府が安保理で積極的に動くことはなさそうです。

昨年まで国際カリタスの総裁は、レバノンはトリポリのマロン典礼大司教のエルハージ大司教でした。同大司教は昨年病気のため亡くなりましたが、彼が総裁を務めていた間、国際カリタスはレバノンをはじめ聖地や中東の和平構築のために様々なプログラム支援を行ってきました。レバノンにおける移民センター活動もその一つで、今回の紛争でも、カリタスレバノンの緊急支援と共に、この移民センターによる外国人やイラク難民の支援には際だったものがあると報告されています。数日前のカリタスレバノンからの報告ではレバノン国内のインフラはすでに4分の3が破壊され、80万人のレバノン人が避難生活を強いられていると言います。さらにインド人4人、スリランカ人2人を含む401人の市民が犠牲になり、負傷者は1600人を数えると言います。カリタスレバノンの報告では、そう言った激しい攻撃にもかかわらず、ヒズボラが壊滅的な打撃を被ったというニュースは聞いていないのだとも言います。カリタスレバノンの報告は、「この戦闘の中で我々は、平和か死を(peace or decease)待つしかない・・・このままこの地域を巻き込んだ戦争になる前に、政治的軍事的な決着が図られないのであれば、我々は平和よりも死の運命により近いと言える」とまで記されていました。

聖地で現在起こっている出来事には様々なレベルの問題が絡んでいるのですが、世界史的背景や現在の国際情勢、国際世論の注視から逃れたいイランの思惑、テロとの戦いを標榜する合衆国の思惑、イスラエルを創り出した責任者とも言うべきイギリスの思惑、自国兵が犠牲になったこともありこの機に国際世論を味方につけたい中国、そしてもちろんこれまでのイスラエルと合衆国の繋がり、それに対抗するシリア。こういった複雑に絡んだ糸を解きほぐすことは、人の業ではないのかもしれません。まもなく平和旬間が始まります。日本における平和を考え祈願すると共に、聖地の平和をも祈りたいと思います。 

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