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2006年7月30日 (日)

カ障連全国大会にて

Kashoren06 日本カトリック障害者連絡協議会の全国大会が、昨日と今日、東京カテドラルを会場に開催されました。第9回目を迎える全国大会は三年ごとに開催されていますが、今回はテーマを「人権と信仰」として、神が人間をその似姿として創造されたことにもとづく一人ひとりの人権を見つめ直し、神の望みに基づいた人権を物差しとして、毎日の生活を見直すことを目的としているとのことです。昨日(29日)は、午後1時からの総会に引き続いて基調講演がありましたが、その講師はなんと私でした。障害を持っている方々、付き添いの方々、ボランティアの方々、総勢300人を超える聴衆を前に、カリタスでの体験をもとにして、人間の尊厳についてお話をさせていただきました。もっとも1時間という与えられた時間内に収まりきれないたくさんのことをお話ししようと無理をしてしまったため、端折ったお話になり申し訳ありませんでした。もう少し話題を減らしておくべきでした。手話通訳と要約筆記の方には、早口で申し訳ありませんでした。実はあれでもいつもよりゆっくり話したつもりでした。

こういった集まりに参加していつも感じるのは、障害を持っているという人たちの溢れんばかりのパワーです。もちろんそこに至るまではそれぞれの方の葛藤と戦いの歴史があったのだと思います。その歴史があるからこそ、溢れんばかりのパワーが存在するのだと思います。日本における障害者の方々を取り巻く環境は、この春から障害者自立支援法という「すばらしい」名称の法律が施行されたことにより、大きく変わろうとしています。これまで措置であった福祉は、施設やサービスとの契約方式に変わりました。紙に書かれた制度的には納得できるものだけれど、現実には課題があまりにも多いという声を、障害者の方や関係者から多く聞きます。行政の支援がないよりはあった方がまだましだからという消極的理由から、賛成した障害者の方も多くいたとも聞きました。障害者団体の中でも賛否両論があるとの話も耳にします。私自身が理事として関わっている名古屋の知的障害者通所更正施設を見ていても分かりますが、障害への支援を老人介護と同列に扱うことには多少無理があると感じています。老人介護の場合は、子供や孫など、本人よりも若年層が介護者となることが多くあるのでしょうが、障害者介護は、多くの場合、両親がその任に当たる場合が多く、そうなると、両親が先になくなった場合に残された障害者がどうなっていくのかという現実的な課題もあります。この問題は、いわゆる健常者にとっては切実な課題ではないがために見過ごされがちですが、もう少し世論の注視を受けても良い問題であると思います。これについては様々な場で議論が進んでいますし、私自身ももう少し勉強しなければならないと感じていることです。

なお3年後のカ障連の全国大会は、なんと新潟教区で開催されることになりました。実は3年後、すなわち2009年には日本カトリックボランティア連絡協議会の全国大会も新潟で開催されるとのことです。今回の東京大会に出かけていって感じましたが、特にカ障連の全国大会開催には地元のボランティアの存在が欠かせません。2009年には新潟でも、多くのボランティアが必要になると思います。いまから、みなさん、よろしくお願いします。

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