« 直江津教会へ | トップページ | 一粒会ミサのことなど »

2006年7月 6日 (木)

分別を失ったものが・・・

Aoki9802_1 1998年8月11日に、私はナイロビにある在ケニア日本大使館に、当時駐在しておられた青木盛久大使を訪ねました。ペルーでの事件の後、ケニア大使に転出された青木大使が着任して一ヶ月ほどの時だったと思います。ナイロビ中心街の巨大なビルの一角に入居している日本大使館内は、多少ピリピリしていたものの、拍子抜けするほどセキュリティーが普通であったことだけを良く憶えています。その翌日、12日に、ルワンダの首都キガリへ出かけるために早朝のナイロビ空港(ジョモ・ケニヤッタ空港)へ出かけたときも、稼働していない金属探知機に唖然としたものです。というのも、その数日前、8月7日に、ナイロビの中心街にあるアメリカ大使館が爆破され、300人に近い人が命を落とした大事件が発生していたのです。この時はダルエスサラームの合衆国大使館も爆破され、例のオサマさんが犯人だと名指しされた時です。そんな大事件が発生していたのに、ナイロビの街も普段と変わらず生活が営まれていました。もちろんそれには理由があります。起こった事件は大規模であり、確かに多数の犠牲者が出てしまったものの、その目的や対象が明白であり、それ以上のことはおこらないだろう事が容易に想像できたからなのでしょう。攻撃を仕掛けた相手が、何を狙っているかがはっきりしているときには、むやみに恐怖をあおって狼狽えることはないということだと思います。

それにしても昨日早朝のミサイル(飛翔体という言葉があることを学びました)には驚きました。失敗だったのか、その程度の技術だったのか、自ら抑制した単なる脅しなのか、専門的なことは専門家が今まさに検証と議論を重ねていることでしょうから、そのうちに明らかになることでしょう。もしかしたら、もう少し飛ばなければ米軍などのデータの収集に益しなかったかもしれません。発射の決断自体にも驚きましたが、そんなにたくさん持っているはずもないのに、そして一本だけでもかなりお金がかかるはずなのに、あれだけポンポンと打ち出すのにも驚きました。一般の私たちには背景の情報が限定されていますから、詳しいことも分からず、なにやら恐怖心があおられてしまいます。もっとも日本政府の対応自体は、そう言った闇雲な恐怖を煽らずに、かえってそれを鎮めるるかのように、落ち着いたものであったと思います。合衆国にしてもそうです。政府にしても合衆国にしても、ある程度、今回のミサイルの持つ意味合いを見限っているからこそ、必要以上のアジテーションもすることなく、落ち着いて対応できているのでしょう。昨日は朝からCNNを見ていましたが、なにやら「待ってました」とばかりの、変な言い方ですが、胸が躍っているようなコメントが多いのが、妙に気になりました。日米の思惑が国際社会にどのように受け取られていくのか、今後の安保理の討議の行方が、それを教えてくれるような気がします。

聖書にこうありました。「分別を失ったものが、火矢を、死の矢を射る(箴言26章18節)」

|

« 直江津教会へ | トップページ | 一粒会ミサのことなど »

司教の日記」カテゴリの記事