« 2006年8月 | トップページ | 2006年10月 »

2006年9月25日 (月)

ローマから・その7

Img_0406m 今回の司教研修のハイライトは、なんと言ってもカステルガンドルフォに教皇様を訪ねることでした。23日(土)は朝6時45分にコレジオ・サンパオロを三台のバスで出発し、まず聖ペトロ大聖堂へ。生まれて初めて裏からはいって、日本の普通の小教区聖堂よりも大きいのではないかと思われる巨大な香部屋へ。99人の司教が一度に祭服に着替えるので、さすがにその巨大な香部屋でもスペースがないのか、着替えは聖ペトロ大聖堂の後ろの一角を仕切って用意されていました。そこで荘厳に着替えて、全員でミトラをかぶってこれ以上はないくらいに荘厳に大聖堂の一番後ろから主祭壇の横を通過してその後ろにある祭壇へ。ここで福音宣教省長官のディアス枢機卿司式でミサを捧げました。まあ司教様方の写真を撮ること、撮ること。私も負けずに撮ったのがこの一枚です。ちょうど訪れた観光客の人たちにとっては、ぞろぞろと司教が出てくるので、格好の写真ネタだったと思います。撮られまくりました。ミサ後は荘厳に行列を連ねて地下におり、聖ペトロの墓とヨハネパウロ二世の墓に詣でました。

Img_0438m その後、再びバスに分乗し、一路カステルガンドルフォへ。ここで予想だにしない事態に。白バイ(といってもここでは青バイ)が三台、このバスご一行を先導してくれるというではありませんか。まあ、普通に通行している車にはものすごく迷惑だったことでしょう。申し訳ない、と痛切に感じながらも、一番前のバスの一番前に座っていた私は、この2週間で一番興奮した体験をいたしました。たった3台の白バイで、3台のバスを、見事に一度も停止させることなく、ローマ郊外にあるカステルガンドルフォまで導く警官の技術。ありとあらゆる交差点で車を止め、バスの間に他の自動車が入ればさっと来て排除し、驚くべき早さで到着しました。何度となくこの道は車に乗せられて走ったことがありますが、通常の半分の時間で到着しました。ドライバーの皆様、本当に申し訳なかった。写真は先導役の警官と談笑するディアス枢機卿。

Img_0431m 思いっきり早くついてしまったため、司教団はカステルガンドルフォの庭園を満喫するように指示されました。ぞろぞろと黒のスータンを来て赤い帽子をかぶった一団がバスから降りてくるので、ここでも観光客の格好の写真アイテムでした。まあ、この庭園のすばらしいこと。しかも、これ以上は司教でも立ち入り禁止。ここから先は教皇様しかだめだというエリアまであって、正直驚きました。セキュリティだけで一体何人が働いていることか。やにわに物陰から現れるのですから。この庭園で一時間ほどをつぶして、やっとカステルガンドルフォ内部へ。さらに、とても偉いらしい枢機卿が教皇様と会っているので待つようにと指示されて、中庭でさらに1時間。やっと廷内の謁見ホールに通されました。教皇様は、さすがにこの数日いろいろあったのが堪えているのか(と思われるくらい疲れ切っていました)、非常にお疲れの様子で、それでもスピーチをされ(イタリア語でしたから何もわかりませんでしたが、モガディシュで殺されたシスターのことに触れて、宣教の困難さを語ったのだけはわかりました)、その後に一人一人と握手をして言葉を交わされました。まあ、100人近くも司教がいるのですから、誰が誰やらおわかりにはならなかったでしょうけれど。その後おみやげにロザリオを頂戴して、再びバスへ。それから30分ほどバスで走って、昼食となりました。このとき午後2時。で、朝6時45分からこの2時に至るまで、我々の近くには手洗いというものが一つもなかったのでありまして、いや、大変でした。私より年配の司教様が多くいたわけですから、もっと大変だったと思います。どうでもいいことですが。

Img_0442m 今回は、いろいろと福音宣教省には見せつけられたと言うことかもしれません。変な言い方ですが、バチカンの力を見せつけられたというか。教皇庁が我々宣教地の司教や、同時に司教省管轄の司教たちを招いてこういった研修をするようになったのも、今の教皇庁の深い悩みを感じさせます。本日久しぶりに出会ったチリのペレグリン司教によると、司教省管轄下の司教たちは160人以上で、ローマの郊外にあるあるとても伝統的な神学校に缶詰になって研修をしたとか。この神学校は400人近い神学生がおり、しっかりと黒のスータンと着て生活する伝統的な場所として有名なところです。我々はイタリア語でしたが、そちらの典礼はすべてラテン語だったそうで、こういうところに欧米の司教たちを缶詰にするということにも、教皇庁の深い悩みを感じることができます。火曜日の朝にはローマを出発して、日本に向かいます。写真は今回の研修に参加した三人の神言会司教。台湾の洪司教、インドのバルワ司教と一緒に。

|

2006年9月22日 (金)

ローマから・その6

Img_0334m 研修会も最後の日となりました。本日のお話は、まず教皇庁管財局のニコラ枢機卿による、教区会計管理や事務局整備の必要性についての、非常に生々しいお話。そして第二の講話が、Cor Unum(開発援助促進評議会)のコルデス大司教による講話を、次長(Under secretary)のジョバンニ・ピエトロ・ダル・トーソ師が代読されました。こちらは国際カリタスとCor Unumの関係にはじまって、先頃出された教皇様の回勅「神は愛」についてのお話でしたから、今回の研修で、初めて真剣に耳を傾けました(あ、大塚司教様の話にも真剣に耳を傾けましたが)。講話のあとにCor Unum とカリタスの関係について質問をさせて頂いて、その回答を聞きながら、何となく見えてきたことがあります。それはそれに続いた各地、特にインドとアフリカ各地の司教様の質問と言うよりも「意見」を聞いて、それに対する次長の回答を聞くにつけ、確信になりました。つまり、教皇庁はカリタスをはじめとした教会の世界的援助機関があまりにも世俗化されすぎて、カトリック的性格を失い始めていることに非常の憂慮していること。従って、たとえその中でも一番巨大組織であるカリタスに対して、簡単に言えば指導が簡単にできるように、2年前にカリタスをCor Unumのもとに配置したこと。

確かに、今日の質問でも盛んに聞かれた、援助側のカリタスが派遣してくる職員があまりにもカトリック信仰からかけ離れていたり、現地の教会の組織を無視したり、教区長の意向を無視したりする事への批判は以前から聞かれていました。数年前には、これを憂慮した国際カリタスはポーランドで、カリタスのカトリック性についての研修会を開催したほどです。しかし同時に、援助側のカリタスにも援助を受ける側の教会への様々な不満が山積しているのも事実で、これまたどちらが正しいとはいえない状況にあります。また近年、ヨーロッパのカリタスがEUの補助金を受けていることも、事態を難しくしている気がします。合衆国のカリタスであるCRSは、以前からUSAIDを通じて政府の援助を受けていたわけですが、これにヨーロッパが近づいてきていることの難しさがあります。いわゆる南北問題は、再び、三度、来年の国際カリタス総会の重要な議題の一つになるでしょうし、教皇庁の憂慮がどのような形で国際カリタス総裁選挙に影響してくるか、注視したいと思います(国際カリタス総裁候補は、選挙前にCor Unumを通じて、教皇庁の承認を得なくてはいけない決まりです)。

明日は朝8時から聖ペトロ大聖堂でミサ、その後11時からカステルガンドルフォで教皇様との謁見の予定です。(写真は、研修会が開催されているコレジオ・サンパオロ)

|

2006年9月21日 (木)

ローマから・その5

Img_0381m 本日(21日)は、再び英語の日となりました。朝のミサは、第一講話を担当されたタンザニアはアルシャのレブル大司教様。もちろん講話も英語でした。エキュメニズムについての非常に具体的な実践のお話を頂きました。そして本日二人目の講師は、京都教区の大塚司教様です。大塚司教様は日本の司教団の諸宗教対話の担当者でもあり、教皇庁の同委員会のメンバーでもあります。大塚司教様は日本の宗教事情を説明しながら、諸宗教対話についての実践的な側面をお話くださいました。講話は英語で行われました。なお大塚司教様は、ローマ留学時代を、このコレジオ・サンパオロで過ごされたと言うことで、昼食後に懐かしそうに当時の話をしてくださいました。

講話のあとにいろいろと質問が出ましたが、やはり、信徒でない人たち同士の結婚式を教会で行うという、他の国では決して行われないけれど、日本の教会が聖座から特別な許可を得ている事への関心や、文化庁の宗教年鑑に拠れば、神道と仏教の信徒総数だけで日本の人口の2倍に達する話とかに、多くの司教様たちが強い関心を示されていました。また禅僧とヨーロッパの観想修道院の交流についても関心を持った司教様が多いようでした。しかし中でも、長崎の隠れキリシタンと大浦天主堂での信徒発見の話は、一番興味を引いたようで、講話のあとの昼食時にも、テーブルで私も詳細についての質問攻めに会いました。宗教学の世界では自明のことですが、宗教という言葉で表される実体が一つではないことから来る日本人自身の宗教理解の混乱、すなわち文化的にとても宗教的であるにもかかわらず、宗教教団に属さない、または個人的に特定の信仰に帰依していないことを持って、宗教とは関係ないと考えてしまうことなど、アフリカの司教さんたちは興味深そうに耳を傾けていました。

そういえば昔、ガーナにいた頃、近くで働くガーナ人の神父さんが、「日本人は無神論者か」と真顔で聞いてきたことがありました。彼の町で働く日本の青年協力隊員が日曜日に教会に行かないし、土曜に行くでもなし、ましてや金曜にモスクに行くわけでもいないので、「宗教は何か」と尋ねたら、「自分は神を信じていない」と返事されて驚いたという話でした。もちろんそう応えた本人は「特定宗教の信徒ではない」といいたかったのでしょうが、「神を信じてない」といってもそう違和感は、日本人であれば感じません。でも実際には日本人ほど神秘的なものへの意識が強い人たちもいないですし、文化や慣習においても非常に宗教的な側面が見受けられます。言葉が表すことのできる意味合いの限界があるのだから、仕方のないことかもしれません。

Img_0385m 本日は午後のセッションが休みになりました。前回午後が休みになった日は、二回続けて雨が降りましたし、アシジに巡礼に出かけた日も雨でしたので、昨日は皆で、明日は雨に違いないと囁いておりました。しかし本日は見事な秋晴れとなり、多くの司教様たちが、ローマ市内へ出かけて行かれました。私は夕方から、濱尾枢機卿様、大塚司教様、郡山司教様、そしてローマ連絡事務所の和田神父様と、会食の予定にしております。研修は明日を残すだけとなりました。(写真はすべて本日の大塚司教様)

|

ローマから・その4

朝晩にはそろそろ上着が必要な程度に涼しくなり始めたローマでの研修も、残すところあと数日となりました。今回の研修では、もちろんバチカンの様々な省庁の長官のお話も聞けたのは、それはそれでためになったと思いますが、ほとんどのお話は精神論的なものや神学校で昔聞いた話も多く、脳天を打ち砕かれるほどの衝撃的な内容ではありません。もっともそんな衝撃的なことを今になって知ったとしたら、そちらの方が衝撃的ですが。とはいえ、いくつかの新しい知識も得ました。カトリック教会には教会法という成文化された決まり事がありますが、それ以外にも成文化されていない様々な決まり事が、伝統的に存在するという事実。そして教会法の解釈も、成文化されていない範囲で非常に広いと言うこと。「へぇぇぇぇ」とボタンを何度もたたきたくなるようなお話が、いくつかありました。いずれにしろお話のあとには一時間ほど質問の時間がもうけられているのですが、そこで各国の司教さんたちのとても具体的な質問に対して、一般的な回答と共に、「詳しくは直接問い合わせてほしい。相談しよう」となるのでありました。つまり、不可能と思われることでも、どうにかなる方法があるやもしれないということでもあります。当たり前のことなのかもしれませんが、基本的には掟を厳格に適応して縛ることよりも、いかに不可能を可能にすることによって相手を助けるのかと言うことに主眼がおかれていると言うことでもあります。もっとも、原則論で「だめなものはだめ」はいくつもありましたし、世俗化に飲み込まれてしまった現代社会のあり方に対する厳しい批判も多く聞かれました。原則は決して崩さないけれども、できる限りの理解と優しさを示そうとしているバチカンの姿がそこにはありました。

Img_0370m 月曜には教育省長官のグロコウルスキー枢機卿、バチカン市国委員会(正式名称は日本語で何というのでしょう?)のラヨロ枢機卿、火曜日にはラッツィンガー枢機卿の後継者となった教理省長官のレバダ枢機卿、保健従事者評議会のバラガン枢機卿、そして水曜日は、修道者省長官のローデ枢機卿と正義と平和評議会のマルティノ枢機卿(写真)のお話でした。外交官を長く務めていたり、国務省で働いていたことがあったりと、国際政治に深く関わってきた枢機卿たちが多く、特に正義と平和のマルティノ枢機卿などはレバノンの大使館勤務の時にクェート政府とバチカンとの国交樹立交渉をしたり、国連への代表として長年務めてこられたこともあり、老練な政治家(ステーツマン)の威厳を感じさせる人物でありました。なお火曜日は朝のミサから二回の話までがやっとすべて英語で行われ、初めて必死にならずに耳を傾けることができました。同時通訳は、もちろんプロのわざとはいえ、語られていることを理解するには努力が必要ですから。先日の教皇様のドイツでの講演の際の発言が批判されている問題についても、それぞれの枢機卿たちがさらりと触れておられましたが、その話しぶりからは、国レベルではすでに話は付いているという雰囲気でした。今日の午後にも買い物にバチカンまで出かけて、聖ペトロ大聖堂の前を横切りましたが、特に警戒が厳しくなっていると言うこともありません。土曜日には教皇様とお会いできるので、何か聞けるのかもしれません。そういえば本日の夕方には、バチカン銀行(IOR)の総裁が訪れ、バチカン銀行の役割についても解説を頂きました。イタリア人の信徒の方ですが、そのほか総勢4人でこられましたが、格好いいイタリア実業家みたいな雰囲気の人や、ゴッドファーザーに出てきそうな感じの人やら、イタリアらしい雰囲気でありました。話を聞きながら、頭の中では、あのニニ・ロッソの奏でる哀愁に満ちたトランペットの調べが鳴り響いていたのでありました。

Img_0361m 本日、9月20日は(時差の関係で日本時間ではすでに21日ですが)司教叙階の記念日でした。ちょうど韓国の殉教者の祝日です。2年が経ちました。新潟の司教として3年目に入ります。2年といえば長い時間のようですが、あっという間でしたし、考えてみれば、何も大きな事は成し遂げていません。新潟での生活にやっと慣れ、教区のこともだんだんとわかってきた段階です。もしかしたら、「何をのろのろしているのだ」と感じておられる方もいるのやもしれません。「司教は新潟教区のことを、まだまだわかっていない」と感じられている方もおられるでしょう。教区司祭団や修道会の司祭団と共に、この2年間いろいろな課題に取り組んできました。検討してきたことを形にして、実施に移す段階に来ている事柄もあります。先日には教区の修道女や奉献生活を営んでいる方々の集まりを行い、これからの協力体制について、少し先が見えてきたような気がしています。司教一人が相撲を取っていてもはじまりません。司祭団、修道者、信徒の皆様のこれまで以上のご理解とご協力をお願いしなければ、新潟、山形、秋田の地にキリストの共同体を作り上げていく業を成し遂げることはできません。福音をさらに多くの人たちに伝える業を成し遂げることもできません。どうか共に、キリストの手足として、福音を伝える業に取り組んで頂けますように、お願い申し上げます。(写真は、毎朝のミサを捧げる、コレジオ・サンパオロの聖堂。ミサを司式しているのはレバダ枢機卿様)

|

2006年9月18日 (月)

ローマから・その3

Img_0358m ローマでの研修会も第一週目が終了し、本日の日曜日は、あいにくの小雨が降る中、アシジへの巡礼となりました。アシジへ出かけるのはこれで4回目となりますが、大聖堂でミサを捧げるという、いかにも巡礼らしいことをするのは今回が初めてでした。70名以上の司教がミトラをかぶり、ぞろぞろと並んで出てくるのは、たまたまアシジを訪れていた人たちにとっては、滅多にないおもしろい出来事だったかもしれません。ミサの司式は福音宣教省長官のディアス枢機卿でした。日曜日でしたから大勢のかたの会衆席での参加もあり、またパイプオルガンと少人数な割にはとても上手な聖歌隊が、荘厳さを増してくれました。アシジの大聖堂のなかには、フランシスコゆかりの昔の小さな聖堂がそのまま収まっているため、聖堂の入り口からは祭壇を直接見ることができません。そのため聖堂の真ん中に大きなスクリーンが設けられ、後ろからも祭壇付近を見ることができるように工夫されていました。また内陣では祭壇を囲んで昔風の聖歌隊席が三段でぐるりと設けられており、そこに私たちも座りました。初めてそういうところに座ったのですが、なんと説明して良いものか、一人一人のボックスのようになっており、ちょうど肩の当たりに左右に出っ張りの棒がもうけられているのは、よそ見をせずに正面だけを見るためなのかもしれません。よく見ると皆さんしっかりと収まっているのに、私とか数人の座高が高い人間はその出っ張りが肩にあたって非常に座り心地が悪いものでした。しかしその席に、三段にも渡って、ミトラをかぶった司教さんたちがぞろりと座っているのは、確かに壮観でした。日本では幾ら多くても20人を超える司教の共同司式は見ることがありませんから、70名を超える司教集まりは見応えがありました。

Img_0352m フランシスコ会の方々にとっては最重要の聖地ですから、語りたいことはたくさんあるのだろうと思います。ミサが終わってから退堂前に、修道院長様がいろいろと説明してくださったものの、これがまたとても長い(しかもイタリア語)。今日のミサは説教が二度あったようなものでした。ミサ後は食堂でとてもおいしいイタリア料理を皆で頂き、その後山の上にのぼってフランシスコの葬られている聖堂を訪れましたが、ここでまたフランシスコ会司祭が説明を語ること語ること。おもしろい説明でしたが、あのまま語らせておいたら、一日中語り尽くさんばかりの勢いでありました。写真は語ってとどまるところを知らない神父様です。

Img_0356m 夕方には聖クララ修道院を訪れ、クララ会のシスターたちと面談室で対面し、その後、一緒に夕の祈りを唱えて、巡礼を終わりにしました。新潟県の上越市高田にも、同じクララ会の修道院があります。そこに行ってもそうですし、この発祥の地の修道院でもそうでしたが、とにかくシスターたちの表情がとても明るい。完全に沈黙の観想生活を送る中に、本当の喜びがあるのかもしれません。発祥の地の修道院には二名の志願者と一名の修練女がおりました。新潟の修道院にも、志願者が豊かに与えられることを、聖クララの遺体の葬られた聖堂で祈りました。

研修会はあと一週間です。今週もまた、よく名前を耳にする有名な枢機卿たちの話を聞くことができることになっています。また最終日の土曜にはバチカンで再び共同のミサを捧げ、その後カステルガンドルフォで教皇様とお会いできることになっています。

Img_0332m 今回ローマに来て、いろいろ気がついたこと。①コレジオ・サンパウロは、とにかく蚊が多い。普段アフリカなどへ出かけるときは充分気をつけて蚊取り線香や虫除けを持参するのですが、今回はそこまで思い至らなかったため、まあそこら中を刺されております。しかも網戸なるものはないし、窓を閉め切るとまだ暑いですし。しかも今回は、いつも持参する正露丸まで忘れてしまいました。②集まった司教はこの3年の間に任命された訳ですが、結構年齢に幅があります。一番若い方が私を含めて40代半ばから後半。年長では60代後半。年齢の資料がないので正確にはわかりませんが、どちらかというと50代後半から60代前半が大多数であるという印象を受けました。③ローマに留学した経験の無い司教も3割くらいいること。これはイタリア語ができない司教の割合でわかりますが、結構、ローマ人で無い司教がいるものだと感心させられました。④私と全く同じく、アフリカに宣教師で派遣され、神学生養成のために母国に戻り、そして司教になった人が他にもいたこと。⑤外交官としての教育を受け実際に外交官として数年働いた後に、司教に任命された人も少なくないこと。⑥特に典礼のインカルチュレーションの問題で感じましたが、バチカンの役所同士は、結構横の連携が無く、思いのほか方針に食い違いが見受けられること。写真は、同じ神言会の台湾は嘉義教区(Chiayi)の洪(Hung)司教と。

|

2006年9月15日 (金)

ローマから・その2

Img_0312m 今回の福音宣教省主催の司教研修会には、名簿によれば99名の司教が参加しています。アフリカの司教が39名、南北アメリカの司教が11名、アジアの司教が46名、オセアニアの司教が3名という内訳になっています。参加者の多い国としてはインドの16人を筆頭に、ベトナム、コンゴ(旧ザイール)、のそれぞれ6名、ナイジェリア、インドネシアのそれぞれ4名というところでしょうか。なおアジアにはアラビア、クウェート、ウズベキスタンも含まれています。ちなみに中国(大陸)の司教は含まれていませんが、台湾からの参加が二名あります。

4日目にあたる今日は、第一の講話をウィーンの大司教、ションボーン枢機卿から司教の役割について(フランス語)、第二の講話を教皇庁使徒座署名院最高裁判所のヴァリーニ枢機卿から、教会法についての話を(イタリア語)頂きました。この数日話を聞きながら思いましたが、教会の中で重要な役職を担っている人たちは、やはり言葉がいくつもできるものであるなと、再確認しております。ションボーン枢機卿が話の中でベネディクト16世にImg_0323m ついて触れたときに、「教皇様は常に聖書を手元に置いておられる。話し合いの途中などにさっと聖書を開いて一節読まれることがあるが、なんと聖書はギリシャ語だ。教皇様は皆がギリシャ語ができると思っているようです」と半ば冗談のようにいわれましたが、いやはや、様々な言葉を自由自在に操る人たちを見ると、同じ人間とは思えません。

毎日のように朝から晩まで時間が割り振られているのに根を上げた司教さんたちの提案で、今日の午後はグループディスカッションがキャンセルになり、13時の昼食後から19時の夕食まで自由となりました。あたかもそれをねらったかのように雨が降り出しましたが、なんのその、郡山司教様と運動代わりに小雨の中、行きは40分ほどかけて歩いて聖ペトロ大聖堂まで巡礼をしてまいりました。写真は研修会に参加している各地の司教さんたちや、本日の第一講話を担当されたションボーン枢機卿様です。

|

2006年9月14日 (木)

ローマから

ローマに来ております。やっとコンピュータをつなげる方法を見いだしましたので、現況報告まで。

福音宣教省が管轄する地域でこの3年の間に叙階された司教を対象にした、研修会がローマで開催されております。2週間の予定です。会場はバチカンの裏手に位置する「コレジオ・サンパウロ」という、つまり福音宣教省が運営するローマで勉強している宣教地の司祭の宿舎であります。今回の参加者を見て初めて知りましたが、もちろん日本を含めたアジア各地やアフリカ各地は宣教地ですから福音宣教省のもとにあるのですが、カナダやペルーあたりにも福音宣教省の管轄地域があるのでした。来週にはそれ以外のいわゆるキリスト教国を管轄する司教省が主催する、新司教研修会も開催されるとかいうことです。

福音宣教省主催の今回の研修会には、90人を超える司教が参加しており、日本からは私と鹿児島の郡山司教様が参加させて頂いております。英語を話す国の司教の研修という打ていたのですが、じつはすべての言葉の国からで、会場はイタリア語、英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語の同時通訳が付いており、午前中に二回行われる講話は、今のところ、すべてイタリア語かフランス語かスペイン語でした。福音宣教省長官のディアス枢機卿はインドの方ですが、この方の講話もイタリア語でありました。というよりも、イタリアにいるから当然といえばその通りですが、祈りもミサもすべてがイタリア語でありまして、90名ほどの参加司教の中でイタリア語ができないのは、ローマに留学したことがない20名ほど。あとの方はすべてイタリア語に秀でている。ちなみに私も郡山司教様もイタリア語はわからず、苦労させて頂いております。

朝は7時半のミサにはじまり9時15分から午後1時まで、2名の方(たいていしばしば名前を耳にする高名な枢機卿様方です)のお話を頂いて、昼食。午後は、当然シエスタ(昼寝)時間を経て、4時半から6時までグループ討議、7時までその発表。そして夕の祈りを経てやっと夕食であります。二日目の第一講話を担当された教皇庁家庭評議会議長のトルヒッヨ枢機卿は、開口一番、「時間通りに話をまとめるのは私のカリスマではありません」と宣言されて、そのとおり、時間通りには終わらないお話を聞かせて頂きました。なお今回の研修会の講師として福音宣教省から招聘された枢機卿や司教の中には、大塚司教様も含まれており、来週には大塚司教様のお話も聞くことができます。

今回の参加司教の中には、私がこの日記の中で紹介した昔の知り合いの司教も含まれていました。ガーナで一緒に働いていた司教さんもきており、懐かしい話をたくさん聞かせて頂いております。神言会からは私以外にもインドと台湾の司教が参加しております。また時間を見つけて、そのほかのことを記したいと思います。

|

2006年9月 8日 (金)

出張中です

ローマでの司教研修会に参加するため、月末まで留守にしております。ローマで可能性があれば、更新にも挑戦してみたいと思いますが、どうか期待しないでください。それでは、季節の変わり目ですから、お身体を大切に。月末にまた更新します。

|

2006年9月 4日 (月)

HIV/AIDS

新聞を読んでいたら、西アフリカで局地的に流行しているHIV2型に、日本人の方がはじめて感染したという記事がありました。現地での輸血によって感染したのではないかといわれているようです。西アフリカといえば私が以前働いていたガーナも西アフリカですから、ちょっと調べてみたら、やはりガーナあたりでもこのHIV2型の感染が見られるということです。

どのような型にしろ、HIV感染が広がりつつあるのはアフリカの大きな問題の一つですし、AIDSによって引き起こされる家庭崩壊やそれから派生する村落共同体の崩壊、さらに孤児の問題、また胎内感染の問題は深刻になりつつあります。すでに私が働いていた80年代後半に、村の中でもAIDSのために命を落とす人が目に付くようになっていました。特に、生活苦のため、または因習による結婚問題のため、日々の糧を得るために隣国へ出かけていく女性が少なくなかったのも事実です。隣国から定期的にブローカーとおぼしき男性達がやってきてはリクルートして行くのだと聞かされました。確かに2年ほどで経済的に成功を収め、車に家財道具を満載して戻ってくる女性が、これまた少なくなかったのも事実です。しかし同時にその陰で、HIV感染をはじめとする様々な身体的・心理的リスクにさらされ、実際に体をこわしていた人も多くありました。

その頃現地から自分が書いたものを読み返してみると、1988年に5月の便りに、こんな話がありました。「聞けば隣国コートジボアールの首都アビジャンで長いこと売春婦勧誘役をやり、つい三ヶ月前に病気で送り返されてきたとか。訪ねてみるとまだ三十そこそこの青年は、見る影もなく痩せ衰えて、話をするのがやっとでした。確かにエイズのようです。告解をすませ、病者の塗油を施し、御聖体を水で流し込みました。・・・男性は初めてでした。彼がしていた仕事が仕事ですから、周りの人たちも天罰が下ったと考えているようですが、しかし売春の存在自体はもっと根が深いのだと思います。最後の最後に、長らく離れていた教会に助けを求めた彼は、その数日後になくなりました(日本カトリック移住協議会編「こんにちは!」1994年に収められています)。その頃AIDS発症の結果結核で亡くなる女性も多く、祈りに呼ばれていくと、窓もないような薄暗い部屋に骨と皮だけになった女性が、隠すように寝かされていることもしばしばでした。

昨年の世界エイズデーにむけて発表されたガーナ・エイズ委員会の報告によれば、昨年の段階でガーナの全人口の3.1%がHIV感染者だといわれます。これは人数にして、約40万人という事で、2015年には50万人に達するだろうともいわれています。感染はすでに一般の市民生活の中で起こっています。特殊な事情があるものだけの問題ではなく、国を挙げての問題であると、ガーナをはじめアフリカの多くの国は危機感を強めて、教育キャンペーンに長年にわたって取り組んでいます。

カリタスジャパンではHIV/AIDSデスクを司教団の求めに応じて設置して、啓蒙活動に取り組んでいます。昨年の世界エイズデーに発表したメッセージにはこう記されています。「2005年末時点でHIV感染者は全世界では約4,000万人ですが、新たな陽性者は、欧米では微増にとどまっているのに対して、日本では10年間に倍増し、2004年には新たな陽性者が年間1,000人を超えました。」そして「陽性者、そしてその家族や友人は、無関心と無理解、冷たいまなざしの中で苦しんでいるから」こそ、カリタスとしてこの問題に取り組むという姿勢を明らかにしています。

さらにこのメッセージの結論として、次のように記します。「世界には、HIV/AIDSに苦しむ多くの人がいます。感染する人、亡くなる人のほとんどは、高価な治療薬だけでなく、予防の情報すら手に入れることができない途上国に集中しています。アフリカには人口の20%以上が感染し、働き手と親が失われ孤児だけが残ると心配されている国がいくつもあります。さらに、新たな感染者の伸び率が世界最大のアジアの中で、とくに東アジアではこの2年間に40%増え、感染が急速に広がることが懸念されています。世界の隣人にも目を向けることが求められています。
 HIV/AIDSデスクは、この病気への取り組みを、まずできることから始めるよう呼びかけます。それは、病気の人の苦しみを心にとめ、いのちと性について若い人たちと話し合い、そして世界の問題に目を向けることです。私たちには、力を合わせて、危機にさらされているいのちを守り、助け、輝かせる使命があるのですから」(全文はカリタスジャパンのホームページで)。もちろん国際カリタスもこの問題に取り組んでおり、フルタイムの担当者(米国人司祭)が一人、ジュネーブに常駐しています。

|

2006年9月 3日 (日)

妙高みこころの家落成

Img_0302_2 本日午後2時より、快晴に恵まれたものの秋の涼しい風も吹き抜ける絶好の行楽日和となった妙高高原で、住宅型有料老人ホーム「妙高みこころの家」の落成式が行われました。このホームはNPO法人「妙高高原」が運営する施設で、この地域では唯一の老人福祉施設となります。土地の傾斜の関係で玄関は地下一階ですが、その上に2階の居住室が設けられて、13名ほどの方が生活できるようになっています。1階は食事サービス付き、二階は自炊が出来る設備になっています。

落成式は妙高教会での感謝ミサから始まりました。私が司式をして、高田教会のマリオ神父様と直江津教会のフーベルト神父様がご一緒下さいました。ミサには、高田と直江津の信徒の方も参加してくださっておりました。実はこのホームは妙高教会の聖堂裏、教会の敷地内に建てられております。そして運営にあたる理事会も、理事長をはじめ妙高教会と高田教会の信者の方々とマリオ神父様で、地域に根ざし開かれていると同時に、キリスト教的雰囲気を持った高齢者の生活の場となっています。すぐ隣にある教会の山荘と同様、みこころの家の自慢の一つは、掛け流しの温泉を使った大浴場かもしれません。1階と2階の共有スペースである食堂からは、妙高の山並みを間近に眺めることも出来、とても恵まれた環境だと思います。もっとも今年の冬もそうでしたが、冬場は雪が大変かもしれません。Img_0300_1

落成式には市会議員さんや合併前までの村長さん(妙高教会のお向かいさんですが)など、地域の方も多く参加してくださいました。感謝します。そしてこれからも、教区としてどれほどのことが出来るか分かりませんが、出来る限りでこのホームを応援していきたいと思っています。小さなホームだから出来る家庭的な共同体づくりに、これからも取り組んでいただきたいと、期待しております。

|

日曜雑感

テレビを見ていたら、マラソンランナーのジョセフ・モガンビ・オツオリさんが、故郷のケニヤで交通事故のため亡くなったという話を耳にしました。新潟の重川材木店陸上競技部に移り、大工仕事を覚えながら選手兼コーチとして活躍されていたという話を、地元のテレビ報道で見たことがありました。

Img_1633 アフリカで働いていた頃、マラリアをはじめとする様々な熱帯の病気に恐れをなしていましたし、実際に何度も罹ったものですが、それ以上に恐ろしかったのは交通事故でした。いろいろな理由があるのですが、とにかく人命が失われる事故がしばしば起こりました。外国人が巻き込まれることも珍しくなく、私が働いていた間でも、ガーナで働く青年協力隊員が二人、交通事故のため命を落としています。私自身は、幸い事故に巻き込まれたことはありませんでしたが、二台前を走る乗り合いバスのトラックが、対抗して前方から来たトラックと正面衝突するという現場に遭遇したことはあります。谷底へ転落したバスから引き上げられた怪我人を、荷台に乗せて(教会の車はランドクルーザーのピックアップ)病院へ走ったことも数度ありました。そういう意味では日本にいるよりも、交通事故に遭遇する確率は高かったのだと思います。宣教師達の間でも、とにかく交通事故には気をつけよう、よくよく周囲に注意して運転しようと言い合っていたものです。

Img_1625b_1_1 写真のように、定員などを無視した超過積載の問題もありますし、車の整備が車を作っている国では考えられない手法で行われているとか、問題は多いのだろうと思います。整備については、思想が違うのだろうと思うこともあります。故障したら最初に制作された状態に限りなく近づけるのが修理であると考えるのか、それともとにかく車というものが与えられた使命を果たすようにすること(つまり何が何でも動くようにする)が修理と考えるかの違いであるような気がします。山の中の道ばたに、天才的なフィッター(修理工)が存在して、とにかく動くようにしてくれることもよくあるからです。もっともそれ以上に、道路の整備状況の悪さが、火に油を注いでいるのだろうとも思います。特に舗装。定期的に補修されないために、舗装路面は路肩からだんだんと内側に向かって崩れて無くなっていきます。そうすると、当然車道部分は狭くなるのですが、これが不規則に連続すると、車はどうしても中央線によって走行しがちになる。これが頻発する正面衝突の一因であろうとも思います。交通ルールというものが確立されて、事故が減って行くには、道路の整備が進まないとどうしようもないのではないかと思います。(写真はどちらもケニヤのお隣のウガンダで、2005年夏に撮影)

Ghana032 P.S. 舗装状態が悪くなって路肩から崩れていくというのは、この写真のような状態をいいます。もっともこれはその中でも最悪の状態で、こうなるとあまりの乗り心地の悪さに、車は歩くほどのスピードでしか進むことが出来なくなりますので、そういう意味では正面衝突はないのかもしれません。ここに至るまでの段階で、だんだんと舗装面が狭くなると、スピードを出しながら中央に車が寄ってくることになります。ちなみにこの写真は16年ほど前のガーナ、イースタンリージョンの州都コフォリドュアからアセセワ村へ向かう幹線道路ですが、その後改修されました。現在どうなっているかは分かりません。

|

2006年9月 1日 (金)

9月になりました

9月になりました。新潟教区の一粒会の皆様のために、今朝のミサを捧げさせていただきました。司祭・修道者の召命のために祈り、また献金してくださる教区の皆様に、心より感謝申し上げます。

これからの一ヶ月はほとんど教区におりません。というよりも、国内におりません。というのも、9月10日の夕方から2週間にわたって、バチカンの福音宣教省が主宰して、この数年間に叙階された司教の研修コースがローマで開催されます。招待を頂きましたし、二度と無い機会ですから、参加してこようと思っております。そのため、月末まで、不在となります。教区の司祭、修道者、信徒の方々には、長期不在でご迷惑をかけてしまうことになるかもしれませんが、お許し下さい。もちろん私が不在でも、司教総代理の川崎神父様もおられますし、また成田で国際携帯電話を借りていく心づもりにしておりますので、ローマまで連絡もつきますから、ご安心下さい。

教会は福音宣教省の管轄地域とそうではない地域に分かれており、そうではない地域の司教は「司教省」管轄下、宣教地の司教は福音宣教省管轄下に置かれています。もちろん日本は宣教地ですから福音宣教省のもとにあります。福音宣教省の長官は、近頃、インドのボンベイの大司教であったディアス枢機卿が就任されましたが、20年くらい前、私がガーナにいたとき、ディアス枢機卿は駐ガーナ・バチカン大使を務めておられました。

|

壮大なる出費

聖地を巻き込んだ武力紛争は、すでに停戦合意がなされているので、そのこと自体は評価すべきなのでしょうが、今朝の報道を耳にして驚いてしまいました。昨日ストックホルムで開催されたレバノン支援国会議では、今回のイスラエルとの衝突の代償として、国際社会は総額12億ドルもの支出をするのだというのです。レバノン政府によれば、30億ドル以上の被害があったということです。イスラエルが打ち込んだミサイルやら砲弾の70%は不発のまま転がっているともいわれ、その処理のための費用も不可欠だといいます。日本政府はこの方面に500万ドルを拠出する模様です。いやはやそれにしてもお金のかかること。もちろんイスラエル側にも被害が出ているでしょうから、その復興もある程度のお金がかかるでしょう。そしてこれを報じていたドイツの新聞などは、レバノンもいいけど、ガザはどうなるのかという記事を載せていました。レバノンに向けられる資金の4分の一でもあればガザは助かるのだが、これもまた集まらない。いろいろと理由はあったのは分かりますけれど、お互いにあれだけの人の命を奪って、これだけの破壊をするのですから、これが無駄でなくて何でしょうか。国際カリタスをはじめとした多くの国際的援助開発団体が、救援して開発しても武力紛争で破壊されるというむなしい繰り返しに疲れ果てて、やはり根本は平和構築であると考えるようになったのも当然です。

Camp019 そういえば8月末に東富士演習場で行われた陸上自衛隊のすごい演習では、すさまじく思いっきり弾丸やら砲弾が発射されていましたが、あの一日で(だと思いますが)35トンの弾薬が使われ、総額は3億円を超えるというではありませんか。国産なので単価が高いとはいえ、武力の行使にはお金がかかるのは事実のようで、それに破壊される建物やインフラがあり、さらにお金に換算できない人命があり、すさまじい金額が、武力紛争にはついて回ります。国際社会全体に負担を強いることになる壮大な無駄がこれ以上発生しないためにも、世界各地での武力紛争が終結することを祈ります。(写真は95年4月にザイールのブカブ近郊のビラバ村ルワンダ難民キャンプ襲撃事件で、カリタスジャパンの運営するクリニックの薬品倉庫に打ち込まれたロケット弾のひとつ。これ一本でいくらするのでしょう?)

|

« 2006年8月 | トップページ | 2006年10月 »