« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »

2006年10月31日 (火)

カリタスジャパンは長崎に

Nagasaki02 カリタスジャパンの全国担当者会議が、日曜日の午後から本日火曜日の昼まで、長崎のカトリックセンターを会場に開催されました。全国の各教区には必ず一人ずつ教区のカリタス担当者がおります。教区によってカリタスと呼ばれるところもあれば、社会福祉委員会と呼ばれるところもあれば、他の名前のところもあるようです。毎年一回、全教区の担当者が一堂に会して、カリタスジャパンの活動についての意見交換を行い、また翌年以降の四旬節キャンペーンの内容について話し合います。四旬節キャンペーンは、それぞれの教区で実際に行われるわけですから、教区担当者が中心になって企画されていきます。カリタス委員会や援助部会、社会福祉活動部会にも、教区担当社会からそれぞれ3名の代表が参加して意志の疎通を図っています。また責任司教の宮原司教、援助を担当する私、秘書、カリタスジャパン委員の代表の方々、事務局の方々も参加されました。

Nagasaki03 この数年、担当者会議は、各教区の信徒の方々にカリタスの活動を知って頂くために、各地を回りながら、講演会などを行っております。今回も日曜日の午後に、私がカリタスジャパンの活動について講演をさせて頂きました。予想以上の参加者が集まってくださり、当初予定のカトリックセンターホールには入りきらず、お隣の大司教館にある小神学校用の体育館で開催しました。600人以上の方がおいでくださったとのことです。講演の前には野下神父さまが指揮されるコーラスグループによるミニコンサートもありました。講演では生まれて初めてパワーポイントを使ってみました。なんと言っても先日のアジア宣教大会で、信仰の分かち合いに出てくる人が次から次からパワーポイントを使うのです。そしてその中のある人が、「今の時代、話をするときにパワーポイントを使わないと、その人の話にはパワーもなければポイントもない」なんて冗談を言われたので、私もパワーとポイントを話に加えるために、利用しました。パワーポイントで準備すると、話が横道にそれることがないのでそれはそれでよい反面、臨機応変に話の筋をかえることができないという難しさもありました。

担当者会議は月曜の午前中から、本日の昼まで、カトリック会館の会議室で行われました。いつ訪問しても長崎教区はうらやましいですね。施設がたくさんあるし、もちろん信徒の方々もたくさんおられるし。これからも教区担当者の協力を頂きながら、カリタスの活動を深めていきたいと思います。今日で10月は終わります。明日は諸聖人の大祝日、2日は死者の日です。明日あさってと、私たちの信仰の先輩たちに思いを馳せてお祈りください。

|

2006年10月26日 (木)

花園聖ラファエル幼稚園

日本シリーズはあっけなく終わり、愛するドラゴンズは日本一を逃しました。「残念!」しかし日本ハムは強かった。おめでとう。

Img_0109 さて本日は10時頃から、新潟駅のそばにある花園教会に隣接する聖ラファエル幼稚園(園長は高藪師)で、保育参観がありました。それにあわせて11時頃から、保育参観に来園された保護者の方々を対象に、一時間ほど私がお話をさせていただきました。保護者とは言っても平日の昼間ですからほとんどがお母さん達で、お話を聞いてくださったのも30人ほどのお母さん達ばかりでした。高藪園長から頂いたお題は、「共に生き、共に育つ」でしたが、昨今のいじめによる自殺などを取り上げながら、いのちを大切にするという意識を子供達に持たせるためには、どうしても心の教育、中でも超越者が存在するのだという感覚を持ってもらうための宗教教育が不可欠ではなかろうか、というあたりのお話をさせていただきました。参加下さった方々、ありがとうございます。

高校で必修科目を履修していなかったがために、卒業が出来ない三年生が存在するという話で持ちきりですが、しかしいったいどうして今になってこれがぼろぼろと明らかになったんでしたっけ?発端を把握していなかったので気がつかなかったものの、なにやら全国に広がりつつあるようで、文部科学省も焦っているやもしれません。もっとも過去に同じようにして、すでに卒業してしまった生徒達も多いというのですから、今回は卒業させないなんてわけにはいかないでしょうし、きっと最終的にはどうにかしてしまうのだろうと思います。まさか「ゆとり教育の推進役」などと言われた文部官僚の寺脇さんが勇退して文科省を去るのにあわせて、ここで一気にゆとり教育を葬り去ろうというシナリオでこれが公になったなんてことはないでしょうが、やたらと「ゆとり教育」がすべての元凶であるかのように言われるのが気にかかります。もちろん私は「ゆとり教育」を受けた世代であるわけもなく、子供もいませんし、教師でもありませんから、「ゆとり教育」のなんたるかを知りませんので、それについての判断は出来ません。でも今回の問題で明らかになったのは、ゆとり教育のおかげでこんなになっちゃった生徒達がかわいそうじゃないか、ということでは決してなく、受験の問題だったり、そうさせる価値観の問題だったり、そうする学校のシステムとしての価値観の問題だったり、ものすごく根が深い、そして込み入った問題がそこにはあるということのような気がします。確かに教育は改革されねばなりません。でもそれは法律を変えることだけでは不可能でしょうし、システムを変えることだけでも不可能でしょうし、そんな小手先のことではない、この国の根本にある価値観の問題であるような気がしてなりません。

|

2006年10月24日 (火)

アジア宣教大会とは?

Img_0592 昨日に続き、閉幕したばかりのアジア宣教大会をふり返ってみたいと思います。まず第一に、参加した日本代表団の多くが感じたところですが、短い日程(木曜朝から日曜昼まで)に多くのプログラムが詰め込まれており、超過密日程で、ついていくのが、心身共に正直大変でした。なんと言っても、朝のミサが6時に開始です。しかもミサの前には優に30分はかかる朝の祈り。これがまた、シンボルが多用されて、それを厳かに運び込んだりと日本でならばちょっと恥ずかしくてしないような装飾と演出に充ちた祈りです。それが終わってやっとミサ。これまた枢機卿司式で説教付き。(写真は二日目のミサの拝領で聖歌を歌う日本代表団)やっと7時半過ぎに朝食にありつくと、もう、8時半にはアニメーションが始まります。この「アニメーション」、何のことかと思いきや、歌と踊りで体を動かして、心身共に盛り上げようという30分です。その後、基本的には12時半の昼食までノンストップ。休憩も時間がもったいないから(というよりも、千人が会場外へ休憩に出てしまったら、戻るのに時間がかかるので)スナックと飲み物が入った小ボックスが各自の手元に配布されるほどです。もちろん午前のプログラムが12時半に終わるわけもなく、昼食は1時頃にずれ込みます。ところが休むひまもなく2時からはグループディスカッション。全体を50人くらいずつのグループに分け、さらにこれがそれぞれの会場で5グループくらいに分かれて、一斉にわかちあいを行いました。引き続いて5時からはその報告会。さらに5時半から7時までは、その日のテーマについての神学者によるふり返りの講演。そして7時に夕食。これで終わりかと思いきや8時半から10時頃まで、今度はミュージカルやらロザリオと聖体礼拝やら。とにかく朝6時から夜10時までみっちりであります。さすがに参りました。

Img_0598 午前中のプログラムは、基本的に一日目は基調講演(フィリピンのルイス・タグレ司教。アジアでは超有名な若手神学者とのことで、確かにお話は上手でした)、二日目と三日目は信仰についてのわかちあい(つまり、いわゆる「あかし」です)ということで、アジア各地の何名かの方が登場して、テーマに基づいてそれぞれの信仰についての体験を物語りました。日本からはドミニコ会の田中神父様も今回招聘されており(写真は語る田中神父様)、諸宗教との関わりの中での自分の信仰について、結構難しいお話をされました。この「あかし」の時間は、アジアにおける諸文化に、物語を語って聞かせるという特徴があることを強調して、その証左として今回いくつも行われましたが、言ってみれば伝統的なカトリックにとってはなじみのない事柄です。プロテスタントの教会などでは、「あかし」が行われるところも多いと聞いたことがあります。しかし基本的にミサの司祭による説教が中心のカトリックでは、入り込む余地があまりなかったのかもしれません。そのためか、物語ると言うよりも学校の授業のような話になってしまう担当者も少なからずあったのですが、しかし中には本当に耳を傾けさせるすばらしい物語者がいたことも事実です。私自身も、自分の「イエスの物語」を、体験に基づいて自信を持って語れるようになりたいと思いました。

Img_0670 それぞれの日にはテーマが定められていました。第一日目は「アジアの人々におけるイエスの物語」、二日目は「アジアの宗教におけるイエスの物語」、そして三日目は「アジアの文化におけるイエスの物語」、最終日が「アジアの教会の営みにおけるイエスの物語」でした。(写真は最終日のミサで、宣教の十字架を各国代表に手渡すセペ枢機卿)このテーマは、FABCの基本的な宣教に対する考え方、つまり「人々、文化、宗教」という三つの側面における「対話」による宣教がアジアでは不可欠だという考えに基づいています。基本的に宣教はすべてのキリスト者に対する使命として与えられているのは今更言うまでもなく、そうであればこそ、それぞれの置かれた立場や環境に応じた宣教の方法を考えねばならないのは当然です。そして今回の大会で繰り返されたのは、アジアにおける文化や他宗教との関係を考えるとき、キリスト者はその生き方を通じてイエスの物語を語っていかねばならないということ、そしてその物語はどこかで聞いてきた物語ではなく、自分の体験に基づいた物語でなければ何の説得力もないということ、そして物語ることは一方的ではなく相手への尊敬を持った対話の姿勢でなかればならないこと、というあたりでした。

つまり、これは私自身が共同体づくりの話の中でいつも申し上げることでもありますが、基本的には共同体づくりは宣教に直結しているのであり、それは一人ひとりの回心でしかあり得ないということ、つまりみんなの集まりをどうにかすることの根本に、一人ひとりの信仰における新たな目覚めとより深い理解と体験がない限り、何も起こりようがないと言うことであります。今回の宣教大会はこのことを再確認させてくれました。そして私が感じるのは、残念なことに、このアジアの中で一番社会の宗教性が失われている日本でImg_0687c_1 は、宗教的なことがあまりにも個人の内面の問題として捉えられてしまっているために、教会においても、その個人の内面の問題が実は共同体(目に見えるものも見えないものも含めて共同体)の根本にある、基礎にあるということが意識されにくいことであります。なんと説明して良いか感覚的なこともあるので分かりませんが、つまり誤解を恐れずに言えば、個人の内面的な問題だからと言って「自分の勝手な信仰」になってしまっているということです。個人の内面の信仰は共同体の信仰と不可分であるという意識を持つことが難しい、そういう社会の環境であるということです。今回の宣教大会に参加していたアジア各国の人が、本当に信仰を体で喜びを持って表現するのを、本当にうらやましく眺めました。(写真は会場となったチェンマイのロータスホテル遠景。赤丸の中

|

教皇様との写真

Popeb16 東京の教皇庁大使館から、いつもとは違うやたらに大きな封筒が送られてきたので、何だろうと思って開封してみたら、この写真でした。先月、ローマで開催された司教研修会の際に、ローマ郊外のカステルガンドルフォへ出かけて、教皇様にお会いしたときの写真です。当日はビデオカメラが一台と、写真のカメラが二台入って、バシバシと撮影してましたが、カメラの一台はオッセルバトーレロマーノ紙(教皇庁の新聞でイタリアでは日刊、海外では週刊で発行)、もう一台は教皇庁御用達の写真屋さんだと聞きました。本来はこの写真屋さんから後で買わなくてはならないところ、今回は太っ腹の福音宣教省が全員分を購入して、「後で届けるから」という話でした。しかし誰が誰やら、どうやって後で判断するのだろう、アジアの人間の顔をどうやって後で見分けるのだろう、などといろいろ心配しておりました。なにせ、決められた順番に並んで前に出たわけではなく、たまたま着席した順番でしたから、写真に写った顔から判断するしかないのです。が、見事、間違わずに届きました。さすがでした。ちなみにこの時教皇様は、「日本から参りました」といっている私に、「オー、ジャパン、ジャパン」と言われていたように記憶してます。またしかに、それ以上言うことがあるほど問題児ではないですし・・・。

|

2006年10月23日 (月)

アジアにおけるイエスの物語

Img_0676 先週の木曜日から昨日曜日の「世界宣教の日」まで、タイのチェンマイで開催されていたアジア宣教大会が無事終了しました。正式な参加者は1000名を超えていました。そのうち司教も70名以上(名簿では枢機卿5名を含む62名)、司祭は300名以上、日本からも司教3名と司祭3名、シスター2名を含む21名が、代表団として参加しました。教皇様の代理としてナポリの大司教でもあり福音宣教省の前の長官でもあるセペ枢機卿が特使として派遣され、現在の福音宣教省長官であるディアス枢機卿、地元バンコクの大司教ミチャイ枢機卿、インドのトッポ枢機卿、フィリッピンのビダル枢機卿と、枢機卿がこれだけ集まるのも迫力がありました。70名を超える司教のためには、なんと今回の大会のロゴマークが刺繍されたミトラ(王冠のようなイカの頭のような帽子)まで一人ひとりに用意されていました。タイの司教協議会とFABC(アジア司教協議会連盟)の力の入れようが伝わってきました。

宣教とImg_0660_1は、結局はイエスの物語を語り伝える事だというテーマがしばしば繰り返され、それぞれが自分の持っている独自の イエスとの信仰における出会いの物語を語り合いました。詳しくは明日にでも記すことにしますが、教会全体として、アジアという文脈の中で、宣教への熱意を再び呼び覚まそうという総決起大会のようなものでした。会場はさすがに観光地チェンマイでした。本当に巨大なホテル。参加者1000名以上を収容してもまだ余力のある大ホテルの、これまた体育館もびっくりのような大ホール。そしてタイの司教協議会の想像以上の周到な準備。二日目の晩に上演されたミュージカルなどは、この会議のために作曲され、バンコクからミッションスクールのブラスバンドまで 駆けつけ、すばらしい出来映えでした。アジア各地から集まった本当に燃えた人たちとの出会いと、会場の熱気に圧倒された数日でした。日本からの代表団の中でも、特に全国各地からの信徒の方々には、アジアの多くの人たちと出会い新しい友情を結ぶことが出来たようです。これから日本において、この宣教大会の実りをどのように生かすことが出来るのか、参加者と共に考えていきたいと思います。宣教修道会と掲げている神言会は、アジアの会員が多数を占めつつある現実を反映して、5名の司教を含む総勢20名ほどが会議に参加していました。

さて、本日10月23日は、新潟県中越大震災が発生してちょうど2年目となりました。犠牲となられた方々、被災された方々、未だに以前の生活には戻ることが出来ずに苦しんでおられる方々、多くの方が大震災によって人生を大きく狂わせられました。亡くなられた方々の冥福を祈ると共に、残された方々の一日も早い復興をお祈りいたします。

|

2006年10月17日 (火)

アジア宣教大会

Amc_logo 以前にも触れましたが、明日の夜から日曜日(世界宣教の日)にかけて、タイのチェンマイで、福音宣教省とアジア司教協議会連盟(FABC)によって、アジア宣教大会が開催されます。アジア全域から千人の代表が集まる予定です。日本からは各教会管区を代表して野村司教、郡山司教、そして私、さらに司祭・修道者・信徒の代表が、総勢20名ほど参加することになっています。テーマは「アジアにおけるイエスの物語」。詳しい内容や何が起こるのかは、あまりはっきりしていないのですが、講演会とグループでのわかちあいが主に行われる模様です。日曜日には世界宣教の日のために、教皇特使のセペ枢機卿(前福音宣教省長官)と福音宣教省の現在の長官ディアス枢機卿によるミサが捧げられることになっています。どんな模様になるのか、何があるのか、アジアの福音宣教にどう貢献するのか、日本の教会にとって、また新潟教区の教会のとってどんな意味があるのか、来週月曜日に帰国してから詳しく報告します。宣教大会の成功のためにお祈り下さい。

|

2006年10月15日 (日)

新津教会訪問

Img_0524 とても素敵な天気となった今日の日曜日、新潟教会の信徒の方々は、朝からバスに乗って加茂教会へピクニックに出かけられました。楽しそうにバスに乗り込む皆さんを横目に見ながら、私は、新津教会へミサに出かけました。公式訪問です。新津はかつての鉄道の街、または石油の街です。いまは新津という住所は消えてしまいました。新潟市との合併で、新潟市の一部となったためです。しかし、新津へ向かう道はなにもない田園の中をまっすぐに突っ切る道で、田園政令指定都市をめざす新潟ならではの風景でした。本当に新潟市も広くなったと肌で感じます。

Img_0533_2 今日のミサには主任司祭の鎌田神父様が担当している、お隣の村松教会の方々も参加してくださり、丸い聖堂は結構な人数でした。新津教会はオルガンもすばらしいオルガンですけれど、信徒の方々の歌も元気があってすばらしかったです。侍者にはスリランカ人の青年までいて、元気さを感じさせる教会でした。ミサ後には信徒会館(昨年新築)でお茶を飲みながら茶話会となりました。信徒会館の壁には歴代の主任司祭の写真が飾ってありますが、前半部分は神言会員です。リュタース師、ミュラー師、金子師、宮崎師。宮崎師が新潟を去って、新潟県内の最後の神言会担当小教区がなくなったのでした。そんな歴史もあってな のか、信徒の方々の中には神言会員が再び戻ってくることを期待する声もしばしば聞かれます。Img_0532 こればっかりは、神言会の管区長様の考えることですから、私にはどうも出来ません。茶話会が終わって、近くにある新津教会の墓地を訪れました。すばらしい環境のところにあります。そしてまだまだ余裕のある広さ。しかも墓地からは、道向こうに新津カントリークラブのコースが、まさしく眼前に広がります。とてもすばらしい場所でした。この墓地はこれからも大切にしていただきたいと思います。新潟市の一部となって、亀田から新津にかけては、いわゆるベッドタウン的な発展をこれから見せると期待されます。そういう中で、教会共同体にメンバーが増えていくことを願っていますし、新津教会にはそうしていくだけの底力があると感じました。

ところで、いつも自分のインターネットを開くと一番最初に出てくるinfoseekのページのニュース欄に、「山谷えり子」さんの名前を見つけてクリックすると、なにやら気にかかる記事でした。山谷さんといえば、心のともしびに定期的になかなかのエッセイを書かれるし、数少ないキリスト者の、しかもカトリック者の国会議員です。なんでもその記事は、山谷さんが仏教系の団体やら神道系の団体やらに支援されていることを書いてましたが、まあ政治のしがらみでそれはありなのでしょう。でも気にかかったのは、あの霊感商法のカルト系自称キリスト教団体との関係があたかもあるように書かれた部分。まさか、下司の勘ぐりですよね。ちょっと心配になりました。

それから、好みの分かれるスポーツについては、あんまり書きたくないですが、しかし愛するドラゴンズは先日東京ドームで劇的に優勝し、それも感激でしたが、今日のナゴヤドームでの横浜とのドーム最終戦もすばらしかった。中田、川上、山本と3回ずつのリレーもすばらしかったし、それで山本にセーブをつけちゃうところなど普段は見られないし、それ以上に、川相の引退セレモニー試合ですから。しっかりと最後の試合でも犠打を決め、そして最後の挨拶。3年前に巨人をまるで追われるようにドラゴンズに来て、その3年が一番すばらしかったとの言葉。これからもドラゴンズでコーチをするということで、いや、ちょっと涙してしまいました。そして退く横浜の牛島監督への花束が落合監督からというのも、因縁です。1987年の落合対4人の仰天トレードの時、最後までトレードに納得しなかったのが、牛島投手であったわけですから。牛島監督にも感慨深いものがあったことでしょう。いずれにしろ、次は日本一です。

|

2006年10月14日 (土)

新潟の景気は?

新潟はすばらしい秋晴れのすがすがしい一日でした。この天気に誘われて、ゆっくりと街を散歩してきました。ちょうど原稿を書くのに必要な資料を探していたので、万代シティにある紀伊國屋書店まで、ほど良い距離の散歩です。新潟中心部には司教館に近い古町と、萬代橋をわたって新潟駅に近い万代シティと二カ所の「繁華街」があります。政府の10月の月例経済報告では、景気は持続的に回復傾向にあり、景気拡大は「いざなぎ景気」に並んだなどという明るいお話が報道されてました。経済の専門家ではないので、それが実際にどういう意味を持つのかなんて分からないのですが、非常に素人的に考えて、それだけ長期にわたって景気が良くなっているのなら(もっともどん底まで行き着いての回復なら、たいしたところまで戻ってないのかもしれませんが)、そういった「繁華街」にその「しるし」目に見える形であっても良いのではなかろうかと思うのです。で、新潟の繁華街を、秋晴れのすばらしい「おでかけ日和り」の土曜日の午後に見て回りました。

Kc280013 古町はちょっとしたお祭りをアーケード街で開催中。新潟駅からの無料シャトルバスまで運行。三越の向かいに新しくビルが建ち(旧越路会館)、素敵なアウトドアグッズ店やら飲食店が本日開店。その手前では高層ビルの建設中。その先ではアパがビジネスホテルを建設中。万代シティでは、中核のダイエーが撤退したものの、ロフトが入ることになり現在そのビルは改装中。しかも紀伊國屋書店も改装中のビルに移るとか。そういえば、駅向こうのワシントンホテルの入っているビルには、ジュンク堂がやってくるとか。確かに明るい「しるし」も見えました。でもそのワシントンが撤退を決めたとか、そのほかにも撤退を決めているところがあるとか、ちょっと表通りを外れるとシャッター通りが続くとか、やはり全体的に見ると、景気がそんなに良いとは思えない雰囲気を、肌で感じます。ましてや中山間地になれば、特に洪水や地震からの復興に手一杯の地域では、景気の回復などはまだまだ先の話という雰囲気を感じます。都会が合併で大きくなってその中心部が発展していくことは、何となくうきうきして楽しいことではありますが、そこにパワーを吸い取られていく周辺部にとっては、あまりありがたいことではないと思います。少子高齢化がどんどん進むと言われているこの国で、新潟や山形や秋田といった地方の地域共同体が、本当の意味で健全にそして心豊かに発展していく道は、どういう道なのか、政治と経済のリーダーの皆さんには、是非長期的視点から、考えていただきたいと、そんな大袈裟なことを考えた午後でした。写真は、西堀の交差点、三越向かいに本日開店したCo-C.G.(旧越路会館)。なかなかのネーミングですよね。なお2階と3階には、雑貨や古着を扱うらしい「WEGO」とか言う店が入っているようです。「WEGO」って「We go」ですよね。懐かしいひびき。ガーナもそうですが、アフリカの英語圏では結構使われる言い回しです。つまり「さあ、行こうぜ」というとき、教科書で習う正しい英語では「Let's go」となるはずですが、アフリカの多くの地域のごくごく普通の人は、なにげに「We go」と言ってしまって違和感を感じません。なんか懐かしいなあ。

|

2006年10月12日 (木)

中越地震義援金

Img_0502b 新潟県の中越地震に際して、カトリック教会の募金援助団体であるカリタスジャパンは、全国に広く募金を呼びかけました。幸い多くの方が呼びかけに応えてくださり、募金総額は2億円に届くのではないかというほどの額となりました。(公式にはカリタスジャパンが報告することになります)カリタスジャパンはボランティア組織などを持っていませんから、いわゆる一般のNGOのような具体的な活動は出来ませんが、資金的側面から援助活動を支えることを得意としています。中越地震では新潟県庁と教区のカリタス担当司祭(町田師)が当初から緊密に連絡を取り合い、まず避難所の段階で乳児用ミルクなどを寄贈したり、被災者の方々が仮設住宅に入った段階では掃除用具や風呂の介助用品、そしてストーブなど、行政が予算的に対応できない物品購入への支援として、寄贈しました。そして第一段階として昨年4月までに、1億円を被災者義援金として新潟県へ贈呈しました。その時点で、募金にはまだ残額があったのですが、それについては仮設住宅からの使用期限といわれていた2年目をめどに、新たな支援を考えることにして残しておきました。そして、新潟教区のカリタス担当司祭に、ふさわしい使い道について検討をお願いしてありました。

担当司祭は県庁と相談の上、長岡、小千谷、川口、十日町の各自治体の災害復興担当者と直接相談を続けました。その結果、最終的に、仮設住宅を出て復興住宅や再建された自宅へ戻る被災者の方々、また延長が許された仮設住宅に残り、三度冬を越される方々の生活支援のために、義援金としてそれぞれの自治体へ募金を贈呈することが提案され、先日のカリタスジャパン援助部会で承認されました。

昨日、担当司祭の町田師、援助部会委員の矢吹助祭、そしてカリタスジャパン担当司教である私の三名で、長岡、小千谷、川口、十日町のそれぞれの役所を訪問し、義援金の目録を贈呈し、復興状況についてのお話を伺ってきました。金額としてはそれぞれの自治体の今後の計画などを伺った上で、被災状況も勘案して、長岡市に2800万円、小千谷市に1500万円、川口町に1000万円、十日町には500万円の、総額5800万円となり、これでカリタスジャパンが新潟中越地震のために受け付けた募金はすべて使い切ることになりました。これまでの経緯は、私のホームページにも掲載してありますので、ご覧下さい。募金要請に応え献金してくださった多くの方々に、心から感謝申し上げると共に、今だ仮設住宅に残らざるを得ない人たち、故郷に戻ることをあきらめた人たち、生活の再建に取り組んでいる人たち、そして何よりも、心の奥底に苦しみを背負ったり、トラウマに苦しんだりしている被災者の方々のことを忘れずに、祈りで支えることをお願い申し上げます。(写真は、長岡市の大野勉復興管理監(旧越路町長)と)

|

2006年10月10日 (火)

共同体は誰のもの?

先日の妙高で行った青年の集い。参加者は、初めてのことでもあり少なかったものの、夜中までいろいろと語り合う中で、考えさせられたことがたくさんありました。その中の一つが、教会共同体はいったい誰のものなのか、という根本的問題でした。この問題は、教会共同体の育成を考える委員会などに長年関わってきた身からすると、決して目新しい課題ではないものの、若い世代の意見の中に、やはり同じ問題が深く存在していることを感じました。青年層活動の横の繋がりについて話していたとき、「教区や小教区といった壁に捕らわれないで、自由に繋がっていきたい」というような話が出ました。この場合の教区とか小教区とは、組織としての教会のことですから、すなわち、教会の組織形態が活動の足枷にもなり得るという事です。そして一般に、教会共同体といえば、この組織形態のことを指して考えてしまうのですから、教会共同体が活動の足枷になるというおかしな話になってしまいます。

このことは個人の信仰を深めるという話とも共通するものがあります。すなわち、多種多様な人がいるのだから、一緒に何かをするのが得意な人もいれば、一人で何かをするのが得意な人もいるわけです。後者の場合、誰かと一緒に何かをするのではなくて、自分の信仰は一人で静かに深めたいから、共同体を強調しないで欲しいという事になります。実は、これにも一理あると私は思っています。というのも、私自身が、根本的にはみんな一緒に大勢で何かをするというのが、自分の中では一番苦手なことだからです。

ここで問題なのは、「いったい教会共同体とは何なのか」という根本問題であると思います。確かに今存在している教区や小教区という組織体が共同体の実体であることは間違いないのですが、キリスト者の集まりとしては、そこにもう一つの実体が存在することに留意しなければならないと思います。第二バチカン公会議の教会憲章は、これを見事に次のように述べました。

「聖職位階制度によって組織された社会とキリストの神秘体、見える集団と霊的共同体、地上の教会と天上の善に飾られた教会は、二つのものと考えられるべきではなく、人的要素と神的要素によって形成される複雑な一つの実在である(教会憲章8)」

手垢が付いてしまうくらい、幾度も幾度も引用される箇所です。教会共同体は、目に見えるこの世の組織体(ピラミッド)であると同時に、枝としての我々がイエスという幹につながれたぶどうの木のような、またはイエスを中心にした球体のような我々の集まりとして存在しているということです。そしてそれぞれの実体は表裏一体であるにもかかわらず、そこには厳然と峻別して考えなければならない役割の分担があります。すなわちこの世の組織体のいわば権威と責任の構造、そしてイエスにつながれた互いにそれぞれの役割を背負った、雨宮師の先日の話であれば「同じ神に一緒に奉仕する仲間」としてのそれぞれの役割の違いです。教区や小教区という組織の役割や司祭の役務と信徒の役割は前者に、個々人の信仰を深めることや、それぞれのタレントを生かして自由に繋がりながら活動することは後者に固有の役割です。そしてどちらも大切です。そして両者をごっちゃまぜにして考えては、話が混乱するばかりです。

そうしてみると、教会共同体は誰のものでしょう。当然、それは主イエスのものですが、同時にキリストに従う、同じ神に「一緒に奉仕する仲間」全員が、この共同体の存在に責任を負っている言うことではないかと思うのです。もちろん、この世の組織としての運営において司教や司祭が負うべき責任は多々あると思います。典礼の執行や秘跡の執行に司祭は欠かせません。しかし同時に、キリストの体としての共同体を存続させていくための責任は、ひとり聖職者だけのものではなく、キリスト者すべてのものに違いありません。その意味で、例えば召命を祈り求めることは、単に聖職者が後継者を捜しているなどという類の話ではなく、根本的にはキリストの体としての共同体が、自らの中で司祭の役割を担う仲間を見いだしていくという、共同体全体の責任ある行動です。司祭の高齢化が進み、ミサをたてる神父がいなくなるから、教区で何とかして欲しい、という類の話ではなく、キリストの体全体で祈り求めていく問題であり、解決の糸口を探る問題です。また若者が、教区や小教区の枠を越えて(もちろん、大都市部で人口が集中している地域と、そうではない地域では話が異なるのですけれど)、横の連携を持って自由に活動しようとしていることも、キリストの体としての共同体にとってはふさわしいことだとも言えるでしょう。共同体の役割や活動について考えるとき、今自分はどの共同体を問題にしているのか、考えてみる必要があります。そして同時に、共同体について考えるとき、自分はしっかりと両方の側面を見ているのかを考えてみる必要もあると思うのです。いろいろと考えさせていただいた青年の集いでした。

|

2006年10月 9日 (月)

新潟教区青年の集い

新潟は昨日、すさまじい雨でした。その雨の中、妙高教会山荘へ出かけてきました。あまりの雨に上越ジャンクションから長野方面に向かう上信越道は中郷インターから妙高インターまで通行止め。並行する国道18号は大渋滞です。結局、新潟から妙高まで、いつもは2時間半もかからないところ、3時間半以上もかかってしまいました。

Img_0495 で、昨日の夕方から本日昼過ぎにかけて、妙高教会とその山荘を会場に、新潟教区の青年の集いが開催されました。担当は教区司祭の石黒神父様と高橋神父様です。確かに新潟教区の各地へ出かけていってもそれほど多くの青年に出会うことがありませんから、当初から苦戦が予想されましたが、それでも新潟教会から2名、寺尾教会から2名の女性が参加してくださいました。さらに東京から3名の参加者がありましたが、そのうち一人は秋田の女性、一人は新発田の男性、そして東京教区の男性でした。中にはケルンでのワールドユースデーに参加した青年もおり、その体験談などで、昨夜は朝1時半頃まで話に花が咲きました。

Img_0490 今日は透き通るような快晴に恵まれました。妙高教会の背後にそびえる妙高山は、頂上付近に雪をかぶっていました。麓の紅葉はまだこれからです。夕方のニュースによれば、妙高山の初冠雪は例年より6日ほど早いとか。寒い冬が来るのでしょうか。本日は朝から一緒に祈り、御言葉のわかちあいをし、そして共にミサに与りました。昼食にじっくりと煮込んだカレーを頂いて解散となりました。参加してくださった皆さんありがとうございました。今回は初めてということもあり、大勢の参加はありませんでした。でもこういう集まりがあるということを、これから知る方もたくさんいることだろうと思います。今後も同じような集まりを、出来るだけ仕事を持っている方も参加できるような日程を選んで開催する予定でいます。少しだったとはいえ参加してくださった方からはじまって、これから少しずつネットワークが出来ればと思います。次回のワールドユースデー(シドニー)には、教区から代表を送ることが出来ればとも思います。

小教区で20代から30代の青年がおられましたら、是非、教区の青年のネットワークに参加するように、励ましてください。お願いいたします。

|

2006年10月 7日 (土)

神言会叙階式

昨日10月6日は一日中、カリタスジャパンの会議のために、すさまじい雨の東京へ出かけて会議をしておりました。愛しの京葉線は、あのすさまじい風の中でも止まることはありませんでしたが、(海の上を高架で通る部分が多いため、強風でしばしば止まります)遅れが相次いだり、千葉方面の特急が運休になったりと、大混乱だったようです。成田空港も、昨日はダイバートが相次いで、大混乱だったようですが、それにしてもすさまじい風でした。

本日土曜日は午後2時から、名古屋の南山教会で、神言会のアルバ・レジナルド師の司祭叙階式が行われましたので、参加してきました。司式は名古屋教区長の野村司教様。インドからはご両親など親族の方もおいでになり、いつもながら荘厳な式でした。神言会日本管区は、この20年くらい、海外の管区から積極的に神学生を受け入れて養成していますので、今回のように日本人の叙階がない年でも、外国出身の司祭の叙階があることから、名古屋教区長の野村司教様は、毎年のように司祭叙階式があってうらやましい限りです。アルバ新司祭は、叙階式後に挨拶をされましたが、とても立派な日本語で、感心いたしました。これからの活躍が期待されます。それにしても、名古屋へ出かけていくたびに、新しい海外からの神学生が増えていて、もう誰が誰やら名前が分からなくなりました。自分が管区長時代に来日した神学生はかろうじて分かるものの、その後に来日した人に関しては全く分からない。それだけ、たくさん来ているということです。今日もミサ中に感じましたが、日本人会員のマジョリティーはだんだんと年齢も上になってきており、これからはますますアジア出身の会員の時代になっていく気がします。いろいろと変化があることでしょう。

さて、帰りは全日空で中部から新潟まで飛んできました。ANAグループに入ってほとんど同化されてしまったかつての中日本エアライアン、今のセンタラルエアー運行のプロペラ機ボンバルディアDHC8-Q400でした。中部空港はすさまじい風で、沖止めですから、乗り込むときに体が吹き飛ばされるそうになるくらいの強風で、しかも滑走路脇の吹き流しを見れば見事に北からの風。飛行機は、今まで体験したことがないくらい短い滑走で、あっという間に空に浮いてしまいました。すさまじい強風でした。そういえば、昔、まだ名古屋の神学校に住んでいた頃、名古屋空港へ南から着陸する飛行機を、神学校の屋上から見事に眺めることが出来たのですが、これが真冬になって北からの強風が吹いてくると、飛行機はまるで空中に浮かんで前に進まないように見えるのですね。特に当時夕方に降りてきていたデトロイトからのノースウエストのジャンボなんかがこういう風に当たると、すさまじいエンジンのスロットル調整音を響かせながら、のろのろと前進するのがおもしろくて、寒さを忘れて見入っていたものです。対地速度は遅くても風に向かっているのですさまじい揚力があるのでしょう。今の空港も風に悩まされる空港ですが、基本的に名古屋のあのあたりは、風が難しい地域だと思います。話が大脱線しました。

047 ところで先ほど修道会筋から入ってきたメールによれば、今日の午前中にパプアニューギニアのラバウルで、大規模な火山の噴火があった模様です。詳細は分かっていないものの、その地の司教さんが、「懐中電灯がなければ家の中も歩けないくらい真っ暗だ」と電話してきた書いてありましたから、かなり大きな噴火のようです。詳報を待ちたいと思います。被害が大きくないと良いのですが。ラバウルといえばかつての日本軍の航空基地があったところですが、それはさておき、写真の人物はそのラバウル出身のパプアニューギニアの司教様です。現在は首都ポートモレスビーの北西に位置するケレマという町の教区長をされています。今回のローマの研修で一緒になりました。彼にまつわる話は、またいつか書きたいと思います。明日と明後日は、妙高教会を会場に、教区の青年の集まりが行われます。

|

2006年10月 3日 (火)

フランシスコのお祝いでした

Kc280010 明日、10月4日はアシジの聖フランシスコの祝日です。それに先立って、本日、長岡の表町教会で、恒例となっているフランシスコ会の兄弟達によるお祝いがあり、新潟県内で働いている司祭も招待されました。11時から私の司式でミサを捧げ、その後、用意していただいたイタリア料理で楽しい一時を過ごしました。写真は、お祝いのケーキにナイフを入れる、長岡の主任司祭ブルーノ師と、フランシスコの霊名をお祝いする教区司祭の鎌田師です。ミサにはフランシスコ会第三会の会員をはじめ、信徒の方も参加してくださいました。ちょうど数日前にアシジを訪問することが出来ましたし、聖フランシスコの葬られている前でお祈りのひとときを過ごすことが出来たこともあり、今年のお祝いは、いつも以上に聖人に親近感を感じてのミサとなりました。

ついこの間まで夏であったと思ったら、あっという間に秋が深まっています。10月も数日が過ぎてしまいました。まず新潟教区の一粒会の会員の皆様のために、昨日、ミサを捧げました。毎日の召命のための祈りと、献金に、心から感謝申し上げます。どうかこれからも、司祭、修道者を志願する人たちが与えられるように、お祈りをお願いいたします。

次に、この10月には、初めてのアジア宣教大会が開催されます。この大会はアジア司教協議会連盟(FABC)が福音宣教省の協力の下に開催するもので、10月18日から22日まで、タイのチェンマイで行われます。テーマは「アジアにおけるイエスの物語-信仰と生活の祝い」ということで、千人規模の参加が見込まれています。日本からは20人ほどの代表団が参加いたしますが、司教団からは野村司教様、郡山司教様、そして私が参加するようにと選出されています。他の参加者は、とにかくこの大会がテーマに沿った小グループによる信仰体験の「わかちあい」が連続することから、英語が堪能であることを条件に、各教会管区から、信徒、司祭、修道者の方を推薦いただいてグループを結成しました。新潟教区からも、寺尾教会の福嶋さんに、参加をお願いしました。実は出かけてみなければどんな集まりになるのか想像がつかないのですが、アジアにおける福音宣教をアジアの文化というコンテキストの中でいかにイエスを理解し体験して行うのかという、わかちあいの集まりとなりそうです。ローマからは福音宣教省長官のディアス枢機卿の他、教皇特使として前長官のセペ枢機卿も参加されるということです。どうか、この大会が成功し、アジアにおける福音宣教へ何らかの実りがもたらされますように、毎日のお祈りの中で憶えていただけたら幸いです。

|

2006年10月 2日 (月)

あぁぁぁぁ、京葉線

Img_1482 先週の水曜日の朝に成田へ戻ってきました。KLMの成田便はボーイング747か777のどちらかですが、この日は777でありました。ビジネスに乗れるならどちらでも変わりませんが、エコノミーに乗る身としては、座席が新しい777の方が格段にありがたい。なんといってもそれぞれの座席用にモニターがあって、映画などが見られるのですから。なぜか帰りの便ではあまり眠れないのです。昨年、さいたまの矢吹助祭とアフリカから戻ったときは、ずーっとゲームをしていましたが、今回はしっかりと映画とテレビドラマを鑑賞しました。おかげさまで、うわさとなっていた「ダヴィンチコード」も見ることが出来ました。やたら暗い(薄暗い夜や建物内の場面ばかり)ので余りよく見えなかったのですが、そんなに驚くべき内容ではありませんでした。いずれにしろ、そりゃちっと話が飛躍しすぎだろうというお話の連続でした。(ちなみに写真はKLMではなくて、KLMと提携関係にあるケニヤ航空の777機内です。KLM機よりケニヤ航空機の方が、モニター画面が明るくて見やすいのです)

さて帰国した翌日は、東京で会議でしたので、朝から長野新幹線に乗って出かけました。東京が近づくと車内放送があるではありませんか。「京葉線は信号故障のため運転を見合わせております」と。京葉線といえば、中央協議会のある潮見への唯一の交通手段です。その後車内放送は、いかにして東京ディズニーランドへ行き着くことが出来るかの案内の繰り返しでした。東京駅へ到着すると、構内放送がありました。「京葉線は停電のため運転を見合わせております」と。「信号故障と停電」くらいなら、待てば何とかなるだろうと思って京葉線方面へ向かうと、駅員の皆様がそのあたりにたくさん立っておられる。そこで「潮見へ行くにはどうしたらよいでしょう」と尋ねてみると、やはり駅員氏にも良い手は思いつかれないとのこと。「有楽町まで行って、地下鉄で新木場。そこからタクシーですかねえ」そこでその通りに。新木場について東京メトロの改札を出ようとして掲示板をふと見ると、「JR京葉線は、東京駅構内の火災のため」と書いてあるではありませんか。「か・さ・い」だぁ!それは一大事。きっと東京駅ではパニックになるのを避けるために、「火災」などと不用意にいわないように注意したのでしょう。賢明です(皮肉ではありません)。で後で新聞を読めば、確かに配電盤などで火災が発生していたといいます。

とにかく新木場まで来ました。ここから潮見までは一駅。外へ出てみると案の定、タクシー乗り場は長蛇の列です。駅前の交番に入り、屈強な若い警官に、潮見までの道を尋ねました。「そこを右にずーっと行って、新潟運輸のところで左曲がればすぐっすよ」「歩いて何分くらいですかね」「20分ですかね」確かにあなたのような元気な警察官であれば、軽く20分でしょう。しかも何の縁なのか、目印は「新潟」運輸であります。「ああ早く新潟に戻りたい」と思いながら、歩き始めました。

しばらく行くと道の左側は陸上競技場になります。「夢の島競技場」とあるではありませんか。「おお、ここがあの夢の島か」と、小学生時代にニュース映画やテレビや新聞の報道などでしばしば目にした、あのゴミ埋め立て処分場の姿が脳裏に浮かんで来るのでした。変われば変わるものです。都心にこれだけ近いのに、交通が不便なためなのかもしれませんが、みどりのオアシスに変身しているではありませんか。

さすがに20分は無理でしたが、30分以内に潮見に到着でした。ローマで蓄えた体内脂肪が、少しは消費されたといいのですが。それにしても潮見は京葉線が止まってしまうと、後は東陽町へ出る都営バスくらいしか交通機関はなく、しかもバスの本数たるや両手の指で数えられるくらいしかないので、陸の孤島と化すのであります。仮に地震でも来て、例えば埋め立て地を結んでいる橋でも落ちた日には、本当の孤島になるでありましょう。夕方の会議後には、タクシーを呼んでもらったのはいうまでもありません。

|

糸魚川教会堅信式

Img_0450 あっという間に、10月になりました。昨日1日の日曜日は、糸魚川教会で堅信式を行いました。10名の小学生と2名の大人のかたが堅信の秘跡を受けられました。主任司祭のドミニコ神父様(フランシスコ会)は、かつてシンガポールや台湾や香港で働いて、50代になってから日本で働き始めた方で、70を超える今でも精力的に動き回る非常に活動的な神父様です。神父様と信徒の方々の協力もあって、この地域にも多数おられるフィリピン人の奥さん達も教会へ集まるようになり、堅信式でも何名かはフィリピン人の奥さんだったり、その子供さんだったりしました。現在の新潟教区の現実を、象徴的に表している堅信式であったと思います。糸魚川教会は小さな共同体ながら、堅信式後の食事をわかちあいながらの集まりでその雰囲気が感じられるように、それぞれのメンバーが、仲間としてのつながりを意識した本当の意味での家族的な教会であります。

Img_0467 仲間といえば、この日曜日の福音も、「仲間」についての教えだということが出来るかもしれません。ちょうど先週、そんなお話を聞くことが出来ました。先週は、軽井沢のクララ会修道院を会場に、さいたま教区と新潟教区司祭の合同黙想会が開催されました。指導いただいたのは、東京教区の雨宮神父様です。雨宮神父様は聖書学者として、教育テレビなどにも出演されるので、広く知られている方です。聖書の箇所を、その構造の分析から探り、一番中心となるところを探り当てていくという手法には、興味深いものがありました。私は水曜日の朝にローマから戻ってきてそのまま軽井沢へ出かけたのですが、残念ながら木曜日には再び東京で会議などもあり、今回の貴重なお話を聞き逃してしまいましたが、最後の日の、「仲間」についてのお話は聞かせていただきました。

難しい聖書の解説は雨宮師にお任せするとして、結論は、聖書に言う「仲間」は趣味や利害や思いや意見が一致しているから一緒になっているのではなく、同じ神に仕えるからである、一緒に使えているから仲間なのだという話でした。日曜日のマルコの福音(9章38以下)も、「私たちに従わないので、やめさせようとしました」という弟子の言葉、つまり「我々のグループの一員ではないという意味での仲間ではないから」という弟子の言葉に対して、イエスは「わたしたちの味方」という言い方で、まさしく同じ主に使えるものは「仲間」であると宣言されます。

私たちはどうしても見に見える繋がりに捕らわれます。目に見える関係に拘泥します。形が欲しいものです。しかし教会共同体は、同じ主に仕え、同じ福音を頂き、同じ神に仕えているからこそ、お互いが仲間として繋がっているのであり、実際に目に見えるかたちでの仲の良さとは異なる次元の存在です。私たちにとって、教会共同体のあり方について、様々にふり返らなければならない点はあれども、まず一番大切なことは、本当に同じ主に使えるものであるかどうかという点なのかもしれません。特に様々な理由から、現実問題として日曜日に教会という場所に共に集うことが難しい人が増えている現在、目に見える集まりとしての仲間の事も大切ですが、それ以上に、一番根本にある信仰における繋がり、同じ主に一緒に使えているのだという意味での仲間意識を強くすることも大切だと思うのです。

|

« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »