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2006年11月 2日 (木)

11月の新潟教区は

11月となりました。あっという間です。早いものです。街角ではクリスマスに関係する広告や飾りも目にするようになりました。毎年だんだんと、一年が過ぎ去っていくスピードが速くなっているような気がします。昨日11月1日は誕生日でした。48になりました。こうやって日記を公開しているためか、私が年中移動し続けているのではないかと心配したメールを、誕生祝いにいくつか頂きました。ご心配いただきありがとうございます。教区の要務と司教団に要請された要務を、物理的に可能な範囲でこなしているだけです。ただ、新潟で普通にしている日のことは日記に書かないだけですから。それに他の司教さん達に較べたら、私が担当している司教団の仕事なんてほんの少しです。3年ごとに担当司教の配置換えがあるのですが、ちょうど私が任命された直後の司教総会が配置換えにあたり、私はカリタスの担当となりました。私以降に叙階された司教様達は、今はいわば無任所で、来年の司教総会が3年ごとの配置換えですから、それ以降に司教団の担当の様々な担当を受けることになります。事務局担当司教とか、常任司教委員会の司教達は、私とは比較にならないほど、東京と地元を往復しておられます。みんな私より年上ですから、他の司教さん達の健康のためにもお祈り下さいますように。

11月1日は諸聖人の祝日、2日は死者の日と、この11月の最初の二日間は、私たちの信仰における先達に思いを馳せる日でもありました。もちろん死者の日には洗礼を受けておられない死者のためにも祈るのは当然としても、同時に、私たちの信仰の基礎にある、目に見える共同体における繋がりと、目に見えない共同体との繋がりを意識する一時でもあります。私たちは生きている者と死んだ者との連帯関係の中にありますが、その連帯関係の土台となっているのが「聖徒の交わり」という伝統です。カトリック教会のカテキズムには、「教会とはすべての聖徒たちの集まりに他ならない」とあります。「聖徒の交わり」には、互いの交わりを通じて霊的な善を共に分かち合うという意味合いと、天上の教会との霊的善における交わりをも意味していると言われます。ですから死者の日とは、単に追悼して嘆き悲しむ日ではなく、互いの交わりを確認し執り成しを祈る日でもあります。死者の叙唱には「信じる者にとって、死は滅びではなく、新たな命への門であり、地上の生活を終わった後も、天に永遠のすみかが備えられています」と記されています。

同時に諸聖人の祝日と死者の日は、私たちに対して神から、一度限りに与えられた命の永続性について思いを深めるときでもあります。もともと聖人とは殉教者のことであったのですが、殉教者に思いを馳せることは、決してこの世における命は無駄であって、出来る限り早く神のもとへ行くのが良いというようなことではなく、いかにして与えられた命をこの世において最上の形で全うしていくのかを考えるときであると思います。与えられた命には、与えられた使命があります。その使命を神がもっとも良しとされる形で全うしていく務めも、私たちにはあるのではないかと思います。与えられた命を、与えられた場で、与えてくださった方のために、最上の方法で全うすること、すなわち自らの命を本当に大切にすることは、まさしく今の時代にもっとも必要なメッセージであるようにも思います。

さて、すでに秋に恒例のバザーなどの行事は終わりましたでしょうか。写真があったり、何か珍しいことが小教区でありましたら、是非教区事務所まで、ニュースをください。教区のホームページに掲載して、教区の他の方々と分かち合ってください。11月も新潟教区では、各地で様々な行事が予定されています。私が出席予定の行事だけですが、明日、11月3日は新潟市の花園教会で55周年のお祝い、翌日4日には山形教会で聖マリア幼稚園50周年のお祝い、19日には秋田教会で堅信式、23日には宣教司牧評議会の準備会議(最終準備会議となると思います)、26日は「王であるキリスト」ですから新潟教会でのミサ、27日と28日には教区司祭評議会などがあります。季節はどんどん冬に向かっていきます。体調を崩されませんように、皆様お気をつけ下さい。

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