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2006年11月30日 (木)

東京神学院

Kc280023 昨日(29日)は東京の練馬(上石神井)にある東京カトリック神学院にて、その運営などについて話し合う常任司教会議が午前中開催されました。私も5人の常任司教にはいっていますので、参加しました。院長は名古屋教区司祭で旧知の平田師、常任委員長は横浜の梅村司教様。そして今一番話題となっているのは、福岡の神学院との合同問題。福岡の神学院は九州の司祭養成にあたっており、スルピス会カナダ管区にその運営が委託されています。スルピス会は修道会的枠組みを持った教区司祭の団体ですが、司祭養成のエキスパートといわれます。修道会に所属する私としては、スルピス会という会の性格が余りよく理解できていないのですが、しかし司祭養成に関しては知的養成や霊的養成の両面で、独自の指導法を確立しているようです。福岡と東京の合同に際しても、スルピス会の協力は不可欠であり、それをどういう形にするかが時間をかけて話し合われまた交渉されてきております。当然福音宣教省などの意向もあるので、簡単に話は進みそうにありませんが、時間をかけてより良い方向性を見いだしていきたいと思います。

昨日はそのまま午後から潮見でカリタスジャパンの援助審査会議。そして本日は朝から社会司教委員会であります。夜には新潟へ戻れることでしょう。

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2006年11月28日 (火)

新潟教区司祭評議会開催

Img_0003 昨日午後から本日昼にかけて、新潟教区の司祭評議会が開催されました。司祭評議会は教区内の秋田、山形、新発田、新潟、長岡という五地区から、それぞれの地区長と選出された司祭、さらに司教の顧問、総代理、事務局長が出席して、年に二度開催される会議です。今回は特に先日開催された宣教司牧評議会準備委員会の話し合いを受けて、そこで決定され私が承認した規約について説明を受け、また第一回目の宣教司牧評議会を来年の4月30日(月)に新潟で開催することが報告されました。今後各地区には文書で正式にお願いしますが、それぞれの地区の信徒の代表を各2名ずつ、選出していただくことになります。信徒代表以外にも、各地区長や女子奉献生活者の代表二名などが加わります。宣教司牧評議会の主な役割は、規約によれば、「教区の宣教司牧に関する事項について司教の諮問に答えること」を柱として、提言をしたり情報を交換したり協力体制を整えたりすることにあります。今後実際に運営していく中で、詳しい目的がはっきりされてくるでしょう。一応規約の中では年に一度開催となっていますが、これも話し合いに応じて臨時を司教が招集することが出来ることになりましたので、複数回ということもあり得るでしょう。もっともそうなると、交通費など財政負担も考えなくてはなりません。

これ以外にも、教区としての青少年司牧について、担当者の石黒師と高橋師の提言を受け、時間をかけて意見交換を行いました。物理的に青少年の人口が少ないことも問題ですが、今後できるところから始めるために、まず各地区の青少年司牧担当司祭による青少年司牧委員会を設置することが決まりました。メンバーについてはまたお知らせします。なお、12月26日から29日まで、青少年有志との共同企画で、新潟教会を会場に青少年の集いが開催されます。ここでも教区のこれからの青少年活動について意見交換が行われます。若い人に是非参加するように進めてください。詳しくは教区のホームページをご覧下さい。

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2006年11月26日 (日)

王であるキリストは新潟で

Img_2798_1 王であるキリストの主日は新潟教会のお祝い日です。そこで本日は、司教の公式訪問となりました。とはいえいつも新潟教会にいるのですから、どこが「訪問」なのかよく分かりませんけれど。でも司教の訪問を良い口実にして、共同体の皆さんでちょっとした楽しい一時を過ごしてくだされば、それに勝るものはありません。今日の新潟教会のミサでは、まず二人の小学二年生の初聖体が行われました。この二人こそは、まさしく新潟教会の未来ですので、ご両親と一緒に、大切に信仰のうちに育てていかねばならないと思います。そして今日のミサは、始めて「国際ミサ」としても捧げられました。普段は毎月一回、第一日曜日のお昼に英語ミサが行われていますが、そこに参加する人たちとそれ以外の日曜のミサに参加する人たちと、ほとんど交流がないことが気にかかっていました。そこで今日は、何か特別なことはあまりしなかったのですが、英語ミサに参加する人たちにも呼びかけて、一緒にミサに参加し、そしてミサ後のちょっとしたパーティーで、互いの親交を深めていただこうと企画しました。正確な数は不明ですが、ミサ後のパーティーにはご家族も含めて30名ほどの英語ミサ参加者が残ってくださったので、ミサにはもう少し多くの英語ミサ参加者がこられていたと思います。

Img_2880_1 ミサでは、第二朗読をフィリピンの方に英語でお願いしました。そして共同祈願でも、日本語に続いて、ポーランド語やタガログ語やスペイン語やポルトガル語やインドネシア語と、参加している方による様々なお祈りが捧げられました。説教の時にも申し上げたことですが、第二朗読を聞いて、大多数の日本人の方は何もわからなかった。そしてその「何もわからない、ちんぷんかんぷんな体験」が、とても大切だったと思います。もちろん朗読の内容は「聖書と典礼」を読めば理解できますが、つまりは、逆の立場の人がたくさんいると言うことを実感していただきたかったのです。もちろん日本にいるのだから日本語を主に使うのは当たり前ですが、でもそう簡単に日本語の達人にはなれません。その意味で、自分が分かる言葉でのミサが存在するというのは大切なことだと思います。もちろん自分の言葉であれば一番良いのですが、すべてそういうわけにも行きませんから、一番共通に使えそうな言葉である英語でミサは捧げられています。でも今度は、日本語ミサの共同体と英語ミサの共同体に、互いの交流がなくなっており、互いに一つの新潟教会共同体を形作っているという意識が薄れているとも感じました。その意味で、今日のようなお互いに一緒に捧げるミサも、定期的に必要だと思いますし、日本語が主たる人にとっては、たまには「分からない言葉」という不自由さを実感することも大切な体験であると思います。このミサを企画してくださった多くの方々に感謝すると共に、これからももっと内容を深めて続けていっていただきたいと思います。

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2006年11月23日 (木)

聖書週間・習慣?

今週、11月19日から26日までは「聖書週間」となっております。中央協のホームページには次のような解説が掲載されていました。

 『聖書週間は、1985年頃、聖書委員会によって定められ、毎年テーマを決めその期間を、11月第3日曜日から8日間とし、主に信徒の方々に、聖書に関心を持ってもらうことを目的としています。
 その後、カトリック司教協議会は、諸委員会の機構改革に伴い、聖書委員会を1998年2月に解消しましたが、聖書週間は常任司教委員会によって引き継がれ、リーフレット「聖書に親しむ」とポスターの作成も継続されることとなり今日に至っています』

Pastco 今年は『私を愛しているか』をテーマとしています。パンフレットも作成されており、すでに受け取られた方もおいででしょうが、まだでしたら是非次の日曜には教会で手にとってお読み下さい。聖書はまさしく『習慣』として、少しでも読み続けることが大切だと思います。毎日のミサの朗読箇所でも構いません。同じようなお話でも、何度でも読むたびごとに、新たな発見があるものですし、また何度も読み返すことによって、より深い意味を探ることも出来ます。言うまでもないことですが、旧約聖書の頭から始めて新約の最後まで、通して読まなければいけないと言う決まりはありません。どこからでも構いませんから、まずは手にとって読んでみることです。また近頃は、写経のように自分で書いていくタイプの聖書もあると聞きました。新約聖書にはなじみがあっても、旧約には、本当にまだまだ知らない話がたくさん隠されていると思います。どうぞ、聖書週間に聖書を習慣といたしましょう。(写真は、本日午前11時から午後3時までの予定で、新潟教会信徒会館で開催している、宣教司牧評議会準備委員会の模様です。)

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宣教司牧評議会への道

勤労感謝の日の本日、お休みのところを、新潟教区の各地区から司祭と信徒の代表に集まっていただき、修道者の代表も加わって、教区の宣教司牧評議会設立のための、最後の(となる予定)準備会議が開催されます。(11時から新潟教会にて)すでに宣教司牧評議会を始めると言うことでは全体的な合意が出来ているのですが、最終的に実際の運営をどうするのかなどを詰める作業が残されていました。特に地理的な状況を勘案しながら、どのような頻度で誰が集まるのかを決めなくてはなりません。離れていて集まりにくいからといって、あまりに頻度が少ないのでは、形だけのお飾り会議になってしまう恐れもあります。宣教司牧評議会は、司祭、信徒、修道者の代表が集まって知恵を出し合い、教区の歩むべき道筋について司教へ提言をする場となるのですから、実質的な意見の交換が十分に出来る体制を整えなくてはなりませんし、それぞれの代表がより多くの意見を代表できるような教区全体の体制も考えて行かなくてはなりません。などと書くのは簡単ですが、実際に現実化していくのには、数多の困難が伴うであろう事は、想像に難くありません。しかし、極論すれば、今のまま何もしないで待っていれば、10年後には教区の今のような活動はほとんど継続することが不可能となります。これは資金的な側面の問題ではなく、人的資源の問題です。今とは異なる歩み方を模索しない限り、将来はありません。

昨日は朝から長岡で、聖母カテキスタ会の会員姉妹と、一日静修を過ごしました。長岡には聖母カテキスタ会のハイム(いわゆる修道院的家)もありますが、昨日は近隣で働く姉妹も含め13名が集まりました。在俗会という教会の中では新しく特異な形態の奉献生活を営む会ですが、神言会のドイツ人宣教師ゲマインダ師によって1954年に名古屋で創立された会です。「カテキスタ」という名称は、この会の固有の名称と言うよりも、教会の中での教理の先生や教会の霊的な意味合いでのリーダーなどを指す言葉です。例えば絶対的に司祭の足りないアフリカの教会などでは、カテキスタの存在なしに、教会共同体は成り立ちません。日本でもこの「聖母カテキスタ」会員ではない、女性や男性のカテキスタも多く存在します。そのためもあってか、「聖母カテキスタ会」では、自らの召命をより良く現す名称への変更を模索していると聞きました。

明日、11月24日は、昨年から恒例行事化しつつある、特別臨時司教総会が一日だけ開かれます。そして翌25日(土)は、午後1時半から、東京の真生会館で講演して参ります。野村司教、郡山司教、そして私の三人による土曜午後の連続講演会で、今度の土曜が最終日で私の担当です。与えられているお題は「司教が見る教会共同体の危機」。どんな話になりますやら。その次の日、26日は「王であるキリスト」の主日です。典礼の暦では年間最後の日曜日となります。カテドラルである新潟教会は「王であるキリスト」に捧げられていますので、9時半のミサを私が司式する予定です。

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2006年11月19日 (日)

秋田教会堅信式

聖心の布教姉妹会は、秋田に保戸野と寺内という二つの修道院を設置しています。そのうちの寺内修道院が新築され、昨日、18日土曜日の午後2時から、落成祝別式を行いました。19名のシスターが生活する2階建ての修道院は、引退された高齢のシスターが安心して生活できるように、完全なバリアフリーとなっていました。それにしても建築工事は早業でした。着工から5ヶ月ほどで完成したそうで、まったく、いつのまにやら出現したという感じでした。施行した大成建設さんは、自信を持ってシスター方の要望通りに短期で完工したと胸を張っておられました。

Kc280007 そして今日、19日は、すばらしい晴天に恵まれた秋田で、秋田教会の堅信式を行いました。秋田教会、土崎教会、そして大館教会の信徒の方々23名が堅信を受けられました。ミサの後は信徒会館二階での茶話会。いつも感じることですが、秋田教会や土崎教会では、若い人たちの活発な活動が目につきます。このグループが中心になって、今度のクリスマス後には新潟で若者の集まりを計画中と聞きました。大歓迎です。将来の教会を担う世代が、共に集い、語り合って、しっかりと自分たちの足で立ちながら未来の教会を築いていって欲しいと思います。秋田駅から秋田教会へ向かう大通りは、この数年景気の悪さもあってか閉店する店も多く寂しさが漂っていましたが、今回は新しいホテルが出来ていたりビルが建ったりと、多少の元気さを感じることが出来ました。都市だけに限らず地方の元気がなければ、国全体の健全さも保たれないだろうと思います。

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2006年11月16日 (木)

日韓司教交流会

0japankorea06_1 第12回目を迎えた日本と韓国のカトリック司教の交流会が、14日火曜日の夜から本日16日の昼まで、韓国の大邱(テグ)教区で開催されました。日本からは15名の司教が、韓国からは18名の司教が参加して、大邱市郊外のハンティという殉教の聖地に設けられている教区黙想の家を会場に、両国の神学生養成について体験を分かち合いました。今回は、日韓だけにとどまらず東アジアにも視野を多少広げようと言うことで、香港から、中国における司祭養成に詳しい湯漢(トン・ホン)司教にも参加していただきました。湯司教は香港教区の補佐司教で、陳日君枢機卿と共に、カトリック教会の対中国政策に重要な役割を担っている方です。もちろん公式日程のでの神学生養成のお話にも興味深いものがありましたが、それ以上に夜の交流会の場でも、日韓中の司教の交わりですから、さらに興味深いお話を伺うことが出来ました。

Kc280017 韓国の教会にはとても勢いがあり、神学生も多く在籍しています。例えば今回会場となった大邱の大神学校は、大邱教区と安東教区の神学生約150名を抱えていると言うことです。会場となった黙想の家の敷地内には、第一学年の神学生だけが生活を共にして霊的養成を受ける神学院が開設されていますが、ここにも30名を超える神学生が元気に生活をしていました。もっとも韓国の司教達に言わせれば、やはり社会の事情は日本と変わらず、世俗化が激しく進行しているために宗教を真剣に考えない世代が増加しているとのこと。今はこれだけの人数を確保しているが、このままでは将来、召命が激減する可能性もあると心配しておられました。それにしても、一人も神学生がいない教区の身としては、うらやましい限りでした。

このハンティの地は、19世紀初頭に迫害を逃れて山間に出来たクリスチャンの避難村だったそうです。この地で1868年に30名ほどの信徒が殉教したのだと言います。当時殺害されてそのまま放置された場所に、殉教者たちは葬られたと言います。今はその場所に記念碑が建てられ、野外ミサや屋内ミサが出来る施設が整えられて、特に毎年9月には毎日のようにここでミサが捧げられるのだと言います。山間の紅葉がとても美しい地でした。なおこの大邱教区では、1942年から46年まで、早坂久兵衛司教が第三代の教区長を務めていました。早坂司教はこの地で亡くなられ、大神学校の敷地にある教区墓地に葬られています。本日午前中に今回参加した日韓の司教全員で墓参に訪れ、早坂司教は仙台出身ですから、仙台教区長の平賀司教が代表で花を捧げました。もちろん当時の日本政府の教区長邦人化方針との絡みもあったのでしょうが、とても苦労なさったというお話を伺いました。なお早坂司教は、日本人第一号の司教となった長崎教区長早坂久之助司教の弟さんです。

行きも帰りも新潟からの大韓航空直行便を利用しましたので、とても便利でしたし、ソウルからは韓国が誇る時速300キロ営業運転区間もある韓国新幹線KTXで東大邱駅まで2時間の旅も楽しませていただきました。韓国は寒かったものの快晴でしたが、今夜の新潟は、今にもみぞれにでもならんばかりに寒い雨模様です。

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2006年11月13日 (月)

日本でならあり得ない、はもうあり得ない?

Ghana022 なにやら寒い一日でした。今日はこの寒い中、風邪をひいてしまった参加者もちらほらでしたが、毎月恒例の月曜会のミサを新潟教会で11時から捧げました。そういえば昨日、日曜も酷い天候でした。昨日は新潟市長選挙が行われたのですが、投票所の目と鼻の先の小学校へ行くのに、カサが吹き飛ばされそうになるほどの暴風とみぞれ交じりの雨で、さぞかし投票率は低いことだろうと心配しておりましたが、それでもほぼ40%近くを確保して、しかも前回より多少高かったとか。皆さんあの天気の中、よくぞ投票へ出かけられました。(写真は、本文と全く関係ないですが、土曜日に子供たちに見せた写真に中から一枚。ガーナで私が担当していた巡回教会で、ミサを待つ子供たち。目の前の机が、今日の祭壇となります。屋根がしっかりとしてないので、雨期などは、午後に降り出す雨の前にミサを終えねばなりませんが、だいたいミサは2時間以上かかるのが普通でした)

先日見ていたテレビでのニュースで、道路の側溝の蓋が大量に盗まれたという話をしていました。それからうろ覚えですが、電線などの銅線が大量に盗まれたという話もありました。リサイクルショップに持ち込んで売りさばくという話でした。そして数日前には現職警察官による郵便局強盗の話までありました。なにやらこういった話は、10年以上前に生活していたアフリカでしばしば耳にしたニュースと同類ではありませんか。都市部である日突然に電話が通じなくなり、調べてみると電話線がごっそりと盗まれていたとか、停電になったので調べると高圧鉄塔の部品が見事に外されて盗まれ、鉄塔が倒壊していたとか。こういったニュースを聞くたびに、「ああ、アフリカは大変なところだ。日本ならこんな事はないのに」と思っていたものでした。またある日、アフリカの山の中で自分で車を運転していると、道ばたで警察官に止められて、「免許証は?」に始まって、ありとあらゆるものを次々に見せるように要求してきました。これが完璧に応答していたら、最後に「じゃあ、窓を拭く布はあるのか?」ときた。そして、その日に限って窓を拭く布はなかったのであります。さあ、そうなるともう大変でした。法律も何も、山の中の道ではその警察官が法律です。そんなとき「日本ならこんな事はあり得ないのに」と思ったものでした。でもなにやら、そんな、「日本ならあり得ない」はもう通用しないのではないのかと思えるような事件が、起こるようになりました。問題の根幹は治安の良し悪しではないのだろうと思います。確かに警戒を強めてたがを締め付けていけば、ある程度発生は防ぐことが出来るのでしょうが、そこにはやはり解決はないように感じます。教育問題などと同じです。根幹にある、私たちの国の根本的な倫理観や価値観の荒廃であって、それはシステムをちょっと手直ししたくらいでは回復できるものではなく、また外から強制的に更正できる者でもありません。一人ひとりの心を支配している何ものかの問題であります。ああ、ここにも、根本からひっくり返すために、今の日本にはイエスの福音が必要だと思います。

明日から木曜の夕方まで、二泊三日で、日韓司教交流会に参加するため、韓国は大邱に出かけて参ります。

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2006年11月11日 (土)

新潟・土曜学校の集い

Img_0788 新潟では今日、土曜学校の子供たちの集いが開催されました。会場は新潟教会カトリックセンターの2階ホール。参加したのは新潟教会の土曜学校の子供たちだけでなく、寺尾、青山、花園、鳥屋野、白根の各教会の子供たちとリーダーを務める信徒の方々、そして神父さんたちでした。新潟地区では毎年恒例となっている、土曜学校の合同行事ですが、今年は、「司教と一緒に過ごす楽しい時間」をテーマに、おこなわれました。そうです。今日は私が子供たちにお話ししたり、ガーナの教会で働いてきたときの写真をプロジェクターで大きく映して見せたり、質問攻めにあったり、歌を披露したりと、果たして子供たちは楽しかったのかどうか分かりませんけれど、濃密な時間を一緒に過ごしました。朝10時半から午後3時過ぎまで。あいにくの天気でしたが、おかげで外へ遊びに行きという誘惑もなく、私の話の後にはみんなで豚汁を頂きながらの楽しいお昼。午後はゲームに興じて、最後に大きな声で歌を歌って終わりとなりました。(写真は、間違い探しクイズでモデルを務める神父さんたちと、「アブラハムには七人の子」を歌い踊る子供たち)

Img_0768 小学校一年から六年までの子供たちは元気いっぱいでした。この子供たちも、中学から高校と進むうちに、日曜や土曜には忙しくて教会に来なくなっていくのだろうなと思いますと、やはり小学生のうちに出来る限り教会の活動に触れさせておいていただきたいと、ご両親にはお願いしたいと思います。教育の荒廃が言われ、何とかしなければと日本全体が焦っている昨今です。もっとも焦っているのは実は一部の階層の人たちだけで、おおかたは学校教育には「教育」としての期待をあまり抱いていないようにも見えます。でも子供たちの将来のことばかりをあまりにも見据えすぎて今の教育を軽んじていると、結局はろくな将来はやってこないだろうなと思います。根本的に必要なのは意識の改革なのでしょうが、それは簡単には起こせないのが明白ですから、どうしても制度的な改革、つまり内部から発生する思いに期待せずに、外からコントロールしていく方向を容認する傾向が一般に強く感じられます。この現状に危機感を抱いて、政府が教育基本法という簡潔ぴしゃりな法律を、まどろっこしいものに変えようとしていますが、たぶん今の時代の雰囲気がなければ、どうしてわざわざそこからはじめるのか、よく分からないと感じるであろうほどに、政府は教育基本法改正に固執しておられます。そんな時代になったのだから、枠をしっかりとはめて外からのコントロールを強めていかない限り、変化は起きないと、大方が納得してしまっているので、誰も変だとは思わないのだと思います。でも本質的には、制度をどうにかすることではもうどうしようもないところにあるのだと思います。糸永司教が先日のカト新に投稿されてましたが、まさしく糸永司教の言うとおり、教育の最初の、そして根本的な場は家庭であるという考えは、教会が常に強調してきたところです。子供の世界は大人の世界の鏡として存在するのですから、大人の世界の価値観や意識をあらためない限り、ある程度の見栄えの変化をもたらすことは出来ても、本質的な変化は起きません。その意味でも、今の日本には、福音的な価値観が必要だとつくづく感じます。

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2006年11月 9日 (木)

おお、まもなく、クリスマス

Kc280014 フィリピンでは、9月にはいるとクリスマスの飾り付けが始まるなどという話を聞いたことがあります。「世界で一番早くクリスマスのお祝いをはじめる国だ」と、フィリピンの人がどこかで自慢してました。まだ一月以上あるとはいえ、日本の街角もすでにクリスマスに突入です。というよりも、クリスマス商戦が12月24日までの勝負なのですから、ちょっとでも寒さの気配が出て、世間がそろそろ夏への未練を捨てたと見なしたら、即座に開始ということなのでしょう。新潟の街角でも、クリスマスの飾りが目につくようになりました。新潟三越は、正面のライオン像がある入り口を、なにやらゴージャスな感じのデコレーションで高級感を醸し出しおります。その向かいのNEXT21ビルのロビーには、昨年同様、シルバーに輝くイルミネーションのクリスマスツリー。そして古町アーケードには大和デパート恒例の歌って踊るウサギの一団が現れました(写真)。昨年と同じかと思って写真を見てみたら、服が違ってました。機械仕掛けとは分かっていても、録音だと分かっていても、何となく愉快な気分にさせる愛嬌のあるウサギの一団だと思います。クリスマスはちょうど冬至の頃で、一年で一番夜の長い時期、つまりは暗い時期ですから、いにしえの光やら太陽のお祭りと合体して、世に希望の光を輝かせる救い主イエスの誕生という明るいお祝いとして印象深く祝われてきたのだと思います。光り輝くイルミネーションが随所に見られるようになりましたが、暗闇に印象深く輝く飾りに多くの人が何となくホッとするとき、その背景にある真のメッセージ、罪の暗闇に輝く真の光であるイエスの到来というメッセージに、少しでも触れてくれないものかと思います。新潟では12月16日(土)の午後1時半から、NEXT21のホールで、恒例の市民クリスマスは開催されます。市内のキリスト教各教派の合同で行われます。一般の方々にメッセージを伝える良い機会でもあるとは思うのですが、どうもこの数年、一般の方の参加には限界が見えてきていると聞いています。これに限らず、せっかくの機会に、何か工夫を凝らしたいと毎年思うのですが、何かきらめくようなアイディアは無いものでしょうか。

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2006年11月 7日 (火)

教区司祭静修

Img_0751 教区司祭の月に一回の集まり、「静修」が、昨晩から今日昼にかけて、新潟司教館で行われました。今月は話し合い研修の月でしたが、主な話題は昨年から何度も話し合われてきた教区司祭の給与制度の改定問題でした。教区の財政は佐藤司教様の頃からずっと危機的状況にありますが、将来のための財政基盤を築き上げるためには、教区全体を巻き込んだ様々な改定が必要です。その手始めとして教区司祭の給与制度のあり方について様々な検討をしてきました。先に設立した教区財政問題諮問委員会も、様々な角度から教区財政の見直しを検討していますが、この給与制度についてもご意見を頂きました。今後、小教区にもご理解いただかねばならない課題が多々ありますので、教区として小教区の責任者の方々に説明会を開催することなども考えております。今後の情報にご期待下さい。

なお本日の静修の締めくくりのミサで、教区司祭の方々と共に、教区一粒会の会員のためのミサを捧げました。一粒会にご協力いただいている方々に、あらためて感謝申し上げると共に、これからも司祭・修道者の召命のためにお祈りをお願い申し上げます。

北海道では竜巻が発生してかなりの被害が出ているようです。新潟でも朝から雨と強い風の荒れた一日となりました。雷もなっていますので、だんだんと季節は冬へと移行しています。体調にお気をつけ下さい。

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2006年11月 5日 (日)

山形聖マリア幼稚園50周年

Yamagata02 山形教会に併設されている山形聖マリア幼稚園が、創立50周年を迎え、昨日11月4日に感謝ミサと祝賀会が行われました。感謝ミサは私の司式で、現園長のピアス師をはじめ、学校法人双葉学園の理事長を務める鶴岡の本間師、歴代の園長や、小教区と幼稚園を担当しているイエズスマリアのみこころ会管区長成田師など、7名の司祭が参加して捧げられました。幼稚園は当初はシャルトル聖パウロ会、その後カロンデレットの聖ヨゼフ会のシスター方が保育にあたりましたが、現在は仙台に日本管区本部のあるオタワ愛徳修道女会のシスターが副園長を務められています。ミサ終了後にはすぐ近くの山形グランドホテルを会場に祝賀会を行いました。祝賀会では幼稚園で音楽を担当している先生による声楽の披露や、マジックショーまであり、楽しい時間を過ごしました。

Img_0744 今日の日曜日は、山形教会の方々と主日のミサを捧げました。ピアス主任司祭と成田管区長は新庄へミサに出かけましたので、助任のワルヨ師と一緒のミサでした。山形教会の聖堂は、かなり歴史のある建物で(当然戦前ですが、不正確で申し訳ない)、こじんまりとしているものの、木造Img_0741で落ち着きのある祈りの場です。また山形教会では現在、信徒会館を新築中です。教会前の道路は都市計画で将来拡幅の予定があり、それにあわせる形で少し後ろに下げての建設となりました。(それにしても教会の両隣には拡幅予定地をはるかに超えて立派なビルが建ってますが、ということは、拡幅はまだまだ先と見越していると言うことでしょうか)新しい信徒会館は一階建てで床面積こそ旧会館より少なくなったように見えるものの、これまであった信徒会館の機能をすべて取り入 れて、ゆったりとしたスペースの建物になっています。信徒会館は12月15日頃には完成の予定で、12月17日に私がもう一度山形を訪れて、建物の祝別式を予定しています。その日は雪が降らないことを祈ります。

Img_0750 山形に出かけて久しぶりに思い知らされましたが、新潟教区は本当に広い。新潟の気候にあわせた服装で出かけると、山形や秋田で思わず寒さに震えることもあるのですが、昨夜の山形も寒かった。歩いている人の服装を見れば、まるでもう冬です。そしてこの凛と冷えた空気のおかげで、山々は見事に紅葉に燃えていました。特に山形から新潟へ向かう小国街道沿いは、本当に見事な紅葉でした。日本の秋は、やはり燃えるような紅葉です。新潟県との県境、山形県側の赤芝峡はこの地域では一番の紅葉の名所のようで、各地から訪れた車で大渋滞です。そういえば今日は、国道のいくつかある道の駅はすべて満員で、出入り口あたりで道路が渋滞をきたしていました。連休の最終日ですから仕方ありません。いつもより一時間余計にかかって新潟へ戻りました。

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花園教会55周年

Img_2618 新潟駅のすぐ近くという絶好の立地にある花園教会が、11月3日に創立55周年をお祝いしました。もともとは現在の亀田に向かう栗の木バイパスのあたりに、沼垂(ヌッタリ)教会として神言会のホンナッケル師によって開設された教会です。現在は神言会から教区に移管され、高藪師が主任司祭を務めています。今回のお祝いには神言会の管区長代理として、秋田地区長の桃田師も参加されました。感謝ミサには花園教会だけではなく、新潟県内の教会の代表の方々をはじめ、お隣の山形県の鶴岡教会の方々も参加してくださいました。ミサ後に、歴代の主任と助任を務めた司祭に感謝の気持ちを込めて記念品が贈られました。今回のお祝いに参加した元主任司祭は、町田師、川崎師、鎌田師(信徒の方が代理)、元助任が山頭師、現在の主任の高藪師と助任のフェルナンド師でした。花園教会には聖ラファエル幼稚園が併設されていますので、今回は幼稚園ホールで祝賀会を催しました。写真は祝賀会で挨拶をする元主任司祭の町田師。

Img_2621 55周年というのはちょっと奇妙なお祝いです。50年にはいろいろあってお祝いが出来ず、かといって60年まで待ってしまうとどうなるか分からない(?)という心配から、55年に行うことにしたという高藪師の説明がありました。確かに55とは中途半端ですが、しかし同時に、だからこそ、50年とか60年という当たり前のお祝いでさらっと過ぎ去ってしまうよりも、何か理由を考えさせるという意味合いもあるような気がします。この地でどのような福音宣教が行われてきたのか、今共同体はいかに生きているのか、これからどうしていくのかを、真剣に考える契機にしていただきたいと思います。

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2006年11月 2日 (木)

11月の新潟教区は

11月となりました。あっという間です。早いものです。街角ではクリスマスに関係する広告や飾りも目にするようになりました。毎年だんだんと、一年が過ぎ去っていくスピードが速くなっているような気がします。昨日11月1日は誕生日でした。48になりました。こうやって日記を公開しているためか、私が年中移動し続けているのではないかと心配したメールを、誕生祝いにいくつか頂きました。ご心配いただきありがとうございます。教区の要務と司教団に要請された要務を、物理的に可能な範囲でこなしているだけです。ただ、新潟で普通にしている日のことは日記に書かないだけですから。それに他の司教さん達に較べたら、私が担当している司教団の仕事なんてほんの少しです。3年ごとに担当司教の配置換えがあるのですが、ちょうど私が任命された直後の司教総会が配置換えにあたり、私はカリタスの担当となりました。私以降に叙階された司教様達は、今はいわば無任所で、来年の司教総会が3年ごとの配置換えですから、それ以降に司教団の担当の様々な担当を受けることになります。事務局担当司教とか、常任司教委員会の司教達は、私とは比較にならないほど、東京と地元を往復しておられます。みんな私より年上ですから、他の司教さん達の健康のためにもお祈り下さいますように。

11月1日は諸聖人の祝日、2日は死者の日と、この11月の最初の二日間は、私たちの信仰における先達に思いを馳せる日でもありました。もちろん死者の日には洗礼を受けておられない死者のためにも祈るのは当然としても、同時に、私たちの信仰の基礎にある、目に見える共同体における繋がりと、目に見えない共同体との繋がりを意識する一時でもあります。私たちは生きている者と死んだ者との連帯関係の中にありますが、その連帯関係の土台となっているのが「聖徒の交わり」という伝統です。カトリック教会のカテキズムには、「教会とはすべての聖徒たちの集まりに他ならない」とあります。「聖徒の交わり」には、互いの交わりを通じて霊的な善を共に分かち合うという意味合いと、天上の教会との霊的善における交わりをも意味していると言われます。ですから死者の日とは、単に追悼して嘆き悲しむ日ではなく、互いの交わりを確認し執り成しを祈る日でもあります。死者の叙唱には「信じる者にとって、死は滅びではなく、新たな命への門であり、地上の生活を終わった後も、天に永遠のすみかが備えられています」と記されています。

同時に諸聖人の祝日と死者の日は、私たちに対して神から、一度限りに与えられた命の永続性について思いを深めるときでもあります。もともと聖人とは殉教者のことであったのですが、殉教者に思いを馳せることは、決してこの世における命は無駄であって、出来る限り早く神のもとへ行くのが良いというようなことではなく、いかにして与えられた命をこの世において最上の形で全うしていくのかを考えるときであると思います。与えられた命には、与えられた使命があります。その使命を神がもっとも良しとされる形で全うしていく務めも、私たちにはあるのではないかと思います。与えられた命を、与えられた場で、与えてくださった方のために、最上の方法で全うすること、すなわち自らの命を本当に大切にすることは、まさしく今の時代にもっとも必要なメッセージであるようにも思います。

さて、すでに秋に恒例のバザーなどの行事は終わりましたでしょうか。写真があったり、何か珍しいことが小教区でありましたら、是非教区事務所まで、ニュースをください。教区のホームページに掲載して、教区の他の方々と分かち合ってください。11月も新潟教区では、各地で様々な行事が予定されています。私が出席予定の行事だけですが、明日、11月3日は新潟市の花園教会で55周年のお祝い、翌日4日には山形教会で聖マリア幼稚園50周年のお祝い、19日には秋田教会で堅信式、23日には宣教司牧評議会の準備会議(最終準備会議となると思います)、26日は「王であるキリスト」ですから新潟教会でのミサ、27日と28日には教区司祭評議会などがあります。季節はどんどん冬に向かっていきます。体調を崩されませんように、皆様お気をつけ下さい。

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