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2006年11月23日 (木)

宣教司牧評議会への道

勤労感謝の日の本日、お休みのところを、新潟教区の各地区から司祭と信徒の代表に集まっていただき、修道者の代表も加わって、教区の宣教司牧評議会設立のための、最後の(となる予定)準備会議が開催されます。(11時から新潟教会にて)すでに宣教司牧評議会を始めると言うことでは全体的な合意が出来ているのですが、最終的に実際の運営をどうするのかなどを詰める作業が残されていました。特に地理的な状況を勘案しながら、どのような頻度で誰が集まるのかを決めなくてはなりません。離れていて集まりにくいからといって、あまりに頻度が少ないのでは、形だけのお飾り会議になってしまう恐れもあります。宣教司牧評議会は、司祭、信徒、修道者の代表が集まって知恵を出し合い、教区の歩むべき道筋について司教へ提言をする場となるのですから、実質的な意見の交換が十分に出来る体制を整えなくてはなりませんし、それぞれの代表がより多くの意見を代表できるような教区全体の体制も考えて行かなくてはなりません。などと書くのは簡単ですが、実際に現実化していくのには、数多の困難が伴うであろう事は、想像に難くありません。しかし、極論すれば、今のまま何もしないで待っていれば、10年後には教区の今のような活動はほとんど継続することが不可能となります。これは資金的な側面の問題ではなく、人的資源の問題です。今とは異なる歩み方を模索しない限り、将来はありません。

昨日は朝から長岡で、聖母カテキスタ会の会員姉妹と、一日静修を過ごしました。長岡には聖母カテキスタ会のハイム(いわゆる修道院的家)もありますが、昨日は近隣で働く姉妹も含め13名が集まりました。在俗会という教会の中では新しく特異な形態の奉献生活を営む会ですが、神言会のドイツ人宣教師ゲマインダ師によって1954年に名古屋で創立された会です。「カテキスタ」という名称は、この会の固有の名称と言うよりも、教会の中での教理の先生や教会の霊的な意味合いでのリーダーなどを指す言葉です。例えば絶対的に司祭の足りないアフリカの教会などでは、カテキスタの存在なしに、教会共同体は成り立ちません。日本でもこの「聖母カテキスタ」会員ではない、女性や男性のカテキスタも多く存在します。そのためもあってか、「聖母カテキスタ会」では、自らの召命をより良く現す名称への変更を模索していると聞きました。

明日、11月24日は、昨年から恒例行事化しつつある、特別臨時司教総会が一日だけ開かれます。そして翌25日(土)は、午後1時半から、東京の真生会館で講演して参ります。野村司教、郡山司教、そして私の三人による土曜午後の連続講演会で、今度の土曜が最終日で私の担当です。与えられているお題は「司教が見る教会共同体の危機」。どんな話になりますやら。その次の日、26日は「王であるキリスト」の主日です。典礼の暦では年間最後の日曜日となります。カテドラルである新潟教会は「王であるキリスト」に捧げられていますので、9時半のミサを私が司式する予定です。

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