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2006年11月26日 (日)

王であるキリストは新潟で

Img_2798_1 王であるキリストの主日は新潟教会のお祝い日です。そこで本日は、司教の公式訪問となりました。とはいえいつも新潟教会にいるのですから、どこが「訪問」なのかよく分かりませんけれど。でも司教の訪問を良い口実にして、共同体の皆さんでちょっとした楽しい一時を過ごしてくだされば、それに勝るものはありません。今日の新潟教会のミサでは、まず二人の小学二年生の初聖体が行われました。この二人こそは、まさしく新潟教会の未来ですので、ご両親と一緒に、大切に信仰のうちに育てていかねばならないと思います。そして今日のミサは、始めて「国際ミサ」としても捧げられました。普段は毎月一回、第一日曜日のお昼に英語ミサが行われていますが、そこに参加する人たちとそれ以外の日曜のミサに参加する人たちと、ほとんど交流がないことが気にかかっていました。そこで今日は、何か特別なことはあまりしなかったのですが、英語ミサに参加する人たちにも呼びかけて、一緒にミサに参加し、そしてミサ後のちょっとしたパーティーで、互いの親交を深めていただこうと企画しました。正確な数は不明ですが、ミサ後のパーティーにはご家族も含めて30名ほどの英語ミサ参加者が残ってくださったので、ミサにはもう少し多くの英語ミサ参加者がこられていたと思います。

Img_2880_1 ミサでは、第二朗読をフィリピンの方に英語でお願いしました。そして共同祈願でも、日本語に続いて、ポーランド語やタガログ語やスペイン語やポルトガル語やインドネシア語と、参加している方による様々なお祈りが捧げられました。説教の時にも申し上げたことですが、第二朗読を聞いて、大多数の日本人の方は何もわからなかった。そしてその「何もわからない、ちんぷんかんぷんな体験」が、とても大切だったと思います。もちろん朗読の内容は「聖書と典礼」を読めば理解できますが、つまりは、逆の立場の人がたくさんいると言うことを実感していただきたかったのです。もちろん日本にいるのだから日本語を主に使うのは当たり前ですが、でもそう簡単に日本語の達人にはなれません。その意味で、自分が分かる言葉でのミサが存在するというのは大切なことだと思います。もちろん自分の言葉であれば一番良いのですが、すべてそういうわけにも行きませんから、一番共通に使えそうな言葉である英語でミサは捧げられています。でも今度は、日本語ミサの共同体と英語ミサの共同体に、互いの交流がなくなっており、互いに一つの新潟教会共同体を形作っているという意識が薄れているとも感じました。その意味で、今日のようなお互いに一緒に捧げるミサも、定期的に必要だと思いますし、日本語が主たる人にとっては、たまには「分からない言葉」という不自由さを実感することも大切な体験であると思います。このミサを企画してくださった多くの方々に感謝すると共に、これからももっと内容を深めて続けていっていただきたいと思います。

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