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2006年11月11日 (土)

新潟・土曜学校の集い

Img_0788 新潟では今日、土曜学校の子供たちの集いが開催されました。会場は新潟教会カトリックセンターの2階ホール。参加したのは新潟教会の土曜学校の子供たちだけでなく、寺尾、青山、花園、鳥屋野、白根の各教会の子供たちとリーダーを務める信徒の方々、そして神父さんたちでした。新潟地区では毎年恒例となっている、土曜学校の合同行事ですが、今年は、「司教と一緒に過ごす楽しい時間」をテーマに、おこなわれました。そうです。今日は私が子供たちにお話ししたり、ガーナの教会で働いてきたときの写真をプロジェクターで大きく映して見せたり、質問攻めにあったり、歌を披露したりと、果たして子供たちは楽しかったのかどうか分かりませんけれど、濃密な時間を一緒に過ごしました。朝10時半から午後3時過ぎまで。あいにくの天気でしたが、おかげで外へ遊びに行きという誘惑もなく、私の話の後にはみんなで豚汁を頂きながらの楽しいお昼。午後はゲームに興じて、最後に大きな声で歌を歌って終わりとなりました。(写真は、間違い探しクイズでモデルを務める神父さんたちと、「アブラハムには七人の子」を歌い踊る子供たち)

Img_0768 小学校一年から六年までの子供たちは元気いっぱいでした。この子供たちも、中学から高校と進むうちに、日曜や土曜には忙しくて教会に来なくなっていくのだろうなと思いますと、やはり小学生のうちに出来る限り教会の活動に触れさせておいていただきたいと、ご両親にはお願いしたいと思います。教育の荒廃が言われ、何とかしなければと日本全体が焦っている昨今です。もっとも焦っているのは実は一部の階層の人たちだけで、おおかたは学校教育には「教育」としての期待をあまり抱いていないようにも見えます。でも子供たちの将来のことばかりをあまりにも見据えすぎて今の教育を軽んじていると、結局はろくな将来はやってこないだろうなと思います。根本的に必要なのは意識の改革なのでしょうが、それは簡単には起こせないのが明白ですから、どうしても制度的な改革、つまり内部から発生する思いに期待せずに、外からコントロールしていく方向を容認する傾向が一般に強く感じられます。この現状に危機感を抱いて、政府が教育基本法という簡潔ぴしゃりな法律を、まどろっこしいものに変えようとしていますが、たぶん今の時代の雰囲気がなければ、どうしてわざわざそこからはじめるのか、よく分からないと感じるであろうほどに、政府は教育基本法改正に固執しておられます。そんな時代になったのだから、枠をしっかりとはめて外からのコントロールを強めていかない限り、変化は起きないと、大方が納得してしまっているので、誰も変だとは思わないのだと思います。でも本質的には、制度をどうにかすることではもうどうしようもないところにあるのだと思います。糸永司教が先日のカト新に投稿されてましたが、まさしく糸永司教の言うとおり、教育の最初の、そして根本的な場は家庭であるという考えは、教会が常に強調してきたところです。子供の世界は大人の世界の鏡として存在するのですから、大人の世界の価値観や意識をあらためない限り、ある程度の見栄えの変化をもたらすことは出来ても、本質的な変化は起きません。その意味でも、今の日本には、福音的な価値観が必要だとつくづく感じます。

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