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2006年12月25日 (月)

いのちへの尊厳

主の降誕のお祝いは、イエスの誕生をお祝いするということと同時に、人間のいのちへの尊厳についても考えるときであると思います。ちょうど降誕の日中のミサ(25日の午前中のミサ)の集会祈願は、「永遠の父よ、あなたは人間を優れたものとして造り、救いの業を通して、さらに優れたものにしてくださいました」と祈りを始めます。つまり、もともと神の似姿として創造された人間が、受肉の神秘を通じて神ご自身が人間となることによって、さらにその「良さ」がまし加えられたのだという事実。そこから、人間は互いに尊重されてしかるべき存在であるということを、命の尊さということを、あらためて自覚する日でもあるのだと思います。

新潟教会の10時のミサが終わり、平日の午前中ですから参加者はそれほど多くはなかったものの、歌あり手品ありの祝賀会が終わって、司教館へ戻ってニュースを見たら、なんとも悲しいニュースがありました。そんな神聖な日に、4名の死刑が執行されたとあります。人の命が神から与えられたものである以上、私個人的には、国家に命を奪う権利が神から与えられているとは考えられず、死刑制度自体に反対ではあります。しかし同時に、特に被害に遭われた方の残された家族や関係者の無念の思いを考えるとき、また犯罪を犯したことに全く罪の意識を感じていそうにもない犯罪者も存在しうることを考えれば、その制度がすぐには廃止にはならないであろう事は分かります。それにしてもクリスマスのその日に、よりによっていのちへの尊厳を考える聖なる日に、死刑を執行しなくても良いではありませんか。昭和20年以降の死刑の歴史をふり返っても、12月21日とか27日に執行された例はいくつかあっても、クリスマスのその日に執行されたのは今回が初めてではないでしょうか。いくらキリスト教とは関係のない国だからといって、法務大臣には、多少の宗教的配慮があってしかるべきではないかと思うのです。主キリストの降誕の祝日に、死刑を執行する国。私の愛する祖国は、悲しい国です。

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