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2007年1月14日 (日)

祈り倒す

「祈り倒す」というのも何となく不謹慎な響きがあるけれど、そういえば近頃「祈り倒す」ほどの迫力を忘れているのではなかろうか。今朝の福音、「カナの婚姻」を読んでいて、ふとそう感じました。あの婚姻の宴の会場で、マリア様の迫力は、「私の時は来ていません」というイエスをも、いわば「祈り倒し」てしまったのだなと思ったのです。

先日、青少年の集いがあったときに、毎日の信仰生活でしたか何かについての質問があったとき、「常にイエスの存在を身近に実感すること」と答えたと憶えています。だから、常日頃、決められた様々なお祈りをすることも大切なのでしょうが、それ以上に、常に身近にいる主に話しかけまたその声を聞く努力を重ねることはもっと大切な気がします。そのなかで、時には迫力を持ってイエスに迫ることもやはり忘れるべきではないでしょう。もっとも、そのときに、イエスの語られる言葉に耳を傾けることも忘れてはなりません。祈りは私の独白ではないですから。

今日は新潟教会で、マリア会とヨセフ会の主催で、新年の集いが開かれます。その報告はまた後で。

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