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2007年2月22日 (木)

優先すべき事

私も英語の本を翻訳して出版したことがありますし、いろいろな文書の翻訳を試みたことがあります。外国語の文章を機械翻訳にかけるととんでもなく笑ってしまう翻訳になることが多い事からわかるように、英語の文章を日本語に訳すことは容易いことではありません。どうしても、原文の意を汲んで、意味が通じるように意訳せざるを得ないこともしばしばです。最たるものは、もちろん画面のスペースの問題と、目がついて行けるスピードの問題があるからでしょうが、映画の字幕。あれこそは意訳の頂点です。

原文への忠実さをとるか、意味への忠実さをとるのか。どちらも重要であるにも関わらず、両者を同時に成立させることは難しい。

今回の司教総会に限らず、ここ数年間続けて議論されているのは、数年前に第三版が発行され、世界中の司教団が聖座から、自国語に翻訳をするように指示をされているミサの典礼式文の翻訳問題です。日本では特に最初の翻訳ですら暫定訳としての承認であったのですから、第二バチカン公会議後、決定版の翻訳は未だに出現していないことになります。もちろん教会の歴史は右に左にユルリユルリと触れながら、のんびりと確実に前進を続ける性質のものですから、人間の一生を尺度にして焦っても仕方がない側面があります。とくに典礼という重要な側面の問題ですから、第二バチカン公会議が終わってまだ40年程度しか経っていない時点で、不完全だと焦っても仕方がありません。最終的には100年くらいはかかって当然ではないかと、個人的には感じています。

典礼は伝統と神学のせめぎ合いで成り立っているように感じます。第二バチカン公会議後は神学が優勢を占めていたのだと思うのですが、それによっていろいろと試行してみた結果として出てきたのは、現時点での第三版を中心とした諸文書に現れる伝統を重視する立場であると思います。特に翻訳においてはラテン語原文の忠実な訳であることが強調され、例えばある一つの言葉の翻訳を巡って、すでに多くの国で神学的に正しい意味を表すように異なる言葉を持って翻訳された言葉遣いを、そちらの方が神学的にはふさわしいと聖座も認めながらも、しかし、伝統を守って原文通りに戻すように要求していることなどに、それが現れています。(ちなみにこの「ある言葉」の翻訳という点に限ってだけ言えば、日本の翻訳ではもともと原文通りであったため、問題はなかったのですが)。聖座は、まず伝統通りに忠実に翻訳し、そしてそれが実は表している神学的意味を、そのままの言葉ではわからないからカテケージスせよと指示されています。そうしなければならないでしょう。現在検討されている翻訳は、まだまだ最終段階ではないので、これから何度も直されていくのでしょうが、かなり原文に忠実な翻訳になっています。いくつかの問題では、現行の暫定訳と同様に、聖座から特別の許可を頂かなくてはならないと考えることもあります。ゴールはまだまだ先で、あと何年かかるのかわかりませんが、できる限り日本語としても美しく、かつしっかりと歌えて、しかも神秘性を併せ持ち、同時に原文に限りなく忠実な典礼の翻訳ができあがるように、膨大な量の翻訳と研究に、日夜取り組み努力を続けてくださる典礼委員会委員の皆様には、心から敬意を表し、感謝したいと思います。

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