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2007年3月24日 (土)

ロメロ大司教

Romero_1 27年前の今日、エルサルバドルのサンサルバドール教区長オスカー・ロメロ大司教が、ミサの最中に暗殺されました。当時エルサルバドルでは軍事政権による人権侵害が著しく、それに公然と異を唱えたロメロ大司教は、教会が強い影響力を持つ国にあっては、権力側にとってあまりありがたい存在ではなかったのです。ロメロ大司教の生涯を世界に伝えようと活動をしている人は多くいますが、私が直接触れたのは、イギリス(イングランドとウェールズ)のカリタスであるCAFODの前の事務局長であったジュリアン・フィロコウスキー氏でした。国際カリタスの理事会に一緒に出席していた頃、会議の席上で必ずロメロ大司教の話を始める。CAFODの住所地でさえ、ロメロ・クローズと名前をつけさせてしまったくらいです。(この写真は、ロメロ大司教「殉教」25周年に作られたポスターの一部です)それまで私は、ロメロ大司教のことを名前くらいは知っていたものの、詳しいことは全く知らず、なぜフィロコウスキー氏がこれほどまでに熱心なのか訝しく思ったものでした。でも実際のロメロ大司教を知っている彼から、いろいろと話を聞く内に、そのすばらしい信仰のあかしに触れることが出来ました。

カリタスで働く前には英国議会でも働いていたフィロコウスキー氏は、ロメロ大司教と個人的に交友があった方です。彼によれば、ロメロ大司教はもともととてもシャイで、表だった社会活動をするような人ではなく、どちらかといえばそういった活動に批判的な人物と見なされていたのだと言います。ところが、司教になった後に、実際に教区の農民たちが直面している現実を目の当たりにして、特に農民たちのために働いていた教区司祭が農民と共に惨殺されるという現実に直面した時に、大きな変貌を遂げたのです。イエスの福音を真摯に受け止めれば受け止めるほど、目の前の現実に背を向けることは出来なかったのではないでしょうか。それぞれのおかれた場において、目の前の現実には大きな違いがあります。信仰の目で現実をしっかりと見据え、福音的価値観に対立する現実に対しては、正面から立ち向かう勇気を持ちたいと思います。そして同時に、聖霊の導きに深い信頼を置きたいとも思います。あまりにも世俗化された世界に住んでいる私たちは、ともすると目に見える事象や理性と感覚の世界から宗教をみてしまいがちで、それとはかけ離れた聖霊の働きへの信頼を失っているように感じます。教会が聖霊の働きを忘れてしまっては、存在する意味がないではありませんか。

ロメロ大司教の列福調査は、ヨハネパウロ二世によって始められ、現在も進行中です。

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