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2007年3月25日 (日)

新津教会でミサ

Kc280052 いやあ、驚きましたねぇ。ちょうど新潟市内の新津教会で、9時半のミサを始めたところでした。詠唱が終わって本日の福音を読み始めました。律法学者やファリサイ派が現れたあたりで、なにやら目眩でもしているのかと思うような揺れでした。一瞬自分が病気かと思った人が、聖堂内に数人いたようです。福音を聞くために聖堂内では皆立っていますし、私も朗読台の前で、どうしたものやら、とにかくしっかりと台を握りしめて立っていました。たぶんほんの数十秒のことなのでしょうが、かなり長く揺れていたように感じました。揺れが収まったので、さあ、どうしたものやらと思いましたが、とりあえず、「それでは続けましょう」などといって、途中から福音を続けました。ミサの最中に緊急事態が発生すると、なにやら困りますよね。昔神学生だった頃、朝のミサの、まさしく聖変化の最中に地震が起こり、とても慌てる神学生を尻目に、司式司祭は何事もなかったかのように聖変化を続ける姿を見て、司祭への尊敬の念を深めたこともあったのでした。

震源に近い能登半島では、怪我をされた方、亡くなられた方、家を失った方、大勢おられると思います。被害は時間が経つにつれて明らかになりつつあります。通常ではない生活をしばらく強いられることになろうと思います。どうかお体を大切になさって下さい。必要であればカリタスでも支援を考えなければと思います。

Kc280053 ところで新津教会へミサに出かけたのは、主任司祭の鎌田神父様が体調を崩し、数日前に入院されたためです。けっして命に差し障りがあるような重い病気というわけではないのですが、なにぶん鎌田神父様も高齢ですので、しばらくはお休みになって体力を回復していただきたいと思います。なんと言っても新津の主任司祭と、新津と加茂の2幼稚園の園長を兼任していただいておりますから。どうぞ鎌田神父様の回復のために、お祈り下さい。

写真は新津教会の玄関ロビー展示の一部です。第二バチカン公会議以前に行われていたミサで使われていた、祭壇上に常におかれていたミサ典文のプレートと終わりの福音のプレートです。もちろんどちらもラテン語です。ご存じのように第二バチカン公会議前のミサは祭壇が壁に向かっていましたから、こういったプレートは常に立てかけておいてありました。それに今のように奉献文が四つあったわけではなく、今でいう第一奉献文のみでしたし、終わりの福音も常に同じでしたから、いちいちミサ典書をあける必要もないようにプレートにされていたようです。加えてラテン語の言葉を間違えるとミサは無効という厳しい時代でしたから、間違えないようにしっかりと見ながらミサは捧げられました。小学生の頃、私も侍者をした経験がありますので、懐かしいものですね。

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