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2007年3月 9日 (金)

おめでとう、ガーナ(いまさらですが)

なんとしたことでしょう。申し訳ない。ついつい忘れていました。この3月6日は、ガーナの独立記念日で、しかも50周年ではないですか。ガーナの皆さん、おめでとうございます。昨年の12月に訪れたことは書きましたし、サイドバーのところにそのときの写真もあげてありますから、是非ご覧下さい。

Ghana041 21年前に初めてガーナの土を踏んだとき心に抱いていた「燃える炎」を、持ち続けたいと願うのですが、なにやら近頃は、気をつけていないと、いつの間にやら消えてしまいそうです。私が働いていたOsonson教会の今の主任司祭であるガーナ人のドゴジ神父様から、今日手紙が来ていました。やはり、発展を続けているのは都会だけで、村落部は取り残されていること。そのために学校へ行った若者は、どうしても村へ戻ってこないこと。村には教員がなかなか来てくれないこと。そしてやはり村での共同体の高齢化について、苦しい毎日の現実が記されていました。今回Osonsonを訪ねて一番ショックだったのは、教会の小学校の建物が、私が日本へ戻った94年の時から全く手入れされておらず、しかも二棟のうち一棟が完全に崩壊していたことでした。それすらも立て直す資金が手に入らない現実です。(写真は、その頃、Osonsonの教会で聖体行列へ出かけるところ。十字架をもっている侍者の少年は、いまでは大神学生となった)

Ghana005b90年頃、軍事独裁政権でありいろいろと批判は浴びていたものの、当時のローリングス政権は世界銀行と上手にやりとりをしながら、様々な側面で、市民の生活を立て直していました。ちょうどその頃私は、世界銀行の関係者(ガーナ駐在とワシントンの担当者の両方)に知り合いが出来たので、いろいろと聞くことが出来ましたが、その頃の教育改革の基本が本当にそのまま完全に実践されていたら、周辺部がもっと大切にされ、今のような首都偏重の状況にはならなかったような気がします。残念ながら、民主化された社会は、都市部に富を集中させる傾向に走るようなのです。(写真は、その頃のOsonson教会でのミサ。後ろ姿は説教中の私.)

Ghana033b_1( P.S.) こちらの写真は、その頃、二ヶ月に一度ほどで通っていた巡回教会へ行く道です。Osonsonから車で一時間くらい走り、車をおいてさらに2時間ほど歩いてやっと到着の奥まった村でした。ちょうど雨期だったため、小川は一杯に溢れて、丸太の橋も水につかりそうでした。乾期には今度は全く水が無くなり、結構な高さの橋になります。天気さえ良ければ、楽しい遠出でしたが、雨が降ったり、マラリアで調子が悪かったりすると、地獄の巡回でした。当時はとても苦しい思いもしていたはずですが、良くある話で、時間が経った今では、しかも20年ほどしか経っていないにもかかわらず、どれもこれも楽しい思い出に感じるというのは、人間の記憶は全く当てにならない不思議なものだと、つくづく思います。

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