« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »

2007年4月30日 (月)

宣教司牧評議会開催される

Pastoralc0703 本日30日、すばらしい天気に恵まれた新潟で、第一回目となる記念すべき新潟教区宣教司牧評議会が開催されました。これまで一年以上をかけていろいろと検討してきました。昨年には全ての主任司祭と信徒会長さんに集まってもらいました。その席で、こういった集まりの必要性が確認されています。そして規約を作成するために、昨年11月23日には各地区からの代表に集まっていただいて準備会議も開催されました。またいわゆる「シスター」たちの意見も反映させるために、昨年8月には女子奉献生活者の集いも秋田で開催されました。そういった諸々の準備を経て、今回の第一回宣教司牧評議会開催にたどり着いたのです。準備に携わってくださった多くの方々に、心から御礼申し上げます。(写真は本日の集まり)

評議会には規約に従って、各地区(長岡・新潟・新発田・山形・秋田)の司祭代表が一名(地区長)、信徒代表がそれぞれ二名、奉献生活者の代表が二名、司教が任命した方が一名、司教総代理と事務局長が加わったどちらかといえばコンパクトな集まりとなりました。そのほかに事務局をお願いした方が3名、教区広報とカトリック新聞社からの取材の参加もありました。きっとカトリック新聞で取り上げていただけると思います。

Pastoralc0702 宣教司牧評議会設立にあたって考えることは、別途文書にしました。「司教のページ」の07年のところに掲載しましたので、ご一読下さい。新潟教区が一つの共同体として福音宣教に取り組むことが出来るように、教区としての優先課題を徐々にはっきりさせる作業を続けたいと思います。本日の会議では、次のようなことが決まりました。本日の会議で出された様々な意見に基づいて、10月までに各地区で教区の福音宣教の優先課題について話し合いをしていただくことになりました。どのような形でそれを具体化するかは、本日参加された代表の方から、各地区で呼びかけがあると思います。そして各地区からの報告をとりまとめて、私の方からもう一度、全体として話し合うべき事を報告いたします。それについてさらに各地区で意見を集約していただいて、来年4月の第2回評議会に持ち寄っていただき、教区の福音宣教における優先課題を明確にして、さらにそれへどのように取り組んでいくのかを、よりいっそうはっきりとさせていくことを目指したいと思います。教区のお一人お一人の、積極的な貢献を期待いたします。(写真は右から、議長を務めた川崎師、私、大瀧事務局長)

|

新潟は春の祭り

Kc280076 始まったばかりの連休ですが、28日と29日、新潟ではこの4月から政令指定都市になったことを記念して、市内各地で様々な催し物が行われました。幸いすばらしい天気にも恵まれ、かなりの人出であったようです。司教館近くの昔からの商店街、古町のアーケード街では、様々な出店が並び、各所に設けられたステージでは、いろいろな団体によるパフォーマンスが繰り広げられていました。ちょうど私が出かけた昨日の午後には、何故かパフォーマンスはみんな和太鼓を勇壮にたたくグループばかりでしたので、それだけみると、和太鼓をたたくのが、今時の若者の間では流行なのかなと思っちゃいそうでした。また昨年同様、大和デパート前の古町アーケードでは、多くの人が参加したと聞きましたが、チューリップなどを使って、道に花絵が描かれていました。道の花絵といえば、ローマ郊外のネミ湖畔にあるジェンザーノという町で、大がかりなものを見たことがありますが、新潟も将来あれくらいの規模になれば、観光の目玉になるかもしれません。もっとも、それだけ沢山の花を集めるのが、大変でしょうけれど。

Kc280075 市役所前の特設ステージでは、ちょうど、中学生によるジャズオーケストラの演奏が行われていました。二つの中学のオーケストラの合同演奏で、どちらの中学も指導しているのは国語の先生だとか。すばらしい演奏でした。ジャズがこれほど普通になってきたことに感慨を憶えると同時に、ジャズオーケストラの存在も興味深く憶えるところがあるので、これはまたそのうちに考えをまとめて書くことにします。最後にプロが二人加わっての合同演奏となりましたが、やはりプロはうまい。音色では負けていない中学生もいるのでしょうが、アドリブをしたときの音取り(というのかどうか知りませんが)が、プロはやはり一枚も二枚も上手でした。この中学生たちが、出会った音楽を大切にして、自分の内に取り込んでくれることを願ってます。

|

2007年4月28日 (土)

世界召命祈願の日

Tulip07 復活節第四の主日にあたる明日は、世界召命祈願の日でもあります。今年の世界召命祈願の日にあたり、教皇様は「交わりとしての教会に仕えるための召命」というテーマを定められ、メッセージを発表されています。

教皇様は救いの歴史をふり返りながら、神が常に共に働く人を自ら招いてこられたこと、またイエスご自身も自らの使命に与らせるために使徒を選ばれ行動を共にされたことを指摘し、「教会の使命は、親しく忠実な神との交わりを基盤としています」と述べられます。その上で、教会が一つに集められた神の民として交わりのうちに一致することが召命の源泉となると、次のように指摘します。

「召命を促進するために重要なのは、司牧活動が交わりとしての教会の神秘を大事にすることです。なぜなら、調和を保ち、責任を分かち合い、誠実な教会共同体に生きる人は、必ず主の招きをたやすく識別できるようになるからです。それゆえ召命を育てるには、神の声を聞くための絶え間ない「教育」が必要です。」(メッセージの全文は中央協議会ホームページを参照)

さらに教皇様は、教会の共同体生活を、様々な側面から充実させることの重要性を説いて、次のように指摘します。

「あらゆるキリスト教共同体の中心は、教会生活の源泉と頂点である聖体です。福音に奉仕しようとする者は皆、聖体を生きることによって、神と隣人への愛を深め、交わりとしての教会の建設に貢献します。わたしたちは「聖体に生かされた愛」が全教会の召命活動の動機と基盤となるということができます。なぜなら、回勅『神は愛』で述べたように、みことばと秘跡と、とくに聖体の内にキリストを見いだすことのできる人がいるところには必ず、神の民の中で司祭職や他の役務と奉仕の召命が増えるからです。」

みことばと秘跡、特に聖体を大切にする共同体からは、召命があふれ出ると教皇様は言われます。なかなか厳しい指摘ではありませんか。勿論ご存じのように、そして教皇様もここで「他の役務と奉仕の召命」と加えられているように、召命は単に司祭・修道者の志願者が増えることだけを意味しているものでもありません。全てのキリスト者が、それぞれに与えられたカリスマに応じて、多様性に充ちた奉仕職へと召されているのであり、まさしくありとあらゆる奉仕職が存在して初めて補完性のうちに、ひとつのキリストの体が成り立つのです。ですから、聖書のみことばを大切にし、秘跡を大切にする共同体には、様々な役割を喜んで担う人が増えると言うことでもあります。

しかしながら同時に、司祭・修道者の召命が、少しでも増えることは、将来の教会共同体のためにも不可欠です。世界召命祈願の日に当たり、教区の共同体から、司祭・修道者への召命を受ける人が一人でも多く誕生するように、どうかいつも以上のお祈りをお願いいたします。(写真は、チューリップに美しく彩られた昨日の萬代橋と新潟中心部。)

|

2007年4月27日 (金)

憲法改定?制定?

法律の素人ですので、たぶんそんなことは専門家の間では問題にもならないのでしょう。でも結局は法律の素人が投票を通じて民意を表明することを考えれば、素人の疑問を書いておくのも、あながち意味のないことではないと思います。

主に60年代に独立を遂げたあとにクーデターが連続したアフリカの多くの新興国家では、クーデター後にとりあえず発足する軍政や暫定政権が終了し民政へ移管するにあたって、必ず新しい憲法が制定されます。基本的にクーデターの段階でその時点に効力を持っている憲法は停止され、その後発足する民政の新政権が、その旧憲法を復活させることはあまりありません。私が働いていたガーナでも、81年12月31日のクーデターで発足したローリングス元空軍大尉率いた暫定国防評議会(PNDC)政権は、独立の父エンクルマの流れを継いだリマン大統領の第三共和制を打倒し、憲法を停止しました。その後ローリングスPNDC議長は民政移管を決意し、91年9月には新憲法起草会議を発足させました。そして92年4月28日に新憲法の国民投票を行い、その後11月3日に大統領選挙、12月8日に国会議員選挙、そして翌年93年1月7日にローリングス氏自身が大統領として第四共和制を開始、その後政権交代を経て今に至っています。

そういう国にいますと、憲法が停止されたり新たに制定されたりすることがあまりに日常茶飯事的で驚くことではなくなります。しかし同時に身をもって感じることは、前の憲法を停止して、それを再起動するのではなく新たな憲法を制定し直して民政を開始すると言うことは、すなわち前の政治体制を完全に否定して、まったく違う国家の体制でスタートすると言う意味であることです。腐敗した政権を否定するから軍事力でクーデターが起きるのであり、その政権とまったく違う国家を建設しようとするから、新たな憲法を制定して国のあり方を規定するのでした。

とするとですね、ちょっと不思議に思うことがあるのです。報道によれば、4月24日自由民主党は「新憲法制定推進の集い」を開いたということです。でもその席で、安倍総裁は「憲法改定」を目指すと言われたそうです。それはそうでしょう。ところが、同時に「新憲法制定こそ、新しい時代を切り開く精神につながる」ともいわれたと新聞に書いてありました。今の日本の政権を担っている人たちは、本当はどっちを考えているのか分からなくなってしまいました。今の憲法に不備や欠落があるので改定しようとしておられるのか、まったく新しい憲法を制定したいと考えておられるのか。もし前者なら安心しましょう(勿論とても不安ですけれど)。でも後者であれば、それって日本国憲法下での政治のあり方の否定であり、まったく異なる政治体制の確立を目指しているという、とてもすごいことを意味しているのではないですか。それってそれって、都知事選に出ていた外山氏が、もはや「あれ」しかないと絶叫していた、「あれ」じゃあないで・す・か。

|

カリタスジャパン全国大会

Caritaszenkoku07 カリタスジャパンの全国教区担当者会議が、25日(水)と26日(木)の二日間にわたり、潮見のカトリック会館で開催されましたので、担当司教として参加してきました。全国担当者会議は毎年秋に開催されるのが定例大会ですが、今年は3年ごとの重要な委員改選時期に当たっているため、8月末の委員任期切れを前に、次期委員選出を主な目的として臨時開催されました。と書いても何のことか分からないので、少し説明いたします。

カリタスジャパンの実体は委員会とそれを支える事務局で、事務局は東京は潮見のカトリック中央協議会にあります。カリタスジャパン委員会は典礼委員会など他の諸委員会と同様に、司教協議会の委員会として司教が委員長に任命されており、それに司教協議会会長によって任命を受けた委員で構成されています。カリタスジャパン委員会の場合には、この委員に、全国の教区担当者から選出された代表が3名加わることを規則で定めており、今回はその委員の選出をしたというわけであります。なお委員長の司教は、国際カリタスの枠組みでは、カリタスジャパンのPresident、もう一人の司教(副委員長、つまり私)はVice Presidentとなっています。

教区担当者とは、全国16教区で、それぞれの司教から任命されているその教区におけるカリタスの担当者のことです。もっとも教区によっては社会福祉委員会担当者としての任命であったり、カリタス担当者としての任命であったりと名称は異なっているようですし、必ずしも司祭である必要もありません。ちなみに新潟教区では、寺尾教会の町田神父様がカリタス担当者として任命されています。この教区担当者が、様々な募金の現場での呼びかけやとりまとめを行ってくださいますし、カリタスについてのアピールも行ってくださいますから、教区担当者なしにカリタスジャパンは成り立ちません。ところがこの教区担当者は、すでに触れたように各司教からそれぞれの教区の事情に応じて任命されているのであって、カリタスジャパンが直接任命した方々ではありませんから、お互いの関わり方には微妙な関係が存在いたします。そこでうまく調整して仕事が円滑に進むように、カリタスジャパン委員会からは独立した教区担当者会が存在しており、そこからの代表がカリタスジャパン委員会へ派遣されてくるのです。

なお教区担当者の代表は、カリタスジャパン委員会だけではなく、その下部組織でもある援助活動推進部会と社会福祉活動推進部会にも、それぞれ3名が派遣されます。さらに教区担当社会の実行委員の3名は、司教団からカリタスジャパンへ委任されている四旬節の課題冊子制作の編集委員会にも加わっていただくことが慣例となっています。今回の会議ではそういった代表選出に加え、国内でのカリタスジャパンの援助活動に関する意見交換や、四旬節キャンペーンのあり方についての意見交換などが行われました。(写真は潮見のカトリック会館、マレラホールでの会議の模様)

|

2007年4月24日 (火)

吉田聖神父急逝

神言修道会会員で、長年にわたり日本管区宣教事務局長を務められた吉田聖神父が、日曜日に急逝されました。以前から糖尿病などを患っておられましたが、そこから派生してきたのでしょう、以前から心臓の不調を訴えておられました。日曜日の早朝、就寝中にその心臓が止まり、数時間後に発見されたときにはすでに息絶えておられたと言うことです。66歳の早すぎる死でした。本日24日に名古屋の南山教会で葬儀が行われましたので、参加して参りました。

吉田神父は岩手県の盛岡生まれで1968年に司祭叙階。私が大学に入ったときは、最初のラテン語の先生でもありました。またその年、南山大学のキャンパス・ミニストリー・センターである「ロゴスセンター」で学生の指導をしていた吉田神父は、私の同級生たちと10年ぶりに野外宗教劇「受難」を復活させ、受難劇の伝統は今に受け継がれています。その後大学で教える傍ら、修道会の宣教事務局長となり、海外で働く宣教師の支援のために募金活動などをしておられました。私も、ガーナで働いていた間、いろいろな意味でお世話になりました。R.I.P.

|

2007年4月23日 (月)

亀田献堂式の続き

Conseckameda05 昨日の続きです。新潟市の亀田教会の新しい聖堂では、昨日午後2時から献堂式が行われました。全体の模様は、新潟教区のホームページでまもなく写真が公開されることになるかと思いますが、その中から数枚だけをここでも紹介しておきます。

献堂式と一口で言っても実際にはいろいろな状況によって違いがあり、私自身も正式で盛式な(というのかどうか分かりませんが)献堂式は見たことがありません。建物が石やコンクリートであり、祭壇も同じく石などで固定されているのであり、そして献堂式で本当に初めて使われるようになるのであれば、荘厳な入堂やら聖堂内の壁に沿ってロウソクを何本かともして聖香油の塗油をしたりとか、いろいろあるようですが、多くの場合が木造であったり、祭壇は木で可動式だったり、すでに日曜のミサに使われていたりと事情があるために、そのほかの形式がいくつか式典書には用意されています。

亀田教会の聖堂は木造で、祭壇も木の可動式ですし、実際にはすでに日曜のミサに使われておりましたので、今回の献堂式では主に、説教のあとに、祭壇の奉献を中心に祈りを捧げました。下の写真が、その主な様子です。ミサのはじめから祭壇には布がかけられておらず、その前でまず奉献の祈りを唱え(これがかなり長い祈りでした)、次に祭壇の中央と四隅に聖香油を塗りました。続いて祭壇上に香炉を置き祈りを捧げてから香を焚きます。そのあと、祭壇に布がかけられて、復活のロウソクからとった火を主任司祭が祭壇上のロウソクにともしました。このあとは、ミサが普通通りに奉納から続けられました。Conseckameda04  Conseckameda06

|

2007年4月22日 (日)

亀田教会献堂式

Kameda 今日の新潟はあいにくの雨模様でしたが、午後2時から、亀田教会の新しい聖堂の献堂式を行いました。聖ヨセフに捧げられた新聖堂は、以前の聖堂を取り壊して、隣接する司祭館・信徒会館に増設する形で新築されました。以前は聖堂の入り口があった方に祭壇を持ってきて、入り口は信徒会館側に統一されました。天井も高く、床暖房も備えられて、明るい素敵な聖堂となりました。

亀田教会は50年ほど前に創立された、どちらかといえば新しい教会です。初代の主任は野田神父様(現在は見附で引退されています)、そして二代目が30年近く主任を務められた故・山田恵尚神父様、現在の山頭神父様が三代目の主任司祭となります。以前は亀田町でしたが、平成の大合併で、近頃新潟市に合併され、この4月からは新潟市江南区となりました。お隣の新津も新潟市内となりましたが、政令指定都市となった新潟において、今後定住人口が増加することが見込まれている地域です。亀田といえば、「亀田のあられ、おせんべい」の亀田製菓ですが、その隣接地には現在、それこそあのジャスコを中核としたイオンの巨大ショッピングセンターが建設中で、すぐ目の前にアピタを中核にしたショッピングセンターがすでにあることを考えれば、ビジネスの世界でも今後の人口増を見込んでいることが分かります。教会に隣接されている幼稚園と共に、亀田は今後の発展が望まれる地域だと考えています。

新聖堂はある日突然計画されたわけではなく、何年も前から信徒の方々が積み立てをしてきた結果として誕生したものです。建築にあたった新発田建設や本間大工さんへの感謝状でも触れられましたが、建築に要した6千万円は、ほとんどが小教区の信徒会で積み立ててきた資金でした。これからこの結束力を基礎にして、小教区の共同体が発展していくことを祈ります。

本日の献堂式は新潟県内の司祭16名ほどの共同司式でミサが捧げられ、各小教区の信徒代表の方も含め100名ほどが参加してくださいました。代表には米沢教会や、山田神父様のご兄弟である横手教会代表もおられました。なお亀田教会は、現在は60名ほどの小さな共同体です。(写真は新聖堂の外観。式の模様はまた明日にでも)

|

2007年4月21日 (土)

ジャスコを笑うものは・・・

「ジャスコを笑うものはジャスコに泣くぞ」とは「下妻物語」を彩る名台詞だそうですが、ジャスコには確かに大変お世話になってきました。たぶん今持っている衣料品の大半が、ジャスコで買い求めたものに違いないほど、名古屋にいる頃には近くにあったこともあるのでしょうが、ジャスコは本当に便利でした。確かに様々な種類の物が買えるという便利さはありますが、単に品揃えという問題ではなくて、レジに持っていって買うという、今ではどこでも当たり前の、スーパーマーケットスタイルが、私の心持ちをして安楽にさせしめるのであります。つまり、私は、デパートのようなところでの買い物がとても苦手なのです。そう思ったので、先ほど散歩のついでに、司教館から歩いて10分もかからない至極便利な立地条件に存在する三越と大和というデパートに足を踏み入れてみましたが、やはりだめですね。何も買えないか、本当は欲しくもない物を買ってしまいそうで。店員さんに語りかけられるのが苦手で苦手で、ついつい言われるがままに、命令に従うロボットの如く、買ってしまうのです。私と店員さんの微妙な距離感がどうにも量りがたくて、デパートでの買い物はとても苦手です。昔英語を習いに合衆国に行ったときは、「見てるだけです」というと、さっと放っておいてくれる店員さんの態度がとても嬉しくて、さりとて必要になって声をかければ徹底的に相手をしてくれる、あの距離感が、私にとってはありがたいものでした。

Kc280069_1 そんなわけでジャスコですが、残念ながら新潟では、少しばかり車で移動しないとジャスコはないので、もっぱら歩いていけるイトーヨーカドーにシフトしつつありますが、微妙に空気が違うのですねえ。いずれにしろ、そういうタイプの買い物が好きなので、例えば「ホームセンター」のようなところは大好きです。新潟に初めて車で引っ越してきたとき、高速を降りてバイパスをしばらく走り、インターチェンジを降りるところに大きなホームセンターがあって、感動したのを憶えています。ランドクラブという地元資本の巨大ホームセンターです。新潟に来てからもしばしば、足を運びました。そのランドクラブ新潟店が、なんと、まもなく閉店になると新聞に出ているではありませんか(新潟日報4月20日朝刊14版6面)。ランドクラブを運営する親会社は他のブランドで各地にホームセンターを展開していますから、そちらに集中するようで、それはそれでよいのですが、あの場所と雰囲気、好きだったのですけれど。新潟に住む人たちの年齢などの構成が、たぶん変化してきているのでしょう。マーケットの変化にあわせて、売る側も変化し続けていくのでしょうが、大きな倉庫をさまよって歩く買い物の雰囲気、好きなんだけどなぁ。

|

2007年4月19日 (木)

春爛漫

Ohatakoen0702 写真は司教館のすぐ近くにある、昔刑務所があったという大畑公園に咲き誇るチューリップと桜です。新潟は、ただいま春真っ盛りです。冬の間、どちらかといえば曇ったり雨や雪が降ったりと愚図ついた日が多く、太陽に照らされることがどうしても少ない新潟です。今日のような美しく晴れた暖かな日は貴重ですから、外へ出ない手はありません。まったく復活祭が春で良かったですね。新しい命への一歩を踏み出す。しかもその新しい命の季節は、前の年と同じようであって、しかし全然違う季節です。確かにいつもと同じようにカレンダーは進み、前の年と同じ花が咲くのだけれど、しかし確実に時間は歩みを進めていて、同じようだけれどもまったく異なっている「新しい時間」が過ぎていく。まさしく復活の命を象徴している季節であると感じます。教皇様も水曜日の一般謁見で、新しい命について、次のように述べられています。

『聖ルカは使徒言行録の序文でこう述べます。復活した主は「苦難を受けた後、ご自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示した」(使徒言行録1・3)。わたしたちはこのことをよく理解しなければなりません。ルカ福音書記者は、「ご自分が生きていることを示した」と述べるとき、イエスがラザロのように元のいのちに生き返ったといいたいのではありません。聖ベルナルドはこう述べます。わたしたちが今祝っている「復活祭」の意味は、「過越」であって、「回帰」ではありません。なぜなら、イエスは元の状態に戻ったのではなく、「境界を超えて、より栄えある」、すなわち、新しく、決定的な「状態へと移られた」からです。』(全文はカトリック中央協議会HPへ)

私たちの信仰は、そしてそれを具体化する私たち一人ひとりの人生と教会の歩みは、まさしく「回帰」する歩みではなく、常に「過越」ていく歩みです。常に新しくされる命の信仰に、生かされまた生きたいと思います。

|

2007年4月18日 (水)

教皇大使の教区訪問

駐日教皇庁大使アルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教による新潟教区訪問日程の一部が決まりましたので、お知らせいたします。

新潟教区は、新潟から秋田までの三県にまたがっており、新潟市から秋田市まで車で移動しようと思うと6時間はかかってしまいます。教区のそれぞれ一番端っこにある二つの教会(新潟の糸魚川教会と秋田の鹿角教会)を車で移動すれば、10時間はかかるであろうと思います。試したことはありませんけれども。そのため秋田・山形・新潟の全てを一度に訪問することはとても大変ですので、大使にはそれぞれの県を別々に訪問することを提案いたしました。現時点での訪問予定は以下の通りです。(決定済みで今回発表できるのは、秋田と新潟です。)

10月26日(金)から28日(日) 秋田県:この訪問では、10月27日(土)に予定されている、神言修道会来日100周年記念の秋田教会での行事に出席して頂こうと思います。また日曜日にはいずれかの小教区でもミサを共に捧げていただきたいと考えています。

11月2日(金)から4日(日) 新潟県:この訪問では、11月3日(土)に予定されている、新潟教会聖堂(司教座)献堂80周年記念行事に出席して頂こうと思います。また日曜日にはいずれかの小教区でもミサを共に捧げていただきたいと考えています。

なお山形県訪問に関しては、08年5月に予定されている米沢での福者殉教者のお祝いを中心にして計画する予定ですが、現時点で教皇様から列福がまだ発表されていないため、それを待ってから最終的に日程を確定いたします。なお上記二県と同様、金曜日から日曜日の訪問となる予定です。

|

殉じる

Byakkotai 教区司祭は恒例の御復活の遠出で、今年は会津若松のあたりに泊まりがけで出かけてきました。帰りに、旧会津藩の藩士の子どもの学校である日新館を見学しました。戊辰戦争の時にもともとの日新館は燃え落ちたのだそうですが、現在は復元されて、観光施設となっています。先頃テレビで白虎隊のドラマが放映されたこともあり観光地として人気があるのでしょう、雨模様にもかかわらず、観光バスが次々と訪れていました。(写真は飯盛山の白虎隊士の墓)当時の状態に復元された館内では、会津藩でどれほど立派な人間教育が行われていたかが理解できるように、映画、人形による再現、そして講釈をしてくださる講師と様々に解説の工夫がなされておりました。講師の先生によるお話には、大変興味深いものがありました。また、当時の会津藩が、武道の鍛錬や知的教育を重視していたとはいえ、その大前提として、まず人格教育をもっとも大切にしていたことを知り、感銘を受けました。確かに戊辰戦争の中で白虎隊のような悲劇があり、それが今で言えばセンセーショナルな出来事であるがために、ともすれば主君のために殉じるという行為こそが人格を育成する教育の究極の目的であるかのように取り上げることがありそうですが、私はそれを良いことだとは思えません。でも、それは結局は時代の流れの中でそういう結果となってしまったということであり、人格を育成することの本来の目的ではなかったのだろうと思います。日本人全員が武士であったわけではないのですから、武士道に生きる人たちには特に「命」に関して独自の理解があったことだとは思います。ですから一般化してしまうことは出来ないのでしょうが、しかし「殉じる」と言うことについて、多少、信仰者の生き方と通じるものを感じました。

すなわち、私たちの信仰の先達である殉教者たちも、決して殉教することが目的で信仰を深めたわけではなく、信仰を深めた結果のひとつとして、殉教がそこにあったと言うことではないのかと思うのです。つまり、確かに殉教することは尊いことではあるけれど、それが全てではなく、問題はそこに至るプロセス、信仰者としてどう生きるのかの方が、重要な信仰の目的ではないかと言うことです。どう生きるのか、どのように信仰を全うする「命」を生き抜くのか。信仰は、生きているものです。

現代世界における平和を求める象徴の一つとも言うべき長崎市にあって、2代にわたって市長が銃で襲撃されるという悲劇が起こりました。どのような背景があったにしろ、暴力によって目的を達成することは、規模の大小を問わず許されるべきことではありません。人間がその命をどのように生きるのかという重要な側面を無視して、行為の目的だけを優先させれば、命の価値は吹き飛んでしまいます。この国で問われるべきなのは、一人ひとりがそれぞれの人生をどう生きるのか、どのように生を全うするのか、という事であるような気がいたします。しっかりとした生き方をする人が集まれば国は美しい国と周囲から評されるのであり、決してそのような国を目的にして管理していくことではなかろうと思います。

|

2007年4月16日 (月)

国民投票法

いわゆる国民投票法が衆議院を通過して、今日から参議院での審議が始まると言うことです。「日本国憲法の改正手続きに関する法律案」というらしいです。個人的には憲法を改めるという行為自体には何も反対するところはないですし、憲法に定められた改正の手続きを具体化する法律を作ることにも、それ自体には反対する理由はありません。問題は改正の中身であったり、背後の意図であったりするのだと思います。

私は法律家ではありませんから、法的な問題について論じるだけの知識がありませんが、しかし通過したと言われた初めて、その法案(与党修正案)に目を通してみました。ですから以下は単に法律の素人の個人的な感想です。

手続きを定めたと言いながら、法案は「すべからず集」になっています。つくづく私たちの国では「個」が確立されていないんだなあと感じた次第です。個々人の権利とかそういうことより以前に、立法にあたる人からして、この国の大多数は個人の確たる意見に従うのではなく、大勢に流される傾向があることを前提にしているのだと言うことがわかります。国のあり方の根本を定め理想を掲げる基本法なのですから、一人ひとりが自分の考えを持つべきなのでしょうけれど、そうはいかないだろうから、「国民」がなるべく大きな波に飲み込まれないように、その波自体を発生させまいとする努力が法案には見られます。憲法の国民投票で贈賄があるなどと言うのもあまり考えられませんが、でもそれまでも心配して法律は作られています。

最低投票率が定められていないことにはいろいろと批判が集中しているようですし、それはその通りだと思いますが、これも「個」の確立していない様を現していて、たいそう興味深いものです。どうせ大多数は興味もなくて投票にはこないだろうなどと、立法者が考えているわけではないでしょうが、そんな雰囲気を醸し出しています。素人考えですが、最低投票率を定めないと言うことは、改正推進者よりも反対者に有利なのではないかと思ったりもしました。だってもともと選挙自体の投票率が低い国ですから、憲法改正に賛成の方々を動員するよりも、反対の方々を動員することの方が容易いのではないでしょうか。もちろん、賛成と反対の割合が拮抗しているときの話ですけれど。圧倒的に賛成が多いのであれば、反対の人をいくら動員しても追いつかないでしょうから。

そして一番興味深かったのは、この手続き法案は、肝心の投票については、ほんの少し定めているだけで、なにやら拍子抜けの、というか、法律に書くことが少なければ少ないほど、解釈を広くとる余地があるのでしょうから、そういうものであるということです。立法の議論の時に、議員の方々がいくら「そういう意図はない」と口で言って議事録にそう残っても、法律は一人歩きするのではないでしょうか。

私はかつて、憲法がクーデターで停止されたり、軍政が敷かれ議会が停止する中で訳の分からない法律が乱発されたり、その後新しい憲法が制定されるというプロセスを、アフリカの国で体験させていただきました。その意味では憲法が決して変更することの出来ない神聖な存在であるとは思いませんが、しかし憲法を改めると言うことは、すなわち「国のあり方」を変更することであることは体感しました。ですから、「現状にあわないから」などという理由で変えちゃうものではなく、もっと国家の理想論を求めて、どういう国にしていきたいのかという方向性を、国民の代表である議員さんたちには真剣に話し合っていただきたいと思います。「現状にあわない」という理由だけでは、もっと生活に密着している法律を変えることに躊躇した例が近頃いくつかありましたが、そのレベルをはるかに超えた国家の理想を掲げる基本法で、「現状にあわない」などという理由を持ち出されないようにお願いしたいです。

|

2007年4月14日 (土)

教皇様も80歳

教皇様は4月16日が誕生日で、今年で80歳になられます。お元気です。そこで明日の日曜日、前任のヨハネ・パウロ二世が定められた「神のいつくしみの主日」には、教皇様の誕生日を祝うミサがサンピエトロ広場で捧げられるそうです。また4月19日はベネディクト16世が教皇に選出されて2周年のお祝いでもあります。明日、復活節第二主日のミサの中で、どうぞ教皇様のためにお祈り下さい。また16日には教皇様の「ナザレのイエス」という著書が出版されるそうです。日本語版がすぐに出るのかどうか分かりませんが、どういう中身であるのか楽しみです。写真は05年11月、サンピエトロの一般謁見で(左)、06年9月にカステルガンドルフォにて(右)。

Img_0011_2_1 B16

|

2007年4月11日 (水)

そろそろ春本番

新潟もやっと本格的な春になりつつあります。今日はとってもいい陽気だったので、弥彦の方まで出かけてきました。空は晴れ渡り、日本海には佐渡島もはっきりと見える絶好のお出かけ日和でありました。

弥彦の駅は、何とも言えない風情があるというか何というか、非常に日本的なたたずまいの駅舎であります(下の左の写真)。そろそろ咲き始めたかなという感じの桜(下の右の写真。弥彦駅前です。)今週末が見頃かもしれません。ちょっと、気分転換に。

Yahiko0702 Yahiko0701

|

2007年4月10日 (火)

ローマと全世界へ

復活の主日の正午、教皇様は恒例の「Urbi et Orbi(ローマと全世界へ)」と呼び習わされているメッセージを読み上げられ、世界に向けて使徒的祝福をなさいました。教皇様の言葉には、時として非常に重要な政治的メッセージが込められていることがありますが、今回のメッセージは特に重要な意味を持っていたのではないかと思います。そのメッセージとは、ジンバブエのムガベ大統領に直接向けられたものです。

教皇様は、世界で頻発する災害や戦争の犠牲者たちについて言及する中で、次のように言われました。「ジンバブエは深刻な危機に苦しんでいます。そのためジンバブエの司教団は最近の文書で、事態を乗り越えるための唯一の道は、祈りと共通善のための共通の取り組みであると述べています。」

ジンバブエはかつてローデシアと呼ばれ、白人優位主義で知られた国家でした。国際社会からの激しい批判と内戦とも言える状況を経て、黒人にも国民としての権利が認められ、総選挙を経て1980年3月に黒人による国家ジンバブエとして再出発したのです。その初代の首相がロバート・ムガベです。ムガベ氏はその後1987年に大統領制に移行して自らが大統領となり、現時点でもその座についています。当初はアフリカの力強いリーダーとして注目を浴びたムガベ大統領でしたが、そのうちに徹底的な白人排斥政策をとり、特に近年は旧宗主国であるイギリスの過去の植民地支配を徹底的に追求するという政策を採り続けています。そのため国内では一定の支持を得ているものの、アフリカ以外の国際社会では厄介者扱いを受けていると言っても良いでしょう。

国内的には経済が壊滅状態にあるようで、ある資料では昨年あたりはインフレ率が1500%を超えていたとか。ちょっと想像も出来ません。共産政権が崩壊した直後のロシア的状況です。こうなると国内的には貧富の格差が激しく広がり、国民の不満が鬱積していたのですが、そこに2008年の大統領選挙が近づいてきたのです。もう対外的に奇行の多いムガベはたくさんだと、野党側の反政府運動も激しさを増しているのです。それに対してムガベ政権がとっているのは、警察などによる反政府運動の押さえ込みで、国際社会からは人権侵害への批判が高まっていました。

ジンバブエは約1200万の国民の一割がカトリック、全体では3割がクリスチャンといわれる国です。その国で働く8教区9人のカトリック司教団は、受難の主日にメッセージを発表しました。「主は圧迫されるものの声を聞かれる」と題されたこのメッセージで、司教団は現政権による人権侵害や富の富裕層への集中を批判し、ムガベ大統領の退陣や新しい憲法の制定を求めています。そして仮に政権側が聞く耳を持たない場合には、非暴力に徹するものの、司教団が先頭に立って全国的な抗議運動を展開すると警告しています。

この一連の司教団の行動を、教皇様は復活のメッセージにわざわざ取り上げることによって、バチカンが同意していることを内外に示したのです。教皇様は単にジンバブエの状況を嘆くのではなく、わざわざジンバブエの司教団が「文書」を出したことに触れ、しかも「祈りと共通善のための共通の取り組み」、すなわち全国的な抗議運動の展開が唯一の道であると司教団が考えたことを肯定しました。

ムガベ大統領は(一応は)熱心なカトリックです。彼の最初の婦人、サリー・ムガベはガーナ人でしたが、彼女も熱心なカトリック信徒でした。92年にサリー・ムガベが亡くなったとき、ガーナのタコラディ司教座聖堂で葬儀ミサが行われ、ムガベ大統領が参加されたのを憶えています。司教団のメッセージと、それを肯定した教皇様の声が、果たしてムガベ大統領には届くのでしょうか。

(なおサリー・ムガベの関係で、以前からムガベ大統領はガーナ政府と近いとも言われ、ガーナ政府がどのようにジンバブエに働きかけるのかも注目されるところだと思います。)

|

新津といえば

Jrniitsu 昨日は加茂からの帰り、鎌田師を訪ねるために新津を経由したのですが、新津といえば、昔は石油や鉄道で有名な町であったそうです。現在は新潟市と合併し、この4月からは新潟市秋葉区となりました。この新津で全国的に有名なところと言えば、JR東日本の新津車輌製作所であります。同製作所のホームページには、「新津車両製作所は、車両の計画から設計~製造~運用~メンテナンス~リサイクルに至る「車両トータルマネジメントの実現」を目標に、新潟県旧新津市にあった車両修繕工場(新津車両所)を車両新造工場として転換整備し、1994年10月に操業を開始しました」と記してあって、首都圏を中心に様々な新型車両を製造提供しているようです。

その中の一つが東京の中央線を走る新型車両E233系であります。東京駅の中央線ホームといえば言わずとしれたオレンジ色の国電型の名残を残す電車でありますが、これが最新式に入れ替わりつつあるのでした。そしてその車輌を、新津でも製造しているのです。ここから東京まで持っていくのも大変だとは思いますが、ちょうど通り道、旧新津市役所(いまは区役所か?)の目の前に製作所があり、出来上がった新型車E233系が留め置いてありましたので一枚。これだけの車輌を作る製作所が近くにあるのだから、新潟発着の電車もそろそろ更新していったらどうなのかしらと、期待するのでした。

|

2007年4月 9日 (月)

加茂白百合幼稚園入園式

Kamo0701 今日の午前中は、降りしきる雨の中、新潟県の加茂市にある加茂白百合幼稚園の入園式に出かけてきました。園長は新津と兼任の鎌田神父ですが、今回は体調不良のため、私が代理をさせていただきました。加茂白百合幼稚園を含めて新潟県内のカトリック幼稚園17園を包括する聖母学園の副理事長としての代理でしたが、かわいいお子さんたちにちょっと挨拶をさせていただき、お父様お母様にもお話をさせていただきました。幼稚園の行事は久しぶりでした。それにしても、どこでももう当たり前なのかもしれませんが、お父さん方がみんなビデオカメラを手にして式をくまなく撮影していたのにもびっくりしましたが、それ以上に、お子様方のお行儀の良いこと。泣きわめく子は一人もおらず、先生の言うことに耳を傾けずに走り回る子もほとんどいない。じっとしているのが大変な年代なのに、記念写真までほとんど無理なくこなしてしまう。何となく、びっくりでありました。入園式が終わってから先生方と食事をともにし、その足で休んでおられる園長の鎌田神父を訪問し、無事終了の報告をいたしました。鎌田神父はほぼ回復されて、来週くらいには現場に復帰できるのではないでしょうか。

3475485_2 ところで、女子パウロ会から、子どもといっしょにうたう賛美歌2「かみさまだいすき」というCDが発売になります。全部で15曲収録されています。さいたま教区の塩田師の曲、懐かしい山内修一氏の曲も含まれています。田中康一氏の「あの空はどうして青い」はいろいろに編曲して、学生時代にバザーなんかで良く演奏した歌でした。そして8番目に、私の作った「主と共に」を収録していただきました。解説には歌詞と曲の由来の一文も載せてあります。2,100円だそうです。興味がおありでしたら、どうぞお求め下さい。なおこの曲は昨年11月に発行された日本聖公会の聖歌集にも収録されています。

|

復活の主日07年

Eaters0701 復活の主日には、復活の卵がつきもので、何故つきものかはよく知りませんが、それでも昔から復活の日曜には教会で卵探しなんかがあって、きれいに塗られた卵が配られたりして、卵はやはり復活にはつきものであります。もっとも、以前働いていたガーナの教会の人たちは、サンタクロースを知らないのと同様、復活の卵も知らなかったので、どこかの「伝統」が持ち込まれたのでしょう。

それで、昨日の主日ミサでは聖体拝領のあとに、たくさんの卵を祝福いたしました。卵を祝福するためのお祈りもちゃんとあるんです。その祈りによると、卵は「死の枷(かせ)を打ち砕いて新しい生命に復活された主イエスのしるし」だと言うことで、「不信仰の古い殻を打ち破り」生きることを願っているのだと書いてあります。

Easters0702 そして写真は、昨日のミサのあと、信徒会館で行われたお祝いで、お別れの挨拶をする高橋神父です。高橋神父は叙階後2年間、新潟教会で助任を勤め、今回受洗された方の中にも高橋神父が勉強を担当された方がおりますし、また教区の青少年司牧を石黒神父と共に担当し、さらにこの度、教区の典礼委員長にもなっていただきました。これからも見附教会でよき司祭として務めていただきたいと思います。聖週間の新潟教会での典礼は、全て写真に収めれれて、新潟教区のホームページで公開されていますので、是非ご覧下さい。新潟教会はこの11月に献堂80周年を迎える由緒ある木造建築です。10年ほど前、故佐藤敬一司教様の時代に大改修をして、聖堂内は美しくなりました。特に夜の典礼では神秘的な雰囲気の溢れた聖堂で、私はここで典礼を行うのをいつも楽しみにしております。

|

2007年4月 8日 (日)

復活徹夜祭07年

新潟教区の皆様、御復活おめでとうございます。

Easter0702 新潟は穏やかで暖かなすばらしい天候に恵まれた復活祭となりました。ちょうど桜も咲き始めたところです。皆様の教会ではいかがでしたでしょうか。昨晩、土曜日の夜は午後7時から、新潟教会で復活徹夜祭のミサを行いました。いつものように正面玄関に七輪をおいて炭火をおこし、まずその火の祝別から式は始まります。復活されたキリストが暗闇を打ち破る光であり、また新しい命を告げる象徴として、火を祝別し、そこからとった新しいともしびをを復活のロウソクに移し、香炉にも新しい火を入れ、また参加者のそれぞれが持っているロウソクにも分けていくという、暗闇の中での神秘的な典礼です。暗くてよく見えないのかもしれませんが、火の祝別のあと、ロウソクを祝別しています。この時、司式者は手に鉄筆のようなものを持ち、ロウソクに記された十字架、年、アルファとオメガを祈りの言葉を唱えつつなぞっていきます。そのあとで同じようにして、赤い香の塊を(針がついていますから)十字架に刺していきます。祈りの言葉が途中で途切れてしまうのは、息が苦しいからではなく、一つひとつの手順に祈りのフレーズが割り振られているからで、特に、ロウソクに赤い香を刺すのは結構力の加減が難しいのです。しっかりと刺さないと、あとで行列の時などに、ぽろりと落ちることもありますので。(写真はロウソクに新しい火をともしているところ)

Easter0704 その後、出エジプトの出来事を中心にして旧約の朗読がいくつか続き、そしてやっと栄光の讃歌に至ります。新潟教会の聖歌隊は、今年もよく練習して、グレゴリアンの天使ミサを歌いました。この朗読は7つ用意されていますが、その全てに答唱詩編があり祈願があることから、全てが朗読されることは滅多にありません。しかし、水を通じて新しい命へ生まれ変わるというテーマ、そして神による目に見える形での救いを語り継ぐ朗読として、出エジプト記のファラオの軍団から逃れて紅海を渡る話を外してはいけません。

今年の新潟教会の徹夜祭では、5名の方が洗礼を受けられました。女性が4名と男性が一名。男性はお母様と一緒の受洗でした。皆さん、二年以上にわたって定期的に教会での勉強を続けてこられ、やっとこの日を迎えましたから、感激もひとしおであったと思います。洗礼を受けられた皆さん、本当におめでとうございました。(写真は復活のロウソクを洗礼水に浸して、水の祝別の祈りを唱えるところ)

Easter0705 本日、日曜日の午前中のミサには、昨晩洗礼を受けられた方、また遠方からおいでになったその御家族や、普段はいろいろな事情もあってなかなか教会においで頂けない方々など、多くの方がミサに出席され、久しぶりに聖堂は一杯でした。また新年度から見附教会の助任司祭として赴任する高橋学神父の、今日は送別会でもありました。ミサのあとに、信徒会館ホールで、洗礼のお祝いと高橋神父の送別会をかねて、御復活の祝賀会が催されました。今年はちょうど御復活が新年度の始まりにあたりました。皆様のこの一年が、本当にすばらしい年になることを祈っております。(写真は、昨夜の受洗者と代父・代母の方々)

|

2007年4月 7日 (土)

聖金曜日07年

昨日は聖金曜日でありました。主イエスが十字架につけられて亡くなられ、墓に葬られたことを記念する日です。この日、ミサは行われず、特別に用意された典礼が執り行われます。新潟教会では昨晩7時から、主任司祭の大瀧師の司式で、聖式が執り行われました。

Img_3223 聖金曜日の典礼は、昨日から続き明日へと繋がる一連の中で行われますので、始まりの歌も言葉もありません。入堂した司祭は、ひざまずくかひれ伏すかして、しばらく沈黙を守ります。昨晩の新潟教会では、司祭は完全に床にひれ伏して沈黙の祈りを捧げました。その後、すぐに祈願が唱えられます。「祈りましょう」も言いません。朗読のクライマックスは、ヨハネによる受難の朗読です。受難の主日と同様、三人の朗読者と会衆の参加もあって、あたかも再現劇のように行われます。なぜなのかは分かりませんが、私は小学校に通っていた子どもの頃、この朗読を耳にして、ある部分がとても心に残ったのを記憶しています。それは「それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている」というところで、この物語の迫真性をなぜかこの言葉で悟ったのでした。

大瀧神父様の短くもしかしはっきりとした説教のあと、盛式共同祈願がありました。招きの言葉をフェルディ師が歌い、引き続いて大瀧師が祈りを唱えました。ミサ典書には縦書きの祈りの言葉の右横に、音程が小さな黒丸の数で示してあります。何もついていないと「ソ」。一つで「ラ」。二つだと「シのフラット」です。この表示システムはかなり便利な発明であると思います。ほとんどこの三つの音で推移するのですが、実はまったく外から音をもらわずにこれを歌い出すのはかなり難しいのです。司祭になる人が全て音楽に秀でているわけもなく、ましてや日本語を母語としていない司祭にとっては、かなり練習を必要とする歌でもあります。ですから昨晩は全国の教会で、様々な招きの言葉の歌が聴かれたことだと想像します。

Img_3237 さてそれが終わると十字架の礼拝です。十字架を顕示するには、覆いで隠して三回に分けて少しずつ覆いをとっていく方式と、覆いなしで聖堂のなかを行列しながら三回にわたって高く捧持する方式があります。ここで三回歌われる歌は、伝統に従ってこれまた一度ずつ高くなっていきます。この一度ずつというのが、難しいんですね。「見よ、キリストの十字架、世の救い」と歌うのですが、一度目をあまり高く始めると三度目の「世の救い」が絶叫調になるし、かといってあまり警戒して一度目の「見よ」を低く始めてしまうと、それはそれでぼそぼそになるし。昨夜の新潟教会は行列しながら高く捧持する形式をとり、フェルディ師はかすかなオルガンの助けもあり、無事三度を歌いきりました。(下の写真が、ミサ典書の歌唱指示の一例です)

Img_0905 その後御聖体が運ばれてきて主の祈りを唱え、聖体拝領が行われます。そして拝領祈願ともうひとつ、会衆のための祈願(祝福と派遣)があり、また沈黙のまま聖金曜日の典礼は終わりとなりました。

聖土曜日は唯一典礼の儀式が存在しない日です。そして日没後、典礼上は翌日ですから、御復活の徹夜祭が行われます。新潟教会では午後7時から私が司式で行いますし、ミサ中には5名の方の洗礼式も予定されています。今夜のミサは聖堂の玄関口で真っ暗にした中で、光の祭儀から始まります。正面玄関はそのために閉鎖されますので、お早めにおいでになるか、左右の入り口をご利用下さい。また復活は私たちの信仰のもっとも中心にある大切なお祝いです。参加できる方には、ご自分がその一員である小教区共同体の中で共に祝うことはとても大切なことです。信仰は自分一人のものではなく、小教区の共同体の絆の内に存在しているからです。また様々な理由から参加できない方も、心において一致を心がけるようになさってください。

|

2007年4月 6日 (金)

清心中学高校入学式

本日は聖金曜日でしたが、聖金曜日の聖式の模様は明日アップすることにします。本日、午後1時半から、新潟清心女子中学高校の入学式が執り行われました。今年は新中学生が37名、新高校生が97名入学いたしました。残念ながら定員を満たすことは出来ていませんが、それでも元気なお嬢さんたちが体育館に勢揃いでした。つい数日前に中学の卒業式でお会いした生徒さんたちも、無事、高校に進学でした。新入生の誓いの言葉は、高校一年生は中学から上がってきた生徒さんで、これまでの経験を踏まえた上での立派なお話でしたが、なによりも中学一年生の誓いの言葉には、驚かされました。はきはきとなぜ自分が清心を選んだのかということをしっかりと述べられて、これからの抱負もかなりしっかりとしたお話で、感心いたしました。入学式にはいつものように、学園理事長を務められているシスター渡辺和子がおいでになり、祝辞を述べられました。先日全国の新聞に全面広告が掲載されて、シスター渡辺のお話の録音が販売されるくらいですから、お話はとてもお上手な方です。入学式後には保護者の方々にも、ゆっくりとお話をされたようです。清心は新潟には一つしかないミッション校ですから、人数が少ないとはいえ、ここで初めて神と出会う子どもたちの心を、豊かに育んでいただきたいと願います。

|

聖木曜日07年

Hth0701 昨日は主イエスが最後の晩餐において聖体の秘跡を制定されたことを思い起こしながら、聖木曜日の主の晩餐のミサが捧げられました。教会は古来の伝統に従って、聖木曜日には会衆の参加しないミサを捧げることを禁じております。年度初めの平日の夜ということもあり、どうしても信徒の方の参加は少なめになってしまいますが、ミサの原点ともいうべき出来事の記念のミサですし、古来からの伝統によってこの日のミサの奉献は貧しい人を助けるために行われるとされている、大切なミサであると思います。古くから伝わる「ウビ・カリタス・エト・アモール(愛といつくしみのあるところ)」が歌われるのも、この奉献の時であります。「四旬節・愛の献金」の原点は、この日のミサで具体的な「もの」が、貧しい人たちのために奉献されたというところにあります。またミサの間に、最後の晩餐における主イエスの模範に倣って、洗足式も象徴的に執り行われます。諸事情で参加できない方々のためにも、祈らせていただきました。

Hth0703 この日のミサは終わることがありません。通常のような最後の祝福も言葉もありません。交わりの儀の終わりとなる拝領祈願のあとに、御聖体を小聖堂へ移す行列と、聖体礼拝が行われ、典礼は復活徹夜祭で締めくくられるまで継続するのです。ですから聖金曜日の典礼には、はじめの言葉もなく終わりの言葉もありません。復活徹夜祭も火の祝福から唐突に始まります。聖なる三日間は連続しているのです。

この日ミサのあとで聖堂の装飾は一切片付けられ、祭壇布も取り除かれます。御聖体が安置されるところだけは、ふさわしく飾りがなされています。聖金曜日は受難の聖式があり聖体拝領も行われますが、聖土曜日は典礼暦の中でこの日だけミサが行われず、聖体拝領も行われない日となります(緊急の場合を除く)。なお典礼の暦は日没と共に翌日となりますから、復活徹夜祭は聖土曜日に行われるのではなく、日曜日の典礼です。

Hth0702 新潟教会でも昨晩7時から、主の晩餐のミサを捧げました。伝統に従い12人の男性に前に出ていただき、洗足式も行いました。男性が12人も前に出てしまうと、会衆席には多少の寂しさが漂ってしまいましたが、それでも60人以上の方が参加してくださいました。

拝領祈願後に御聖体を小聖堂へ運び、8時半から9時半までは信徒の方々が、そして9時半から10時半までは修道者(シスター)と司祭が、それぞれ聖体礼拝を行いました。ちなみに伝統に従い新潟教会では毎年御聖体を小聖堂へ運ぶ際には最後にラテン語でタントゥム・エルゴを歌います。ご存じの方はご存じの通り、よく使われるメロディは結構素早く展開するために、ラテン語の言葉が途中でついて行かなくなる歌であります。神学生時代にはタントゥム・エルゴの前半部分であるパンジェ・リングワも歌いましたが、こちらに至っては日頃よく練習をしているはずの神学生でも、途中で言葉が追いつかなくなってしどろもどろになる。ポピュラーな割には難しい歌であります。そして昨晩もやはり、途中で崩れそうになりながらも、新潟教会の聖歌隊は何とか持ちこたえ、歌いきったのでした。

新潟教会では今夜、聖金曜日の聖式が、午後7時から行われます。受難の朗読、盛式共同祈願、十字架の礼拝など、普段のミサとはまったく違う典礼が行われますので、どうぞご参加下さい。なお今夜の司式は、主任司祭の大瀧神父です。(なお聖週間の典礼の全体的写真は、新潟教区のホームページをご覧下さい。司教の説教は順次、私のホームページの「司教のページ」にいつも通りに掲載していきます)

|

2007年4月 4日 (水)

07年の聖香油ミサ

Img_3100 本日午前10時から、新潟教会において、聖香油ミサが捧げられました。教区で働く司祭団が司教と共にミサを捧げることによって、一致を目に見える形で現し、同時に主による司祭職制定に感謝しながら自らの叙階の日を思い出して、叙階の誓いを新たにする日です。またこのミサの中では、司祭の秘跡執行に不可欠な油の祝福と聖別も行われます。距離の問題もあり、秋田からは代表として横手教会のオマン師だけの参加でしたが、それ以外の地区で働くほぼすべての司祭が集まりました。また本日は、新潟教会だけではなく新潟県内の教会や山形教会からも信徒の方の参加を頂きました。ありがとうございます。

ミサでは説教に続いて、司祭団は叙階の誓いを新たにします。これにはいくつかの形式があり、現在の日本語訳では司教の呼びかけに応えて沈黙の内に誓いを新たにする祈りを捧げることになっていますが、翻訳作業が進められている改訂版では、司教の問いかけに司祭団が答える形が採用される予定となっています。ここで司祭は、原点に立ち帰り、主から与えられた使命を再確認します。

Img_3147 奉献の際に三人の司祭が祝福・聖別される油を運んできて司教に渡します。奉献文の終わりに、まず病者の油の祝福が行われます。聖体拝領祈願が終わると、司教は祭壇前に準備されたテーブルに進み出て、まず洗礼志願者の油を祝福します。それに続いて聖香油の聖別です。司教は用意されたオリーブ油に香料を注ぎ、さらに容器を手に持って口を近づけて息を吹き込みます。そして聖別の祈りです。長いです。祈りはたいてい感謝をしてから記憶を述べるのですが、ここではなんといっても天地創造から始まります。オリーブの木を作ってくださったこと、ダビデ王のこと、ノアの洪水のこと、モーセとアーロンのこと、そしてイエスのヨルダン川での洗礼に至ります。そして「こうして、ダビデの預言は成就し、キリストはすべての兄弟を越えて喜びの油を注がれている方であることが示されました」と結びます。

ここで参加しているすべての司祭が、油に向かって右手を差し伸べます。祈りを唱えながら司教は、十字架のしるしをもって油を聖別します。続いてこう唱えます。「この油はキリストのとうとい名にちなんでクリスマと名づけられ、あなたはこれを祭司・王・預言者・殉教者の上に注がれました。」長い聖別の祈りは、旧約から始まって今に至るまでの歴史の流れの中で働き続ける神の力を実感させるものとなっています。規則では聖香油にはオリーブ油、または事情に応じて植物性の油を使うことになっていますが、混ぜる香料は、伝統的にバルサムが使われますが、指定はされていません。バルサムは常温では固まっているので、油と混ぜるのがとても難しいのですが、今回はそれ以外の液体状の香料を使ってみました。

新潟教会の明日は、聖木曜日、主の晩さんのミサが午後7時から捧げられます。

|

2007年4月 3日 (火)

信教の自由

日本のカトリック司教団は、先日の臨時司教総会を通じて、「信教の自由と政教分離に関する司教団メッセージ」を発表しています。このメッセージは、それでも長いものだと思いますが、読んでいただけなければ意味がないので、なるべく短くまとめる努力をしたつもりでおります。しかし短くする分、もう少し丁寧に説明したいと思うところに手が届いていない部分もあります。それをカバーするために、社会司教委員会は、3月26日に「信教の自由と政教分離」と題する小冊子を発行いたしました。一部が630円だそうです。

現在17名いる現役の司教には、教会法博士だったり神学博士だったり、いろいろと専門分野に秀でた方がおいでですが、会議の場などになると、良くもこれだけ回転の速い頭脳がいくつもあるものだと、驚いてしまうことがあります。私は仕事柄、開発援助系のことについては多少の知識があるものの、それは今のところあまり役には立っていませんが、今回は信教の自由と政教分離について知識の深い司教がたが、執筆されております。内容的にはそれぞれの担当司教の範囲で深まった記事になっていますので、必ずしもメッセージの解説というわけではありませんが、メッセージの背景を知る手がかりにはなるかと思いますので、ご一読いただければ幸いです。

さらに、日本カトリック諸宗教委員会では「祖先と死者についてのカトリック信者の手引」を再版し、3月23日に発行しました。これは1985年に制作された小冊子で、「祖先や死者に関する行事において、カトリック信者はどう対処したらよいか問答形式で解説」(中央協ホームページから)しているもので、158円とお安くなっています。こちらは実生活の上で直面する様々な宗教的現実に、どのように対処するかをわかりやすく解説している便利な手引きですので、これまたどうぞご一読下さい。いずれも、教会の売店などでお求めいただくか、またはカトリック中央協議会のホームページをご覧になって下さい。

なお司教団メッセージで取り上げられている問題について、私自身の考えていることは2006年8月に「殉教者の足跡・2」として書いたとおりです。http://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/diary/2006/08/post_2243.html

明日は聖香油ミサ。10時から新潟教会で行われます。

|

2007年4月 1日 (日)

聖園天使園から新潟天使園へ

新潟市は今日から政令指定都市となりました。新潟司教館も、これまでの住所に「中央区」が加わります。市内各所ではそれに伴って、様々な記念式典や開所式などが行われました。午後3時から、教会でも一つの開所式を新潟市内で行いました。

Tenshien0701 新潟市の青山(今日からは西区青山)にある児童養護施設「聖園天使園」は昨日で閉園となり、本日から新たに「新潟天使園」として開所いたしました。「聖園天使園」は藤沢に本部のある聖心の布教姉妹会(修道会)が母体となっている社会福祉法人聖心の布教姉妹会によって運営されてきました。聖心の布教姉妹会はもともと新潟教区長であったライネルス師(神言会)によって創立された日本の修道会です。そのため秋田や新潟で教育や医療・福祉事業に広く取り組んでこられました。新潟で児童福祉の仕事を始められたのは、なんと72年も前のことです。ところが後継者の数が限られてきたという現実と会員の高齢化のため、修道会では取り組む事業を福音の光に照らされながら見直し、整理にあたってこられました。その流れの中で、聖園天使園も新たな運営主体を探してこられました。

様々ないきさつがありましたが、幸い新潟教区では見附において長年にわたり児童福祉の施設運営に取り組んでおりましたので、同じカトリック精神に基づいた福祉事業と言うこともあり、またカトリック教会の事業の火を絶やさないという願いもあり、教区が母体となっている社会福祉法人新潟カリタス会がその運営を引き継ぐことになりました。とりわけ現在の社会事情の中で、児童を保護する施設はその必要性がますます高まっています。神がわたしたちに託された命の尊さを実践を通じて伝えていきたいと思いますし、豊に育んでいきたいと思います。

新潟カリタス会の理事長は私が務めており、また実務には真壁神父様があたっておられます。今日から新潟カリタス会は見附と新潟の両方に施設を持つことになりました。新潟天使園の園長には、見附から異動していただいた高野さんが就任されました。本日の式典にはこれまでの運営にあたられた聖心の布教姉妹会の後藤理事長、新潟県や新潟市の関係者の方、また本日新しく開所したばかりの新潟市児童相談所の堀井所長にもおいで頂きました。今後ともよろしくお願いいたします。

|

受難の主日(枝の主日)

Palms0702_2 今年の聖週間が始まり、本日は受難の主日です。ミサが始まる前にイエスのエルサレム入城、すなわち受難への序曲の始まりを思い起こしながら、枝をもって行列をする習わしになっておりますので、枝の主日とも呼ばれます。このため本日のミサでは、福音朗読が二度あります。ミサ前の行列が始まるときに、イエス入城の朗読がおこなわれ、ミサ中には受難の朗読があります。この二つが同じ日に朗読されるというのは、非常に意義深いものがあります。イエスを王として歓呼の声の内に迎える群衆の姿と、(まったく同一人物ではないでしょうけれど)十字架につけてしまえと叫ぶ群衆の姿の対比。人の心がどれほど外の力にもてあそばれてしまいやすいかがはっきりと分かりますし、自分で決めているつもりでいながら実は何かに操られていることに気がつかない人の限界を、この二つの話に見て取ることが出来ます。

受難の朗読については、近頃は「聖書と典礼」には、司祭を含めた三人の朗読者以外に、参加している会衆も声に出して読む箇所が設定されています。何となく変な感じで事前に打ち合わせしていないとうまくいかないのですが、でもこの朗読が会衆に割り振られているというのには、それはそれで意義のあることだと感じます。神の子イエスが十字架上でその身を捧げられたのは、昔のユダヤの人たちだけのせいではなく、誰か他人のためでもなく、まさしく私たち一人ひとりの罪のためであったということ、すなわちイエスの受難の現在的意味を身に感じるために、あの言葉を口に出すことは重要だと思います。今日は新潟教会でミサを捧げました。信徒会館から聖堂まで小規模ながら行列を行いました。

さて先日嬉しい話と書きましたが、本日のミサで新潟教会の皆様には紹介しましたので、ここで教区の皆様にもお知らせいたします。

Palms0701_1 新潟教区は高橋学師が叙階されてから神学生不在でありましたが、この度、仙台教区の平賀司教様のゆるしを頂き、仙台教区の坂本耕太郎神学生が新潟教区へ移籍となりました。私と同じ岩手県出身の坂本神学生は、今年度(07年度)から、新潟教区神学生として東京の神学院で勉強を継続します。なお坂本神学生は神学3年となりますので、順調に進展すれば、2年ほどで司祭叙階が期待されます。皆様のお祈りをどうぞよろしくお願いいたします。なお神学院は春休み中ですので、御復活の主日まで新潟教会での聖週間の典礼に参加します。(写真は挨拶をする坂本神学生)

|

« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »