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2007年4月16日 (月)

国民投票法

いわゆる国民投票法が衆議院を通過して、今日から参議院での審議が始まると言うことです。「日本国憲法の改正手続きに関する法律案」というらしいです。個人的には憲法を改めるという行為自体には何も反対するところはないですし、憲法に定められた改正の手続きを具体化する法律を作ることにも、それ自体には反対する理由はありません。問題は改正の中身であったり、背後の意図であったりするのだと思います。

私は法律家ではありませんから、法的な問題について論じるだけの知識がありませんが、しかし通過したと言われた初めて、その法案(与党修正案)に目を通してみました。ですから以下は単に法律の素人の個人的な感想です。

手続きを定めたと言いながら、法案は「すべからず集」になっています。つくづく私たちの国では「個」が確立されていないんだなあと感じた次第です。個々人の権利とかそういうことより以前に、立法にあたる人からして、この国の大多数は個人の確たる意見に従うのではなく、大勢に流される傾向があることを前提にしているのだと言うことがわかります。国のあり方の根本を定め理想を掲げる基本法なのですから、一人ひとりが自分の考えを持つべきなのでしょうけれど、そうはいかないだろうから、「国民」がなるべく大きな波に飲み込まれないように、その波自体を発生させまいとする努力が法案には見られます。憲法の国民投票で贈賄があるなどと言うのもあまり考えられませんが、でもそれまでも心配して法律は作られています。

最低投票率が定められていないことにはいろいろと批判が集中しているようですし、それはその通りだと思いますが、これも「個」の確立していない様を現していて、たいそう興味深いものです。どうせ大多数は興味もなくて投票にはこないだろうなどと、立法者が考えているわけではないでしょうが、そんな雰囲気を醸し出しています。素人考えですが、最低投票率を定めないと言うことは、改正推進者よりも反対者に有利なのではないかと思ったりもしました。だってもともと選挙自体の投票率が低い国ですから、憲法改正に賛成の方々を動員するよりも、反対の方々を動員することの方が容易いのではないでしょうか。もちろん、賛成と反対の割合が拮抗しているときの話ですけれど。圧倒的に賛成が多いのであれば、反対の人をいくら動員しても追いつかないでしょうから。

そして一番興味深かったのは、この手続き法案は、肝心の投票については、ほんの少し定めているだけで、なにやら拍子抜けの、というか、法律に書くことが少なければ少ないほど、解釈を広くとる余地があるのでしょうから、そういうものであるということです。立法の議論の時に、議員の方々がいくら「そういう意図はない」と口で言って議事録にそう残っても、法律は一人歩きするのではないでしょうか。

私はかつて、憲法がクーデターで停止されたり、軍政が敷かれ議会が停止する中で訳の分からない法律が乱発されたり、その後新しい憲法が制定されるというプロセスを、アフリカの国で体験させていただきました。その意味では憲法が決して変更することの出来ない神聖な存在であるとは思いませんが、しかし憲法を改めると言うことは、すなわち「国のあり方」を変更することであることは体感しました。ですから、「現状にあわないから」などという理由で変えちゃうものではなく、もっと国家の理想論を求めて、どういう国にしていきたいのかという方向性を、国民の代表である議員さんたちには真剣に話し合っていただきたいと思います。「現状にあわない」という理由だけでは、もっと生活に密着している法律を変えることに躊躇した例が近頃いくつかありましたが、そのレベルをはるかに超えた国家の理想を掲げる基本法で、「現状にあわない」などという理由を持ち出されないようにお願いしたいです。

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