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2007年5月15日 (火)

懐かしい写真が

Ghanamass2 先日66歳で心臓疾患のため突然亡くなられた神言会の吉田聖神父は、長年、海外宣教へ派遣された神言会の会員を支援したり、国内で宣教への意識を深めていただくような情報提供を主な職務とする、宣教事務局長の任にありました。私がガーナに派遣されているときも、こちらがリクエストするよりも前にあれこれと心配してくださり、募金を始められたりして、いろいろな形での支援をしていただきました。また当時、3ヶ月に一度の程度でガーナから日本へ送っていた「ガーナ便り」という通信は、吉田神父を通じて様々な人に届けていただいておりました。これはその後、当時まだ存在したカトリック移住協議会(解散)から、他の宣教者の手紙と共にまとめられて一冊の本になり、「こんにちは」のタイトルで出版されました。

亡くなった吉田神父の居室を整理していた会員から、私に関係するものが残されていたとの連絡を受け、新潟まで送っていただきました。当時ガーナから送っていた手紙や「ガーナ便り」の原稿が、吉田師一流の几帳面さで残されていました。また何枚かの写真パネルも含まれており、その中に、とても懐かしい一枚がありました。(冒頭の写真)私が担当していたオソンソン教会は20を超える巡回教会がありましたが、そのうちの一つでミサを捧げているところです。

中心教会のオソンソンと、隣村のセケスア、さらにちょっと離れたエヒアミンチリという三カ所の村には500を超える信徒がそれぞれ所属しており、しっかりとした聖堂が建っていました。それ以外の村ではそれぞれ100人程度の信徒だったと思います。聖堂が建っているところもあれば、この写真のように、仮の小屋がけの下でミサや礼拝を行うところも多くありました。大変だったのは雨期の間です。午前中早くに雨が降ることはあまりないものの、お昼近くから午後には必ず雨が降り出します。村の人たちは、朝まず畑に出かけてからミサにやってくるので、これが時間との闘いでした。もっとも、いらついていたのは私だけで、みんなのんびりとやって来る。ミサの途中で雨が降り出し、近くの民家の軒先にカリスなんかを抱えて避難して、そこでミサを続けたこともありました。ミサ後には必ず病人訪問がありましたが、何故か病人は聖堂からはるかに離れたところに住んでいることが多く、しかも車が入れない。歩きました。本当によく歩きました。おかげで、今とは比べものにならないくらい、引き締まった体でした。今にして思えば、まだ30歳前後でしたから、何とも思わずに毎日挑戦できたのだろうと思います。住んでいた司祭館には水道も電気もなかったのですから、夜もゆっくりするわけでもなく寝るしかない、という、何とも早寝早起きの毎日でした。

商社などの駐在員の方には、「ボランティアですか」と尋ねられたこともありました。確かにそういう風にしか見えなかったでしょうね。福音宣教の「使命」などということを、説明するのは難しかったですから。

Kolkata そういえば、そうやってボランティアをするために海外へ出かけていこうと考える人は増加しているようです。名古屋で私の知人が関わっている旅行代理店でも、今では普通の航空券手配などでは利益が出ないため、特色のある個人旅行の手配へ大きくシフトしているようですが、その中の一つに、海外でのボランティア体験旅行の手配があるというのです。早速そのホームページを見てみたら、なんとカルカッタ(コルカタ)のマザーテレサの修道会で、ボランティアに参加するという旅行まであるではないですか。こういう旅行形態も、これからは増えてくるのかもしれません。(ちょっと宣伝になってしまいました。写真はコルカタにあるマザーテレサの修道会、本部修道院聖堂の、マザーテレサが生前いつも座っていた場所におかれている像の前で。P.S. マザーテレサ修道院へのボランティア旅行手配があるので驚いたのは、この知人や旅行会社が、キリスト教とは何も関係のない方や会社だからです。)

海外へ出かけないまでも、未知の領域へ足を踏み入れる勇気はいつも忘れないで持っていたいと思います。イエスの福音を宣べ伝えることは、常に今の安定を捨てリスクを背負って未知の領域へと足を踏み入れることを伴っていると思うのです。

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