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2007年6月14日 (木)

新潟教区司祭の集い

Shisaitaikai07 毎年恒例の「新潟教区司祭の集い」が、6月11日午後から13日お昼まで、新潟県胎内市のロイヤル胎内パークホテルを会場に開催されました。この集いは教区司祭だけではなく、新潟教区で働く修道会司祭も含めた全ての司祭の集いで、奇数年は新潟県で、偶数年は秋田と山形県の持ち回りで開催されることになっています。昨年は秋田県側の鳥海山で行いましたので、来年は山形県内での開催です。今年の集いには、ほぼ全員にあたる29名が参加してくださいました。

今回の集いでは、6月1日に教皇様によって列福が宣言されたペトロ岐部と187殉教者について理解を深めるため、列福調査特別委員会の委員でもある長崎教区の古巣神父様においで頂き、二日間、神父様の講話と質疑応答を行いました。古巣神父様がとてもお話上手であることは、以前に黙想会の録音を聴いて知っていましたが、直接聞くのは初めてで、期待に違わず、いつまでも終わらないお話もあっという間と感じるほどの興味深い話でした。語り口もさることながら、話の構成や、的確な指摘、随所にちりばめられた聖書の引用と、感動的な話。そして時には軽い笑いも。完璧です。初めて伺う歴史的な話もありました。殉教は、単に英雄的な行いがあったということを称えるのではなく、彼らがどのように信仰を生きたのかを学び、それでは今の私たちがどのように信仰に生きるのかを考えなければ、顕彰の意味はないと感じました。つまり「死」を中心に殉教を考えるのではなく、「生」を中心にして殉教を考える必要性を感じました。「死」自体は結果であって、それが殉教者の目的ではない。「死」が目的であるならば、テロリストの自爆と変わらないことになる。教えに殉じること自体が問題ではなく、今の命から永遠の命へ至るまで、一本の柱がしっかりと通っていて、それに従いぶれることなく生き抜くことの方が目的であり、迫害による「死」はその結果でしかない。いかに信仰を生き抜くかが問題である。その通りだと思いました。これから新潟教区でも殉教者を顕彰していくのですが、その中心は、英雄的死を称えることではなくて、今を生きる私たちがどのように生きるべきなのかを学ぶことにあると考えます。

古巣神父様のお話がすばらしかったので、さっそく山形などの地区でも、講演を依頼しておられるようです。また今回の司祭の集いでは、米沢出身で、現在信徒宣教者会からカンボジアに派遣されている高橋真也君と漆原事務局長にもおいで頂き、高橋君の活動と信徒宣教者会の活動について、興味深い話を聞かせていただきました。さらに多くの若者が、信徒宣教者として挑戦してくれることを願います。そして日本のカトリック教会の貴重な宝ともいうべき信徒宣教者会(JLMM)を支援していきたいとも思います。

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