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2007年6月28日 (木)

弱いのは人の心

いったいアフリカの、例えばガーナと、今の日本と、どっちが「治安がよいのか」と尋ねれば、さあてどっちとお答えになるでありましょうか。そもそも「治安」なるものが実は客観的には何を指しているのか、よく分からないではありませんか。仮に「凶悪な犯罪」が少ないことだとした場合、一般的に私たちはどうやって「凶悪な犯罪」の多寡を知るのでしょう。そういえばどこかで指摘されていたのを、かすかに記憶していますが、摘発された「犯罪」の数だけでは、「治安」の良し悪しを比較することは難しい。というのも同じ行為が「罪」になるかどうかはその国の法律によって異なっているし、警察などの捜査能力が低ければ知られずに済んでいる犯罪も多くある可能性がある。そういうような指摘であったように記憶しています。

そこで「凶悪な犯罪」に限るならば、どう見ても今の日本の方がとてつもなく「治安が悪い」といわざるを得なくなります。しかしながら、どうしてそうなのかと考えれば、結局のところその要因は、報道の質と量の違いにのみあるのです。日本の一度も訪れたこともないような、自分が住んでいるところとははるかにかけ離れた場所であっても、交通事故にはじまってありとあらゆる事件が詳細に、時には現場からの中継を交えて、毎日のように報道される。そうすれば当然、年中身の回りは事件だらけであります。ところが、今現在は多少改善されているものの、かつてガーナにいたときには、各地で起こっている事件をいちいち報道する体制が何もない。毎日の国営放送のニュースは、当時の国家元首である暫定国防評議会議長がどこでどんなスピーチをしたかなどばかりで、事件の報道は何もありませんでした。すると不思議なもので、なにやらとても平穏無事な安全なところのようなイメージになるのですね。

でも実はよく思いだしてみますとね、ガーナに8年間生活していた間に、自分の生活範囲内で、少なくとも2回の殺人事件があったのです。いま日本に戻ってきてから10年以上が経ちましたが、自分の生活範囲では幸いにも殺人事件は一度もありません。すると実際には、日本の方が、「私とって」は治安がよいのでは無かろうか?そう、問題は、「私にとって」ではないでしょうか。結局、「治安」とは、「私がどう感じるのか」というあやふやな存在で、そのあやふやな感じは、誰かが増長させる方向で操作しやすいのであると言うことだろうと思います。イメージに左右されやすい、弱い人間の心であります。(ブラジル人の方が、日本のある地で、宅地購入を断念せざるを得なくなったというニュースを目にして、感じたことでした。)

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