« 明日から司教総会 | トップページ | 背負いきれるか、重荷を。 »

2007年6月20日 (水)

強行採決は、ありません。

月曜日からはじまった司教総会。三日目の今日は、しばし議論から離れて、司教の勉強会の一日とされています。毎年、6月の司教総会では、中日の水曜を「司教の集い」というタイトルで、様々な課題について理解を深めるための勉強会の日とするのを恒例としています。集いのテーマは、事前の常任司教委員会で、様々な委員会からの提案を受けて決定されています。今回は、午前中を、カリタスジャパン・HIV/AIDSデスクの主催で、「日本でのHIV/AIDSの現状、及び事態の深刻さと重大さ」というテーマでの勉強会としました。HIV/AIDSデスクでは、このきわめて現代的な問題を、なかでも無知と偏見によって深刻さが認識されていない事態を目の当たりにしながら、これまでも教会の立場から啓蒙活動を行ってきました。講演会を開いたり世界エイズデーにメッセージを発表したり、国際カリタスのこの問題の担当者とも連絡を取りながら、活動してきました。今回は、これから日本においてさらに深刻さをますであろう事を想起して、各教区での取り組みを考えて頂くために、司教の勉強会となりました。

勉強会には、つい先頃まで東京都福祉保健局健康安全室感染症対策副参事を務められていた東京都職員の飯田真美さん、HIVと人権・情報センターの塩入康史さん、同センターで働くシスター重久マチの三人に、日々の体験を分かち合って頂き、さらに倫理神学の立場から福岡サンスルピス神学院院長の牧山強美神父さんにコメントを頂いて、司教の意見交換も行いました。

性的な問題であるがために、どうしても教会という環境ではこの問題に正面から取り組むことがはばかられる雰囲気があったり、問題を性教育の内容やコンドームの是非という点にだけ収斂させ、肝心の当事者たちの命と人生に目を向けることを忘れてしまったりすることがしばしばあるという点を、特に反省させられました。全国に広く学校を展開しているカトリック教会としても、性教育をどのように現実にふさわしく提供していくのかは、真剣に考えなければならない問題ですし、根幹に潜む差別的な意識にどのように立ち向かっていくのかも、真剣に考えなければならないのだと思います。

私自身にとっては、ちょうどこの病気が注目を浴び始めた1983年に、英語の勉強のため滞在していたシカゴの教会で仲良くなった聖歌隊の隊長が、その後エイズを発症し亡くなったという経験が、この病気との出会いでした。さらに司祭になって派遣されたガーナの教会では、経済と結婚慣習の問題のために、隣国で売春に従事せざるを得なかった女性たちを中心に、山奥の村でも、多くの方々がこの病気に苦しみながら命を失っていく現場で働いてきました。当時、ウガンダはこのままで行ったら国が滅びるとまで言われ、国家的プロジェクトとしてWHOと共にキャンペーンが行われていましたが、そのころはまだ一部の国の問題であるようにアフリカの多くの人も思っていたのかもしれません。取り組みが早かったウガンダは一応の危機を脱したのですが、しかしいまやHIV/AIDSはアフリカ全体の存在を脅かす大問題となってしまいました。この病気が発見された当時の状況から、あたかも同性愛者だけの病気のようなイメージが出来上がり、今でもそう思っている人も多いのかもしれません。同時にあまりにアフリカで広がっているために、先進国の問題ではないとも思われているのかもしれません。しかし、実際には誰でもどこでも、すべての人が感染し発症するリスクの中で生きているという意味では、他のどのような病気とも変わりはなく、それがために広く連帯して対応が求められるのだと考えます。無関心で放っておいたとしたら、性の問題だからと物陰に隠し込んでしまったら、最悪の場合、気がついたら私たちの国は、そして世界は存亡の危機に瀕しているような事態にまでなるやもしれません。真剣に考えねばならない、グローバルでありローカルな問題だと思います。これからもカリタスジャパンのHIV/AIDSデスクを中心に、教会の立場からできる限りの対応を考えていきたいと思います。

ところで昨日の司教総会では、主に典礼の翻訳の問題を取り扱いましたが、同時にこれから三年間の司教さんたちの様々な担当についても決定がありました。私はカリタスジャパンの責任司教となりました。つまりカリタスジャパン委員会の委員長です。担当司教には東京の幸田司教が任命されました。これから三年間、二人で取り組んでいきたいと思います。私たちの国の国会では連日、委員会の強行採決が繰り返されているようですが、さいわい、司教総会ではその必要は、ありません。

|

« 明日から司教総会 | トップページ | 背負いきれるか、重荷を。 »

司教の日記」カテゴリの記事