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2007年8月31日 (金)

夏は終わった、でしょうか?

新潟は雨模様で、何となく涼しい一日でした。このまま夏は終わってしまうのか。涼しいのは歓迎ですけれど。それにしても雨はあまりにも集中的に降るものですから、豪雨時には一階の下水が逆流気味なのがちょっと不気味です。

8月が終わり9月というと、どうしても学校時代の記憶のせいか、休みが終わって再始動のような思いがします。もっとも今では8月でも別に休んでばかりいるわけではないのですけれども。でも何となく8月は自由になる時間が普段より多いというわけで、9月に提出しなくてはいけない「宿題」のなんと多いことか。来年のシノドスのための準備(リニアメンタ)への回答書作成とか、12月のバチカン訪問(アド・リミナ)のための報告書作成とか、9月末のサンスルピス神学院での神学生黙想会の準備とか、その直前にある母校、名古屋の南山高校男子部文化祭での講演の準備とか、いろいろありました。幸いリニアメンタへの回答では新潟のある信徒の方の大きな貢献もあり、大瀧事務局長が格好のつく回答を作成してくれました。ご協力に感謝します。

明日は聖体奉仕会の新潟地域会員の静修指導、来週は5/6日とカリタスの会議と常任司教委員会で東京、週末は鶴岡教会でミサ。その後10/11日と教区の顧問会は山形県内で、12日から14日まで連続してカリタスの会議でまた東京へ。16日の日曜は午前に山形で堅信式と午後に新庄でミサ。翌17日に秋田の土崎教会50周年記念式典と、行事が目白押しです。あちこちで、あまりにも内容には互いに関連のない会議が続くので、ついていくのが大変なのですが、そういうときにこそ、それぞれの背後にある事務局の存在が大切であると感じます。様々な事務局の方のサポートに感謝しながら。

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神言会の日本管区長、再選

私が所属する神言修道会の全世界の宣教地は、その歴史と規模にあわせて「準管区」や「管区」に区分けされています。日本の宣教は1907年に秋田から始まり、今年が100年となるのですが、この日本の宣教地も日本管区として位置づけられています。管区の責任者を管区長と呼び、その任期は3年と定められています。管区長を選出する方法にはいくつかの選択肢があるのですが、日本の場合は、まず予備選挙を行って候補者リストを作成し、本選挙の開票はローマの総本部で行うという形式にしています。ちょうど今年はその選挙の年にあたります。現在の管区長は、任期途中で総本部顧問となった前任者の任期を引き継いではいるものの、この12月31日で任期切れとなります。(ちなみに司教となった私は、司教任命の時点で修道会内の被選挙権も投票権も失っているのですが、かろうじて結果だけは他の会員と同じく教えてもらえます)

8月28日に行われたローマでの総顧問会で開票作業が行われ、現在管区長を務める市瀬英昭神父様が次期管区長として再任されました。おめでとうございます。神言会は、新潟教区において現在は、秋田地区の宣教を主に担当してくださっています。

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2007年8月30日 (木)

本日の雑感

先日お伝えした異人池に関する絵本「ある池のものがたり」の原画展は、10月26日から29日までの午前10時から午後4時まで、新潟カトリック教会の信徒会館二階ホールで開催されます。主催者は「NPO堀割再生まちづくり新潟」となっております。どうぞおいで下さいませ。

さて先週末は鎌倉の由比ヶ浜教会を訪問して、主日のミサを共にさせていただきました。湘南地区では一番小さな小教区といいながら、聖堂も新潟教会より大きいし、信徒数も700人以上と新潟教会と変わらない。これが地区で一番小さいのですから、横浜教区は大きな教区ですよね。由比ヶ浜教会は活気に満ちあふれており、土曜の夜には主任司祭を囲んで30代から40代の信徒が数多く集まり、遅くまで持ち寄った料理を頂き、おいしいワインを飲みながら、いろいろと語り合いが続きました。これまたうらやましい。そしてそのメンバーがそっくり日曜のミサに出てくる。ミサでは米沢の殉教者のお話をさせていただきました。

昨日も市ヶ谷あたりから呼び出されたので東京へ出かけましたが、上越新幹線の沿線の景色の中に、いつもなにやら気になることがいくつかございます。その一つについて。

老人保健施設なのでしょうか、「悠楽里」と大きく建物に記してあります。これって「ゆっくり」と読むのかどうか。もしそうだったら「夜露死苦」で「よろしく」というあの世界の漢字表記でもあるまいし、ちょっとこじつけにすぎません?外から初めて電話でもするとき、普通の人はその読み方に困って躊躇しないですかしら。

実話に基づいたフィクションですけれど、なにやらファミレスの気恥ずかしいメニューを想起いたしました。例えば、フルーツ入りのヨーグルトが食べたいなと思ってメニューを見ると、「ヨーデル王妃の宝石箱」とあったらどうします。必死に逡巡してそして意を決して、とても若い店員さんに「この、ヨーデル王妃の宝石箱を下さい」という恥ずかしさ。それに鉄槌のごとき打撃を加えるのが、「はいヨーグルトですね」という返事。それなら最初から、例えばフルーツ入りヨーグルトって書けばいいじゃないですか。「ヨーデル王妃の宝石箱」と口にしようなどと決意をするまでに費やした精神的エネルギーをどうしてくれる。ちなみにこのデザートは「びっくりドンキー」に実在しますが、ちょうど見つけたので名称をお借りしましたが、背景の実話はびっくりドンキーさんではありません。

話が全然まとまりませんが、いずれにしろ、あまり素直に読めない名称とかやたらと形容詞の多い名称は、対象が広ければ広いほど避けた方がよいのではないかと思ったのでした。

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2007年8月28日 (火)

異人池と教会

Imura 7年以上にわたって、司教館の主に週末の台所を担当してくださった井村さんが、「体力の限界」のため本日で退職されました。若い頃は海外を回る貨物船で腕をふるっていた船乗りシェフらしく、豪快な料理でしたし、時たま聞かせてくれる当時の海外での思い出話は、それはそれは興味深いものがあり、楽しい時間を共にさせていただきました。司教館の食事は、私だけではなく引退されている神父様や新潟教会の司祭館のメンバーも含めてのことですから、多いときには8人分の準備をお願いしなければなりません。年齢の違いや食事制限もあったりして、準備をしてくださる方には大変であろうと感謝しております。(写真は今晩の夕食に御礼を渡しているところ)

ところで本日の夕方6時半頃のTeNy(テレビ新潟)の夕方のローカルニュースの特集では、新潟教会と司教館裏のヴィアンネ館が何度も写り、信者さんもインタビューされていたのですが、ご覧になりました?かつて新潟教会のすぐ横にあったという「異人池」についての特集でした。殊にこの異人池を取り扱った絵本「ある池のものがたり」(三芳悌吉作)が、先日地元NPOの尽力で再刊されたこともあり、昔ながらの新潟の情緒ある風景が注目を浴びている中で、異人池への関心も再び高まっているようです。その昔、海外からきた宣教師(たぶんパリ外国宣教会の司祭たちでしょう)が教会のすぐ脇に掘った井戸が源になって、この池が誕生したのだと言います。その後80年前に池の畔には現在の双塔を持つ新潟教会が建立され、異国情緒がいや増したことだったのでしょう。戦後、だんだんと池は小さくなり、衛生上の観点からも最後には埋められてしまったようです。現在、ちょうどそのあたりで新しいマンションの建設が進んでいます。数週間前には新潟日報に、教会前にある中央消防署と毎日新聞支局などを移転して、教会前を公園のようにしたらどうだろうという話も掲載されていました。このような関連で、新潟教会に多くの方が関心を持ってくださることはすばらしいことですし、出来る限り教会も協力していくようにしたいと思います。

かつての異人池の畔に建つ双塔の新潟教会は、今年が献堂80年です。献堂80年にあたり、11月3日午前11時から、教皇大使を招いて記念のミサが行われます。また同時に11月3日から17日までは記念の写真展が、11月16日19時と17日14時半には、聖堂でパイプオルガンとソプラノ歌唱のコンサートも開催されます。新潟教会にお問い合わせの上、どうぞお出かけ下さい。そういえば、上記の絵本の原画展も開催されると聞きました。

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2007年8月27日 (月)

教区神学生合宿

Awashima01 新潟の沖合、日本海に浮かぶ島と言えば、勿論「佐渡島」が有名ですが、新潟にはもう一つの島が存在いたします。佐渡島よりももう少し北の日本海に浮かぶ周囲が23キロほどの小さな島、粟島(アワシマ)です。新潟市から車で1時間半ほど北上した村上市の近くにある岩船港から、フェリーに乗って一時間半。高速船ならば55分です。島全体が一つの村になっており、基本的には東海岸(船着き場がある方)と西海岸の二カ所にのみ集落があり、全人口は400人に及びません。主に漁業と、夏場の海水浴や通年の釣り客などを迎える観光で成り立っている島です。村役場のホームページにもこう書いてあります。「真っ青な海、緑の野山、雄大な景観、日本海に沈む夕日、 美味しい海の幸、キャンプに釣り、海水浴、天然温泉……などなど、 周囲約20kmの小さな島、粟島には、大自然と「島」 ならではの魅力が溢れています」

Awashima06 この風光明媚な島で、先週8月23日と24日の二日間、新潟教区の神学生合宿を行いました。といっても新潟教区の神学生は坂本耕太郎神学生ただ一人ですから、ちょうど新潟教会に滞在していた神言会のパウロ神学生にも参加してもらいました。同行者は教区の養成担当司祭でもある大瀧神父と私です。(写真はパウロ神学生と坂本神学生。名物のわっぱ煮をいただいた食堂の前にて。なお教会関係の施設はありませんから、民宿に泊めていただきました。)

Awashima05 海のない地の出身であるパウロ神学生は、一時間半も船に乗ること自体が初めて。しかも前日の低気圧の影響で、揺れること。船室に横たわって完全にグロッキーでした(左の写真が粟島汽船のフェリーで、これ以外に高速船が一隻)。それにしても粟島の人たちの、客を迎える笑顔とおしゃべりには感激しました。お昼に名物の「わっぱ煮」を食べに入った食堂では、まるで昔からいるような親戚を迎えるかのように、お店のおばあちゃんが地域のお話を詳しく聞かせて下さったり、村役場でレンタル自転車を貸してくださった係の方も、丁寧に島巡りのルートを教えてくださったり、道ばたで三輪自転車に乗って話しかけてきたおばあちゃんが、次から次から繰り出す世間話と三輪自転車の自慢話でなかなか離してくれなかったり。泳ぎに行った海岸の浜茶屋では、飲み物を買っただけなのに、おいしいつまみの魚を食え食えと持ってきたり。決して普段は体験することのない人との関わりをさせていただける、とても素敵な島でありました。

ちなみに名物のわっぱ煮とは、わっぱの中にスープとぶつ切りの魚を入れて、熱く焼いた石(玄武岩でないと石が割れて危険だそうです)を入れて一気に煮るという豪快なお料理。ちなみに島のおばあちゃんたちの必需品は、三輪自転車。ちなみに、フェリー乗り場の待合所二階にある食堂は、どう見ても「ヘヘヘヘヘ喫茶食堂」にしか見えなかったです。写真は全部一番下。

Awashima02 二日目は体力増強と健全な心身育成のために、村役場で自転車を借りて、島内半周サイクリングに出かけました。途中で二カ所は自転車を押して坂を上らなくてはならないという、役場の方のコース説明でした。あとは楽に乗っていけると。いえいえ、きっと私たちの体力が衰えているためなのでありましょうか。自転車を押して歩くところはもっとありました。日頃の運動不足もあり、ほぼ2キロ弱おきにある展望台では、階段を上るのもつらいほど、膝が笑いっぱなしでありました。鹿児島の司教様のように、私ももうちょっと鍛えた方がよいかもしれません。それでも残りの三人において行かれることもなく、熱中症にもならず、無事に粟島半周できました。昔は野生の馬が住んでいたという島の裏側は、本当に美しい海と緑でした。島は自転車半周で2時間強。道はすべて舗装され、通過する自動車もほとんどありません。(島の外からの自動車は、基本的にはいることが出来ません)。完全に一周すると3時間以上かかるという話でした。自然の中での、すばらしい二日間の合宿でありました。

Awashima04_2 Awashima03_2

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2007年8月21日 (火)

京都・ノートルダム小学校へ

Notre0701 久しぶりに京都まで出かけてきました。新潟から伊丹まで、全日空のあのプロペラ機(ボンバルディア)で飛び、そこから京都駅まで高速バス。2時間と少しであっという間に京都でした。目的は京都市にあるノートルダム小学校(経営母体はノートルダム教育修道女会)の職員研修会。昨日、20日の朝8時半から、夜の懇親会まで、70名を超える教員と職員の皆様と一日を過ごしました。私の二回の話を聞いていただきしばらく黙想の時間。昼食のあとにグループに分かれて「わかちあい」。各グループからの発表を聞かせていただきましたが、毎日の教育活動からのすばらしい体験のわかちあいになっていました。その後夕方のミサで研修会は締めくくり。教職員の中には10名ほどの信者さんがおられました。これからミッションスクールがミッションスクールとしての性格をしっかりと保ちながら生き残っていくためには、信徒の教職員のみならず、働いてくださる方全員が、ある程度の共通理解としてキリスト教精神を知っている必要があるのではないかと思います。その意味でも、丸一日を使って、祈りと黙想の日を持つことは大切であろうと思います。研修会には女学院高校の校長も兼任される理事長シスターも参加してくださいました。私は名古屋にいる頃、10年ほど前になりますが、この小学校の6年生修養会でお話をさせていただいたことが二度ほどあります。その後、女学院高校の一年生の黙想会を長年担当させていただいておりました。当時小学6年生の担当をされている先生方の、国際的な視野の広さに驚いた記憶があります。当時の先生方にまたお会いできました。

それにしても、昨日の中華航空の火災事故には驚きました。実際にそういった事態に遭遇したらさぞかしパニックになるだろうなと思ってしまいます。90秒ルールとはいえ、737のサイズだからこそスムースに行ったのかもしれませんし、もっと大きな飛行機だったらどうなっていたでしょう。また夜のニュース映像で、脱出した乗客の多くが、ご自分の手荷物を持っておられたことを不思議に思ったのでしたが(通常、脱出の際には荷物を持たないようにといわれる)、すでに駐機場に到着して降りる準備に入っていたとのことで、それも当然だと納得しました。

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2007年8月18日 (土)

教区保育者研修会開催

Hoikusha07 昨日、8月17日の午後から本日、18日のお昼まで、新潟市内のホテルを会場に、教区カトリック保育者研修会が開催されました。今回で37回目となる研修会には、主に新潟県内のカトリック幼稚園や保育園の園長と先生方、職員、さらに山形と秋田からも、130名を超える参加者がありました。「かけがえのない一人ひとりを育む」というテーマに従って、カトリック幼稚園で働く者としての共通意識を新たにする二日間でした。

研修会ではまず第一日目に、新潟青陵大学教授で臨床心理学がご専門であり、また新潟大学教授時代に附属幼稚園長も務められた間藤侑先生に「個を尊重した幼児理解」というテーマで、非常に具体的なお話を頂きました。これに基づいて二日目には、グループに分かれての話し合いとその発表、そして私による「まとめ」、最後に感謝ミサというプログラムでした。

昨年11月、司教団の学校教育委員会は、「カトリック幼稚園の使命を果たしていくために」と題した文書を二部構成で作成しました。一部は経営に携わっている人たちに向けて、もう一部は実際に保育に携わる教職員向けのメッセージです。危機的現状を指摘し、将来への十分な備えを求め、意識と機構の改革を促す文書です。このメッセージが出された背景は、やはり召命の減少に端を発する後継者不足のために、戦後から今に至るまで各地の教会で幼稚園園長としてリーダーシップをとってきた司祭や修道者が減少しているという現実があります。新潟教区でも、今現在は概ねすべての幼稚園や保育園で司祭や修道者が園長を務めてはいますが、10年後を考えると同じような手当が出来るかどうか不安が残ります。そのような現実の中で、これまで各園の「カトリック」としての性格を支えてきた支柱とも言うべき司祭・修道者が仮にいなくなったときに、何を持って「カトリック」の性格を維持していくのかという問いに応えていかなければなりません。殊に、大多数の先生方は、カトリックの信者ではありません。そうなりますと、将来も「カトリック」としての性格をしっかりと保持し続けるために、リーダーシップをとれるような人材を養成していくことと、法人としての組織を強化して、各園の運営と保育をバックアップするような体制が不可欠になります。これは口で言うのは簡単ですが、これまで長年にわたって、各園の園長である神父さんや、経営母体である修道会の存在に頼り切ってきた歴史が、大きな改革に踏み出すためには、立ちはだかる壁ともなりえます。神言会が直接携わる秋田県の学校法人、イエズスマリアのみこころ会が直接携わる山形県の学校法人、教区司祭とフランシスコ会の合体でもある新潟の学校法人。この三つがバラバラに将来を考えるのではなく、新潟教区の司牧方針の枠組みの中で、どのように将来へ向けて準備していくのかを考えていただかなくてはなりません。その手がかりとして、今年中、または遅くとも今年度中に、新潟教区としての幼児教育への基本方針を、明文化して発表したいと考えています。

今回の研修会は、これまでと変わって、司祭園長が企画するのではなく、主に新潟の主任先生たちが集まって、いろいろと企画して下さいました。昨晩は夕食のあとに主任会議を開催し、いろいろと意見交換をいたしましたが、これからの幼稚園・保育園のより良い運営のために、これからも力を貸していただくことになる方々であると感じております。

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2007年8月16日 (木)

青少年の集い

070817b 本日夕方から土曜日まで、新潟教会信徒会館を会場に、青少年の集いが開催されています。今回は新潟県内の若者が中心になってプログラムを自分たちで考え、担当司祭の一人である高橋師の指導の下、14名が集まりました。一番下は11歳から上は20歳過ぎくらいまで。中学生と高校生が一番多いでしょうか。前回同様、何となく集まって、ふわりと始まり、私も呼ばれたのは夜の9時頃。ギターの伴奏で歌がひとしきり終わったところで、リーダー役の若者の呼びかけで、4つのグループに分かれて、「わかちあい」が始まりました。正直、うれしい驚きでありました。自分たちで、まるで当たり前のようにして、わかちあいが始まる。すばらしい。それぞれのグループがテーマを与えられて30分ほどのわかちあい。私が参加したグループは、「どうして教会に行くのか」というテーマ。まずまず、若者たちの興味深いわかちあいが続きました。頼もしい。そのあとに、少しだけお話をさせていただきました。最後はお祈りと歌で本日のプログラムは終わり。

070817a 世の中には、例えばホームレスの人を襲撃してもそれが当たり前と考えるような価値観を持って育て上げられた同年代がいる中で、神の価値観を大切にする若者たちがいることは、奇跡に近いのかもしれません。この若者たちが、今の感性を大切にして、伝えていくことが出来るように、手助けをしたいと思います。写真は、参加者の一人が書いてくれた、似顔絵(?)

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2007年8月15日 (水)

聖母被昇天

070815a 暑い一日でした。皆様の地域ではいかがですか?本日は8月15日、聖母被昇天の祝日でした。そして終戦記念日でもあり、また私の霊名のタルチシオの祝日でもあります。今日は新潟教会で、午前10時からミサを捧げました。暑かったですね。新潟教会の内陣はステンドグラス窓であけることが出来ないため、風が通らないのでありまして、いやはや、暑いのなんの。特に普段通りに祭服をしっかりと着込んでミトラまでしていますから、暑いなんてものではなく、何となくぼーっとするのですね。きっと毎年同じように、「今年は異常に暑い。最高に暑い」と言っているのかもしれません。人間は身勝手な者ですから、いつも今が一番大変だと思っているし、過去はすぐ忘れるし。でも、それにしても、今年は確かに暑いのではないでしょうか。

070815c_2 今日のミサでは、大人の洗礼がお一人ありました。洗礼、おめでとうございます。新しい兄弟・姉妹の誕生ほど、うれしいことはありません。洗礼式があるときのミサは普通のミサより加えての荘厳さとなりますから、まあ、いっそう暑さが増したのも事実ではありました。大 人の洗礼式の時は必ず諸聖人の連願が唄われます。今日のミサでは、坂本・パウロの両親学生が朗々と荘厳に歌ってくださって、その間に何度、気が遠のきそうになったことか。ミサには120人を超える方々が参加してくださいました。もちろん終戦記念日でしたから平和のためにも祈り、加えて私の霊名の祝日でもありましたから、皆様からお祈りを頂きました。お祈り下さった方々、霊的花束を下さった方々、お祝いの言葉を下さった方々、感謝いたします。

070815b ミサのあとには、新潟教会恒例のバーベキューパーティーがありました。恒例は大汗をかきながらのバーベキューとかき氷、そして生ビールにそうめん。こどもたちによるスイカ割りもありました。生ビールは、毎年思うのですが、注ぎ方が難しいですね、泡ばかりになって。でも皆さんで楽しい一時を過ごすことが出来ました。写真は教区司祭の最長老である三森神父様です。今日も元気にバーベキューパーティーに参加してくださいました。三森神父様は数日前に誕生日を祝われ、今年で90歳になられました。これからもお元気で過ごされますように。

新津教会の鎌田神父様は腰の具合が悪く、本日の午後に手術を受けられましたが、1時間ほどで無事終了し、成功したとの連絡を頂きました。素早い回復をお祈り申し上げます。

明日から三日間、新潟教会を会場に青少年の集まりが開催されます。また17日と18日には新潟のスターホテルを会場に教区の保育者研修会が開催されます。

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2007年8月14日 (火)

交通事故

お盆の帰省ラッシュのなか東名高速で、渋滞の最後尾にバスが突っ込んで、母親と生後6ヶ月の娘さんが亡くなるという痛ましい事故がありました。帰省ラッシュは一段落したものの、ユーターンラッシュや休暇中の慣れない土地での運転などは、この時期まだまだ続くことですから、運転には自分もそうですが、普段以上に気をつけて安全を心がけたいと思います。今日も、酒田へ向かう海岸沿いの国道7号鶴岡市内で、帰省旅行の乗用車が大型トラックと正面衝突して二人が亡くなるという事故があったと報道されています。国道7号は、海岸沿いを曲がりくねりながら進む、比較的狭い片側一車線対面通行の道ですから、特にカーブではセンターのはみ出しに注意が必要な道だと、いつも感じながら運転しています。

ところでその渋滞に突っ込んだバスの運転手は、渋滞情報の電光掲示に気をとられて、ブレーキが遅れたと述べていることが報道されていました。それだけが原因かどうかは分かりませんし、比較的高いバスの運転席であれば、もっと早くから渋滞に気がついても良さそうな気もするのですが、他にも要因は多々あるのかもしれません。ただこれを聞いて思い出したことがありますので、記しておこうと思います。全国的なのかどうかは分かりませんが、少なくとも北陸道や関越道の新潟県内では、随所に横が50㎝程度の横長長方形の小型電光掲示板が設置されています。道路の左側にあるのですが、これが「小型」であるが故に、一度に表示できる情報量が極端に少ない。走り抜ける自動車で読めるようにするのですから、4文字程度しか表示できないのです。すると当然なことに、文章が完結しません。横に流してみたりするのですが、一瞬で読み取れはしないので、どうしても気になると見つめてしまうのです。あれは危険きわまりない。本当にあそこに表示する注意メッセージをドライバーに伝えたいのであれば、あの方式は逆効果です。かえって、何が表示されるのだろうと注意を引き、次の文章を待ってある程度見つめさせることによって、逆に「脇見運転」を助長していることにしかならないような気がします。ためしに、一文が完結する時間を計り、その間に時速80から100㎞で走る車がどれほど進んでしまうかを計算すれば、意味があまりないことに気がつくのではないでしょうか。「注意!」という表示だけでを点滅させるのであれば、意味はあるのでしょうが、文章の表示はやめるべきだと思います。

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死者を悼む

Kc280026 昨日夕方には、教会の墓参が行われ、寺尾と日和山の両墓地で祈りが捧げられました。私も新潟教会近くにある日和山の墓地へ出かけ、大瀧主任司祭や集まった数名の信徒・シスター方と祈って参りました。また夏休み中の坂本神学生(教区)、パウロ神学生(神言会)の二人も一緒でした。丁度お盆の時期ですから、普段はひっそりとしているこの地域も、時ならぬ交通渋滞となっていました。特に新潟教会のある周辺は南北にお寺さんがずらりと並んでおり、それぞれの墓地を訪れる人が、花を手に町にあふれかえっております。私たちも墓地で聖歌を歌い、聖書に耳を傾け、ロザリオも祈り、香も焚きましたが、すぐお隣からは読経のひびきもあり、各宗教入り乱れての祈りの雰囲気でした。線香のにおいといい、読経のひびきといい、夏の雰囲気であります。

さてこの時期に日本にいれば、先に亡くなられた方々の追悼ということを、どうしても考えさせられます。他の宗教の死者に関する行事に参加することについて、信仰に反するのかどうか、逆に社会生活上不可欠だとかいろいろな議論があります。そう言った疑問に答えるために、1985年に諸宗教委員会が「祖先と死者についてのカトリック信者の手引き」を作成し発行しています(税込み158円、中央協議会)。そこにはまず、教会の生者と死者の関係についての教えが、次のように記されています。

「キリストの神秘体に属する人たちのうち、ある人はすでに神の栄光を受け、三位一体の神を直観し、至福のうちにいますが、ある人たちは地上の生活を終えて清めを受けており、また、ある人たちはこの地上にあって週末の栄光に向かって旅路を続けています。死者と聖者とは異なった状態におかれていますが、同じ「キリストのからだ」に属しています。ですから、神の愛と隣人愛によって、霊的交わりのうちに固く結ばれているのです。」

第二バチカン公会議の精神に従えば、キリストの復活の秘儀へ与ることは、「キリスト信者ばかりでなく、心の中に恩恵が目に見えない方法で働きかけているすべての善意の人たちについても言うことが出来る(現代世界憲章22)」とされます。同時に第二バチカン公会議は、「これらの宗教の中にある真実なものと、聖なるものを退けない(キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言2)」として、諸宗教との対話のうちに、福音的価値観を見いだし、共に真理を目指す必要性も説いています。その精神に沿って、他の宗教で行われる伝統に従ったふさわしい方法での死者の追悼を否定する必要はありません。

さてそのような前提の上で、この「手引き」には、様々な具体的な指針がQ&Aの形で記されています。基本的にはカトリック者としての自己同一性をしっかりと自覚しながらも、他の宗教の儀式を否定する必要はないということになるのでしょう。但し、常に自らの信仰の立場を明らかにして、不必要に他の宗教に妥協するべきでもないことも教えています。親戚や家族の中で自分一人がカトリックである場合などは特に、自分以外の方々の宗教心を尊重し、礼を失することのないような対応が求められるのは言うまでもありません。もちろん現在でも根本的には主の十戒に変更があるわけではありませんから、同上「態度についての宣言」でも、「しかしながら教会は絶えずキリストを告げ、また告げなければならない」と釘を刺している事を忘れてはなりません。

以下、昨年の8月17日の日記に書いたことの繰り返しです。

 「他の宗教の儀式であっても、家族や親類縁者の方々との関係、または隣近所のお付き合いの中で、積極的な参加が求められることも多いことでしょう。そのときにも、他の宗教への尊敬を持ちながら、しかし出来る限り自分の立場を明らかにして、自らの信仰と良心に基づいて、賢明な行動をとりましょう。しかしそれは、自らの信仰を妥協させて積極的に関わるという性質のものではなく、あくまでも、自分と他の人たちとの関係の中での出来事であることに留意するべきです。ご家族が、親類縁者の方々が、亡くなられた方々に思いを馳せながら、神社などに参拝に出かけていくとき、同行することは、個々人の自由です。どのような形で自らの信仰を表現するのかも、基本的には個々人の良心の自由の問題です。政治的な問題は、もちろん様々な課題がそこにはあるとはいえ、今語りたいこととは全く別次元の問題です。
 しかしそうであっても、決して忘れてはいけないことは、私たちの教会は、キリシタン時代から始まって今に至るまで、数限りなく流された殉教者の血とその苦しみの上に成り立っているということであり、その信仰の先達に導かれる私たちは、その苦難の歴史を、無にしてはいけないということです。そして、その必然性もないのに、請われたわけでもないのに、自ら進んで自分の信仰を妥協させるような行動をとることが、私たちの信仰の先達の神の御前における尊い犠牲を蔑ろにするということに思いを馳せたいと、私は一人のキリスト者として思います。」

なおこれに関連して、近頃、しばしば耳にする問題が一つあるので、それについて一言記しておきたいと思います。すなわち巷間言われる1936年の布教聖省訓令においてバチカンが「靖国神社」を認めているという指摘です。歴史的背景や、当時バチカンにまで問い合わせをせざるを得なかったほどに追い詰められた司教団の状況など、これにまつわる歴史的な諸問題はあるのでしょうが、少なくとも36年訓令には「靖国神社」という固有名詞は登場せず、現在はすでにその存在がない「国家神道の神社」という一般的な名称しか登場しません。記録のためにその部分を引用しておきます。原文はラテン語です。

「日本帝国の司教たちは次のことを、信者たちに教えるべきである。政府によって国家神道の神社として管理されている神社において通常なされる儀式は(政府が数回にわたって行った明らかな宣言から確実に分かるとおり)、国家当局者によって、単なる愛国心のしるし、すなわち皇室や国の恩人たちに対する尊敬のしるしと見なされている。また、文化人たちの共通の見解も同様なものである。したがって、これらの儀式が単なる社会的な意味しかもっていないものになったので、カトリック信者がそれに参加し、他の国民と同じように振る舞うことが許される。ただし、自分の振る舞いに対するまちがった解釈を取り除く必要があると思われる場合には、信者たちは自分たちの意向を説明すべきである。」

素直に読めばごく常識的なことしか書かれていません。これをことさらに特定の話題につなげようとする「意図」が、個人的には理解できません。

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2007年8月11日 (土)

クララ会上越修道院20周年

Clare07 上越市の高田に、聖クララ会の上越修道院が創設されてから、今年で20年になります。本日、8月11日は聖クララの祝日でしたが、それにあわせて、高田の聖クララ会修道院で、感謝のミサが捧げられました。マリオ神父様によれば、30年以上前からクララ会を招聘する話はあったものの、なかなか実現せず、やっと20年前に、ご自分もフランシスコ会員である佐藤司教様によって具体化したのだと言うことでした。私が司式したミサは、近隣のフランシスコ会会員だけではなく、教区司祭の数名、また鶴岡の本間神父様も加わり、加えて長岡地区のフランシスコ会第三会員や新潟方面の信者さんなども加わり、修道院の小さな聖堂が身動きのとれないくらいに一杯になり、盛大に捧げられました。ミサ中にも申し上げましたが、現在の院長様を始め数名のシスター方には、あるきっかけで30年ほど前にもお会いしたことがあります。シスター方が八王子の修道院におられた頃です。その当時、神言会の神学生として、まだ修道生活の何たるかもあまり分かっていない未熟で危なっかしい修練士であった私を、心配しながらお祈りで支えてくださったであろう同じシスター方が、今再び、新潟教区において教区の使徒職を祈りで支えてくださっていると言うことに、なにやら不思議なものを感じます。ミサのあとには修道院内の一室(通常は面会室)を広く開け放って、皆で一緒に食事を頂きました。普段はあまりお会いしたりお話しする機会もない観想修道院のシスター方ですので、参加された信徒の方々には新鮮な出会いではなかったかと思います。また常に祈りの生活を営んでおられる修道者が教区の中におられると言うことに、教区の精神的な支えを与えられていることですから、やはり教区の皆で感謝しなければならないと思います。どうぞ、シスター方のためにも、お祈り下さい。

Sade07 また本日夕方から妙高教会を会場に、25名の若者が集まって、SADE(Sons And Daughters Encounter)が月曜日まで開催されています。指導は高田教会のマリオ神父様。秋田の土崎教会の若者や新潟の若者が中心になって行っています。このあと新潟教会でも、青少年の集まりが8月16日から18日まで開催されることになっています。より多くの若い人たちが、出来るだけ教会の祈りの雰囲気の中で、定期的に集まる機会があることは大切なことだと思います。来年はWYD(世界青年大会)が7月にシドニーで開催されます(日本代表団の団長は郡山司教)。また時期を少しずらして8月に日本での青年大会も予定されています。一人でも多くの青年が、新しい出会いを通じて、教会に、そして神様に触れてくださるように、応援したいと思います。

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2007年8月 8日 (水)

みながひとつになるように

昨日7日は、福岡のカテドラル大名町教会で、ペトロ平田三郎司教様の葬儀が行われ、私も参列いたしました。実は平田司教様には一度もお会いしたことがありません。1913年に福岡で生まれすぐに受洗。その後1939年にパリで司祭に叙階。日本における司祭養成の必要性を痛感して、司祭養成を本務とする聖スルピス会の会員となられたそうです。日本人会員第一号とのこと。太平洋戦争中は福岡の哲学院(サンスルピス大神学院の前身)を、外国人会員が身柄拘束され、神学生も次々と兵役へと召集される中で、一人で守り通されたとのこと。生涯を通じて司祭養成への熱意に溢れておられた司教様だったということです。1961年に大分の初代司教に、そして70年には福岡の第四代司教に任命され、司教としては特に聖書関係で活躍されたとのことで、共同訳聖書の委員会ではカトリック側の議長も務められたとのことです。90年に教区長を退任されたあとも、自ら設置した新しい小協区で司牧にあたり、2000年12月まで現役で務められたと言うことです。日本人の司教としては、第二バチカン公会議に実際に参加された最後の司教様でした。「みながひとつになるように」が、司教様のモットーだったそうです。多くの司教が、やはりこれを一番重要であり、なおかつ実現が難しい課題として感じるのだと思います。平田司教様の永遠の安息を祈りたいと思います。

ところで葬儀の司式は長崎の高見大司教様でしたが、控え室で祭服に着替えているときふと高見大司教を見ると、首になにやら襟巻きのようなものを巻いておられる。「この暑いのに襟巻きとはなんぞや」、とよく眺めてみれば、おお、パリウムではありませんか。日本では他で見たことがないので、実は初めて実際に使われているのを目にいたしました。メトロポリタン大司教のしるしであります。

帰りの新潟行きの全日空は満席でした。葬儀が決まって即座にインターネットで確認したら、なんとあと1席しか残っていない。福岡と新潟の間の需要がそんなにあるのか、全日空には良かったじゃない、と思いながら福岡空港へたどり着いて満席の理由が分かりました。佐賀で行われていた高校総体に参加した選手たちが、各地に戻り始めていたのでした。出発ロビーの土産物屋あたりでふと前の女子高生たちを見ると、ポロシャツに仙台育英と書いてあるではありませんか。その中に、前晩のニュースにも出ていた、陸上の世界選手権代表でもある絹川愛選手がいるではありませんか。テレビで見た感じとは違って、とても小柄なかわいらしいお嬢さんでした。

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平和旬間講演会

(06年8月17日の日記から一部再録)

「出来るだけ私たちは協調します。然し最後の解決はこれです」。そう言って両腕を広げた神父様は、「イエス様の解決もそれでした」と語った、と記録に残されています。1944年(昭和19年)4月のある日曜日、新潟教区の高田教会主任であったサウエルボルン師(神言会)は、3名の女性信徒と共に警察に逮捕されました。そして、それから終戦間近まで、身柄を拘束されることになるのです。一緒に逮捕された女性信徒の回想によれば、取り調べは特高によって行われ、現人神とされていた天皇とキリスト教の神の比較の問題にはじまり、国家に徹底的に逆らう思想犯として調書が作成されていったといいます。結局、治安維持法違反として不敬罪で実刑(執行猶予)を受けたのでした。サウエルボルン師は、この体験が心身によほど堪えたのでしょう。また自らが教えていたドイツ語教室に、結局は警察のスパイが紛れ込んでいたという事実も知り、大きなショックを受けたようです。その後、体調を崩され、日本を離れることになったのでした。(以上再録)

Img_1886 5日の日曜日の午後、教区の平和旬間行事として、新潟教会で講演会が行われ、平和祈願ミサが捧げられました。高田教会の現在の主任司祭であるマリオ・カンドゥチ神父様が講師となり、戦争中の高田教会の苦難について話されました。そして今回は、特別に、当時実際に身柄を拘束された金沢美保子さんがお話をしてくださいました。当時まだ18歳だった彼女は母親と共に、一年近くも拘留されたのでした。当時の模様は、高田教会75年誌「雪国にまかれた種」に詳しく記載されています。

いまここで、それが迫害だったとか、教会の殉難だとかということを書き記したいのではありません。そうではなくて、私にとって今回のお二人のお話で一番衝撃だったのは、この方々が釈放された、そのあとのことでした。すなわちそれは、この方々がまるで悪いことをしでかした迷惑者であるかのように扱われてしまったということです。勿論様々な人がいるのですから、中には温かく迎えた人もいれば心配してくださった人もいることでしょう。しかし、釈放されてからの苦労が記憶にしっかりと残されているほどのさらなる追い打ちの苦難であったとは。

1987年の司教団の文書「ともに喜びをもって生きよう」には、次の一節があります。

『まず第1に、社会の中に存在する私たちの教会が、社会とともに歩み、人々と苦しみを分かち合っていく共同体となることです。・・・ また、教区、小教区を、そこに属する信者のためだけの共同体から、その地域に住むすべての人々とともに福音的に生きようとする共同体に変えなければなりません。・・・そして、裁く共同体ではなく、特に弱い立場におかれている人々を温かく受け入れる共同体に成長したいと思います。』

教会の共同体は常に、個人の信仰と共同体としての信仰の微妙なバランスの上に成り立っています。個人の信仰があまりにも優先されてしまうならば、時としてその信仰は、自分勝手な独りよがりの信仰に変質してしまう危険性にさらされてしまいます。そうしたとき、価値判断の規範は福音ではなく、個人の事情と感情に堕してしまうのです。「迷惑だから」という思いが心に浮かぶとき、私の信仰の柱はどこに建っているのかを確認してみる必要があります。私たちは勿論、弱さを抱えた人間にすぎません。感情に押し流されて、様々な判断をしてしまいます。しかし、だからこそ、そのような自分の弱さを認識しておくことが必要です。そうしないと、知らず知らずのうちに、福音を裁く者となってしまう可能性すらあるのです。自分の弱さを知り、裁こうとする自分を見つめ、イエスであればどうするのかと思いを巡らすことは大切だとおもうのです。とても単純なこのことは、単純であるが故に、とても難しいのです。

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2007年8月 5日 (日)

訃報:平田司教様

前福岡教区長であり大分教区長も務められた、ペトロ平田三郎司教様が、今朝方なくなられました。94歳でした。通夜は明日、8月6日午後7時から、福岡のカテドラルである大名町教会で。葬儀は明後日、8月7日午前11時から、同じく大名町教会で執り行われます。私も明日の夜、福岡へ出かけて参ります。R.I.P.

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平和旬間講演会開催

広島に原爆が投下された日の8月6日から終戦となった15日までを、日本のカトリック教会は平和旬間と定めています。各地で様々な行事が行われます。新潟教区でも、本日8月5日、午後2時から、新潟教会において講演会と平和祈願ミサが行われます。講演会の講師は、高田教会主任のマリオ・カンドゥチ神父様です。タイトルは「戦前の高田教会:一司祭と信徒たちの殉難(信教の自由を貫いて)」となっています。戦争中に、求道者として教会に潜入した特高の報告に基づいて逮捕起訴された司祭と信徒のお話をしてくださることになっています。平和祈願ミサは、私が司式します。

また本日は上越市川原町の平和記念公園で、キリスト教諸派との共同開催で夕方6時から平和を求める集いも開催される予定です。

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2007年8月 4日 (土)

ウガンダという国

昨日唐突にウガンダの写真をアップしました。私が長年関わっているカリタスジャパンは、カトリック教会の国際的な開発救援組織である国際カリタスの一員として、国内での社会福祉や災害の被災者支援などの事業の他、国外でも様々な国のカリタスと連携して、開発支援や災害などの救援事業を行ってきました。カリタスジャパンはアジアに存在することから、支援対象はアジアの国々が中心となりますが、同時に他の地域も忘れているわけではありません。その中の一つがアフリカです。アフリカは、世界の将来の命運を左右するような様々な人類規模の課題が凝縮されている地です。アフリカを支援しないわけには行きません。とはいうものの、53もの国がある広大な大陸を網羅することは難しいため、この数年間は、ケニヤ、ウガンダ、ルワンダを中心に支援を行ってきたのです。その中の重要なパートナーの一つが、ウガンダです。(以下、05年10月のカリタスジャパンニュース掲載の拙稿より一部引用)

「ウガンダという国」

『1962年に英国から独立したウガンダは、その後1971年から79年までのアミン大統領時代、その後80年から85年までのオボテ大統領時代に、歴史上稀に見る人権侵害があり、経済状態も悪化した。長い内戦時代を経て現在のムセベニ大統領が1986年に政権の座についたが、ムセベニの内戦を支えたのがカガメ現ルワンダ大統領率いるRPF(ルワンダ愛国戦線)であった。

 約二千三百万の人口のうち、三割程度がカトリック、クリスチャンは全人口の六割程度と言われている。2000年の統計によれば、平均余命は42.93歳といわれるが、それもHIV/AIDSの感染率が非常に高いためだ。ウガンダ政府はすでに90年代初頭からHIV/AIDS対策に力を入れており、全国的な啓蒙策を講じてきた。その結果としてWHOから途上国におけるHIV/AIDS対策の模範国とまで評価されるようになったが、例えば1993年の産院における妊娠中の女性の感染率が31%だったものが、1998年には14%まで減少したなどというWHOの報告がある。しかしながら統計が充分ではない農村地帯では、未だHIV/AIDは深刻な問題となっている。

 合衆国が1996年にウガンダに対する債務の帳消しを他国に先駆けて決定したことなどから、現ムセベニ政権の背後には、合衆国が控えているともいわれる。しかしその支援を受けてウガンダの経済は回復傾向にあり、東アフリカ諸国の中では比較的安定した経済状況だといえるだろう。もっとも2005年の世界銀行「世界開発報告」によれば、2003年のウガンダの一人あたりの国民総所得は240ドルというのだから、貧困が大きな問題であることは間違いない』

今年の夏にも、カリタスジャパンからは、ウガンダを始めケニヤとルワンダへ視察団が出かけることになっています。地球の将来を見据えて、少しですがアフリカのために貢献できればと思っています。

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2007年8月 3日 (金)

その輝きはいのちの輝き

先日聖体奉仕会に滞在している間に、御聖体を携えて病人訪問をさせていただく機会がありました。聖体奉仕会から車で十数分ほど走った秋田大学近くの閑静な住宅街。玄関を入るなり、普通とは違う雰囲気を感じました。色とりどりの花で美しく飾られているのですが、それが何となく魅力を持って惹きつける花なのです。そのすべてはクレイフラワー、粘土で出来た花だったのです。

Takahashi 困難な闘病生活を続けながら、この素敵なクレイフラワーを創作しているのは、高橋信子さん。工房ローザを主宰しておられます。このクレイフラワーは、単なる粘土ではなくて、長年の研究から高橋さんが編み出した光を透す特殊なブレンドだとか。そしてこの粘土で創作された花には光触媒が塗布してあり、汚れてしまうことも色があせることもない。加えてその花を、ダイオードの発光台の上に載せて飾っておくと、何とも神秘的な色に変化し続け、暗闇の中で神秘的な輝きを放つのです。詳しくは、高橋さんの工房ローザのホームページをご覧下さい。

神秘的に輝く光は、困難な闘病生活の中でしっかりと立ち向かう彼女のいのちの光の輝きを反映して美しいのだと思うのです。

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ウガンダの写真掲載

少し時間が出来たので、右側のサイドバーのところに、ウガンダの写真をアップしておきました。2005年の夏に、カリタスジャパンの視察で、委員の矢吹助祭と一緒に出かけたときの写真の一部です。どうぞ、ご覧下さいませ。

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2007年8月 1日 (水)

酒田教会の皆さん

Sakata0701 7月29日の日曜日は山形県の酒田教会を訪問してきました。新潟へ任命されてから2度目の訪問となりました。現在酒田教会には常駐の司祭はおらず、鶴岡教会の本間神父様が、月に二回ほどミサのために訪れる巡回となっています。前回の訪問でも感じたことですが、信徒の中に男性が少ない。この日のミサに集まったのは、16名ほどの方でしたが、成人男性はあとで来られた方も含めて4名でした。前回もそう感じましたが、人数が少ないものの、ミサの聖歌も歌声は力強く、ミサ後の集まりでも、共同体について真剣に考えておられることがよく分かるいろいろな話を聞かせていただきました。毎日曜のミサや祝祭日にミサが欲しいという要望の声。たしかに車で一時間ほどで鶴岡に行けるとはいうものの、やはり地元の自分の教会でミサが欲しいという思いは分かるのですが、実現は容易ではありません。申し訳ない。

Sakata0702 現在の聖堂は20年前(訂正:1967年献堂ですから40年前です)に献堂されたもので、そろそろ補修が必要になってきています。今年はこの小さな共同体にもかかわらず皆で費用を捻出して、外壁の塗り直しを行い、訪問した際には丁度その工事が終わったところでした。新潟教区には、信徒数の少ない小規模な小教区が数多くありますが、聖堂や信徒会館、そして司祭館などの補修や建て直しが必要になっているところが少なくありません。亀田教会のように長年にわたって積み立てをして、それに様々な寄付を加えて何とか立て直した例もありますが、亀田以上に人数の少ない、例えば酒田のような教会では、今後、建物の維持管理に難しさが生じてくるのが避けられないでしょう。昔なら、そんなときにも修道会が何とかしてくれたのでしょうが、今やその修道会も、余裕があるわけではありません。教区全体として、それぞれの小教区の建物の維持管理をするシステムを創設しなければ、全体が立ち行かなくなるのではと懸念しています。この問題は酒田教会での話し合いでも、信徒の方々から指摘を頂きました。検討します。

酒田教会訪問を終えて、そのまま秋田へ向かい、聖体奉仕会で今朝まで過ごして参りました。会員にお話もいたしましたが、私自身も静かに様々にふり返る一時を持つことが出来ました。感謝。

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