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2007年8月 8日 (水)

みながひとつになるように

昨日7日は、福岡のカテドラル大名町教会で、ペトロ平田三郎司教様の葬儀が行われ、私も参列いたしました。実は平田司教様には一度もお会いしたことがありません。1913年に福岡で生まれすぐに受洗。その後1939年にパリで司祭に叙階。日本における司祭養成の必要性を痛感して、司祭養成を本務とする聖スルピス会の会員となられたそうです。日本人会員第一号とのこと。太平洋戦争中は福岡の哲学院(サンスルピス大神学院の前身)を、外国人会員が身柄拘束され、神学生も次々と兵役へと召集される中で、一人で守り通されたとのこと。生涯を通じて司祭養成への熱意に溢れておられた司教様だったということです。1961年に大分の初代司教に、そして70年には福岡の第四代司教に任命され、司教としては特に聖書関係で活躍されたとのことで、共同訳聖書の委員会ではカトリック側の議長も務められたとのことです。90年に教区長を退任されたあとも、自ら設置した新しい小協区で司牧にあたり、2000年12月まで現役で務められたと言うことです。日本人の司教としては、第二バチカン公会議に実際に参加された最後の司教様でした。「みながひとつになるように」が、司教様のモットーだったそうです。多くの司教が、やはりこれを一番重要であり、なおかつ実現が難しい課題として感じるのだと思います。平田司教様の永遠の安息を祈りたいと思います。

ところで葬儀の司式は長崎の高見大司教様でしたが、控え室で祭服に着替えているときふと高見大司教を見ると、首になにやら襟巻きのようなものを巻いておられる。「この暑いのに襟巻きとはなんぞや」、とよく眺めてみれば、おお、パリウムではありませんか。日本では他で見たことがないので、実は初めて実際に使われているのを目にいたしました。メトロポリタン大司教のしるしであります。

帰りの新潟行きの全日空は満席でした。葬儀が決まって即座にインターネットで確認したら、なんとあと1席しか残っていない。福岡と新潟の間の需要がそんなにあるのか、全日空には良かったじゃない、と思いながら福岡空港へたどり着いて満席の理由が分かりました。佐賀で行われていた高校総体に参加した選手たちが、各地に戻り始めていたのでした。出発ロビーの土産物屋あたりでふと前の女子高生たちを見ると、ポロシャツに仙台育英と書いてあるではありませんか。その中に、前晩のニュースにも出ていた、陸上の世界選手権代表でもある絹川愛選手がいるではありませんか。テレビで見た感じとは違って、とても小柄なかわいらしいお嬢さんでした。

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