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2007年8月 8日 (水)

平和旬間講演会

(06年8月17日の日記から一部再録)

「出来るだけ私たちは協調します。然し最後の解決はこれです」。そう言って両腕を広げた神父様は、「イエス様の解決もそれでした」と語った、と記録に残されています。1944年(昭和19年)4月のある日曜日、新潟教区の高田教会主任であったサウエルボルン師(神言会)は、3名の女性信徒と共に警察に逮捕されました。そして、それから終戦間近まで、身柄を拘束されることになるのです。一緒に逮捕された女性信徒の回想によれば、取り調べは特高によって行われ、現人神とされていた天皇とキリスト教の神の比較の問題にはじまり、国家に徹底的に逆らう思想犯として調書が作成されていったといいます。結局、治安維持法違反として不敬罪で実刑(執行猶予)を受けたのでした。サウエルボルン師は、この体験が心身によほど堪えたのでしょう。また自らが教えていたドイツ語教室に、結局は警察のスパイが紛れ込んでいたという事実も知り、大きなショックを受けたようです。その後、体調を崩され、日本を離れることになったのでした。(以上再録)

Img_1886 5日の日曜日の午後、教区の平和旬間行事として、新潟教会で講演会が行われ、平和祈願ミサが捧げられました。高田教会の現在の主任司祭であるマリオ・カンドゥチ神父様が講師となり、戦争中の高田教会の苦難について話されました。そして今回は、特別に、当時実際に身柄を拘束された金沢美保子さんがお話をしてくださいました。当時まだ18歳だった彼女は母親と共に、一年近くも拘留されたのでした。当時の模様は、高田教会75年誌「雪国にまかれた種」に詳しく記載されています。

いまここで、それが迫害だったとか、教会の殉難だとかということを書き記したいのではありません。そうではなくて、私にとって今回のお二人のお話で一番衝撃だったのは、この方々が釈放された、そのあとのことでした。すなわちそれは、この方々がまるで悪いことをしでかした迷惑者であるかのように扱われてしまったということです。勿論様々な人がいるのですから、中には温かく迎えた人もいれば心配してくださった人もいることでしょう。しかし、釈放されてからの苦労が記憶にしっかりと残されているほどのさらなる追い打ちの苦難であったとは。

1987年の司教団の文書「ともに喜びをもって生きよう」には、次の一節があります。

『まず第1に、社会の中に存在する私たちの教会が、社会とともに歩み、人々と苦しみを分かち合っていく共同体となることです。・・・ また、教区、小教区を、そこに属する信者のためだけの共同体から、その地域に住むすべての人々とともに福音的に生きようとする共同体に変えなければなりません。・・・そして、裁く共同体ではなく、特に弱い立場におかれている人々を温かく受け入れる共同体に成長したいと思います。』

教会の共同体は常に、個人の信仰と共同体としての信仰の微妙なバランスの上に成り立っています。個人の信仰があまりにも優先されてしまうならば、時としてその信仰は、自分勝手な独りよがりの信仰に変質してしまう危険性にさらされてしまいます。そうしたとき、価値判断の規範は福音ではなく、個人の事情と感情に堕してしまうのです。「迷惑だから」という思いが心に浮かぶとき、私の信仰の柱はどこに建っているのかを確認してみる必要があります。私たちは勿論、弱さを抱えた人間にすぎません。感情に押し流されて、様々な判断をしてしまいます。しかし、だからこそ、そのような自分の弱さを認識しておくことが必要です。そうしないと、知らず知らずのうちに、福音を裁く者となってしまう可能性すらあるのです。自分の弱さを知り、裁こうとする自分を見つめ、イエスであればどうするのかと思いを巡らすことは大切だとおもうのです。とても単純なこのことは、単純であるが故に、とても難しいのです。

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