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2007年9月11日 (火)

この数日の講演会

Img_2061 週末の新潟教会では、献堂80年記念行事の始まりとして、福岡サンスルピス神学院の白浜神父様による典礼講習会がありましたが、一昨日の日曜に、山形県の鶴岡教会でも講演会がありました。鶴岡教会の講演会は、米沢の殉教者についての講演です。9時からのミサを私が司式させていただき、そのあとお昼まで、山形教会の筒井さんによる講演でした。筒井さんはすでに山形教会でも三回の連続講演をしておられますが、今回はなにぶん一度だけですので、その盛りだくさんの内容を短い時間に収めきれなかったのが残念です。筒井さんの豊富な資料は、単に米沢の殉教をその時点で切り取って示すことだけではなく、その前後の歴史的背景や、今に至るまでの出来事の連続性にスポットを当てています。ご本人の最初の方の言葉、「殉教者について学んでいくと、今の時代の私たちとはまったく異なるキリスト者の姿がそこには見えてきて、驚かされる」というあたりに、筒井さんのポイントがあるような気がしました。日本における教会の、そしてキリストへの信仰の全体像を見ることによって、日本文化の中での福音のあり方を解き明かそうという方向であると感じました。(写真は上が鶴岡教会と、下が講演会の模様)

Img_2067 そして昨日と本日は、鶴岡郊外の湯野浜温泉で、教区の顧問会をいたしました。実はこの温泉は、各県持ち回りで行っている毎年の教区司祭の集い(教区司祭と修道会司祭のすべてが参加する二泊三日の研修会で6月開催)の、来年度の開催候補地であります。30名を超える司祭を集めて会議をしたりするスペースなど、下見を兼ねて会議をいたしました。結論としてはすばらしい施設(つまりスペースも十分で、しかもリーズナブルにしていただける)でしたので、来年の司祭の集いは是非この地で行おうと考えております。

ちょうど本日の福音がイエスによる12使徒の選びであったように、福音は常に独善的な一人の独走を戒め、共同体的交わりの中で生きるようにと勧めています。この世における組織体としての教会と、霊的な交わりとしてキリストのからだとしての教会の二つの側面を同時に持っているのが教会の特徴です(教会憲章8)。組織体は規則で制することが出来る存在です。規則を前面に押し出しすぎると、一人ひとりが独善的な信仰の殻に閉じこもることを可能にしてしまいます。その場合、共同体的な交わりは、物理的な存在として必要かもしれませんが、そこには霊的な交わりが欠けてしまう恐れがあります。霊的な交わりとしての共同体性を突き詰めていくことは、絶対に必要です。そして、そのようなわけで、教区においても司教にとっては顧問団や司祭評議会、そして宣教司牧評議会といった集まりが不可欠です。福音的に生きるとすれば、司教が一人で勝手に物事を決めていく時代ではないとも思うからです。

それにしても、鶴岡の駅前はちょっと寂しくなってました。駅前の再開発ビルにあったショッピングセンターが、7月で閉店になっていて、本当に人通りが少ない。郊外のショッピングセンターに人は集まるのでしょうね。

明日は昼からカリタスジャパンの援助部会(新委員を含めたセミナー)、明後日もその続き、さらに金曜日はカリタスジャパン委員会(こちらも新委員)で、金曜日の夜まで東京です。その後土曜日曜は山形と新庄、来週の月曜は土崎教会50周年で秋田です。

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