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2007年9月 2日 (日)

リアリティのある信仰

Vchapel カトリック新聞の本日付を見ましたら、まずもっては一面トップ、柏崎教会の元気溢れる復興への取り組みの記事が目についたのですが、その陰に小さく「司祭の平均年齢61.87歳」という見出しが目につきました。記事に目を通してみると、愕然とする事実が記されているではありませんか。曰く「教区司祭の平均年齢で最も若いのは大分教区(16人)の47.69歳。最も高いのは新潟教区(16人)の64.75歳で、両教区の差は約17歳」

大分教区といえば信徒数においても新潟とほぼ同じで、同じような教区だと思っていたら、まったく同数の教区司祭で、この年齢差があったとは。ちなみに教区独自で、教区司祭も修道会司祭もすべて含めて計算しますと平均がだいたい60歳。新潟・新発田地区が概ね61歳、長岡地区が概ね74歳、山形地区が52歳、秋田地区が概ね55歳だと、事務局から報告を受けております。この平均年齢から、何を読み取りましょうか?神様の意志は「ときのしるし」の中に表されているはずですから。

信仰は常に具体的であって「今」を生きていなければ意味がないと思います。「現在」には成功も失敗もどちらの「可能性」も未知なるものとしてあるでしょうが、「過去」には成功と失敗は現実として存在したのでありそこに「実在の記憶」があるだけで、あらたな「可能性」はありません。すでに分かり切った記憶の中に漂っている方が安心であるのは確かですから、軸足を過去に踏み入れておいた方が、失敗がないような気になってしまいます。だから冒険が出来ません。過去はもう存在しないにもかかわらず、そこに軸足を置くことが出来るなどという勘違いをしてはなりません。信仰も、リアリティがなければ単なる趣味の世界の出来事にしかすぎないではありませんか。ご自分にとって、イエスはリアリティを持って存在していますか。神はご自分と共に、「今」を生きていますか。「今」を生きていない信仰は、その存在のリアリティを感じていない神への信仰は、まだまだ育てていく余地が大きくあるのではないでしょうか。

冒頭の写真は、先日改装した司教館裏のビアンネ館一階に、新しくできた小聖堂です。昨日、祭壇が出来てきました。青山教会の市川さんに感謝です。

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