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2007年10月 2日 (火)

長岡にて聖フランシスコのお祝い

Img_2238 毎年10月の最初の火曜日には、長岡の表町教会で、アシジの聖フランシスコのお祝いが行われます。長岡地区のフランシスコ会会員と第三会員、そして教区司祭も参加して共にミサを捧げ、そのあとは長岡のフランシスコ会ご自慢のイタリア料理を皆で頂きます。本日10月2日は、今年の10月の第一火曜でしたから、11時からミサを捧げ、そのあと昼食をいただいて参りました。数名の教区司祭が、明後日までさいたま教区司祭と共にスペインへの巡礼に出かけているために、例年より参加者がちょっと少なかったものの、楽しい一時でした。食事の最後は主任のブルーノ師ご自慢のイタリア式エスプレッソ・コーヒーで締めくくりでした。写真はケーキカットをするブルーノ師と教区司祭代表の高藪師。

先週の福岡では、久しぶりにアルスの司祭聖ヴィアンネの聖人伝を耳にする機会に恵まれましたが、ヴィアンネの生涯はそれはそれは常人が決して耐えることの出来ないようなすさまじいものでした。寝るひまも惜しんで告解を聞き、訪れる人の相談に乗り、祈り、ミサを捧げ、苦行も忘れない。自らの人生は決して自分のためにあるのではなく、すべて誰かの役に立つために捧げるという、究極的な福音の精神に基づいた生き方です。アシジの聖フランシスコも同様に、福音に基づいて生きようとした究極の生き方をしたのだと思います。勿論私たちは聖人と同じような生き方が簡単にできるはずもありませんが、しかしその精神には多少なりとも与りたいと思います。イエス・キリストに従う人生は徹底的な自己犠牲を求めるのではないでしょうか。徹底的に福音的価値観に生きることを求めるのではないでしょうか。そしてそうすることが出来ない自分の弱さに直面するとき、素直に神に助けを求める謙遜さが必要なのではないでしょうか。徹底的に福音に生きようとすることもなく、それが出来ない自分の弱さを認めて謙遜になることもなく、ごくごく表面的な事柄に囚われて互いに口汚くののしりあう人間の性には、救いは見いだし得ません。自分は神の前に一体何ものであるかを神にどう申し開きをするつもりなのか、考えてみることも、時には必要でしょう。

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