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2007年11月30日 (金)

世界エイズデー

明日、12月1日は世界エイズデーです。

世界保健機関(WHO)は1988年以来、毎年12月1日を世界エイズデーと定め、全世界的規模でこの病気に対する知識の普及を呼びかけてきました。近年では、HIV感染者やエイズ患者の方々への理解と支援を表す世界共通のシンボルとしてレッドリボンが採用され、広く受け入れられるようになりました。私が担当するカリタスジャパンのHIV/AIDSデスクでも、先般レッドリボンをモチーフにしたロゴを作成し、それをプリントしたエコバッグを作成したところです(詳しくはこちら)。この病気に関する啓発活動を主な目的とするカリタス・ジャパンのHIV/AIDSデスクでは、2005年の世界エイズデーにあたり、「だれもが エイズとの取り組みに参加するように呼ばれています」と題したメッセージを発表いたしました。このメッセージは今でも必要な内容を含んでいます。是非上のメッセージタイトルのリンクからカリタスジャパンのホームページへ入り、メッセージをご一読下さい。日本の司教団も、今年6月の司教総会においてHIV/AIDSについての勉強会を行い、その危機的現状を学び問題意識の共有を図りました。

11月28日の一般謁見の場で、教皇様は次のように語られました。

「今週の12月1日に世界エイズデーが行われます。わたしはこの恐ろしい病気に苦しむすべての人と、そのご家族、特に親族を亡くしたかたがたに霊的に寄り添います。私はこれらすべての人のために祈ることを約束します。さらにわたしはすべての善意の人にお願いしたいと思います。HIVウィルスの蔓延を止め、HIVウィルスに感染した人にしばしば向けられる偏見と戦い、エイズ患者、特にまだ子どもの患者の世話を行うよう、いっそう努力してください(中央協ホームページより引用)」。

人工妊娠中絶や避妊、コンドームの使用の是非、結婚外での性交渉、性差別や性暴力など、「性」を取り巻く倫理的な諸問題は山積しています。こういった現実を前にして、様々な取り組みが行われています。中には人間の根本的なあり方に迫る生き方から変えようという試みもあります。当然、神の意志に従って生きることを目指す信仰者の立場からは、それが一番の大切な道であることは疑いがありません。しかし同時に、目の前で起こっている現実に飲み込まれ、ちょっとした知識がないために被害者となってしまう可能性がある人たちを救うための、緊急避難的指導に取り組む人たちも多くいます。性の問題への取り組みに、単に批判を加えるだけだったり、「反対」を唱えるだけでは、問題が解決しないことを私たちはよく知っています。まず、神から与えられた「いのち」の尊厳をいかにして守ることができるのかという視点から、それぞれの「いのち」に与えられた場にふさわしい道を閉ざすことのないようにしたいと思います。

明日の午後からは長岡の福住教会に出かけ、夜7時から講話をさせていただきます。その後2日の日曜は福住教会で堅信式。8名の方が堅信を受ける予定とうかがっています。来週の月曜日夜から火曜日にかけては、教区司祭の待降節静修です。水曜日の夜はカトリック新聞編集諮問委員会、木曜は常任司教委員会、そしてそのまま金曜にはローマへ出発いたします。12月9日から一週間、日本の司教団はみんなでローマ訪問です。「アド・リミナ」といわれ、5年に一度教皇様に直接教区について報告し、教皇庁の各省庁を訪問して参ります。教区司教と教皇様は直接つながっていますから、昔はそれぞれの司教がそれぞれ訪問していたそうですが、第二バチカン公会議以降は、それぞれの司教協議会ごとにまとまって訪問するようにあらためられたと聞いたことがあります。勿論初めてなので、何がどうなるのやら、よく分からずに戸惑っております。帰国は12月21日の予定です。

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2007年11月29日 (木)

名古屋といえば・・・?

Daiwa07 東京での会議の帰り、新潟に到着したのが夕方7時頃だったので、駅の近くで夕食とすることにしました。新潟駅の近くで何を食べるのか。そうだ、名古屋名物にしよう。というわけで、名古屋名物を食べたのであります。何でありましょうか?先ほど放送されていた、みのもんたさんの「秘密のケンミンShow」では、名古屋といえば「つけてみそたべてみそ」で、刺身にも味噌をつけるがやぁ、とやってましたねぇ。私は岩手生まれとはいえ、中学時代から大学院まで、そしてガーナから帰ってからと人生の半分を名古屋で過ごしましたが、確かに味噌は重要ですし、「つけてみそたべてみそ」も聞いたことがあるし、冬になれば味噌煮込みうどんを食べに行ったけれど、刺身にまで味噌つける?朝食のパンに味噌つける?ちょっと大袈裟でしょう。もっとももしかしたら、生まれながらの生粋の名古屋人はそうなのかもしれませんけれど。

で、新潟駅前の名古屋名物といえば、この20年間くらいの間に名古屋で青春時代を過ごした人は、必ずや知っているでありましょう。ココイチです。カレーのCoCo壱番屋であります。愛知県一宮市から始まったカレーのチェーン店です。名古屋にいれば、街中のあちらこちらで必ず目にするココイチであります。私はココイチのカレーこそ、名古屋の隠れ名物だと思っております。新潟駅の前にも、最近できたんですねぇ。新潟に来て、やたらとラーメン屋さんが多いとは思いましたが、カレーの店が圧倒的に目につかない。名古屋といえば、カレーです。

今週は、月曜日午後に教区の顧問会、そして一年に二回開催の教区司祭評議会が火曜の昼にかけて行われ、秋田・山形・新潟・新発田・長岡の各地区から代表の司祭が集まり、教区の様々な課題について話し合いました。もうまもなく教区報が出ます。久しぶりになりますが、これには間に合いませんので、来年早々に出る予定の次の教区報には会議の詳細やそのほかの決定事項について、詳しく掲載される予定です。写真は、近くにある大和デパート・ショーウィンドウに飾られた、今年の踊って唄うウサギたちです。

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2007年11月28日 (水)

サミット議長国の面目

来年、2008年7月7日から三日間、北海道の洞爺湖畔を会場に、G8サミット首脳会議が開催される事になっております。すなわち日本は来年一年、サミット議長国として、国際政治の舞台で活躍の場を与えられているのです。それなりのリーダーシップの発揮を期待したいところでもあります。それでは議長国としての日本は、主な議題として何を取り上げるのでしょうか。去る11月21日にシンガポールで開催された東アジア首脳会議後の記者会見で、福田首相は次のように語っています。
「会議では、『気候変動、エネルギー及び環境に関するシンガポール宣言』というものが採択された。これは、来年のG8洞爺湖サミットにつながる大きな成果であると考えている」

確かに今年6月のハイリゲンダム・サミット後に、当時の安倍首相も記者会見で、「テーマについては、『環境立国・日本』として、環境、気候変動問題を主要な課題として取り上げていきたいと思う」と述べていました。地球温暖化をはじめとした環境問題が中心のテーマとなっていくのでしょう。環境問題が今の世界にとって重要な課題である事に疑いはありません。しかし同時に、アフリカを中心とした最貧国の課題も、人類の未来のために、忘れて欲しくはないと願うものです。今回シンガポールで採択された「東アジア協力に関する第二共同声明」でも、僅かにこう触れられています。

 「社会文化・開発に関する協力については、貧困撲滅、東アジアにおけるミレニアム開発目標の達成、・・・といった社会的な課題への取り組み、並びに、社会問題への取り組みにおける市民参加及び国家・市民社会間のパートナーシップの推進に向けたNGOとの政策協議及び調整の促進に一層努めていくことで一致した」

ここで触れられている「ミレニアム開発目標」こそは、夢物語だという人もいれば、実現不可能とあきらめる人もいる中で、世界のかなりの数の人たちが希望の星と考えている存在です。2000年9月の国連ミレニアム・サミットにおいて、二十一世紀の国際社会の目標として、「国連ミレニアム宣言」が採択されました。平和と安全、開発と貧困、環境、人権と良い政府統治(グッド・ガバナンス)、アフリカへの特別な支援などを課題として掲げたこの宣言によって、国際社会は明確な方向性を持って二十一世紀への第一歩を踏み出したかに見えたのです。このとき達成目標として掲げられたのが、「ミレニアム開発目標(MDGs)です。国連開発計画によれば、「先進国と開発途上国双方を含む世界中の指導者が人間開発を推進する上で最も国際社会の支援を必要とする喫緊の課題に対して、2015年という達成期限と具体的な数値目標を定めて、その実現を公約した」画期的な目標であったと言います(UNDPのパンフレットより)。

ミレニアム開発目標は、「極度の貧困と飢餓の撲滅」などを含む八つの目標とそれに伴う十八のターゲットを定めています。ミレニアム開発目標は、誇大妄想の産物ではありません。大袈裟な数字の羅列でもありません。控えめな、物足りないほどの僅かな改善です。あとは、政治と経済のリーダーたちの意志の問題です。

日本政府が環境問題だけにシフトしていくのかと思われた矢先、珍しく(失礼)高く評価されなければならない発言が、日本の外務大臣からあったのです。高村外務大臣は、11月25日に東京フォーラムで開催された「国際シンポジウム、二十一世紀の医療と医療システムを求めて」において政策演説を行い、その中でサミットに向けてMDGsの重視と国際保健協力での日本政府の主体的取り組みを強調されました。演説で高村大臣は、現状ではミレニアム開発目標の達成は困難であるとしながら、次のように述べています。

「G8をはじめとする主要先進各国や国際機関は、途上国の努力をパートナーとして支援するという政治的意志を明確にする必要があります」

来年5月末には横浜で、第四回アフリカ開発会議(TICAD)も開催されます。日本政府がUNDPや世銀と協力しながら主導権を握って開催してきたアフリカのための会議です。加えてここ数年、外務省は21世紀型の国際協力の理念として「人間の安全保障」を強調してきました。その意味で、今般、国際医療や保健分野に限られているとはいえ、ミレニアム開発目標の達成の一助として日本がイニシアチブをとることを内外に宣言した意味は非常に大きいと思います。高村外務大臣は。演説の締めくくりに次のように述べています。

「来年のTICADIV、G8サミットは、様々な関係者の連携を強化し、21世紀にふさわしい全員参加型の協力の枠組を構築する絶好の機会です。我が国は、議長国としてその実現を目指したいと思います」

その言葉を忘れず、積極的にリーダーシップをとることは、軍事力を持って国際貢献をするより何十倍も、世界の人たちに日本の名前を知らしめ、尊敬を集めるものとならしめるのです。

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2007年11月25日 (日)

新潟教会堅信式

Confirm0701 王であるキリストの主日、新潟教会は献堂80周年のお祝いの締めくくりと、堅信式のミサを行いました。新潟教会の80歳になる双塔の聖堂は、王であるキリストに捧げられています。9月8日から始まった80年のお祝いは、本日をもって終わりとなりました。準備にあたってくださった新潟教会の信徒の方々に、感謝いたします。多くの市民の方々にも、写真展やコンサートに来ていただきました。充実したお祝いであったと思います。今回のお祝いで、新潟教会に興味を持ってくださった方や、その昔聖園幼稚園を卒園した方など、多くの方が教会を訪れてくださいました。そういった方々に、少しでも教会への継続した興味を持ってくださるように、教会共同体として継続して努力を続けたいと思います。

今日は9人の方が堅信を受けられました。5人の中学生と4人の大人。最高齢の原さんは車いすに乗っての堅信でした。勿論このような機会ですから、堅信を受けられた方々と代父母の方々には、両形色で聖体拝領をしていただきました。今日はすばらしい天気に恵まれました。感謝です。ミサ後には信徒会館でおいしいカレーライスを頂いて、みんなでお祝いをいたしました。

Josei0701 午後2時からは新潟地区カトリック女性の会の総会と、講演会が行われました。講演は、2009年4月に新潟で開催される日本カトリックボランティア連絡協議会(カトボラ)の全国大会を視野に、カトボラの役員でもある横浜教区の遠藤喜久子さんに、カトボラの活動についてお話しいただきました。全国からいろいろな人が集まりますが、09年4月には新潟でも多くの人のご協力が必要になります。少しでも多くの方のご協力をお願いいたします。ちょっとでもボランティアに興味を持たれた方、私や大瀧師までご連絡下さい。ボランティア活動は決して教会関係だけに留まるものではありません。いわゆる市民活動としても、信徒の方が関わっているボランティア活動のネットワークを作っていきたいのです。どのような業でも、宣教の思いを持って行う限りは、教会の宣教の業の一部分なのですから。

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言葉の達人

放送局のアナウンサーといえば、言葉の達人。とはいえ時には言い淀んでみたり、いい間違えがあったり。ちょっとした間違いはあるものですが、さっきはちょっとびっくり。6時前の新潟総合テレビ(NST)のニュースで、佐渡に不審な小舟が流れ着いたというニュース。「海上保安によると、ボートにエジソンはついていなかったということです。失礼しました。エンジンはついていなかったということです」。「エンジン」を「エジソン」と言っちゃうとは、年齢を感じさせるだじゃれモード満点。そういえば、午前8時半とか午後1時とか、連続テレビ小説の直後に画面がニュースに切り替わると、NHKのアナウンサーの視点は目の前のモニターに落ちているようなのですが、まさかドラマを見ているわけではないですよね。そうは思っても、なにやらその前のドラマにあわせて、ほほえんでいたり、目が潤んでいたり、と見えてしまいます。くだらない話題でした。

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2007年11月24日 (土)

老舗ののれん

Nisemono この話、前にも書いたかもしれません。昔、まだガーナにいた頃、司祭館の食堂に掛ける時計が欲しくて首都のアクラまで買い物に出かけました。軒を並べている雑貨屋を見て回りました。すると、おお、見よ、「SEIKO」のブランドを堂々と見せつけている立派なクオーツの壁掛け時計が売られているではありませんか。信頼の日本ブランドであります。早速買ってきました。数日がたち、ふとその時計を眺めてみれば、「なんと言うことでしょう」。それは確かに日本製ではありましたが、かの「SEIKO」のブランドではなく、「SIEKO(シエコー)」というブランドネームが記してあるではありませんか。「偽物」であります。その瞬間、この時計が示している時間を信用できなくなりました。

教会の近くに住む青年が首都へ出かけてラジカセを買ってきました。「ナショナル製だ」と大いに自慢です。数週間もしないうちにそのラジカセ、見事に故障であります。ナショナル製品生産国であるところの日本国出身の私のところへ、何とかならないかと持ち込まれてきました。しかしながらよく見ると、大きくかかれた「NATIONAL」の前に、「なんと言うことでしょう」、申し訳程度に小さな文字で「inter」と記してあるではありませんか。「インターナショナル」という日本のお隣の某大国の製品であります。

こういった類の話は「詐欺だ」と大騒ぎになることもなく、騙された方にしても何となく笑って済ませてしまう程度の話です。しかしそういった「偽物」が有名なブランド名を騙ってみせるのは、中身の品質保証が自然について回るからであります。有名ブランド名自体が、品質保証書みたいなものであります。確かに、有名ブランド名はすなわち品質を保証する代名詞だと、長年信じられておりました。

しかし近頃の日本社会では、有名ブランド名が必ずしも中身の優良さを保証しないという事態が起こっております。それどころか、考えられないような稚拙な方法での偽装。特に老舗暖簾を誇る食品会社が、ありとあらゆる偽装工作であります。もちろん、賞味期限が切れていようが、冷凍して解凍していようが、確かにすぐに病気になるわけではないのですから、騒ぎすぎと言えばそれまでです。もしかしたら当事者も多少そう思っているのかもしれません。なるほど、近頃の潔癖すぎる傾向は行きすぎであるような思いもします。でもそこには問題の本質はない。企業の倫理観の問題であり、ひいてはその基礎にある私たちの国の倫理観の問題です。

倫理観に信頼を置くことができないのであれば、ブランド名で中身を判断する時代はすでに終わりを告げ、中身で勝負の時代に移り変わっていくということなのかもしれません。老舗の暖簾だけに頼って商売はできなくなったのかもしれません。しかしそんな時代だからこそ、老舗の暖簾を受け継いでいるものは、暖簾にふさわしい中身を提供するという当然の行為を、高い倫理観をもって実行する必要があるのだと思います。そして2000年の暖簾を誇るカトリック教会はどうなのでしょう。新潟教区でもこのところ100年とか50年とか、歴史を誇るお祝いが続いています。それなりに歴史を誇る暖簾であります。明日の日曜日、王であるキリストの主日、新潟教会は献堂80周年のお祝いを締めくくることになります。この機会に、80年の暖簾にふさわしい中身を提供しているのか、真剣にふり返る必要があるのだろうと思います。そしてブランド名の暖簾にだけ寄りかかっていないかどうか、それもふり返る必要があるでしょう。(冒頭の写真は、東南アジアの某国で見かけたPlay StationならぬPoly Stationの箱)

明日の日曜日、新潟教会では9時半から堅信式が行われます。その後2時半過ぎから、新潟地区カトリック女性の会主催で、「カトリック ボランティア ネットワーク と私」と題した遠藤喜久子さん(横浜教区)の講演会も行われます。これは09年に新潟での開催が予定されている日本カトリックボランティア連絡協議会の全国医大会に備える講演会ともなっております。(喉の風邪は治りつつあります。アドバイスのメールを下さった方、ありがとうございます。感謝)

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2007年11月21日 (水)

喉が・・・

Sapporobeer2 毎年この時期になると、なぜか喉をやられてしまいます。気をつけてはいるつもりなのですが。寝るときには喉を温かくしたり、しばしばうがいをしたり。イソジンは手放せません。しかしなぜかこの時期になると必ずや喉が痛くなります。そこで気を抜くと本格的に熱が出る風邪に進化。数年前に名古屋にいたときには、あまりの高熱の連続に、心配になって日赤の救急に駆け込んだこともありました。あの、アフリカで腸チフスの高熱で幾たびか倒れた私が驚く高熱ですから、当然、体温計が振り切れんばかりの高熱が二・三日連続するのであります。そんなときはたいていが喉の問題。今年はたまたま、皆様の前で話をする仕事がないので助かっておりますが、そうでもないと悲惨であります。とにかくまともに声が出るまでに、温めたり湯を飲んだり、トローチをなめたり。次の日曜は新潟教会で堅信式ですし、12月にはいったら、司教団全員でローマへ行かねばならぬので、必死で治さなくてはなりません。気をつけてるはずなのに・・・・。先週と先々週と二回も続けて、写真のところで冷たいビールを楽しんだのが悪かったのかも・・・。やっぱり冬には温めの燗がいい・・・。

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2007年11月19日 (月)

聖書週間です

18日から25日まで、日本のカトリック教会では「聖書週間」と定めております。今年は「喜び生きよう『はじめに言葉があった』」というテーマが選ばれております。言うまでもなくヨハネ福音書の冒頭の言葉であり、神のことばの会である神言会では、ことあるごとにこの箇所が朗読されております。聖書週間にあわせてリーフレット「聖書に親しむ」も発行され、小教区にも届いているのではないかと思います(届いてましたか?)。巻頭言に岡田大司教が書いているとおり、今年11月はナイス(福音宣教推進全国会議)が開催されて20年になります。巻頭言において、ナイスの企画実行に深く関わった岡田大司教は、当時の答申をふり返って、「わかちあい」は登場するが、「聖書のわかちあい」が登場していないことに触れています。そして次のように記します。

「NICE ─ 1 は、現実の種々の問題をまず取り上げ、その問題に対して福音はどんな光を当ててくれるのか、を見ていこうとしたのだと思います。聖書の分かち合いであれば、まず聖書を読み、神のことば、キリストの福音が自分たちの生活に何を言っているのか、どのような光、励まし、力となっているのか、をともに見ようとします。これは逆の方向です。
生活と社会の現実を直視することは大切ですが、それで終わってはならないわけです。それはそうとして、わたしたちは聖書の世界に入り、そこから生活と社会の現実を見ていくことが大切です」

今回のテーマとなっている「喜び生きよう」は、ナイス後に出された司教団文書「ともに喜びをもって行きよう」につながっています。福音に基づいた信仰生活は「喜び生きる」ものであるはずだからです。

聖書週間にあたり、再び小教区の皆様に、聖書を中心としたグループの活動をお勧めします。今回のリーフレット「聖書に親しむ」には、幸田司教による聖書の集いの方法についての解説もあります。是非ご一読下さい。無理をしてわかちあいをしないまでも、気の合う仲間数人でよいのですから、定期的に集まって一緒に聖書を読む集まりをはじめませんか。黙読するよりも声に出して読む。そして黙想してみる。そしてできることなら感じたことは口に出し、そして一緒に祈る。何かが変わってくると思います。(リーフレットは中央協議会のホームページからも見ることができます)

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2007年11月18日 (日)

東北地区カトリック学校教育研修会

Cathsch0701 第23回目となる東北地区カトリック学校教育研修会が、11月16日と17日、福島の桜の聖母学院中学校・高等学校を会場に開催されました。「東北地区」というのは、すなわち仙台教区と新潟教区の地域内のことで、主催が「東北地区カトリック小学・中学・高等学校連盟」ですから、対象となるのは小中高であります。

具体的には新潟教区から秋田の聖霊と新潟の清心、仙台教区は結構多くて、青森の明けの星、八戸のウルスラ、盛岡の白百合、仙台の白百合、ウルスラ、ドミニコ、福島の桜の聖母、郡山のザベリオ、会津若松のザベリオという11校から、校長や教頭、教員が総勢106名参加した研修会でした。研修会には前日まで札幌にいたにもかかわらず、新潟の私と仙台の平賀の両司教も参加しました。会場となった桜の聖母は福岡の明治学園と同様コングレガシオン・ド・ノートルダム修道会が経営母体で、理事長のシスター今泉ヒナ子も参加されておりました。お名前はよく存じ上げていたものの、ご本人には初めてお会いいたしました。

研修会のテーマは「こころといのちの教育をめざして」とされ、基調講演として福島学院教授であり精神科のお医者さんである星野仁彦先生が、「こころといのち。心療内科医から見た青年期の諸課題」と題して話をされました。思春期の子どもたちの心の様々な問題や、性の問題について熱く語られました。特にHIV/AIDSの問題に関連して、性教育の必要性についての強調されておられましたが、その主張には耳を傾けるべきものがありました。

Cathsch0702 中学や高校の教育研修会なるものに参加するのが初めてでしたから、ちょっと戸惑いましたが、いろいろな科目の公開授業があったり、それについての意見交換があったり、テーマ別分科会では各学校の取り組み紹介があったりと、興味深い内容でした。公開授業は、冒頭写真の、桜の聖母高校一年生の宗教のクラスを見学させていただきました。シスター伊達先生が、「ミサ」について、たった50分で高1女子高生に説明するというすごい業を見せてくださいました。私自身は名古屋の南山という男子のミッションスクールで中学高校時代を過ごしたので、宗教の授業と言えば、皆様の休憩タイムとして寝ているか、おしゃべりしているか、という荒れ果てた光景しか思い出しません。ですから、どうやってこのテーマを説明するのだと思いましたが、いや、本当にすばらしいクラスでした。音楽を使っての精神集中から始まって、すでに前回クラスで説明した「最後の晩餐」の話から掘り起こし、イエスの生涯とミサの展開と私たちの生活の三つを対しさせながら解説し、最後はギターの歌でしめる。カテケージスのクラスでも、信徒向けの講話でも通用する上手に取捨選択された内容でした。

二日目に行われた分科会では平賀司教と共に宗教部会に参加させていただき、仙台白百合の「宗教音楽」の授業についてと、新潟清心の「奉仕活動」についての報告を聞きました。前日にもその話は出たのですが、ミッションスクールで行事の一環としてミサをするかどうかには、賛否両論のようで、今回集まった学校でもミサを行う学校は少数派と感じました。新潟清心では年に数回ミサをしていますし、私も時間があればクリスマス会などでミサをさせていただいてますが、確かに大多数が信徒ではないところでミサをすることの難しさもあります。でもやり方を考えれば、良い教育の機会にもなりうると感じてはおります。今回の研修会も最後は二人の司教司式のミサでしめたのですが、参加した106名の中で信徒は30名ほどですから、多少の難しさは感じました。しかししっかりと準備をし、内容的にも考えて行えば、意味のあるミサを共にすることはできるのではないかと感じております。

昨日は福島での研修会後、すばらしく晴れ上がった磐越道のドライブを楽しみながら新潟へ戻り、夕方5時半から、日本カトリック医師会の移動理事会懇親会に顔を出しました。東京や大阪などからカトリック医師会の理事が新潟へやってきて理事会を開き、そのあとに新潟の会員も含めて神山復生病院のホスピスで主に働かれる本間先生の講演会。そして懇親会です。残念ながら講演には間に合いませんでしたが、懇親会には十分間に合いました。本間先生は佐渡の方で、数年前までは佐渡で働いておられた方です。

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2007年11月16日 (金)

札幌は・・・

ところで、日韓司教交流会の初日、11月13日の札幌は快晴でしたが、本日15日のお昼頃には雪が舞い始めておりました。寒い冬の始まりであります。さすが北海道であります。初めて北海道を訪れたという沖縄の押川司教様は、風邪を引きそうだといいながら、なにやら楽しそうでありました。

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2007年11月15日 (木)

日韓司教交流会が開催される

Jpnkor0701 第13回目となる日韓司教交流会が、11月13日午後から15日昼まで、札幌の札幌パークホテルを会場に開催されました。聞くところでは、1995年にマニラで開催されたFABCの第六回総会の席上で、先日亡くなられた濱尾枢機卿(当時横浜司教)と韓国の大邱教区のイ・ムンヒ大司教のお二人が出会い、近くて遠い隣人である日韓両国の相互理解を深めるために教会指導者の集まりを開こうではないかという合意から、日韓の歴史勉強会の形で始まったと言うことです。その後現在のような司教団の全体としての行事となり、現在では、ほぼすべての司教が参加し毎年交互に互いの国を訪問する行事となっています。(写真は会場の札幌パークホテル会議室にて)

Jpnkor0702 今回の交流会には日本側から13名の司教、韓国側から14名の司教が参加して、「韓国と日本の殉教者」について学びあいました。韓国からはソウル大学の名誉教授であるイ・ウォンスン先生が、日本からは溝部司教が講師となり、それぞれの国の教会の歴史と殉教の歴史について講演を行い、それに基づいて四つのグループに分かれて「現代社会と教会はどう向き合っているのか」について討論を行いました。韓国の教会の歴史は、宣教師の努力によって始められたのではなく、文献の研究から信徒の手によって発展してきたもので、常に信徒がリードする教会として歩み続けてきた姿が浮き彫りにされました。そのなかでやはり儒教的な価値観と信仰の価値観が対立し、弾圧を受けたとの説明がありました。日本でも、いろいろな歴史的出来事が迫害の原因として持ち出されるが、結局は日本の国が統一されていく過程で、その国の姿と徹底的な一神教のあり方が相容れなかったことに、迫害の根本的な原因がある事が浮き彫りにされました。(北一条教会でのミサ後に。公式撮影の写真より)

二日目の夕方には札幌教区のカテドラルでもある北一条教会で、札幌教区で働く神父様も多く参加してくださり、共にミサを捧げました。岡田大司教司式で執り行われたこのミサでは、濱尾枢機卿と6月1日に亡くなられた釜山のチョン・ミョンジョ司教の永遠の安息のために祈りが捧げられました。札幌の信徒の方もたくさん参加してくださり、すばらしい聖歌で韓国の司教達を歓迎してくださいました。なお両国司教団はミサ後には、すぐそばにあるサッポロビールファクトリーで、互いの親交を深めました。

Jpnkor0703 今後に向けていくつかの課題もあるように思います。最終日にも少しその話になりましたが、これまでは過去の歴史に焦点を当てて二国間の関係を考えてきたですが、これからは東アジアの二つの司教団がアジアの問題について、また世界の動きについてどう考えるのかを話していった方がよいのではないかという点です。この問題は前回も指摘されており、昨年の大邱での交流会には香港の補佐司教様に来ていただいて、中国の召命などの問題について話していただいたこともあります。日韓以外にも目を向けようという試みでした。これからは、それぞれの国内問題だけを中心にするのではなく、アジアや世界へ目を向けた話し合いと提言の場にしていったらどうなのかと私も思います。もう一つは、共通の言葉の問題。今回は14名の韓国側の司教のうち4名が日本語を自由に操られるますし、それ以外に日韓双方の通訳の神父の助けも得てコミュニケーションが成り立ちましたが、常にそうとは限りません。では英語というわけにもいかないでしょうし、多数が共通で使えるイタリア語というわけにも行かないでしょう(なにぶん私自身がイタリア語はできませんから)。どうやって最善のコミュニケーションを図るのかが、今後の大きな課題となる予感がいたします。(写真は歓迎ミサに集まってくださった札幌の信徒の方々)

今日のお昼は、帰る前に「是非、札幌ラーメンを食べてビールを飲みたい」と言う一部の韓国の司教さんたちのリクエストで、私も一緒に早めに新千歳空港に移動し、空港ターミナルのラーメン屋でおいしい札幌ラーメンを頂きました。もっとも食べ終わってふと上を見たら、その店の「のれん」には「旭川ラーメン」と記してありましたけれど。

明日と明後日(16日と17日)は、福島の桜の聖母学園を会場に、東北地区カトリック学校教育研修会が開催され事になっていますので、平賀司教と共に二日間参加してくる予定としております。

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2007年11月13日 (火)

濱尾枢機卿葬儀

Kc280051_2  昨日11月12日正午から、東京のカテドラル関口教会聖マリア大聖堂で、濱尾枢機卿の葬儀ミサが執り行われました。教皇の名代として司式された白柳枢機卿は、50年前に留学先のローマで濱尾枢機卿の司祭叙階式に立ち会って以来、その後は自分が東京教区長にそして濱尾枢機卿が補佐司教にと、長年にわたって一緒に働いてきたことを不思議な縁であったと語られておりました。葬儀にはあの聖堂が一杯になるほどの方々、180名をこす司祭団、ほぼすべての日本の司教団、教皇大使、韓国からも引退されたばかりの大邱の大司教など、多くの参加がありました。黒のシンプルな棺に収められた濱尾枢機卿のご遺体は、愛してやまなかった横浜教区の司祭団の手によって出棺となり、ひとたび横浜へ戻りました。本日、横浜で火葬となる予定です。

日本の司教団と韓国の司教団は、本日から三日間、札幌で定例の交流会を行います。

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2007年11月11日 (日)

12年前の濱尾枢機卿

Hamao95zaire04 私が濱尾枢機卿と初めて個人的に出会ったのは、12年前のことでした。しかも出会った場所はルワンダと国境を接する旧ザイールのブカブという町です。94年4月のルワンダ大虐殺の後7月頃には、それまで長年にわたってルワンダを支配していたフツ族民族主義政権は崩壊し、虐殺の被害者側でもあったツチ族主導のルワンダ愛国戦線(RPF)による新政権が誕生しました。虐殺の責任を逃れるため当時の政権と政府軍は、民衆を盾にし巻き込みながら、近隣の国へ逃げ出しました。当時、200万を超える人がこのために難民となったのです。その難民キャンプの支援にあたるため、国際カリタスの一員としてカリタスジャパンも旧ザイールのブカブに人員を派遣していたのです。延べ18名ほどのボランティアが、94年10月から翌年5月まで派遣されました。私もその最後のグループの一員として、95年3月末から5月まで、ブカブに滞在しました。その当時のカリタスジャパンの責任者が濱尾枢機卿でした。

Hamao95zaire02 5月末にカリタスジャパンは現地から撤収することになり、ちょうど国際カリタスの総会に出席するためにローマまで来ていた濱尾枢機卿に、現地入りをお願いしました。当時カリタスジャパンの委員であった横浜教区の山口道孝神父が同行することになり、ブカブ入りが決定したとたんに、同じ旧ザイールのキクィットでエボラ出血熱が発生したのです。日本から見ればブカブもキクィットも同じザイールの町ですから、周囲は心配してブカブ行きを止めたらどうかと進言したそうです。ザイールが地理的に巨大な国であったため、ブカブまでは影響がなかったのですが、確かに心配されたことでしょう。でも濱尾枢機卿は来てくださいました。

ローマからケニヤのナイロビまで飛び、ナイロビで小型機をチャーターしてブカブへ飛ぶ。ケニヤの大草原を越え、ビクトリア湖の上を飛び、ルワンダの領域を超えての長旅でした。そして当時はそれが一番安全で確実にブカブへはいる道だったのです。

ブカブ入りした濱尾枢機卿はカリタスジャパンが担当していたビラバキャンプでの歓迎行事や難民のリーダーたちとの会合、難民高等弁務官事務所訪問、ビラバ小教区での難民と村人との合同ミサでの堅信式、国営放送のインタビュー、同伴者のいない子供たちのキャンプ訪問と、短い時間に様々なことを積極的にこなしてくださいました。(一番上の写真はビラバでの堅信式。二枚目はカリタスブカブの当時の責任者であったピエール・チバンボ神父と、カリタスブカブ支援の覚え書きにサインする濱尾枢機卿。なおチバンボ神父は現在、ローマの国際カリタス事務局で働いている)

Hamao95zaire01 その後、バチカンに呼ばれて移住・移動者司牧評議会議長に就任されたとき、秘書は私がガーナで働いていた時代に管区長だった神言会のアメリカ人司祭でした。彼によれば、その後の仕事の中で枢機卿は、この時のルワンダ難民キャンプでの経験を繰り返し語っていたと言うことです。私自身もカリタスの会議でローマへ出かける度に必ず食事に出かけましたが、そのたびに、ブカブからナイロビに帰るセスナ機が激しく揺れ続けて、濱尾枢機卿だけが何度も何度もあの頭を天上にぶつけて大変だった話になって大笑いしたものです。濱尾枢機卿は、ただ優しいだけではなく、その時その時に本当に大切なことは何であるかをしっかりと見抜く目を持った、偉大な宗教者であったと思います。(写真はブカブからナイロビへ飛ぶセスナ機の機内で。低い天井に濱尾枢機卿は何度も何度も頭をぶつけておられました)

明日の正午から、教皇様の名代として白柳枢機卿様が東京のカテドラルで葬儀ミサを司式されます。濱尾枢機卿が天国で永遠の安息に入られたことを確信しながら、その働きに対して感謝のうちに共に祈りたいと思います。

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2007年11月 9日 (金)

濱尾枢機卿帰天

すでに一般紙にも報道されていますが、濱尾文郎枢機卿様が昨日、11月8日夕方、有明の癌研有明病院で肺ガンのために亡くなられました。77歳でした。先ほど東京で梅村司教様にお会いしたので、少し詳しいことを聞かせていただきました。枢機卿様は教皇庁の移住・移動者司牧評議会議長の役職を引退されたあとも、教皇庁でのそのほかの役目が残されていたためローマにお住まいでした。9月末頃に息苦しさを感じて検査したところ肺ガンが発見され、さらに詳しく検査するために10月の始めに帰国して癌研有明病院に入院されていたそうです。ところが先週末に肺炎を併発され、昨晩亡くなられたと言うことです。お祈り下さい。

Hamao01 今年の6月にローマで国際カリタスの総会が開催された折、アジアのカリタスメンバーで濱尾枢機卿様を招待して、バチカン近くの中華料理屋で夕食会をしました。写真はその時の様子です。インド、タイ、インドネシア、スリランカのカリタス担当司教や司祭に囲まれて、とてもお元気でした。ローマでの役目が終わったら日本に帰って何かの役に立ちたい、そのためにこの年になってから韓国語を学んでいるというお話でした。濱尾枢機卿様は横浜教区長時代にカリタスジャパンの責任司教でもありましたし、カリタスアジアのプレジデントとして、国際カリタスの副総裁も務められました。ちょうど私がカリタスジャパンの調整員としてザイールのルワンダ難民キャンプに派遣された当時、カリタスジャパンの責任者が濱尾枢機卿様で、カリタスジャパン撤収にあたっては、現地までおいで頂きました。現地で司式していただいたミサの興奮は忘れられません。あの日は、枢機卿様の流暢なフランス語にも驚かさせられました。

葬儀は12日月曜日の正午から、横浜雙葉学園講堂で執り行われます。R.I.P.

P.S. まだ公式には聞いていませんが、葬儀は東京のカテドラル関口教会に変更になったようです。(11時50分追記)

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2007年11月 8日 (木)

「宣教学入門」

ちょっとスケジュール密度が高かったのか、本日は多少血圧が高く、四旬節課題小冊子の編集会議をお休みさせていただきました。明日の午後は東京神学院の常任司教委員会なので、これには行けそうです。そういうわけで、休みながら少し物を読む時間がとれました。数日前に受け取っており気にかかっていたので一気に目を通したのが、御受難会の来住(きし)英俊神父様の書かれた「何をしていいか分からない人のための宣教学入門」。なかなか興味深い。16頁の小冊子ですから、すぐに読めます。多くの方に、是非一度読んで頂きたい。コピーを手に入れておきたいと思います。来住神父様の呼びかけるとおり、私も宣教しなけりゃ意味がないと思っているので、この文書は強力なヒントになると思います。

今年は12月にアド・リミナ(司教のローマ定期訪問)のために不在期間が長くなるので、年頭の司牧書簡の原稿を今から用意しておかないと印刷に間に合いません。今回は短い年頭の挨拶になります。というのも、4月に開催される宣教司牧評議会を受けてから、本格的な司牧書簡を出させていただくつもりでおりますので、年頭書簡はそのエッセンスに留めておきたいと思います。そしてその書簡のテーマも、来住神父様の文書と同様に、福音宣教への取り組みの予定であります。

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2007年11月 7日 (水)

カリタスジャパン全国担当者会議

Sapporo07 札幌はそろそろ冬になろうとしていました。札幌教区のカテドラルでもあり、札幌司教館もある北一条教会を会場にして、火曜日の朝から本日水曜日のお昼まで、カリタスジャパンの定例全国担当者会議が開催されました。北一条教会のすぐそばにはサッポロビールの工場跡に建てられたサッポロファクトリーという巨大商業施設がありますが、そこの旧工場を残したレンガの建物の壁は、美しく紅葉に燃えていました。

Sapporo04 カリタスジャパンは、司教団の委員会としての存在と、それを支える事務局で成り立っています。教会の組織としての顔と、国際カリタスという国際的NGOの一部としての顔の両方を持っていますが、教会の組織としてのカリタスを支えているのは、実は東京にある事務局ではなくて、各地の教会に根ざしている社会福祉などのネットワークなのです。そのために日本におけるカリタスの活動を作り上げているのが、各教区のカリタスジャパン担当者であります。例えば新潟教区であれば町田神父様が担当者ですが、地震などの時にまず様々な活動について情報を集め判断をし、現場での連絡を取り調整するのが、教区担当者の役割です。またカリタスジャパンの年間収入の中でも一番大きな割合を占める「四旬節献金」に関しても、中心的な役割を果たしてくださるのが、教区担当者です。年に一度、各地でこの教区担当者の大会を開催しております。準備してくださった場崎神父様を始めサッポロ教区の事務局の方々には本当にお世話になりました。

初めて北一条教会を訪ねましたが、北海道らしい重厚な作りでした。教会はなんと言いますか、箱船のような雰囲気です。司教館も歴史を感じさせる建物でした。下の写真です。

札幌の町はすでにクリスマスでした。サッポロファクトリーの中には巨大なクリスマスツリーが飾られ、サンタクロースの飾りもそこら中に。それほど厳しい寒さではまだないものの、ぴりっとした寒さがクリスマスらしくはありました。帰りがけの新千歳空港。自衛隊所属の政府専用機が二機、タッチ・アンド・ゴーの訓練を繰り返していました。それにしても北海道は広い。昔英語を勉強に行った合衆国のアイオワ州あたりを思い起こす風景でした。来週もまた、日韓の司教交流会のためにもう一度札幌に行きます。 

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新潟教会パイプオルガン放映

Img_2507 新潟教会のパイプオルガンは、先日新潟日報にも掲載されたように、聖堂と同じく80年ほどを経た歴史のあるオルガンであり、このタイプでは日本で二台しかない貴重なものだと言うことです。国内の技術者によって定期的にメインテナンスされてはいるものの、パイプオルガンの命でもあるパイプの保守が一番重要であり難しい問題です。現在もいくつかのパイプの交換が必要だと言うことです。その資金捻出のためにも、11月16日と17日にパイプオルガンのチャリティーコンサートが催されることになっています。献堂80周年記念事業でもあります。これにちなんで、今晩(11月7日)夕方6時半頃から、NHK新潟ローカルのニュースの中で、聖堂からの生中継が行われ、パイプオルガンの演奏が放送されます。大瀧主任司祭やコンサートの企画メンバーも出演します。時間があればご覧下さい。(写真はリハーサル中)

コンサートは16日19時からと17日14時半から、1000円です。お問い合わせは、新潟カトリック教会まで。 TEL 025-222-5024(AM11:00~PM3:00)

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2007年11月 5日 (月)

新潟教会献堂80周年

Cath80th01 記事が前後します。新潟教区の司教座聖堂(カテドラル)でもある新潟カトリック教会の現在の聖堂が、献堂されてから80年が過ぎました(教会堂が完成して、司教によって祝別されて盛式に聖堂となることを教会用語では「献堂」と言います)。新潟の第二代の教区長であったアントン・チェスカ師の指導の下、1907年に異人池の畔に現在の形で完成しました。内外装ともほとんど当時のままですが、1996年に大改装をして美しく変身しています。また1981年の教皇ヨハネ・パウロ二世来日を記念して、聖堂の右側前方に小聖堂が併設されております。御聖体はここに安置され、平日の朝ミサもここで捧げられています。聖堂の発展の詳しい経緯などは、11月17日まで、新潟教会のカトリックセンター一階で、写真展が開催されていますので、是非そちらをご覧下さい。入場は無料です。

Cath80th02 さて先日11月3日に、教皇大使をお迎えして、献堂80周年の記念感謝ミサが執り行われました。当日は聖堂に200人近い参列者が各地から参集してくださり、大使、参事官、神言会の市瀬管区長をはじめ総勢22名の司祭団によってミサは捧げられました。おいで頂いた皆様、お祈り下さった皆様、ありがとうございました。また準備をしてこられた新潟教会の皆様にも、心から感謝申し上げます。信徒の皆様のご尽力で、素敵な記念誌もできています。短いとはいえ、新潟県の泉田知事からもお祝いのメッセージを頂きました。聖歌隊のデ・アンジェリスを始め、歌は素敵でありました。

Cath80th03 80年を祝っている今年、特にとなりにかつてあったという「異人池」のことや、聖堂内のパイプオルガンのことなどで、一般の市民の方々からも新潟教会聖堂は注目をされる存在となりました。パイプオルガンについては、先日の新潟日報にも取り上げていただきましたし、7日の水曜日の、夕方のNHK番組で放送される予定もあるとのことです。建物や施設が注目を浴びるのはありがたいことだと思います。これは、アントニン・レーモンドの作になる新発田教会の聖堂にも通じるところがあります。確かにそれはありがたいことではあるものの、私たちにとって、その立派な由緒ある建物が単なる建物に終わっては意味がありません。その建物を支える信仰者の共同体があってこそ初めて、教会堂は聖堂になるのです。

80周年を機会に、次の100周年を目指しながら、この素敵な建物と支える教会共同体をさらに強固なものとして育成し、聖堂を聖堂たらしめる努力をいたしましょう。

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2007年11月 4日 (日)

大使は新潟へ

Nagaoka0702 そしてこの週末、教皇大使アルベルト・ボッターリ・デ・カスッテロ大司教はレオン・カレンガ参事官と共に、新潟を訪れたのでした。11月3日は11時から新潟教会の献堂80周年記念ミサに参加(これについてはまた明日にでも)。その夕方には長岡のブルーノ師(フランシスコ会)の案内でまず柏崎教会へ。先般の地震についてバッシ主任司祭(フランシスコ会)の話を聞いたあとで、長岡の表町教会へ。夕方5時から7時まで、集まったフランシスコ会の長岡地区イタリア人会員たちと意見交換会。端で聞いてましたが、イタリア語ができないので、想像するばかり。かなり盛り上がってました。そして7時から夕食会。もちろんイタリアのワインが提供され、かなり盛り上がってました。大使はイタリア語で盛り上がったご自分の「小話」を、わざわざ私のために英語で繰り返してくださったり。私がワインの威力に降参して退散した9時頃には、まだまだ盛り上がってました。恐るべし、イタリア人。

Nagaoka0701 そして本日は朝10時15分から、表町教会聖堂で、表町と福住の両教会の信徒の方々が集まって、大使がミサを捧げてくださいました。今日は侍者もたくさんいて、侍者は侍者で「表町流の侍者か福住流か」で盛り上がってましたね。やはり教会によって、それぞれ流儀があるんですね。同じミサなのにおもしろいことです。侍者は大使と記念に一枚ぱちり。今日のミサには浦佐にある国際大学からも留学生が来ていました。中にルワンダからの留学生の女性もおり、お隣のコンゴ出身のカレンガ参事官と懐かしそうに話しておりました。ミサのあとは大使への質問タイムとなり、最後に記念撮影で無事大使訪問も終了。教会での昼食後、午後3時半頃の新幹線で、東京へ戻られました。

大使のミサ中の説教は、あとで翻訳してホームページに上げておきます。事前に用意されたテキストを読み上げるときの通訳は難しいですね。書かれた文章は手が込んでいて、翻訳するのにあちらこちらを見ないと行けないですから、思わず作文して翻訳してしまうこともあります。考え込むわけには行きませんから。その場で話をされるのを聞きながら通訳する方が楽です。私たちが日本語で話すときもそうですが、その場で考えながら話すときに、書いてあるような立派な文章をすらすら言える人はそう多くはないですから、そういうときの方が翻訳しやすいのであります。いずれにしろ、ちゃんと訳して、数日後にはアップしておきます。

明日の夕方から水曜日の夜まで、今度は札幌であります。カリタスの教区担当者全国大会。ちょうど教区司祭の月の静修と重なってしまったのですが、日程は前任者の都合で最初から決まっていたので仕方ありません。職責を引き継いだ年には、よくあることですから。実は札幌には来週も日本と韓国の司教団の交流会のため、また行かなくてはなりません。そのまま札幌に居ればよいようなものですが、残念ながらその間には会議があるので戻ってくるのであります。医者にも行かねばなりませんし。札幌に行くので新潟空港のタイムテーブルを見ていて気がついたのですが、夕方に新潟から札幌へ飛ぶ全日空のエアバスは、なんとその直前に那覇から新潟まで飛んできた機体であります。南の端から北の端まで、新潟に一度降りるとはいえ、すごい距離の飛行であります。だからどうしたと言われちゃそれまでですが、こりゃすごい。

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2007年11月 1日 (木)

大使土崎訪問

Tsuchizaki0701 先日の日曜日、教皇大使アルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教が、秋田市の土崎教会を訪問され主日のミサをともにされました。新潟教区では秋田教会が信徒数が一番多く、その次が高田教会、そして新潟教会の順ですが、秋田県内では土崎教会が秋田教会に次いで二番目の大きな共同体です。土崎は秋田市内の港のある地域で、昔は(そしていまでも少し)石油が採れるので有名だったということです。そういえば、新潟港からも夜行のフェリーで土崎港まで来ることができます。土崎教会は日曜のミサ参加者が70名ほどでしょうか。もしかしたら地域では、教会よりも隣接の幼稚園が有名なのかもしれません。秋田県内のカトリック幼稚園では有数の力のある幼稚園ですから。主任司祭と幼稚園の園長は、神言会の飯野神父様です。

Tsuchizaki0702 大使はよく練習をされているようで、ローマ字のテキストを使いながら、ミサをしっかりとした日本語で司式してくださいました。祈願などは私が代読いたしましたし、また説教は英語で行われ、私が翻訳させていただきました。ミサでは主任司祭のリクエストに快く応えてくださり、ミサに参加した一人ひとりに個別の祝福をしてくださいました。ミサのあとには信徒会館で茶話会。先日の50周年でコーラスを披露した「なんちゃってシスターズ」が健在で、今回も美しい歌声を披露してくれました。もっとも今回はシスターの格好ではなく普通の姿だったので、前回とはちょっと雰囲気が違っておりました。このコーラスに触発されたのか、大使もどうしても歌が披露したくなった模様で、サンタルチアやらオーソレミオやら、有名どころのイタリアの歌をソロで熱唱されてました。大使はちょっとした小話が大好きなのは以前から知っていましたが、歌も大好きなようであります。北の地の小さな小教区の雰囲気を少しでも感じていただけたのではないかと思います。

Tsuchizaki0703 ミサのあと、東京へ帰る飛行機の時間まで多少の間があったので、まず近くのイタリアンレストランで、パスタとピッツァの昼食。表通りから少し入ったところにある小さなお店でしたが、これがなかなか本格的でおいしい。そして車で男鹿半島へ向かい、寒風山へ登ってまいりました。ちょうど天気も良く、見晴らしもすばらしく、そして途中では、盛んに見てみたいと言われてましたがさすがに季節が季節ですからどうしようもないのですが、写真のように道ばたに立っている「なまはげ」にも、少し満足していただけたのではないでしょうか。

今週末は今度は新潟です。土曜日は11時から新潟教会の聖堂献堂80周年ミサです。大使はカレンガ参事官と共に朝の新幹線で新潟入りする予定です。そしてその翌日は長岡の表町教会で小教区訪問です。主任のブルーノ師もイタリア人ですから、おいしいワインを用意して待っていることでしょう。

昨日10月31日は、秋田聖霊学園(幼稚園、中学高校、短大)の創立記念日にあわせた職員研修会でした。150名ほどの教員と職員を前に、「いのち」について話をさせていただきました。その後の懇親会では、幼稚園の先生のご指導のもと、じゃんけん列車とやらにかり出されて、まあ、その、楽しい一時を、童心に返って過ごさせていただきました。短大の先生たちによるコーラスはお上手でしたし、中高の先生によるトーンチャイム演奏もすてきでした。

本日11月1日で40代の最後の一年を始めることになりました。お祝いのメッセージを頂いた皆様、この場を借りて御礼申し上げます。

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