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2007年11月24日 (土)

老舗ののれん

Nisemono この話、前にも書いたかもしれません。昔、まだガーナにいた頃、司祭館の食堂に掛ける時計が欲しくて首都のアクラまで買い物に出かけました。軒を並べている雑貨屋を見て回りました。すると、おお、見よ、「SEIKO」のブランドを堂々と見せつけている立派なクオーツの壁掛け時計が売られているではありませんか。信頼の日本ブランドであります。早速買ってきました。数日がたち、ふとその時計を眺めてみれば、「なんと言うことでしょう」。それは確かに日本製ではありましたが、かの「SEIKO」のブランドではなく、「SIEKO(シエコー)」というブランドネームが記してあるではありませんか。「偽物」であります。その瞬間、この時計が示している時間を信用できなくなりました。

教会の近くに住む青年が首都へ出かけてラジカセを買ってきました。「ナショナル製だ」と大いに自慢です。数週間もしないうちにそのラジカセ、見事に故障であります。ナショナル製品生産国であるところの日本国出身の私のところへ、何とかならないかと持ち込まれてきました。しかしながらよく見ると、大きくかかれた「NATIONAL」の前に、「なんと言うことでしょう」、申し訳程度に小さな文字で「inter」と記してあるではありませんか。「インターナショナル」という日本のお隣の某大国の製品であります。

こういった類の話は「詐欺だ」と大騒ぎになることもなく、騙された方にしても何となく笑って済ませてしまう程度の話です。しかしそういった「偽物」が有名なブランド名を騙ってみせるのは、中身の品質保証が自然について回るからであります。有名ブランド名自体が、品質保証書みたいなものであります。確かに、有名ブランド名はすなわち品質を保証する代名詞だと、長年信じられておりました。

しかし近頃の日本社会では、有名ブランド名が必ずしも中身の優良さを保証しないという事態が起こっております。それどころか、考えられないような稚拙な方法での偽装。特に老舗暖簾を誇る食品会社が、ありとあらゆる偽装工作であります。もちろん、賞味期限が切れていようが、冷凍して解凍していようが、確かにすぐに病気になるわけではないのですから、騒ぎすぎと言えばそれまでです。もしかしたら当事者も多少そう思っているのかもしれません。なるほど、近頃の潔癖すぎる傾向は行きすぎであるような思いもします。でもそこには問題の本質はない。企業の倫理観の問題であり、ひいてはその基礎にある私たちの国の倫理観の問題です。

倫理観に信頼を置くことができないのであれば、ブランド名で中身を判断する時代はすでに終わりを告げ、中身で勝負の時代に移り変わっていくということなのかもしれません。老舗の暖簾だけに頼って商売はできなくなったのかもしれません。しかしそんな時代だからこそ、老舗の暖簾を受け継いでいるものは、暖簾にふさわしい中身を提供するという当然の行為を、高い倫理観をもって実行する必要があるのだと思います。そして2000年の暖簾を誇るカトリック教会はどうなのでしょう。新潟教区でもこのところ100年とか50年とか、歴史を誇るお祝いが続いています。それなりに歴史を誇る暖簾であります。明日の日曜日、王であるキリストの主日、新潟教会は献堂80周年のお祝いを締めくくることになります。この機会に、80年の暖簾にふさわしい中身を提供しているのか、真剣にふり返る必要があるのだろうと思います。そしてブランド名の暖簾にだけ寄りかかっていないかどうか、それもふり返る必要があるでしょう。(冒頭の写真は、東南アジアの某国で見かけたPlay StationならぬPoly Stationの箱)

明日の日曜日、新潟教会では9時半から堅信式が行われます。その後2時半過ぎから、新潟地区カトリック女性の会主催で、「カトリック ボランティア ネットワーク と私」と題した遠藤喜久子さん(横浜教区)の講演会も行われます。これは09年に新潟での開催が予定されている日本カトリックボランティア連絡協議会の全国医大会に備える講演会ともなっております。(喉の風邪は治りつつあります。アドバイスのメールを下さった方、ありがとうございます。感謝)

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