« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »

2007年12月31日 (月)

良い年を

雪の大晦日となりました。深夜12時から、新潟教会では平和祈願ミサを行います。明日の朝は、11時から神の母聖マリアの祝日のミサです。

激動とまでは言わないものの、今年も地震があったり、猛暑だったり、また教区では宣教司牧評議会が始まったり、アド・リミナがあったりと、あっという間の一年でした。教区の様々な活動にご協力いただいた皆様に、心から感謝いたします。2008年がよりすばらしい年となるように、皆様の上に慈しみ深い御父の祝福を祈ります。

P.S. 先日、秋田の土崎教会を会場に行われた、秋田地区主催の青少年の集まりには新潟教会からも4名が参加したようです。わかちあいのすばらしさに、参加したメンバーは大変感激したようです。若い人たちが、ぶっちゃけて心から話ができるわかちあいのスタイルを受け入れてくれていることは心強いことですし、先輩である私たちも彼らの姿勢に倣いたいものだと思います。

|

2007年12月29日 (土)

今年最後の仕事

日曜日のミサは別にして、今年最後の仕事をやり遂げました。今年も残すところあと二日。

Img_2864 今年最後のお仕事は、今朝は7時から。お隣の日本キリスト教団新潟教会において、月に一回開催されている朝祷会でお話をさせていただきました。朝祷会でお話をさせていただくのは、神学生時代に名古屋で話をして以来、20数年ぶりでしょうか。超教派の祈祷集会です。先日頂戴した「朝の祈り。朝祷会50年の歩み」という朝祷会全国連合の記念誌によれば、1956年末に開館した大阪クリスチャンセンターの活用法を話し合う中で、翌1957年の1月に朝食会として発足したのだそうです。その後、全国に広まったと聞きました。カトリックがいつから参加してきたかは聞いたところでは定かではありませんが、想像するに、第二バチカン公会議後のエキュメニズム運動の広がりによるのではないでしょうか。ちなみに新潟での朝祷会は、本日参加された方に伺ったところでは、1963年3月25日に17名の方が集まって最初の朝祷会が行われたのが始まりということでした。現在新潟にあるプロテスタント系のミッションスクール敬和学園は、この集いから構想が出来上がってきたとも聞きました。

新潟朝祷会ではカトリックの参加があまりないということもあり、今年は月例会での話し(奨励)に、主にカトリックの司祭を招いてきたということで、その締めくくりに私が呼ばれました。今日の集まりには、御年100歳の大長老を筆頭に7名の方が参加してくださいました。聖書を輪読し、私が30分ほどお話をしたあとに、自由祈祷となりました。いやあ、プロテスタントの方々は、本当に自由祈祷が上手というか得意というか。カトリックはどうしても決められた形式に弱いところがありますから、それはそれで良いところもありますけれど、信仰に自由さがないところもある。それが現実の信仰においても自由さを欠落させてしまう嫌いもある。本当に目の前に主がおられんばかりにお祈りをされる方々の迫力に圧倒されました。私にも順番が回ってきたので、「感謝して、記念して、それから願い」と順番を考え必死に、しかしながら自由にお祈りさせていただきました。そういえば、ガーナにいるときに、病人訪問で、なるべく長く荘重な自由祈祷をしていた時代もあったなと思い出しました。自由祈祷のあとは、皆で軽く朝食を頂いて解散。

ところで教団の教会には、なんと呼ぶのか知りませんが、携帯小型箱形の賛美歌伴奏機があるのには驚きました。賛美歌の番号を入力すると、オルガンによる伴奏が流れてくる。小さな集まりなどでは、優れ物だと思いました。

明日は聖家族の主日です。どうぞ良い年をお迎え下さい。新潟教会では大晦日の真夜中、1月1日になった瞬間に、わたし司式で平和祈願ミサを行いますので、時間のある方はどうぞおいで下さいませ。教会での年越しもいかがでしょう。(写真はアドリミナ後に訪れたフィレンツェの聖十字架聖堂前で、クリスマスのお祝いに出ていた屋台。お祭りのような光景でした)

|

2007年12月27日 (木)

道ばたのコミュニケーション

Img_2927 今頃になって年賀状をまったく一枚も出していないことに思い至り、慌てて郵便局へ走りました。年賀状は、まだ在庫がある様子です。28日、すなわち明日までに投函すれば、運が良ければ元旦に配達されるかも、などと先日テレビで言ってましたが、間に合いますか。新潟駅から万代橋を通って古町方向へ伸びる一直線の目抜き通りでは、このところ歩道の工事が進められております。新潟中郵便局からの帰り、ふと気がつくと、写真のような張り紙がありました。道路工事の看板に貼り付けてあります。上は手書き、下は印刷。実は上の手書きの張り紙はだいぶ前にあったもので、11月末頃でしたか、東京からの帰り、夜に新潟駅から司教館まで歩いていたときに気がついておりました。

張り紙は、身体障害者の方によるものと記されています。察するところ、車いすで生活している方ではなかろうかと思います。工事中の通りの交差点部分を図で示しながら、バリアフリーにして欲しいという訴えでした。正直言ってこの張り紙の運命はどうなるのだろうと心配になりました。工事現場の看板に貼り付けた張り紙。もしかしたら、そのまま無視されて剥がされていくのではなかろうか。注文があるなら、正規のルートへなどという対応になるのでは。だって公共事業ですから。

ところが、その私の予想を見事に裏切って、その下に(しかも看板は最初のものではなく真っ白な看板に張り替えられていました)見事な回答が、写真付きで、任せてくれ、必ずやバリアフリーにするからとでも言いたげに、張られているではありませんか。もっとも回答者が誰なのか記されていなかったので、本当に正式な回答なのかどうか分かりませんが、仮に工事関係者なり役所の方なりが本当に回答したのであれば、「あっぱれ」を差し上げたい。そしてバリアフリー化、頑張って取り組んでくださいね。09年にはカ障連の全国大会も新潟でありますから。(ちなみに先日来よく見ていると、新潟交通では低床バスを大量に新規購入したらしく、ノン・ステップと書かれたバスがよく目につくようになりました)

本日は、新潟県内で働く司祭団(教区司祭とフランシスコ会メンバー)に集まっていただき、11時からミサ、そしてお昼からクリスマスのお祝いをいたしました。教区司祭のアンリ師のギターと歌(彼は一部ではプロのシャンソン歌手といわれているらしい)、みんなで合唱で盛り上がりましたが、いつものフランシスコ会メンバーの歌がなかったのが、ちょっと残念。やっぱりちょっと年齢を感じておられるのかなと、心配になりました。

ところで、「信徒でもないけれど教会に行っても良いか」という質問メールを下さった方。たぶんこの日記を読んで下さっていると思いますが、返事メールを出しても戻ってきてしまいました。それで回答ですけれど、どうぞ信徒でなくてもご自由に教会においで下さい。カトリックでもプロテスタントでも、大概、日曜日の午前中に礼拝をしていますから。ゴスペル的なものは、特にカトリックではあまり耳にすることはないと思います。以上。

|

2007年12月25日 (火)

はい、おしまいのクリスマス

おお見よ、この潔さを。決意を固めたのなら躊躇してなりませぬ。ええい、クリスマスは終わりである。デパートメントストアの閉店時間が来たりせば、なな、なんと、クリスマスは過去の歴史に組み込まれるのである。明朝からは年末年始に向けた飾り付けとなるでありましょう。11月頃から続いておりました、俄キリスト教国的風物は疾風のように消え去り、私たちの国は明朝から日本の文化伝統を完全に取り戻すのであります。この頭の切り替えの素早さは、すばらしい。

写真は新潟古町の大和デパートの名物、唄って踊るウサギさんたちであります。かわいいですよ。よく働くウサギたちで、夜遅くまで唄って踊ります。おかげで、夜になると近くで一杯やったおじさんたちが酔った勢いで、ウサギと一緒に踊っていたりと、ほのぼのとした光景を造り出すのであります。

左が12月25日午後7時。最後のひと踊りのウサギたちであります。そして右はその30分後、午後7時半。さらば、クリスマス。ちなみに教会では、これからがクリスマスのお祝い本番でありまして、1月6日の主の公現と、その次の13日主の洗礼まで続くのであります。12月30日は聖家族の主日、翌31日の真夜中12時、すなわち新年になたその瞬間には、新潟カトリック教会でも司教司式で真夜中のミサが行われます。初もうでに行かれる方も是非教会にも寄って、お祈りしてはいかがでしょう。

Img_2921 Img_2930

|

御降誕おめでとうございます

主イエスの御降誕、おめでとうございます。

Xmas07 新潟教区の皆様、そして司教の日記に目を通してくださる皆様、クリスマスおめでとうございます。それぞれ各地で様々に、昨夜から今日にかけての祝いの一時を過ごされたと思います。新潟市内は雪もなく、夜半には晴天となり満月が輝く中、例年以上の方が詰めかけて満員の聖堂で、降誕の夜半のミサを捧げました。聖歌隊も忙しい中よく練習されて、グレゴリアンの天使ミサをしっかりと歌いきりました。拝領時に祝福に来られた方も多かったので、普段は教会に来られない大勢の方にも、昨夜は足を運んでいただけたのではないかと思います。昨夜のミサでの説教は別途掲載してあります

本日10時からは日中のミサを捧げました。新潟教会は、昨晩に比べれば参加者は少なかったものの、それでもいつもの日曜と変わらないくらいの参加がありました。冬休みに入っているので若者たちの参加がもう少しあるかと思いましたが、ちょっと少なくて残念でした。お互いにメールなどで連絡しあっているようですので、年末年始にかけて、どこかのタイミングできっと集まるのだろうと期待しています。ミサ後には信徒会館でシチューを頂きながらの祝賀会。珍しく主任の大瀧神父が皆さんの声に押されて、普段は絶対人前でそんなことはしないのに、なんと、驚くべき事に、歌を披露してくれました。しかも若い頃に好きだったという「鳥の歌」。そういえばわたしも若い頃、この歌を唄っていた杉田かおるという女優さんが好きでしたねぇ。今でもテレビで不思議な魅力を振りまいていますけれど。

降誕の祝日の日中のミサでは、降誕のシーンそのものではなく、ヨハネの福音書の冒頭部分が必ず朗読されます。「人となられた神の御言葉」のくだりです。いみじくも第二朗読ヘブライ人への手紙でパウロは、「神はかつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によって私たちに語られました」と書いていますが、まさしく神の御言葉が私たちと同じ人間となることによって、その語る言葉と業を持って直接、神の意志を私たちに示されたのでした。このことこそは、聖書に記されている神の言葉が、死んだ文字なのではなく今生きている神のことばであることを私たちに教えています。同時に、だからこそ、主の降誕のお祝いは、昔の偉人の誕生日祝いなのではなく、あの時あの夜、神のことばが本当に命を持ってこの世にあらわされたように、今でも神のことばは生きていて力があり、それを告げ知らせることこそが(第一朗読)、私たちの責務であることを思い起こさせる祝いの時なのです。「言葉の内に命があった」とヨハネ福音にありました。生きている神の御言葉の力を信じ、その力を私たち自身の心に受けて、生かされ信仰のうちに育まれていきたいと思います。

|

2007年12月23日 (日)

クリスマスです、教会へどうぞ

本日は待降節最後の日曜日、そして明後日はクリスマスです。いわゆるクリスマスイブは明日。典礼は日の入りと共に翌日となるので、24日の夜には主の降誕のミサが祝われます。主の降誕の典礼には深夜ミサ、早朝ミサ、日中のミサと三つのミサが用意されており、通常24日の夜には深夜ミサが、25日の午前中には日中のミサが行われる教会がほとんどであろうと思います。この機会に是非一度、教会へ足を運ばれてはいかがでしょう。また信徒の方で、普段は様々な事由から教会と疎遠になってしまっておられる方もおいででしょう。こういったお祝いの機会に、また夜でもありますので、どうぞ教会へおいでになり、主イエスの降誕を共にお祈りいたしましょう。

新潟教会(西大畑バス停のそば、中央消防署の裏)では、24日夜8時から司教司式のミサ、深夜零時から主任司祭司式ミサ、25日午前10時から再び司教司式ミサ、午後2時から英語ミサが行われます。皆様のおいでを、お待ちしております。それ以外の教会のクリスマスミサ時間は、新潟教区ホームページをご参照下さい

|

2007年12月22日 (土)

アドリミナを終えて

Pope0702 アドリミナのためのローマ訪問を終えて、昨日21日の午後に新潟へ戻って参りました。帰りのKLMオランダ航空成田便はほぼ満席で、エコノミー三人掛けでしたがびっしりと並んでいると結構疲れるものです。幸いにも行きの便は混んでおらず、お隣の席が空席であったため、エコノミーでも何とかゆっくりできたから良かったのですが、やはりできれば帰りの便でゆっくりしたいですよね。この日の成田便はジャンボではなくトリプルセブンであったためそれぞれの席にテレビがついていて、夜行便であまり眠れない私は映画を見たり、テレビゲームでSUDOKU(つまり「数独」)をして時間をつぶしたり、それなりに楽しく時間を過ごしました。でも時差ボケから抜け出すのが、齢を重ねるごとにきつくなりました。

さて初めてのアドリミナを終えての感想です。教皇様の司教団へのお話は、邦訳が中央協HPに掲載されましたから、ご覧下さい。この講話での教皇様の説明によれば、アドリミナには次のような意味があると言うことです。

「皆様(日本の司教団)は使徒ペトロとパウロの墓を崇敬するためにおいでくださった・・・。皆様は、ペトロが福音宣教の務めを果たし、自らの血を流してまでキリストをあかしした町に来られました。そして、この偉大なペトロの後継者を訪ねてこられました。このようにして皆様は、皆様の国の教会の使徒的基盤を強め、司教団に属する他のすべての人々とのきずなと、ローマ教皇とのきずなを目に見える形で示します(教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的勧告『神の民の牧者(Pastores gregis)』8参照)」

Pope0703 教区司教は事前に、福音宣教省へ5年間の報告書を提出することになったおり、その内容についても細かな規定が存在します。今回の訪問の前にも9月15日締め切りで提出したのですが、今ふり返ると、その報告書と今回の訪問それ自体にはあまり関連はなさそうです。教皇様との個人謁見でも、地図で教区の場所を示すことから始まって(もっともこれはおきまりの儀式ですが)、教皇様の質問もきわめて一般的な内容に終始します。教皇様も超多忙ですから、いちいち世界中の教区の報告書に目を通す時間があるわけはないのですから、与えられた15分という枠でこちらがどれだけうまくアピールできるかにかかっているようなものです。各省庁訪問でも、提出済みの報告書について触れることもありません。あの報告書がどういう形でどこに使われるのか、それを知りたいと思ったほどでした。もちろん司教団は団体で出かけていくのですから、各省庁訪問でそれぞれの教区の事情について触れるひまもありません。考えてみれば、教皇庁から直接教区について具体的に質問されるような自体こそ、もしかしたら尋常ならざる事が教区で発生している証左となってしまうのかもしれません。省庁訪問も、今回は福音宣教省と典礼秘跡省を除いて、ほぼ表敬訪問の域を出ませんでしたから、アドリミナは少なくとも私が考えているようなビジネストリップではありません。オリンピックではないが、「司教団として行くこと」自体に意味のある旅行とでもいうべきでしょうか。

Pope0701 そういう意味でも、教皇様が話で触れた、「皆様の国の教会の使徒的基盤を強め、司教団に属する他のすべての人々とのきずなと、ローマ教皇とのきずなを目に見える形で示します」という部分が重要なのだと痛感しています。教皇様が引用された「神の民の牧者」の8番は、「司教の奉仕職の団体的性格」について述べている部分です。そこには「司教はいつも、またいつまでも、司教職における兄弟たちと、そしてペトロの後継者として主が選んだ者と結ばれているのです」ともあります。普遍教会という時の「普遍性」は、個々の部分教会の総和として成り立つものではなく、普遍教会が先に存在していて、部分教会はそれに参与しているという考え方は、何度このあたりの文章を読んでも十分理解ができていない自分に気がつきます。難しいです。しかし、今回のように目に見える形で司教団が共に行動し祈り話し合い、そして教皇様と直接言葉を交わすことが、何となく感覚的に、そこから日本へと使わされている自分たちという思いを生み出してくれたような気がします。いずれにしろ、様々な思いを新たにした旅行ではありました。

先ほどビジネストリップではないと記しましたが、福音宣教省と典礼秘跡省との会合に関しては、これまで手紙のやりとりでらちが明かなかった点が、それぞれの省庁の責任者と直接やりとりし議論することで、一気に解決に糸口がつかめた点もいくつもありましたから、そういう意味では、司教団が直接乗り込むことも時には重要だとも感じました。議論が外国語で上手にできる司教の存在が、これからは不可欠だと思います。次は5年後。司教団はどういうメンバーになっていることでしょうか。

|

2007年12月20日 (木)

アドリミナから、その5

Adlimina0714 アドリミナの公式行事最終日となった12月15日(土)は、個人謁見となった司教様方を除いて残りの全員でまず国務省へ出かけました。国務省は教皇宮殿と同じ建物の中にあり、さすがにバチカンの中枢部ですから、他の省庁と違って簡単には立ち入ることができません。スイス衛兵による何度のも確認のあと、やっと国務省に通され、残念ながら長官は不在でしたが次長とお会いすることができました。国務省からは日本の政治状況についてとか、平和憲法の行方、北朝鮮の問題などについて、いろいろと質問がありました。すでに司教団の社会問題に関するメッセージなどの資料は翻訳して提出されていますし、さすが国務省では、日本を取り巻く政治状況についてかなり細かい問題まで把握されている様子でした。

12時からは司教団全員で教皇様と謁見です。全員が司教のスータン姿になって勢揃いするのは、私にとって初めての経験です。通されたのはクレメントの広間のもう一つ奥にある大広間。枢機卿会議の時に使われる部屋だと聞きました。教皇様の席に向かって左からまず会長である岡田大司教と副会長の池長大司教。その次に高見大司教。あとはいわゆるオルド順(司教に叙階された順番)であります。岡田大司教の挨拶、教皇様のメッセージ、一人ひとりがご挨拶に行き胸掛け十字架を頂き、最後に祝福を頂いて全員写真を撮影して終わりです。岡田大司教の挨拶のあとにちょっとしたハプニングが。挨拶が終わると岡田大司教が教皇様のところへ進み出て、挨拶文を手渡して握手することになっていたのですが、手間取っている内に教皇様のほうから席から降りて岡田大司教の方へすたすたと近づいてくる。というのも、司教団では西陣織の聖母子像の額を贈り物に用意していたのですが、その目録を渡すかどうかでちょっと手間取ってしまったのでした。でもそうやって教皇様が直接歩いてこられて、にこやかに岡田大司教の方へ手を伸ばされて、その場の雰囲気は確実に和やかになりました。

教皇様のメッセージは、まもなく邦訳が中央協のホームページにも掲載されることでしょうが、日本の教会としては予想以上のすばらしいメッセージを頂きました。まず宣教の必要について次のように述べられました。
『大胆に、勇気をもってキリストを宣べ伝えなければならないことは、教会にとって変わることのない優先課題です。実際それはキリストが教会に与えた荘厳な務めです。キリストは使徒たちにこう命じたからです。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16・16)。現代の皆様の課題は、現代日本の文化的状況の中で、キリストの知らせを生き生きとしたしかたでもたらすための新しい方法を探ることです。キリスト信者が人口のわずかな割合を占めるにすぎないとはいえ、信仰は日本社会全体に分かち与えなければならない宝です』

次に、日本社会に対して神への希望を呼び覚ますことを求めて次のように述べられました。
『皆様の国のようなきわめて発展した国々においても、経済的な成功や技術の進歩だけでは人間の心を満たすことができないことに多くの人が気づいています。神を知らない人には「究極的な意味で希望がありません。すなわち、人生全体を支える偉大な希望がありません」(教皇ベネディクト十六世回勅『キリスト教的希望について(Spe salvi)』27)。人生には職業上の成功や利益を超えたものがあることを、人々に思い起こさせてください』

そして日本の教会の信徒の半分が、外国籍であることにふれ、『すべての人が教会に受け入れられていると感じることができるような措置を講じることによって、皆様は移住者がもたらす多くのたまものを活用できます』と言われました。

さらに、日本がこれまで国際社会で果たしてきた平和をあかしする立場を、世界の他の国々が学ぶことのできる知恵だとして評価した上で、『皆様は、武力紛争が罪のない人々に多くの苦しみをもたらしている世界の中で、この平和へのあかしの変わることのない重要性について、ますます教会の声を示してこられました。わたしは、皆様が日本の国民生活における公共的なことがらに関して発言し続け、さまざまな声明の広報と宣伝に努めてくださるよう勧めます。それは、これらの声明が社会のあらゆるレベルで適切なしかたで知られるようになるためです』と司教団の社会的活動と発言を評価してくださいました。

Adlimina0716 12月16日(日)には、早朝に帰国された一部の司教たちを除いて、残っている司教が参加して、梅村司教の司式で濱尾枢機卿の追悼ミサを行いました。会場となったイエズス会総本部聖堂には、上野駐バチカン大使を始め、カトリック日本人会の方々、移住移動者評議会の職員の方々など、多くの参加を頂きました。濱尾枢機卿がローマでいかに愛され尊敬されていたのかを感じることのできる一時でした。そういえば、サンタマルタでも、掃除をしてくださる職員の方々が、私にはその中のフィリピン人の方を通じて、いかにサンタマルタの職員たちが濱尾枢機卿を尊敬していたかを語ってくれました。日本の教会にとっても大きな損失でした。

12月17日(月)午後には、アドリミナと直接関係はないものの、上野大使と国際カリタスのナイト事務局長と、市内の中華料理屋で昼食を共にしながらいろいろと話し合いました。非常に興味深い一時でありました。

今日はアッピア街道にある聖セバスチアノのカタコンブに初めて出かけてきました。いつもは何十人のグループで説明を聞くのだそうですが、ありがたいことにクリスマス直前のオフシーズンで他にグループはなく、たった二人でガイドさんに説明を受けました。あの有名な「クオ・バディス・ドミネ(主よ、どこに行かれるのですか)」の聖堂にも行ってきました。大きなイエスの足跡が残っています(すぐ上の写真。実はレプリカで本物は聖セバスチアノ聖堂に)。さあ、明日は、日本へ、帰ります。

|

2007年12月16日 (日)

メールへのお返事

メールをくださっている方々、お返事ができなくて申し訳ないです。サンタマルタには接続がなく、現在も非常に制限されたところにいるため、12月21日まではメールにご返事ができません。ご了承ください。

|

アドリミナから、その4

Adlimina0713 14日(金)お昼から、教皇様との個人謁見でした。私の前が、まず東京の岡田大司教と幸田補佐司教、そして高松の溝部司教で、四人そろって宮殿へ出かけました。早く来るようにといわれていたので10時半過ぎにはサンタマルタを出て、聖ペトロ大聖堂の裏を通り二カ所のゲートをくぐって宮殿前の中庭へ。待ちかまえるスイス兵に名前と教区を確認され、ひとまずその階の待合室へ。しばらくすると名前を呼ばれ、とても歴史を感じさせるエレベーターで最上階へ。そこから先はきらびやかな制服に身を包んだ宮殿の執事の方に先導されて奥へ。以前グループでの謁見で足を踏み入れたことのあるクレメントの広間を通過してさらに奥へ。いくつもの小部屋を通過してさらに奥へと進むと、聖ペトロ広場に面した宮殿最上階の一番右の窓のところへ到着。すらりと背の高いモンセニョールの迎えを受ける。あとで聞いたらクロアチア生まれでカナダ国籍のすらりとした好青年と思ったモンセニョールは、私と同い年の49歳。すでに14年間も国務省で働いていて、謁見の秘書をしているとか。

Adlimina0712 それから延々と待たされて、11時半過ぎにやっと謁見で使う言葉の確認と手順の説明。はいったら教皇様の指輪にキスをすることとか、どのように写真を撮るか、そして最初にすることは卓上の地図で自分の教区を指し示すこと。あとは教皇様が卓上のベルを鳴らすまで自由に話すように。了解。12時過ぎに呼ばれました。宮殿の聖ペトロ広場に面した最上階右から三つ目の窓の部屋です。日曜のお告げの祈りなどの時に教皇様が姿を現す窓の部屋です。書斎になってました。はいったらすぐ右に教皇様が待ちかまえている。真正面にはカメラマンが二人待ちかまえていて、バチバチと撮影すること。ご挨拶をして、横に並んで記念撮影。そしてすぐ横にある机といすへ。あまりそんなに緊張することはないのですが、それからあとは何を話したか、何も覚えていません。あっという間の個人謁見でした。一つだけ印象深く覚えているのは、「教区の将来の希望は何ですか」という質問。「希望はありますか」というマイナスな質問でなく、将来に向けての「希望」はどこにあるのかという質問でした。さすがに先頃「救いの希望」とでも訳する回勅を出されたことはあります。「希望」についてでした。特に熱心に信徒が活躍していることや、外国籍信徒の増加について触れておきました。あっという間に話が終わって、ロザリオを頂いてお帰りであります。とてもソフトに話す優しいおじいちゃんでありました。長い廊下を執事の方に先導されて戻り、クレメントの広間に足を踏み入れると、なんと黒山の人だかりであります。教皇様のお出ましを待っているどこかのグループなのでしょうが、一斉に視線がこちらへ。教皇様が来るのを今か今かと待っている、その気持ち私も経験しました。その視線を受けながら前を素通り。恥ずかしいものであります。

写真は最終日の全員謁見での一こまです。

|

アドリミナから、その3

Adlimina0701 11日は、私は担当がありませんでしたが、他の司教方が、教育省、教理省、教皇儀典室を訪問されました。教皇儀典室は特に、来年の11月24日に長崎で行われる列福式の典礼を司る部署ですから、高見大司教と溝部司教が、まずはご挨拶です。私はといえば、野村司教をお連れして、神言会の総本部に昼食に出かけました。ちょうど火曜日の午前中はそう顧問会が開催されたこともあり、また各地へ視察に出かけていた顧問も戻ってきて、珍しくすべての顧問がそろっておりました。野村司教からは特に、名古屋教区における滞日外国人司牧への神言会の協力への感謝と、さらなる協力の要請がありました。ローマは週末から雨模様でしたが、この日あたりからからりと晴れ渡り、寒さは厳しいものの美しい季節になっております。写真は、聖ペトロ広場に準備されつつある馬小屋とクリスマスツリーです。馬小屋は、単なる飾りと言うよりも、なにやら建築工事の様相を呈しており、どんなものができるのか、たぶんローマを離れるまでには完成しないのでしょうね。あとで写真でも見るのが楽しみです。クリスマスツリーは、毎年北イタリアの森林組合がこのためにもみの木を贈呈するのだそうで、かなり背の高いツリーです。ベテランの司教様に拠れば、昔はイタリアではツリーを飾らなかったとか。つまりはクリスマスのお祝いのグローバル化でありましょう。

Adlimina0708 12日(水)には、12時から諸宗教対話評議会を訪問しました。フランス人のトーラン枢機卿があらたに議長に任命されていますが、かつては現在の典礼秘跡省長官アリンゼ枢機卿が議長、そしてサレジオ会の尻枝神父が秘書を務めていたこともあり、日本の様々な宗教団体とも密接なコンタクトのある部署です。トーラン枢機卿からは盛んに、日本での宣教の難しさの原因は何かという問いかけがあり、また諸宗教団体との関係や協力について様々な問いかけがありました。この日は他に、カスパー枢機卿のキリスト教一致推進評議会や奉献使徒的生活会省などを他の司教様が訪問されました。夕方4時からは、日本で働く修道会の総長や顧問たちを招いてのレセプションを行いました。写真は集まった総長様たちです。男子で29修道会、女子で30修道会の総長さんたちに招待状が発送されたそうですが、その半分くらいにおいで頂いたでしょうか。東京のように大きな教区ではほぼすべての修道会が会員を配置していたりしますが、新潟ではほんの少しですから、それでもいろいろな方とお話しすることができて、興味深い一時でした。興味深いというのは、私は正直こういうパーティーで見知らぬ人と語り合うことが得意ではないものですから、申し訳ないが、楽しい一時ではありませんでしたので。でも興味深い時間でした。

Adlimina0709 13日(木)は、たぶん今回の訪問で一番大切な日だったかもしれません。まず全員で福音宣教省を訪問しました。ご存じのように日本の教会は福音宣教省の元におかれておりますので、日本でおこる様々な課題への取り組みには福音宣教省の関与が欠かせません。現在教皇庁の長官職で唯一のアジア人である、インドのイバン・ディアス枢機卿が長官と務めております。詳しい内容はここには書けませんが、様々な問題について1時間以上に渡るとても自由な意見交換があったことだけは記しておきます。そして11時半から1時間にわたって、個人謁見のある司教を除いてほぼ全員で典礼秘跡省を訪問しました。長官のアリンゼ枢機卿と秘書のランジット大司教を前に、特に日本語の典礼書翻訳におけるいくつかの課題についてかなりつっこんだ議論が行われ、いくつかの課題については長官のその場での決済で結論が出されました。いくつかの点については日本の司教団の意見を取り入れていただきましたし、またいくつかの点については再考するように求められました。いずれにしてもかなりの前進であります。典礼委員長の梅村司教の努力のたまものであります。それが許可されるかどうかは別として、ある文書についての私の理解が正しいことも証明されましたし、実りのある会談でした。この日の夕方にはバチカンラジオ英語放送の取材(正月あたりに流れる特集番組の一部らしいです)、そして夜7時半から駐バチカン日本大使公邸で上野景文大使による夕食へのご招待を受けました。愛知県出身だという料理長の準備したおいしい和食を皆で頂きました。大使公邸はこじんまりとしているものの、カラカラ浴場に近いすてきな場所にありました。

|

アドリミナから、その2

アドリミナに訪れた司教団は、バチカン市内はサンピエトロ大聖堂裏にあるサンタマルタと呼ばれる宿舎に泊まるよう義務づけられています。この建物は前の教皇様が、教皇選挙(コンクラーベ)に参加する枢機卿が一緒に寝泊まりできるようにと計画され建設されたもので、普段は教皇庁各省庁で働く枢機卿やら司教やら司祭が住んでおります。先日亡くなられた濱尾枢機卿様もここにお住まいでした。濱尾枢機卿のお部屋は、まだ残されております。サンタマルタの宿舎は、とにかく立派にできておりますし、年齢の高い枢機卿様たちを缶詰にすることを想定しているので、冬でも全館がとても暖かく、部屋のシャワー室は床暖房にもなっています。バスタブのついている部屋もいくつかあるようですが、基本はシャワーであります。サイズもバリエーションがありますが、コンクラーベの際には、抽選で部屋を枢機卿たちに割り振るのだとか。この宿舎にはいるためにはスイス衛兵がガードするいくつかの門をくぐってこなければなりません。ぴしっとした敬礼を受けて、ゲートをくぐって聖ペトロ大聖堂の裏手の方に回ってくると、なにやら別世界へ足を踏み入れたような気分になります。

さて、アドリミナの目的の一つでもある聖ペトロの墓前でのミサは、12月11日(火)の朝7時半から行われました。聖ペトロ大聖堂の地下にある聖ペトロの墓前祭壇で、ローマに在住する日本人の修道者や司祭、信徒の方々にも参加していただいて、司教協議会会長である岡田大司教の司式でミサを捧げました。ミサ後には、すぐ脇にあるヨハネパウロ二世教皇の墓前で祈りを捧げ、さらに裏手に回って、この地で発見されたという男性の骨が納めてある祭壇を見せていただきました。

Adlimina0704_2 アドリミナの最中には、もちろん各教区別に教皇様との謁見があり、また司教団全員での謁見も行われます。全員謁見は15日の土曜日に設定されました。それまでの間毎日、教皇様のスケジュールの合間を縫って、ほぼ3グループに分かれて個人謁見が行われます。私は14日(金)の12時からとなりました。加えてこの間、毎日のように教皇庁の様々な役所の訪問が組み込まれております(もっともローマですから、お昼のあとには何も予定が入ってはいないのですが)。全員ですべて出かけるわけにも行きませんので、日本での各委員会などの担当にあわせて、皆で分担して訪問することになりました。10日(月)には社会司教委員会の司教を中心に、正義と平和評議会、難民移住移動者司牧評議会などを訪問しました。後者は濱尾枢機卿が議長を務められていた部署です。実はこの二つは同じ建物の一階と二階にあり、しかも現時点では議長がどちらもマルティーノ枢機卿おひとり。ですからマルティーノ枢機卿は二度にわたって私たちとの面談になりました(写真は難民移住移動者司牧評議会の会議室)。予定されていた時間は30分ほどの表敬訪問のはずでしたが、話が弾み、結局どちらも1時間を超える会合となりました。教皇庁正義と平和評議会におかれては、日本の正義と平和協議会の活動に大変な興味を示してくださり、特に憲法と平和の問題にはしっかりと耳を傾けていただきました。来年洞爺湖で開催されるG8についても話が出ましたが、やはり教皇庁としては環境問題に焦点を当てている様子が窺われました。
難民移住移動者司牧評議会は、濱尾枢機卿が議長を務めていたことからも日本の教会ともつながりが深く、先日も長崎で行われた巡礼所会議に秘書のマルケット大司教が来日されたところです。日本における滞日外国人司牧や船員司牧の諸問題について、これまた1時間を超える熱のこもった会合となりました。この日は、他の司教様方が、最高裁判所、控訴院、信徒評議会を訪問されています。

Adlimina0702 Adlimina0703

|

2007年12月 9日 (日)

アド・リミナから、その1

Svdgen1 ローマにおります。それほど寒くはないのですが、天候が安定せず、雨が降ったり曇ったりと、何となく寒々とした一日であります。昨日は無原罪の御宿りの祝日でイタリアは休日。ローマの町ではクリスマスに向けての商戦が始まったところです。昨日の午後、ナボナ広場まで出かけてきましたが、日が暮れかかった中で、広場だけは真昼のように輝いていました。ちょうど日本のお祭りの時のように屋台が出ていて、そのすべてが輝くばかりに明かりをともしているのです。売っているのはクリスマスに向けた様々な飾り物。移動遊園地のようなメリーゴーラウンドまでありました。ところでクリスマスですからサンタクロースの扮装をした人が、子供たちをそりに乗せて写真を撮っているとい風景は確かにありましたが、それよりもイタリアのクリスマスは「魔法使い」なんですね。知りませんでしたが、あの箒にまたがった魔法使いであります。そこで聞いたところでは、どうも、三人の博士にイエスを拝みに意向と誘われて断ったのを苦にして、魔法使いは今でも、イエスに贈り物をしようと、手当たり次第に子供たちに贈り物をするのだという話らしいのです。ですからイタリアのクリスマスプレゼントは、公現の祝日に贈るのだとか。なるほど。あとでもう少し詳しく調べてみましょう。

アドリミナのために日本の司教団は、バチカンの中にあるサンタマルタという宿舎に泊まることになっています。濱尾枢機卿様が住んでおられた宿舎でもありますし、前の教皇様の時に、教皇選挙にあたってすべての枢機卿が泊まることができるように建てられたのだということです。初めて足を踏み入れます。こういうところに泊めてもらうのはよいのですけれど、何となく気詰まりであります。私にとって一番つらいのは食事時。見知らぬ人と言葉を交わして食事をすることほど、苦手なことはなくて、こういう会議や集まりの時の食事ほど、喉を通らぬものはありません。苦手であります。どうも一泊二食付きで1万円を優に超える宿泊費を徴収されると言うことで、(バチカンが無料で泊めてくれるわけではない)、ぎりぎりにはいって終わったらすぐ出ることになりますから、本日、日曜の夕方に、司教団はサンタマルタに集合であります。私はその間、修道会の本部に泊めてもらっております。神言会日本管区の前管区長が、総本部の顧問として働いているので、彼を訪ねるという口実もございます。写真はその神言会総本部。

|

2007年12月 6日 (木)

いざ、ローマへ。

Bene すべての道がローマに通じているかどうかは知りませんが、ローマへ行ってまいります。昨日、ローマでの教皇庁省庁訪問の予定表を頂きましたが、結構、あちらこちらへ出かけなければならないようです。といっても、ほとんどの省庁がローマ市内のどこにあるのか知りませんけれど。それから日本で働いている修道会の総長さんたちを招いての感謝の晩餐会とか、駐ローマ日本大使との夕食会とか、いろいろある模様です。本日の常任司教委員会の昼食時にも、経験者の司教さんたちにいろいろ聞いては見ましたが、それにしてもイタリア語が不自由しない司教さんたちはローマへ行くのが楽しそうであります。現地では来週の月曜日からの省庁訪問の日程を縫って、教皇様との個人謁見呼び出し、司教団全員での謁見など、どういう中身になるのか想像もつかないですね。ローマから日記の更新ができるかどうかわかりませんが、一応パソコンは担いでまいります。個人謁見では、カメラも何も持っては入れないそうですが、専属カメラマンが撮影してくれるとのことで、帰国してからその模様も公開できるでありましょう。教皇様が新潟教区の何を聞いてくるのかも興味深いですね。皆様、お楽しみに。

|

自称

警察が発表する用語にはたぶん何か基準やらがあるのでしょうから、専門家にはそんなことは全く疑問にもならないのでしょうが、不思議に感じた言葉。ある事件の容疑者として逮捕された人物の職業。その人が本当に犯人なのかどうかは私が判断することではないので、事件についてどうこう言うわけではないのですが、発表されている職業の前に「自称」とついているのです。「自称」のあとが例えば「自由人」だとか、「遊び人」だとか、「宇宙人」だとか、突拍子もないことをご本人が言っているのだというならわかるのですが、今回のは「自称」のあとに普通の技術系の仕事名が続いております。住所がわかっている人物ですから、そんなことは調べればすぐわかりそうな気がしますし、以前はどこかに務めていたが今はそうではないのであれば「元」でしょうし。本人がそうは言っているけれど裏付けがないなら「職業不詳」でしょうし、あの「自称」とは一体何を意味しているのでしょう。そうではないという証拠が出そろっているのに、本人がそのように強弁して譲らないのだという意味でもあるまいし。「自称」・・・。そういえば「バールのようなもの」というのもありましたね。どこかのサイトで、「バールのようなものとは一体どのようなものなんでしょう」というアンケートをとって、そこにはとんでもないものが回答としてずらりと並んでました。

そういえば私たちカトリック信者も、考えようによっては「自称・カトリック信者」になってしまう可能性を持っていますね。洗礼を受けていさえすれば確かに「カトリック信者」ではありますので、そこを疑うつもりはありません。あ、誤解なさらないでください。様々な事由から教会から足が遠のいてしまった方を責めているわけではありません。そうではなくて、逆に看板を強調して中身はちょっとどうかと思う「自称」の可能性を言っているのですから。

|

2007年12月 5日 (水)

カトリック新聞

夕方6時から、東京の四谷でカトリック新聞の諮問委員会がありましたので、東京へ出てきました。明日は潮見で常任司教委員会ですし、金曜にはローマへ出かけるので、このまま新潟には戻りません。いやしかし、東京へ向かうお昼頃の新幹線で、新潟市内は雪はなかったものの、三条から長岡にかけてうっすらと積雪があり、トンネルを通って浦佐から越後湯沢に至る道のりは、吹雪でありました。真冬であります。今年はスキー場も営業は大丈夫でしょう。昨冬は、例えば新潟県内の胎内のスキー場なんかは営業を断念したくらい雪が降らなかったのですが、今年はこのままなら大丈夫、と思わせるくらい、真冬の大雪の様相を呈しておりました。それが、県境のトンネルをすぎて群馬県側に出ると、なんとからりとした良い天気ではありませんか。晴天です。晩秋の様相です。こんなに近いのに、同じ国とは思えない。

ところで、担当司教なので少し宣伝を。カトリック新聞はクリスマスに特別編集した特集号を作成しています。小教区には案内が届いているのではと思いますが、1部100円にしてございます。クリスマスにふさわしい内容です。幼稚園でまとめて購入して、保護者の皆様に配っているところもあると聞きました。小教区でもクリスマスに訪れる人に、教会の宣伝のためにも無料配布しているところもあるようです。どうぞ、新潟教区の小教区でも、幼稚園でも、試しにクリスマス特集号はいかがですか。ご一考ください。

|

2007年12月 4日 (火)

主を指し示す

Kc280001 神言会という修道会は名古屋の南山大学を中心に司祭の養成を行っているため、東京のことをほとんど知りません。そのため、東京で養成を受けている新潟教区の神父様方がよく知っている方を私がまったく知らないと言うことにもなる。あ、これ、言い訳です。というわけで、昨日、私は静修指導の神父様の名前を間違えて記してしまいました。イエズス会のアモロス神父様でした。失礼。イエズス会の有名所の神父様方を、私はほとんど知りません。それにしても結構多くの修道会が東京へ集中していますね。日本社会の象徴のような思いもします。地方の教区もどうか見捨てないでくださいね、ね。

アモロス神父様のお話にはいろいろと内容が詰まっておりましたが、なかでも、洗礼者ヨハネの生き方から学ぶことという点に、深く頷くところがありました。ヨハネのように、すでに人々の間におられる主の存在を、「指し示す」という姿勢。無知蒙昧の民に真理を教えてあげるなどと言う傲慢さではなく、主がそこにおられるのに、それに気がついていない人たちに向かって、主の存在を指し示す生き方。そういえば先日の神言会来日100周年の時に、秋田で市瀬管区長もこう話されていました。「宣教者が宣教地へ神を運んでいくわけではありません。宣教者が宣教地に着く前に、神はすでにそこにおられます。そこで宣教者がなすべき事は、すでにおられる神を見出し、共に喜び祝い、神の似姿に造られた人間として共に幸せに生きていこうと、呼びかけること。対話することだと思われます」

宣教の基本姿勢はこうなのだと教えられました。私たちも、教えるなどという姿勢ではなく、神がすでに用意されているのですから、謙遜に、そして勇気を持って、主の存在を指し示す生き方をしたいと思います。

|

2007年12月 3日 (月)

インドの写真を追加

2005年3月にカリタスジャパンの視察でインドを訪れたときの写真を、フォトアルバムに追加しました。右側のサイドバーからどうぞご覧下さい。インドはカリタスジャパンにとって最大の援助国です。この時はコルカタのある西ベンガル州の女性自立支援プログラムや、スマトラ沖地震の津波被害を受けたインド南部のタミルナド州の視察などを行いました。インドは各地を何度も出かけているので、写真は山ほどあるのですが、その中のほんの一部です。コルカタ周辺も何回も出かけましたが、でもインドで一番印象深いのは、パキスタンとの国境紛争に明け暮れる、ジャム・カシミールを訪れたときのことでしょうか。インド軍の陣地まで案内され、双眼鏡でパキスタン軍の陣地を覗いたときほど緊張と興奮を憶えたことはありません。インドは不思議な魅力のある国で、いろいろと困難さはあるものの、それでも出かけてみたい国ではあります。ちなみに毎回必ず腹をこわします。何となくあの水っぽいカレーが苦手です。

教区司祭は本日と明日(火曜)、イエズス会のアムロス神父様の指導で、待降節の静修を行っております。

|

2007年12月 2日 (日)

長岡での堅信式

Fukuzumi0703 待降節の第一主日、長岡の福住教会で堅信式を行いました。長岡には線路を挟んで表町と福住の二つの教会がありますが、主任司祭はブルーノ神父様お一人(フランシスコ会)ですので、今日のミサは両教会の合同ミサでした。そのため福住教会の聖堂は一杯になりました。加えて、浦佐にある国際大学の留学生たちも加わり、いつも以上の熱気となりました。というのも本日堅信を受けられた8名の中に、ケニヤ出身のソフィアさんという浦佐の国際大学で学んでいる女性がおられたことから、仲間の学生たちが駆けつけ、聖体拝領のあとにギターで歌を唄ってくださいました。堅信を受けられた8名の方々、本当におめでとうございます。これからも教会共同体の力強い一員として、力を発揮してくださることを願っています。

Fukuzumi0702 私自身がしばしば自分の文書でそう記しますが、今日の朗読にあったように、聖書には「時」という言葉が意味を持って使われています。聖書を読んでいる人たちにはこの使用法は当たり前のことですが、時計で計ることができる時間ではなく、「与えられた機会、チャンス」のような意味合いの「時」という言葉です。ある状況に、神の与えた意味があるという意味とでも言いましょうか。私たちが知らない「時」とは、まさしく歴史の中の時間としての一点がいつなのかを知らないと言うことではなく、その「時」は結局は神の御手の中にあるものだというような意味合いです。生活の中の様々な出来事、出会い、などなどを、信仰の視点からふりかえってみる事の繰り返しが、現実味のある神との関係を築きあげるために必要ですが、その時に、やはり、与えられた「時」をふさわしく生きたかどうかをもふり返る必要があるでしょう。「いつも目覚めていなさい」と繰り返される待降節のメッセージの本質は、常にピリピリしていなさいなどということではなく、与えられる「時」に敏感であれと言うことでしょう。一体私たちは、今、どのような「時」に生きているのでしょうか。

下の写真は、ブルーノ神父様ご自慢のクリスマス風景(あまりに規模が大きくて、もう「馬小屋」とは呼べません)の飾りです。本物の水が流れていたり、背景には6分で一回りするのですが、星が輝いたり、天使が舞い降りてきたり、驚きの力作です。

Fukuzumi0704 Fukuzumi0701

|

2007年12月 1日 (土)

新潟教会は黙想会

あっという間に12月、今年も残すところあと一ヶ月です。明日は待降節第一主日。というわけで、新潟教会は本日土曜日午後と明日の午前中、待降節の黙想会であります。今年の指導は東京教区の伊藤幸史神父様。

伊藤師は、96年に司祭叙階後、浅草の主任など司牧を中心に活躍され、叙階10年の06年、東京教区のサバティカル制度を利用して、那須にあるアジア学院で一年の研修を受けてきた人物です。アジア学院は、アジアやアフリカの草の根の農村指導者を養成する、プロテスタント系の専門学校で、主にアフリカを中心にカトリックの神父さんなども学生として毎年入学してきます。私も評議員に名を連ねさせていただいております。伊藤師は農業にはまったく素人であったものの、都会での生活に疲れて自然を求め、アジア学院にたどり着いたといいます。その伊藤師、現在は、東京大神学院で養成担当者をしておられます。今日のお話も、アジア学院での体験を中心に、有機農業のお話や「共に生きる」というキリスト教的考え方に基づいたアジア学院の教育についてです。肌寒い雨模様の土曜日となりましたが、30名を超える信徒の方々が集まりました。

Img_2606 Img_2598

|

« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »