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2007年12月16日 (日)

アドリミナから、その3

Adlimina0701 11日は、私は担当がありませんでしたが、他の司教方が、教育省、教理省、教皇儀典室を訪問されました。教皇儀典室は特に、来年の11月24日に長崎で行われる列福式の典礼を司る部署ですから、高見大司教と溝部司教が、まずはご挨拶です。私はといえば、野村司教をお連れして、神言会の総本部に昼食に出かけました。ちょうど火曜日の午前中はそう顧問会が開催されたこともあり、また各地へ視察に出かけていた顧問も戻ってきて、珍しくすべての顧問がそろっておりました。野村司教からは特に、名古屋教区における滞日外国人司牧への神言会の協力への感謝と、さらなる協力の要請がありました。ローマは週末から雨模様でしたが、この日あたりからからりと晴れ渡り、寒さは厳しいものの美しい季節になっております。写真は、聖ペトロ広場に準備されつつある馬小屋とクリスマスツリーです。馬小屋は、単なる飾りと言うよりも、なにやら建築工事の様相を呈しており、どんなものができるのか、たぶんローマを離れるまでには完成しないのでしょうね。あとで写真でも見るのが楽しみです。クリスマスツリーは、毎年北イタリアの森林組合がこのためにもみの木を贈呈するのだそうで、かなり背の高いツリーです。ベテランの司教様に拠れば、昔はイタリアではツリーを飾らなかったとか。つまりはクリスマスのお祝いのグローバル化でありましょう。

Adlimina0708 12日(水)には、12時から諸宗教対話評議会を訪問しました。フランス人のトーラン枢機卿があらたに議長に任命されていますが、かつては現在の典礼秘跡省長官アリンゼ枢機卿が議長、そしてサレジオ会の尻枝神父が秘書を務めていたこともあり、日本の様々な宗教団体とも密接なコンタクトのある部署です。トーラン枢機卿からは盛んに、日本での宣教の難しさの原因は何かという問いかけがあり、また諸宗教団体との関係や協力について様々な問いかけがありました。この日は他に、カスパー枢機卿のキリスト教一致推進評議会や奉献使徒的生活会省などを他の司教様が訪問されました。夕方4時からは、日本で働く修道会の総長や顧問たちを招いてのレセプションを行いました。写真は集まった総長様たちです。男子で29修道会、女子で30修道会の総長さんたちに招待状が発送されたそうですが、その半分くらいにおいで頂いたでしょうか。東京のように大きな教区ではほぼすべての修道会が会員を配置していたりしますが、新潟ではほんの少しですから、それでもいろいろな方とお話しすることができて、興味深い一時でした。興味深いというのは、私は正直こういうパーティーで見知らぬ人と語り合うことが得意ではないものですから、申し訳ないが、楽しい一時ではありませんでしたので。でも興味深い時間でした。

Adlimina0709 13日(木)は、たぶん今回の訪問で一番大切な日だったかもしれません。まず全員で福音宣教省を訪問しました。ご存じのように日本の教会は福音宣教省の元におかれておりますので、日本でおこる様々な課題への取り組みには福音宣教省の関与が欠かせません。現在教皇庁の長官職で唯一のアジア人である、インドのイバン・ディアス枢機卿が長官と務めております。詳しい内容はここには書けませんが、様々な問題について1時間以上に渡るとても自由な意見交換があったことだけは記しておきます。そして11時半から1時間にわたって、個人謁見のある司教を除いてほぼ全員で典礼秘跡省を訪問しました。長官のアリンゼ枢機卿と秘書のランジット大司教を前に、特に日本語の典礼書翻訳におけるいくつかの課題についてかなりつっこんだ議論が行われ、いくつかの課題については長官のその場での決済で結論が出されました。いくつかの点については日本の司教団の意見を取り入れていただきましたし、またいくつかの点については再考するように求められました。いずれにしてもかなりの前進であります。典礼委員長の梅村司教の努力のたまものであります。それが許可されるかどうかは別として、ある文書についての私の理解が正しいことも証明されましたし、実りのある会談でした。この日の夕方にはバチカンラジオ英語放送の取材(正月あたりに流れる特集番組の一部らしいです)、そして夜7時半から駐バチカン日本大使公邸で上野景文大使による夕食へのご招待を受けました。愛知県出身だという料理長の準備したおいしい和食を皆で頂きました。大使公邸はこじんまりとしているものの、カラカラ浴場に近いすてきな場所にありました。

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