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2007年12月25日 (火)

御降誕おめでとうございます

主イエスの御降誕、おめでとうございます。

Xmas07 新潟教区の皆様、そして司教の日記に目を通してくださる皆様、クリスマスおめでとうございます。それぞれ各地で様々に、昨夜から今日にかけての祝いの一時を過ごされたと思います。新潟市内は雪もなく、夜半には晴天となり満月が輝く中、例年以上の方が詰めかけて満員の聖堂で、降誕の夜半のミサを捧げました。聖歌隊も忙しい中よく練習されて、グレゴリアンの天使ミサをしっかりと歌いきりました。拝領時に祝福に来られた方も多かったので、普段は教会に来られない大勢の方にも、昨夜は足を運んでいただけたのではないかと思います。昨夜のミサでの説教は別途掲載してあります

本日10時からは日中のミサを捧げました。新潟教会は、昨晩に比べれば参加者は少なかったものの、それでもいつもの日曜と変わらないくらいの参加がありました。冬休みに入っているので若者たちの参加がもう少しあるかと思いましたが、ちょっと少なくて残念でした。お互いにメールなどで連絡しあっているようですので、年末年始にかけて、どこかのタイミングできっと集まるのだろうと期待しています。ミサ後には信徒会館でシチューを頂きながらの祝賀会。珍しく主任の大瀧神父が皆さんの声に押されて、普段は絶対人前でそんなことはしないのに、なんと、驚くべき事に、歌を披露してくれました。しかも若い頃に好きだったという「鳥の歌」。そういえばわたしも若い頃、この歌を唄っていた杉田かおるという女優さんが好きでしたねぇ。今でもテレビで不思議な魅力を振りまいていますけれど。

降誕の祝日の日中のミサでは、降誕のシーンそのものではなく、ヨハネの福音書の冒頭部分が必ず朗読されます。「人となられた神の御言葉」のくだりです。いみじくも第二朗読ヘブライ人への手紙でパウロは、「神はかつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によって私たちに語られました」と書いていますが、まさしく神の御言葉が私たちと同じ人間となることによって、その語る言葉と業を持って直接、神の意志を私たちに示されたのでした。このことこそは、聖書に記されている神の言葉が、死んだ文字なのではなく今生きている神のことばであることを私たちに教えています。同時に、だからこそ、主の降誕のお祝いは、昔の偉人の誕生日祝いなのではなく、あの時あの夜、神のことばが本当に命を持ってこの世にあらわされたように、今でも神のことばは生きていて力があり、それを告げ知らせることこそが(第一朗読)、私たちの責務であることを思い起こさせる祝いの時なのです。「言葉の内に命があった」とヨハネ福音にありました。生きている神の御言葉の力を信じ、その力を私たち自身の心に受けて、生かされ信仰のうちに育まれていきたいと思います。

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