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2008年1月11日 (金)

司教の研修会

社会司教委員会が企画する恒例の司教の研修会が、昨日午後から本日お昼まで、潮見のカトリック会館で行われました。例年は12月に行われていますが、今年度はアド・リミナの関係で1月の開催となりました。ただ、そのためか、昨年度より多い15名の司教の参加がありました。やはり12月はクリスマス前で時間をとるのが難しいのでしょうか。来年度以降も1月開催の方がよいのかもしれません。

今年の研修会は、7月に洞爺湖サミットが開催されることもあり、そもそもサミットとは何なのか、サミットに対する世界の評価はどうなのか、そしてホスト国の宗教者としてはどういう態度で臨めばよいのか、などについて学び、かつ意見を交換するために行われました。教皇様ご自身も毎年のサミットには大変関心を持たれて発言されたり、昨年はご自身の祖国でもあるドイツで開催されたこともあり、メルケル首相に事前に書簡を送り、貧困問題への取り組みを促されたりしたこともありましたから、まずは我々も学ぼうということで研修会となりました。講師は南山大学で教えるシーゲル神父(かつて6年間神言会総本部の正義と平和担当者でした)と、国際政治学者の武者小路公秀氏。武者小路氏は学習院大学や上智大学などでも教鞭を執られた方ですが、なかでも国連大学の副学長を務められた方として広く知られており、教皇庁の正義と平和評議会の委員にも任命されていたことがあります。二日間の研修会の司会は、私が務めさせていただきました。

そもそもサミットなるものが必要なのか、民主的な世界のあり方に逆行するのではないか、しかしながら現実にそこで世界の方向性が決まっていくのだから、それではどう対応するべきなのか、反対するだけでは何も始まらない、果たしてこのままの世界のあり方が継続できるのだろうか、などなど。とにかくたったの二日間で勉強するにはあまりにも厖大な課題です。そして話は第二バチカン公会議の理念でもある補完性の原理に従った社会のあり方や、環境だけとか、貧困問題だけとか、医療だけとか、教育だけといった、特定の分野に特化して問題を考えるのではなく、地球全体の問題として綜合的に捉える必要性にまで及び、結局は環境問題を身近な問題として教会の中からエコを考える必要性まで広がっていきました。シーゲル神父が強調されていた農業の復権の必要性や地産地消(地元のものを地元で消費する)から発展して、地採・地産・地消・地廃によって「もの」の取り扱いに関する現代のあまりにグローバルなあり方を変えていく必要性の話が、農業が中心となる地方の教区としては気にかかりました。これからサミットに向けてアジェンダが確定されていくと思いますが、それにあわせて学んでいきたいと思います。

昨日の常任司教委員会では、典礼委員会から、男女の修道者の代表と連携して、時課の典礼の本格的な翻訳を確定する作業に入ることが報告されていました。本来典礼の季節にあわせて4分冊となっているものを、まずは一冊の簡略版として翻訳し(教会の祈り)、それに主に観想修道会を中心として翻訳されたもの(特に読書課)を分冊で出したり、讃歌を収集するといった作業が地道に続けられてきましたが、徐々に形になっていくことが期待されます。一番苦労しているのは祈りの冒頭にある讃歌の翻訳でしょう。なんと言っても、唱えるだけではなく歌われなくてはならないのですから。翻訳にあたれる人が日本の教会に一度に100人もいれば、あっという間に作業は進むのでしょうが、残念ながら現実はそうではありませんし。でもすべては徐々に進みつつあります。

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