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2008年1月 7日 (月)

人類という家族

新しい年が始まったばかりだというのに、新聞紙上では悲しい話に事欠きません。北の地方で、介護疲れのために82歳の母親を58歳の娘さんが殺してしまうという事件が報道されていました。そういえばこの数年、家族の介護に疲れ果て、とうとう殺人や心中にまで至ってしまうという事例は、決して特異なことではなくなってしまいました。ここで人間の命を奪うことの是非を論じようとは思いません。そうではなくて、そこまで人を追い込んでしまう高齢者介護の現実の凄まじさと、そうやって失われていく命があるのに何もできないでいる私たちの「あり方」、その二つを真剣に皆で考える「時」が来ているのではなかろうかと言いたいのです。

国民の面倒はすべて国家が万全の手配をしてくれるものだとまでは考えていませんが、しかし、そうやって命を絶つところまで追い詰められる国民を多数出してしまう国というのは、どこかで道を踏み外してしまっているのではと思うのです。本当に大切にするべき事から目をそらしているこの国のあり方は、結局は一人ひとりの心にまで入り込み、互いに助け合うことでさえも優先事項の一番片隅に追いやってしまうのです。

教皇様は今年の平和メッセージにおいて、次のように述べています。

Img_2644 『個人間や諸民族間で公正かつ誠実な関係を深めることが必要です。こうした関係が、すべての人が平等かつ公平な基盤の上に立って協力することを可能にするからです。同時に、「資源の賢明な使用」と「富の平等な配分」を保障する努力をしなければなりません。とりわけ貧困国に対する援助は健全な経済原理の基準に従って行い、さまざまな浪費を避けるべきです。こうした浪費は、おもに経費のかかる官僚組織の維持と関連します。道徳的な要求も考慮すべきです。それは経済が、一時的な利益を求める露骨な法則だけに支配されないようにするためです。こうした法則は時として人間性を欠くからです』

その上で教皇様は、軍備拡張に巨額を投じる国々を批判されます。家庭の重要性を説くこの平和メッセージを発表するにあたり、教皇庁正義と平和評議会議長のマルティーノ枢機卿は、テロ対策を口実に軍備を拡張することが自ら守ろうとする平和を脅かしていると発言したと報道されていますが(カトリック新聞1月6日号)、本来個々の家庭に始まって人類共同体という家庭の尊厳ある存在を守るために使われるべき資金が、必要以上の武器に注ぎ込まれ、ひいてはごくごく一部の人々の利益となっていることに警鐘を鳴らされているのです。

翻ってこの国はどうなのでしょう。本当に必要なことを優先し、一人ひとりの「いのち」を守るために努力を惜しまない、人の道を歩む国の姿を期待したいと思います。そしてそれは、防衛の拡充ではなかろうと思います。防衛の拡充は、外交の放棄でもあります。これ以上、老いた命や病む命を守るために努力する人が、絶望するような国にしてはなりません。教会も、何ができるのか、考えてみたいと思います。(写真は正義と平和評議会事務局会議室で日本司教団に語るマルティーノ枢機卿)

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