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2008年2月29日 (金)

まもなく春か?

あと数分で三月です。三月といえば春でありますが、果たして春はいずこにや。まだまだ寒い新潟教区であります。今年は復活祭が早いので、三月の真ん中頃にはもう聖週間です。せわしない月になりそうですね。また三月といえば卒業式でもあります。そんなわけで、明日三月一日は、新潟の清心高校と秋田の聖霊高校の卒業式です。両方に出席はできませんから、今年は新潟の清心高校の卒業式。午前10時からです。その後月曜の夕方には秋田へ移動。火曜日の10時から秋田教会聖堂で聖園短大卒業感謝のミサ。翌水曜日は秋田カトリック学園の理事会。そのまま夕方に羽田へ飛んで、木曜日は司教協議会の常任司教委員会を潮見にて。翌金曜日の夜は新潟で、新潟カリタス会(社会福祉法人)の理事会であります。

ついでに三月の主な予定を記せば、十二日水曜日、十三日木曜日は共にカリタスジャパンの会議で潮見。そのまま秋田へ移動して、十四日金曜日は秋田聖霊短大の卒業式。十六日日曜日はもうすでに受難の主日であります。その翌日十七日は、教区顧問会と司祭評議会。十八日火曜日は司祭評議会と、十時半から新潟教会で聖香油のミサ(今年は水曜ではなく火曜日です!)その後聖木曜日、聖金曜日、復活徹夜祭、復活の主日と続きます。聖週間は聖金曜日が新潟教会主任司祭司式ですが、それ以外は私の司式です。なお二十一日金曜日の午後には、清心中学の卒業式もございます。二十六日水曜日は朝から潮見で、午前中に社会司教委員会の部会会議、午後にHIV/AIDSデスク会議、そのまま名古屋へ移動して社会福祉法人ゲマインダハウスの理事会を六時半から。そして三十日の日曜日は、午後2時から新潟教会で、坂本耕太郎神学生の助祭叙階式の予定となっています。

とここまで書いて、まだ三月が始まっていないのに、頭は四月のことを考えているのでした。時が過ぎゆくスピードの恐ろしく素早いこと。

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2008年2月27日 (水)

ゆだねる勇気

Sendaicath 仙台の司教座聖堂である元寺小路教会は、なかなかに現代的な建物になっています。真正面に大聖堂。右手には直接外から階段で入ることのできる小聖堂(小聖堂と言っても、新潟のカテドラル程度は座れそうな大聖堂)。左手は教区事務所や司祭館や信徒会館の部分。正面から見上げる形で写真を撮ると、そのモダンな建物の上部に、なにやら超日本的な影が写り込みます(写真の中央は元寺小路教会大聖堂正面。その上の赤丸部分に、かすかに神社の屋根が)。これはどう見ても神社の屋根。とはいえかなりの上空です。そんな背の高い神社なんて聞いたことがない。しかし確かに神社の屋根です。訝しく思ってそちらへ回り込んでみると、なんとそこは結婚式場です。平安殿です。神社は屋上に鎮座し、その横にはサン・ステファノ大聖堂までそびえている。すごい。

五十嵐太郎さんという方が書かれた『「結婚式教会」の誕生』という本によると、本格的な神社を屋外に配する結婚式場は、この仙台を含め全国でもごく少数派なのだとか。五十嵐さんによれば、結婚式場付属の神社が少なく、全国に『○○大聖堂」なる物が林立する背景は、『大聖堂」が、「『天井の高い空間を持ち、スペクタクル性が強く、フォトジェニックな舞台である」からで、その点『神社』は、「絵にならない」のだといいます。しかし逆に聖堂系は「形態や様式といった建築の視覚的な類似性に頼るのに対し、多くの館内神殿は、分霊のシステムという手続きによる正当性の誇示を行う」というのです。「スペクタクル性が強く、フォトジェニックな舞台」であります。そればかりを追求すると、宗教的正当性はどうでも良いということになる。なかなか興味深い指摘です。

異質な文化へのあこがれが、それを成り立たせている本質的な精神性へのあこがれとはならず、表面的な形態へのあこがれとしかなっていない。人間の感性の世界で逡巡しているばかりで、その一歩先にある神の世界に足を入れることができていないから、結婚式場の聖堂はいつまでもまがいものの聖堂でしかないのです。自分の感情の世界にはまり込んで、自分が好む好まない、自分が好きだ嫌いだの範疇で価値判断を下してしまっていることを、あたかも真理の世界からの呼びかけに応えているかのように錯覚してしまう。自分の感性で受け止めたことを良く味わった上で、そのまま神の掌に飛び込んであちらに委ねてしまわない限り、本当のことは分からないのではと思います。私たちが四旬節に見直しているこの信仰の本質は、まず感性の世界の束縛から逃れるところ、つまり好きだ嫌いだの世界から出るところから始まるように思います。そうしないと、信仰はいつまでも結婚式大聖堂のような張りぼてで終わってしまいます。

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列福ロゴと標語決定

11月に長崎で行われるペトロ岐部と187殉教者の列福式に向けて、ロゴと標語が決定し、本日発表となりました。公募された多くの作品の中からまず長崎で選考が行われて数点に絞られ、常任司教委員会を経て先日の司教総会でも認められたものです。著作権の問題もありますのでここには掲載しませんが、ロゴの図柄についてとその説明は、中央協のホームページ(ここをクリック)をご覧下さい。なおロゴは一つですが、標語は三点が選ばれており、状況に応じて利用されることになります。

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2008年2月25日 (月)

弟子をとる

それほど入れ込んでいるわけではありませんが、ときにテレビの連続ドラマに気が引かれてしまうことがあります。ちなみに、夜に放送されるドラマを、連続して真剣に見るということはほとんどありません。夜のテレビは、ほとんどザッピング状態でしか見ませんから、最初から最後まで落ち着いてみることはほとんどありません。近頃、始めから終わりまで全部を見通すことができたのはNHK山口放送局制作の「GOTAISETSU/ゴタイセツ」くらいですね。さすがイエズス会司祭が監修しただけあって、かなりにリアルな教会生活が描かれており、ボクサーとシスターが出てくるドラマとはかなり趣が違っておりました(あれはあれで、漫画の世界ですからおもしろいですけれど)。ゆるしの秘蹟の場面、涙無しには見られません。一緒になって泣いておりました。(もっとも、ドラマの中の司祭の会話にあったように、そこまでゆるしの秘蹟を受ける人が少ない、珍しい、ということはないでしょう。少なくとも私が知っている教会では、そこまでゆるしの秘蹟が珍しい現象にはなってませんから)

その私でも、何となく朝の連続テレビ小説は気になってしまうことがしばしばございます。どちらかというと大阪局が制作する話の方がおもしろい気がするのですが、今放送されている「ちりとてちん」も、なにやら気になって、朝の時間が許せば、見てしまっております。以前の「芋たこなんきん」もそうでしたが、中途半端にコメディーなところが、そこはかとなくおもしろい。その中途半端さが演技に見えてくるところがおもしろいと思うのです。

さて先日の「ちりとてちん」で、徒然亭草々と若狭ご夫妻が初めて弟子をとるという話がありました。もっと大混乱の話になるのかと思ったのですが、(あと残り少ないので、たぶんこれ以上混乱はしないのでしょうが)それほどではなかったのでしたが、この新弟子の青年がいかにも怪しい。仕事は完璧にこなし、落語もよく知ってはる。しかしどこかが違う。で、実はなかなか「嘘」が上手な人間で、両親が亡くなった話も嘘などいろいろと出てくるのですが、それにつけても弟子をとり、それを一人前に育てていくことは、難儀なことであると感じさせられる話でした。人間は見た目では分からない。器用に物事をこなすから、知識が豊富だから、それですべて良しとは限らない。そんな当たり前のことを、しかし忘れがちなことを、思い起こさせてくれたのでした。

アフリカから戻ってきた当時、管区長になるまでの4年間ほど、名古屋の神学校で司祭志願者の養成に携わったことがありますが、これほど難しい仕事はありません。ただでさえ志願してくる人は激減しているのですから、やっと見つけた司祭志願者は金の卵であります。そのためちょっとくらい無理をしてでも司祭にしてしまいたいという誘惑に駆られます。駆られるのです。その誘惑を振り切りながら、じゃあどうやってその人物を見極めていくのか。弟子を育てるのと同様、外に表れる行動や言葉や知識では、分からないのです。以前にも書いたことですが、信仰の根本をしっかりと見据えている人なのかどうかが問題であって、それはお付き合いをする中で、何気ない言動に、本当に何気なく表れてくるのです。それを見つけ出す養成担当者の苦労たるや。司祭養成も、修道者の養成も、基本的には弟子をとって育てることと変わりはありませんから。

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2008年2月23日 (土)

これまたすさまじい大雪

022301 やっと新潟にたどり着きました。夜の10時を過ぎておりました。駅に到着したら、すさまじい大雪でありました。久しぶりにこれほど激しく吹き付ける大雪を新潟市内で見ました、というくらいの大雪。それで夜10時過ぎでございます、新潟駅に到着したのが。山形駅を新幹線に乗って、大宮駅で乗り換えてきたのであります。山形駅を出発したのは、なんと2時6分。すなわち、8時間かかったのであります。予定では6時10分過ぎに到着の予定でした。実はすさまじい風と倒木のため、東北新幹線が運転を取りやめ、まず那須塩原駅手前のトンネルでほぼ1時間。その後、ソロソロと移動して那須塩原駅へ。そこでさらに2時間。乗客が大変だったのはトンネルの中でした。なんと言っても携帯電話が通じない。「圏外」であります。そのため電車内の公衆電話には長蛇の列。特に小学生の集団が乗車しており、家に連絡するのに大変な思いをしておりました。やっぱり子どもたちは、電話がつながるとまず、「お母さんいる?」と、母親を求めるのでした。那須塩原駅で停車中に心配したのは、こんな何もない山の中で運転打ち切りになったらどうなることかということでしたが、そうならずに済んで助かりました。(写真は新潟駅前)

とにもかくにも大宮まで到着したら、即座に今度は「とき」が30分ほど遅れて入線。無事新潟へ到着し係の女性に尋ねると、3時間の遅れでしたから、快く山形から大宮までの特急券を払い戻してくださいました。大宮から新潟までは、車掌さんに尋ねてそのまま指定席に乗せて頂いたのでしれでよしと。快い対応をして頂いたので、自然には勝てませんから、今夜は良しといたしましょう。新潟駅前は案の定、タクシー待ちの長蛇の列。(3時間もの遅延に遭遇したのは初めてでした。運休で最初から乗れなかったことや、途中で打ち切りは良くありますけれど)

022302 山形では幼稚園の法人理事会でした。理事長は鶴岡教会の本間神父。山形の園長を務めるピアス神父はこの復活後に異動となり、フィリピンでの養成担当のために任命されたのだとか。霊的にも深い神父様でしたので残念です。ピアス神父様、フィリピンでもお元気でご活躍ください。(写真は山形教会聖堂と、その右は司祭館。午前中はすばらしい天気でしたが、昼から雨が降り出しました。)

帰宅したら神言会の日本管区本部から訃報が届いていました。秋田県の鹿角教会主任司祭である伴八郎神父様のお姉様、アンナ伴喬子さんが、2月22日に名古屋で亡くなられたとのことです。79歳。どうぞ、伴神父様のお姉様の永遠の安息のためにお祈りください。

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2008年2月21日 (木)

司教総会早くも終了

Ca390004 臨時司教総会は、予定より一日も早く、本日のお昼で終了となりました。6月の定例司教総会では通常、水曜日に司教の勉強会が組み込まれるので、これほど早く終わることはありませんが、2月にはこれがありませんので、議題を粛々とこなしてまいりますと、このように素早く終わることもあり得るのでした。特に今回は、典礼委員会の提出議題が一つしかなかったことが大きく時間短縮に貢献したのかもしれません。現在進んでいる翻訳文書などについてはどうしても審議対象が膨大な分量になりますので、時間もそれなりにかかってしまいます。今回なかったと言うことは、次回の司教総会ではもしかしたら典礼のためにかなりの時間を割く必要があるのかもしれません。(写真は司教総会会場の、マレラホール)

昨日は、本来木曜の午後にだけ予定されていた「司教のみの会議」が朝から行われました。本来半日の予定でしたから、昨日もお昼には終わるかと思いきや、議論が白熱し、率直な意見の交換があったが故に、夕方まで十分に時間を費やしてしまいました。その後、お台場の某ホテルへ出かけて教皇大使との夕食会。近頃大使が出現する場では、英語の通訳を仰せつかることがしばしばなのですが、昨日は夕食が終わり、たっぷりとワインを頂いたあとで大使のお話となり、しどろもどろの通訳となってしまいました。

さて本日の午前中は主に、中央協議会の来年度の予算の審査が行われました。この予算には事務局経費、各種委員会の経費、カリタスジャパンやカトリック新聞の経費、そして今回は列福式関連の予算もあり、予算書に目を通すだけでも一苦労であります。なんと100ページを超えております。

というわけで今回の司教総会では、すでにお伝えした神学校の合同以外に、次のようなことも決定しています。

11月24日に行われる188殉教者列福式に備え、10月5日から11月23日まで、「列福式をひかえ、ともに祈る7週間」として、祈りや分かち合いや黙想の一時を持つことにいたしました。10月5日には、全国一斉に各小教区で「祈念ミサ」が捧げられる予定です。趣旨や詳細については、今後列聖列福特別委員会からお知らせを頂くことになりますし、手引きの小冊子も作成される予定となっています。

会議も早く終わったので本当は新潟へ戻りたいところですが、残念なことにもともとの日程にあわせて明日金曜日の午後に社会司教委員会が予定されており、司教以外の参加者の都合もありますから日程変更もできず、東京を離れることができません。なお予定通り土曜日の午前中は幼稚園の理事会出席のために山形へ出かけますが、新潟で急な所用が発生したため、残念ながら今回は鶴岡での日曜日のミサに、ご一緒させていただくことができなくなりました。土曜日に山形から新潟へ戻ることになります。鶴岡の皆様、申し訳ないです。

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2008年2月19日 (火)

司教総会から

今回の司教総会において一番の重要課題であった神学院合同に、一つの結論が出ました。今回の総会で正式に福岡と東京の神学院を合同することが承認され、教会法に基づいて聖座(管轄は福音宣教省)に設立認可を申請する運びとなりました。今後は具体的な事項を、各管区(東京、大阪、長崎)からそれぞれ2名ずつ、計6名の司教による委員会が詰めていきながら、聖座の認可があり次第、新しい神学院を開校することになりました。

近い将来に開校することになる新しい神学院の名称は、「日本カトリック神学院」となり、ひとりの院長の下に福岡と東京の両キャンパスを持つ形態となります。現時点では、哲学の1年と2年、そして神学4年(助祭コース)を東京で、神学の1年から3年を福岡で行う予定で調整中です。これにあわせて養成理念や指針が承認されました。今後、徐々に具体的な内容が整えられていくことになると思います。あとは申請してから、聖座の認可がどれくらいのスピードで得られるかが問題であります。もちろんこの件を進めるにあたっては聖座の許諾を得ていたのですから、最終的な判断にそれほど時間がかかるとは思いませんが、なにせ相手はバチカンですから予測がつきません。実際に養成を受ける神学生のこともありますし、教職員の配置の問題もありますから、素早く認可が得られることを祈るばかりであります。

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2008年2月18日 (月)

今週は司教総会

本日2月18日午後から22日お昼まで、年に二回の司教総会が潮見で行われますので、朝から東京です。土曜日には山形の幼稚園法人の理事会があるので、そのまま山形へ。そして日曜日にはそのまま鶴岡へ回りミサをご一緒させて頂いて、新潟へ戻ります。

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2008年2月17日 (日)

白鳥の湖

Hyoko02_2 ピリリと寒いとはいえ天気も良かったので、午後になって本日の信徒総会を無事に終えた新潟教会の神父さんたちと瓢湖まで白鳥を見に行ってきました。新潟から車で40分ほど。阿賀野市水原にある人造湖「瓢湖」は、野生白鳥の餌付けに成功した事で有名になった吉川重三郎のお話で全国に有名なのだとか。教科書にも載った話らしいのですが、新潟に来るまで実はまったく知りませんでした。そろそろ北の国へ戻り始める白鳥もいるようで、白鳥の数は少なくなっているとはいうものの、それでもたくさんおりました。そして白鳥よりも何よりももっと多いのは「カモ」。どちらかというと「白鳥の湖」と言うよりは「カモの湖」でありました。観光客向けに白鳥のえさを販売しております。みんな一生懸命撒くのですが、なにせカモの方が動きが素早い。白鳥はほとんどカモに負けっぱなしであります。私としては、白鳥が空から水面に着水する時のその姿勢の美しさに、思わず見とれてしまいました。この瓢湖といい、近くの福島潟といい、野鳥観察が大好きな人には興奮の連続のような場所がこのあたりには沢山ございますので、どうぞ皆様も新潟へおいで下さい。(写真上はカモに囲まれる白鳥たち。写真下は、白鳥やカモと戯れる新潟教会主任・助任司祭)

Hyoko03 帰りがけに豊栄(合併して現在は新潟市内)で、携帯電話の販売店に立ち寄り、教区の事務のための携帯を一台購入することに。私はこういう、話のお上手な若い女性が近づいてくる店は苦手であります。知らないうちに丸め込まれて、よく分かりもせずにいろいろと買ってしまうことがしばしばで、後で激しく後悔することが幾たびあったことでしょう。そんなつもりはなかったのですが、そういえば、「先日来携帯の支払いがちょっと多めだったのは昔ながらの料金プランにしているからで、もっとお得にするためには機種を変更(auです)しなければなぁ」などと自分自身の携帯電話について考えていた事を思い出し、そして重ねて思い出し、加えて逡巡し、それがために歩き回り、あまりの事態の複雑さに嘆息し、そこで無料のコーヒーなぞを頂いているうちに、いつの間にやら私自身がカウンターに座って自分自身の機種変更をしていたのでありました。それにしても新しい料金プランの複雑怪奇なこと。「そちらよりもこちらの方がお得です」と説明を受けながら、「お得であるなら、なぜ最初からお得な方にだけしないのか」と思ってみたり、「誰でも割」にして大幅に値引きするなら、どうして最初から安くしておかないのかと思ってみたり。この組み合わせの複雑怪奇さはなんとしたものでしょう。この際、基本料金も何も無しにして、とにかく使った分だけなんていうのは、そうなっていないところを見るとだめなんでしょうね。アフリカなんかではほとんどの携帯が、電話を購入して、後はすべて街角のキオスクで購入できるプリペイドカード式ですから、料金プランで悩む必要なんてありません。そういえば、海外から来ている研修生などが、この複雑なプランがまったく分からずに契約して、厖大な請求書の前に愕然とするという話は、珍しいことではありません。それにしてもわからない。(ついでに下は、白鳥と戯れる私の写真)

Hyoko04_2 

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2008年2月15日 (金)

存在の暴力性

会議の関係で、この数年の間に何度か沖縄へ出かける機会がありました。私は泳ぐことがそれほど好きではないので、沖縄の海岸には魅力を感じることはないとはいえ、やはり南の海はとても美しい。そしてなぜかゴーヤのあのちょっと苦い味が大好きなので、沖縄の食べ物は、ほぼすべてがおいしい。会議でなく、もし単に遊びに出かけて良いのであれば、国内で一番に出かけたい場所の一つが沖縄です。美しく楽しい観光スポットとは別に、第二次世界大戦に関係する様々な場所も訪れる機会がたびたびありました。沖縄は様々なことを考えさせてくれる島です。

そんな沖縄に、絶対的な存在感を持って、しかも人々の日常と決して融合することなく独自の存在感をもってそこにあるのが、合衆国の軍事施設の数々です。街を切り裂くかのようにど真ん中に滑走路のある基地があってみたり、日常生活のすぐ頭上ですさまじい爆音と共に戦闘機が急旋回をしていたり、そこここに実弾をも使いうる演習場が存在してみたり。南国情緒に溢れた風光明媚な観光地とはまったく相容れることのない軍事施設のすさまじいまでの存在感は、そこはかとなく暴力的です。軍隊という存在自体が、どこでもかしこでも常に暴力的だと主張しているのではありません。軍隊が様々な顔を持った組織であることは十分承知しています。そうではなくここで言いたいことは、沖縄という地におけるその存在の有り様自体が、はなはだ暴力的であるということだけです。

数日前に沖縄で、少女が合衆国の軍人に襲われるという事件がありました。まるで少女の側にも非があるかのような論調の文章が掲載された新聞もあると耳にしましたが、そのような倫理観の欠如した思考は論外としても、一事が万事で単に綱紀粛正を軍隊に求めても何も解決はしないでしょうし、合衆国軍がいなくなればそれですべて解決かというと、そんな単純なことではないようにも思います。沖縄という地が戦前から戦中戦後と、本土との関係でおかれてきた立場が生み出す様々で複雑な背景や、今現在の私たちの国の国際関係上の立場が生み出している合衆国との微妙な間柄などといった、多くの要因が生み出している矛盾を、あの小さくて美しい島の人たちに押しつけてしまっている本土に住む人間の無責任さを、まず第一に恥じ入りながら自覚しなければならないのだと思います。どういう立場にせよ、すぐに善悪白黒と単純に割り切って興奮することは、得策ではないように思います。

少女に襲いかかったのは確かにひとりの人間としての兵士であったのですが、しかしそれは沖縄の立場を思うとき、象徴として、その地に存在する軍隊の存在感の暴力性そのものが少女に襲いかかったのだと、私は感じました。そして沖縄に住む人たちは、その暴力的な存在と、共存する道を探らなければならない。それほどの存在を押しつけておいて、私たちの国の防衛のためにその存在が必要だなどと、本土にいる基地とあまり関係のない多数派の私たちが主張することは、これまた恥ずかしいことだと思います。

それにしても、戦後から今に至るまで、沖縄の地において、合衆国の軍人によるこういった犯罪はどれくらいの数に上るのでしょう。問題の根幹は、綱紀の粛正などと言う精神レベルにあるのではなく、もうすでに全体としての合衆国軍隊の沖縄における存在そのものにあるのではないでしょうか。

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2008年2月13日 (水)

捕らわれる心

今朝のミサの福音から。「今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、ヨナのしるしの他には、しるしは与えられない。つまり、ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったように、人の子も今の時代の者たちに対してしるしとなる(ルカ福音11章29節以下)」

まさしく、今を生きている私たちに向けられた言葉です。人間が欲しがるしるし、すなわち私たちの勝手な思い込みであり、私たちの勝手な希望であり、極論すれば勝手に作り上げた神の姿と業へのイメージでもあります。「つなぐ」の冒頭にも記したように、四旬節は「信仰の原点を見つめ直す」ために与えられた「時」であろうと思います。何を信じているのか、なぜ信じているのか。それを自分に問い直す「時」が四旬節です。自分が好ましいと思っている結果を想定して、それにあわせて神が、そして教会が動いてくれることを期待するという尊大な間違いを犯していないでしょうか。結局、そういう思い込みが、イエスの現実に対する失望を生み出し、イエスを十字架へと追いやったのです。そうしてみれば、自分の思い描く世界に固執して、神をそれに従わせようとする尊大に人間の心は、限りない罪の源のひとつとも言えるのでしょう。

同時にこの「時」は、信仰をどう生きているのかを、私たちに問いかけてもいます。「行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだもの(ヤコブ2章17節)」とも記されています。信仰は残念なことに、いくら見栄えを良くして飾っても、表面的なことだけでは深まりません。一体自分は何を信じているのか。本質的な部分を抜きにしては、いくら表向きを整えても意味がありません。自分の信仰の本質を見つめ直してみたいと思います。結局私たちは、神に対して応答責任を負っているのですから。

先日、積極的に教会を生かしていく仙台の信徒の姿について触れました。キリスト者であることはどういう事なのかをしっかりと理解しなければ、本来の働きはできないでしょう。たぶん仙台では、そういった信仰教育と養成が進んでいるのだろうと想像します。そこで四旬節の一つの読書として、教皇ヨハネ・パウロ二世の使徒的勧告「信徒の召命と使命」を読み、また学ぶことをお勧めしたいと思います。結構厚い書簡ですが、そこには信徒としてよりふさわしく生きるための様々な指針が記されています。示唆に富む書簡であると思います。

本日午後、秋田ダルクの平原さんたちが来訪されました。ダルク(DARC)とは、ドラッグ(薬物)のD、アディクション(病的依存)のA、リハビリテーション(回復)のR、センターのCを組み合わせた薬物依存症からのリハビリを目指すグループと施設の名称です。現代社会では、多くの人が気がつかないだけで、実際には様々な薬物による依存症がじわじわと浸透しているといわれます。マックやAAなどと同じく、自ら回復するために、仲間たちとの連帯の中で、12ステップを利用して回復を図る場を提供するグループです。新潟教区内では現在、秋田と鶴岡にダルクが存在しています。新潟でもダルクを創設したいと言うことで、本日は相談にこられました。すでに新潟でも理解し賛同する人たちがおられるとのことで、今後、具体化していくことになろうかと思います。全国的にこういった活動にはカトリック教会としてできる限りの協力をしてきました。秋田と鶴岡のダルクにも教会のメンバーが深く関わっています。新潟でも、今後できる範囲で協力していきたいとおもいます。

また先日は、長岡にある新潟マック(アルコール依存症からの回復を目指すグループ)の北原さんも来訪され、こちらは今度は秋田にマックを創立したいとのこと。実は新潟マックは、先代の佐藤司教様の跡を継いで私がNPO法人の代表となっております。こちらもダルク同様に、現代社会に必要な存在となっていますから、教会として応援していきたいと思います。

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2008年2月12日 (火)

その影は・・・

仙台へ出かけたときに、聖堂の二階席に強烈に祈る三人の影があったと書きました。早速、仙台の信徒の方からメールで教えて頂きました。あの三人の彫像は、「仙台広瀬川で殉教した司祭・武士・農民の像」とのことです。「本物は広瀬川のそばにあり、元寺小路教会にはその複製が置かれています。その像は2006年に帰天された仙台教区司祭深澤守三神父様の作品です」。詳しい解説が中央協のホームページに掲載されています。2月の最後の日曜日には、「仙台キリシタン殉教祭」が行われるとのことでした。早速メールを下さり、ありがとうございました。

新潟は、市内でも夕方から雪です。今晩は大荒れになる模様です。

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仙台で強烈に祈る3人の人影

Sendai080210 久しぶりに雪だという仙台を体験して参りました。一昨日の日曜は、仙台も真っ白。おかげで泊めていただいた仙台司教館まで、迎えの車が上がってこられない。なんと言っても仙台司教館は、スペルマン病院のお隣の小高い丘の上にありますから、そこへ至る直線の坂道は、滑り台状態であります。ちなみに昨年訪問したオタワ愛徳修道女会の修道院は、さらにその上の丘の頂上になるのでした。

仙台と新潟を結ぶ高速バス。仙台へ出かける人なんてそんなにいないだろうと高をくくって新潟駅前のバス停に出かけてみると、人だかりがしているではありませんか。新潟交通の仙台行きは満席でありました。案内された東仙台教会(司教館と同じ敷地内)では、午後6時から集まった信徒全員で、しかも聖堂一杯の全員で、教会の祈りを利用した夕の祈り。司式したのは平賀司教様。その後、ホールでの夕食会となりました。今回の黙想会は東仙台教会とカテドラルの元寺小路教会との合同黙想会ということで、前晩の夕食会からすでに合同であります。おいしく鍋を囲んで、そしておいしくお酒も頂きました。翌日は朝9時半から元寺小路教会でミサ。そしてその後1時間半ほどを頂いて、講話をさせていただきました。ミサ中には灰の式もあり、また講話の後には10分ほどの沈黙の一時と祈りがあり、プログラム終了は1時近くになりました。最後は持参の弁当で昼食会。

何とはなしに書きましたが、特筆すべき事が。それは、到着してから帰るまで、平賀司教様を除いて神父様にあったのは、日曜のミサの間だけ。ミサ前の香部屋で氏家師にあって一緒にミサをした間だけで、それ以外は一切神父が存在しない。にもかかわらず、土曜の夜の夕の祈りから始まって日曜の最後の祈りまで、信徒の手によってしっかりと企画され運営されている。これはすばらしいことでした。この地域は共同司牧になっており、司祭は複数の教会を抱えるため、必ずしも司祭が中心になって教会行事を進めるということではなく、信徒が中心になって行事が進められていく。これまでのいきさつの話は、両方の教会の信徒会長さんを始め信徒の方々から聞かせていただきました。いろいろと長年の苦労があって、ここまで到達したとのこと。自分の所属小教区のことだけを考える姿勢から、全体としての教会の姿を捉えて考えるようになってきたこと。4月からの人事異動ではこの地区に配置される司祭の数が増えるとのことで、これまで培われた信徒の自立した動きに、司祭がまた深く関わることで、よりいっそうの共同体の成長があることでしょう。またミサ後には、数名が鹿児島のネットワークミーティングに出かけたというものの、しっかりと若者が集まって楽しく学びあっておりました。前晩の夕食の時もこの日も、若い人たちの人数の多さに、多少のうらやましさも憶えました。

元寺小路の聖堂は二階席まで一杯でした。祭壇あたりからふと二階を見上げると、一番右端に一生懸命祈る三人の人影が。微動だにせず真剣に祈る姿が気になってちらちら見ていましたが、ミサ後に良く眺めてみると、彫像でありました。何の彫像か聞くのを忘れました。

帰りの高速バスはこれまた満席。私の回りはどこかの高校のラクロス部の女子高生たち。それはそれで疲れてしまいました。新潟駅に着いてから、名古屋の味「ココイチ」で夕食。(写真は元寺小路教会の聖堂内で沈黙のうちに祈る黙想会参加者)

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2008年2月 9日 (土)

仙台へ

明日は四旬節第一日曜日。私は仙台におります。仙台教区のカテドラルでもある元寺小路教会で、東仙台教会との合同黙想会のためにお話をさせていただく予定です。新潟から仙台へ出るにはいくつかの道がありますが、簡単なのは上越新幹線で大宮まで出て乗り換え、東北新幹線で仙台へ。3時間半くらいでしょうか。そして磐越道経由東北道で高速バスが一日に6往復で4時間ほど。お値段と乗り換えの不便を考えて今回は、高速バスで行くことにしました。日曜の夜には新潟へ戻ってきております。

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2008年2月 8日 (金)

東京、寒い!

昨日は朝から2月の常任司教委員会でしたので、水曜日の夕方には東京へ出かけ、潮見で泊まりました。新潟は寒いけれど良い天気で、湯沢あたりのスキー場は夕日を浴びて輝いておりました。それが東京へ来たら、「寒い!」。中央協議会で、「新潟は寒くて大変でしょう」と尋ねられましたが、一昨日は、東京の方が「寒い」と言わざるを得ない。

2月の常任司教委員会は主に、18日から1週間開催される臨時司教総会(臨時といいながら定例で行われているが、6月の定例総会と区別するために規約では臨時とするらしい)の議題の確定作業やら、来年度の予算の確認(承認は臨時司教総会で)、そして11月の列福式に関連するさまざまな案件がございました。列福式のロゴと標語の選定も行いましたが、これも司教総会での全司教の承認を得てから発表となる予定ですので、何が選定されたかはまだ秘密です。長崎教区での実行委員会では、入場者を2万人と見込んでいるようですが、2万人を集める野外イベントの開催は、普通に考えても素人業ではありません。準備にあたってくださっている方々のご苦労は、大変なものがあろうと思います。正式ではありませんが、だいぶ以前に準備の長い過程のなかで、せっかくだから長崎以外でも、例えば米沢でも分散して列福式をしたらどうかというアイディアが耳にはいってきましたが、申し訳ないがお断りましました。これだけの行事を引き受けられた長崎教区には、頭が下がるおもいです。

中央協議会の来年度予算も厳しいですね。中央協議会の予算は、主に各教区からの分担金と資産運用で成り立っているようなものです。教区分担金は、各教区の信徒ひとりあたり100円ですから、例えば新潟教区は70万円ほどでしょうか。教会とは、小教区が独立して独自にサバイバルしていてそれが連盟組織として全体があるのではなく、まず全体に一つの教会がこの世界にあって、それを象徴する小教区共同体が全体の一部として各地域に置かれているのですから、協力し合って全体を支えていきたいと思います。毎年のペトロ使徒座献金による教皇庁のサポートも同じ考えですし、教区を支えていただくのも同様です。また例えば教区も、全体としてそれぞれの小教区共同体に目配りをしながら互いに支えていく組織体になりたいとも思います。

昨日の常任司教委員会は10時からお昼を挟んで3時過ぎまで。そして3時半から今度は東京神学院常任司教委員会でした。メンバーは委員長の梅村司教ほか、大塚、平賀、幸田の各司教と私。神学院からも平田院長、伊藤師、浦野師が加わり、主に来年度の予算と神学校合同について話し合いました。合同に関しては、そのための司教委員会があり、作業が進められています。2月の臨時司教総会で承認が得られれば、2008年中にローマに申請をすることになります。仮にすべてがうまくいくならば、2009年春には新しい一つの神学校が、福岡と東京のキャンパスを持って誕生することになります。詳細は今後の司教総会での決議を待たなくてはなりませんが、両キャンパスのどちらかに哲学、どちらかに神学を配置することで、現在続いている教員の重複は解消されます。福岡の伝統的な雰囲気と東京の先進的な雰囲気がマッチした、幅広く豊かな司祭養成になることが期待されます。

6時前には会議が終わって東京駅へ。新幹線の指定席をとってから例の銀の鈴広場に続く地下へ降りていって、赤ワインのミニボトルを買いました。先日レジで何を言われたか、実はそこでは先日は聞き取れなかったので面倒でそのまま過ぎたのでしたが、今回は分かりました。「その買ったワインを列車の中でいただくために利用する、小さなカップは必要か?」と尋ねられていたのでした。(レジに張り紙がありましたから)あぁ、日本語会話が分からない!日本語始めたばかりの外国からこられた方々、苦労されてませんか?

新潟駅に9時過ぎに到着。さすがに寒くて歩いて帰る気にはなれずにタクシーに。個人タクシーでしたが、メーターを見てびっくり。初乗り300円。値上げが続く中、対抗して値下げをした個人タクシーの話を新聞で読みましたが、実際に乗車したのは初めて。小刻みに加算されるものの、例えば新潟駅から万代橋を渡ったホテルオークラくらいまでなら普通のタクシーのほぼ半額。司教館までも200円以上の違いが。助かりますが、かといってお客さんがタクシー乗り場でこういったタクシーだけを指名するわけにも行かず、安くした分だけ利益も大幅に減って、個人タクシー経営者には大変な毎日だろうと思います。

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2008年2月 5日 (火)

人となられた神の御言葉

St08 東京駅の中央コンコース地下、待ち合わせ場所として名高い「銀の鈴」広場の現在地周辺が、先頃見事に変身しました。成田エキスプレスに乗るために総武線地下ホームへ行くにはここを通過した方が歩きやすいので、先日成田へ行こうと足を踏み入れてびっくり。まるで「デパ地下」状態でありました。その端っこにおいしそうなパン屋さんを発見。ローストビーフサンドやサラダなどをオシャレに売っている。早速夕食代わりにローストビーフサンドを購入。支払おうとしたらレジの女性店員が、「ムニャムニャムニャで、よろしかったぁですかぁ?」と仰せになる。「何が、どう、よろしかったのだろうか」と思って聞き返すと、まったく変わらぬ口調で「フォークのご利用でよろしかったぁですかぁ?」と。つまり「汝は、ローストビーフサンドの紙製の入れ物(エコに気を遣っている店らしい)に一緒に入れられているところのフライドポテトを食するために、これまた木製であるフォークを所望するか?」と私に聞いているのですね。(写真は本文と関係ないのですが、先週のミャンマー・ミャワディの町のお寺です。お寺ですよ)

帰国して成田空港で東京駅経由新潟行きの切符を購入しようとカウンターで訪ねたら、あいにく冬場の土曜日で、越後湯沢へ遊びに出かける方々で指定席が一杯。一時間待てば、かろうじて一席だけ空いていると言います。「それでお願い」と申しましたら、「それでは、東京駅で一時間の待ち合わせになりますが、よろしかったぁですかぁ?」ときました。よろしいもなにも、それしか選択肢がないんじゃないの?

そういえば数年前、旧名古屋空港で保安検査場を通過するときに、持ち込み禁止品のリストを手前で渡されていた時代がありました。そして保安検査場の中にはいると、係員の女性が、「ガイトウはありますか?」と聞いてくる。確かに冬であります。この若い女性は、「外套」なんて古めかしい言葉を、「コート」と言わずに、よくもまあ今でも使っているものだと一瞬勘違い。「ありません」と答えたあとで、「リストに該当する危険物はお持ちですか」と聞かれたことに気がついて、ひとり赤面してしまいました。

St06 言葉はコミュニケーションのためにあるはずなのに、溢れている言葉がその役を果たしていないと感じることがしばしばあります。言葉が悪いと言うよりも、そもそもその言葉を発している人間が、その言葉を通じて何かを相手に伝えようとしているのかどうか。その「心持ち」に問題があるのではなかろうか。そう感じます。何を伝えたいのか、誰に伝えたいのか、そもそも伝えたいのか、なぜ伝えたいのか。そんなことを考えもせず、ルーティーンで言葉を発している限りは、発せられたその言葉は単なる音の羅列にしか過ぎません。音を羅列させることは、心の存在しない機械にでもできることです。でも私たちは、心を持つ人間です。日本26聖人殉教者の祝日の今日、ミサの福音はマタイによる福音の宣教命令の部分が朗読されました。私たちは、人となられた神の御言葉を、私たち自身の言葉を持って伝える使命を受けています。伝わる言葉で、伝えようという心もって、なぜ伝えたいのかをよく考えて、神の御言葉を伝えていく努力をしていきたいと思います。ルーティーンで口を動かしているだけでは、何も伝わりません。

明日は灰の水曜日です。新潟教会では朝6時半と10時に、灰の式をミサ中に行います。また灰の水曜日は大斉・小斉の日でもあります。四旬節にあたりカリタスジャパンは祈りや黙想の手引きとなる小冊子を発行しています。「さけび」「ひびき」に続いて、今年からは「つなぐ」となりました。四旬節に毎日曜日に一つの話を読み、黙想し、祈り、分かち合うことができるように編集されています。またそのために、各話題の最後には霊的な手引きも記されております。小教区にて配布されると思いますから、是非一冊を手に取り、四旬節を通じて霊的に深める一助として活用いただきたいと思います。(写真は、本文と関係ありませんが、先週訪ねたスコータイの遺跡の一つです)

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月に一度の司祭の集まり

昨日、月曜日は、午前中から新潟県内の17のカトリック幼稚園を統括する聖母学園の理事会。そして午後からは同学園の園長会。そして夕食からは月に一度の教区司祭の集まりである「静修」です。本日、火曜日のお昼まで、今回は特に司教団から求められている「ナイス」についてのふり返りを行っております。20年前に燃えさかったあの炎は一体どうなったのかを探ってみたいと思います。

本日は日本26聖人殉教者の祝日です。教区司祭と共にお昼前にミサを捧げますが、このミサは特に、教区の一粒会のために献金してくださる方々のために、お捧げいたします。

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2008年2月 4日 (月)

米沢の殉教者を想い、共に祈る

 ペトロ岐部と187殉教者の列福をこの11月に控え、新潟教区でも殉教者特別年を定めることにいたしました。2月3日付で各小教区には手紙を送付いたしましたが、以下にその内容を掲載しておきます。

殉教者特別年と列福特別献金の継続について
 教皇様は昨年6月1日、「ペトロ岐部と187殉教者」の列福を正式に決定されました。列福式は教皇庁列聖省長官の司式で、今年11月24日(月)正午から、長崎市の長崎県営野球場「ビッグNスタジアム」(所在地:長崎市松山町2-5)で執り行われます。
 ご存じのように、今回の188人の殉教者には、新潟教区の信仰の先達が53名も含まれております。1629年1月12日、キリシタン迫害の嵐の中、山形県米沢において、ルイス甘糟右衛門をはじめとした53名の信徒たちは、その信仰を勇敢にも守り、神との完全なる一致を願いながら、その命を捧げたのでした。
 日本の教会と私たちの教区に与えられるこの栄誉に感謝し、また現代社会に生きる私たちが福音に生きる姿勢を殉教者たちの「生き方」から学ぶため、新潟教区では一年間の殉教者特別年を定め、殉教者を想い、共に祈り、感謝し、学ぶときにしたいと思います。
 殉教者特別年の概要は以下の通りです。なお昨年2月4日から300万円を目標にお願いをしております特別献金については、未だ目標に到達していないこともあり、さらに一年間の継続をお願い申し上げます。また今年の聖霊降臨の主日(5月11日)を、教区特別献金の日として、この目的での献金をお願い申し上げます。

名称: カトリック新潟教区殉教者特別年
期間: 2008年5月11日(聖霊降臨の主日)から2009年5月16日(米沢祝賀行事)まで
目的: 「米沢の殉教者」の列福を感謝するとともに、「ペトロ岐部と187殉教者」、「米沢の殉教者」の歴史を学び、当時のキリシタンの信仰、殉教者のこころを想い、現代に生きる私たちの信仰の姿勢をあらたにする。
主な内容:
①2008年5月11日、特別年開始司教ミサ(米沢教会)、教区特別献金日
②2008年9月14・15日、殉教者をテーマとした新潟教区大会(秋田)
③2009年5月16日、殉教者列福感謝式典(米沢)
④特別年のために教区としての祈りを作成し、後日各小教区に配布いたします。
⑤一年間を通じ、北山原(米沢)への巡礼を奨励いたします。
⑥米沢教会を中心とした教区の実行委員会が、祝賀行事に向けた準備を行います。殉教地での記念碑の建立、学びのための小冊子の発行、記念誌などの発行、祝賀行事の開催などを、現在検討中です。

 新潟教区の皆さん、「ペトロ岐部と187殉教者」の列福が新潟教区と日本の教会の「福音宣教」のためのあらたな始まりの機会になるように、祈りと学びによって、こころをひとつにして、特別年を過ごしましょう。

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2008年2月 3日 (日)

世界遺産

St01 昨日、帰国しました。タイでは会議が思いの外素早く終了してしまったため、せっかくなので、というかまるで最初から予定されていたかのように、どこかへ行こうということになりました。出かけた先は、バンコックから飛行機で50分ほど、タイ北西部にあるスコータイ遺跡で、世界遺産の一つであります。この地域の歴史をよく知らなかったので、今回はいろいろと勉強になりましたが、13世紀から14世紀にかけて栄えたタイ族の最初の王朝であるスコータイ王朝の遺跡です。その次が、山田長政などで日本でも知られたアユタヤ王朝だとか。バンコックからタイ航空で近くの町ピサヌロックへ飛び、そこから車で一時間でスコータイの新市街。さらに10分ほどで遺跡群のあるスコータイの旧市街です。周囲はバンコクのような大都会とはまったく異なる、美しい田園風景が広がっています。

St02 全部で一体いくつあるのか分かりませんが、広大な地域に寺院の遺跡が点在している。ゆっくりと時間をかけなければ、すべてを見ることはできないだろうと思います。中心は城壁(土塁)で囲まれたスコータイ旧市街に集中しているいくつかの寺院(写真)。あまりの数の多さに、スクーターを借りて炎天下をいくつも走り回ったので、日本でのこの季節には不釣り合いな鼻先が真っ赤になるという妙な日焼けをしてしまいました。廃墟のような寺院の中にかすかに残された仏像の痕や、形がしっかりと残っている、または修復された仏像、柱だけが残されている多くの建物。復元図を眺めながら、700年近い時間の流れの力を実感しながらも、しかしまだそこに残されている神聖さには身も心も引き締まるような思いがいたしました。その昔、一体そこにはどのような時間が流れていたのでしょう。

ユネスコによる世界遺産というシステムが近頃日本でも注目されるようになっていますので、新しい制度かと思って今回調べたら、思いの外歴史のある制度だったのですね。無知でした。世界遺産条約自体は1972年に成立して75年には発効。きっかけはエジプトのアスワン・ハイ・ダム建設に伴い水没する遺跡の保護だったとか。しかしこうした制度があるおかげで、例えばジャングルの中に埋もれ朽ち果てていってもおかしくないスコータイのような遺跡が保護され、後世に伝えられていくのですから、その意味ではよい制度であると思います。そして今回見た限りでは、登録されることで観光客も増加し、地元には観光産業によって生計を立てている人も増加するという意味での経済効果もある。国も空港や道路を整備する。観光によって外貨収入を得る必要のある国にとっては、とても魅力的な登録制度であろうと想像します。

St03 ところで、さらにせっかくなので、スコータイから車に乗って3時間ほどさらに西へむかい、メーソットの町で歩いて国境をわたり、ミャンマーをちょっとだけ訪ねてきました。タイ側のメーソットとミャンマー側のミャワディの間にはモエイという細い川が流れており、ここには立派な国境の橋が架かっております。タイ側で出国の手続きをして、ミャンマー側へと歩きますと、橋の中央部、それこそ国境付近では車線が一車線に絞り込まれ信号機がついています(動いていませんでしたが)。というのもこの地点で、道路の通行方式がタイの左側通行(日本と同じ)からミャンマーの右側通行に入れ替わるのであります。ミャンマー側につくと500バーツ(1800円ほど)を払ってパスポートを預け、引換券をもらって「夕方5時までには帰るように。ミャワディからでないように」と指示されて、ミャンマー入国となりました。このあたりからさらに南部にかけては、ミャンマーの少数部族であり、かつ長年にわたって自治を主張して戦っているカレン族の拠点地域です。折しもこの日はカレン族が闘いを始めてから59回目の記念日。先のヤンゴンなどにおける僧侶を中心とした反政府行動による暴動のこともありますから、さぞかし緊張しているかと思いきや、あにはからんや。非常にのんびりと、いつものように、賑やかにそして穏やかに、時間は過ぎておりました。日本人の味覚にとてもマッチしたおいしいミャンマーのご飯を頂いて、マーケットを見て回って、金ぴかのお寺を訪問して電飾に飾られた仏像を拝見し、帰って参りました。

St04 ミャンマーにおけるカレン族とカトリック教会の関わりについて、いつかどこかに書く準備をしようとは思います。植民地時代、植民地内に部族対立による緊張を持ち込み、外部からのコントロールを容易くするという、おきまりの植民地政策のためにカレン族へ意図的なキリスト教化が図られたと言います。そして独立後は、仏教が中心のビルマ族政権は、独立を目指すカレン族を抑えるために、カレン族内の仏教徒優遇策をとって分裂を誘発させようとしてきたようです。カトリック教会は、立場としては少数民族側に立ってきているのですし、その意味で政府とは微妙な関係に常におかれています。先回の暴動の際にミャンマー司教協議会が出した声明には、そのあたりの事情が如実に反映されているのですし、その背景とミャンマーにおける教会の立場を理解できれば、あの声明が本当に言いたいことが本文の間から見えてくるのだと思います。

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