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2008年3月30日 (日)

主は与え、主は奪う

Jokai0801 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」(ヨブ1章21節)

不思議な摂理によって、本日午後2時、坂本耕太郎神学生は新潟教会において助祭に叙階されました。05年に高橋学師を司祭に叙階したとき、私は祝賀会で、これから最低でも10年は叙階はありません、と言ったのですが、やはり神のご計画は計り知れないものがあり、本日の助祭叙階式を無事迎えることができました。聖堂には200名ほどの方が集まり、東京で司牧実習をしている教会の方々も駆けつけて下さいました。

司祭叙階まであと一年残っています。どうか皆様のさらなるお祈りと支援をお願いいたします。

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ストレスの源は

朝日新聞のウェブサイトを見ていて気がついたのですが、IMFは28日に行われた理事会で投票権に関する改革を実行したとのこと。1944年にブレトン・ウッズで創立されて初めての画期的出来事です。さっそくIMFの資料を見ると理事会への報告書が掲載されていました。20頁以上ありちょっと時間もないのでまだ全文を読み切れていませんし、投票権を定める数式は素人にはちんぷんかんぷんなので、まともな解説ができるわけではありませんが、確かに朝日新聞の言うように多少は「途上国の発言力増す」と言うことも外れではありません。GDPをはじめとしたいくつかの要素を加味して出資比率に応じて複雑に計算された一覧表を見れば、一位にある合衆国は17.023%から16.732%に減少し、第二位の日本は6.108%から6.227%へと上昇しています。最下位に近い方を見てみれば、例えばアフリカのチャドは0.037%から0.056%へ、最下位のパラオは0.013%から0.031%へと上昇しているのは確かで、数字的には大きな変化ですが、それにしても第一位の16%と最下位の0.031%には大きな開きがあります。実際にはすべての国が理事会に出席して票を投じているわけではなく、ごく少数の任命理事国と一部の国が単独で出席する以外はグループを結成して票を投じているのです。

そもそもIMFや兄弟である世界銀行(IBRD)は中立的国際機関なのではなく、先進諸国が自由主義市場経済システムの維持強化を図るために設けた組織に過ぎません。ですから1944年に構築されたブレトンウッズ体制は、決して貧困救済機関なのではありません。

IMFと世銀の理事会はそれぞれ24名の理事で構成されますが、出資比率の高いアメリカ・日本・ドイツ・フランス・イギリスが任命理事として常にポストを確保し(国連で言うところの常任理事のようなものです)、その他の国々はグループを形成して地域代表を選出しています。しかもそれぞれの国の投票権は、先に挙げた比率のように、IMFや世銀への出資比率に応じて決められているのです。任命理事国以外で自分の国だけを代表して票を投じることができているのは、中国、ロシア、サウジアラビアだけで、それ以外、例えばルワンダ選出の理事は、そのほか23カ国を代表しています。理事会にはもちろん全員が参加できるわけではないので、代表を選出するということは当然に見えるかもしれませんが、それは例えば(拒否権が一部にあるものの)国連の安保理事会では、出席する理事国には平等の1票が与えられています。常任理事国でも地域などを代表する非常任理事国でも、同じ重さを持った一票を投じることができるのです。しかしIMFの場ではそうではない。明らかに決定権には格差が存在します。

間違えて欲しくはないのですが、決してすべて平等にするべきだと主張しているのでは実はありません。世銀もIMFも、理事会では参加理事国がすべて平等の投票権を持つべきだと主張したいのではないのです。そうではなくて、結局今私たちが生きている世界の経済は、そういうシステムで回っているということを知っておくのは大切だと強調したいのです。加えて、この度日本で開催されるG8と同様、世界の流れを決定づける主要なことは、結局は「主要」な国の意志によって決定されていることを、そしてそれを前提にして私たちは今を生きていることを心しておくべきだと思うのです。

こんな事もあんな事もあり、いろいろ考えているとストレスがたまるのでしょう。お客さんを連れて行った観光地に、右手の中指を入れてストレスを測定する器械がありました。100円を入れて計ってみたら、なんとストレス度は100のうち96。とてもストレスを感じているといわれてしまいました。

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2008年3月29日 (土)

桜はまだかいな・・・

Ca390040 曇天に小雨が降り、桜はまだまだの新潟から。新潟教会のすぐ表には、新潟中央消防署があり(新潟市の合併前まではここは西消防署と呼ばれ、合併後に他の署が西消防署となり、ここは中央区にあるので中央消防署と改名。紛らわしい)新潟市全体の司令室もおかれているとのこと。ここにはレスキュー部隊(特別高度救助隊)もあり、しばしば教会との境にある訓練施設で、威勢の良いかけ声とともに様々な訓練を行って、日々鍛練を積んでおります。数日前に、この消防署に、全国でまだ7台しかないという高度救助隊専用車が配備され、マスコミにもお披露目されておりました。これまでのレスキュー業務に加えこの車には、毒ガスや薬物を使ったテロにも備えて、車内を高気圧にして遠隔操作するシステムや、毒ガスの種類を判別するための用具などが備えられており、お披露目の際にも完全防護服を着た隊員が毒ガス容器を収納する様などを見せておられました。テレビのインタビューでは責任者の方が、こういった装備は自衛隊にもあるが、消防としてもテロに備えたい、というような内容の話をされていた。とても高性能な車のようです。

もちろん即座に出動できるようにしておくのは必要なのでしょうが、そんな対テロ戦にも使えそうな防御装備のあるマシンを、こんなに簡単に近寄れて誰も監視していないガレージに置いておいて大丈夫なのかと素人の私が心配になるほど、無防備においてあります。皮肉で言っているのでなくて、本気で、裏に隠しておかなくて大丈夫なのかと思います。教会の信徒会館の横並びに、いつでも近寄れる状態で(写真)。

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2008年3月27日 (木)

そろりと春

08kencho 復活祭も終わり、それにあわせてやはり春がやってきつつあります。ガーナにいた頃、決まって毎年のように、聖土曜日の夜には強い風が吹いて、乾期の終わりと雨期の始まりを告げたものでした。聖土曜日の夜はOsonson村の聖堂前広場で大きなたき火をして火の祝別をしたものでしたが、そのたびに、この風でどこかに飛び火して山火事にでもなったらと心配したものでした。何せ回りは乾期で、カラカラに乾いた山に囲まれていましたから。いずれにしろ、復活祭は季節の変わり目のお祝いでありました。

水曜日は朝から社会司教委員会とカリタスの会議のために東京へ出かけましたが、新幹線の窓から外を眺めていると、東京ではもう桜が咲いているではありませんか。新潟を出るときにはまだ寒くてコートを着ていてのですが、東京ではコートはもう場違いで、移動する度に着るものの組み合わせに困る季節となりました。新潟では、桜の開花はもう少し先になりそうです。春はそろりと近づきつつあります。

復活祭があけた月曜日の午後3時に、新潟県庁で中越沖地震に際して多額の義援金を贈った法人への感謝状贈呈式が行われ、カリタスジャパンも招待されましたので出かけてきました。事務局長の田所氏と新潟教区担当の町田師にも同行頂きました。写真はその最後に撮影した集合写真です。宗教団体もいくつかありましたが、多くは名の知れた大企業で、表彰状を受けたのは40団体くらいでしたでしょうか。すぐ近くに住んでいるとはいえ、私は実は泉田知事にお会いしたことがなかったので、今回こそはと思ったのですが、知事は多忙のようで、神保副知事が代行されておりました。神保副知事には前回義援金をお届けしたときに会って頂きました。

Sakamoto 火曜日の午後、助祭叙階式を控えている坂本耕太郎神学生に、信仰宣言などの一連の必要な事前の準備をして頂きました。信仰宣言は通常の二ヶや・コンスタンチノープル信条に、決められた定式文が付け加えられたものが用意されており、その裏には司教への忠誠を誓う文書も用意されています。また本人による自由意志の表明もあります。叙階式前には、神学校での哲学神学を終えている証明や、こういった一連の必要書類を整えておく必要があります。助祭叙階式は30日の日曜日、午後2時から、新潟教会で行われます。お祈り下さい。

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2008年3月23日 (日)

2008年御復活祭

新潟教区の皆様、御復活おめでとうございます。

08holysat02 皆様の教会での復活徹夜祭や本日の復活の主日はいかがでしたか。新潟は穏やかで暖かな天気にも恵まれ、昨晩のミサでは3年間勉強を続けてきたお嬢さんが受洗されたり、日中のミサは聖堂に溢れんばかりの参列者となり、すばらしいお祝いでした。確かに信徒の方々の多数がいわゆる高齢層に属されている現実は新潟教会において特に顕著であり、その意味で、夜に行う典礼行事への参加が難しくなりつつあることは確実です。先般の一致祈祷週間においても、やはりプロテスタント教会も同じような問題を抱えている様子で、これまで毎晩行われていた一致祈祷集会を期間中の昼間の三回に変更したのも、同じような理由でした。この聖なる三日間の新潟教会での典礼儀式への参加者も、通常よりも多いというわけではありませんでした、復活とクリスマスの社会での認知度の違いかもしれませんが、クリスマスは夜のミサでも聖堂がいっぱいになるのと比べれば、復活徹夜祭はちょっと寂しいとも感じます。しかし、同時に、少ない分、真剣に典礼に与る姿勢が祭壇まで伝わってきて、身が引き締まる思いもいたしました。

とはいえ、本日の復活の日中のミサのように、実際には教会には若年層も沢山存在するわけです。一年に復活とクリスマスだけとはいえ、教会に所属しているという意識を忘れずにいてくれたことには感謝しなければなりません。本日の日中のミサでは、昨晩洗礼を受けられたお嬢さんを囲んで同年代の若者たちが聖堂の最前列にずらりと勢揃いし、それはもう壮観でした。

08holysat01 さあ、復活が終わって、今年はこれから年度末と新年度です。学校や職場が変わる方もおられるでしょうし、引っ越して行かれる方、また新しく引っ越してこられる方、いろいろと動きのある季節です。教会にも、新しいメンバーが加わったりする時でもあります。初めて見える方でも安心して過ごすことができる共同体であるように心掛けたいと思います。皆様の教会では昨晩または本日、洗礼を受けられた方はおられましたか。洗礼ですべてが完了したわけではなく、これからが大切なときです。これまでは勉強会という場が洗礼志願者の主な居場所だったのでしょうが、これから信徒として教会共同体の中にしっかりとした場所を見つけて頂く必要があります。安心してともに過ごすことのできる優しい共同体でありますように。

昨晩も侍者などで大活躍してくれた神学生の坂本耕太郎君は、来週の日曜日の午後2時から、新潟教会で助祭に叙階されます。どうぞお祈り下さい。(写真は一番上が復活徹夜祭で復活のロウソクにあたらしい火をともしているところ。次が昨晩の洗礼式。下の左が日中のミサで祝福した復活の卵。右はミサ後の信徒会館での祝賀会にて)

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2008年3月22日 (土)

束縛からの解放

Simg_3757 聖金曜日の聖式は、はじめの挨拶もなく終わりの言葉もない、なにやら中途半端な感じで始まり中途半端な感じで終わります。というのも聖木曜日から聖なる三日間の典礼は、一連の出来事として捉えられているからです。聖木曜日のミサの最後には、「行きましょう」のことばはなく、復活徹夜祭のはじめにも、十字架のしるしはない。聖木曜日のミサのはじめから、復活徹夜祭の「行きましょう、主の平和のうちに、アレルヤ」まで、一連の流れの中に典礼は行われていきます。

毎週日曜日のミサの中で、全世界の教会は共同祈願を捧げていますが、その内容は地域や共同体によってそれぞれ異なっています。しかし一年に一度、聖金曜日の聖式において、全世界の教会はまったく同じ意向を唱えながら共同祈願を行います。一体何を祈ったのか、時間があれば聖週間の典礼のパンフレットをもう一度読み返してみることをお薦めします。毎年、世界中のカトリック教会で、あの祈りが唱えられてきたのです。

Simg_3782 イエスの受難と死と復活の出来事は、命に対する束縛からの解放の出来事でもあると思います。この世の命への最大の束縛は死です。墓という死者を閉じ込める空間から出て行くイエスこそは、すべての束縛からの解放を象徴しているのだと思います。内向きにばかり物事を考えさせる様々な傾き、自分を中心に世界が回っているのだという思い込み。そういった自分から解放されない限り、復活の出来事に与る信仰を頂いた意味がありません。私たちは一人ひとりが勝手に自分の信仰を生きていて、その信仰上の「お勤め」を果たすためにたまたま日曜日に集まってくるから、教会共同体なのではありません。教会共同体にこそ、古い命に死んで新しい命に生まれ変わったイエスの弟子としての本当の生きる場があるからこそ、そこに集っているのです。家庭から教会にやってくるのではなく、教会から家庭へと派遣されていき、そして教会へと戻ってくるのです。ここでも既成の生き方からの価値観の転換が求められています。聖週間の典礼は、そして特に洗礼式が行われ、新しいメンバーが共同体に加わる復活徹夜祭は、それぞれの教会共同体にとって、一年の中でも一番大切な典礼の集いです。どうぞ今夜の典礼を、それぞれの教会共同体で大切に行って下さい。そここそが、私たち一人ひとりの本当の所属する「家」なのですから。

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2008年3月21日 (金)

粛々と聖週間

Holyweek0801 新潟教会での聖週間の行事は、粛々と進行しております。例年より一日早く火曜日に行われた聖香油ミサ。司祭の役務の中でも重要な意味を持つ秘跡の執行に欠かせない三つの油を祝別するのがまず一番の目的です。三つの油とは病気になったときなどに祈りのうちに回復を祈る病者の油、洗礼志願者のために用いる油、そして洗礼式や堅信式、叙階式などに用いる聖香油の三つです。特に聖香油は大切な油です。写真にあるように準備され荘厳に三人の司祭によって運ばれた油を、病者の油は奉献文の最後栄唱の前に、洗礼志願者の油と聖香油は聖体拝領のあとに祝福されます。聖香油についてはオリーブ油に香料を混ぜ(古来よりバルサムとされていますが、それ以外でもかまいません)、司教は香油の容器に息を吹きかけます。そして祈りを始めます。祈りの最初の部分は救いの歴史の中での油の持つ意味合いを述べています。その後、参列するすべての司祭は司教とともに手を油に向け、聖霊の働きを願います。司祭団が手を差し伸べることによって聖霊の働きを求める動作は叙階式にも行われますが、日頃は目に見えないこともあって、私たちの信仰生活において重要な意味を持つはずの聖霊の働きというものを忘れてしまいがちな私たちに、その力をまざまざと思い起こさせる意味を持った動作であると思います。

Holyweek0802 なお聖香油のミサの間には、司祭団が叙階の日の約束を新たにし、司教との一致の元に共同体として宣教司牧にあたる決意を新たにもいたします。今回の聖香油ミサには、新潟教会だけではなく周囲の多くの教会からも信徒の方の参加を頂き、130名ほどと例年よりも多い会衆でした。お祈り頂いた方々、ありがとうございます。

昨晩は、最後の晩餐を思い起こし、イエスがその身を私たちの罪の贖いのために生贄として捧げられたことに感謝し、御聖体の制定を記念する主の晩餐のミサが行われました。また最後の晩餐の出来事に倣って、12名の信徒の方に前に出て頂き、洗足式も行いました。ミサのあと、御聖体を小聖堂まで運び、夜11時まで、聖体礼拝を行いました。

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本日は主の受難、聖金曜日の聖式が夜7時から行われます。どうぞおいで下さい。司式は主任司祭の大瀧師。受難の朗読や十字架の崇敬式が行われます。

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2008年3月19日 (水)

福岡教区に新司教任命

教皇様は先ほど(3月19日ローマ時間お昼)、大分教区長のドミニコ宮原司教様を、福岡教区長に任命すると発表されました。福岡教区は松永司教様が亡くなられてから空位となっておりました。また大分教区長の後任については発表がありませんので、今後、手続きに従って選任が進められるものと思われます。宮原司教様、おめでとうございます、または、ご苦労様です。

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ホスピスの設立に向けて

一日だけ名古屋に来ています。名古屋市昭和区にある聖霊病院では、長年の念願であったホスピスの開設に向けての準備が進んでおり、その後援会の発起人会が本日開催されました。聖霊病院は秋田で聖霊学園を運営している聖霊会のシスターが経営と運営に携わっているカトリック病院ですから、今回の発起人会には、神言会と聖霊会の管区長の他、名古屋教区長の野村司教様と私が教会関係では参加しました。聖霊病院でホスピスを設立することに力を尽くし運動してきた元看護師さんが、近くで長崎チャンポン屋を営んでいて、そこで誕生した各界の不思議な人脈からも発起人が来ておりました。変わったところでは、近くの中京テレビ(日テレ系)の恩田アナウンサーとか(バラエティーで高田純次さんなんかと絡んだら、ものすごくおもしろい方)。チェリッシュのお二人も名簿にはいってましたが、今回は欠席。

というわけで、夕方には新潟へとんぼ返りをします。

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2008年3月18日 (火)

聖週間とはいえ

Shisaihyo08 聖週間とはいえ、3月の恒例の行事はそのまま行われるわけで、今年は特にタイミングが悪いですね。というわけで、昨日は午後から教区顧問会と、それに続いて三時半から年に二度開催の教区司祭評議会を行いました。評議会は教区顧問の司祭と、各地区(長岡、新潟、新発田、山形、秋田)の地区長、そして選出された代表の司祭からなる会議です。三時半からはじまった会議は、夕食と夕の祈りを挟んで夜9時近くまで続きました。その後は食堂で情報交換。特に秋田や山形の司祭とは、司教館で話をすることはあまりありませんから、貴重な時間でした。

昨日の会議では、まず昨年の教区会計の決算報告を頂き、意見交換をしました。詳しくは教区報でお知らせしますが、やはり教区本部の一般会計は実質的に少し赤字になります。司祭の給与や退職後の生活を保障する基金と神学生養成や召命募集活動の補助に使われる一粒会基金を組み入れると黒字になるのですが、これを除いてしまうとやはり赤字となります。私としては、小教区単独ではできない継続養成のコースとか、研修会とかを、教区が計画し主催してもっと各地で開催したり、今はほとんど名目的にしか存在していない様々な教区の委員会を、しっかりと開催できるように資金的手当をしたいのですが、現状では今行われていることを回すだけで精一杯で、これ以上は手が回らないのが残念です。もちろん人数的に規模の小さな教区ですから、身の丈にあった運営を心掛けなければなりませんが、同時に「教区」という立場を聖座から認められている地域としては、それに応えるだけの責任ある教会運営も心掛けなければなりません。「教区」は、教会があって信徒と司祭と修道者と司教がいるという事実だけで存在するのではなく、その中にある程度の自立した組織体をしっかりと持っている必要があります。それを作り上げるのは、私たち一人ひとりであると思います。

そのほか会議では、殉教者の列福に関する件や、6月の司祭大会(教区で働くすべての司祭が集まり、今年は典礼について学びます)、9月の教区大会などについて意見交換をしました。

本日は、この司祭評議会開催に合わせて、例年より一日早く、聖香油ミサを一〇時半から行う予定です。

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2008年3月16日 (日)

トレビの泉

夕食後の今テレビをつけてみたら、たぶん日本テレビ系列だと思いますが、「世界の果て、いってQ」とかいう番組で、ベッキーさんが出演して、トレビの泉の掃除の話をしておりました。トレビの泉は毎日朝7時から掃除しているというのは初めて知りましたが、その投げ込まれたお金がどうなるかは、知っていました。最後にお金を受け取る人物がでて、その肩書きで気がつかれた方もおられるでしょうが、トレビの泉に投げ込まれたお金は、カリタス・イタリアに渡されるのです。カリタスジャパンと同様、国際カリタスの一員であるカリタスイタリアです。それが今日の番組では、年間9,000万円というのですから、日本の教会の四旬節献金よりも大きい。それにしても、ベッキーさんというタレントさんは、何とも魅力的で可愛い方ですね。

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受難の主日08

Simg_1896 受難の主日(枝の主日)でした。新潟教会の九時半のミサでは、まず信徒会館一階の会議室に枝をもって集まり、まずそこで枝の祝別とエルサレム入城の朗読を聞いて、いかにもこれから聖なる一週間が始まるのだという思いを行動で表すかのように、聖堂までのほんの短い距離でしたが、行列を組んで移動しました。確かに主のエルサレム入城の模様を再現すると言うこともあるのかもしれませんが、それ以上に、「主の過ぎ越しの記念を行うために行きましょう」という司祭の呼びかけの言葉の通り、この聖週間という時を通じて、「主の十字架を思い起こし、主の復活と新しい生命にも与ることができるように、主の後に従って」歩み始める事に意味があるのだと思います。ですから、昔の出来事を再現してお芝居をすることに意味があるのではなく、具体的に共同体の人たちと一緒に歩くことによって、ともに信仰をふり返る決意を新たにすることが大切です。

Simg_1904 新潟教会では130人を超える方が集まって下さいました。今年の復活徹夜祭で洗礼を受けられる方もひとりおられます。お祈り下さい。転勤で新しく見えた方もおられました。加えて新潟もやっと春らしくなってきました。新しい始まりという雰囲気の中での聖週間です。

以前は非常にぎこちなかった、受難の朗読の中での全員で朗読するところも、なんだか皆さん慣れてきたようですね。「十字架につけろ」と叫ぶとき、イエスをそこまで追い込んだ民衆の無理解と変貌ぶりに人間の弱さを知り、自分自身の同じ人間としての弱さを痛感するとともに、イエスの受難と死はわたし自身のためでもあったと、感謝を深めたいと思います。

本日の説教はこちらに掲載しております。

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2008年3月15日 (土)

聖週間08年の典礼

Eda07 明日は受難の主日(枝の主日)、そして聖週間の始まりです。イエスをキリスト(救い主)と信じるキリスト教にとって、イエスの受難と死と復活の出来事は、信仰における最大の出来事です。普段とはまったく違う典礼も行われますので、お時間のある方はどうぞ教会へお出かけ下さい。(なお。写真は昨年07年の枝の主日のものです)

新潟教会(西大畑バス停そば)での典礼の時間は以下の通りです。

3月16日(日)午前9時半、枝の主日(イエスがエルサレムに入城した出来事を記念して、ミサの始まりに枝を持って行列が行われます)

3月18日(火)午前10時半、聖香油ミサ(秘跡に使う聖香油を祝別し、また新潟で働く司祭が司教とともに集まり、司祭叙階の日の誓いを新たにします)

3月20日(木)午後7時、聖木曜日(最後の晩餐を記念します。イエスが弟子の足を洗ったのに倣い、信徒の代表の足を洗う洗足式があります)

3月21日(金)午後7時、聖金曜日(イエスが捕らわれ、裁判にかけられた後、十字架につけられて亡くなられたこと記念する式です)

3月22日(土)午後7時、復活徹夜祭(イエスが復活されたことを祝うミサです。ミサの始めにロウソクに新しい火をともす儀式があり、ミサ中にはこれまで長年にわたって準備をしてきた方の洗礼式も行われます)

3月23日(日)午前九時半、復活の主日

金曜日の司式は主任司祭の大瀧師、それ以外は司教の司式です。

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2008年3月13日 (木)

歌って祈る

昨日はカリタスジャパンの援助推進部会、本日はカリタスジャパン委員会に出席し、その足で「こまち」に乗って秋田へ。東京駅から秋田駅までほぼ4時間。東京はそろそろコートもいらないくらいの陽気でしたが、秋田へ向かう途中にはまだまだ雪が。明日は聖霊短期大学の卒業式に出席します。新潟教区には秋田県に聖霊の中高と短大、聖園の短大、そして新潟に清心の中学高校と、ミッションスクールはこれしかありませんから、できる限り顔を出すようにしております。大きな教区で学校がたくさんあったらそうは行かないでしょう。

さて先日の音楽の続きを。小神学校へ入ったのが1971年ですから、ちょうど典礼聖歌集が別冊で次々と発行されていった時代です。神学校のミサは日曜日が朗読と説教以外はすべてラテン語。もちろん第二バチカン公会議の典礼です。当時は平日朝のミサでも週に数回ラテン語でミサが行われたと記憶しています。毎週土曜日の夜はドイツ人神父様による、優しくもあり厳しくもあるグレゴリアンの練習と、このあたりはどっぷりとラテン語と新しく出始めた典礼聖歌に浸っていた時代でした。その後、大学生になり修練にはいった頃から、前回記した先輩たちによるフォーク的な歌を小さなグループミサで試験的に取り入れるようになっていたでしょうか。そのころの大神学生(修道会では有期誓願者のグループ)たちは、そういった歌集を作り始めていました。確かこのころが、高田先生が典礼聖歌分冊の最後の方を、すごい馬力で生み出していた時代ではなかったでしょうか。もちろん当時から、典礼聖歌が詩編の歌を中心にしていたこともあって、特に閉祭にはもっと他の賛歌が必要ではないかと模索する事はしていましたが、当時はカトリック聖歌に代わる賛歌集が出るのではないかと期待もしていたものでした。もっともこれは今になってはっきりとわかりますが、日本の教会の体力の限界があったと思います。そう簡単にできるものではありません。

誓願を立てて、例のゴスペルバンドに巻き込まれていた頃、英語の研修のために一年間アメリカ合衆国へ出かける機会に恵まれました。1983年のことです。出かけた先はシカゴから車で4時間西の、アイオワ州デビュークの町のさらに郊外。エップワースという小さな町にある神言会の経営するカレッジでした。ここで、「グローリィー・アンド・プレイズ」というタイトルの聖歌集に出会います。週に一度全員が集まる大聖堂のミサで、ピアノを伴奏に聖歌隊がコーラスを聴かせる。日本でいわゆるフォークの聖歌なんて言うと、失礼ながら替え歌のただのポピュラーソング的であまり感動をしなかったものの、なんというか言葉で説明できませんが、ここではリズムがしっかりとある歌でも、歌って祈ることに喜びを感じました。ですから早速自分も聖歌隊に参加しました。ここでは英語の発音を先生におもいっきり直されました。ここに来る前、日本で例のボーカルをして、「Walk in the light」と歌っているつもりが、聞いていた人から、「あの、おお・銀座ナイトってのは何の歌だ」といわれた理由が、発音を直されてよくわかりました。それはさておき、それもすばらしい体験でしたが、大いなる衝撃はこのあとに待ちかまえていたのです。5月になって学年は終わり夏休みですから6月末くらいまでをシカゴ市南部にある聖アンセルモ教会で過ごすことになったのです。昔はアイルランド系の人たちの小教区だったこの教会には、日本で言えばカテドラル級の歴史のある煉瓦造りの大聖堂があり、立派なパイプオルガンも備え付けられていました。しかし当時すでにシカゴ市の南部一帯はどちらかといえば貧困層にあたる黒人の人たちの居住区になっていました。小教区も黒人共同体の小教区です。ここで初めて日曜のミサに出た時の衝撃は、今でも忘れません。よく映画で見るようなクワイアー・ローブに身を包んだ聖歌隊が、ピアノに合わせて聖堂の前の方に陣取って歌うこと歌うこと。聖歌隊の隊長とすぐに友達になりました。タイローンという元神学生。後に彼はエイズのために亡くなります。それも私にとってはすさまじいショックでしたけれど。タイローンは日本人の私なんか心に(ソウル)持っているリズムが違うから、聖歌隊に加えるわけにはいかないと、冷たいこと。確かに練習を見ていても、どうしてそんなに簡単にハーモニーがとれるのか、微妙な頭の入りのタイミングがどうしてぴったり合うのか、そしてどうしてここまで心の底から楽しそうに歌うことができるのか、本当に不思議でなりません。

そのころ一度、近くで定期的に行われていた黒人の政治運動体Opereation PUSHの集会に、ジェシー・ジャクソンが来るというので見に行ったことがあります。確かにそこでも集まった黒人の人たちが同じように楽しそうに手拍子で歌を歌っていた。でも教会のミサとは違いがあるのです。ミサでは聖歌隊からはじまって会衆をすべて取り込んで、祈りの喜びが聖堂中にみなぎる。あくまでも宗教的な、大げさに言えば神の臨在を感じることのできる祈りの喜びに聖堂は満たされるのです。文化的なこともあるでしょう。ソウルが違うのでしょう。日本で私たちがまねることができないことです。心から喜びを持って神を賛美している姿には、神々しいものがありました。そして合衆国の人たちはフォーマルな時には思いっきりフォーマルになる人たちなので、典礼は思いっきりフォーマルで荘厳です。大きなお祝いに「ナイト(騎士団)」が制服姿で整列した日には、それだけで感動ものです。もちろん普通のミサの歌や典礼にも感動していましたが、ある日、ひとりの青年が事故でなくなりその葬儀ミサで、タイローンがパイプオルガンの伴奏で「主の祈り」を独唱したのを聞いた時は、本当に身震いがしました。それだけで涙がこぼれました。

その後、司祭になってすぐガーナへ派遣され、写真をアップしてある教会の主任(最初は教会法上の規定から、若すぎるので主任代行)となった時に、次の典礼音楽との出会いがありました。そもそも熱帯は湿度が高いので楽器の保守が難しいのですが、加えて村には電気もきていない。ですから教会にオルガンはありません。聖歌隊はマラカスの伴奏でコーラスするのです。日曜などにはコンガのようなドラムが一つ加わりますが、基本的には自分たちのハモりだけで聞かせるのです。これがまたここに文字で書くことができないくらいすばらしい。字が読めない人が多いのですが、そのかわり記憶力が抜群です。聖歌隊長が題名を言っただけで、何名もいる聖歌隊が一斉に歌を始める。どうしてキーが合うのだと驚き、そしてシカゴと同様、どうしてこの微妙にずれた頭の入りのタイミングが、絶妙にぴったりと合うのだと驚きました。自分の小教区の20を超える巡回教会共同体のそれぞれにすばらしい聖歌隊が存在し、ミサに来る人たちも歌うことによって信仰の喜びを表し、また体で感じていました。毎日、うらやましくその人たちを見ていました。幾らまねをしても同じにはなれない何かが、やはりソウルが違うのです。この教会で7年働いて、書き始めたらきりがないくらい精神的肉体的苦労はあったものの、典礼の時のこの歌と歌う人たちの喜びが私自身にも喜びを与えてくれていたと思います。ミサに出て祈ることがこれほど楽しいことかと、喜ばしいことかと、シカゴで、ガーナで実感しました。

どこでも彼処でも同じ事を同じようにしたからといって、同じ効果があるわけではありません。ですから日本の教会で同じ事をするつもりはもとよりないですし、典礼の有り様や祈りの霊的雰囲気に関しては、それぞれの文化による違いや人による違いがありますから、これとても同一化する事を主張するつもりもありません。求めているのは、この地において、教会に来る一人ひとりが落ち着いて神の前に身を置き祈ることができる状況、そして与ることによって信仰の喜びを実感できる教会の祈りや典礼のあり方、加えて宗教的な荘厳さでもあります。神の前でともに祈りを捧げることが喜びでなかったのなら、それほど悲しいことはありません。

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2008年3月11日 (火)

ちょっとした驚き

ニュースを見ていて、ちょっと驚いたこと。例の三浦さんの件で、カリフォルニアで弁護を引き受けた、「セレブ御用達」とかいうゲラゴス弁護士さんの年齢が50歳と報道されていること。50歳って、私の一つ上?どう見てももっと貫禄があり年輪が刻まれたお顔をしておられるようにお見受けするのですが。そういえば、司祭に叙階されてガーナへ行った頃、わたしとしては「もう」28歳の大人のつもりだったのが、アジアから来た若者は未成年くらいにしか見られなかったことがありました。そういわれたので、当時、ちょっとでも年上に見られようと口ひげを生やしておりました。その後、日本に戻ってからも口ひげを生やしておりましたが、汚らしいとあまり評判が良くなかったので、数年前に剃ったのでありました。そして、そういえば、その後にカリタス関連で国際会議に出るようになり、そういった席でものすごく人生の大先輩のような口調とそしてそれに見合った外見で話している紳士が、実はわたしよりも遙かに若いなどという事態にも何度も遭遇しました。別に年をとってみられるのがよいとは限りませんが、しかしいつまでたっても海外で、「なんと若い司教だ」といって驚かれるのは、それはそれでおもしろいものでもありません。加えて、そういえば、リンカーン大統領はかつて、「男は40歳になったら自分の顔に責任を持て」といったと伝えられていますが、もうすぐその年齢を10年超そうとしているのですから、責任を増し加えた顔となるように、中身を磨かねばと思います。

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昔日のおもひで

Gosban 東京在住の知人が昨年送ってくれた昔のコンサートの録音版が、DVDであることに気がついたのはほんの数週間前のことでした。てっきり以前頂いていたCDと同じだと思って、放ってあったのです。DVDだと気がついて、慌ててコンピュータで再生してみました。懐かしい。27年ほど前の映像です。もちろん当時はDVDはなかったので、アナログのビデオで撮影したものを、近頃になってDVDに移し替えたしろものですから、画像は鮮明ではありません。素人がかなり玄人に近づきつつある現在であれば考えられないアングルも、それなりに懐かしい。映像は、当時名古屋の神学生で結成していたSVDゴスペルフォークバンドと初台教会のレット・ザ・サン・シャイン・インというバンドのチャリティーコンサートの模様です。後者はメンバーを変えたものの、現在でも活動しています。わたしは名古屋のバンドで歌を、つまりボーカルをしてました。(写真はその次の年、82年5月に名古屋で行ったチャリティーコンサートのステージ写真)

もともとわたしはボーカルをすることには興味がありませんでしたし、フォークソングにも興味はなかった。それに当時、青春を謳歌するための必需品であったギターも弾けません。わたしはもともと中学時代はシカゴ、高校時代はジャスのバンドでドラムを叩いてましたし、大学に入ってからはジャズへの思いが高まって、テナー・サックスを吹いていました。話がそれますが、それというのも、以前書いた事に加えて、初めて聞いて涙した(感動して)音楽の強い影響がありました。ジョン・コルトレーンの「至上の愛」であります。録音は1964年ですし、コルトレーンは67年に他界していますから、リアルタイムではなかったものの、その録音からほぼ10年後のことです。死に至るまでの数年間、コルトレーンが神秘の世界をさまよっていったことは知られていることですが、この録音時点では、まだキリスト教世界に踏みとどまっていたようです。「至上の愛」の演奏は、「神への感謝」という思いで貫かれています。

そんなこともあって、テナーサックスを吹いてジャズを中心にした音楽の世界に浸っていたのでした。ところがいろいろあって、神学校の諸先輩が立ち上げていたこのゴスペルフォークバンドを継がざるを得なくなり、しかも歌まで歌わなくてはいけなくなってしまった。仕方なくもありつつ、同時に立ち上げた先輩たちの思いもあって、引き受けたのでした。その思いとは、要はそういう歌を通じて福音宣教にあたりたいという思いでした。わたし自身は元々小神学生の頃からグレゴリアンを唄う聖歌隊のメンバーだったり、へたくそなりに神学校のオルガン係の一員だったりしてので、ギターで伴奏するフォークソングは、皆で一緒に歌う典礼での歌には不向きであると感じていました。ですから、典礼ではなく福音宣教の手段としての活動には諸手を挙げて賛同したのです。その後、神学校での必要から歌を数曲作りましたが、その体験から、様々な状況と条件を加味してよく考えなくてはならないものの、ギターも典礼に使えないことはないと今は思います。ただし、「その時と場」をよくわきまえる必要はあるでしょう。自分の祈りとして、自分の神への思いを歌にしたり、曲にしたり。そういう才能があるのならば、そういう道も祈りの道の一つになりうるだろうと思います。もっとも音楽は、どうしても好みの問題になりますから、自分ひとりとか同好の士の間でだけなら良いのですが、教会の典礼に持ち込むには熟慮と賢明な判断が不可欠です。いずれにしろ、それぞれが与えられた賜物を十分に使って、その賜物を生かす方向で福音を伝えることができればと思います。芸術でも文筆でも慈善でも教職でも。ことさらに福音を前面に押し出す必要はないとはいえ、福音を伝えるという思いを密かにでも心に抱いて、賜物を生かす活動に当たりたいと思います。

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2008年3月 8日 (土)

そんなところにまで

昨日の晩は、見附の児童養護施設「聖母愛児園」などを運営している新潟カリタス会の理事会がありました。主に今年度の補正予算や来年度の予算などについて、二時間ほど話し合いました。子どもたちのおかれている厳しい状況を反映して、施設でも様々な課題があることを聞かされ、毎日の子どもたちの世話に取り組んでいる真壁神父を始め職員の皆さんには、本当に感謝するしかありません。そんな中で、先日来世間を騒がせている食品の安全の問題が、施設の予算にも直に跳ね返ってきていることを聞かされました。すなわち、中国産の安い食料品の入荷が滞っているため、納入業者にしてもどうしても国産の食料品を主にせざるを得ない。それはそれで安全なのでしょうが、しかし値段が、すさまじいケースでは、6倍にも跳ね上がるというのです。かといって食事の量を減らすわけにも行かないし、予算は限られている。そんな中で6倍にもなる食料品まであるというのは大変です。燃料費の高騰が頭痛の種だろうとは思っていましたが、冷凍食品の問題の余波で食料品の高騰もあろうとは。確かに地産地消になれば理想なのでしょうから、日本の農業を再生させる機会なのかもしれません。

それから気になったのが、健康診断のこと。そういえば先日も新聞の折り込みで、「特定健診・特定保健指導」がこの四月から始まるという告知がありました。主たる目的は治療より予防を優先させることによって発病率を下げ、それによって医療費を削減することのようですが、果たして目論み通りにうまくいくのかどうか。特に地方自治体へ、特定保健指導で財政的負担が増加するのではなかろうかと思いました。それにしても、健康診断を受けて、その後の問題があると「保健指導」に呼び出されるなんて、なにやら高校にでもいるような雰囲気です。しかも健診のデータは電子化されて、国が一括管理できるようになるとまでいうではありませんか。管理されることにことさら違和感を感じない人や、管理される方が便利だと考える人や、まったく管理を好まない人など、「管理」には様々な捉え方があるでしょうから一概には言えませんが、少なくとも私個人は管理されることが好きではありませんから、何か国に健康状態を監視されているような感じがして、ちょっと薄気味悪いですね。どういった人がこの方式を考え出したのか知りませんが、そう簡単にすべての人の健康を管理できるわけはありませんから、実際に把握できる割合はそれほど高くないのではなかろうかと思います。そうなると、せっかく手間をとられ予算も取られて実施に移したものの、医療費削減には簡単には結びつかないどころか、制度として完全が不可能であればあるほど、抜け道がはびこってあっという間に絵に描いたもちになりそうな気がします。

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2008年3月 6日 (木)

梅の定期便

Bpumemura08 数日前のことですが、横浜教区の梅村司教様が新潟までちょっと訪ねてくださいました。せっかく新潟へ来るのですからと、月岡温泉へ。駆け足でしたが、ちょっとはゆっくりして頂けたのではないでしょうか。そういう自分も、一緒にゆっくりさせて頂きました。写真はその帰り、新潟駅の近くのラーメン屋さんで。新潟にはカレー屋が少ないというのは以前記したところですが、そのかわり新潟の人たちのラーメンを好きなこと。ラーメン屋さんの数といったら、憶えきれないくらいですし、結構厳しいお客さんが多いのか、お店の入れ替わりも激しい。そんな地ですから、もちろんおいしいのは当たり前ですが、それ以外にもいろいろと工夫を凝らしたラーメン屋さんがあります。新潟教会助任のフェルディ神父は、ラーメン屋に行くと必ずラーメンの写真を撮ってご自分のブログで紹介しているようですが、このラーメン屋も珍しいラーメン屋の一つ。石焼きの器を熱く焼いてそこに麺と具を入れ、客の目の前でスープを注ぐ。そうすると火山の噴火の如くスープは煮えたぎるのであります。ですから自分の前に紙を広げておかなくてはならない。そんなのどかなお昼時の模様でした。

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実感する全国の天気

Akitakuko0803 昨日は午前中に秋田教会で、秋田カトリック学園の理事会が行われ参加してきました。秋田カトリック学園は秋田県内の小教区に付属しているカトリック幼稚園を運営する学校法人です。理事長は土崎教会主任の飯野神父、教区を代表して司教が、そしてこの地区の宣教を委託している神言会を代表して管区長も理事に加わっています。秋田県においても少子化は大問題ですし、保育園化が求められている傾向も強いものがあります。その中で教育機関としての幼稚園を守っていくことは容易ではありません。来年度以降の入園児の見通しも、残念ながら明るいものではなく、厳しい経営となりそうです。そういった厳しい状況の中で、教会司牧や宣教とともに幼稚園経営にも取り組んでくださる司祭方には、本当にご苦労をおかけしていると思います。

ところで一昨日、聖園短大の卒業感謝ミサが終わったあと、時間が少し空きましたし雪もやんでいたので、秋田駅方面へ散歩に出かけました。すると秋田駅前のビルに、「ジュンク堂書店」があるではないですか。先頃新潟の駅前にも巨大店舗を構えたジュンク堂です。早速はいってみました。活字離れが言われ、インターネットの時代だと言っても、やはり充実した品揃えの本屋さんには、人が集まるのだなと実感しました。秋田駅前には東口(かつての裏)にNHK秋田放送局が新築されて、以前よりはにぎわいが増したように感じました。秋田駅から教会へ向かう広小路はシャッター通りと化していたのですが、このところ新しい建築がそこここではじまり、ちょっとは経済が回復基調にあるのかと感じさせるものがあります。もっともこれまで商店街だったとおりに新しく林立しているのは、ほとんどがビジネスホテル。それほどまでに秋田でホテル需要があるのかどうかわかりませんが、とにかく新しいホテルが競うように立ち始めています。新潟の中心部ではマンションブームですが、秋田ではホテル。地方の町中には、商店街が存在する可能性は、もうないのかもしれません。歩いていると一群の若い女性たちに声をかけられました。びっくり。「神父さん」と呼んで手を振ってくださる。「え、私のこと」と思って周囲を見回しても、「新婦さん」もいそうもないし、「神父」と言えば私くらいなので、よく見てみると、先ほどミサに出ていた卒業する短大生のように見受けられました。気が弱くてそんな時に堂々と話ができない小心者の私は、まともにお話しすることもなく、手を挙げて挨拶してその場を離れてしまいました。もしかしたら宣教の機会を逃したのか、とか。

昨日の秋田は午後から大雪、吹雪。山の中にある秋田空港まで到達するのも一苦労。なれているはずの秋田教会の主任司祭に送ってもらったのですが、その司祭をして右折すべき交差点を見過ごすほどの吹雪。もっとも風さえどうにかなれば飛行機は飛ぶので大丈夫だろうととにかく空港へ。確かにすべての便が飛ぶことは飛ぶのですが、まず滑走路の除雪が定期的にはいって出発延期。搭乗したは良いが、今度は期待に積もった雪を溶かすのでこれまた待機。結局出発は1時間近く遅れてしまいました。猛吹雪の中をやっとの思いで飛び立ったのですが、これが東京に近くなればなるほど快晴。夜景が美しい。海ほたるが見える。すごい寒さに耐える格好をしていたので、羽田に着くとちょっと場違いな感じが。そのまま地下のモノレールへ入ってみると、誰かが親しげに手を振るではありませんか。大分から到着した宮原司教でした。九州から来た司教様は、「暖かくて、コートを持ってくるかどうか迷ったけど、持ってきて良かった、東京は寒いね」と仰る。テレビなんかで全国の天気を見ながら、「へー、違うものだなあ」と感じたりすることがしばしばありますが、さすが、吹雪とコートのいらない暖かさが同時に存在する事実を目前にすると、この国の広さを身にしみて感じさせられるのでありました。

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2008年3月 4日 (火)

聖園短大卒業感謝ミサ

Akitamisono08 雪が降りしきる寒い日となった秋田で、今朝10時から聖園短大の卒業感謝ミサが行われました。卒業式自体は金曜日なのですが、その数日前に毎年感謝ミサが秋田教会聖堂で行われ、できる限り司教が司式するようにしております。卒業生が何名おられるのか尋ねるのを忘れていましたが、在校生の1年生とともに、広い秋田教会聖堂がいっぱいになり、よく練習された合唱も美しく、卒業を前にしてこの2年間にキリスト教の学校で学んだことを少しは思い起こしていただけたかと思います。これからの人生の中で、大切な判断をしなくてはならない時に限らず、日々の生活の中で、キリスト教的な価値観が少しでも役に立つことを願っています。もちろんその中から、いつの日かキリストとの出会いがあって教会へと導かれる人が出てくれれば、それに超したことはありませんが。生徒さんたちにはシスター方による事前の準備も行き届いているようですし、またミサに出ることはクリスマスなどにも行われているとのことですので、信徒がほとんどいないものの、それなりに厳粛な雰囲気であったと思います。最後には卒業生全員に、お一人お一人に神様の導きと守りがあるようにと願いながら、祝福をさせていただきました。

今回の卒業生には沖縄の那覇教区で働くベトナム人のシスターもお一人おられました。この2年間で日本語も大変上達され、しっかりと卒業となりました。遙かに離れた秋田の地まで彼女を送り込んだ那覇の押川司教は、そのほかのベトナム人シスターとともに卒業式に参加するため、秋田を訪れる予定であると聞きました。南国から来る客人のために、金曜日は雪が降るといいですね。

明日は午前中に秋田カトリック学園の理事会、その後夕方には羽田へ飛んで、木曜日は司教常任委員会です。

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2008年3月 1日 (土)

カレンガ師大司教へ

Kalenga 教皇様は先ほど、日本の教皇庁大使館で参事官を務めておられるレオン・カレンガ師を、新しい教皇大使としてガーナへ派遣すると発表されました。同時にカレンガ師は大司教に叙階されます。カレンガ師はコンゴ(旧ザイール)出身で、私と年齢も近く、しばしばアフリカの話で盛り上がりました。昨年は司祭叙階銀祝を祝われましたが、そのお祝いを利用して、祖国に小学校を建設されています。ガーナはかつて、現在の福音宣教省長官であるアイバン・ディアス枢機卿も大使として務めていた国で、長官自身もいろいろと思い入れのある国だと思います。カレンガ大司教様、おめでとうございます。

(写真は昨年秋田を訪問されたとき、男鹿半島にて撮影。左は教皇大使。右側がカレンガ新大司教)

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植えられたところで咲きなさい

午前10時から新潟市にある新潟清心高校の卒業式に出席してきました。岡山にあるノートルダム清心学園に所属する清心高校は、新潟県内で唯一のカトリックの高校です。新潟教区全体としても、高校は清心と秋田聖霊しかありません。直接若い世代の女性たちの心に直接働きかける教育をする場として、大変重要な働きをしてくださっております。

本日の卒業式には理事長のシスター渡辺和子も出席され、八十五名の卒業生を送り出しました。私は来賓の祝辞ということで、シスター三宅校長、シスター渡辺理事長に続いて三番目の挨拶でした。こういう時には、事前に話の内容を打ち合わせるわけではないのですから、本番の舞台上で前に話す人の話を聞きながら、用意してきた自分の原稿のネタとダブらないようにと、祈るような気持ちで耳を澄ませております。三宅校長の式辞を聞いているとき、思わずひやりといたしました。校長も話の中で、昨年の一年を象徴する漢字「偽」に触れられたのです。私もそこから話を展開した原稿を用意していたので、どうなることかと心配しました。とりあえず校長はさらりと流して頂いて、助かりました。

タイトルの言葉、「神が植えられたところで咲きなさい」は、校長も学校生活の中でたびたび触れているようですし、シスター渡辺も講演などでしばしば説かれているようですが、清心では卒業生の答辞に必ず引用される超ポピュラーな言葉です。よっぽどみんなの印象に強く残っているのだろうと思いますが、そこからいろいろな教訓を引き出せる良い言葉であると思いながら、いつも聞いております。与えられた「場」を素直に受け入れて生きること、しかも前向きに喜びを持って生きる事は容易いことではありません。卒業していった生徒さんたちが、これからそれぞれ異なる場で、喜びを持って生きていくことができるように、祈りたいと思います。今日も、清心の歌声はすばらしく元気に溢れておりました。

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