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2008年3月13日 (木)

歌って祈る

昨日はカリタスジャパンの援助推進部会、本日はカリタスジャパン委員会に出席し、その足で「こまち」に乗って秋田へ。東京駅から秋田駅までほぼ4時間。東京はそろそろコートもいらないくらいの陽気でしたが、秋田へ向かう途中にはまだまだ雪が。明日は聖霊短期大学の卒業式に出席します。新潟教区には秋田県に聖霊の中高と短大、聖園の短大、そして新潟に清心の中学高校と、ミッションスクールはこれしかありませんから、できる限り顔を出すようにしております。大きな教区で学校がたくさんあったらそうは行かないでしょう。

さて先日の音楽の続きを。小神学校へ入ったのが1971年ですから、ちょうど典礼聖歌集が別冊で次々と発行されていった時代です。神学校のミサは日曜日が朗読と説教以外はすべてラテン語。もちろん第二バチカン公会議の典礼です。当時は平日朝のミサでも週に数回ラテン語でミサが行われたと記憶しています。毎週土曜日の夜はドイツ人神父様による、優しくもあり厳しくもあるグレゴリアンの練習と、このあたりはどっぷりとラテン語と新しく出始めた典礼聖歌に浸っていた時代でした。その後、大学生になり修練にはいった頃から、前回記した先輩たちによるフォーク的な歌を小さなグループミサで試験的に取り入れるようになっていたでしょうか。そのころの大神学生(修道会では有期誓願者のグループ)たちは、そういった歌集を作り始めていました。確かこのころが、高田先生が典礼聖歌分冊の最後の方を、すごい馬力で生み出していた時代ではなかったでしょうか。もちろん当時から、典礼聖歌が詩編の歌を中心にしていたこともあって、特に閉祭にはもっと他の賛歌が必要ではないかと模索する事はしていましたが、当時はカトリック聖歌に代わる賛歌集が出るのではないかと期待もしていたものでした。もっともこれは今になってはっきりとわかりますが、日本の教会の体力の限界があったと思います。そう簡単にできるものではありません。

誓願を立てて、例のゴスペルバンドに巻き込まれていた頃、英語の研修のために一年間アメリカ合衆国へ出かける機会に恵まれました。1983年のことです。出かけた先はシカゴから車で4時間西の、アイオワ州デビュークの町のさらに郊外。エップワースという小さな町にある神言会の経営するカレッジでした。ここで、「グローリィー・アンド・プレイズ」というタイトルの聖歌集に出会います。週に一度全員が集まる大聖堂のミサで、ピアノを伴奏に聖歌隊がコーラスを聴かせる。日本でいわゆるフォークの聖歌なんて言うと、失礼ながら替え歌のただのポピュラーソング的であまり感動をしなかったものの、なんというか言葉で説明できませんが、ここではリズムがしっかりとある歌でも、歌って祈ることに喜びを感じました。ですから早速自分も聖歌隊に参加しました。ここでは英語の発音を先生におもいっきり直されました。ここに来る前、日本で例のボーカルをして、「Walk in the light」と歌っているつもりが、聞いていた人から、「あの、おお・銀座ナイトってのは何の歌だ」といわれた理由が、発音を直されてよくわかりました。それはさておき、それもすばらしい体験でしたが、大いなる衝撃はこのあとに待ちかまえていたのです。5月になって学年は終わり夏休みですから6月末くらいまでをシカゴ市南部にある聖アンセルモ教会で過ごすことになったのです。昔はアイルランド系の人たちの小教区だったこの教会には、日本で言えばカテドラル級の歴史のある煉瓦造りの大聖堂があり、立派なパイプオルガンも備え付けられていました。しかし当時すでにシカゴ市の南部一帯はどちらかといえば貧困層にあたる黒人の人たちの居住区になっていました。小教区も黒人共同体の小教区です。ここで初めて日曜のミサに出た時の衝撃は、今でも忘れません。よく映画で見るようなクワイアー・ローブに身を包んだ聖歌隊が、ピアノに合わせて聖堂の前の方に陣取って歌うこと歌うこと。聖歌隊の隊長とすぐに友達になりました。タイローンという元神学生。後に彼はエイズのために亡くなります。それも私にとってはすさまじいショックでしたけれど。タイローンは日本人の私なんか心に(ソウル)持っているリズムが違うから、聖歌隊に加えるわけにはいかないと、冷たいこと。確かに練習を見ていても、どうしてそんなに簡単にハーモニーがとれるのか、微妙な頭の入りのタイミングがどうしてぴったり合うのか、そしてどうしてここまで心の底から楽しそうに歌うことができるのか、本当に不思議でなりません。

そのころ一度、近くで定期的に行われていた黒人の政治運動体Opereation PUSHの集会に、ジェシー・ジャクソンが来るというので見に行ったことがあります。確かにそこでも集まった黒人の人たちが同じように楽しそうに手拍子で歌を歌っていた。でも教会のミサとは違いがあるのです。ミサでは聖歌隊からはじまって会衆をすべて取り込んで、祈りの喜びが聖堂中にみなぎる。あくまでも宗教的な、大げさに言えば神の臨在を感じることのできる祈りの喜びに聖堂は満たされるのです。文化的なこともあるでしょう。ソウルが違うのでしょう。日本で私たちがまねることができないことです。心から喜びを持って神を賛美している姿には、神々しいものがありました。そして合衆国の人たちはフォーマルな時には思いっきりフォーマルになる人たちなので、典礼は思いっきりフォーマルで荘厳です。大きなお祝いに「ナイト(騎士団)」が制服姿で整列した日には、それだけで感動ものです。もちろん普通のミサの歌や典礼にも感動していましたが、ある日、ひとりの青年が事故でなくなりその葬儀ミサで、タイローンがパイプオルガンの伴奏で「主の祈り」を独唱したのを聞いた時は、本当に身震いがしました。それだけで涙がこぼれました。

その後、司祭になってすぐガーナへ派遣され、写真をアップしてある教会の主任(最初は教会法上の規定から、若すぎるので主任代行)となった時に、次の典礼音楽との出会いがありました。そもそも熱帯は湿度が高いので楽器の保守が難しいのですが、加えて村には電気もきていない。ですから教会にオルガンはありません。聖歌隊はマラカスの伴奏でコーラスするのです。日曜などにはコンガのようなドラムが一つ加わりますが、基本的には自分たちのハモりだけで聞かせるのです。これがまたここに文字で書くことができないくらいすばらしい。字が読めない人が多いのですが、そのかわり記憶力が抜群です。聖歌隊長が題名を言っただけで、何名もいる聖歌隊が一斉に歌を始める。どうしてキーが合うのだと驚き、そしてシカゴと同様、どうしてこの微妙にずれた頭の入りのタイミングが、絶妙にぴったりと合うのだと驚きました。自分の小教区の20を超える巡回教会共同体のそれぞれにすばらしい聖歌隊が存在し、ミサに来る人たちも歌うことによって信仰の喜びを表し、また体で感じていました。毎日、うらやましくその人たちを見ていました。幾らまねをしても同じにはなれない何かが、やはりソウルが違うのです。この教会で7年働いて、書き始めたらきりがないくらい精神的肉体的苦労はあったものの、典礼の時のこの歌と歌う人たちの喜びが私自身にも喜びを与えてくれていたと思います。ミサに出て祈ることがこれほど楽しいことかと、喜ばしいことかと、シカゴで、ガーナで実感しました。

どこでも彼処でも同じ事を同じようにしたからといって、同じ効果があるわけではありません。ですから日本の教会で同じ事をするつもりはもとよりないですし、典礼の有り様や祈りの霊的雰囲気に関しては、それぞれの文化による違いや人による違いがありますから、これとても同一化する事を主張するつもりもありません。求めているのは、この地において、教会に来る一人ひとりが落ち着いて神の前に身を置き祈ることができる状況、そして与ることによって信仰の喜びを実感できる教会の祈りや典礼のあり方、加えて宗教的な荘厳さでもあります。神の前でともに祈りを捧げることが喜びでなかったのなら、それほど悲しいことはありません。

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