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2008年3月16日 (日)

受難の主日08

Simg_1896 受難の主日(枝の主日)でした。新潟教会の九時半のミサでは、まず信徒会館一階の会議室に枝をもって集まり、まずそこで枝の祝別とエルサレム入城の朗読を聞いて、いかにもこれから聖なる一週間が始まるのだという思いを行動で表すかのように、聖堂までのほんの短い距離でしたが、行列を組んで移動しました。確かに主のエルサレム入城の模様を再現すると言うこともあるのかもしれませんが、それ以上に、「主の過ぎ越しの記念を行うために行きましょう」という司祭の呼びかけの言葉の通り、この聖週間という時を通じて、「主の十字架を思い起こし、主の復活と新しい生命にも与ることができるように、主の後に従って」歩み始める事に意味があるのだと思います。ですから、昔の出来事を再現してお芝居をすることに意味があるのではなく、具体的に共同体の人たちと一緒に歩くことによって、ともに信仰をふり返る決意を新たにすることが大切です。

Simg_1904 新潟教会では130人を超える方が集まって下さいました。今年の復活徹夜祭で洗礼を受けられる方もひとりおられます。お祈り下さい。転勤で新しく見えた方もおられました。加えて新潟もやっと春らしくなってきました。新しい始まりという雰囲気の中での聖週間です。

以前は非常にぎこちなかった、受難の朗読の中での全員で朗読するところも、なんだか皆さん慣れてきたようですね。「十字架につけろ」と叫ぶとき、イエスをそこまで追い込んだ民衆の無理解と変貌ぶりに人間の弱さを知り、自分自身の同じ人間としての弱さを痛感するとともに、イエスの受難と死はわたし自身のためでもあったと、感謝を深めたいと思います。

本日の説教はこちらに掲載しております。

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