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2008年3月22日 (土)

束縛からの解放

Simg_3757 聖金曜日の聖式は、はじめの挨拶もなく終わりの言葉もない、なにやら中途半端な感じで始まり中途半端な感じで終わります。というのも聖木曜日から聖なる三日間の典礼は、一連の出来事として捉えられているからです。聖木曜日のミサの最後には、「行きましょう」のことばはなく、復活徹夜祭のはじめにも、十字架のしるしはない。聖木曜日のミサのはじめから、復活徹夜祭の「行きましょう、主の平和のうちに、アレルヤ」まで、一連の流れの中に典礼は行われていきます。

毎週日曜日のミサの中で、全世界の教会は共同祈願を捧げていますが、その内容は地域や共同体によってそれぞれ異なっています。しかし一年に一度、聖金曜日の聖式において、全世界の教会はまったく同じ意向を唱えながら共同祈願を行います。一体何を祈ったのか、時間があれば聖週間の典礼のパンフレットをもう一度読み返してみることをお薦めします。毎年、世界中のカトリック教会で、あの祈りが唱えられてきたのです。

Simg_3782 イエスの受難と死と復活の出来事は、命に対する束縛からの解放の出来事でもあると思います。この世の命への最大の束縛は死です。墓という死者を閉じ込める空間から出て行くイエスこそは、すべての束縛からの解放を象徴しているのだと思います。内向きにばかり物事を考えさせる様々な傾き、自分を中心に世界が回っているのだという思い込み。そういった自分から解放されない限り、復活の出来事に与る信仰を頂いた意味がありません。私たちは一人ひとりが勝手に自分の信仰を生きていて、その信仰上の「お勤め」を果たすためにたまたま日曜日に集まってくるから、教会共同体なのではありません。教会共同体にこそ、古い命に死んで新しい命に生まれ変わったイエスの弟子としての本当の生きる場があるからこそ、そこに集っているのです。家庭から教会にやってくるのではなく、教会から家庭へと派遣されていき、そして教会へと戻ってくるのです。ここでも既成の生き方からの価値観の転換が求められています。聖週間の典礼は、そして特に洗礼式が行われ、新しいメンバーが共同体に加わる復活徹夜祭は、それぞれの教会共同体にとって、一年の中でも一番大切な典礼の集いです。どうぞ今夜の典礼を、それぞれの教会共同体で大切に行って下さい。そここそが、私たち一人ひとりの本当の所属する「家」なのですから。

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