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2008年4月29日 (火)

08年宣司評開催

Pastoralc0801 カトリック新潟教区の宣教司牧評議会が、本日新潟教会で開催されました。宣教司牧評議会は、全教区レベルで信徒や修道者と司祭の代表が集まり、教区の宣教について意見を交換し、司教の諮問に応える場です。昨年が第一回で、今回が二回目。なにせ参加者が秋田から糸魚川まで広がっているものですから、年に何度も集まるわけにはいかない。本日も午前10時からの会議のために、秋田、山形、新発田、新潟、長岡の各地区から、地区長の司祭とそれぞれ2名の信徒評議員が参集して下さいました。どうしても都合がつかないと言うことで、二名の修道者代表は欠席でした。

話し合われた内容は、昨年の話し合いを引き継いで、「教区の宣教における優先課題はなにか」というテーマです。とは言っても地理的な距離や心理的な距離があり、なかなか教区レベルでの話し合いにならないのも事実です。すでに昨年の会議を受けて論点を絞り込み、もう一度それぞれの地区で話し合って頂いた内容に基づいて、事前にさらなる話し合いをお願いしておりました。そのため今回の話し合いは昨年に較べてもっと具体的な問題に迫ったような思いがしますが、同時に、昨年とあまり変わらぬ内容を延々と話し合っていたような気もしています。

一番時間をかけたのは、若者たちの関わりについて。昔の世代には想像もつかない不思議な方法で何気なくつながっている教区の若者の活動を、どのように支援していくことができるのか。どのように若者と繋がっていけるのか。「ネットワーキング」というよく聞く言葉が出てきましたが、何となくイメージは感じられても具体的な姿は浮かばない。これと同時に、滞日外国人信徒の方々との交わりについても、取り上げられました。そして信徒の再養成の必要も強く語られました。しかしなんと言っても耳が痛かったのは、教区の中での情報の共有があまりに希薄であるという指摘でございました。確かにその通りだと思います。例えばこの「司教の日記」を書いているからといって、教区のすべての人が読んでいるわけではない。実際に読んで下さるのは、たぶん実勢信徒数の1割にも及ばないでしょう。教区事務所からも、どちらかと言えば通知を出して終わりにしてしまうことが多い。教区報の内容や発行回数の改善も含めて、今後、どのような形で、教区全体のレベルでの互いの情報を共有していくことができるのか、考えていきたいと思います。

今後は、本日の話し合いに基づいて私が書簡をまとめ、皆様に取り組みをお願いしていくことになります。6月頃には書簡ができるのではと思います。しばしお待ち下さい。それに基づいて各地区で具体的な取り組みを、それぞれの事情に応じてお願いすることになります。そして来年の宣教司牧評議会で、ふり返りと新たな方向性の模索を継続していくことになります。そういったゆっくりとした歩みの中で、徐々に各小教区の共同体が、共に新潟教区という共同体を一緒に形作っているのだという意識を持って頂けたらと期待しています。一番の目的はそこにあります。それぞれの小教区が、勝手に独立して存在しているのではなく、それぞれの場でキリストの身体を具現化しながら、同時に教区という共同体を作り上げているのであり、そしてそれが普遍教会全体を作り上げることになるのです。宣教司牧評議会のアイディアは、教区という組織に何をして欲しいかを話し合う場ではなく、共にどのような教区を創り出していこうとするのかを話し合う場です。教区の皆様、お一人お一人の、それぞれの場での共同体づくりへの貢献を、お願い申し上げます。

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2008年4月28日 (月)

ハバロフスク訪問、その2

Khava0805 ロシアにおいて外国人宣教師が働く上での一番の悩みは、現時点では滞在許可が何とも不自由な制度になっていることにあります。現在の法律では、宗教者のビザは180日分を取得できるのですが、そのうちロシア国内に滞在することが許されるのは延べ90日だけなのです。残りの90日はロシア国外へ出ていなくてはならない。ただしこの180日の間であれば出入りは自由ですし、滞在が許可される90日を180日の期間内でいくつにも分割して出たり入ったりを繰り返すこともできます。しかしこの180日ビザを更新するためには、自分の国に戻らなくてはならないのです。昨年までは、ロシア国外であればどこでも更新ができたので、新潟まで更新にやってくる外国人宣教師もいたくらいなのですが、現時点では自国へ戻らなくてはならない。ですからアルゼンチン出身のマルセロ師も、ビザ更新のために7月頃にアルゼンチンへ戻るのだと言います。しかも彼は我々のハバロフスク訪問に合わせて、4月始めにアルゼンチンから戻ってきたばかりです。これでは仕事になりません。(写真は、ハバロフスクのカトリック南教会聖堂に掲げられている十字架)

日本の外務省関係者は、この制度も一時的で、いずれはもう少し改訂されるだろうと見ているようですが、こればかりはどうなるのか先行きは不透明です。ロシア国籍の司祭がまだまだそれほど存在しないカトリック教会にとって、この外国人に対する滞在規制は、教会活動の継続性という側面から非常に厳しいものがあります。なおこの規制は宗教者へのビザのことであり、ビジネス関係にはまた他の決まり事があるようです。10年ほど前に、イルクーツクにおいてカリタスジャパンの現地事務所を法人化するために、当時駐在していた信徒宣教者会のメンバーが大変な苦労をしたことがありました。現地の法律家などの協力を仰いでいたのですが、その法律家たちでさえも、規則がころころ変更になるのでついていくことができない。それを日本人が分かるわけもなく、すさまじい苦労をして法人格を取得したことを思い出しました。ロシアは、なかなか手強い国です。

Khava0806 南教会で日曜日のミサを終え、二階の聖堂から一階のホールへ降りて、信徒の方々の持ち寄り食事会に参加しました。テーブルに広げられた様々な料理を眺めていると、突然、「おいしいから、食べなさい」という声がするではありませんか。ロシア語ではありません。紛れもない日本語で。シスターの声とも違うので誰だろうと思ってそちらを向いてみると、声の主はこの教会の信者さん。韓国系ロシア人のおばあちゃんでした。「おいしいから、食べなさい」。話を聞いてみると、5歳の時に父親に連れられて韓国からサハリンに移住したのだとか。1942・3年頃のことだったと言います。ですから韓国もサハリンも日本が支配していた時代。移住の詳しい事情は聞くことができなかったので、それについては言及できませんが、いずれにしろ、あの時代の歴史の流れがなければ、サハリンに移り住むこともなかったであろうと想像します。植民地支配や戦争の歴史の中で、翻弄されてしまった人生です。結局、終戦後は「日本人」ではなくなり、引き上げることもままならずそのままロシアに残ったのだというのです。そうやってロシア人として生きていった韓国系の方々が、この地には多くおられます。(写真はカトリック北の教会の洗礼盤)

Khava0818 シスターがある手帳のコピーを見せて下さいました。ハバロフスクのレーニン広場に面したあるビルから、発見された手帳の写しです。いかにも共産政権時代に建てられた巨大なその建物は、かつては共産主義の学校であったと言いますが、ハバロフスクに戦後抑留された日本人の手で建てられたのだと言います。ハバロフスクにはそうやって建てられた建築物がいくつも残っています。近頃、屋上の看板取り付けの作業をしていたところ、外れたレンガの後ろから手帳が見つかったのです。そこには鉛筆書きで、詩のようなものが記されていました。見つかれば没収されたのでしょう。作業中に隠しておいたのかもしれません。当地の日本人抑留者の墓地も訪ねました。歴史の波に翻弄されるのは国家ではなく、一人ひとりの人間であることを痛切に感じました。(写真はアムール川沿いに広がる遊歩道公園の入り口から見たロシア正教の教会)

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2008年4月27日 (日)

ハバロフスク訪問、その1

Khava0811 ハバロフスクを4年ぶりに訪問して驚いたのは、なんといってもショッピングセンターなどが増えたことでした。確か4年前に出かけたときには、初めてのショッピングセンターが出現したばかりで、街はちょっと殺伐とした感じでした。そういえばそのさらに数年前、ロシアとして歩み始めてまだ数年の頃、何度かバイカル湖のほとりのイルクーツクへ出かけましたが、お店を訪ねても「売ってやるからありがたく思え」的な雰囲気でした。ところが今やハバロフスクでは、にこやかに応対してくれる店員さんがいる店があちこちにあるのです。加えて近頃は背の高い新しいマンションも建ち始め、アムール川沿いには公園や遊歩道まで整備されて、美しく活気のある街に変身していました。そして何よりも驚いたのは、横断歩道を歩行者が渡り始めると、自動車が止まってくれるのです。このマナーの向上には、感動しました。(写真は、彼方にロシア正教のカテドラルを臨む交差点で、歩行者のために一時停止するバス)

Khava0812 ロシア正教が絶大な影響力を持っているこの国で、カトリック教会は本当に小さな群れに過ぎません。シベリアにおいても、革命以前に家族がカトリックだったからとか、祖父母の遺品の中にロザリオがあったのでカトリックのはずだとか言う理由で、教会に来る人が多かったと言います。そもそもソ連崩壊後、東シベリアではポーランド系の人たちがカトリック教会再建に乗り出し、当時、アンカレッジの大司教がメリノール会宣教師を沿海地域に派遣してカトリックを再建した経緯があります。ハバロフスクでは、市中心部に土地を確保することができず、メリノール会宣教師が、市街地の南と北のはずれに二つの教会を設立しました。それも外国人には新しい建物を建てる許可が出ないため、北の教会は本屋の建物を買い取って改装。南も朽ち果てたような一軒家を買い取って改装したものです。(写真は、ハバロフスクのロシア正教カテドラル教会)

Khava0807 現時点では両方の教会あわせて、名簿上では信徒が300人ほど。日曜日のミサには北の教会に20人ほど、南の教会に60人ほどが参加しているとのこと。この人数で、二つ合わせて年間600万円ほどかかる教会の維持管理費を捻出することは容易ではないと、昨年から主任を務めるアルゼンチン出身のマルセロ・ブランダン師(37)が語ってくれました。カトリックとロシア正教との関係も微妙であったため、97年に教会を再開してからも地域に受け入れられる存在ではなく、法律的にも様々な困難に直面してきたと言います。それが、昨年の濱尾枢機卿とロシア正教のマルク大主教との会談以降劇的に改善し、今ではハバロフスク市の会合などにも、マルセロ師が呼ばれるようになったとも言います。(写真は、ミサ後の持ち寄り昼食会を楽しむ、カトリック南の教会の信徒の方々)

Khava0813 マルセロ師が所属するのは創立25年ほど経ったアルゼンチンの修道会で、日本語に訳せば「受肉した御言葉の会」。司祭が350人ほど、シスターが600人ほど所属しており、近い将来シスター方がハバロフスクへ派遣される希望があるとか。今後、この地においてカトリック教会が根を下ろしていくことができるように、土台を堅固にすることが、マルセロ師の課題です。マルセロ師は、ロシアに来る前まではタジキスタンで働いていたと言うことで、ロシア語を流暢に操ります。どうしてロシアに来たのかと聞いてみたところ、子どもの頃母親がロシアの回心のために毎日ロザリオを祈っていたのをよく記憶していて、必ずロシアに行って働くと、子供心に誓っていたのだというのです。優しい顔の彼の中に、どんな困難にも勇気を持って立ち向かう宣教師魂を感じました。(写真の中央が主任のマルセロ師。左端はロシア正教の大神学院院長ピョートル師)

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2008年4月25日 (金)

ハバロフスクから帰国

ロシアのハバロフスクから、昼過ぎに帰国いたしました。私も、同行して頂いた町田師も中村氏も、元気で一週間を過ごして参りました。また詳しいことは追々記して参りますし、写真もまとめて公開していきたいと思いますが、とりあえず帰国の報告を。

Khava0804 先週末のハバロフスクは異常に「暑く」、初夏を思わせる気候でした。コートやセーターを持参したことを悔やんだくらいです。この陽気で、通常はこの時期に見られるはずのアムール川の氷が溶け出す様子もすでに終わり、大河は普通に流れていました。川岸の公園では、水着になって日光浴をする人までおります。初夏です。ところがこの陽気も火曜日まで。なんと昨日の木曜は雪が降り、コートを持参した意味合いを十分に噛みしめたのでありました。さすが、大陸です。(写真はハバロフスクの北カトリック教会聖堂で、信徒の方々と一緒に)

現地では聖母訪問会のシスター諏訪と瀬谷にお世話頂き、ハバロフスク教会主任のマルセロ神父(アルゼンチン出身)も、ご自分の車がないことから毎日タクシーを手配して下さり、本当によくして頂きました。感謝です。ハバロフスクには町の北と南に二つの教会があり、先日の日曜には北の教会で信徒の方との交流会、そして南の教会では主日のミサを捧げさせて頂きました。ロシア語はできないので、英語でミサをして、説教は日本にも留学経験のあるプロの通訳の女性にお願いして、日本語で行いました。またその晩に、たまたまでしたが南の教会でコンサートまであり、教会の皆さんと楽しく友好のひとときを過ごすことができました。お隣の教会同士として末永い友好関係をと申し出たところ、是非ともそうして頂きたいという声が上がりました。今回の経験に基づいて、今後、可能性を検討したいと思います。

Khava0801 また火曜日には、ハバロフスク・ロシア正教のマルク大主教に会うことができました(写真の左端がマルク大主教。その右がピョートル神学院長。そして、カトリック教会主任のマルセル神父)。ちょうどロシア正教の聖週間中でしたが、司教館の食堂でのお茶に招いて頂きました。マルク大主教は、昨年、ヨハネ・クリゾストモス(金口ヨハネ)の聖遺物を持参した濱尾枢機卿を盛大な式典で迎えた人物で、ロシア正教の大主教たちの中では、かなりカトリック教会に理解を示している人物です。今回の訪問でも、カトリック教会とは友好関係を保っていきたいと話しておられました。その後、ピョートル大神学院院長の案内で市内のいくつかの聖堂や大神学院も見学させて頂きました。ロシアの現在の行政はロシア正教とかなり近い関係にあるようですが、その中で外国人が主体となっているカトリック教会は、法的にも難しい立場にいます。これまでのいきさつから、カトリックの主任司祭は南と北のどちらの小教区にも住むことが出来ず、市中心部のアパート住まいを続けているのですが、こういった法律的問題がロシア正教の理解と協力を得ることで少しずつ解決の方向へ向かうことが期待されています。ロシア正教からは、社会福祉の方面で、カトリック教会との協力が求められているとのことでした。それにしても、ロシア正教の聖堂は金ぴかで、イコンの数々によって彩られていますが、カトリック教会もそれに倣って金ぴかでイコンを飾っておりました。

水曜日には在ハバロフスク総領事にも面会することができ、1時間半に渡って、ロシア事情の興味深いお話を聞くことができました。

ハバロフスクは4年ぶりの二回目です(前回の訪問記はこちらをクリック)。ますますもって町はきれいになっていましたし、新しい建物やショッピングセンターも増えていました。走る車も、日本車の中古が多いとはいえきれいになっていましたし、なんといっても、横断歩道で車が止まってくれるのにはビックリしました。マナーが向上し、美しい町に変貌しつつあります。(写真。下左はロシア正教の大神学院にて院長のピョートル師と。下右は、カトリック南教会での日曜のミサ。マルセロ主任司祭と一緒に)

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2008年4月17日 (木)

中田英寿さん

Ca390062 ご存じのように教皇様はアメリカ合衆国に滞在中です。昨晩はホワイトハウスで行われた歓迎式典の模様をCNNが中継していたので、終わるまで眠れませんでした。ブッシュ氏も教皇様も当たり障りのないメッセージで、両者のスピーチライターはかなり頭を悩ませただろうなと分かるようなスピーチでした。それでも教皇様が彼のスピーチをいつもの使徒的祝福で終わらずに「God bless America」で終わったのには、ちょっと驚きでした。それにしてもハッピーバースデーまで歌って、ホワイトハウスは教皇様大歓迎でした。

もちろん日本のメディアではほとんど関係ない、ですね。当然と言えば当然ですが、それにしても触れなさすぎではない?思い出したのは、どこかで読んだ事なので正確ではないのですが、その昔、日本人で初めて司教に叙階された長崎の早坂久乃助司教が、ローマで叙階されて日本へ船で帰る途中、ニューヨークに寄港したときのこと。大したことがないだろうと港へ見に行った日本の領事館関係者は、小柄な日本人の前にニューヨーク市長がひざまづいて指輪にキスをして挨拶しているのを見て驚愕し、あわてて大使に挨拶に来るように伝えたという話。バチカンに駐在している現在の日本大使である上野さんが常に言っているように、国際政治におけるバチカンと教皇の立場を、日本も多少は理解するべきではないかと、思います。(写真は、パリ外国宣教会から仙台教区に送られた、早坂司教の司教叙階式の写真から。バチカンのサンピエトロ大聖堂にて)。実は教皇様、結構、国際社会にとって大切なことを発言したりしていますから、今回も・・・。

そして、さきほど日テレの夜のニュースを見ていたら、中田英寿さんがガーナへ出かけているではないですか。そして中田さんの英語は、上手でした。だからどうと言うことはありませんが、私の心のふるさとであるガーナへ、よくぞ出かけてくれました。そしてよくぞ、いろいろ感じてくれました。感謝。

それでは明日から一週間、ハバロフスクへ出かけて参ります。今後の交流につなげたいと思います。コンピュータは持参しませんので、次の更新は4月25日です。

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2008年4月15日 (火)

教区司祭復活の集い

Echigoyuzawa 毎年恒例ですが、教区司祭の復活の祝いの集いを、越後湯沢で昨日夕方から本日午前中まで行いました。締めくくりは全員でのミサ。昨晩、町田師が食事の際に、「せっかくこうやって皆が集まっているのだから、仕事の話ばかりでなく、自分について分かち合ったらよいのでは」と提案されたこともあり、ミサの中でわかちあいの時間をとってみることに。一応私が福音後に少しお話をさせて頂き、「それでは何か分かち合いたいことがある方、どうぞ」と申しましたら、しばしの沈黙が。このまま何も起こらずに終わるのかと思ったその刹那、三崎師が口火を切って下さいました。ご自分の、この頃思うことのわかちあいをいただき、そこから始まって全員に一回りしました。少なくとも私が新潟に来てから、教区司祭の集まりのミサでこういったわかちあいは初めてでしたので、それぞれ何となく本音が聞けて、そして宣教司牧活動への熱意も感じ取れて、貴重な一時であったと感じ入りました。今後も折を見て同じように、集まりの時にこういった一時を持ちたいと思います。そういえば、年末に秋田へ出かけていった新潟の若者たちも、秋田でのわかちあいに感動して帰ってきておりました。単なるおしゃべりに終わらず、いろいろなテーマについて感じたことを語り合うとき、祈りのうちにあるならば聖霊の導きによって良いわかちあいになるのだと思います。わかちあいはわたし自身にとっても容易なことではないのですが、でもそこには力があると感じ入ることがしばしばあります。

さて、帰りは大瀧師の車に便乗せず、越後湯沢駅に向かい、せっかく晴天なので、在来線で帰ることにしました。越後湯沢の在来線ホームには初めて足を踏み入れ、ほくほく線経由で金沢へ向かうJR西日本の「はくたか」を初めて「目撃」しました(写真)。乗車したのは長岡行きの上越線下り普通電車。長岡まで1時間と少しの各駅停車の旅は、とても快適でした。普段は新幹線ですから、越後湯沢を出るとトンネルの連続で、そこにはどんな風景が広がっているのかまったく知らなかったのです。美しい山並みと咲き始めた桜。風景の美しさを感じながら長岡へ到着。途中何度も繰り返された「本日からドアは自動となっておりますので、ご注意下さい」というアナウンスが、北国の春の訪れを感じさせます。長岡にて次の信越線下り新潟行きまでは40分以上あるというので、駅ビルでおそばの昼食。ここから新潟まではスイカが使えます。長岡から再び出発すると、今度はちょうど咲き誇っている桜がそこら中に。そしてこれが新潟に近づくにつれて葉桜が混じり始める。新潟の中でも季節の流れを感じます。新幹線の高架から見る風景と、地べたを走っている電車から見る風景がこんなにも違うものかと感じました。新潟の地理をよく理解していないものとして初めて気がついたのは、昔の宣教師は信越線沿いに教会を造っていったのですね。初めて気がつきました。長岡、見附、三条、加茂、新津、亀田と信越線に沿っていたのでした。新幹線からでは気がつきません。高速でも分かりません。初めての越後湯沢からの在来線の旅は、すばらしいお天気のおかげもあり、気持ちの良いものでした。

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2008年4月13日 (日)

13名の堅信と1名の初聖体

Conf080401 本日は午前9時から柏崎教会で、13名の方の堅信式と1名の方の初聖体が行われました。いろいろな国籍の方が多いのも柏崎教会の特徴ですし、国際結婚も多いようです。また主任司祭の性格のおかげかもしれませんが、いろいろな人たちが教会に集まってくる。若い人たちも多くミサに参加し、聖堂はいっぱいでした。(今日の祭服は、ガーナのシスター方からプレゼントして頂いたもので、ストラの模様は、ガーナの独特のケンテ布を使い、ガーナでの聖なるシンボルをいくつか配しています。初めて使いました。)

ミサ後には堅信を受けた人たちを中心に中学や高校生たちが集まって、一緒にお昼を頂きました。そのうちに皆様のリクエストに乗せられて、アフリカの話までしてしまいました。確かにアフリカの話をまとめてどこかで披露するチャンスがあれば良いなとも思った次第です。特に中学生や高校生にアフリカの話を、写真も使っていつかどこかでできればなと思いました。またそのうちに、機会を見て、中学生や高校生の集まりも教区として企画できればとも思います。

Conf080402 昨年の地震で被害を受けた柏崎の町は段々と復興しています。教会の幼稚園も床などに被害があったのですが、先日ホールの床の張り替えが終了したと言うことで見せて頂きました。まだ玄関や廊下の張り替えが必要ですが、これは時間がかかるので夏休みの間にと言うことでした。教会自体は建築家でもあるバッシ主任司祭の知恵で、何本ものパイルを深く打ち込んであると言うことで(この話が始まると、バッシ神父様は止まりません)、地震でもびくともしなかったのですが、そのかわり周囲が地盤沈下したために段差ができてしまいました。幼稚園のグランド側に回ると、その様子がよく見て取れます。信徒の方にも仮設住宅で生活しておられる方が、数名おられると言うことでした。

帰りは高速を使わずに、原発の正面あたりから海沿いの国道を走りました。そのまま、あの歌の出雲崎へ向かい、寺泊から新潟へと思ったのですが、片側交互通行で工事をしているところが多いなと思っていたら、結局は通行止めがあり、迂回しなければなりませんでした。もっとも北陸自動車道自体がまだ波打っているところがあるくらいですから、海岸沿いの道路の修復にはまだ時間がかかるようです。(ちなみに出雲崎から寺泊を通って新潟までは、問題なく通行できます)。被害を受けられた皆様の一日も早い完全な復興を願うとともに、宙ぶらりんになっている原発がどうなっていくのか、早く道筋が見えてくることを祈りたいと思います。

今週は、月曜の午後から火曜にかけて、教区司祭団の復活のお祝い「合宿」、金曜日から翌週の金曜日まで、お隣のロシアはハバロフスクを訪問してきます。ハバロフスクのあるイルクーツク教区(東シベリア)は新潟教区にとってお隣の教区ですす、行政上もハバロフスクと新潟は姉妹都市です。直行便もあることですし、新潟教区としてお隣の教会と何かの関係を持つことができないかと、ちょっと探りに行って参ります。今年いっぱいはまだ日本から聖母訪問会のシスター方が派遣されていますから、そのお手伝いも頂いて、ハバロフスクの教会と友好を深めてこようと思います。またハバロフスクのロシア正教の大司教様と面会をすることができることになり、ロシア正教の神学校も訪問させて頂く予定です。今回は教区のカリタス担当の町田神父様と教区会計担当の中村さんの三人で出かけますが、道が開ければ次回以降は、もっと沢山の方々にも一緒に来て頂ければとも夢を見ております。

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2008年4月12日 (土)

新潟ダルクはばたきネット

先日お伝えしましたが、新潟においてもダルク(民間の薬物依存症回復施設)を設立しようという呼びかけが、秋田と鶴岡のダルクからあり、本日その第一回目の会合が新潟で行われました。秋田と鶴岡ダルクの代表である平原氏と、新潟青陵大学の五十嵐愛子先生の二人が呼びかけて、各方面からこういった課題に取り組んでいる方々が20名以上集まりました。今日は午後一時半から青陵大学の会議室をお借りして、新潟にある佐潟荘(こういった問題に取り組んでいる病院)の中垣内先生から依存症についてのお話を伺ったり、平原氏は体調不良でこられなかったため、鶴岡ダルクの武田氏から話を伺ったりして、今後の取り組みについての意見交換が行われました。秋田や鶴岡でも協力していることですし、全国的にも協力関係にありますから、新潟においてもできる範囲で教会としての協力をしていきたいと思います。

新潟でに一般的に行政サイドからは薬物依存者は他県に較べて少ないと言われているようですが、今回参加された家族会の方々のお話を伺って、決してそんなことはない、すさまじい現実がそこにはあることが分かりました。実際、他県のダルクに新潟出身の方が助けを求めてやってくることもあると言います。ともすれば見ないで済ませてしまいがちな薬物依存の問題に、正面から取り組んでいこうとされている五十嵐先生を始め多くの方が新潟にいることを今日は知ることができ、感謝しています。

本日の会合で、今後、こういった集まりを定期的に持ち、関心のある人たちが自由に参加する中で、近い将来のダルク設立を目指すという方向性が見えてきました。またこの集まりを、「新潟ダルクはばたきネット」と称することも決まりました。今後の活動に期待します。

明日は柏崎教会で、堅信式です。

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2008年4月11日 (金)

ワールドユースデー

ワールドユースデーとカタカナで書くと何とも据わりが悪いのですが、「世界青年の日」のことです。前回は05年にドイツのケルンで開催されましたが、今年の夏にはオーストラリアのシドニーで開催されることになっています。その由来など詳しくはこちらをご覧下さい(WYD公式HPへ)。今年の大会は7月という日本の大学生にとってはあまり都合の良くない日程であるため、日本版は時期をずらしてしっかり用意されています。8月14日から17日まで、会場は星美ホーム山中林間寮(山梨県南都留郡山中248-1)で、費用は 1万8000円(予定)。参加資格は、18歳 (高校生を除く)~35歳の青年男女、国籍不問だと言うこと。詳しい申し込みなどは上記リンクの公式HPをご覧下さい(公式HPは分かりにくいですが、右側バーの下あたりに、日本版のリンクがあります)。なお司教団での責任者は郡山司教と溝部司教です。

この催しに会わせて、国内でも事前に気運を高めようと言うことで、各地で「若者の集い」が開催されます。そして実は新潟でも行われることになっております。5月24日(土)には新潟教会で13時から、私とカトリック中央協議会事務局次長の久志神父の二人が話をします。翌25日(日)にはやはり13時から長岡の表町教会で、松浦悟郎司教とイエズス会の瀬本神父が話をします。申し込みは必要ないようですので、どうぞご参加下さい。なんでも司教のカテケジスが中心になると言われているのですが、私はどうもこのカテケジスというもののイメージがわかなくて困っております。信仰を深めて頂けるような話をしようと心掛けるつもりではおります。久志神父が「信仰宣言について」カテケジスをされますから、これは本格的になることを期待しましょう。誰も参加者がいなかったらどうしようかと思っていたのですが、先ほど東京にいる青年から参加したいという問い合わせがあり、これでどうも10人くらいは最低でも確保できそうで安心しました。

P.S. なおこれにあわせて、全国のカトリック青年有志が企画する全国を巡回するローソクリレーがあります。新潟教区にもやってくる予定です。今のところ7月19日(土)夕方から20日(日)の午後にかけて、青年有志が企画し、山形県の鶴岡教会でローソクリレーのミサを行う予定でおります。詳しくはまたお知らせします。

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2008年4月10日 (木)

今後の講演会の予定など

昨晩は、駐ガーナ教皇大使に任命されたカレンガ被選大司教の送別会を、司教団有志の主催で行いました。有志といいながらほとんど全員が参加。東京駅前の丸の内にある四川料理店で。ものすごい長い注ぎ口があるポットでハーブティーにお湯を注いでくれる名人がその妙技を見せてくれる店で、あまりの物珍しさに、何杯も頂いてしまいました。カレンガ被選大司教とは、明日金曜の午前中に大使館でガーナについてちょっと情報交換する予定です。

本日午前中は常任司教委員会。列福式関係と、6月の司教総会の議題が主な話し合いの内容でした。ところでそれに関して、いつもは6月の司教総会で司教の集いと称して勉強会をするのですが、今年は教皇様が定めたパウロ年の関連行事として、最終日の午後に公開講座を開催することにしました。詳細はまた広報されると思いますが、日時は6月6日の午後2時から、場所はイグナチオ教会。パウロ神学について現代の福音宣教へ何を学べるかを、パウロ会の澤田豊成師とプロテスタントから朴憲郁師に講演いただき、その後シンポジウムを行います。参加無料です。

講演といえば、カリタスジャパンでも、今般サミット関連で来日する国際カリタスの国連代表ジョゼフ・ドネリー氏による講演会を、4月25日午後5時半から上智大学12号館102教室で予定しています。国際カリタスはニューヨーク、ジュネーブ、ローマに国連機関への代表を常駐させていますが、ドネリー氏はニューヨークの国連本部を舞台に、カリタスを代表して活躍されています。通訳付きで無料ですので、近くの方はどうぞご参加ください。

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2008年4月 9日 (水)

秋田紀行

Ca390053 火曜日は秋田にある聖霊中学高校の入学式に参加するために、秋田まで出かけました。昨年は定員の300人を超える入学者があったとのことでしたが、今年はちょっと定員を割り込んでおり、この地域における私学女子校が入学者を確保したり、入学手続き者がうまく定員に達するように歩留まりを考慮して合格者を出すことの難しさを感じさせます。年度末には校長先生も交代となり、昨年度までの教頭先生が、初めての入学式で大変緊張されておられました。新潟の清心は歌がすばらしく力強いのですが、秋田の聖霊はちょっと歌がか弱いものの、オーケストラの演奏はすばらしいですね。皆さん入学おめでとう。

水曜日にはどちらにしろ東京への移動となるため、秋田にそのまま泊まって来ました。聖体奉仕会でおいしい食事を頂き、一緒に静かにお祈りをする時間を頂きました。静かに朝から晩まで祈りの生活というのも、すばらしい生き方であると感じます。(写真は特急「いなほ」の窓越しに見た鳥海山。珍しく雲一つない冬山の姿)

さて新潟から秋田へ向かう「いなほ」の車中からは、建設途中の高速道路が、そこここで見受けられました。近頃は道路の財源問題で大騒ぎになっていますが、確かに道路整備が必要な地域や、道路が開通するのを待ち望んでいる地域が、特に都市部を離れたところに多くあるのも事実であると思います。常日頃からよく書くことですが、新潟教区は新潟から山形を通って秋田まで、約300キロの海岸沿いには、高速道路も断片的にしか完成しておらず、自動車ではどんなに急いでも国道を使って6時間弱の長旅になってしまいます。確かに高速が全通すれば、4時間弱には短縮できるのかもしれません。ですから、この海岸沿いに高速道路ができればよいのになと思いつつも、同時にそれは財政が有り余る時の話であろうなとも思います。すなわちこの地域で優先されるべきは、生活に必ずしも密着していない通過交通のための高速道路網整備ではなく、既存の道路の整備であると感じているからです。それは例えば生活道路の整備であり、国道の整備であり、既存の国道の拡幅であり、バイパスの整備であり、そして何よりも町と町の間を走る国道やバイパスの4車線化であろうと思います。新潟から秋田へ向かう国道7号線は、新潟から新発田までの新新バイパスは4車線の立体交差であり、残りは山形県内で鶴岡から酒田にかけて4車線化が進んでいるだけで、残りの大部分は追い越し禁止の片側一車線道路です。町中は難しいとしてもそれ以外の郊外部で4車線化を進めずに、そこに重ねるように片側一車線追い越し禁止の「高速道路」を暫定開通させても、あまり意味はないように感じます。
そういえば新潟県は、2014年に予定されている北陸新幹線延伸開業のあおりを受けて、上越新幹線が減便または支線化されるのではという心配も抱えています。そこで鶴岡・酒田方面への接続をよくしようと新潟駅の高架駅化事業が進んでいますが、やはり羽越線の高速化を図らなくては意味がないであろうと思います。殊に、羽越線にあっては単線区間と複線区間が頻繁に混じり合っており、まずこれを解消して全線複線化を目指すことと、新潟県北の村上以降県境付近までの海岸線を走る曲線の多い部分は普通列車と観光列車専用に残し、特急が通過する新線をこの部分だけ山側に作るべきだろうと思います。もっともそうすると地盤のあまり良くない地域にトンネルばかりになるでしょうから、JRにとって投資した分に見合った利益が上がるとも思えないので、夢物語でしょうけれど。

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2008年4月 5日 (土)

咲いた、咲いた

08sakura 東京では今日あたりがお花見ですか。新潟はやっと本日新潟気象台が開花宣言。これからです。写真は新潟教会のそばにある新潟小学校の桜。咲き始めました。新潟教区の花見シーズンはこれからです。それでもやっとの事で暖かくなりました。

本日は新潟清心女子中学・高等学校の入学式でした。中学は一クラス29名、高校は34名ずつの3クラス102名の入学です。いつものように中学生、高校生とも新入生の誓いの言葉はすばらしい出来映えでしたし、それを迎える高校3年生の歓迎の言葉も「大人」でした。もっとも新学期が始まったばかりと言うこともあるし、新入生の多くがまだ歌えないと言うこともあり、校歌にはいつもの迫力がありません。ハーモニーもこれから。これがまたクリスマスの頃になると、すごい迫力の歌を聴かせてくれるのでしょう。会場をよく見ていたら、新入生のお母様たちの中に何人か校歌を歌っている人がいました。卒業生なのでしょう。娘さんを自分と同じ学校へ入学させたというのもすばらしい。

火曜日は秋田の聖霊高校の入学式ですので、月曜の午後に出かける予定です。その後水曜日の夕方には駐ガーナ教皇大使として転任するカレンガ被選大司教の送別会、木曜日が定例より一週間遅れの常任司教委員会と社会司教委員会です。その次の日曜日、すなわち13日は柏崎教会で堅信式の予定です。

それにしても、以前神言会の管区長をしていたときは、名古屋の南山学園の理事も兼任していましたが、その頃も名古屋にある南山学園の学校には卒業式などに来賓として招かれていました。でも南山では壇上でニコニコしておれば良いだけで、スピーチは必要がなかったのです。ところが新潟へ参りましたら、なにぶん学校の数自体が少なく、その分ミッションであることを強調する意味もあるのでしょうが、スピーチを依頼される羽目になりました。これが簡単ではないのです。例えば清心ではいつも三番手。校長と理事長の次ですが、事前の打ち合わせがあるわけではないので、同じ話題を先に使われたらどうしようかと、常に冷や冷やしながら聞いているのです。毎回卒業式ではパターンとして、その前年の一年を表す漢字一文字について話すのですが、いつかは理事長様にそれを先に言われてしまい、うまく言い繕うのに苦労いたしました。そうやってハプニングを乗り越えて、人は育っていくのですねぇ。

明日、6日、新潟教会9時半のミサは私の司式です。

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2008年4月 4日 (金)

黒いマリア像、鶴岡へ戻る

Tsuruokamary 国の重要文化財にも指定されている山形県の鶴岡教会聖堂には、献堂の頃にフランスから寄贈されたという黒いマリア像があります。どうして黒いのかについては諸説あるようですが、いずれにしろ肌の黒いマリア像はそう滅多にあるものではありません。なんと言っても寄贈されてから100年は経っているのですから、近頃は傷みも目立ってきたため、一年ほど前から山形市の東北芸術工科大学に依頼して、修復が行われてきました。先ほど異動で新しく着任したばかりの新主任司祭であるドネガン神父から(イエズスマリアの聖心会)電話があり、修復も無事終わって、本日聖堂に再び安置されたと言うことです。今日は地元のマスコミも取材に訪れたようで、夜のNHK全国ニュースでも取り上げられる予定だとか。写真は修復前の黒いマリア像ですが、どんなに美しく変身したか、私も次に実物を拝見するのが楽しみです。

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2008年4月 1日 (火)

メタボ・メタボ・メタボ

Simg_2044 先日の助祭叙階式後の祝賀会で、坂本新助祭と一緒に写った写真を見て、「愕然」というレベルまで到達するにはまだ余裕があるものの、結構驚きました。思ったより坂本助祭のスリムなこと。それに較べて私のポッチャリしていること。

なにやらこの度「メタボ健診」なるものが義務化されるとか。「メタボ該当者・予備群に生活習慣改善を促すことで、生活習慣病の発症や悪化を予防し、医療費削減を目指す世界でも例のない制度」と、毎日新聞にありました。ここまでしなくてはならないほどに、私たちの国は財政が破綻状態(または寸前)であるということなのかもしれませんが、本当にこんな事で医療費が減るのでしょうか。それでも国民一人ひとりの健康にまで気を遣ってくれるのはありがたいとは思いますけれど、気になったのは同じ記事の次の部分です。

「各保険者とも12年度までに、メタボリックシンドローム該当者や予備群を10%減少させることなどが目標とされている。達成できない保険者には、後期高齢者医療制度への財政負担が最大10%加算されることになる。この場合、保険料の値上げなどが必要になって保険加入者の負担増になる可能性もある」(毎日新聞ホームページから)

該当者には積極支援とかいって様々な指導が行われるとも言います。なにやら、「太っている人間は悪者」とでも言う雰囲気が徐々に醸成されていくのではないかと思わず身震いがするのでした。健康保険を運営している方にはペナルティのような追加出費まであるのですから、罪作りな人間は(つまり該当者は)、針のむしろに座らされるのではなかろうか。タバコが徐々に公共の場から追放されていったように、太っている人間も肩身の狭い思いをして暮らす世界になっていくのでしょうか。それにしても、お相撲さんたちはどうするのかしら・・・?

財政的に大変ならば、新しい道路の建設はこの際当分は延期してメインテナンスくらいに留め、その分、医療や福祉に回して下さった方が、生きやすいように思います。道路ができて便利になる見返りが、やせる努力をするように監視されるのでは、悲しいではないですか。

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