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2008年4月28日 (月)

ハバロフスク訪問、その2

Khava0805 ロシアにおいて外国人宣教師が働く上での一番の悩みは、現時点では滞在許可が何とも不自由な制度になっていることにあります。現在の法律では、宗教者のビザは180日分を取得できるのですが、そのうちロシア国内に滞在することが許されるのは延べ90日だけなのです。残りの90日はロシア国外へ出ていなくてはならない。ただしこの180日の間であれば出入りは自由ですし、滞在が許可される90日を180日の期間内でいくつにも分割して出たり入ったりを繰り返すこともできます。しかしこの180日ビザを更新するためには、自分の国に戻らなくてはならないのです。昨年までは、ロシア国外であればどこでも更新ができたので、新潟まで更新にやってくる外国人宣教師もいたくらいなのですが、現時点では自国へ戻らなくてはならない。ですからアルゼンチン出身のマルセロ師も、ビザ更新のために7月頃にアルゼンチンへ戻るのだと言います。しかも彼は我々のハバロフスク訪問に合わせて、4月始めにアルゼンチンから戻ってきたばかりです。これでは仕事になりません。(写真は、ハバロフスクのカトリック南教会聖堂に掲げられている十字架)

日本の外務省関係者は、この制度も一時的で、いずれはもう少し改訂されるだろうと見ているようですが、こればかりはどうなるのか先行きは不透明です。ロシア国籍の司祭がまだまだそれほど存在しないカトリック教会にとって、この外国人に対する滞在規制は、教会活動の継続性という側面から非常に厳しいものがあります。なおこの規制は宗教者へのビザのことであり、ビジネス関係にはまた他の決まり事があるようです。10年ほど前に、イルクーツクにおいてカリタスジャパンの現地事務所を法人化するために、当時駐在していた信徒宣教者会のメンバーが大変な苦労をしたことがありました。現地の法律家などの協力を仰いでいたのですが、その法律家たちでさえも、規則がころころ変更になるのでついていくことができない。それを日本人が分かるわけもなく、すさまじい苦労をして法人格を取得したことを思い出しました。ロシアは、なかなか手強い国です。

Khava0806 南教会で日曜日のミサを終え、二階の聖堂から一階のホールへ降りて、信徒の方々の持ち寄り食事会に参加しました。テーブルに広げられた様々な料理を眺めていると、突然、「おいしいから、食べなさい」という声がするではありませんか。ロシア語ではありません。紛れもない日本語で。シスターの声とも違うので誰だろうと思ってそちらを向いてみると、声の主はこの教会の信者さん。韓国系ロシア人のおばあちゃんでした。「おいしいから、食べなさい」。話を聞いてみると、5歳の時に父親に連れられて韓国からサハリンに移住したのだとか。1942・3年頃のことだったと言います。ですから韓国もサハリンも日本が支配していた時代。移住の詳しい事情は聞くことができなかったので、それについては言及できませんが、いずれにしろ、あの時代の歴史の流れがなければ、サハリンに移り住むこともなかったであろうと想像します。植民地支配や戦争の歴史の中で、翻弄されてしまった人生です。結局、終戦後は「日本人」ではなくなり、引き上げることもままならずそのままロシアに残ったのだというのです。そうやってロシア人として生きていった韓国系の方々が、この地には多くおられます。(写真はカトリック北の教会の洗礼盤)

Khava0818 シスターがある手帳のコピーを見せて下さいました。ハバロフスクのレーニン広場に面したあるビルから、発見された手帳の写しです。いかにも共産政権時代に建てられた巨大なその建物は、かつては共産主義の学校であったと言いますが、ハバロフスクに戦後抑留された日本人の手で建てられたのだと言います。ハバロフスクにはそうやって建てられた建築物がいくつも残っています。近頃、屋上の看板取り付けの作業をしていたところ、外れたレンガの後ろから手帳が見つかったのです。そこには鉛筆書きで、詩のようなものが記されていました。見つかれば没収されたのでしょう。作業中に隠しておいたのかもしれません。当地の日本人抑留者の墓地も訪ねました。歴史の波に翻弄されるのは国家ではなく、一人ひとりの人間であることを痛切に感じました。(写真はアムール川沿いに広がる遊歩道公園の入り口から見たロシア正教の教会)

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